注意事項
本HPは「統合医療」に関して、その概念および実際を紹介することを目的とするものであり、個別の疾患や診療内容の相談には応じかねます。また、内容に関しても、実際に個人の判断で適応した際のあらゆる責任は負いかねます。実際の診療に関する事項は、医師にご相談の上、施行されることをお勧めします。
小池統合医療クリニックへ

2020年01月16日

来週の木曜日までクリニックは休診となります

 今週末から来週の木曜日まで、研修参加のため当院は休診となります。よろしくお願いいたします。

 今週は身心工房リボンは通常の営業をしておりますが、来週は受付もお休みになりますので、お電話などは今週末にお願いいたします。


隠岐絶景
佐々木 俊和
今井印刷
2018-11-01


 現在、統合医療カンファレンス協会の新規事業改革中です。これまでの勉強会の延長から、一度リセットして、本部、支部共に新装開店のような感じです。
 第一にジャングルカンファレンスは従来の形式に加え、これまで散発的に開催していたスカイプでの意見交換を、カンファレンスの主なコンテンツとして据えたいと思います。とりあえず、沖縄と地域差による統合医療の在り方の差異などを相互理解していきたいと思います。
 第二に、多元医療研究会の充実です。従来の発表形式に加え、本年からは講義形式や検定試験なども考えていきたいと思います。
 第三に、共通言語としての基礎医学の充実です。これはこれまでも、当院での内輪の勉強会などで展開しておりましたが、協会としてより大きな形で実現していきたいと思います。統合医療の大きな課題が、数多の療法群との共通の了解です。哲学からのこの了解可能性は、幾度も述べてきましたが、それを現実の物として充実させるには、やはり基礎医の理解が不可欠です。共通了解は共通言語から、です。当協会は、統合医療の共通言語は「基礎医学」にあり、と考えています。


 

2020年01月10日

1月の勉強会の連絡

 関係者の方へ、内部連絡です。関係ない方はスルーしてください。

 今月の勉強会は、これまでと少し変則で月末31日金曜日ですので、お間違いなく。内容は、前回までの体表解剖学から、解剖学の全般を、名著『解剖学講義』を使って勉強していきます。

 第1回は、上肢・下肢を中心に勉強します。第1章〜第3章を概観していきますが、とりわけ第2章と第3章をしっかりと読んできてください。徒手系の方は、得意分野でしょうから大丈夫だと思いますが、それ以外の方はだいたいどのあたりに筋肉などの構造物があるかを把握しておいてください。


解剖学講義
伊藤 隆
南山堂
2012-04-10


 解剖学は、生化学の代謝の全貌に匹敵する、「わかっていそうでわかっていない分野」の代表です。これをしっかり理解することで、これまでなんとなく目が滑ってしまっていた分野の知識が、少しはひっかかってくるようになると思います。

2020年01月09日

ラリー・ドッシー『時間・空間・医療』

 医療における「対話」の意義が強調されつつある中で、前回はその重要性を考えたわけですが、そこでラリー・ドッシーの著作を思いだして、久々に『時間・空間・医療 プロセスとしての身体』を引っ張り出してみました。ラリー・ドッシーには7年ほど前に、沖縄の講演会に参加した際に、懇親対話会でお話をする機会があり(奥様ともお話しすることができました!)、ご著書にサインして頂きました。
 そこには、現在、医療において最も重要視されている「客観性」ということに関して、鋭い文章が書いてあり、読書時も印象に残ったためチェックしてありました。以下、引用してみます。



 科学は、今まで存在せずほんとうに必要でもなかった原理に対する確信を、ひとつひとつ拒絶しながら発展を遂げてきた。たとえば、エーテル、カロリック、フロギストンなどの概念は、よく健全な科学へと向かう努力の中で、初期の時代に全て断念された。しかしこうした修正はもっぱら科学の内容に関係していた。(中略)その結果、医学は大混乱を招くかもしれない。けれども、客観性という幻想がなくなれば、医学は手かせ足かせから解放されることになる。医学は客観的であるべしという要請は、実質的に健康と病気における強力なファクターを否定してきた。


 ここでは「客観性」というのはそろそろ乗り越えられるべき、「フロギストン」のような概念だとドッシーは述べています。これが居座るがゆえに、意識の介入という医学的に大きな展望を逃してしまっている、と述べているのです。
 意識を排除し、絶対的真理のような概念を探求したこれまでの医療に対して、対話がもたらすものは単なるナラティブの復権というようなものをはるかに超えているように思います。絶対的真理ではなく個別の真理、客観的・普遍的ではなく、各々の「場」から生成される価値のようなものを重要視する考え方なのです。そして、我々がそうしたものの生起する場面の代表として捉えているのが「対話」なのではないでしょうか。
 久々に読み返してみて改めて示唆に富む著作だと感じさせられましたので、メモとして書いておきました。


