注意事項
本HPは「統合医療」に関して、その概念および実際を紹介することを目的とするものであり、個別の疾患や診療内容の相談には応じかねます。また、内容に関しても、実際に個人の判断で適応した際のあらゆる責任は負いかねます。実際の診療に関する事項は、医師にご相談の上、施行されることをお勧めします。
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2024年05月26日

マトリックス医学への道(増補改訂版)

 以前、分割して載せた記事の検索数が多いので、読みやすいようにまとめ、かつ少し現在の状況に合わせて改訂した原稿を掲載します。
 ここで話題にする「マトリックス」という概念は、ファシアという今まさに、ホットなキーワードのおそらく背景となる、大きな枠組みになっていくと思います。近いうちに、マトリックス医学としてのさらに大きな研究の枠組みをご紹介できると思いますので、それに先立って読み返して頂ければ幸いです。



 生体マトリックスの理解を、物質的基礎となるコラーゲンから始まって、ファシア、線維化に至る流れを現状の医学だけでなく、エネルギー医学やホメオパシー、経絡や漢方といった東洋医学も含めた補完医療的見地も入れながらストーリー立ててみたいと思う。いわば、水分子の挙動などの量子医学的視点から、マクロにおける漢方・鍼灸・波動器機といったものをまとめて理解するための視点を提供してみたい。

 まずはコラーゲンから。コラーゲンに限らずすべてのタンパク質の分子には、水分子が寄り添っている。つまり生体マトリックスを構成する分子にも、その周辺には水分子が常に付随し、そこには当然ながら相互作用が認められる。
 コラーゲン周辺の水分子に、ある一定のエネルギーが作用すると、そこには秩序が生じ、水分子がそろってスピンする。これが「コヒーレント」といわれる状態である。コヒーレントの状態は、エネルギーを放出することができ、そこで発生したエネルギーがフローリッヒ波と称される。そしてその結果、比較的無秩序な基底状態へと戻る。が、再度エネルギーを吸収すれば、コヒーレントの状態へ復帰することが出来る。(この過程において組織特異的な振動数を特定し生体へ放射すれば、量子医学として説明されるQPAないしはAWGといった波動治療器の原理説明となりうるであろう)
 この時のいわば、コヒーレントな状態というのは、コラーゲンを含めた周辺環境において「健全」な状態にあると仮定される。(『量子医学の誕生』等の書籍においては、このプロセスをエバネッセント光としてウイルス等から生体を防御していると推測している)
 こうした振動による状態の改善については、波動治療器の説明に限らず、ホメオパシーなど広義のエネルギー医学的方法においても説明可能である。


 つまり簡単にまとめると、ホメオパシーや波動医学などエネルギー医学系統は、主にコラーゲン周辺の水分子の(局所的な)コヒーレント状態を目標にしていることになる。それゆえに、水分子の重要性が生命の基本原理として話題にもされる。(種々の生気論的な議論もここを出発点としているものが多いように感ずる)

 裏を返せば、これを妨害するものが、疾患への道筋となり、この段階で直接的に影響するのが「電磁波」であろう。電磁波によりコヒーレントな状態が妨害されれば、コラーゲンを介する生体のエネルギー伝達システムが異常となり、ひいては免疫機序の低下につながることが容易に推測される。これへの具体的対応策が、いわば諸々のアーシングと言ってよいであろう。

 健全なコラーゲンの周辺では、コヒーレントな状態に近いと考えられ、それにより成長・損傷修復・防御反応、さらには各組織・臓器の活動を調和させると推測できる。
 反対に不協和な状態であれば、慢性炎症のもととなり、その結果である線維化まで進行しうる。特に急性炎症からの遷延化である「慢性炎症」においては、好中球増加などの環境下から、フリーラジカルの発生がしやすく、安定した分子から酸素を奪い「酸化」した、いわば不健康な酸化ストレス状態へと導きやすくなる。

 コラーゲンの集積した結合組織においては、直流電流が全身に流れているとされ、その流れのペースメーカー的な役割が「脳波」であると考えられている。
 そしてここでさらに想像をたくましくするなら、自律神経たる腸管神経系を司る腸のペースメーカーも関与しているのかもしれない。それはおそらく腸内マイクロバイオ―タと密接に連携しながら、外胚葉由来の脳と、内胚葉由来の腸とで、主に中胚葉由来の結合組織、ファシアに影響を与えていると考えると理解しやすいのではないだろうか。(ここでは微生物学的マトリックスとしての腸内マイクロバイオ―タの機能が小さくないと思わせる)

 そしてここから、感情や記憶といったものの起源を、中枢としての脳のみに起因させるのではなく、全身に分散したモデルで考えることも可能になるのではないだろうか。

 まずは、ファシアを話題にする前に、その素材であるコラーゲンとその周囲の水分子の状態から、解きほぐしてみた。
 このメカニズム理解には、ホメオパシーなど広くエネルギー医学を理解するポイントや、アーシングや環境における電磁波対策、個々の住居の在り方、さらには地球規模におけるシューマン共鳴にまで応用しうるものであることを指摘しておく。これらが生体のマトリックスとして重要なファシアによりまとめられていることが重要な事である。




 犠呂任魯灰蕁璽殴鸚維周辺の水分子の状態から、慢性炎症への準備段階へとつながるミクロの環境について述べたが、今度はそれに引き続く、末梢循環のミクロな環境において、どのように循環不全の火種が生じるかを考えていくことにする。病態のモデルとして有用な末梢循環不全のモデルについてである。

 末梢循環のモデルとしては、動脈が枝分かれして次第に毛細血管へ移行し、ガス交換の後に、静脈へと合流していくことになる。そこではガス交換に限らず、栄養やホルモンといった物質の移動も行われ、組織外液は一部、盲端となっているリンパ管に吸収され静脈へと環流される。これが通常の教科書的な解剖生理学における末梢循環の説明である。
 しかし近年、この細胞外液のエリアにおいて、プレリンパと称される液体を内包する管が生体の直接観察により判明した。いわゆるコラーゲン線維に囲まれ内皮様の細胞の内側に、このプレリンパが存在する。つまり、ただ外液として存在しているのではなく、管様の構造物内を液体が通っていることになる。
 またファシア内部にも液体が存在するから、毛細血管周辺には血管内の血液だけでなく、リンパ管のリンパ液、さらにはファシアの内包するプレリンパが大量に存在することになる。とりわけ、血管周辺にはファシアが多く存在するから、「瘀血」と言われるうっ血がある場合には、その周辺もまた液体がうっ滞していることになる。

 こうした環境は、うっ滞がひどくなれば、毛細血管観察鏡では不明瞭な毛細血管像として観察される。また、毛細血管のうねりや湾曲などの変形像も、周辺の微細なコラーゲン線維の束により生じた引きつりと考えれば、後天的な血管変化として説明がつく。
 ではその像を不明瞭にさせているものは何か。今度は光学顕微鏡や、暗視野顕微鏡にて観察可能な新鮮血で考える。ここでは病的状態として、赤血球の連銭形成がみられ、毛細血管通過困難な状況から血管像の消失(ゴースト血管)を生じたり、またフィブリン網が藻状構造物として観察されることから、それらが血管外で析出して血管不明瞭像を形成すると考えられる。これらはいわゆる従来の「瘀血」といった概念だけでは、明確な説明になっておらず、コラーゲン線維の集合体としてのファシアを念頭に置かないと説明しにくい。

 これは実際の刺絡治療において、多くのいわゆる「瘀血」が引かれることや、それらの粘性が極めて高いことなどの説明として不可欠である。つまり従来の瘀血は、その実態としては血管内部の停滞した血液に加え、血管外かつファシア内のプレリンパも大量に混在していることになる。
 こうした末梢血液の環境により、「瘀血」が形成される可能性が高いので、むしろ血だけの問題ではなくファシアが大きく絡むことから「ファシア瘀血」と称することが妥当であると考える。(指尖から末梢血を採取することを考えれば、極めて妥当な推測となる)

 こうしてファシア瘀血という概念を導入することにより、慢性炎症などからファシア重積などのファシア病変へと連続する筋道が立ったことになる。この末梢循環の理解を基礎として、いよいよファシアの病態、さらには線維化へと解説を進めていくことにする。




 珪呂任蓮▲侫.轡△砲ける病態の基礎を形成すると考えられる「ファシア瘀血」の概念を解説し、これにより、ファシア重積など、マクロ的にボディワークによって解消される病態の原因が推測された。それはここでは(本ブログ)「Bファシア」と称してきたものであり、一方で、ミクロ的に、エネルギーワーク的な微細な介入によって改善される病態の基礎を「Eファシア」と称した。
 つまり末梢循環における病態を示すファシア瘀血という概念は、このBファシアとEファシアの境界に位置し、双方の説明原理ともなるものだということが示されたことになる。
それではまず正常ファシアの解剖から始め、ファシアの病態へと解説を進める。

 Steccoらによるファシア関係の基本用語として、人体の水平関係をO-F単位、垂直関係を A-F配列が、4つの分節された腔に配置され、経絡との対置が行われる。この理解に加えて、線状の構造ではないファシアに、経絡のラインが当てはまる理由は、張力によるものである。
 張力によってコラーゲン線維が引き伸ばされ、そのライン上を直流電流が走ることによって、情報の伝達がなされるわけである。
 こうしてできた流れとしては、アナトミートレイン的な解釈が一番近く、とりわけ「経筋」の流れは、この典型と言える。またエネルギー療法的な視点から発展したものと推測されるのが「経別」であろうと考えられる。その後それらを総合する形でいわゆる「正経」が成立し、別ルートである「奇経」が認識されることになったのであろう。
 いずれにせよ、体表から内臓に至るまで全身あらゆる部位と連続性をもつファシアであることが、こうした複数ルートとなりうる理由であろう。

 またこうした鍼灸系統のルートとは別に、湯液系統のルートも想定しうる。これは、明かなルートとしては伝承されていないが、傷寒論の条文から帰納的に推測された江部経方医学における説明図(UFO図とも呼ばれる)の気のルートがこれにあたるであろう。
 このルートは「隔」を中心として、体内で発生した熱がどのように体外へと放出され、どのように体表を巡り、どこから内部へと環流されるかという流れで、ファシアを通じて伝播される熱のルートとしても解釈することができる。
 またこれらの体表部における流れの層は三層構造になっており皮・肌・身として、表皮・真皮・皮下組織(筋肉)と対応していると考えられる。

 こうした流れが慢性炎症によって生じた瘀血によって、ファシアの重積などの病態へと変化し、神経・血管を巻き込んで幾多の症状となって発現するわけである。
 発現した病態像によって、ファシア瘀血をメインに、コンパートメント症候群的な状態である時には減圧を伴う「刺絡」が著効するし、一方では、血管や神経を巻き込んで絞扼、重積して物理的障害となっている場合は、生理的食塩水を局所注入する「ハイドロリリース」が著効することになる。
 これらは局所的効果を発現するだけでなく、ファシアの該当部位からの連続体として、諸々の臓器にまで影響すると考えられる。絞扼された神経・血管が解放されることに加え、ファシアによるプレリンパの流れやコラーゲン線維の微量直流電流の改善がその機序として推測される。
 これにより筋・骨格系のみならず、広く内臓全てに好影響を及ぼしうるし、本来の自発的治癒力の発揮へとつながる道筋となるであろう。
 がん治療においては、従来の免疫機序の賦活というストーリーにとどまらず、絞扼や圧縮といった物理的圧力からの開放や、電気的に良好な微小環境の形成を通じて、本来の治癒力発現へとつなげる道筋である。(がんは物理的圧力下において増大・転移しやすい)

 ファシアの病態は以上のように、異常な局所の病態を改善して正常な「局所性」を取り戻し、それによって病的な連動を断つことで健全な「連動性」を復活させる、という2つの大きな改善を図ることができるのである。

 またファシア内の電流のペースメーカーとして「脳波」が想定されているが、それに加えて「腸管」におけるペースメーカーも重要な役割を担うはずで、これには当然、腸内マイクロバイオ―タとのなダイナミックな関係性が大きく影響するはずである。
 また腸管それ自体も、腸管膜根からフレアスカート状に大きな腸間膜が一塊として垂れ下がり、この構造と「丹田」との関連も強く示唆される。生体における解剖学的な位置を深く考察した肥田春充による「聖中心」も、このファシアによる考察を加えることで解明へとつながるのではないだろうか。この辺りは非常に多くの可能性が秘められた議論が展開しうるであろう。いわゆる伝統医療・補完代替医療といわれる領域の統合的解釈における「ファシア」という概念の魅力は尽きることはなかろう。




 いよいよ慢性炎症の行きつく先、線維化にいたる道筋となる。近年、流行りのテーマでもある線維化へ、ファシアの病態がどのように接続していくか。先端の基礎医学と、補完代替医療系の大きな溝により、ほぼコメントされていない状況だが、丁寧に思考していけば、特に大きな隔たりもなく、連続した概念であることは明白である。
 しかし、我が国でのファシア研究とエネルギー医学系との隔絶などを考えると、この二つの概念が同時に語られるには、まだまだ多くの時間が必要にも感ずる。


