注意事項
本HPは「統合医療」に関して、その概念および実際を紹介することを目的とするものであり、個別の疾患や診療内容の相談には応じかねます。また、内容に関しても、実際に個人の判断で適応した際のあらゆる責任は負いかねます。実際の診療に関する事項は、医師にご相談の上、施行されることをお勧めします。
小池統合医療クリニックへ

2021年04月11日

「利他」とは何か

 コロナ禍の時代における一つのキーワードとも言える「利他」について、伊藤亜紗、若松英輔、國分功一郎といった私の気になる論者が連名で書いている本を見つけたので買ってきました。『利他とは何か』(集英社)です。



「利他」とは何か (集英社新書)
磯崎憲一郎
集英社
2021-03-26




 まあ、こう書くといかにも偽善的なので気が引けるのですが、ジャングルカンファレンスなどの、医療における多元主義の展開を企図するものとして、利他は避けては通れないものでもあります。

 利他というキーワードは、当然「利己」と密接な関係があるので、或る意味それを強調したとたんに厭らしいものに転化する可能性をもつものでもあり、本書の中では若松先生により、そうしたことへの言及もされているようです(というのも、これを書いている段階ではまだ未読ですので…スミマセン)。ただあとがきなどを読むと(あとがきから読む派です…)、この「利他」の持つ構造のようなものを「うつわ」に譬えているようです。

 ジャングルカンファレンスやジャングルカフェといった多元的な会合を主催しているものとしては、これは結構、納得の言葉でした。とりわけ、今週木曜日開催予定のジャングルカフェに向けて、課題図書である『モモ』を読んでいる途中でしたのでなおさらでした。

 具体的には、第2章の小さな酒場での二コラとニノのもめごとの段がすぐに思い出されました。論理的な解釈をするでもなく、モモはただじっと座って注意深く話を聞く、それだけで争いは解決していくという話です。まさに「うつわ」を彷彿とする話ではないでしょうか。
 当然、この物語は「灰色の男たち」がキーワードになる話ですが、こうした序盤のエピソードにもカンファレンスとの共鳴する点が潜んでいるように感じます。

 利他ということばとの共通点を偶然見つけたような感じになったのでさっそくメモしてみました。

 ジャングルカフェの参加希望の方はこちら!

2021年04月10日

お城へ To Go (七尾城)

 上杉謙信を撤退させた山城、七尾城(34・石川)です。押印は平成231023日、七尾城史資料館にて押しました。

 ここはいろいろと思い出のある和倉温泉の近くで、かつて大学院生の時に医局旅行できた地なので、感慨深い再訪とともに、こんな立派な山城があったのかと、感動したものでした。

 ふもとの資料館から途中まで車で上がり、本丸へ向かいました。ここは本丸からの眺めが絶景で、眼下に七尾湾、能登島が一望でき、ふもとの様子もよく見えます。籠城する畠山軍からすると、さぞや上杉軍の動きがよく見えたことは想像できます。
 こうした立地の良さも相まって、難攻不落の城として今日まで語られるわけです。

 足利義昭による織田包囲網の一環として、一向一揆と和睦した謙信は、織田軍に対抗するため、能登制圧のため七尾城を攻略しました。
 対する七尾城側は、4歳の春王丸を当主に家臣団が実権を握っている状態で、信長に与して謙信に対抗する方針をとっていました。

 こうして開始した第1次七尾城の戦いは、上杉軍が攻めあぐね、ついには春日山城へと帰陣していったため、籠城成功となりました。
 この後、上杉軍は再度出陣し第2次七尾城の戦いとなります。この際も守りは固く、上杉軍が攻めあぐねるのですが、城内に突然の伝染病が蔓延、春王丸が5歳で亡くなってしまいます。(伝染病により歴史が動いた一例ですね)
 また城内の兵士も相当数が感染したと伝えられます。これにより士気は落ち弱体化し、さらには重臣らの対立を利用した内応工作が成功し、開城します。(感染症による混乱もあったことでしょう)
 つまり軍神、謙信をもってしても純粋に戦闘では落とせなかったわけで、これが難攻不落と称されるわけです。

 和倉温泉は、沸く浦とも称されるように海中から温泉が湧いているところで、海を眺めながら温泉につかれる絶好の地です。温泉も塩味がつよい泉質です。

 城郭に興味がなくても、この七尾城からの絶景は、温泉と合わせておすすめの観光スポットです。


七尾城と小丸山城―史料年表能登の中世戦国史
坂下 喜久次
北国新聞社出版局
2005-09T


和倉温泉のれきし
田川 捷一
能登印刷・出版部
1992-01T





2021年04月08日

三叉神経痛へのファッシア瘀血の関与について

 毎年冬から春にかけて、ビタミンDの欠乏をベースにもっているからなのか、神経系の不調とりわけ三叉神経痛(とくに第2枝・第3枝)の悪化で受診される方が増えるように感じています。

 栄養的な対処法としては、血液検査で欠乏している栄養素を探索し、十分な分量を補充するのですが、とにかく痛みが強いため、その場での対応が求められることがすくなくありません。
 こうした時に、効果を発揮するのが「刺絡」です。頭頸部のうっ血を背景として、三叉神経の当該部位近辺で瘀血が発生し、そこから発痛物質が神経を刺激するメカニズムを想定しています。

 教科書的には、付近の血管による三叉神経の圧迫が痛みの原因とされていますが、実際に圧迫されているケースに加え、それほどでなくてもファッシアを介して物理的もしくは化学的刺激がもたらされている可能性もあるのではないかと考えています。
 当然、症例数が少ないので決定的なことは言えないのですが、数例でも瘀血を除去する刺絡により著効した例があるので、ファッシア瘀血の関与は否定できないように感じています。手術法である微小血管減圧術も、結果としてみるとファッシア瘀血による影響の軽減を図っているとも解釈できます。

 通常の治療が優先するのは言うまでもないのですが、それでもスムースに治癒しない例では、こうしたもう一つの機序が関与している可能性も否定できないのではないでしょうか。
 また典型的な三叉神経痛だけではなく、特殊な感覚異常を伴うものもあるようですので、少し症例の蓄積が出来たらまとめてみたいと考えています。
 最近の治療経験から気になった事項でしたので、メモしておきました。


2021年04月07日

4月29日甲野善紀先生との対談 オンライン配信

 甲野善紀先生との対談が決定しました。4月29日(昭和の日)にオンラインでの配信となります。詳細はまだ私もわからないのですが、わかり次第ここでご連絡します。
 当日の紹介文として、甲野先生による紹介文と、私からのものとの2つを下記に添付しますので、ご参考にしてください。

甲野先生からのメッセージ

小池弘人・小池統合医療クリニック院長と御縁が出来たのは、今からもう四半世紀ほど前で、

小池院長が、まだ群馬大学の医学部の学生の頃だったと思う。

当時合気道部に所属し、稽古を重ねるうちに生じてきた疑問を何とかしたいと、

私が講師を務めていた池袋コミュニティカレッジの講座に来られたのである。 以来、浅からぬ縁が出来、私がかつて学んでいた合気道に疑問を感じて合気道をやめ、

武術稽古研究会を立ち上げたことに影響されたかのように、群馬大学合気道部の中から

「同志会」という会を立ち上げられ、独自の研究を始められた。 つまり、自分の中に生じた疑問には蓋が出来なかったということだと思う。

「同志会」は群馬大学合気道部の中に生まれた「鬼っ子」的存在だったようだが、

この「自分の中の疑問には蓋が出来ない」という小池院長の性格は、

専門の医学の道でも発揮されていて、一応は医師免許を取得した現代医学の医師であるが、

統合医療という、いわば患者側の立場に立った、有効なものなら鍼灸でもホメオパシーでも使うという

なかなか一般の医師では踏み入れない世界に入って、日夜研究を重ねられている。 それだけに、小池院長は大変柔軟な思考を持たれていて、

8年ほど前に『武術と医術』という共著を御一緒し、その後も年に2回か3回ぐらいは会って、

いろいろと話をすることを楽しみにしている。 今回の対談では、小池院長が大きな影響を受けたと思われる「縮退」のことや、

最近私が関心を持っている「腸と脳との関係」について、いろいろと話が盛り上がることになると思う。
広い視野に立って「身体とはどういう働きを持っているか」ということへの

探究心を持ち続けている小池弘人院長との対談は、こうした事に関心を持たれている方々にとっては

大変興味深いものになると思いますので、どうぞ御視聴ください。



小池からのメッセージ

学生時代の合気道の稽古では、力を抜け、とよく注意された。力を入れないのだから、筋肉をつけなくてもよいのかと思っていると、肩が脱臼したり、ケガが続いた。また「呼吸法」という稽古では、相手につかまれても力を抜いて腕を上げろと言われるが、当然脱力したら腕は上がらない。当時は部長までやってそろそろ引退、という時期であるにもかかわらず、根本的な事柄から、かえってわけがわからなくなるばかり・・・

 

こうした状況で出会ったのが甲野先生でした。通常、講習会などでは直接体験させてもらうことも少ない中、先生は実際に腕をもって技を体験させて下さいました。この時、とても印象的だった技が「柾目返し」。合気道でいう「呼吸法」に似た、自分が最も疑問に感じていた技でした。これが渾身の力を込めて抑えても、いともたやすく上がってしまい、これまでとは違った世界の広がりに、心躍った記憶が今でも思い起こされます。

個人的にはこの「柾目返し」にこだわり続け、今や先生のオリジナルとは随分と違ったものになってしまいましたが、今でも気が付くと感覚的に脳内で反復している技ではあります。先生にも「最近、稽古していますか?」と問われ、当然学生時代の様には稽古していないのでそのように返答しているのですが、この感覚の反復というか「確認」は常に継続してきました。先日も、肥田春充の聖中心についてのお話しをしていた時に、短時間での特殊な感覚の「確認」の重要性を知り、改めてその反復の意味を嚙み締めました。

 

力を入れずに入れる、相反する矛盾をどのようにして体現するかというテーマは、そのまま現代医療と代替医療との対立を、個人のレベルで統合・解決しようとする「統合医療」の目的そのものでもあります。

東洋医学と西洋医学、見えるものと見えないもの、正統と異端、心と体、脳と腸、図と地の関係としての解剖構造とファッシア、などいくつもの相反する視点でも、同様の問題が垣間見えます。総じて私はこうした「相反」する領域に強い興味をもっています。

