注意事項
本HPは「統合医療」に関して、その概念および実際を紹介することを目的とするものであり、個別の疾患や診療内容の相談には応じかねます。また、内容に関しても、実際に個人の判断で適応した際のあらゆる責任は負いかねます。実際の診療に関する事項は、医師にご相談の上、施行されることをお勧めします。
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2020年05月25日

今週の勉強会の学習ポイント

 今週末29日金曜日は、定例の勉強会です。学習ポイントを列挙しますので、参加者の方は予め確認しておいてください。
 ちなみにこの学習会も、今後、オンラインで公開する予定です。指定されたテキストを学習して頂き、その知識を基にみんなで内容の確認をしながら理解を深めていく形式です。解剖・生理・生化学など基礎的な医学の学習をしたい方は、どなたでも参加可能ですので、奮ってご参加下さい。詳細は、後日お知らせいたします。

今回の勉強会は『解剖学講義』の最終回です。8章、9章が範囲となります。

8章 頭頸部
・頭蓋の構造
・板間静脈の意義
・下顎脱臼
・顔面の筋肉
・舌骨上筋と舌骨下筋、頸動脈三角
・咽頭後隙
・頭皮の構造
・眼球の構造
・外耳、耳小骨の機能
・副鼻腔の意義
・嚥下
・外頸動脈と内頸動脈
・静脈洞血栓症と危険三角
・ウィルヒョウのリンパ節

9章 中枢神経系
・脊髄の発生と脊髄神経
・前角の神経細胞の体部位的局在、レクセド層
・温痛覚伝導路、触圧覚伝導路(粗大・精細)、深部感覚伝導路(意識型・非意識型)
・皮質脊髄路
・伸張反射と屈曲反射
・脳の発生と分化
・脳幹網様体(含・大脳皮質への投射線維)
・大脳皮質機能
・大脳辺縁系の発生と機能
・パーペツ回路
・大脳基底核とその線維連絡
・脳脊髄液の流路

解剖学講義
伊藤 隆
南山堂
2012-04-10





2020年05月24日

オンライン講義第1回終了しました

 先日のオンライン講義は約30名の方々のご参加をいただき、無事終了しました。ご参加いただきました皆様、ありがとうございました。
 オンライン統合医療講義は、今後3〜4回連続で開催予定です。テーマは毎回異なりますが、統合医療の基本的な考え方を学ぶという点では共通していますので、単発の参加も大丈夫です。今回参加できなかった方も、第1回と少し重複させて第2回講義をしますので、是非ご参加ください。




 それにしても、この「統合」という言葉は実に厄介で、理解しにくいうえに、人によってばらばらの解釈が存在します。そうした概念の整理のために「多元的統合医療」という多元主義を前面に出した考え方をかつて提出したのですが、こうした事情は米国など世界においても同様なようで、ケン・ウィルバーも同様に嘆いていた文章をみつけました。アーヴィン・ラズロの「万物の統合理論」を評した文章において。
「統合的なアプローチが人気を博しているゆえに「統合」という言葉も入っている。うんざりするが、還元論はどこまでも還元論である。私が少しいらいらするのは、それが「統合」と称しながらも、実際には、その還元論によって、多くの分野にダメージを与えているからである」ウィルバー『インテグラル・スピリチュアリティ』より。
 こうした感じは、日本におけるこの分野でも、要素還元論の批判をしながら、どっぷりとそれにはまっているという話を聞かされることが多いことからも、まさに同感です。


2020年05月23日

お城へ To Go (八王子城)

 今回は、八王子城(22・東京)です。前回の鉢形城を落とした「北陸支隊」が、汚名挽回をかけて襲い掛かった悲劇の攻城戦の舞台です。100名城押印は平成21年2月22日です。

 初めて訪れた際は、現在のように御主殿跡などは整備されてはいなったのですが、復元の曳橋や虎口などは立派で、見どころ満載でした。ただ場所柄、車で訪れると霊園を通過していき、さらには「マムシ注意」に加え、嚙まれた場合の医療施設の電話番号まであったので、ドキドキしながらの散策でした。御主殿部と山上要害部があり、本丸や八王子神社のある山上要害部へ向かうには、ちょっとしたハイキングといった感じで思ったより登りの距離があります。