 慢性炎症の果てに、実質細胞が欠落し、間質細胞が増殖しこれが線維化を招く。こうした機序において真っ先に思いつくのが、線維芽細胞の増殖である。フィブリンの蓄積にともなって、張力が働く方向にフィブリンが並ぶのに伴い、同方向に線維芽細胞が増殖し、コラーゲン線維が形成されていく。
 また慢性炎症の状態であるから、そこにはマクロファージやリンパ球なども集積して免疫反応も生じる。同時に血管も集まり、その周辺には細胞外マトリックスとしてのコラーゲン線維も増加し、炎症性物質を内包するプレリンパも多く存在することが推測される。
 こうした状況の中、組織破壊が進行し、修復のバランスが破綻していけば、微細な環境における恒常性は破綻し、線維化による再構築が生じることになる。つまり、ここでファシア瘀血として述べてきた現象は、この線維化においてその主たる経過に大きく関与することになることが推測される。
 そして、ここで期待されるのが、不可逆とされた線維化が可逆的に変化しうるという可能性である。つまり、このマトリックス医学の紹介の中で展開される様々な介入により、線維化への有効な対応策が見出される可能性が高いと言えよう。

 言うまでもなく全身に張り巡らされたファシアは、一つのネットワークとして連続している。そしてそこにはプレリンパをはじめとして、多くの線維化に関与するプレーヤーもまたふくまれている。
 ある部位に、強いファシア重積が形成されたとすると、その付近と影響する部位における運動が制限されるだけでなく、神経や血管もまた機能不全に陥る可能性が高い。
 つまり、ファシア瘀血による慢性炎症の温床が形成されてしまう。それは直流電流によるファシア本来の通電性による機能を不全にさせ、実質細胞に悪影響を及ぼすであろうことが推測される。

 またファシアの増殖により局所的な循環不全を招く可能性もある。また近年、慢性腎臓病の進展に対しての三次リンパ組織(TLS)の役割も見逃せない。
 これは線維芽細胞が実質細胞に集積するなかで、リンパ球を動員・増殖させ、さらにその周辺へと炎症を拡大させるものである。つまり線維化の病変がさらなる病態の悪化を招くということであり、こうした線維化をどのように解消していくかは、実質臓器の悪化を防ぐうえでも極めて重要な介入となる。

 これらは詳細なプロセスは、肝臓や肺、皮膚や脂肪組織など各臓器で異なるものの、概ね同様の方向で進展していくとされる。つまりこれまでのような臓器別、つまりはここの実質細胞への対応策では、有効な対策はとりにくいことになり、ポジ・ネガの反転のような対策が必要とされる。これが、マトリックス医学とした理由である。従来の注目されていたもの「でない方」に視点を変える、ということになる。

 我々はこれを、これまで伝統医学や補完代替医療の活用、という表現で理解してきたのであるが(それゆえに統合医療という名称にもなるのであるが)、そこに具体的な現代科学的イメージを重ね合わすことが可能になったということである。
 また、マトリックスという時、それはいわゆるファシアよりも大きな概念になることはいうまでもない。これも広い意味でのポジ・ネガである。

 こうした考え方の変化には、その時代時代に要請される「まなざし」の変化が根底にあると言わざるを得ない。
 このまなざしの変化は、意識に対する無意識であるし、日常に対してのトランスでもあり、ニューロンに対してのグリアでもある。こうした時流の中での実質臓器にたいするそれ以外の部分、つまりはマトリックスということになる。

 やや脱線するが、こうした変換はマトリックス内部においても生じる。ファシアの機能的な表現形式として説明した「経絡」概念の変遷がまさにあてはまる。
 おそらく歴史的には、はっきりと実感しやすいアナトミートレインのような形で「経筋」として理解されていたものが、内臓との関連へと理論展開し、微細な感覚を伴って「経別」の源流となる概念になっていく。それが湯液など内服薬の充実により、内臓へのアプローチが「裏」へとまわると、さらに洗練された形で、多くの経穴を伴って「経絡(正経)」として成立。その後、進展した別形式としての「奇経」が生れ、再度、以前から存在していた経筋・経別などの概念を取り込みながら、整理してきたものが今日の経絡システムであるとする考えである(『東洋医学と潜在運動系』山田新一郎・佐藤源彦の記述をもとに記載)。つまりここでも、歴史的なまなざしの変化により大きな概念の変遷があったということである。

 統合医療はそれ自体が大きな視点の変化を伴うものである。そうした中でも、統合主義的な視点でまとめたマトリックス医学という切り口は、より具体的な形で現代医療への新たな視点を提供しうるものであると確信する。これらの概念は、個の内面から発する「プラグマティックメディスン」と合わせてご理解いただければ幸いである。ケン・ウィルバーの四象限で表現すると「I」の視点がプラグマティックメディスンで、「It」の視点がマトリックス医学という分け方になることも、ここであわせて指摘し、本稿を終えたい。



2024年05月07日

データから身体を推測する 化学的マトリックスの一例として

 統合医療関係の採血検査というと、どうも遺伝子検査や副腎疲労関係の米国での検査を思い浮かべる方が多いようで、時折、当院にも問い合わせがきたりもしますが、そうした珍奇な検査群はほぼしていないのが現状です。それらが悪いという事ではなく、通常の検査項目ですら、しっかりと説明されずに理解できていない方がほとんどの中で、それほど高度な専門性の高い、そして高額な検査をするまでもなく、通常の項目でかなりのことがアドバイス可能です。
 いわゆる臨床検査医学領域で使われるリバースCPCの方法を用いて、カウンセリング的な診療の中に取り込んでいくことで、栄養的なアドバイスはかなりのレベルで可能だと思います。そこで、少し検査データに関してご紹介とまとめをしてみたいと思います。どのような観点から、身体をみていくかという一つの参考にして頂ければ、と思います。

1)全身状態・栄養状態

 いわゆる総蛋白やアルブミン、ヘモグロビンやコリンエステラーゼ、さらにはWBCや血小板などから総合的に判定可能です。とりわけ栄養状態は、通常のアルブミンのみの判定よりは、BUNや尿酸、コレステロールや中性脂肪、血糖関連の指標も併せて評価することで、具体的な食事内容まで踏みこめる情報の宝庫です。とくにタンパク摂取に関しては一面的な評価ではなく、タンパク分画などを用いた複数の視点により、摂取の不足を指摘できることが多くあります。また、糖質に関しては従来の糖尿病コントロールの観点を超えて、食後高血糖や機能性低血糖の存在などにも複数のデータの組み合わせから推測が可能です。脂質に関しても同様で、血小板などから血管内病変の存在を推測しながら、コレステロールや中性脂肪の数値を考察することで、また違った視点を得ることもできます。
 栄養状態の評価に関しては、入院時の栄養管理とは異なり、日常生活における細かな注意、アドバイスにつながる情報は意外に多いので、血液からの情報はかなり奥深いと思います。

2)感染・急性炎症・慢性炎症

 何らかの感染が現状のデータに影響することも多いので、こうした影響を考慮することも重要です。WBCやCRPに加え、末梢血塗抹標本も多くの状態(左方移動や異型リンパ球)を物語ります。CRPやSAAを用いた急性炎症の評価のみならず、慢性炎症の評価も統合医療領域には必須です。いわゆる慢性疾患や未病の評価としてタンパク分画を中心に、好感度CRPやフェリチン、血清銅なども参考になります。複数の視点から、くすぶった「ボヤ」状態を把握し、診療の道標として活用できるわけです。通常の内科視察における感染症診療とは少し異なりますが、長期的な健康維持として、こうした視点は非常に重要なものとなります。

3)臓器障害

 臓器障害の度合いは、通常の内科診療においても重要なものであり、予防・未病対策としての統合医療診療としては、症状を自覚していない方々の潜在的な障害を発見することにもつながります。いわゆる肝胆膵機能、腎機能に加えて、心臓をはじめとした他臓器にひろく適用されます。また、身体評価の観点からは、通常の臓器障害の視点からだけではないデータの別解釈も重要です。ASTやALTからのビタミンB濃度の推測や、尿素窒素からのタンパク摂取量の推測がそれに当たります。

4)電解質、その他ビタミン類など

 ナトリウムやカリウムといった汎用される項目のみならず、マグネシウムやリン、鉄・亜鉛・銅なども栄養状態をしる大きな情報源ですので、評価しておくと良いと思います。とりわけサプリメント臨床においては鉄と亜鉛が大きな役割をもつので、特に重要な指標と言えます。その他、25ヒドロキシビタミンDの測定なども、慢性の不定愁訴などには大きな参考になりますし、継続する少量の尿中潜血からも、ビタミンE欠乏予測のきっかけとなりえます。

5)血算

 赤血球・白血球・血小板の3系統の評価になります。赤血球に関しては鉄代謝関係のみならず、ビタミンB12や葉酸の代謝、溶血の有無からの推測。白血球はリンパ球数に代表される栄養指標としての意味や、顆粒球数とリンパ球数の比率から、自律神経とりわけ交感神経の緊張状態も推測できます。血小板は、血管内での消費亢進から全身状態を推測しうるし、血液中のセロトニンのほとんどが血小板に含まれることも興味深い。血小板との関係でいうと、凝固系や線溶系との関連もまとめて理解しておくと整理しやすく、いわゆる瘀血状態の評価としてDダイマーなども参考になりうるでしょう。
 加えて当院では、毛細血管観察と新鮮血観察を併用して、末梢循環の状態をよりリアルに理解できるようにしてあります。末梢血には一般に知られるより、より多くの未知の情報が含まれていることを指摘しておきます。

 その他の項目も、少し視点を変えれば、未病や健康増進を目的とした統合医療的な多くの情報を有しています。新たな検査に目配せすることも大切ですが、これまでのいわばルーチンに近い項目にも、再度関心を払って、新たな身体理解の一助としたいものです。
 ちなみに通常の検査事項であっても、化学的マトリックスと称したのは、生化学的な反応や測定を介して「身体」への一つの「まなざし」としていることに由来します。化学反応をあくまでも媒介として、我々は身体情報を得ているから、でもあります。

 
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2024年05月06日

今月9日はジャングルカンファレンス!

 連休もいよいよ本日までですね!連休明けの木曜日、9日が今月のジャングルカンファレンスとなります。カンファレンスの常連メンバーも、プライベートや仕事の関係で、そこそこ入れ替わり、また新たな感じでのスタート、とも言えそうです。新メンバーも多く加入しますので、カンファレンスにご興味ある方は是非ご参加下さい!

 今回は、しばらくぶりに私が症例を提示しますので、ここ最近の診療パターンなども交えてお話しようと思います。特にファシアから内臓、内臓からファシアという流れを考慮した診察形態と、検査データをルブリックで考えるデータルブリックの方法などもご興味あれば解説したいと考えています。

 まあとりあえず、個人レベルでの診療やセラピーがほとんどでしょうから、この機会に、違った視点を導入するきっかけとして、カンファレンスを利用して頂きたいと思います。
 オンライン中心ですが、遠く離れていても勉強できますし、交通機関の時間を考慮することもない、という点では便利な点も多々あります。皆さんのご参加をお待ちしております!


医の智の会話
小池 弘人
平成出版
2017-11-08






5Matrix & 5Fascia 最近の概念のまとめ

 やや雑然としていたマトリックスについての概念をもう少しまとめました。様々な階層の概念が入り混じっていたのですが、5つにまとめました。これに伴い、ファシアはこの概念の医学的な中心でもあるので、さらに詳しく5つの概念(トピックス)にまとめてみました。これにより自分のアタマが整理できました(笑)

 広くマトリック医学とした時の代表的な5概念。

5Matrix

1)ファシアマトリックス(末梢⇔内臓・双方向性、コラーゲン・ファシア・線維化等)
2)物理・化学マトリックス(温湿度・水分子・電子・波動・生化学・栄養学等)
3)微生物マトリックス(腸内細菌・真菌・寄生虫等)
4)無意識マトリックス(無意識・トランス・生体エネルギー等)
5)関係性マトリックス(雰囲気・ダイアローグ・縮退現象・アフォーダンス等)

 これらひとつひとつが、主たるものの背景でもあり、母体でもあると考えるとマトリックスとして捉えることが出来る。本体に作用せず、周辺を作動させる。本体との協調関係、それによる何らかの決着が「統合」の在り方と考えることが出来る。「正しい」ことは決定できないものの、「間違い」は指摘可能であることにも通じる。

 このうちファシアに関してさらに詳しく。現実の臨床に便利なようにあくまでも個人的に分類した5概念が以下のもの。あくまでも実用的分類。

5Fascia

1)鍼灸的(経絡・経別・奇経・経筋・皮部等)
2)漢方的(経方図・瘀血・水滞等)
3)コラーゲン的(アナトミートレイン・分子量子的・半導体的・周波数)
4)身体的(M-test・SPAT・良導絡・丹田等)
5)末梢循環的(FBO・CVO・生化学検査)

 これらによりファシア、マトリックス等の概念と実臨床とが接続されたように感じています。つまりマトリックスとのプラグマティックな統合が、私にとっての統合医療という事になります。
 今週のJCは、アトピー症例の検討から、これらの具体的な概念を用いて、最近の臨床的な体系をまとめてお話してみたいと思います。
 こうした説明も久しぶりですので、ずいぶんと変わったと感じるのではないでしょうか。不明な点はカンファレンス当日にでもご質問下さい。