 

この度は、先生の武術から拓かれた医学や身体への視点を皆様と共有出来たら幸甚です。とくに現代医療の在り方について疑問を持たれている方や、統合医療という分野とその武術との関連性等に興味を抱かれている方々に何らかの参考になればと考えております。どうぞよろしくお願いいたします。




2021年04月05日

臨床ファッシア瘀血学(11)肥田式「聖中心」から思うこと

 前回は、臨床的な事柄から推測される連続性と局所性をキーワードに、これまでの話をまとめてみました。そこから今回は少し想像の羽を羽ばたかせて、いわゆる超人の技法との関連性などを考えてみたいと思います。

 甲野善紀先生との勉強会の話題は、以前このブログでも少し紹介しましたが、ファッシアと肥田式との関連についてです。
 肥田春充は、いわゆる丹田とされる聖中心を、自ら創出した技法の中心にしていったわけですが、その位置を、解剖学的構造ではなく、幾何学的な説明により提示していました。つまりランドマークは解剖的な構造ですが、聖中心というものを示すには「円」を規定しその中心としました。
 そしてその中心を、腰椎からの直線が通過している説明図を提示しています。つまり考え方によっては、それぞれの解剖的な構造物との関係性、位置を規定する張力のようなもの、と考えてもよいのかもしれません。これまでのファッシア理論からすると「O-F」にあたる関係です。

 また、甲野先生からの示唆で気づいたのですが、球状の円(球)が規定されているのですが、これには何らかの実体があるのではないか、という考え方もできます。ここ(球)に臓器の実態を当てるとすれば、それはまさに「腸管」、特に腸間膜に吊り下げられえた小腸となります。(甲野先生は腸管の何らかの膨張を想定されているようです)
 この小腸は後腹壁から「フレアスカート」状に吊り下げられ、斜め下方向に集塊をなす様は「球」といえなくもありません。
 学生時代の解剖学での記憶と合わせても、この「聖中心」と考えても矛盾なさそうに思います。
 ただしここで注意すべきは、聖中心が腸管であるか否かという問題ではなく、肥田春充が幾何学的に表現したものの位置に、そうしたものが存在するという意味だけです。安易な同一化をしようとするものではありません。
 こうした問題は「三焦」の捉え方にも適応できます(三焦を東洋医学の教科書的に捉えるだけでなく、腹腔動脈、上腸間膜動脈、下腸間膜動脈から腸間膜が栄養されるさまを三焦としたのではないか、という視点も実際の解剖所見からするとアリなのではないかとも思います)。機能総体としての三焦ではなく、何らかの「実体」を古人は捉えていたのではないかという考察です。これは大きな塊のように見える腸間膜と周辺の脂肪組織を古人は一塊の臓器として捉えていたのではないか、そしてそこには臓器としては当時認識されていない「膵臓」も含まれてきます(実際の解剖所見としては全てが一塊に見えます)。

 そしてこのフレアスカートの吊りあげている視点が「腸間膜根」となり、後腹壁を左上から右下へ向けて、腰椎を跨いで下降しているのです。解剖的に腰椎1番2番あたりから下降しているので、横隔膜後脚が3番あたりまで来ていますので、呼吸におけるファッシア的な連動は十分考えられます。
 そしてその終結は右側の仙腸関節上部に至ります。つまりここもファッシア的な接続を考えることができます。つまり骨盤調整との連動の可能性です。この「根」は当然、腰椎4番5番あたりで腰椎を跨いでいるので、いわゆるヤコビー線と腰椎との交点を、肥田春充が示唆しているのと関連するようにもみえます。腸間膜根の吊り上げ作用の重心が、腰椎4番5番の意識や調整と直接関連することは容易に示唆されるでしょう。

 なぜ肥田春充が、こうした幾何学的な説明によりその位置を示そうとしたのか。それこそが当時(今もそれほど大きな変わりはありませんが)の解剖学がファッシアの存在を、半ば無視していたことと無関係ではないように思います。
 解剖実習を行った経験がある人であれば、すぐわかることですが、解剖実習とはこの「ファッシア」から、いかにして目的の「臓器」取り出すか、つまり見やすくするかにつきます。ファッシアは取り除かれるべき「不要物」であり、臓器の「背景」にしか過ぎないというわけです。

 解剖するという行為の究極が、解剖学の図譜や教科書ですから、そこには当然ファッシアの記載はありません。いくら肥田春充が超人であったとしても、当時の(今も?)解剖図に記載されていないものを、実体として認識していたとは思えません。これは近年、「ニューズウィーク」誌に皮膚を上回る「巨大な臓器」としてファッシアの発見が報道されたことからも、「存在していた」にも関わらず「認識されていなかった」臓器であることがうかがわれます。

 春充は、自らの体感と、熟読した解剖書とを見比べて、その関係の体感を幾何学的に示そうとしたのではないでしょうか。これは眼光紙背に徹するかの如く解剖書を読み込んだであろう春充の、正確な解剖的知識があればこそ、「そこにないもの」を記載することが出来たのではないと考えます。「在る」ものを強く意識するほどに、認識の反転が生じた際に「ないはずのもの」がより強烈に認識されてくるのではないか。「図と地の反転」を基盤として考えるべき、ファッシアとの関連がここに出てくるように思います。春充の聖中心の体感の瞬間などは、まさにこの認識の反転として捉えることで、理解できるのではないでしょうか。

 腸間膜根から壁側腹膜として折れ返ることで、腸管の状態が全身へと接続されます。これはまさにファッシア論でいう「O-F」の引張構造で説明されます。
 室町時代に隆盛を極めた「腹部打鍼術」が、腹部のみの刺激で、全身のあらゆる症状に対応していた事実からも、この関係は意外に大きな連携を有していることが推測されます。
 進化学的にも体幹である腹から四肢が形成されてきたことを思うとその中心が「腹」の「腸管」にあることも矛盾しません。ここに「火事場の馬鹿力」発揮のカギがあるようにも思えます(甲野先生のご指摘による)。
 こうした身体(とりわけ四肢)の関係のみならず、近年は「脳腸相関」として神経系との関連が最新医学のテーマとしても注目されています。神経伝達物質において、脳→腸、または腸→脳の関連が、詳細に研究されています。こうした関連においても、腸管の占有する位置が、その機能に関係する可能性は大いにありそうです。

 腹腔内での腸間膜と腸管を一塊としたものの位置により、四肢における運動能力が大きく影響される可能性を、聖中心は持っているように思われます。そして加えて、それらの正しい位置関係が、「脳腸相関」においても生体に有利に働く可能性も想定されます。(筋膜の張力の均等化や、結合組織表面における水分子の量子的ふるまいの正常化、等が要因として考えられます)

 筋トレにおける筋肉のイメージのように、腸の塊の鮮明なイメージ化によって身体的かつ精神的な超絶した能力の開花が可能になるのではないか、そんな可能性を「聖中心」は与えてくれるのではないでしょうか。




機関誌 聖中心道
肥田 春充
NextPublishing Authors Press
2019-12-04






2021年04月03日

お城へ To Go (和歌山城)

 徳川御三家の居城、和歌山城(62・和歌山)です。押印は平成25114日でした。

 この城は、豊臣秀長により築城され、関ケ原の後、浅野幸長により天守が建造されています。天守は太平洋戦争において米軍機の空襲により焼失、1958年に外観復元されたものが現在の姿ということになります。

 浅野はその後、さらなる加増により広島藩へ移封、代わりに徳川頼宜が入城し、以後250年にわたる紀州徳川の時代になります。
 徳川頼宜による城下町の拡張や城郭の改修が大規模であったため、途中、幕府から謀反の嫌疑をかけられるなどもしたが、入念な普請がこうした嫌疑につながったものと言えるでしょう。たしかに和歌山城をみると実に立派で、こうした嫌疑も、なるほどと思ってしまいます。
 市内の至る所から天守が見え、お城に見守られる町といったイメージぴったりです。

 訪問時の思い出としては、和歌山ラーメンを食べてから城郭を見学。その後、城内を散策していると突然の大雨。やっとの思いでトイレに駆け込みましたが、すでに大勢の人が逃げ込んでおり、びしょぬれになってしまいました。こういう記憶は明確に記憶に残りますよね。

 ちなみに和歌山ラーメンの店にいくと「早すし」と称して、鯖ずしがあるのがご当地流。自然発酵のなれずしと区別するために「早」とついているそうなのですが、ラーメン屋にすしと書いてある違和感は印象的でした。











2021年03月29日

臨床ファッシア瘀血学(10)連動性と局所性(これまでのまとめ)

 これまでファッシアと瘀血に関しての境界領域を中心に、臨床的な理論を述べてきましたが、この辺りで少し概略をまとめてみたいと思います。

 鍼灸医学から量子医学まで、「ファッシア瘀血」を中心軸にしてきましたが、中でもファッシアの解剖学的な連動性と、瘀血を中心に出現する慢性炎症の局所所見が、その病理の中心を担います。つまり以下のようなまとめになります。「連続性」と「局所性」という二つの視点から、「ファッシア瘀血」の展開までをまとめてみました。

ファッシアの二大病理

1)連動性:ファッシアの特徴でもある引張構造による「引張性」だけではなく、そのコラーゲン線維により形成される「導管」(プレリンパを内包)としての役割も含む。病変としての重積により引張構造が破綻し、運動性が低下し、それに伴い瘀血病変が増悪するのが主な病理である。

2)局所性:局所的な慢性炎症により、免疫細胞が線維芽細胞を刺激するサイトカインを放出し、コラーゲン生成が促進された結果、過剰に配列不規則なコラーゲン線維が生じて「線維性癒着」や「重積」を生じる。そこには毛細血管の渋滞箇所が形成され瘀血が発生する。このモデルを「ファッシア瘀血」と本ブログでは仮称している。さらにはファッシアを形成する栄養成分の欠乏により、不完全な線維形成も局所病変の悪化を加速する。