時間・空間・医療―プロセスとしての身体
ラリー・ドッシー
めるくまーる
1997-11


2020年01月08日

診療内容:対話(含オープンダイアローグ)

 このブログでもたびたび紹介しております「オープンダイアローグ」や「ジャングルカフェ」といった取り組みは、近年の「対話」重視の流れを積極的に取り入れたものです。診療ではありませんが、10年以上前から取り組んでいるジャングルカンファレンスも当然、この系譜です。
 ただ「傾聴」していることが対話のようにとらえられることも少なくないのですが(そうした面もないわけではありませんが)「対話」といった時には、少し異なった大きな意味も含まれるように思います。

 多元主義的な統合医療を主張すると、「なんでもいいのね」とか「相対主義だね」といった感想をいただくことがあります。哲学の議論としてもこの辺りは結構ややこしくなるのですが、結論からいうと、対話により現実にアクセスすれば、相対主義には陥らない、ということです。JCなどの対話を、実際に行わず頭だけで考えた場合、どうやって結論に至るのか明確に構造化されていない、といった批判がなされるのですが、これこそ、ガイドラインがあればすべての問題が解決される的な安直な思考といって過言ではありません。現実はもっと流動的で、急性期などを除けば絶対的な視点などは思っているほどあてになるものではありません。

 価値の問題なども、相対主義的な陥穽に陥りそうに思いますが、実際のケースに基づいて考えれば概ね一つの結論に収束することも稀ではありません。このあたりのことは哲学史的にも大きな問題ですが、ソクラテス、プラトンの昔から共通の了解として、認識されていたことといってよいようです。良心に基づいた対話を展開すれば、人はおのずと結論めいた共通了解に至るという実感があります。

 あらゆる方法論のベースに、現在は客観性のデータが最も重要視されておりますが、本当にそれだけなのでしょうか。対話というもののの再認識の中で、統合医療のみならず、医療全体が大きなパラダイム変換を行っているように感じます。

 
 以下の書籍が大変参考になりました。対話を深く考えたい方にはお薦めです。



2020年01月07日

診療内容:ホメオパシー(含量子医学)

 昨年、井口和基博士のブログを読んでいたら、MRI発明者ダマディアンに、生体内の水分子の特殊性を教えたギルバート・リン博士の訃報が書かれていました。その記事には、生体における水分子の特殊性がアクアポリンの発見などいろいろと紹介されているのですが、一番印象的だったのが、「ポリウォーター事件」という科学スキャンダルに関してです。
 現在でもホメオパシーをはじめ「水」に関する研究や療法は、徹底的に怪しいとみなされるわけですが、その前提が、ほぼすべての物理学者が試験管内の水分子と、生体内の水分子とが全く同じとみなしていることにある、とのべられています。それゆえにそれが「異なる」という言説がでると徹底的にたたくということなのでしょう。そしてその源流に「ポリウォーター事件」があるというのです。これは重合水という水の特殊状態が、ソ連のデリャーギンにより報告されてから否定されるまでの、一連の科学における熱狂的事件だったというわけですが、これが水の研究の怪しさの源流でした。(このあたりの事情は経絡が北朝鮮研究者により発見されてから否定されるまでの経緯と極めて似ているように感じます)

 まあこれ以来、水の「ありがとう」転写問題に至るまで、否定的な流れが続くわけですが、こうした流れからいわばスピンオフしてMRIが誕生したというのも興味深い視点です。いずれにせよ(どこまで認めるかは見解が異なりますが)生体内の水分子は独自の挙動をとるということは間違いないわけで、通常細胞内とがん細胞内ではその水分子の挙動が異なるということです。
 こうした事実に、ラリー・ドッシーのいう量子論的な「非局在医療」の考えを導入すれば、ホメオパシーという医療の一応のメカニズムの説明になるかと思うのですが、この辺りは異論の多いところでしょう。しかしながら、スギ花粉レメディの二重盲検など世界的な発表を見てみると、実臨床における効果の証明はできているといえます。 
 であれば、一つの仮定として、生体における水分子の状態への働きかけの方法としてホメオパシーを捉えることが出来るのではないでしょうか。量子論的な視点からスピリチュアリティを論じている滋賀県立大学の奥教授によれば、意識の持ち方によっても生体は量子のレベルで変化するということですから、その媒介としてもレメディの有効性をかたることはできるでしょう。これはおそらく、バイオフィードバックやマインドフルネスといった方法にもあてはまることだと思います。