2024年05月04日

異常データをルブリックとして解釈すること 尿酸値異常を例として

 前回、マトリックス医学の概略について書きましたが、こうしたいわば背景ともなる事象は、それ自体では現実的な力を持つことは少ないわけです。しかし、それがいったん現実とかみ合った時、もしくは適応されたとき、文字通り「統合」されたときに大きな効果をあげるように思います。
 そうした意味で検査値の解説書を読んでいて、ふと気づいたことがあるのですが、かなり特殊なデータのパターンが出ているとき、極めて珍しい症候群であったとしても、そこに記載される症状は実際例と何らかの関係があるのではないか、ということ。
 例えば極めて高い尿酸値の場合、尿酸の代謝障害であるレッシュ・ナイハン症候群の諸症状の一部が見られるのではないか。いわば内部での高い酸化状態が推測されますが、当然交感神経の昂りも伴うでしょうから、その症状の一つでもある自咬症と称される自らへの攻撃行動に類推する症状が出る可能性もあるのではないか。もっと言えば、そうした症状ではなく、周囲への行動や人間関係において、それを象徴とした兆候が認められるのではないか、といった推測です。自らへの攻撃一形態として、周囲の人間との関係性を断ち切り、孤立を深める状況へと自らを追い込む。それにより自らの安全領域が蝕まれていく。身体そのものへの自傷はなくとも、高度な内部の緊張はこうした行動へと結びつくことがあるのではないか、ということです。
 当然、こうした推測には科学的な根拠は欠けるわけですが、夢事象の分析といった行為に類似したものと考えることが出来るのではないでしょうか。つまり再現することは不可能であるものの、多くの人の共感を得られれば、個人特有の現象をうまく説明し、実際の問題解決につながる。精神分析における無意識を広く、マトリックスとして捉えて考えると、こうも考えられるといったことです。
 これまでにも、これに類した考え方をした人もいたわけで、フロイトの弟子筋にあたる、ライヒやローウェンの考え方に近いのではないでしょうか。であれば、ローウェンのいう身体における「感情の流れ」のようなものも応用できるのかもしれません。ある種の独善的な思考法こそが、むしろ現実理解に資するということもあるでしょう。夢分析の是非にもかかわる問題です。

 特徴的なデータ異常やパターンの異常を、ホメオパシーにおけるルブリックやモダリティとして解釈することで、診療への強いアプローチになりうるのではないか、という思い付きのメモでした。ちょっとまとまりのない文ですが、個人的な備忘録としての記録ですのであしからず。

tougouiryo at 08:23|この記事のURLComments(0)

2024年04月22日

マトリックス医学の概略

 様々な観点でマトリックス医学を描出してきましたが、ここで現状での概略をまとめてみたいと思います。そもそもマトリックスは生物学的には細胞質などの表現として用いられていますが、一般的な意味での基質、母体、内容物に対しての梱包材など、幅広い意味を持ちます。ここではそうした広い意味でとらえていきたいと思います。梱包材(実体・実内容)といった形で列挙してみます。

1)ファシア<collagen, fascia, fibrosis> ⇔(組織・臓器)
2)物理・化学・環境<温度・気圧・環境因子> ⇔(人間)
3)微生物<ウイルス・細菌・真菌・寄生虫・腸内細菌> ⇔(ヒト)
4)細胞質<栄養・代謝> ⇔(細胞内小器官)
5)水分子
6)無意識<催眠・トランス> ⇔(意識)
7)対話<カンファレンス・組織論・OD・産業医等> ⇔(個人)
8)裏の体育<武術・丹田> ⇔(表の体育・スポーツ・トレーニング)
9)マトリックス性<作用・関係性・縮退論・過剰医療論> ⇔(実体)

 他にも多々挙げられそうですが、とりあえずはここまで。背景というよりは、それ自体の実態を生み出す母体的な意味合いをもつマトリックス。これまでほぼ無視されていた存在であるファシアがまさにこの代表で、ファシアを考える中でこの基本構想ができあがりました。一見当たり前ではありますが、医学を超えて多くの分野において、新展開をもたらしうる概念であると思います。
そして、このマトリックスとそこから生じた実態との折り合い、それこそが統合医療のいうところの「統合」であると考えています。

2024年04月21日

マトリックスとしての微生物の存在 細菌・真菌・寄生虫

 マトリックス医学の展開の一つとして、病態形成におけるマトリックスとしての微生物について、メモ的に考えてみたいと思います。

 以前から、外傷のない蜂窩織炎の発症を何度も経験しているのですが、時折テレビなどではブドウ球菌等の細菌が「なぜか」詳細不明で、蜂窩織において炎症を生じるといった説明がされています。またはどこか見つからないところに、小さな傷が出来てそれが原因、といった説明がされることもあります。
 ただこれらに関しては、発症の経過を観察していると、血中に存在する細菌が、末梢において目詰まりして、発症しているようにしか思えない例にあたります。つまり、血中は完全な無菌とされていますが、実はそうではなくて、ひっそりと共存するいわば「静菌」状態に近い状態にあるのではないかと思うのです。

 ここから考えると、リーキーガット症候群などの発症モデルとして注目される、カンジダなどの「深部真菌症」もこれに似た状態と考えることが出来そうです。
 通常、腸管での生息が想定されますが、新鮮血の観察でも時折、カビ状の構造物が見られますので血中の可能性も否定できないのかもしれません。
 またこれらの真菌は、消化管細胞の結合部に割り込み、その接合を壊しすき間(穴)をあけ、そこから内部のものを漏出させるきっかけとなります。栄養物の漏出のみならず、白血球のように、細菌などの微生物がファシアへ移行することも出来るはずです。また治療法として、抗真菌薬のみならず生薬の黄ゴンやオリーブの葉などが挙げられますが、これらによる揺り返しとしてダイオフという強い反応を引き起こしやすいことも特徴的です。オウゴンの副作用として挙げられる反応のいくつかには、こうしたダイオフの関与も無関係ではないのかもしれません。

 そして新鮮血観察において気づいたこと、というか驚いたことの一つが、寄生虫とりわけ線虫様の構造体が時折観察されてくることです。
 糞線虫症として明らかな発症をしていなくても、我が国でも南西部を中心に健常者においても、軽微な症状ながら線虫の存在報告がされてきました。とくにフィラリア症におけるリンパ管の閉塞といった病態は、その虫体自体のファシアでの存在が強く想像されます。また新鮮血観察をされている先生方からも、線虫らしき存在が観察されているようです。さらに学会報告などでも、ファシアほどの内部ではありませんが、膀胱内や膣内での自由生活線虫が観察されています。
 また体内での常在性を示唆する傍証としては、近年話題のがんにたいする線虫検査の存在です。確かに機序としては、嗅覚の鋭敏さで説明出来るのでしょうが、あれほどまでに反応するのであればこれまでの遺伝上において、がん細胞との相当の遭遇機会があったと考えても不思議はないのではないでしょうか。また線虫の赤血球内部への侵入を示唆する観察例と合わせると、解糖系に引き寄せられる可能性も否定できないでしょうし、それゆえにワールブルグ効果ともリンクしそうな気もしています。
 また、線虫自体のどのような活動がきっかけとなっているのかは不明なのですが、末梢の新鮮血においてフィブリン増多が観察される機会が多いようにも思います。それゆえにネットに細胞が捕捉され、血流悪化などの契機にもなりそうです。つまり好酸球増多ともあいまって、ファシア重積さらには線維化の促進につながる可能性も考えられます。臨床的には根深い瘀血病変のようにも感じています。

 これら以外も微生物、とりわけ線虫に関してはいろいろと考えられるのですが、概略としてこの辺にしておきます。つまりヒトの多彩な病態の中には、背景、マトリックスとしての微生物の存在が示唆される例が、意外に多く存在しそうです。従来の医学的常識の枠に大きく抵触することなく、治療に向けたヒントが多く含まれているように思うのです。メモ的なものなので雑駁な内容になりましたが、また改めてまとめてみたいと思っております。

2024年04月19日

ファシアの病態についての考察(神経堤・EMT・関連痛など)

 線維化病態を含めたファシアの病態についての考察のメモです。

 「コラーゲン➡ファシア➡線維化」といった階層で考察していきます。まずはコラーゲンからの変化についての介入として、ビタミンC点滴や栄養療法などが挙げられます。次いでファシアから線維化への流れは、コラーゲン線維周辺の水分子の状態(これ自体がエバネッセント光など生気論的な生命観とも強く関係)と、その異常が集合した形でのファシアの重積病変もしくは血管病変(ビタミンC欠乏による壊血病も考えられる)、またはフィブリン網(フィブリン増加のメカニズムに関しては後日別稿にて)との連関による重積の増悪が考えられます。

 この中で、とりわけ線維化病変は、機能障害をもたらすのみでなく、周辺の神経や血流の障害にもなりうるし、また視点を変えれば、線維化という現象が生じていることから「上皮間葉転換(EMT)」として付近の「がん化」も考えられます。

 この際ファシアが神経堤細胞由来でもあることを考えると、周辺の血管との相互関係の中で、リプログラミングにより線維芽細胞へと先祖返りして別物へと転換する、というシステムも想定できそうです。つまりファシアの病変は、これまで想定した重積による神経・血管障害によるものだけではなく、神経堤細胞由来(ファシアすべてがそうだというわけではありません)であるがゆえにEMTにより、がんの悪性化にも関与しうるのではないかと推測されます。

 また線維化自体が引き起こした慢性炎症が、ファシアを経由して他の部位に飛び火することも考えられます。これに関してはダニエル・キーオンも、関連痛と従来考えられている痛みも実は、神経弓の反射により体表に投影されるモデルではなく、ファシアによる直接的な連携(おそらく神経線維の流れと関係)により痛み物質が拡散しているモデルを想定しています。液性因子としてのプレリンパの関与が濃厚でしょう。確かに狭心痛などの痛みを、体表の感覚神経だけで考えるよりは、胸壁へと接続したファシア全体の痛みとして捉える方が合理的な気がします。

 また、ファシアという概念からだとどうしても整形外科的な領域の考察に留まる傾向がありますが、これも発生における神経堤細胞の重要性を考えれば、あらゆる内臓の調整システムと深い関係があることは容易に推測できます。鍼灸の多彩なメカニズムの説明としても、十分な理由になります。つまりファシアというある種原始的かつ地味な組織は、ありゆる調整系を介して内臓全てに影響しているわけです。経絡・経別の言わんとしていることはここにも立証されているように思います。

2024年04月15日

外縁としてのマトリックス医学再考 「外辺医療」を考える

 マトリックス医学の概略を考える中で、人類学の新しい見解から大きな示唆を得ましたでの少しメモしておこうと思います。

 世界史・人類学に関しては、これまで騎馬民族を起点として全世界史を概説した栗本先生の説が最も納得のいくものだったのですが、これをさらに補強する視点の解説が『反穀物の人類史』(みすず書房)です。
 狩猟採集民から発展して農耕民となり、国家の形成へとつながるという従来の定説?とされる常識を覆すようなスリリングな内容です。本文においては、狩猟採集民を野蛮人とし、農耕民を国家形成の民と対比させ、それらを発展のベクトルにおくのではなく、同時に併存していた、という解釈です。
 この辺りは最近のNHKの大人のための30分でわかる世界史、などでも同様の視点なので、ある種の流行りなのかもしれません。つまり同時に併存することで、いわば「光と闇」的な関係となるわけです。NHKでは境界領域に文明が発達するとも解説されていました。
 そして本文では、闇的な野蛮人の方がいわば有利、お得な立場であるというのです。それゆえにこれらは併存し、確かに世界史においても国名としても隣接して存在します。そしてこの関係が17世紀まで継続し、そこから崩壊していくと解釈しています(ある種17世紀の危機と考えてもよさそうです)。
 ここから帝国主義の時代を経て、現代にいたるわけですが、その過程はここでは述べられません。しかし、このあと「国家」なるものが、金融や大資本とでもいえるものに超克されるようになるのは言うまでもありません。つまり非常に大きな視点では、世界史レベルの中心テーマが大きく変化しているということです。もっというと世界史という枠を超えたものなのでしょう。
 狩猟採集民の歴史については、文字による資料が無いことから、人類学的な考察の方がピッタリなのかもしれません。また国家を超えた議論の場合、経済学や哲学などの分野の方が適するのかもしれません。

 そこで、そもそもの疑問に立ち返ると、人類の国家誕生のストーリーとしては狩猟採集民が、母体つまりマトリックスとして形成されるというわけです。
 そしてそこから異物の結晶化のようなかたちで、むしろ初めは異端的に農耕が開始されるのですが、そこから直線的には展開せず、局所的には狩猟採集に再度転換したり、陰陽的に併存していくことになります。
 世界史での展開を、人間集団での記載と考えれば、医学における展開にも矛盾することはない、と考えることも自然です。つまり一部、揶揄的に「外辺医療」と称される代替医療ですが、これらは伝統医療など医療としての源流を含むことはいうまでもありません。源流でもありながら、現代医療と併存もしているわけです。
 国家というと体系的で、理性的なイメージがありますが、これも現代医療のイメージにどこか同一視されうるのではないでしょうか。それでいて国家は、本書の中では決して発展形態として扱われているわけではなく、むしろ外辺、外縁、周辺としての野蛮人の方が有利であったというのです。17世紀までは。この辺りの事情も、科学革命の開始期と考え合わせると、大いに医学史ともリンクしそうです。