具体的技法・理論との関連

1)連動性に関しては、ファッシア概観の水平構造を規定する「O−F」と垂直構造を規定する「A−F」が全体像をなす。詳細な機能解剖学的視点では、東洋医学的(鍼灸的)視点が有用で、自由電子による直流電流を基礎とした「正経・奇経」、神経細胞を介する交流電流や物理刺激を基礎とした「経筋」、力学的な張力を基盤とした「アナトミートレイン」が直観的に理解しやすい。応用編としては、ファッシアの連絡路を介した「熱」「(生薬の)有効成分」などの伝導を示した「経方理論」の隔を中心にした関連図も連動性に分類できる。これは腹診などの漢方的所見との橋渡し的役割を有するものでもある。腹診に限らず、東洋医学的体表観察一般に拡大できる可能性がある。かつて「帰経」によって無理に鍼灸と湯液との統合が模索されたが、より合理的な形で実現される日も近いと考える。

2)局所性は何より炎症所見に代表される。ファッシア瘀血により形成された慢性炎症所見により、マクロの「瘀血」が形成される。これが神経・血管との連携を経て、凝りなどの硬結や多彩な腹診所見を形成する。加えて、瘀血を「病巣」ととらえることで、遠隔臓器にまで悪影響を及ぼすことが推測される(病巣感染)。
 また局所での重積による疼痛は「筋膜リリース」「ハイドロリリース」などの方法により解決される。栄養による局所の慢性炎症対策も有用である。
 視点をさらに微視的にすると、量子論との関連も示唆される。生体マトリックス表面の結合水の同調状態が何らかの原因で乱された場合、微細な電流や、ホメオパシーなどの秩序を有する水分子の痕跡を介して復調される可能性がある。全身くまなく連続していると考えると、その表面の結合水の影響は想定外に大きいと言えるだろう。この視点からホメオパシーと鍼灸との接点を見出すことができると考えている。



2021年03月28日

来月のジャングルカフェの課題図書は「モモ」!

 来月のジャングルカフェの課題図書は、「モモ」です。読んでいない人は読んでみてくださいね。みんなで統合医療的に語りましょう!

  
参加希望の方、気になる方は
こちら(統合医療カンファレンス協会)まで!



モモ (岩波少年文庫)
大島 かおり
岩波書店
2017-07-20






2021年03月27日

お城へ To Go (高取城)

 標高583mの山頂に聳え立ち、数多くの櫓を有する高取城(61・奈良)です。押印は平成25112日で、観光案内所「夢創舘」で押しました。

 初の訪問時は、本丸まで登ってから帰路に立ち寄り、CGによる当時の建造物を紹介する映像を見せていただきました。上ってきたばかりでしたので、なんとなく場所は把握できましたが、現状の鬱蒼とした森から、往時の様子を再現された映像はにわかには信じられないほどのギャップがありました。

 山頂の本丸近くでは、イノシシによるものだと思われる土を掘り返した跡やらがいくつもあり、ビビっておりました。また、観光案内所の前をイノシシが疾走していくこともあるということでした!
 それが2度目の訪問時には、まだ本格的に山の中に入らぬうちから、私よりも大型のイノシシが突如出現。これはまずい!と思った瞬間、向こうも同様に感じたのか、急な斜面を駆け上がり逃走してしまいました。これまでこれほど大きなイノシシを間近で見たことがなかったのでしばらくは恐怖にオノノイテおりました。あらためて山城の危険性を肌で感じた出来事でした。高取城というとイノシシしか思い出せないくらいです!(笑)

 夢創館から結構な山道を登り、七曲・一升坂という大手道をさらに上がると、水堀・猿石・二の門跡にでます(この猿石はなんどみても不思議な感覚に襲われます)。そこからさらに上がると三の丸、二の丸と続き、本丸に至ります。
 本丸は初めて見るとかなり衝撃的な迫力です。ラピュタの世界に迷い込んだような感覚になります。山城好きは是非見ておくべきところです。(最初は本丸裏手近辺までタクシーで上がりましたが、やはり大手道から苦労して登ったほうが本丸の衝撃は大きいようです。是非とも初回は大手道からの登山をお勧めします!ただし山歩き用の装備は必須です!)

 帰りは壺坂口門跡から降りていくと、壷阪寺に至ります。ここでバスに乗ることができます。バスの時刻に間に合わせようと駆け下り、大変くたびれました…(バスの本数が少ないので要注意です)

 高取城は幕末においても歴史の表舞台に出ています。尊攘派の天誅組が高取城を攻略しますが、これを撃退し、その防衛力の高さを見せたのでした。易々とは攻略できない城郭だということが体感できました!

 奈良というと、石舞台などの古代遺跡や大仏のイメージですが、そのすぐ近くにこれだけの山城があるというのは一般にはあまり知られていません。定番の奈良観光に加えて、一度訪れてはいかがでしょうか。鹿だけでなく、猪にも会えるかもしれません(笑)






高取城
2017-01-30







2021年03月25日

甲野善紀先生との勉強会

 先週末は久しぶりに、甲野善紀先生と稽古会のような勉強会のような時間をとらせて頂き、ゆっくりとお話をすることが出来ました。

 甲野先生とは、最近の技の進展に加え、肥田式の「聖中心」についての先生独自の見解に関して、お電話でお話しする機会があったのですが、その延長のような勉強会となりました。

 聖中心に関して、丹田を意識した力みのようなものではなく、実際に腸管の何らかの変化を伴った独自の感覚ではないかという先生の考えを伺い、最近の私の関心事でもある「ファッシア」について解説させて頂きました。
 身心工房リボンからも二人参加し、私の考える武術とファシアの関連を考察してみました。これにより、先生からのいくつかのご質問やコメントなどに促され、これまで気づかなかったような視点をいくつも得ることが出来ました。

 こうした具体的に事柄に関しては、追々、「臨床ファッシア瘀血学」のコーナーでまとめたいと思いますが、ポイントはやはりファッシア、とりわけ腸間膜との連携です。
 腸間膜自体が、一つの臓器のような認識をされていたのではないかという指摘は、漢方の大家である寺澤先生をはじめ幾人かの指摘するところでもあり、これをもって三焦ではないかという推測もされます。そしてこの三焦が、脂肪組織に埋没する膵臓との関連も言われてきております。
 そしてこの腸間膜の付着部が腰椎をまたいで左上方(横隔膜後脚近辺)から右下方(右仙腸関節部)へと連続し、後腹膜として折れ返って背部へとつながります。当然これは、体幹全てと連続しながら、四肢へもつながります。かつての腹部打鍼などで全身の治療を行っていたことを考え合わせると、こうした腹膜から、四肢への特別な関係もありそうに思えます。

 肥田春充の学んだ時代の解剖学では、まさに無視されていたファッシアという概念。この概念をひとつの補助線として、彼の超絶した聖中心の力への何らかの新解釈が可能ではないかと、ワクワクする思いを得られた勉強会となりました。




2021年03月24日

第2回基礎医学塾@zoom講座 申し込みフォーム

 基礎医学塾、生化学の勉強会参加の申し込みフォームのお知らせです!

 ZOOMでの開催となりますので、どなたでもご参加ください。テキストは各自でご用意ください。

2021年度第2回基礎医学塾@zoom講座

 

2021年3月26日(金)

18:30〜20:30

(※質疑応答を含み、20:30まで)

参加費・・・2000円

 


【参加申し込みフォーム】は

↓↓↓こちらから

https://forms.gle/kA6fcgE1j5e9tUEg7


今週の生化学の勉強会資料

 今週末26日の金曜日、生化学の勉強会です。今年第二回目の開催です。前回は、糖代謝を中心に、エネルギー代謝の概略を勉強しました。今回は、脂質代謝とアミノ酸代謝(含糖新生)です。テキストでは第5章と第6章を読んでいきますので、あらかじめ目を通しておいてください。講義ではなく読書会形式ですので予習は必須です。以下、テキストになります。






第5章
(1)単純脂質・複合脂質・誘導脂質
(2)脂肪酸合成
(3)糖質で太るメカニズム
(4)中性脂肪とカルニチンシャトル
(5)脂肪酸分解(β酸化)
(6)ケトン体の合成
(7)メバロン酸とコレステロール合成
(8)コレステロールの輸送(外因性経路・内因性経路・逆転送系)(ひと目でわかる生化学)
(9)不飽和脂肪酸
(10)エイコサノイド(プロスタノイド・ロイコトリエン)

第6章
(1)アミノ酸合成の第一歩・グルタミン酸合成
(2)非必須アミノ酸から合成される窒素化合物(プリン塩基とピリミジン塩基・ヘム・グルタチオン・クレアチン・タウリンと胆汁酸・アミノ糖)
(3)必須アミノ酸から合成される窒素化合物(カテコールアミン・メラニンとチロキシン・ヒスタミン・セロトニンとメラトニン)
(4)呼吸代謝への合流(糖原性アミノ酸・ケト原性アミノ酸)
(5)糖新生
(6)オルニチン回路

2021年03月21日

臨床ファッシア瘀血学(9)経絡・経別・奇経・経筋との関連

 筋膜と経絡との関連性のみを指摘していても、臨床的にはあまり役に立たないので、今回はその具体的な「変換」を試行してみたいと思います。鍼灸医学における各概念との比較です。

 筋膜に関する概念は、Steccoによる「筋膜マニュピレーション」の用語が臨床的に使いやすいので、そちらを参考に鍼灸の概念と対比してみます。
 まずは臓器との関連で、臓器ー筋膜単位として「OーF」が仮定され、これが頸部、胸部、腰部、骨盤部の内臓筋膜と、水平方向の引張構造としての関係をもち、臓器をつりさげます。
 「OーF」単位によるヨコ(水平)の関係に対して、タテ(垂直)の方向の関係性が、器官ー筋膜配列としての「A−F」配列となります。これは文字通り身体のタテ方向を走行し、体幹を吊り橋と考えると、その懸垂線(カテナリー)を構成します。その系列は3種類で、内臓配列、血管配列、腺配列と称され、上肢、頭部、体幹、下肢と走行し、経絡との類似性が提示されます。対応は以下のようになります。

内臓配列:手太陰肺経・手陽明大腸経・足陽明胃経・足太陰脾経
血管配列:手少陰心経・手太陽小腸経・足太陽膀胱経・足少陰腎経
腺配列:手厥陰心包経・手少陽三焦経・足少陽胆経・足厥陰肝経