 また西側に展開された「馬冷の堀切」は、距離もある上に、訪問時は藪で歩きにくく、マムシの危険もあるので未だに行けておりません。
 以前読んだ解説書に書いてあったのですが、たしかに城としては全体像がつかみにくい城です。特に初心のころに行ったので、分かりにくい感じで、西側に至ってはかなりの上級者向けといった雰囲気に満ち溢れてました。人によっては、マニア向けの城なのでこれを100名城として挙げるのはいかがなものか、といった指摘もあるようです。

 この城は城主の北条氏照が不在のまま激戦の末、落城を迎えるという悲劇の城です。近隣の滝山城が、武田の軍勢にかなり攻め込まれたことから、豊臣との鉄砲主体の戦闘に備えて、移ってきたきたばかりで戦闘となり、まだ城郭としては未完成だったといいます。 

 また前田・上杉を主体とする「北陸支隊」の鉢形攻めが手ぬるいと秀吉に叱責され、撃滅による落城を命じられてもいたようです。そのため城内には、婦女子が自害し身を投げたといわれる御主殿の滝もあり、そこから流れた血で川が赤く染まったという言い伝えもあります。はじめは、このエピソードを知らず、この滝近くに降りて一服したりしておりました。(゚Д゚;) さらに後日ネットで、「関東最恐心霊スポット」としても紹介されていることを知りました・・・

 滝山城も好きな城で、武田の攻撃にも落ちなかった堅城なのですが、それを捨ててまで移ったこの八王子城。しかしどれほど地の利を生かして、築城しても寄せ手の兵力差はいかんともしがたいということをつくづく感じます。こうした豊臣方に飲み込まれたしろとしては東海道にまたがる山中城も、同様の暗さがありますね。

 医療でいうところの強力な感染症や難治の疾患に対しての無力感と二重写しになるようにも感じます。







日本の城 23号 (八王子城) [分冊百科]
デアゴスティーニ・ジャパン
2013-06-18


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2020年05月21日

多元と統合について考える

 本年度の群馬大学での統合医療概論の講義も近づいてきたので、また改めて「統合医療」について考えております。
 統合医療というと通常は(というかほとんどは)、多彩な補完代替医療や、東洋医学、サプリメントなどの各論が話題に上がることが多いですが、このブログでは、そうした話題や健康知識だけでなく、統合医療そのものを考える記事も書いてきています。
 これは、概論的なことを自分が好むということもないわけではないのですが、それだけではありません。こうしたことを話題にしなければ、一般の方は当然、興味はないですし、専門家までもそうであれば、だれも考えなくなってしまうからです。

 先日、コロナ関連のテレビ番組で歴史家の磯田先生が言っていましたが、他国に比べ日本ではスペインインフルエンザの歴史学的な研究者がいないため、資料も散逸してほとんど残らず、そのため一般市民の間に記憶としてあまり残っていない、という指摘でした。形の見えないものは日本人は得意ではない、といったことが原因ではないかということでした。
 これは統合医療についても同様で、何とかセラピーとか、何を食べたら健康になるといったことが前面に出てしまい、そのための仕組みや考え方の枠組みを考えることに関心がむきません。一般の方はそれでよいのですが、いわゆる専門家も同様の傾向があるので問題だと思うのです。
 一つのサプリや治療のエビデンスばかりが強調され、それらの具体的な使用法や併用法など、いわゆる「位置づけ」などは置いてきぼりの感があります。むしろそれこそが統合医療だという方までいます。

 多彩な方法論の並立の問題は、ふつう考えるよりも複雑で、はるかに重要であるのにあまり関心をもたれず、放置されていることがほとんどです。こうした問題の解決には、「統合医療」というものの構造が不可欠であるのですが、それがほとんどスポットライトが当たらない、という状況なのです。
 この問題の解決のために、かつて『統合医療の哲学』を著して、多元的統合医療というモデルを出し、選択の思想的基盤をプラグマティズムにおくという考えを提出しました。基礎的にはそれで方向性はつけられたのですが、具体策としては、多元のなかからどう決定していくのかというところが曖昧で、ご指摘を受けることもありました。
 その時は、プラグマティズムの思想を拡大解釈することで解決可能だと考えており、そうした回答をしていたのですが(間違ってはいなかったと思います)具体策を示しうるものであればよりよい、と考え続けてはいました。 