 狩猟採集民による野蛮人(あくまでも本書での表現ですので!)の存在と代替医療、さらには光と闇合わせた形での理解としての統合医療の存在は、とても類似したメタファーにあるような気がします。それゆえに、この外縁、周辺といったキーワードは、まさにマトリックス医学として記載しようとしていること、そのものにも感じています。
 国家というものは光と闇のどちらか、というわけではなく、双子的にあることによってそれが成立している、という視点はまさに統合医療における現代医療と代替医療の関係性そのものではないでしょうか。
 こうした視点からマトリックス医学をさらに拡張して、今後、概略として述べていこうと思います。


反穀物の人類史――国家誕生のディープヒストリー
ジェームズ・C・スコット
みすず書房
2019-12-20


2024年04月07日

カフェのもう一つの参考図書 「過剰医療の構造」

 統合医療含め、コロナ禍を経過した現在、あらためて「医療」の問題を強く問いかける本です。同業には受けないというより、まさにタブーに近い内容かな、とも感じますが、我々は改めてここでの著者からの問いかけを何らかの形で実行すべきだ、と強く感じさせられる内容でした。
 そのため今週のジャングルカフェの前に、もう一つの参考図書として下記のものを挙げたいと思います。雑誌の特集を書籍化した内容なので、全体としては解説あり、対談あり、の読みやすい内容だと思います。


過剰医療の構造
藤井 聡
ビジネス社
2024-02-01




 今度の課題図書は、幕末から明治にかけてのいわば医学史の本ではありますが、思想がいかに医学体系そのものに影響しうるか、という点もまた考えさせられるものです。
 そうした中で、近代においていかに身体を管理することが政治そのものであるか、という事を鋭く指摘したフーコーの用語「生政治」と合わせて、とても考えさせられるものでした。
 幕末においては、自らの医学体系を推進するために、その身体観をかけて政治活動に身を投じた医師たち。そして明治国家となってから、日清・日露戦争と富国強兵がすすめられる中で西洋医学でなければならなかった事情。これらを考えるとき、生政治の中心は医療であったことは言うまでもありません。そして、現在。近現代史における医療の真の姿を考えるとき、「過剰医療論」は避けては通れない大きなテーマであると思います。
 今週の木曜日はジャングルカフェですので、こうしたことを参加者の皆様と考えてみたいと思います。

2024年03月26日

身の維新 ジャングルカフェの4月課題図書と参考図書

 来月4月のジャングルカフェの課題図書が決まりました。会員や関係者の方々にはすでに連絡が行っているかと思いますが、今回は珍しく医学史関係です。それもいろいろ厄介な「幕末維新」です。
 課題図書は一見とっつきににくそうですが、主人公的な和方医はなんと「るろうに剣心」でもおなじみの赤報隊隊長、相楽総三の右腕と言われた人物なのです。ここまで読んで興味を持った方は、是非、御一読を! また、みんなで読みたい方は、カンファレンス協会までご連絡を(笑)(当協会にご興味ある方は「ジャングルカンファレンス」で検索!)


身の維新
田中 聡
亜紀書房
2023-11-22






 参考文献として、ここに書かれた浅田宗伯とはかなり違った別解釈のものが以下です。漢方関係者は以下の本の解釈が好みだろうなぁ。


現代に蘇る漢方医学界の巨星 浅田宗伯
油井 富雄
医療タイムス社
2011-02-01





 この時代と丸々被るマンガもあります。言わずと知れた巨匠、手塚治虫の名作です。





 こうした歴史の流れから、今日の統合医療的な流れへの源流をみるには以下のものも面白いでしょう。オカルト好きには是非(笑)




2024年03月25日

統合医療総論の構築 (総論の脱構築による組織運営論への第一歩)

 前回、少し記載した統合医療の総論について解説してみましょう。内容が内容ですので、分かり易いとは言い難いのですが、出来るだけ簡易に述べてみたいと思います。
 内容の性質上、以下、である調で述べます。


 統合医療の総論の骨子として、大きく三つのカテゴリーに大別して考えることにする。

第一は、統合医療が「統合医療」であるための最低限の要素、つまり「原則(プリンシプル)」。

 第二は、実際の在り方、つまり診療を中心とした医療としてのモデル、さらには実社会への適用としての社会モデルといった「適用(モデル)」。

 第三は、個々人が有する統合医療というものに対しての、考えうる理想としての体系、これはある種の信念体系であるが、その中でもこれまでの議論の中で適切であろうと考えられる三つを、「体系(システム)」として提示した。

 以下がそのまとめである。

 <まとめ>

1.原則(プリンシプル)

 1)補完性
 2)多元性

2.適用(モデル)

 1)医療モデル
 2)社会モデル

3.体系(スタイル)

 1)統合主義
 2)多元主義
 3)モード2


1.原則(プリンシプル)

 

 補完性とは、CAMを扱うことに加え、正統に対峙する補完的要素を反映させることであり、そのまま医療の方法論の多様性へと開かれる概念である。
 またそれはCAM独自の位置づけを重んじた立場でもあり、加えてそれに携わる人々の多様性にも通じることから、さらに多元性といった二つ目の概念も導かれる。
 つまり、補完性と多元性という二つの概念が、統合医療の原則となりうるものであり、その他の諸概念はここから導かれてくる。

 

1)補完性

 

 統合医療とは、あまた存在する補完医療や伝統医学を内包したものであることから、補完性が原則であることはいうまでもない。
 唯一とされる「正統」に対して、補完的・代替的なもう一つの立場を認めるということは、あらゆる統合医療のこれまでの定義とも整合性がある。つまり、統合医療をそれたらしめる最も重要な概念である。

 

2)多元性

 

 統合医療において、教条的な唯一の正統といった立場をとらないということは、その「多様性」を認めるということに他ならない。そしてその在り方は、各々の個性を重視する「多元的」思想であるべきである。
 これは介入の方法論における多元性に止まらず、それにかかわる人々の多元性と、二重の意味合いがあり、ここから多職種連携の必要性も導かれることになる。ただしこの概念は、悪しき相対主義と背中合わせでもあり、多様性の思想の難しさである。

 

 

2.適用(モデル)

 

 適用(モデル)には、実際に統合医療を行うにあたって個別の診療場面を想定する「医療モデル」と、社会システムとしての場面を想定する「社会モデル」がある。
 その他にも、セルフケアなどを主題とする「生活モデル」等も考えられるが、それを医療の個人への適応として、未病対策のように捉えるなら、現段階としては医療モデルの亜型として扱うことが可能であろう。よって、ここでは二つのモデルとして扱うことにする。

 

1)医療モデル

 

 統合医療が、医療の方法論として、どのように個人に適用されるのか、といったモデルの在り方である。つまり統合医療としてのその内容や効果など、医療現場において用いられる疾病治療の体系そのものである。そうしたことから「狭義の統合医療」と称されることもある。加えて、患者中心主義はこのモデル内の概念として捉えることができる。

 

2)社会モデル

 

 実社会においての統合医療的介入や発想をもとに、適用された施設や取り組みである。つまり社会における団体や仕組みそのものを対象としている。これは多様な地域住民の生活の質の向上を目指し、結果として地域の活性化につながるものであり、「広義の統合医療」と称されることもある。

 

 

3.体系(スタイル)

 

 これまでに述べた共通の「原則」と「適用」を踏まえながらも、統合医療を展開するにあたっては、個々人の信念体系とも言える考え方が大きく影響する。
 こうした信念の相違が、時に大きな対立を生じるものでもある。そうした広範な信念体系の中から、二つの原則に矛盾しない形で大別すると、以下の三つの体系が抽出しうる。

 まずは心理・精神医学の領域にその範を求め、精神科医ナシア・ガミーの議論を基にした多要素併存の在り方を分類した四つの主義を援用する。これは、教条主義(dogmatism)、折衷主義(eclecticism)、統合主義(integrationism)、多元主義(pluralism)である。この四つのうち教条主義と折衷主義は、先に掲げた原則に合わないので、必然的に統合主義と多元主義が残ることになる。

続いて科学や知識の在り方を示したモードといった考えに基づいたモード1とモード2といった視点である。従来の正統とされる科学の在り方(例えば古典物理学)であるモード1に対して、その乗り越えとして提示されたものがモード2であり、双方向コミュニケーションなどモード2を構成する概念と統合医療の実情を考え合わせると、明らかに後者となる。

 よってこの三つの体系が、現状としては原則に矛盾しないものと考えられる。
ただしこの「体系」は、「原則」と「適用」と異なり、時代の流れの中で、その背景を成す思想・哲学の更新により、逐次改訂されうるものと理解されたい。

 

1)統合主義

 

 四つの主義のうち、教条主義は一つの考えのみを認め他を認めない考えであり、折衷主義もまた、原則における多元性と相いれないため棄却される。こうして統合主義と多元主義が抽出されてくるのであるが、このうち将来的に一つに収束する思想が統合主義である。現状においては伝統医学の科学的解釈(近年の経絡ファシア論などが代表的)に、その典型を求めることができる。

 

2)多元主義

 

 医療において広く多様性を考えた場合、四つの主義においては折衷主義と多元主義の二つになる。そしてこの二つの本質的な相違点は、多様な中での選択に伴って十分な吟味や熟慮があるか否かという点である。つまりそこに十分な吟味のもとでの選択・決断があれば「多元主義」であり、ただ吟味もなく並列されているのであれば「折衷主義」となる。
 つまり「吟味・選択」がその分水嶺となる。統合医療において、主体的選択が重要なものであるならば、それを内包するものが多元主義であると表現することもできる。

 

3)モード2

 

 科学という営みに対して、従来の学術的探究の文脈をモード1とする一方、その応用としての文脈はモード2として表現される。ギボンズらの研究から、伊勢田哲治はモード2科学の特徴として、応用の文脈、超領域性、組織の異種混合性、社会的説明責任と反射性、質のコントロールのための追加の基準、の5つを挙げ、そのコミュニケーションの方法として「双方向モデル」を提示している。これらの要素は、いずれも統合医療という新たな医療の形を描写するにあたって不可欠の概念である。

 ただしここで注意すべきは、モード1より優位なものがモード2ではないという自覚である。モード1では、エビデンスにより確定した基礎を有することから、その信頼性を強く担保される。しかしそれはモード2では必ずしも当てはまらない。それゆえに我々はモード2にあっても、モード1的な検証システムをないがしろにしてはいけないのである。こうした考えは、学問としての統合医療の確立にとって不可欠のものであり、ここに「統合医療学」の確立の意義がある。


 以上が、統合医療総論の概略になります。まだ試行錯誤段階の原稿ですので、後日、統合医療学会誌においてもう少しまとまった形式で発表する予定ですが、現状の記録として、ここに記載しておきました。
 こうしたメタ思考的な領域は、興味ない方にはつまらないものとなりますが、これもまた「統合医療」という未発達な若い学問領域にとっては、非常に重要なものでもあるのです。そして、こうした思考がなければ、具体的な臨床的な実践は、ともすれば空中分解してしまう事にもなります。
 新たな医療を模索するという事は、いろいろと面倒なプロセスを要するということでもあるのです。

 こうした総論に基づいて、ファシア論などの医療モデルに止まらず、これからは社会モデルとしての組織論を書いていきたいと思っております。


2024年03月21日

組織運営論としての「統合医療総論」という考え方

 最近、統合医療総論の作成に係っており、そのために内面で統合医療とは、という問いに向き合うことが多くなっています。そうした中で、診療とは別に、色々な組織やらカンファレンスに関わる機会も増え、次第に、組織の運営にも統合医療総論が役立つのではないか、と思うようになりました。
 何も統合医療は別に万能だという考えや実感もないのですが、硬直した組織や考え方、もしくは新たな方向性の模索をするにあたっては実に有効な面が多くあるのです。

 その第一が、原則の1でもある「補完性」という概念。何かと確定的なものを求めてしまいがちな中で、緩さとともに多くの可能性を有するものでもあります。
 さらにそこから導かれる原則の2である「多元性」の概念。これは個々の自立性を重んじるもので「連携」の重要性につながるものです。(総論の概略については、統合医療学会のニュースレターに発表し、今後、学会誌にも公開していく予定なのですが、ここでも後日説明していきたいと思っております。)

 この二つの原則の導入により、正統(常識?)に過度に依拠し、一元的な組織モデルになってしまっているケースに対しては、かなりのカンフル剤にもなるのではないでしょうか。ただし、それほどの劇的なものでもないので、考え方ひとつで、いろいろと応用可能なものでもあります。
 具体的には、カンファレンスなどの会話・対話や学びの場、企業を健康経営へと向ける産業医的な介入、職場や日常におけるメンタルやストレスへの対応策など、いくつも挙げることができるでしょう。詳細はまた後日にしますが、統合医療的、つまりは補完的な視点を導入するという事は、意外にも多くの分野でブレークスルーをもたらす一つのテクニックになるのではないか、といった話題でした。