 次にこの「A−F」配列が、内臓筋膜との「OーF」単位に接続する流れが想定されますが、それが臓腑との関連で考えると「経別」ということになります。
 つまり、各配列の手と足の組み合わせを一組として考えると、六つの組み合わせが形成され、それを「合」とすると、一合〜六合の経別となります。これにより、内臓から体表までが連続するものとして記載されたことになります(経別は深層の臓腑まで潜り込むので)。

 さらに構造的に考えて、「OーF」単位より「A−F」配列は密な関係にないですから(空間的な半身に対して3つのループが走行するだけですから)、各配列間にはそれらを連絡する「間隙」が想定されます。
 この間隙は各「A−F」配列にとっての、緩衝地帯としても考えられることから「奇経」が類推されます。それゆえに、この奇経に邪気が流入すると、熱をもち瀉血を要するということになるのでしょう。この辺りの関係は、瘀血病変における「細絡」の形成に似ているのではないでしょうか。

 内臓と関連するファッシアとしての「OーF」単位・「A−F」配列とは幾分系統が異なり、四肢を中心にして、筋肉と神経も包含する筋膜(ファッシア)もあります。文字通り筋肉を包み、支配神経とともに走行しながら全身に分布する「経筋」です。
 当然先ほどの経絡と密接に関連しながら、中枢神経である脳・脊髄の方向に「求心性」に走行することになるため、その流注は異なります。
 また一般に、その流注においては、経穴はないとされ、類似の「穴」は、解剖学的な筋肉の起始・停止において、一定の面積をもつ領域であるとされます。また、パルス刺激や「やいと」などの物理的刺激への反応性の良さを考慮すると、解剖学的範疇でとらえることの出来る存在ともいえます。
 交流波であるパルス刺激での臨床効果から類推できることは、この機序は、経絡現象における直流波での効果とは異なるものであるということです。
 経絡現象が直流であることは、中谷博士の良導絡理論からも実証できますし、ベストセラー『閃く経絡』などでも繰り返し述べられています。つまり半導体としてのコラーゲン内部を流れる自由電子こそが、正経(経別を含む)や奇経における媒体で、経筋はこの媒体が異なるからこそ、その刺激方法も異なるという説明が可能になるのです。
 さらに述べるなら、アナトミートレインとは、こうした経筋の概念に加えて、構造的な接続、力学的な接続性が強調されたものと理解できるでしょう。ファッシア概念から始まり、東洋医学から一周廻って、西洋に戻ってきたような形ですね。

 今回は、ファッシアの構造的な分類から、東洋医学への展開を具体的に追ってみました。具体的には、十二正経とその経別、奇経、経筋、そしてアナトミートレインまでの流れを見たことになります。依然として概念の混乱の多い領域ですが、ファッシアという概念を介することで、ずいぶんと整理されてくるのではないかと思います。







2021年03月20日

お城へ To Go (赤穂城)

 今回は忠臣蔵で名高い赤穂城(60・兵庫)です。押印は平成21922日で、当時は急速に城が整備されているといった雰囲気でした。
 かつての空撮写真をみると、本丸内部にはドッカと赤穂高校が占拠しており、二の丸、三の丸も未整備のような感じですが、2000年あたりから民家が少しずつ減り、平成21年の写真では随分と整備が進んでいる様子が写真からも見て取れます。
 訪問時は、同日に姫路城を訪問してから、電車移動で伺いました。

 赤穂城は、甲州軍学に基づいて築城された城といわれ、屏風折れの土塀、多角的な曲輪、枡形虎口の城門などが特徴とされます。
 本丸の形状が、やや星形に近いのもこうした影響なのでしょう。軍学というものが実際にどこまで有効性があったのかはわかりませんが、平和な江戸期に入り、築城方法なども形而上的な虚学的な要素をはらんできたのではないでしょうか。こうしたことから、平和な時代における形式的かつ形骸化した縄張りであるという批判も目にします。

この城の歴史的な事件といえば、なんといっても忠臣蔵です。浅野長矩の代になり、松の廊下で吉良義央を切りつける刃傷事件起こしてしまい、長矩は即日切腹、浅野家断絶、赤穂藩も幕府領となってしまいました(ここから忠臣蔵が展開していくわけですね)。その後、永井家が一時入りますが、森長直が入ってからは森氏が12代続き、明治に至ります。
 近隣には、大石内蔵助屋敷地を中心に大正1年に創建された「大石神社」もあり、忠臣蔵を偲ぶことのできる城です。

 戦国期から平和な時代へと移行していく中で、城の形態も戦闘を前提にしたものから、都市の発展や交易との関連を重視するものへと移行していきました。そうした意味では、河口の三角州に、海に面して築城されたこの城は、いわば晩期の築城の特徴をよく示すものともいえるのではないでしょうか。

 時代時代によって城の持つ意味は変化していくようです。そうした意味でも、この城の過度の縄張りの形骸化も、何らかの意図、意味、が前提にされていたのではないか、ということをナワバリストの西股先生は書かれています。では本当の意図、築城の前提条件、みたいなものは何だったのでしょうかね。個人的には養老先生の言うところの唯脳論的な視点が発現しているようにも思うのですが。

 ちなみに西股先生の著書を最近読んでいるのですが、これがとても勉強になって面白いです。通り一遍の城郭の理解しかしてこなかったことを痛感します。とりわけ山城に関しては新た視点を持つことが出来、これからの城巡りがより楽しくなりそうです。この城(赤穂城)への深い視点もとても勉強になりました。おススメです!



赤穂城断絶 [DVD]
三船敏郎
TOEI COMPANY,LTD.(TOE)(D)
2020-10-14




決算!忠臣蔵
岡村隆史
2020-05-02















首都圏発 戦国の城の歩きかた
西股 総生
ベストセラーズ
2017-04-21




2021年03月15日

臨床ファッシア瘀血学(8)ファッシア信号系

 前回は「波動医学」というエネルギー医学の一つの視点を再考してみました。こうした身体全体をいわば無形化した発想を経過して、どのようにエネルギー医学的な視点を身体へと戻すか、という視点で今回は見直してみたいと思います。

 そうした視点ですでに大きな問題を提示していたのが、鍼灸における神様的な存在でもある間中喜雄先生です。遺作のような形で没後出版された『体の中の原始信号』です。
 ここで間中は「Xー信号系」として、経験的に自らが臨床的に確かめてきた経絡現象を記載しています。これをただの経絡だと述べるだけではなく、メスメリズムや微量漢方、そこから発展して「ホメオパシー」との関連にまで言及し、その診断システムの一つとして「O−リングテスト」を提示しています。本書が30年以上前の出版と考えるとその先見性は驚くべきものがあると思います。
 ここで「Xー信号系」と間中の述べる仮説は以下の通りです。

「人間が、現在のように進化していない頃、今のように複雑な制御機構を持っていなかった時点で持っていた『原始的な信号系』が遺体制として、今なお残存する。」

 同書で間中が仮説的なインフォメーション・システムとして「Xー信号系」の特徴をあげていますが、まさにここで展開しているファッシアによる情報系そのものといった感じです。
 ただ当時は科学的な知見、とりわけファッシアを巡る量子医学的な視点(結合水等)やコラーゲン線維における自由電子の存在(セントジョルジュの主張等)、さらにはファッシアを直接観察できるエコー器機が未発達であったため、その媒体の候補をファッシアに絞るには至らなかったわけです。それでも従来の自律神経説や、ボンハン小体などによる解釈に陥ることなく、自らの経験と思考によって、それがこれまでのどれでもない「X」であるとして記載しています。以下にその特徴を引用します。

(A)なるべく微量のエネルギーで信号を与える。
(B) その反応をモニターするにも、それ自身が刺激となるような操作をなるべく避ける。
(C) 実際に臨床的にこのような操作が治療として有意義かどうか見直す。
(D) このような操作がいかなるパターンで反応を示すかを注意深く観察する。


 ポイントとしては、微量な刺激で応答しているという点(A)と、それを知るには「生きている」状態で、非侵襲的な方法による検証が望ましい点(B)、そして治療として有意義である点(C)、そして生じた反応をどのようなパターンであるか、つまりその現象を物理現象として分類するという視点も重視していることに注目すべきです。

 間中のいう「Xー信号系」が、そのままファッシアによるものですべて説明されるかどうかはわかりません。しかし、その大部分はこの仮説によって説明可能に思いますし、先生が存命でしたら概ね了承されるものなのではないかと勝手に妄想しております。

 我が国においてはファッシアは現在、ファッシアに生ずる痛みの治療を中心に、エコーを中心とした可視化の分野が隆盛です。これに伴い過度の「正統な科学」へのこだわりも見られ、その大きな可能性が矮小化されている面もあります。これは当該分野を推進する総合診療系医師のホメオパシー等のエネルギー医学への無理解と偏見に依拠していることが起因しているでしょう。
 しかし外科医であった間中先生のこの仮説を前にさらに「ファッシア」「ファシア」の解釈を拡大していくことの重要性もあるように思うのです。そうした展開を私はあえて「ファッシア信号系」と称し、ファッシア瘀血学の重要な領域として捉えたいと思います。




2021年03月14日

今後の「臨床ファッシア瘀血」の展開

 毎週月曜日に連載しております「臨床ファッシア瘀血学」ですが、本ブログ上で意外にもけっこう大勢の方に読んでいただき少々驚いております。読んでいただき、本当にありがとうございます。

 「城」や「サプリ」の情報に比べて、かなり読者を意識しない書き方ですので分かりにくいはずなのですが、ファッシアと瘀血という分野が意外に多くの方が関心を持っているということなのかもしれません。

 明日の月曜日からの、今後の予定としては、間中喜雄先生の理論をファッシアに照らし合わせながら考えてみたいと思います。具体的には「X信号系」とファッシアとの関連について。
 さらには間中先生の弟子筋の入江先生の理論なども援用しながら鍼灸理論とファッシアとの融合も試みます。また、だんだんと諸概念が渋滞を起こしてきつつあるので、その後は少し、これまでの全体をメタ理論からまとめてみたいと思います。

 非常事態宣言下でしたので、なかなか城巡りができず、代わりにブログが充実してきました(笑)もう少ししたら、あまり本ブログ内での人気はないのですが「お城」ネタも、さらに充実させてたいな〜と考えております(^^)/








2021年03月13日

お城へ To Go (明石城)

 新幹線から見える城郭、明石城(58・兵庫)です。押印は平成21923日でした。駅から徒歩5分という絶好の立地です。駅近の市民の憩いの場、といった雰囲気の城で、訪問時もコスプレ女子の撮影会をしていました(笑)

 せっかく明石に来たので明石焼きを食べてから登城。駅近の城郭なので、その後も2度ほど訪問しています。

 巨大な天守台とともに、三重櫓を四隅に配置した本丸が圧巻。高石垣の上からは瀬戸内海を眺め、山陽、瀬戸内へのにらみを利かせる重要な城であることがうかがわれます。ここも西国諸藩への押さえを目的に天下普請で築城されました。

 また築城に際しては城下町の整備も行われ、一説では町割りをかの剣豪・宮本武蔵が担当したともいわれています。

 この城の印象的なところは、正面の駅側の高石垣の立派さと、対をなすかのような裏側(北側)の谷筋で、桜堀、剛の池といった池が、西側の明石川とともに天然の堀として機能しているところです。谷筋からみると駅から見た感じと印象が異なります。
 お手軽な城ですので、初心者の方はぜひどうぞ!