 治癒という過程での生体内の水は間違いなく重要です。医療というものを生化学や細胞生物学的に語った場合でも、ファッシアに基づいて語った場合でも、そこには水が存在しています。そうした大いなるバックグランドを意識するということも、統合医療の提供する重要な視点だと考えます。

2020年01月06日

診療内容:漢方(含健康食品)

 漢方に関しては、自分にとって一番最初に学んだCAMといえるもので、学生時代からの学習や、漢方外来を群馬県の山あいで開設してから数えると四半世紀以上の長いお付き合いです。現在でも、腹診を中心にした和漢の手法で処方するときは、広島で古方を展開されていた小川新先生の処方を、アトピー性皮膚炎や腎機能障害、リウマチなどアレルギー・自己免疫の難治性疾患を扱うときには京都・高雄病院の江部洋一郎先生の処方を参考に診療を行っています。加えて近年は、サイエンス漢方的な視点も大切にして処方をしています。

 こうした従来の漢方処方に加え、伝統的な考え方を援用して応用しているのが、「慢性炎症」の治療です。血液データ上、何らかの慢性炎症が疑われるものの、そのフォーカスが定まらないということは少なくありません。これまでいくつもの病院を経由してから当院へ来られる方も少なくないことが、こうした事情につながるのだと思います。自己免疫や自己炎症的な状態など、西洋医学的にはそれ以上のアプローチが出来ない状態の方に「漢方」がとても有効なことがすくなくありません。これは栄養やオーソモレキュラー的な方法よりも、身体内部の「方向性」や「寒熱」の視点も絡むため、漢方的方法が最も奏功するように思います。
(この方向性と寒熱の処理という問題はオーソモレキュラー医学の弱点であるとも考えています)

 またアトピー性皮膚炎の治療などは「寒熱」の微妙な調整が必要になるので、鍼灸・刺絡など徒手的な療法と組み合わせて、東洋医学的視点は外せません。また赤ミミズの健康食品など、従来の漢方の枠を拡大してくれるようなものも増えてきているので、統合医療のもとで、漢方は更なる発展を遂げるのではないかと考えています。

2020年01月05日

診療内容:ファッシア(含鍼灸・刺絡)

 これまで「鍼灸」として、当院の診療の中心としてご紹介してきましたが、近年の概念の変遷などを考え、ファッシアへのアプローチとしてまとめるのが良いと考え「ファッシア」としました。(今回もメモ的な内容ですので、ご興味ある方は直接お聞きください)

 鍼灸は当然、その理論的な基盤を「経絡」の概念においているので、異論はあると思いますが、筋膜リリース、トリガーポイント、アナトミートレインやMテストなどさまざまな取り組みの成果を評価すると、その本質は「ファッシア」ととらえて問題ないように思います。これは当院のメインの診療技法である「刺絡」を10年以上続けてきた実感でもありますし、現在取り入れつつある「ハイドロリリース」においてはなおのことです。

 全身をくまなく網羅するファッシアは、まさに痛みを感知する場そのものだろうし、そこでの発痛物質が全身の整体的なバランスや自律神経・免疫系を介して内臓諸器官に影響を及ぼすことも間違いないことだろうと思います。これは日本独自の診療技法といえる腹診・按腹が、全身状態を反映して診察法となり、かつ按腹として治療法でもあるということからも肯定できるのではないでしょうか。

 当院では、従来通りの「鍼灸」と「刺絡」に加え、按腹を基本に据えた「打診術」やファッシアそのものをターゲットにするエコー下での「ハイドロリリース」により、ファッシアを統合医療の重要なキーワードとして捉えた診療を行っていく予定です。この概念は、これまでも行っていた「SPAT」など整体的な方法の統一的な解釈にも応用できるので、これからもこのブログ内で、いろいろとご紹介していくだろうと思います。




 ちなみに、刺絡とハイドロリリースとの関連は、診療においても極めて好対照で、ファッシアにおける発痛物質を想定した場合、陰圧によりその物質の除去を行う「刺絡」に対して、陽圧をかけて組織内に液体を注入し物質の希釈により疼痛除去をはかる「ハイドロリリース」という関係になります。実際の臨床における感覚も、この仮説に矛盾しないように感じています。こうしたことから発痛部位などと併せて、その適応を分類して実際の診療を行っております