2024年02月23日

お城コラム 犬山城

 城郭検定を受験するか否か、思案の毎日(笑)なのですが、その過去問に、天守最上階が赤絨毯の城は?という問題があり、久々に思い出したので、今日は犬山城です。ちなみに検定なんて受けてどうするんだ?という声も聞こえてきそうなのですが、これはやはり結果ではなく、プロセスだと!というくらいしか理由はないですね。合格証書をクリニック内にはってもしょうがないし(^-^; 

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 現存最古といわれる国宝天守、犬山城(43・愛知)です。押印は平成23年11月19日、城郭内休憩所で押しました。名古屋から犬山線に乗って犬山遊園駅から徒歩でいけます。
 これまで最古の天守については、丸岡城説が有力だったようですが、近年、慶長以降の築城とする説が有力になり、犬山城とするようです。また変わるかもしれませんが。


 荻生徂徠によって「白帝城」とも称された城で、直下を木曾川が流れるさまを「長江」と見立て、三国志の劉備玄徳終焉の地になぞらえた別名となっています。
 つまり縄張りとしては、城郭の北側が木曾川で守られ、南側は惣構により防御されていたようです。また二の丸を約70mの大手道が直線的に伸びるさまは、まさに安土城といってよい構造です。

 信長のおじ織田信康によって築城されたといわれ、数々の合戦の舞台となっています。その後、信長との対立により、信康の子信清が城を追われると、池田恒興が入城。その後も、紆余曲折あって秀吉政権下では、石川貞清が城主に、さらに徳川期になり最終的には尾張藩付家老、成瀬正成が城主となり、成瀬氏が幕末まで続くことになります。

 とにかくこの城郭のすばらしさは、天守からの眺望につきます。眼下の木曾川の流れに加え、晴れたら岐阜城、小牧山城、名古屋城までも見えるというくらい濃尾平野を一望できます。
 訪問時も、窓を開け放たれた天守は、気持ちの良い風が通過し絶好の眺望でした!
 ここに赤絨毯が敷かれていたのも、印象的で、後で調べてみると、7代城主がオランダ商館長から入手した貴重なものらしく、城主が最上階に上ることを前提にしてしかれていたらしいのです。
 つまりほとんどの天守最上階は上る前提でないことが少なくない中、城主が訪れる前提での最上階だったということがわかります。
 これほどの眺望ですから、やはり城主ですからみてみたいですよね。赤絨毯にそこまで意味があるとは、訪問時は分かりませんでした。

 ほんとに「これぞ天守!」という気持ちなれるお城です。天気の良い日にぜひ再訪したい名城です。

2024年01月29日

立花宗茂残照

 昨年の今頃は、熊の脅威におびえながら鎌刃城を雪の中、登城しておりました。それ以降、世知辛い資格の取得などに追われ、城にあまり行けない一年でした。

 そんな中、年末に、最強の誉れ高い戦国武将、立花宗茂の小説を読んでおりました。新書などの解説でもとびきり興味深い武将なのですが、小説だとまた少し味わいが異なって、また良いのです。
 『尚、赫赫たれ』という小説なのですが、全盛期の宗茂ではなく、江戸時代になってから、つまり晩年の回想も交えた内容になっています。雰囲気はちょっと違いますが「葬送のフリーレン」みたいな感じもあります。つまり、最大の戦いは、既に終わり、それを回想できる友人もほぼいない。そんな中でも、現状にはいくつかの問題が発生する。それを回想と共に、またそれなりに解決していく、みたいな感じです。 関ケ原の戦いを少し考え直すのにも参考になります。

 ご興味ある方、ぜひどうぞ(^-^;




2024年01月28日

統合医療の総論を考えるということ

 マトリックスの記事を年末年始にかけて書いてから、しばらくこちら開店休業でした。m(__)m

 12月の統合医療学会から、統合医療とは、という総論の作成に時間をとられておりました。まったくもって一般の方々には、関心がないであろうテーマなのですが、実は、統合医療に携わる人にとっては避けては通れないテーマでもあるのです。

 統合医療って何、と聞かれたときに多くの方(有名な先生方も含めて)はなんとなく代替医療や伝統医療などを含めた、優しさあふれる医療、みたいなイメージを持たれると思います。それはそれで間違いではないのでしょうが、では、普通の医療とどう違うの?と問われると、ふと止まってしまうのではないでしょうか。

 かつて10年以上前でしょうか、統合医療の概念が医療界隈で話題になったとき、こうしたイメージ先行型の説明が横行したため「通常の医療といわれる我々の方が愛にあふれている」みたいな反論が医師会あたりから出てきたことがありました。それはそれで妥当な反論だと思います。

 たしかにコトー先生や、失敗しない女医さんだって、統合医療という枠ではないけど、愛にあふれているわけで、ことさら愛を強調するのは、統合医療の本質というよりは、医療そのものの本質であるように思うのです。つまりこれでは、統合医療というものの特徴とは言えないわけです。

 では我々は何をもって、統合医療をしています、という信念を持つことが出来るのか、これこそが「総論」というものの存在意義ではないでしょうか。  
 私も、こうした総論の模索という作業の中で、あらためて統合医療をしているというコトを確認することができました。さらには、これまで統合医療ではないように思えて、心理的に避けてきた業務についても、実はそうではない、ということに気づかされたという展開もありました。

 いろいろあった昨年から、今年は運気が少しはいいようですので、新たなことにいろいろと挑戦していきたいと思います。  
 そのための第一歩が、統合医療の総論の確立だったわけです。大学院で修士論文から始まった、統合医療とは何かという本質への問いが、今年中には論文として公開できるかと思います。

 年始の決意みたいなのが、遅れて1月の末になりましたが、今年は大きく自らの統合医療を展開したいと思っております。

2024年01月03日

マトリックス医学への道(4)

 いよいよ慢性炎症の行きつく先、線維化にいたる道筋です。近年、流行りのテーマでもある線維化へ、ファシアの病態がどのように接続していくか。先端の基礎医学と、補完代替医療系の大きな溝により、ほぼどこもコメントしていない状況ですが、丁寧に思考していけば、特に大きな隔たりもなく、連続した概念であることは明白です。しかし、我が国でのファシア研究とエネルギー医学系との隔絶などを考えると、この二つの概念が同時に語られるには、まだまだ時間がかかりそうです。ここまでの議論と現状を併せて見ていこうと思います。


 慢性炎症の果てに、実質細胞が欠落し、間質細胞が増殖しこれが線維化を招く。こうした機序において真っ先に思いつくのが、線維芽細胞の増殖である。フィブリンの蓄積にともなって、張力が働く方向にフィブリンが並ぶのに伴い、同方向に線維芽細胞が増殖し、コラーゲン線維が形成されていく。
 また慢性炎症の状態であるから、そこにはマクロファージやリンパ球なども集積して免疫反応も生じる。同時に血管も集まり、その周辺には細胞外マトリックスとしてのコラーゲン線維も増加し、炎症性物質を内包するプレリンパも多く存在することが推測される。
 こうした状況の中、組織破壊が進行し、修復のバランスが破綻していけば、微細な環境における恒常性は破綻し、線維化による再構築が生じることになる。つまり、ここでファシア瘀血として述べてきた現象は、この線維化においてその主たる経過に大きく関与することになるのである。
 そして、ここで期待されるのが、不可逆とされた線維化が可逆的に変化しうるという可能性である。つまり、このマトリックス医学の紹介の中で展開される様々な介入により、線維化への有効な対応策が見出される可能性が高いと言えよう。

 言うまでもなく全身に張り巡らされたファシアは、一つのネットワークとして連続している。そしてそこにはプレリンパをはじめとして、多くの線維化に関与するプレーヤーもまたふくまれている。
 ある部位に、強いファシア重積が形成されたとすると、その付近と影響する部位における運動が制限されるだけでなく、神経や血管もまた機能不全に陥る可能性が高い。
 つまり、ファシア瘀血による慢性炎症の温床が形成されてしまう。それは直流電流によるファシア本来の通電性による機能を不全にさせ、実質細胞に悪影響を及ぼすであろうことが推測される。

 またファシアの増殖により局所的な循環不全を招く可能性もある。また近年、慢性腎臓病の進展に対しての三次リンパ組織(TLS)の役割も見逃せない。これは線維芽細胞が実質細胞に集積するなかで、リンパ球を動員・増殖させ、さらにその周辺へと炎症を拡大させるものである。つまり線維化の病変がさらなる病態の悪化を招くということであり、こうした線維化をどのように解消していくかは、実質臓器の悪化を防ぐうえでも極めて重要な介入となる。
 これらは詳細なプロセスは、肝臓や肺、皮膚や脂肪組織など各臓器で異なるものの、概ね同様の方向で進展していくとされる。つまりこれまでのような臓器別、つまりはここの実質細胞への対応策では、有効な対策はとりにくいことになり、ポジ・ネガの反転のような対策が必要とされる。これが、マトリックス医学とした理由である。従来の注目されていたもの「でない方」に視点を変える、ということになる。

 我々はこれを、これまで伝統医学や補完代替医療の活用、という表現で理解してきたのであるが(それゆえに統合医療という名称にもなるのであるが)、そこに具体的な現代科学的イメージを重ね合わすことが可能になったということである。
 また、マトリックスという時、それはいわゆるファシアよりも大きな概念になることはいうまでもない。これも広い意味でのポジ・ネガである。

 こうした考え方の変化には、その時代時代に要請される「まなざし」の変化が根底にあると言わざるを得ない。
 このまなざしの変化は、意識に対する無意識であるし、日常に対してのトランスでもあり、ニューロンに対してのグリアでもある。こうした時流の中での実質臓器にたいするそれ以外の部分、つまりはマトリックスということになる。
 やや脱線するが、こうした変換はマトリックス内部においても生じる。ファシアの機能的な表現形式として説明した「経絡」概念の変遷がまさにあてはまる。
 おそらく歴史的には、はっきりと実感しやすいアナトミートレインのような形で「経筋」として理解されていたものが、内臓との関連へと理論展開し、微細な感覚を伴って「経別」の源流となる概念になっていく。それが湯液など内服薬の充実により、内臓へのアプローチが「裏」へとまわると、さらに洗練された形で、多くの経穴を伴って「経絡(正経)」として成立。その後、進展した別形式としての「奇経」が生れ、再度、以前から存在していた経筋・経別などの概念を取り込みながら、整理してきたものが今日の経絡システムであるとする考えである(『東洋医学と潜在運動系』山田新一郎・佐藤源彦の記述をもとに記載)。つまりここでも、歴史的なまなざしの変化により大きな概念の変遷があったということである。

 統合医療はそれ自体が大きな視点の変化を伴うものである。そうした中でも、統合主義的な視点でまとめたマトリックス医学という切り口は、より具体的な形で現代医療への新たな視点を提供しうるものであると確信する。個の内面から発する「プラグマティックメディスン」と合わせてご理解いただければ幸いである。(ケン・ウィルバーの四象限で表現すると「I」の視点がプラグマティックメディスンで、「It」の視点がマトリックス医学という分け方になる)


2024年01月02日

マトリックス医学への道(3)

 前回はファシアにおける病態の基礎を形成すると考えられる「ファシア瘀血」の概念を解説しました。
 これにより、ファシア重積など、マクロ的にボディワークによって解消される病態の原因が推測され、それは本ブログにおいては「Bファシア」と称してきました。一方、ミクロ的に、エネルギーワーク的な微細な介入によって改善される病態の基礎を「Eファシア」としました。つまり末梢循環における病態を示すファシア瘀血という概念は、このBファシアとEファシアの境界に位置し、双方の説明原理ともなるものだということが示されたわけです。
 それではまず正常ファシアの解剖から始め、ファシアの病態へと進んでいきましょう。

 Steccoらによるファシア関係の基本用語として、人体の水平関係をO-F単位、垂直関係を A-F配列が、4つの分節された腔に配置され、経絡との対置が行われる。この理解に加えて、線状の構造ではないファシアに、経絡のラインが当てはまる理由は、張力によるものである。
 張力によってコラーゲン線維が引き伸ばされ、そのライン上を直流電流が走ることによって、情報の伝達がなされるわけである。
 こうしてできた流れとしては、アナトミートレイン的な解釈が一番近く、とりわけ「経筋」の流れは、この典型と言える。またエネルギー療法的な視点から発展したものと推測されるのが「経別」であろうと考えられる。その後それらを総合する形でいわゆる「正経」が成立し、別ルートである「奇経」が認識されることになったのであろう。
 いずれにせよ、体表から内臓に至るまで全身あらゆる部位と連続性をもつファシアであることが、こうした複数ルートとなりうる理由であろう。