明石城 なぜ、天守は建てられなかったのか
神戸新聞明石総局・編
神戸新聞総合出版センター
2020-04-17







2021年03月12日

細胞内部の様子、混雑具合や酵素反応など

 先月から開始した基礎医学の勉強会のテーマは生化学・栄養学なのですが、とりわけ今は「解糖系」からのエネルギー代謝を学んでいます。

 ここで気になるのが、解糖系の各反応が、どうして整然と進行するのかということ。おそらく正統とされる考えでは、確率論的に一定の割合で、各々の段階の酵素と遭遇するからという説明なのでしょうが、本当にそんなにうまくいくものなのでしょうか。(進化の問題でもネオダーウィニズムの主張に同様の疑問を感じます。たまたま生まれたアザラシの子孫がたまたま海へと戻っていった的な…)

 こうした説明の一つとして、細胞内骨格が、酵素の反応順序に絡んでいるという説もあります。つまり求められる代謝の反応順に酵素が線維によって一直線に並んでいれば、整然と反応が進行するというものです。これは最近、ファッシアや生体マトリックスに関心を持っているので、個人的には非常に納得できる考えなのですが、一般的にはトンデモということになるのでしょう。

 また細胞内も、いわゆる教科書的な説明図では、整然と細胞内小器官が内蔵されているのですが、実際は満員電車顔負けの混雑状態だということが知られています。すると酵素などタンパク質の作用を考えても、それらのいわば部品同士による相互作用を無視するような考えは現実的ではない、ということが分かります。
 しかし、実際にはテキストではそうした説明はされていないので、これも釈然としません。そのために細胞内部がいかにタンパク質がせめぎ合っているか、「模式的に書かれた図」をどこかで見たような気がしたので、先週からずっと蔵書群を捜索していたのですが、それが先日やっと発見できました。

 金子邦彦先生の『生命とは何か』のP15にやっと、その小さな図を見つけ出すことが出来ました。(この捜索はずいぶん時間がかかりましたが、その過程でたくさんの忘却の彼方にあった本を見つけることもできました)

 通常の細胞の様子とは全く違い、まさに満員電車状態でタンパク質やDNAが充てんされた混雑状態の図は、まさに我々が「常識」と普段考えているものとの大きな「溝」がありました。やはり実際の生体というものは、線形思考でとらえるにはあまりに複雑であるということを強く見せつけられたようでした。

 基本的な概念ほど、再考するとそこに大きな常識との「溝」があるものです。日々の臨床から、こうした意外な気づきをひとつでも多く掬いとりながら、診療していきたいとあらためて強く感じました。



生命とは何か―複雑系生命科学へ
金子 邦彦
東京大学出版会
2009-02-01



2021年03月11日

小さな診療所から(4)改:突発性難聴 瘀血刺絡 睡眠障害 脱水

 本日のジャングルカンファレンスはオンラインでの開催となります。参加希望の方はこちらからお申込みください。
 
 それでは今回は「難聴」をテーマに頭部おける「瘀血」の症状を考えてみたいと思います。
 昨年はたまたまなのか、新型コロナの影響なのか分かりませんが、当院ではずいぶんと突発性難聴の方の相談が多かったように感じました。

 ストレスなど様々な原因で発症する突発性難聴に関して、30代女性Bさんの症例をご紹介します。

 Bさんは夏の暑さの中、突然の耳の聞こえの悪さを自覚し、耳鼻科を受診したところ「突発性難聴」の診断を受けました。
 聴力検査などの検査を行い、ATP製剤、ビタミンB12、循環改善薬などが処方されましたが、完全に回復という感じではありませんでした。

 耳鼻科における経過観察での聴力検査において、低音域の若干の改善を認めるものの、「片耳が覆いかぶさったような感じ」が続き、聞こえにくさを強く自覚する状態でした。以前、後鼻漏がひどかったので、当院にて上咽頭治療をしていたことから、なんとか現状から少しでも改善しないものかと受診されました。

 左耳の強い耳鳴りと、「何かがかぶさったような」聞こえにくさの訴えに対して、全身の緊張を解く目的での鍼を施術してから、左耳に対して、耳介周囲への刺絡と、直接灸を施行。折からの頭頸部のむくみも強くあったことから、排出される瘀血の量も多く、施術中においても自覚症状の耳鳴りはみるみる改善を認めました。(こうした反応から、多くの疾患同様に突発性難聴においても頭部の「瘀血」が関係していることが示唆されます。たとえ体表からのわずかな穿刺であっても、陰圧によって皮下のファッシア瘀血に影響し、そこでのグロブリンを中心とした炎症性物質を減量・除去することが、症状改善の機序として推測されます)

 さらに灸を加えた後には、聞こえ方も著明に改善。大きく変化したことを喜ばれて施術を終えました。ただこれだけでは、元の状態に戻りかねないので、既に処方されている薬剤の増強を目的として、ビタミンB群を多めにしたマルチビタミンと、ATPの更なる増産をはかってコエンザイムQ10(電子伝達系の最終段階でATP産生を促進します)を飲んでいただくことにしました。(鍼灸としての効果にこだわる治療家には受け入れがたい面もあるかと思いますが、刺絡による瘀血除去後、お灸や灸頭鍼が相性が良いようにサプリによる病態改善を目的にした補充は不可欠に感じています。つまり悪いものを除去し、良いもので置換するというイメージです)

 また眠りの浅さから易疲労もあったので、メラトニンも加え睡眠状態の改善も図りました。当院ではこの一年、米国の医療機関用のサプリにてメラトニンを導入していますが、その効果はかなりなものと感じています。かなり強力な抗酸化物質としても位置付けられていますが、熟眠感をもたらす自覚症状の変化は、通常の眠剤にはない効果だと思います。(本例ではメラトニンを用いていますが、身心の疲労状況によっては酸棗仁湯なども有効です。症例の体調や環境によって加味しています)

 4日後の再診時には、聞こえの悪さ等の自覚はかなり改善され、耳鼻科での検査でも改善を認める結果が出ていたこともあり、大変喜ばれておられました。
 以後、1週間後に再度加療し、耳鳴りや聞こえの悪さは全くなく、発症前と何ら変わらない、とのことでしたので終診となりました。
 また睡眠に関しても、メラトニンにより中途覚醒が劇的に減少し、起床時の熟眠感を得られ、とても喜ばれておりました。


 Bさんのように、夏の暑さのためか、ビタミンB群の劇的な減少と、自覚しないままに進行した脱水を背景として突発性難聴の方が多いように感じます。当然、発症したら早急に耳鼻科受診をお勧めしますが、通常の加療のみではなく栄養補給や鍼灸治療の併用が大変良いように思います。(こうした統合医療的な併用は、なかなか一般のドクターには理解されにくい状況ではありますが、この後、患者意識の高まりの中で広まっていくことが予想されます)

 また夏の暑さにより、睡眠時の発汗から脱水が生じ、起床時に腰痛などの身体の痛みが出たり、易疲労に限らず、色々な不調が発症してきます。暑い朝の起床時に限定して、体の痛みやこわばりのような症状があるときは、ファシア部の脱水症状が起因しているように思います。(こうした時は急に起き上がらず、布団の上を何度かゴロゴロと転がってから少しずつ四肢を動かしながら起きると良いです)


 本例のような突発性難聴に限らず、大きな症状が発症する前に、ビタミン摂取を含めた十分な栄養と、充実した睡眠時間の確保に心掛けたいものです。
 加えて起床時のファシアのこわばりにも気を付けたいものです。

2021年03月08日

臨床ファッシア瘀血学(7)波動医学再考

 先日書いたブログの内容について、院内カンファレンスで話題になったことについて考察してみたいと思います。「波動医学再考」として、電子が意志を持つという山田先生の著作に関する議論をしていたときの話題です。(メモ的なものですので興味ない方はスルーしてください)今回は「ファッシア瘀血」の概念というよりは、その周辺の歴史的な流れといったところでしょうか。

 電子が意志を持つことを肯定すると、量子力学において無理に量子の二重性を仮定しなければならないわけではない、とする山田先生の論理が展開されるのですが、すると、生命の波動性のようなものも無理に仮定する必要がなくなるのではないか、という意見をのべたところ、カンファレンスにおいて質問が出ました。
 では、アストラル体やエーテル体のようなものを否定することにならないか、という質問です。ホリスティックムーヴメントにおいて、重要な書籍である「バイブレーショナルメディスン」に基づいた質問なのですが、ここに「波動医学」の諸問題が現れてくるように感じます。まさに波動性の再考です。

 私自身は、生命を考える際には物か?波か?という二重性ですら十分でなはい、という考えを述べられていた中田力先生のご意見に、大賛成という立場です。ところが代替医療を含めた統合医療という視点から見た場合、色々な意見があるのも事実です。
 そして多元的な視点を推奨する上では、それらを一概に否定するわけでもありません。しかし波動であるという立場に強くこだわる方々もまた少なくなく「波動医学」という分野を形成しているわけです。そして同書は、まさに混迷していた代替医療の世界において「波動」という用語により、多彩な代替医療群を整理分類したものです。
 こうした同様の視点を有する理論により「波動医学」が形成されてきているので、あらためて同書を読み直してみました。