 そこでこうした思想的基盤として取り入れたのが、ケン・ウィルバーのインテグラル思想です。ティール組織の勉強から入っていったのですが、これまでも実は何度かトライはしておりましたが、あまりご縁がなかったようでなかなか腑に落ちませんでした。
 それが、ジャングルカンファレンスやオープンダイアローグなどを経由した現在、読み直してみると、かなり理解しやすい考えだと感じました(甲野先生の著作を初めて読んだ時のような納得感を得ることが出来ました)。また、これまで強調してきた「折衷」と「多元」の相違や、インテグラルとしての「統合」の在り方などの考えをより分かり易くまとめることができる理論であるとも感じました。詳細は、講義などで解説していく予定ですが、いわゆる「統合」と通常いわれる意味との距離を感じると説明も容易にはいかなそうです。

 特に「多元」と「統合」との問題はわかりにくく、私も一部かかわった書籍でもある「統合医療とは何かわかる本」においても、誤解・誤読といってよい多元主義に関する記述がなされています。またウィルバー研究者からの「ティール組織」への多元段階(グリーン)に対する理解の疑問なども提出されており、こうした誤解や誤読は至る所で生じている問題のようです。(ウィルバーはこれを「プレ・トランスの混同」といった用語で説明しており、色々な場面に適応可能で感動しました)

 今回はそうした問題の指摘だけに止め、詳細は後日、ここでも書いていきたいと考えています。
 明日は、初のオンライン講演です。皆様のご参加をお待ちしております!


インテグラル理論 多様で複雑な世界を読み解く新次元の成長モデル
ケン・ウィルバー
日本能率協会マネジメントセンター
2019-06-15


2020年05月20日

お城へ To Go (島原城)

 島原の乱の発端となった島原城(91・長崎)です。押印は平成26年11月21日です。熊本城を先日に訪問し、熊本泊後、熊本港よりフェリー(オーシャンアロー)で島原外港へ。そこから原城を訪問してから、島原城へ向かいました。車で城内まで入ると、そのまま本丸、なんと天守前で駐車という間近さはここでしか体験できません。加えて、おもてなし隊による歓迎、とインパクト強でした。天守前には土産屋も盛況で、そこでは島原の郷土料理「六兵衛」(サツマイモを原料にした黒いうどんみたいな感じ)を食べました。度重なる飢饉や天災にみまわれた地であるだけに、こうした食により命をつないでいたのでしょう。

 板倉重政により築城された島原城は、4万石という領土に似つかわしくないほどの五層の巨大天守をもち、11基の櫓があったといわれています。高石垣も見事です。現在の天守は昭和39年の再建で白塗りですが、実際は黒い天守だったようですが、天守は大きさに関しての記録はあるものの、外観に関しては不明とのこと。いずれにせよ、熊本城など周辺への睨みのためか、分不相応な重装備といったところでしょう。

 これが、島原の乱を引き起こす一因といわれます。築城のための課役や過酷な年貢がこの一揆の主な原因といわれ、そこにキリシタン弾圧が加わったものというのが現代の見方のようです。それにしても、一揆勢は、城下町まで押し寄せ、あわや一時的に籠城戦にまで追い込まれるまでだったというのですからかなりの攻勢です。結局は原城に立て籠るも、中央からの幕府軍によりようやく鎮圧されることになります。こうした抵抗の強さには、宗教が絡んだのはいうまでもないのでしょうが、それだけではないようで、弾圧以前に飢饉などにより相当追い込まれた状況であったというのが実情でしょう。この乱の結果、ほとんどの住民がいなくなり、あらたに入植のような形で再興せざるをえませんでした(この時に「そうめん」も入ってきたということです)。

 こうしたいきさつがあるにもかかわらず、この再建天守の見事さからからか、結構地域住民に愛されている感じで、歴史を振り返ると複雑な心境になります。なんであろうが市民は、たくましく生きていうということなのでしょう。なお天守内一階はキリシタン資料館になっています。この当時のキリシタンの様相を思うと、なんとも複雑です。当然、純粋に信仰していた人も多かったのでしょうが、一方で欧米列強勢力が、極めて強く極東に関心をもっていたのも事実。きれいな信仰の陰で、多くの人身売買など表に出ない歴史もあり、今日的な視点だけでは「島原の乱」は語れない要素も多いのではないかと思います。