 またこうした鍼灸系統のルートとは別に、湯液系統のルートも想定しうる。これは、明かなルートとしては伝承されていないが、傷寒論の条文から帰納的に推測された江部経方医学における、UFO図とも呼ばれる気のルートがこれにあたるであろう。
 このルートは隔を中心として、体内で発生した熱がどのように体外へと放出され、どのように体表を巡り、どこから内部へと環流されるかという流れで、ファシアを通じて伝播される熱のルートとしても解釈することができる。
 またこれらの体表部における流れの層は三層構造になっており皮・肌・身として、表皮・真皮・皮下組織(筋肉)と対応していると考えられる。

 こうした流れが慢性炎症によって生じた瘀血によって、ファシアの重積などの病態へと変化し、神経・血管を巻き込んで幾多の症状となって発現するわけである。
 発現した病態像によって、ファシア瘀血をメインに、コンパートメント症候群的な状態である時には減圧を伴う「刺絡」が著効するし、一方では、血管や神経を巻き込んで絞扼、重積して物理的障害となっている場合は、生理的食塩水を局所注入する「ハイドロリリース」が著効することになる。
 これらは局所的効果を発現するだけでなく、ファシアの該当部位からの連続体として、諸々の臓器にまで影響すると考えられる。絞扼された神経・血管が解放されることに加え、ファシアによるプレリンパの流れやコラーゲン線維の微量直流電流の改善がその機序として推測される。
 これにより筋・骨格系のみならず、広く内臓全てに好影響を及ぼしうるし、本来の自発的治癒力の発揮へとつながる道筋となるであろう。がん治療においては、従来の免疫機序の賦活というストーリーにとどまらず、絞扼や圧縮といった物理的圧力からの開放や、電気的に良好な微小環境の形成を通じて、本来の治癒力発現へとつなげる道筋である。(がんは物理的圧力下において増大・転移しやすい)
 ファシアの病態は以上のように、異常な局所の病態を改善して正常な「局所性」を取り戻し、それによって病的な連動を断つことで健全な「連動性」を復活させる、という2つの大きな改善を図ることができるのである。

 またファシア内の電流のペースメーカーとして「脳波」が想定されているが、それに加えて「腸管」におけるペースメーカーも重要な役割を担うはずで、これには当然、腸内マイクロバイオ―タとのなダイナミックな関係性が大きく影響するはずである。
 また腸管それ自体も、腸管膜根からフレアスカート状に大きな腸間膜が一塊として垂れ下がり、この構造と「丹田」との関連も強く示唆される。生体における解剖学的な位置を深く考察した肥田春充による「聖中心」も、このファシアによる考察を加えることで解明へとつながるのではないだろうか。
 
 この辺りは非常に多くの可能性が秘められた議論が展開しうるであろう。いわゆる伝統医療・補完代替医療といわれる領域の統合的解釈における「ファシア」という概念の魅力は尽きることはなかろう。

2024年01月01日

マトリックス医学への道(2)

 コラーゲン線維周辺の水分子の状態から、慢性炎症への準備段階へとつながるミクロの環境について前回は解説しました。今回はそれに引き続く、末梢循環のミクロな環境において、どのように循環不全の火種が生じるかを考えていきます。

 末梢循環のモデルとしては動脈が枝分かれして次第に毛細血管へ移行し、ガス交換の後に、静脈へと合流していく。そこではガス交換に限らず、栄養やホルモンといった物質の移動も行われ、組織外液は一部、盲端となっているリンパ管に吸収され静脈へと環流される。これが通常の解剖生理学における末梢循環の説明である。
 しかし近年、この細胞外液のエリアにおいて、プレリンパと称される液体を内包する管が生体の直接観察により判明した。いわゆるコラーゲン線維に囲まれ内皮様の細胞の内側に、このプレリンパが存在する。つまり、ただ外液として存在しているのではなく、管様の構造物内を液体が通っていることになる。
 またファシア内部にも液体が存在するから、毛細血管周辺には血管内の血液だけでなく、リンパ管のリンパ液、さらにはファシアの内包するプレリンパが大量に存在することになる。とりわけ、血管周辺にはファシアが多く存在するから、「瘀血」と言われるうっ血がある場合には、その周辺もまた液体がうっ滞していることになる。

 こうした環境は、うっ滞がひどくなれば、毛細血管観察鏡では不明瞭な毛細血管像として観察される。また、毛細血管のうねりや湾曲などの変形像も、周辺の微細なコラーゲン線維の束により生じた引きつりと考えれば、後天的な変化として説明がつく。
 では不明瞭にさせているものは何か。今度は光学顕微鏡や、暗視野顕微鏡にて観察可能な新鮮血で考える。ここでは病的状態として、赤血球の連銭形成がみられ、毛細血管通過困難な状況から血管像の消失(ゴースト血管)を生じたり、またフィブリン網が藻状構造物として観察されることから、それらが血管外で析出して血管不明瞭像を形成すると考えられる。これらはいわゆる従来の「瘀血」といった概念だけでは、明確な説明になっておらず、コラーゲン線維の集合体としてのファシアを念頭に置かないと説明しにくい。

 これは実際の刺絡治療において、多くの瘀血が引かれることや、それらの粘性が極めて高いことなどの説明として不可欠である。つまり従来の瘀血は、その実態としては血管内部の停滞した血液に加え、血管外かつファシア内のプレリンパも大量に混在していることになる。
 こうした末梢血液の環境により、「瘀血」が形成される可能性が高いので、むしろ血だけの問題ではなくファシアが大きく絡むことから「ファシア瘀血」と称することが妥当であると考える。

 こうしてファシア瘀血という概念を導入することにより、慢性炎症などからファシア重積などのファシア病変へと連続する筋道が立ったことになる。この末梢循環の理解を基礎として、いよいよファシアの病態、さらには線維化へと解説を進めていくことにする。

2024年 新年あけましておめでとうございます!

 新年あけましておめでとうございます!

 昨年末は統合医療学会静岡大会でした。ジャングルカンファレンスや、基礎医学検定、統合医療総論の哲学などを発表し、新しいメンバーも参加してくれました。本年は、宇都宮大会です。また新たな発表に向けてスタートしたいと思います。

 本年もよろしくお願いいたします!




2023年12月30日

マトリックス医学への道(1)

 生体マトリックスの理解を、物質的基礎となるコラーゲンから始まって、ファシア、線維化に至る流れを現状の医学だけでなく、エネルギー医学やホメオパシー、経絡や漢方といった東洋医学も含めた補完医療的見地も入れながらストーリー立ててみたいと思う。

 まずはコラーゲンから。コラーゲンに限らずすべてのタンパク質の分子には、水分子が寄り添っている。つまり生体マトリックスを構成する分子にも、水分子が常に付随し、そこには当然ながら相互作用が認められる。
 コラーゲン周辺の水分子に、ある一定のエネルギーが作用するとそこには、秩序が生じ、水分子がそろってスピンする。これが「コヒーレント」といわれる状態である。コヒーレントの状態は、エネルギーを放出することができ、そこで発生したエネルギーをフローリッヒ波と称する。そしてこれにより、比較的無秩序な基底状態へと戻る。が、再度エネルギーを吸収すれば、コヒーレントの状態へ復帰することが出来る。(この過程において組織特異的な振動数を特定し、生体へ放射すれば量子医学として説明されるQPAないしはAWGといった波動治療器の原理説明となる)
 この時のコヒーレントな状態というのは、コラーゲンを含めた周辺環境において「健全」な状態にあると仮定される。(量子医学においてはエバネッセント光としてウイルス等から生体を防御していると推測している)こうした振動による状態の改善においては、波動治療器に限らず、ホメオパシーなど広義のエネルギー医学的方法においても説明可能である。

 つまり簡単にまとめると、ホメオパシーや波動医学などエネルギー医学系統は、主にコラーゲン周辺の水分子の(局所的な)コヒーレント状態を目標にしていることになる。
 裏を返せば、これを妨害するものが、疾患への道筋となり、この段階で直接的に影響するのが「電磁波」であろう。電磁波によりコヒーレントな状態が妨害されれば、コラーゲンを介する生体のエネルギー伝達システムが異常となり、ひいては免疫機序の低下につながることが容易に推測される。これへの対応策がいわばアーシングであろう。

 健全なコラーゲンの周辺ではコヒーレントな状態に近いと考えられ、それにより成長・損傷修復・防御反応、さらには各組織・臓器の活動を調和させると推測できる。
 反対に不協和な状態であれば、慢性炎症のもととなり、その結果である線維化まで進行しうる。特に急性炎症からの遷延化である「慢性炎症」においては、好中球増加などの環境下から、フリーラジカルの発生がしやすく、安定した分子から酸素を奪い「酸化」した、いわば不健康な酸化ストレス状態へと導きやすくなる。

 コラーゲンの集積した結合組織においては、直流電流が全身に流れているとされ、その流れのペースメーカー的な役割が「脳波」であると考えられている。そしてここでさらに想像をたくましくするなら、自律神経たる腸管神経系を司る腸のペースメーカーも関与しているのかもしれない。それはおそらく腸内マイクロバイオ―タと密接に連携しながら、外胚葉由来の脳と、内胚葉由来の腸とで、主に中胚葉由来の結合組織、ファシアに影響を与えていると考えると理解しやすいのではないだろうか。
 そしてここから、感情や記憶といったものの起源を、脳のみに起因させるのではなく、全身に分散したモデルで考えることも可能になるのではないだろうか。

 まずは、ファシアを話題にする前に、その素材であるコラーゲンとその周囲の水分子の状態から、解きほぐしてみた。このメカニズム理解には、ホメオパシーなど広くエネルギー医学を理解するポイントや、アーシングや環境における電磁波対策、個々の住居の在り方、さらには地球規模におけるシューマン共鳴にまで応用しうるものであることを指摘しておく。

2023年11月27日

お城コラム 駿府城

 岡崎城に引き続き、再掲載コラムシリーズは、徳川家康隠居の城、駿府城(41・静岡)です。100名城の押印は平成22年5月23日、東御門の券売所でした。駿府城に向けて歩いていると、山岡鉄舟が、勝海舟の命を受けて新政府軍と遭遇した場所を通過したのを覚えています。「鉄舟。ここでまにあったんあだなぁ」と思ったものでした。そして今年はここ静岡が統合医療学会会場。宿泊ホテルも駿府城付近に取りました(笑)

 駿府城は、かつては六重七階の天守が聳えていたといわれ、現在も大きな巽櫓と東御門が復元され、その威容が偲ばれます。
 高麗門と櫓門を合わせた枡形は、その絶対的な防衛力の高さから威圧感もハンパないです。中に入ると、現在は駿府城公園になっているので、のんびりとした広場が広がるのですが、かつてはこの中心部に六重の天守があったというのですから、相当な迫力だったのでしょう。(と、かつて書きましたが、現在ではかなり発掘作業が進行しており、見学ポイントも限られてきそうですね…)

 家康としては相当の思い入れのある城郭で、今川の人質時代に12年間住んだ、心情的に複雑な土地でもあります。それゆえに自分が領有することになった際、この地に築城し、浜松から本拠を移しているわけです。
 かつて人質だった身から、領主になって戻ったということを実感したかったのでしょうね。ドヤって感じです、共感できます。
 しかし、秀吉の小田原平定後、江戸へ移されてしまいます。その後、秀忠に将軍職を譲り大御所となってから、再度、隠居城として天下普請での大改修を行って戻ります。
 ここに戻ることで「故郷に錦を飾る」的な誇らしさがあったのでしょうね(見返してやったぜ、みたいな)。その後江戸幕府は、江戸と駿府の二元政治が布かれることになります。そして家康は、この駿府城で没します(本当にタイの天ぷらだったのでしょうか?、私個人としてはその前の大阪夏の陣後に槍で一突き説を信じていますので、ここで死んでるのは影武者、それゆえに死因は何でもよかったのではないでしょうか。家康が漢方フリークだったこととも矛盾しないですし)。

 その後は3代将軍家光の因縁の弟、駿河大納言忠長が入城するも、家光により乱心の嫌疑をかけられ、秀忠没後、高崎に移送され、かの地で自刃に追い込まれます(高崎で飲んだ時はわざとこの墓所の寺前を通過したりします…なんとなく)。その後、天領となりますが、火災でほとんどの建造物が焼失、再建されませんでした。

 時代は下って、幕末期には、江戸へ向かって進軍する新政府軍、西郷隆盛と会見すべく、山岡鉄舟が江戸からここで新政府軍と遭遇した地でもあります。歴史的に極めて重要な土地なわけです。勝海舟でないところがポイントです、やはり山岡鉄舟なのであります。

 いよいよ大河ドラマも佳境です。家康、最初と最後のお城の紹介コラムでした。


2023年11月26日

医療における最適解と根拠の重要性 歴史小説を皮切りに

 前回、岡崎城のコラムで大河ドラマについてコメントしましたが、史実と歴史小説の関係も難しいですよね。基本的にはフィクションであっても、歴史的な出来事は覆せない、という最低限のルールはあるわけです。これを崩すと、そもそも歴史小説ではなくなってしまうので、どこまで変更するか、妄想を入れてよいか、のさじ加減が難しくなります。