 これをあえて、ファッシア瘀血学の項目として書いたのは、この波動概念こそ、ファッシアに至る歴史的潮流の一つとして考えられるのではないかと思ったからです。
 つまり、多彩な代替医療を何らかのキーワードの下に統一的に記述する、という意味では同書は重要な書籍であると考えます。しかし広義のファッシア、もしくは生体マトリックスという視点の導入により、それらの概念を「フック」として多彩な代替医療を分類することも可能になってきました。波動といういわば「無形化」した概念と比較して、具体的なイメージを持ちやすい概念のフックです。

 では、なぜ波動性をスキップすることが可能か。その理由こそが電子が意志を持つという仮説です。科学史的には、量子力学における物質と波動の二重性は、或る意味でアインシュタインの考えをも超越したものでもあり、すべてのモノは波でもあるという「考案」のような考えは、広く代替医療の世界へと浸透していきました。こうした潮流の代表例が、東洋思想と現代物理学とを融合させたカプラ『タオ自然学』でしょう。
 このような当時の先端科学の思潮が、代替医療に取り込まれるさまは、その少し前、明治日本における霊術と「放射線」との融合などにもみてとれます。つまり科学的新概念との融合は、代替医療という領域は結構得意だったりします。
 それゆえに量子力学における粒子と波動の二重性を必要としない理論が展開可能であるならば、無理に「波動」概念も持ち出す必要もなくなるわけです。

 代替医療側のこの辺りの概念の混同を、すでに見越して解説されているのが、ほかならぬ『バイブレーショナルメディスン』の翻訳者である真鍋太史郎先生であったりするのも、また一興です。
 真鍋太史郎先生は「訳者あとがき」において、シュレディンガーの「波動関数」と、作者であるガーバーのいう「波動医学」とは直接の関係はないということを明確に述べています。(この真鍋先生、医療全般に関する適確なコメントから放射線・核医学について極めて造詣の深い医師であることが推測されます)
 いずれにせよ二重性が必要ないとするならば、波動性の必要もなくなるわけですが、そうした過程の上で展開される世界観が、一般の方にとって本当に受け入れやすいものなのかは別問題です。何せ、電子に意志を仮定したわけですから、そもそも我々が普通に考える意志と似ているのかどうかすらわかりません(笑)
 ただし、この過程は意外な方向に論理を展開していきます。それが「対話」というものの重視です。平たく言うと、波動概念を不要にすると、万物の「対話」概念が必要になります。ここにジャングルカンファレンスの思想的な基盤があることは、ここを読まれてる方にはおおよそ察しが付くところでしょう。

 電子を「対話」する意志を有するものであるとの仮定は、電子そのものへの「個性」をも仮定するものでもありますし、それが身体内部を流れるのがファッシアを形成するコラーゲン線維ということになります。また量子医学と称される分野における量子は、結合水における量子的な挙動の記述であるので、波動性とは少し異なる論理の展開になるわけです。

 ちょっとまとまりませんが、あくまでもメモ的な記載ですので、ご興味ある方は直接お尋ねください。日曜夜なのでこのへんにします・・・








2021年03月07日

花粉症のアイゾパシー (スギ花粉レメディの効果)

 今年は一般に、スギ花粉症の症状がひどい方が多いように感じます。飛散量が多いことが事前に警告させれていましたから、OTCの抗アレルギー薬などで対応されている方も多いのではないでしょうか。
 ただ、私の周囲の方を始め、当院に通院している方は、例年よりも症状の軽い方も多く散見され、少し例外のような感じがあります。この違いを生じているのは明らかにホメオパシー(アイゾパシー)ではないかと思います。
 単独のケースのみでは、主観だけなのでいわゆる科学的検証ではありませんが、以前に施行された多施設によるダブルブラインド研究でも、自覚症状や抗アレルギー薬の使用量の有意な減少を認めておりました。加えて、当院で花粉症アイゾパシーを開始して5年経過したことも大きいように思います。とりわけ3年前からは積極的に、スギ花粉レメディをおススメしていることから、かなりの割合の関係者が3年目に突入しています。
 このアイゾパシー(ホメオパシー)のメリットは、一年中ではなく花粉シーズンのみの服用で良いという便利さにあります。そして1年目より2年目、2年目より3年目、といった効果の蓄積がみられることも特筆されます。つまり早く始めれば、それだけ将来的にも楽になる、ということなのです。
 まだまだ花粉症シーズンですので(これからはヒノキ花粉も始まります)、ぜひとも症状の強い方は一度、アイゾパシー(ホメオパシー)を一度試されることをおススメします!

 また当院では、レメディに加えて、鼻うがいや「上咽頭洗浄液」による局所療法的なセルフケアも指導しております。また花粉症を悪化させる「脾気虚」の体調を改善する漢方や食事法なども説明しておりますので、ご興味ある方は一度、ご相談ください。


(花粉症レメディの研究に関して知りたい方は、研究リーダーでした朴澤先生の以下の著書がおススメです)




2021年03月06日

お城へ To Go (篠山城)

対豊臣を目的に、西国大名の抑えを目的に築城された篠山城(57・兵庫)です。押印は平成25923日で、大書院の中にスタンプがありました。

 7年前の当時は前日に神戸の友人と遅くまで会食しており、朝起きたら少し寒気がして体が重くなっていましたが、予定を変更するまいと思い無理を押して、訪問しました。コロナ禍の現在では考えられませんが、その当時は急な発熱と寒気の中を強行しました。
 そのため結構つらい印象しか残っていないのですが、それでも猪料理をたべ、黒豆を買って帰りました。福知山線「篠山口」からさらに神姫バスにのり結構遠く、くたびれました。

 徳川家康の命により、藤堂高虎の縄張り、普請総奉行の池田輝政のもと天下普請で築城されました。高石垣を用いたいわゆる高虎流の城郭です。
 天守台が現存しており、建築当初は連立式天守が予定されていたようなのですが、時代の流れの中、そこまでは必要なしと判断されたようで、駆り出された大名は次の予定の名古屋城へと移動させられたようです。状況により人員配置を変えた結果、現在でも天守ないまま天守台のみ、ということになったようです。
 訪問時は復元された立派な大書院があり、大きな角馬出も現存して見どころ満載でした。

 当時はまだまだ100名城を始めたばかりで、特に近畿地方は多く残していたので、無理をしてでも行こうと思い訪問したのですが、行くべき城郭の多さを考え、体調不良と合わせボー然とした記憶がよみがえります(笑)ローカル線乗り継ぎの訪問はやはり結構大変でしたね。








2021年03月03日

ファッシア瘀血から身体を診る・クリニック診療案内

 最近ブログを読み始めた方から聞かれたのですが、ファッシアや瘀血、サプリメントなどについて書いているかとおもうと生化学などにも言及していて、先生の専門は何ですかという質問を頂きます。面倒なときは内科の専門医なので「内科」ですと答えるのですが、クリニックの受診を考えてくださっている方も読まれているかもしれませんので、最近の知見と合わせて説明してみたいと思います。

 統合医療をキーワードにこれまで説明してきたのですが、最近はもう少し具体的に「ファッシア瘀血」をキーワードにしています。そのために「臨床ファッシア瘀血学」の記事を連載しています。いわゆる神経痛などと称されて疼痛の原因となっている「ファッシア」の病変と、従来より東洋医学の慢性的な病因として名高い「瘀血」を合わせた概念です。中医学的には「気」と「血」の病変としてもよいでしょう。これを「臓器」の視点とします。つまり身体のあらゆる臓器へ気血が円滑に運ばれないマクロの病態です。

 次は、生化学的な回路(とくにエネルギー代謝)において、円滑に必要な反応が生じない状態。つまりミクロの細胞内部において代謝が円滑に行われていない状態を想定しています。これをミクロの「細胞」の視点とします。具体的にはサプリメント等を用いて適切に補充していく方法論です。

 そして最後はさらに微細な世界、「量子」の視点です。具体的にはファッシアをはじめとした細胞膜周辺の水分子の状態の量子的な調整です。これは少し難しいのですが、秩序化された水ともいえるレメディによる治療法としてのホメオパシーに代表できます。

 ここまでをまとめると(1)量子レベル(2)細胞レベル(3)臓器エベル、という感じです。これらの流れをスムースにすることで機能的ないしは器質的疾病状態を治療していこう、という考えが当院での治療法の中心となります。
 一般的には、漢方薬とか、ホメオパシーという治療法の名称によってご案内するほうが理解しやすいのですが、私がいろいろな方法論を渡り歩いてきてしまったため、多彩な方法論を統合的に用いる方針なので説明すると複雑になってしまうという事情があります。

 方法論別に記載すると以下のようになります。
(1)ホメオパシー・エネルギー医学的アプローチ
(2)サプリメント・栄養・生化学的アプローチ
(3)鍼灸(刺絡)・ハイドロリリース・漢方薬・整体などの身体アプローチ

 (1)〜(3)のあらゆるレベルで、自由電子や代謝過程、さらには血液や体液などの流れがスムースでないと、どこかで「渋滞」が生じてしまいます。渋滞がひどければ、そこに病理産物が生成されてしまうかもしれませんし、さらには、そこをスキップしてしまうかもしれません。これにより血液・栄養の供給がされなくなります(脱毛などがその好例でしょう)。そしてその経路が短絡されることで、「縮退」現象が加速することになります。こうした生体における縮退をいかに回避するかが大きな診療の目的でもあるのです。 
 従来の「診断名」を超えて、不調そのものを改善していくことを当院は目指しております。


 小池統合医療クリニックへのお問い合わせはこちらまで。

統合医療の考え方活かし方―新しい健康デザインの実践


2021年03月02日

電子が意志をもつということ(波動医学再考)

 先週末は基礎医学塾の本年度の最初の勉強会でした。久しぶりに私も解糖系から始まるエネルギー代謝をテキストの新書で復習し、この時新ためて「擬人化」の効用を実感したことは、数日前のブログに書いた通りです。

 その時、量子力学における山田廣成先生の「電子が意志を持つ」説を擬人化の例としてご紹介しましたが、その後、改めて再読してみると、擬人化ではとどまらない大きな意味があるように感じましたので、メモしておきたいと思います。

 この本は副題が「電子にも意志があるとしたら貴方はどうしますか?」というのですが、まさにこれまでの視点を大きく転換させるものでもあります。私も個人的にとても関心のある「観測問題」から、電子を考えると、その実態は「粒子でもあり波動でもある」ということになります。