2020年05月19日

今週、統合医療入門のオンライン講義を開講します

 今週金曜日、5月22日17:30〜 ZOOMを用いたオンライン講義を開催します。
 参加費無料ですので、ご興味ある方は是非ともご参加ください。

 今後、「オンライン統合医療講義」として、連続していきたいと思います。統合医療の概略を、テーマを変えながら解説していきます。これまでの講演依頼された内容を改変し、一回のみの参加でも理解できるように各回独立した形式にします。まずはじめは、全くの入門者向けで、今後の基盤にもなる入門編です。質疑応答も受け付ける予定ですので、専門家の方でも参考になるのではないかと思います。

 参加希望の方は、cinema_sakupon@yahoo.co.jp (担当:川浪)までご一報ください。折り返しZOOMの詳細をご連絡いたします。

「統合医療入門」5月22日金曜 17:30~

 統合医療とは何か、補完・代替医療とは何か、から始まり、ワイル先生によるアリゾナ大学の統合医療プログラムの紹介や、ルルドの泉についても解説予定です参加費無料ですが、盛りだくさんでお話ししようかと思いますので、是非ご参加ください!

事前に用意して頂く必要ありませんが、念のため参考図書は以下のものになります。




2020年05月16日

お城へ To Go (鉢形城)

 統合医療オンライン(ZOOM)相談を行っております。
遠方の方や自宅滞在のまま統合医療の相談・診療をご希望の方は、03−3357−0105まで(詳細はお電話にて承っております)。お問い合わせのみでもご遠慮なくどうぞ。


 

 今回は北武蔵の要、鉢形城(18・埼玉)です。押印は平成21年の3月29日でした。このころは100名城のスタンプを開始したばかりでしたので、快調に関東の諸城を立て続けに制覇していました。
 初めて訪れた際は、車で荒川にかかる正喜橋を渡った、まさに崖の上にある城といった印象。ちょうど桜のシーズンでしたので、敷地内にある「エドヒガン桜」がとてもきれいに咲いていました。

 長尾景春によって築城された鉢形城は、同氏が山内上杉に反発して立てこもった「長尾景春の乱」の舞台となった城。後に武田の侵攻や、豊臣による小田原平定戦において防戦を展開した実践経験豊かな城です。広々として眺めもよく、併設された資料館も充実しているので、とても勉強になりました。

 深沢川と荒川の合流する点の突端に笹曲輪が位置し、その奥の一段高い場所に本丸(御殿曲輪)があります。荒川越しに眺めると、難攻不落といった感じですが、二の丸、三の丸と土地が次第に開けていくので、反対側からの侵攻が弱点であり、そのため石積み土塁や堀などの防衛設備が整えられています。攻めるならこちら、といった感じでしょうか。

 実際にここを攻めた「北陸支隊」は、四方から包囲し(東方・前田利家、南方・上杉景勝、西方・本田忠勝、北方・真田昌幸)一斉に攻撃、中でも大打撃を与えたのが、本田忠勝による南西の車山から大手方面へ向けての大砲攻撃といわれます。これにより北条氏邦は降伏、開城します。このとき氏邦は、前田利家に助命され、後に金沢で没するのですが、これがのちの八王子城攻めなどに大きく影響します。つまり、この措置が手ぬるいと、秀吉に評価されることになるのです。

 一度、こうした評価を受けると、このぶんを次の戦にて挽回しないといけなくなるわけです。これにより八王子城や山中城をめぐる戦いが激化し、悲惨な結末へとつながっていきます。しかし、これがのちの小田原城の開城の伏線となるので、仕方ないといえば仕方ないのですが、局所戦だけでは評価できない良い例といえるかもしれません。

 良かれと思ってうった一手が、全体の中で、自らを次に追い込んでしまうということは、往々にして様々な場面でも見られることです。
 城めぐりにおいても、他の城と併せて考えることで、より多くの情報が得られることは少なくありません。


武州鉢形城 (1963年)
井伏 鱒二
新潮社
1963T