 医療も少し似た事情があるかもしれません。いわゆる通常の医療しか念頭にない場合は「そんなことない!」と言われるかもしれませんが、いわゆる通常のケースであっても、50名以上の会社で義務づけられる産業医はこれに当てはまるでしょう。
 さまざまな検査データがあったとしても、それに対する対応はいわゆるガイドラインそのものではありません。そもそも当人が何らかの症状で困っているというわけでもない場合がほとんどです。また反対に、データが正常だとしても、メンタルの問題やハラスメントなどは、そのまま放置というわけにもいきません。
 個人という従業員と、会社との関係性を真っ先に考慮すべき立ち位置といえます。つまり双方における「最適解」を探るといってもよいでしょう。

 こうしたポジションは、統合医療においても少し似たものがあります。通常診療における、ガイドラインなどいわゆる正解を唯一の真理として見ず、自然医療、代替医療の世界観、ないしは、現代医療への疑問等も内包しながら、その人の「最適解」を求める、というわけです。両者ともに「真理」ではなく「最適解」である点が共通です。

 そしてそこには、両者の決定打となるような「根拠」も必要です。根拠というと即座に「エビデンス!」と反応されそうですが、いわゆる科学的エビデンスに限定する必要はありません。いろいろな意味での根拠です。この辺りは、今度の統合医療学会静岡大会で、京都大学の伊勢田先生が講演して下さる内容になりそうですが、決定には何らかの根拠が必要ということです。

 産業医においては、会社の収益や社会的な役割などがその根拠となっていくでしょう。これに対して統合医療においてはどうでしょうか。私はこれこそが基礎医学的知識であると思うのです。それもガチガチの医学論文で固められた基礎医学ではなく、物理、化学などの一般的な科学知識も含めて、幅広く常識までも含めるような生物学的知識、とでもいえましょうか。当然そこには、物理的な知識も入るので、電子、光子、といった量子的なものや、水分子の挙動やコラーゲン線維の特徴なども含まれます。食品学的な知識も入るでしょう。
 いわゆる「臨床的」と言われる知識より、基礎と言われるものの方がよりラディカルに、新分野を切り開けるということは、かつて糖質制限論争の真っただ中にいたころに強く感じたことでもあります。
 臨床的とされる知識は、どうしても「その時」の趨勢に影響されます。科学史において、真理のありかを探求した結果、パラダイムという理論に至ったという経過に良くあらわされていると思います。つまり時代のパラダイムが変化する中で、真理とされるものも変更を余儀なくされるということなのです。

 我々は常に何らかの「条件」のようなものから、自由であることはできないと言えるのかもしれません。それは「時」の流れのようなものに影響するでしょうし(時代による真理の変遷)、その「時」という物自体が、我々の身体での出来事、経験、体感といったものと無関係ではないのかもしれません。身体と「時」の問題はまた別の機会に譲って、本日はこの辺りで終わります。

2023年11月25日

お城コラム 岡崎城

 いよいよ大河ドラマも大詰め、年末の大坂の陣へむけて一直線。というものの、私の周りでも「まだ見てるんですか?」という声は絶えず、ネットの多くの意見通り、なかなかに不評です。別に歴史の事実からかけ離れている、という点はどうでもいいのです。ただ周囲の意見としては、フィクションにするにしても、歴史好きな人が好みそうなフィクションであれば、みんな支持しそうなのですが、まあ、そうではないというのが結論でしょうか。
 そうした中でも、歴史的遺物に関しては、論外です。そこに間違いなく歴史は存在していたし、どのような物語であったとしても、そこを舞台として展開したことは間違いありません。こうした意味で、「城」というのは大きな意味を持つなあ、と改めて感じる次第です。

 そこで今回紹介するのは、家康誕生の地、岡崎城(45・愛知)です。100名城押印は平成23年11月18日、学会で名古屋に行ったついでに、名鉄にのって足を延ばしました。


 岡崎城は、三河守護代の西郷頼嗣により築城され、その後、松平氏の攻撃を受け支配下となり、松平清康により城郭整備が行われ、松平の本拠地となりました。
 その後「守山崩れ」により、清康が暗殺、息子の広忠になるも権力は安定せず、松平の弱体化した時代に生誕したのが、竹千代、後の徳川家康です。
 しかし父、広忠も暗殺され、竹千代は6歳で織田家、8歳で今川家に人質として出されてしまいます。これに伴い、岡崎城も今川から城代が入ることになります。しかし、桶狭間の戦いの後に、徳川家康は今川から独立、以後、岡崎城を拠点とします。


 こうした苦難に満ちた家康の幼少期ですが、その後のサクセスストーリーから、この城には伝説が残されています。
 本丸内の龍城神社に家康誕生の際、黄色の龍が現れたといわれます。龍は岡崎城創建の際も現れ、守護神となることを約束したというから、よく龍が出現する城です、それゆえに別名、龍ヶ城というわけです。
神君家康公誕生の城であることから、後付けの伝説なのか、この地の松平の苦境から「伝説」の一つも作らないとやってられなかったのか、不明ですが、まあそういうことなのでしょう。
 また城内には、家康の誕生にともなっての産湯の井戸や、胎盤を埋めた「えな塚」もあり、生誕した二の丸は誕生曲輪といわれるほどです。まあ現在では家康生誕一本、といったところでしょうか。

 城全体としては少し立て込んだ、ごちゃっとした印象です。訪問時は内堀や青海掘りも、少しうっそうとした印象でした。(大河ドラマ効果で少し変わっているかもしれませんが)
 しかしここの城代は江戸期においては、譜代大名の誉といわれ、いわば創業の地のような名誉な地だったことは間違いないのでしょう。近くには「三河武士のやかた」など見どころも豊富です。
 

2023年11月19日

真理ではなく、実践もしくは最適解である、ということ

 最近、あらためて思うのは「統合医療」という用語の曖昧さ、です。というより、それによりさまざまな人が解釈、思い込める幅の広さ、とでも言えるでしょうか。現代医療と代替医療一般を「統合」したもの、というのが原意ですから、当然と言えば、当然の帰結でもあるのでしょう。(これは実は「医療」という言葉一般にもあてはまるのですが、これはまた後で)

 そこで、自分の考える「統合医療」の実態に一番近い用語、概念を見つけようと考えたのが、かつて自書(『武術と医術』)の中でも公開した「プラグマティックメディスン」という概念です。
 思いついた当初は、まだそれほど内容が固まっていたわけではないので、しばらく自分の中で醸造していましたが、徐々に形になってきたのでここらでまとめておこうと思います。


 プラグマティックメディスンは本来、pragmatism supported medicine(プラグマティズムが支える医療)ともいえる概念ですが、長くなるので、とりあえず「プラグマティックメディスン」と称しておこうと思います。(これを本ブログ内で別角度から表現してきたのが、可能性のための医療や、こちらの医療、ということになります。少し意味合いが違うところもありますが…)

 いずれにせよ、プラグマティズムという思想が支える医療で、これは合理主義に基づく論理実証主義が原則とする医療(EBMの概念もこちら)との相違は、そこに絶対的な真理なるものを想定するか否かの違いとなります。これはプラグマティズムという思想・哲学に由来するものともいえます。(どこかに「真実」があるかという点が最大の分水嶺となります)

 プラグマティズムにおける真理の多元性が、ジェームスのいう「多元的宇宙」という世界観であり、これは当然、教条主義的な「真理一元論」とは大きく異なるものになります(ちなみにみせかけの多元である折衷主義は教条主義へと縮退するのですが、これもここだけでは分かりにくいですね)。
 真理一元論は、我々の素朴な世界観そのものですから(真実は一つ!)、この辺りが一番誤解されそうな難所になります。

 ここで、統合主義はどう解釈されるかというと、これは多元主義の要素内での融合の一形態と見ることができ、また別解釈としては多元主義的な状態そのものをも意味するといっても良いように思います(ウィルバーのインテグラル理論などはこちらに近いでしょう)。つまり統合という語は、人によってかなりの解釈の幅があることに気づかされます。

 それでは「プラグマティックメディスン」としての要諦は何でしょうか。それはなにより「プラグマティズム」という思想なのですが、これがまたまた誤解の多い用語で、問題ありなのです。
 そもそもプラグマティズムには、提唱者が事実上2人いるような状態で、かつその後の展開においてもかなり人によっての解釈が異なります。加えて、結果よければすべてよし、みたいな浅薄な解釈が広く流布されているので、さらに誤解は広がります。
 そうした中で、ここではウィリアム・ジェームズのプラグマティズムの格率に基づくとしておきましょう。これにより世界観としては「多元的宇宙」が採用され、多元主義に基づいた展開になります。


 しかしこれだけでは効能・効用主義的な側面だけが強調されかねないので、その補強的な観点も不可欠です。
 それが近年、ケアの世界に新たな視点を与えたと言われる「中動態」の思想です。國分功一郎氏によって脚光を浴びた概念で、主に言語学的な考察から引き出されたものですが、それゆえに我々の「意志」や「責任」というものへの理解の根本を揺るがせるものでもあります。出来事の流れ・自然の勢い、というものの重要性というか、根源性をあらためて感じさせてくれるようにも思います。
 個人的にはジェームズの言う根本的経験論や純粋経験といった概念との強い関連性も感じさせられます。これにより、いかにもな「エビデンス」のみならず、またいわゆる「意志」によらず、「選択」するという本来自然な出来事の肯定がなされることになります。


 これは選択肢の決定が重要な意味を持つ統合医療分野において、決定的な意義を有することになると思います。統合医療臨床について考える際、とりわけ医師の立場においては、多元的な選択肢から選択が、その中核となるのはいうまでもないでしょう。それゆえに、プラグマティズムと中動態の思想が、中心となるわけです。これが、まさにこの医学体系の要諦です。(そしてそれは何を根拠にするべきかということが、最大の問題となるわけです)

 大枠としてはここまでで良いのですが、私自身の具体的方策も示しておきましょう。(これはあくまでもプラグマティックメディスンとしての一展開例でこれこそがプラグマティズムという意味ではありませんので誤解無きように)
 まずは中動態的な対話、大きな方針の模索という意味において、オープンダイアログ・ジャングルカンファレンスといった会話・対話の方策です。
 続いて生体観としては通常の解剖生理はさることながら、それらの図と地の反転として、無意識を司りうるものとして、トランス、ファシア、腸内環境(脳腸相関)を挙げておきます。
 ファシアは、さらには「皮膚」との関連も密接ですし、腸内環境は「栄養」とも大きな関連を持ちますので、これらも重要な要素となります。(ファシア・腸内細菌は最大の臓器でもあり、同様に皮膚・脂肪も最大臓器といえる)
 また、ある種の無意識の取り扱いとしてトランスは重要です。意識領域より無意識ははるかに大きいもので、マインドフルネスをはじめ様々な技法も考慮されます。

 その他にもいろいろな展開があるのでしょうが、現実の診療においてはこのようなところでしょうか。いずれにせよ、この医療体系は、換言すれば、現実(瞬間・実際)の身体の流れに従う医療、ということになります。つまり、プラグマティズムの要諦である現実の選択を、多元主義に基づいて、「意志」ではなく身体の流れによる「選択」に従う(これは無意識の領域といえるのではないだろうか)、ある種の「従病」とも言える医療の姿勢です。
 こうした考えは、脳科学的に「自由意志」の存在が疑問視される中で、我々自身の生命を育む新たな思考体系の試みとして、一つの選択の根拠になると考えられます。
 当然、この他にも多くの根拠がありうるわけで、いわゆる科学的データとしてのエビデンスのみならず、何らかの根拠によって、統合医療の選択が行われるべきである、ということの重要性は科学哲学者の伊勢田哲治教授も、先日、述べられておりました。

 何をもって根拠として選択していくのか、という問題は、その方法論としての科学論のみならず、実践哲学としてのプラグマティズムからも考察していかなければいけない大きな問題です。これは日常診療における問題では、通常の診療医と、産業医の業務の違いなどにも生じる問題で、真実は何か、という問いではなく、その時の「最適解」は何か、という問いになるものであるということです。つまり、統合医療においても同様に求められるのは、唯一真理ではなく、時に応じて変化する「最適解」であるわけです。
 こうした点が、産業医を最近学ぶ中で大きな気づきとなった点で、統合医療的視点は、すでに産業医的な視点の中にあったということを改めて発見した、というわけです。

瘀血から線維化現象への推定仮説

 前回に引き続き、マトリックス医学の概略について。いわゆる瘀血の形成から線維化に至る道筋をメモしておきます。

 まずは、血管や血球の観察から知れる瘀血の病変について。赤血球の形態変化のしやすさ、連銭の形成状態、プラークの遊離、フィブリンネッツと思われる藻状構造体による血球の捕捉、これらがいわゆる粘性度をあげ、末梢の毛細血管における血流を妨げ、ときに血管外に漏出、もしくはファシアの空胞内部に充填され、瘀血・水滞、ファシア瘀血を形成する。

 毛細血管観察像を不明瞭化させるこうした漏出物、おそらくはフィブリンネッツおよびグロブリン・マクロファージと思われる炎症性物質により、微小な線維化(線維の相互の架橋等)を形成すると考えられる。これらの集合により、時に線維化(症)へと発展する、もしくはファシアの重積といった形でエコー下で観察されることになる。これがファシアの病態となり、おそらくミクロには慢性炎症を惹起する物質を排出、慢性炎症の温床となると推測される。