 ここから統合医療、代替医療における「波動」の様々な領域が展開していくことになるのですが、それはある種の「無形」なものにすべてを還元するという意味で、「生きる」ということへの空白地帯を形成しかねない危うさをも有するものを生み出しているようにも感じていました。
 誤解のないようにいうと、「スピリチュアリティ」などの諸概念を否定しているわけではありません。むしろケン・ウィルバーらの言うところのスピリチュアリティは積極的に肯定するのですが、あらゆるものを波動へと還元させる風潮への懸念といったところでしょうか。こうした考え方の基底をなしているのが、この電子の波動性の問題なのです。つまり身体は電子によって形成されていますから、身体や物質の波動性といえることにもなります。

 詳細は山田先生の著作を読んでいただきたいのですが、まずは電子の存在を示す基本的な(現在までわかっている)実験結果を提示して、思い込みなしで事実を判定してほしいと迫ります。
 確かに提示されるデータからは明らかに物質だということが確認されます。ではなぜ「波動」ということになるのか。それは電子が集団となった時に、干渉などの現象が現れ、それゆえに「波動性」をもつというわけです。
 当然ながら、これが電子ではなく、意志を持つ人間であれば、互いに干渉しながら影響するので、統計的に処理すれば、結果として生じた現象において波動性があるものの、それは統計的なふるまいであって、実態を有する人間そのものが波動だという結論にはなりません。これは、いわゆる「渋滞」などの現象で日常的にみられることです。集団行動の予測が、物理的にシュミレーションできることからも理解できます。

 それでは今度は、視点を反転させて電子が人間のように、個々が意志を持っていたらどうなるかと思考実験したのが、山田先生の理論展開となります。
 すると非常に難解な、モノでもあって波でもあるという「量子の二重性」という概念を持ってこなくても、電子同士が意志をもって対話していたとしたら、結果として「波動性」を持っているように見えるというわけです。
 それゆえに量子力学において基礎的な「波動方程式」は、対話方程式もしくは干渉方程式と呼ぶべきだと、山田先生は主張されます。
 つまり電子が意志をもつという考えを受け入れることができれば、少なくても量子力学のもっとも理解しにくい難所を、クリアすることが出来るわけです。「教える」という立場においては非常に重要なことだということになります。

 これを統合医療的な分野にもってくると、人間の波動性という無形化した概念の導入よりは、電子という存在が意志(われわれが実感している意思とは少し違うのでしょうが)をもつということの方が、実はすんなりと受け入れやすいのではないかと思うのです。そしてこれは「対話」という行為においてもより大きな意味を見出すことにつながります。

 明治期の霊術の展開などを見ると、当時の最新科学である「放射線」の影響を強く感じられるように、代替医療領域は、その時代の最新科学の影響を強く反映します。
 そう考えると現在の波動の風潮の基盤は、間違いなく現在の量子力学の解釈に依存していますから、ここの解釈を反転させることは、この医学領域の発想の転換を余儀なくさせるものでもあるわけです。

 個人的な興味としては、意志や干渉においても当然「階層」があるでしょうから、それを基盤として漢方薬やレメディの作用点も階層があるはずです。また電子の意志を仮定することが可能であれば、レメディの意志というものも可能であるかもしれません。そして単なる「対話」が、往々にして「スピリチュアリティ」との関係を深く印象付けることも、こうした考えとリンクしていることだと思います。

 メモ的な記述でしたので、散漫になりましたが、なんとなく興味を持たれた方は是非、山田先生のご著書を開かれることをお勧めします。




2021年03月01日

臨床ファッシア瘀血学(6)微小空胞ネットワークとしてのファッシア

 前回は微小循環におけるファッシアの構造を、プレリンパの導管として説明してみました。これに近傍のリンパと毛細血管による血液が混合して、刺絡などの観血的治療における「瘀血」が形成されたという考えです。これは瘀血部位が、他の正常部位に比べて血管の蛇行多く(三日月湖状態)、それゆえに穿刺時に血管にあたる面積が多くなると考えられます(それゆえに多くのうっ血が混入するためどす黒くなるわけです)。当然、いわゆる正常部位では、血管の蛇行が少ないためファッシア(もしくはリンパ)への穿刺面積が多くなるので、引かれる血液は希釈され、相対的に薄く鮮明な赤色になることが説明されます。

 今回は、ファッシアを前回解説したようなプレリンパの導管的な役割だけではなく、「本来の構造」を維持する効果として見た場合のミクロの構造を概観してみましょう。生きた筋膜の豊富な写真による解剖書『人の生きた筋膜の構造』を参考に解説してみたいと思います。

 そもそも様々な細胞は、生体における組織の連続性には関与していないとされます。つまり何らかの「機能」を分担する反面、連続性を持ちながら構造を維持するという役割にはないわけです。
 それに対してファッシアは、皮膚表面から細胞内の核にまで連続する「原線維ネットワーク」と考えられます。そしてこれらは生体内部でただの「線維」として存在するわけではなく、微小な立体構造を持つ「多微小空胞ネットワーク」を形成し、生体を構造化していると考えられます。これは前掲書において、多くの鮮明な写真によって確認することが出来ます。
 このネットワークは、可動性、柔軟性、適応性を有し、あらゆる組織を連続化させ、生体が運動中であっても、原線維の連続性を保持し続け、それが損傷しないかぎり元の状態に戻ることもできるわけです。

 そしてこの原線維は、循環系(血管)と神経系の構造的な土台となり、これらシステムと一体となることで、細胞にエネルギーの供給を行います。そして細胞を生存させるとともに、さらには力学的な情報の伝達も担っています。

 原線維によって形成される微小空胞は、その内部を、細胞、コラーゲン、グリコサミノグリカンによって満たされ、外的圧力に適応しながら組織形態を保持し、正常組織における機能的独立を保つことができます。

 そしてこの微小空胞ネットワークは、三次元的には「テンセグリティー」構造を形成し、運動中においてさえも、安定した構造を保証することになります。
 さらにはこのテンセグリティーにより、重力からの圧迫から、ある程度解放されることができるため、いわゆる「二乗三乗の法則」に縛られない生物独自の構造をも可能にします(これは恐竜などの巨大生物の構造を可能にします)。

 また原線維によるフレームは、動的なフラクタル化とでもいえる適応能力を有し、組織化された構造や立体形成を可能にします。そしてこのフラクタル化は、安定した形態から、別の形態へと移行することも可能で、それゆえに形態発生、器官発生、系統発生を記述することもできるようになると考えられています。つまり生命の生命たる特徴を、可能にしているわけです。


 これらのように微小環境におけるファッシアは「梱包材」ではないばかりか、導管的な役割にも限定されない、生命の存在を維持する基本的な役割を有していることが『人の生きた筋膜の構造』では語られます。ファッシアへの関心がそれほどでもない時期に、同書を購入したのですが、その時は今ほどその意味するところに惹かれることはありませんでした。しかし、瘀血との関係で、改めてファッシアを再認識してからは、まさに「生命」そのものの特徴とまで感じています。

 今後、解説していきますが、瘀血と経絡を統括して、解剖的な構造のもとに理解しようとすると、神経と血管の双方の構造的基盤でもあるファッシアが極めて重要になります。そして、そこにとどまらず、ファッシア自体が「自由電子」や「物理的な力」を介しても生体に影響することの意味をより強く感じることにもなるわけです。

2021年02月27日

お城へ To Go (千早城)

楠木正成が幕府軍を迎撃した「太平記」の舞台、千早城(55・大阪)です。押印は平成25113日で、山家料理と土産屋の「まつまさ」で押しました。訪問前に上赤坂城(楠木城)に立ち寄ってからの訪問でした。

楠木正成は1000名の手勢で、100万の幕府軍相手に100日籠城を行い、落城しなかった城として有名な千早城。
 赤坂城、楠木城との連携においては、詰めの城としての機能をもち、最後まで落城せずに籠城を続けたことが鎌倉幕府滅亡の一因になった言われる歴史的名城です。
 
 実際には30分ほど石段を結構な登山をすることになります。道路からの高低差は100mあり、急峻な地形で奇襲戦にはもってこいだったことが体感できます(笑)これだけの兵力差で凌いだ、正成の戦略と戦術を思うと、さらに感慨ひとしおですね。


楠木正成―千早城血戦録
奥田 鉱一郎
ビジネス社
1991-04T












教科書が教えない 楠木正成 (産経NF文庫)
産経新聞取材班
潮書房光人新社
2019-07-24



2021年02月25日

擬人化すること、ホメオパシーを親しみやすくすること、等々

 学問的にはいけないのでしょうが、擬人的に表現することでずいぶんと分かり易くなるということは、生物や科学を学習する上で結構利用されています。
 マンガ『はたらく細胞』などもその良い例でしょう。過度な擬人化は時に批判されるものの、直観的な理解が可能であるというメリットは外せません。




 電子に意志があるとする山田廣成博士による量子力学の解説も、正当な物理学者からは批判されるのでしょうが、「意志」や「対話」を中心に、ある種の擬人化により高度な内容が極めて分かり易くなっていると思います(ただしこれは山田博士によれば擬人化ではないということになるのでしょうが)。





 このような感じで生化学を、陽子は「身体」、電子は「スピリット」というような喩えで説明しているのが、明日の勉強会のテキスト『代謝がわかれば身体がわかる』です。前回の参加者からは、エネルギー代謝における喩えが、子供から魂を抜き取ってゾンビ化するなど気持ちが悪いというご批判もあるのですが、そう書いてあるのですから仕方ありません(笑)今期の日曜夜のゾンビドラマでも見て慣れて頂くほかありませんね。こちらもまた批判されているようですが(笑)












 ただし、酸化還元反応を、電子=スピリット(魂)という感じの理解は非常に有用に思いますので、それを念頭に生化学の予習をして頂ければ効率的なように思います。

 また擬人化とは異なりますが、ホメオパシーのメカニズム理解における量子医学概念の活用も、同様の効果があるように思います。
 類似の法則や波動を用いた解釈も良いのですが、どうしても錬金術的な風合いが出てしまい、現実の医療との統合場面ではやや戸惑うことも少なくありません。
 そうした意味では、保江邦夫先生の量子医学の説明などを援用することで、統合的に活用しやすくなるように思います。具体的には、細胞膜における結合水の意義や、エバネッセント光など、秩序化された水としてのレメディとの相互作用を考慮するとわかりやすいようです。






 この辺りは実はファッシアにおけるエネルギー医学的な解釈でのキモにもなるところですので、連載している「臨床ファッシア瘀血学」においてもホメオパシーと鍼灸の統合に関する話題として記載していきたいと思います。


2021年02月24日

2月26日の基礎医学塾 参加申し込みフォーム

 今週金曜日の基礎医学塾のご案内です。『代謝がわかれば身体がわかる』(大平万里著・光文社新書)をテキストにして読み進めていきます。

 第1回は糖代謝を中心にしたエネルギー代謝を中心に、代謝の基本的概念を学びます。テキストで言うと第1章から第4章ですので、その範囲をまずはしっかりと読んできてください。(代謝マップもあると便利です)


 基礎医学塾はどなたでも参加可能です。オンラインでの勉強会ですので、ご自宅で気軽に勉強会に参加できます。これからの統合医療は「共通言語」が重要です。まずは一人ではなかなか勉強する気がしない(笑)代謝から一緒に学びましょう! 