 こうした病変がいわゆる経絡学説の経別として内臓と接続し、炎症性物質が伝播、もしくは内臓の線維化からの逆伝播を生じ、体表観察を可能とする。この一部が、上層の皮膚に影響し、皮膚病変として認識されることもあるだろう。近年、デルマトロームとして関心を持たれているものの機序にあたると思われる。

 これらの事象は、従来の臨床検査ないしは画像検査ではなかなか捉えにくいものであったが、補完的な検査が適するものと考えられる。つまり末梢における瘀血発生の母地として、毛細血管像・末梢新鮮血観察により概略を捉えることができるし、また微小なファシアレベルでの異常は、経絡現象の応用として良導絡など経絡測定器で推測できるし、脈診・背腹診といった伝統的診察法も応用可能である。また、より大きな重積に関してはエコーにてリアルタイムでの観察もでき、ハイドロリリースとして治療介入にもつながる。

 当然、より大きな病変ないしは内臓での検索はMRIにて、全身レベルで行うことができ、さらに大きなエネルギーレベルでの偏りなどは、アーシングの対象にもなりうるし、バイオレゾナンスなどのエネルギー的な検索も可能になるだろう。

 以上が、現段階における線維化(症)への流れの推測モデルである。


2023年11月17日

統合的研究テーマとしての「マトリックス医学」

 最近の臨床と研究での気づきのメモです。ご興味ない方はスルーを。

 内科系の学会の基礎的な話題をみていると、かつてはあまり興味を持って語られなかった「線維化」について多く議論されているようです。線維化において重要な細胞外マトリックスなどは、以前から話題になっていましたが、炎症の最終ステージとしての線維化現象が、従来、不可逆と思われていたのが可逆的だということが多くの興味を惹いているようです。

 特に、外野からでも面白そうなのは、腸内細菌との関連、さらには血管内皮との関連です。また免疫細胞との関係では、マクロファージのみならず、好酸球・好塩基球も大きな役割を有し、臓器横断的に新たな展開が期待できそうです。ただこうした基礎的な研究方法のみに限定すると、それだけになってしまいますが、このテーマはそれ以上に広がりを持ちそうな分野でもあります。

 ここでもたびたび話題に挙げている「ファシア」が、その一つ。広い意味でのコラーゲン線維という共通点もさることながら、ファシアに生じる病態を臓器レベルに展開するときに、線維化の視点はとても重要な気がします。
 また、科学論的に見ても、やや代替医療的な視点を有する「ファシア」に対し、基礎医学的な概念である線維化は、両者の橋渡し的な役割にもなりそうです。

 この辺りの議論はここでも、ファシア瘀血学、そしてファシア学として解説してきましたが、いわゆる整形内科的な疾患の縛りを超えて、より大きな議論に接続できる可能性を感じます。瘀血の概念からの分析としては、毛細血管像の観察や、その中身としての血液像の観察において、「瘀血」概念を形成する構造物が見つかっており、これらと線維化との関連は、直に生体との接続を可能にするものである気がしています。今のところこの辺りの詳細は、少しぼかさざるを得ないのですが、いずれにせよ基礎的なレベルでの医療の「統合」を可能にする研究領域と言えるでしょう。

 科学哲学的な視点で考えると、近年、こうした大きな意味での「統合」傾向が、意識するとしないにかかわらず進行しているように感じます。個々の研究者は、自らの領域の科学的な整合性を強調していくでしょうが、俯瞰した時に、それらの思惑とは違った大きな潮流のようなものを感じざるを得ません。統合医療の概念的な問題(総論構築問題も含む)に関心を持ちながら、ジャングルカンファレンスやオープンダイアローグといった組織体の在り方に興味を持つのも、また同時にファシアや末梢循環環境の研究に惹かれるのも、みな同根といったことなのです。

 これまでざっくりとした雰囲気でしか、捉えてこなかった複数の概念の関係が、ここにきて次第に言語化できるようになってきました。おおきな統合の動きを、基礎的な考察においても展開していきたいものです。
 こうした考えから、線維化についてもトピックスとして記述しながら考えていこうかと思ったのですが、それよりも大きな概念でまとめたほうがよさそうに思えてきました。そこで考えたのが「マトリックス医学」という概念。かつて縮退現象について考えたていたときに、同様の名前を思いついたのですが、縮退関連ですと「行列」としての意味合いしかなくなるので、今回とは異なります。それを含んだ、より大きな概念とでもいえましょうか。つまり細胞外マトリックスを基礎とした、広く生体の基質全体を視野に入れる医療の考えとでもいえましょうか。実質臓器との関連で言えば、まさに正統と代替の統合、そのものを体現する概念にもなりそうです。

 何言っているかわからん、と思った方、ご安心ください。今後、少しずつこの概念の例や解説をしていきたいと思います。今日のところはメモですので…。

2023年11月12日

統合医療学会静岡大会 12月16日17日開催です!

 今年の統合医療学会、静岡大会があと一ヶ月ほどに迫ってきました。コロナ禍でのオンライン開催が続く中で、いよいよの対面開催です。
 第27回 日本統合医療学会学術大会 12月16日・17日開催(静岡県・グランシップ)
 
 今回は、現在まだ準備中なのですが3つのワークショップやシンポジウムに関わっております。
 1日目午前としては「基礎医学検定」開催に先立ってのパイロットテストの意見交換会。ここでは基礎医学の重要性と、その学習方法について参加者の皆様と意見交換をするとともに、今後開催予定の検定試験のありかたを考えていきたいと思います。午後は、統合医療カンファレンスです。テーマは食と健康長寿としますが、ひろくカンファレンス開催の意義のようなものにまで言及していく予定です。
 2日目は、科学哲学の伊勢田哲治教授によるメイン講義を柱とした、統合医療総論構築に関するシンポジウムです。
 これらの準備などで、こちらのブログが最近、お留守になっていますが、ご了承ください。是非とも一人でも多くの方に静岡大会して頂きたいと思います。学会会場でお待ちしております(^-^;

2023年10月17日

三木解剖学「実施系」の復習 (講義参考用)

 昨日、三木成夫についてコメントしたので、過去記事から、少し改編して「実施系」の復習です。セラピスト系の方々には、即、役立つと思いますので、再掲しておきます。ご興味ない方はスルーを。
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 運動系は、骨格系と筋肉系に大別される。このうち骨格系は脳脊髄を保護する脳頭蓋と脊柱からなる。そこから四肢に続く骨は、脊柱に続く部分(上肢帯・下肢帯)と、その先の部分(上腕骨・前腕骨・手骨、大腿骨・下腿骨・足骨)に分かれる。

 動物の上陸により、推進運動の役割を胴体の筋肉から、2対のくびれから生じる手足にゆずり、それらが胴体を持ち上げるようになる。こうしてできた上肢の筋肉は、胴体全面から起こるのに対して、下肢の筋肉は骨盤からしか起こらないのが特徴である。
 二対のくびれから生じた四肢は、二足歩行により上下、つまり手足になる。ここで、二足歩行になったにもかかわらず、当初の設計図はそのままで進化を続行する。(これまでの情報にはとらわれず「今」の情報に基づいて、進化が続行される。これがマルコフ連鎖で、進化には欠かせない視点)

 脊髄神経後枝の支配をうける背側筋群は、骨盤から頭蓋まで一気に走行する。これに対し前枝の支配である腹側筋群は、首・胸・腹・骨盤においてその姿を変える。つまり、顔、口、喉の筋肉は「鰓」の機能を転換した植物性機能の筋肉となり、胸壁の筋は酸素を取り込む呼吸運動を行い、腹壁の筋は腹圧を作って排出運動を担うことになる。
 またしっぽの退化とともに骨盤底に移動し、骨盤内臓を下支えする骨盤隔膜を形成する。また頭頸部の筋肉は眼球を動かす筋肉、舌を動かす筋肉、首を動かす筋肉となりその下端が胸の底まで下がり、「横隔膜」を形成する。

 上肢と下肢は上陸に伴い「ひれ」から発達したものである。上肢の主要な筋をその機能から見ていく。様々な表現を可能にする運動ができる構造になっている。(機能によるまとめは『美術解剖学ノート』を参照)
 ちなみに上肢と下肢を相対させながら理解すると分かり易い(ワニのように四足になった感じで相対させると良い)

肘を膝と考え、尺骨を脛骨として比較すると・・・

三角筋 ⇔ 大殿筋・大腿筋膜張筋
上腕三頭筋 ⇔ 大腿四頭筋
上腕二頭筋 ⇔ 大腿二頭筋
総指伸筋 ⇔ 長趾伸筋
尺側・橈側手根屈筋・浅指屈筋 ⇔ 腓腹筋・ヒラメ筋


 それでは、四肢の筋肉全体を概観してみよう。

腕全体を引き上げる筋肉(三角筋・烏口腕筋)
腕全体を曲げる筋肉(上腕筋・上腕二頭筋・腕橈骨筋)
腕全体を広げる筋肉(上腕三頭筋)
腕全体を回転させる筋肉(棘上筋・棘下筋・小円筋・大円筋・肩甲下筋)

 特に前腕部の筋肉は覚えにくいので、機能と併せて触りながら覚えると覚えやすい。前腕を回旋させ、手首を曲げる、そらせる。曲げる(屈筋)のは内側上顆から、反らす(伸筋)は、外側上顆から起始する。
 手指を曲げる、伸ばす(広げる)。手指を曲げるのは前腕骨の屈側、広げるのは、伸側となる。とくに親指とそれ以外の指に分けて考えると覚えやすい。

前腕を回旋させる筋肉(円回内筋・方形回内筋・回外筋)
・・・
(屈筋)内側
上顆から
指を曲げる筋肉(深指屈筋・長母指屈筋・浅指屈筋)
手首を曲げる筋肉(尺側手根屈筋・長掌筋・橈側手根屈筋)
・・・
(伸筋)外側
上顆から
親指以外の指を広げる筋肉(総指伸筋・小指伸筋・示指伸筋)・親指を広げる筋肉(長母指伸筋・短母指伸筋・長拇指外転筋)
手首をそらせる筋肉(長橈側手根伸筋・短橈側手根伸筋・尺側手根伸筋)

まとめると
「手」の屈筋は内側、伸筋は外側から起始する

それでは、次は脚を動きと絡めて概観する。

脚全体を内転させる筋肉(内転筋群:大内転筋・薄筋・短内転筋・長内転筋・恥骨筋)
脚全体を広げる(蹴り上げる)筋肉(大腿四頭筋)
あぐらをかくための筋肉(縫工筋)
脚を外側に持ち上げる(直立を維持する)筋肉(大腿筋膜張筋・大殿筋)
脚全体を曲げる筋肉(ハムストリング:大腿二頭筋・半膜様筋・半腱様筋)
かかとを引き上げる筋肉(下腿三頭筋)

足の甲や指を引き上げる筋肉(前脛骨筋・腓骨筋群・趾伸筋群:長拇趾伸筋・長趾伸筋)
趾を曲げる(長拇趾屈筋・長趾屈筋・後脛骨筋)
まとめると
趾伸筋は「足の甲」を通り、趾屈筋は「内顆」をくぐる

2023年10月16日

三木解剖学におけるファシアの位置づけ

 今週末に、ある施設から基礎医学の講義を依頼されたので、解剖生理を復習しておりました。三木解剖学との関連を念頭に置きながら、またファシアの知見も少し盛り込みながら、資料作成しておりましたら、以前よりも三木解剖学とファシアとの関連が明確になってきました。以下、メモ的に書いておきます。

 植物機能として、消化系と呼吸系を合わせた形で「吸収系」があり、泌尿・生殖器系が「排泄系」、そして両者を媒介しているのが血液・循環器系として「循環系」となっています。
 動物機能は、皮膚・感覚器の「感覚系」、実際の運動を実施する「実施系」、両者を遠心性・求心性神経で仲介し、その折り返しにて中枢神経として情報処理を行う「伝達系」となります。
 両機能において循環系と伝達系が、媒介として働くわけですが、この両機能とも内包し、さらに大きく取り込んで媒介機能を果たすのが、「ファシア系」となります。いわばすべての梱包材的な位置であり、マトリックスといってもよい役割です。
 その機能としては、線維として物理的伝達を担うのはもちろんのこと、循環系的に、ファシア空胞内の液体を介する伝達、加えて、神経伝達的にコラーゲン線維におけるビアゾ電流としての直流電流、の2つの側面も併せ持つことになります。植物、動物のさらに基礎としての機能といっても良いでしょう。

 今回の解剖生理の講義では、まずは通常の教科書をベースに講義せざるを得ないので、その順序で話していきますが、毎回最後の方で少しずつ、こうした最近の見解も紹介していこうと考えています。
 ファシアについての知識は、何より、セラピストにとって即戦力につながる実践的な側面が強いので、すべて理解できなくても、いつかは必ず得をする知識でもあるからです。機会があればここでも紹介していきますが、過去記事を追って頂いても、概略はつかめるかと思いますので、関心のある方はどうぞ!(^^)/


ヒトのからだ―生物史的考察
三木 成夫
うぶすな書院
1997-07-01