 参加申し込みは以下のフォームからよろしくお願いします。↓ ↓ ↓



2021年度第1回基礎医学塾@zoom講座

2021年2月26日(金)

18:30〜20:30

質疑応答を含み、20:30まで)

参加費・・・2000円

【参加申し込みフォーム】は

↓↓↓こちらから

https://forms.gle/Aew3raCE1m97Nbtq9


臨床ファッシア瘀血学(5)微細環境におけるファッシア瘀血

 前回は経方理論とファッシア瘀血との関連性を考察しました。今回は、そうした全体性から一気に組織の局所の話題に移りましょう。ファッシア瘀血の形成されるミクロの環境についてです。

 ファッシアは、2018年3月のNewsweekによって、ヒトにおける最大の器官が発見されたという記事が掲載され、従来は結合組織(これもファッシアである)とされたものが、体液を満たして相互に連結している新たな器官であるという報告がされました。
 まさにこれは、かつての「筋膜」というイメージではとらえられない組織像で、線維の網目構造を内側から裏打ちするように細胞がはりつき、その内腔を液体が流れるというものでした。さらにその液体は、共焦点レーザー内視鏡により、血管よりも遅延して試薬が映し出され、さらにはそれがリンパとほぼ同時であったということが分かったそうです(医道の日本 2018年6月pp140-2)。

 つまり血管とリンパ、従来はその間隙であると思われたところに連結システムが存在していたということが分かったわけです。これがまさにファッシアです。
 広範なファッシアという概念の機能がこれに限定されるわけではありませんが、生きている組織のみでしか確認できない脈管系といえるでしょう。

 これに瘀血のシステムを考慮すると、細絡などミクロのレベルでの血液の鬱滞や毛細血管の蛇行、さらには三日月湖状態にまで至るような蛇行や鬱滞などが、刺絡によって破壊されるのですが、その時に同時に、このファッシア内の液体も漏れ出してくるのではないでしょうか。
 つまり従来は、こうした鬱滞した毛細血管などの血液が、吸角などで吸い出されてきていると考えられていましたが、その付近のファッシア内の液体も混在して「瘀血」として吸い出されてきている可能性が高い、ということです。

 毛細血管がそれほど多く存在するとは思えない部位において、刺絡によりたくさんの瘀血が得られるということは珍しくありませんでした。ところが、こうした事実を見ていない医師などに説明すると「血管がなければそこまで出るはずがない」という議論がたびたびなされたこともありました。しかし、ファッシア内という従来想定されていない液体プールが存在しているとすれば、そのくらいの流出量は説明できます。
 また一定量の放血後に、再度、吸い出すことが困難になるという事実も、こうしたメカニズムを示唆していると考えらえます。つまり「瘀血」といわれるものは、毛細血管等におけるうっ血した血液に加え、ファッシア内部の液体(プレリンパとも呼ばれる)が混ざったもの(そして当然少量のリンパ液も混在する)と考えれるのではないでしょうか。

 であれば、瘀血成分として局所の炎症所見を反映してグロブリン量が多いことや、瘀血の強い所見を有するところでは「どす黒い」瘀血が得られ、それほどでない場所では「さらりとしたやや明るい色」の瘀血が吸い取られることの説明にもつながります。
 また、現在あまり確定的に説明されていない、ハイドロリリースのエコーにおける目標所見である「ファッシア重積」の所見の形成理由も説明できます。つまり毛細血管から漏出した炎症物質であるグロブリン等が、ファッシア内部を通過時に停滞して、癒着所見を作ってしまうというモデルが想定されるわけです。

 それゆえに、従来「瘀血」と称される病理所見は、血液+ファッシア内液(+少量のリンパ液)により形成される可能性が高く、いわゆる瘀血という血管の鬱滞所見のみではなく、周辺のファッシアの変性もあわせて病態として理解する必要があるということなのです。

 これらは実験的な考察ではありませんが、これまでの15年に及ぶ臨床での刺絡治療の中で生じた現象の説明としては、こうしたメカニズムが今のところ、最も腑に落ちるモデルであるように感じます。

 こうしたミクロのモデルを想定して、以後のファッシア瘀血学を進めていきたいと思います。



2021年02月22日

臨床ファッシア瘀血学(4)経方理論との関連

 なぜ「ファッシア瘀血」を考えるのか、を前回は述べました。刺絡のメカニズム解明について、この概念は極めて有効であることに加え、いくつもの施術系の代替医療分野での、理論的にあいまいな部分に、現代医療との接点をもたらすという意義は、極めて大きいと思います。

 漢方理論に、というより「傷寒論」という古典の読解に、革命的な解釈をもたらした「経方理論」の解釈においてもこれは同様です。つまり内部臓器の気の流れと、外部表皮での気の流れがどのようにリンクするかということをダイナミックに記載したのが、この理論の最大の面白さなのですが、そこにファッシアを仲介させることでさらにこの理論の整合性が強まるように思います。つまり経方理論に、その物質的基礎を付与することができるわけです。

 経方理論は、名医別録を基盤とした生薬の「ベクトル性」の展開を、独自の気の流れを示す生理機能図に落とし込むことで、傷寒論の理論的枠組みの下で、漢方処方を自在に展開できることが最大の特徴です。
 つまりこうした薬剤の有するベクトル性こそが、この理論のキモなのですが、その背景を成す気の流れの生理図も、提唱者である江部先生独自の腹診や脈診に連携するものなので、これまた非常に重要です。

 この「気の流れ」においてひときわ独自性が高いのが、従来あまり重要視されていなかった「隔」という概念です。
 解剖学的には横隔膜とほぼ同じ概念なのですが、機能としては、マクロにもミクロにも「気」の出入りに関わる重要な臓器です。
 つまり、気の出入りを担当する「隔」と、その上下にあって気の上げ下げを担当する「胸・心下」がキモとなり、それらの機能の相似形のようになり、体表面での気の流れを説明しています。(江部先生はこれをおそらく東洋医学的なフラクタル概念で、直観的に説明しているのですが、この理論的な跳躍もファッシアの概念を用いれば、比較的簡単に解剖的な説明が可能です)

 この体表面での気の流れに関しては、体表を「皮」と「肌」の二層に分け、その間に「膜」を置き、これらを貫通する形で「腠理(そうり)」があるという構造が仮定されます。
 「皮」は現代医療的には、いわゆる表皮と真皮における乳頭層に相当し、「肌」はそれ以下の真皮つまり網状層と皮下組織(脂肪層)に相当する考えてよさそうです。

 そうすると、経方理論における「肌」の概念が、ほぼ「ファッシア」に相当すると考えてよさそうです。となると「膜」はさしずめ、網状層における膠原線維束(皮革製品として使われる部位)といえるのではないでしょうか。(当然これはファッシアを介して隔と連続しています)

 「ファッシア」と「肌」とを比較するメリットは、その臨床応用にあります。これまでの流れであれば、整形的な痛みの発痛源として、その解剖学的位置が問題になっていましたが、経方理論に関連付けることにより、傷寒論をベースにした漢方処方への展開も可能になります。
 つまり脾胃と直接関連付けられ(心肺ではなく)、腹診における「心下」に着目することが可能になります。(このあたりは経方理論における臓腑関連図を参照してください)

 さらには、心下の下部に位置する腸間膜領域を、寺澤先生の述べられるように「三焦」として考えると、ファッシアと三焦との密接なつながりが、ダニエル・キーオン氏の『閃く経絡』とまた違った観点からみることもできます。(同書における「三焦」の胸腹全体像との関連とみるよりも、「腹腔」全体として考える方が、古典的にも整然と理解されるように思います)
 つまり、三焦をファッシアとして捉えるよりは、寺澤説によると、腹部の一塊となった「腸間膜」と考えるということになります。つまり三焦と心膜(心臓も含む)が対になるわけです。

 そしてこの間を隔てるのが「隔」ということになります。当然、隔は呼吸によって動く、つまり気の出入りを司ることになります。これは空気の出入りだけでなく、呼吸運動により、胸腔と腹腔という二つのファッシアに囲まれた閉鎖空間が、内圧を変えながら動くことになり、これに伴い、内外の物質やエネルギーの移動も行われることになります。
 この時の、動きにくさや渋滞ポイントが、胸腹診などにより圧痛や硬結として認められ、一部典型的なものが漢方処方の目標所見となります。
 こうした生体観に基づいて、ベクトル性を有する生薬によって処方組み立てをするのが、経方医学の姿であると見ることもできます。

 したがって経方医学は、ファッシアと漢方処方とのまだ見ぬリンクをつなげてくれる理論となりうる、と思うのです。ファッシア臨床における「経方医学」の重要性を、あらためて感じる次第です。

(本記事は『経方医学』に関するある程度の理解が前提になっておりますので、詳細を知らない方には???となってしまいます、申し訳ございません。ご興味ある方はとりわけ第1巻が重要です。ここでの解説は第1巻を読めば理解できると思いますので、関心のある方は是非、御一読を。)


経方医学 1―「傷寒・金匱」の理論と処方解説
横田 静夫
東洋学術出版社
2011-04T