注意事項
本HPは「統合医療」に関して、その概念および実際を紹介することを目的とするものであり、個別の疾患や診療内容の相談には応じかねます。また、内容に関しても、実際に個人の判断で適応した際のあらゆる責任は負いかねます。実際の診療に関する事項は、医師にご相談の上、施行されることをお勧めします。
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2021年09月18日

お城へ To Go (萩城)

 関ケ原敗戦後の毛利の居城、萩城(75・山口)です。押印は平成29年7月23日で、長州藩の歴史探訪旅行としていきました。津和野城からの翌日の訪問になります。
 萩城下の志士関連の史跡めぐりもあわせて行ったので、見どころ満載の旅行でした。高杉晋作、久坂玄瑞、桂小五郎らの生家を訪れ、それらと松下村塾、松陰生誕地、野山獄、明倫館などの歴史的名所との距離感なども掴めたので非常に勉強になりました。

 萩城は指月山麓にある平城と、山頂部にある山城に分かれ、山麓の本丸には五重天守が建てられていたようです。当初は赤瓦だったようで、白壁との赤白のコントラスト美しい天守とされます。
 縄張り的には、これまでの毛利の二つの居城が雛形とされ、山頂部の詰めの城的な山城部は郡山城に、三方を海に囲まれた平城部は広島城にその原型を求めることができるようです。

 この城のすごいのは、詰めの城は緊急避難的な要素のみであることが多いのですが、結構がっちりとした防御がされており、詰丸として本丸、二の丸があり、ちゃんと一つの城のようです。
 その入り口は要害門として枡形虎口があり、内部には籠城のためか巨大な用水槽もあり、平時においても要害番番士により海陸の監視が行われていたといいます。
 標高143mあり、急峻な要害といった感じで、実際のぼると結構大変です。夏でしたので、汗だくだくで、蚊にさされるは結構大変でした、そのまま観光を続けられず、ホテルへ戻りシャワーを浴びたのを覚えております。

 関ケ原敗戦の後の築城ということで、そうとう幕府を遠慮したということになっていますが、結構厳重な防御が施されており、ちょっと不思議です。それほど幕府も目くじらをたてなかったということなのでしょうか。確かに歴史的には「五郎太石事件」など起きた際にも重臣を厳罰に処したりしているので幕府への警戒は強かった見るべきなのでしょうが、いわゆるびくびくした感じは城からは感じられませんでした。

 世界遺産認定で訪問当時は、大河ドラマ放映の後でもあり、急速に整備された感じでした。古い町並みも保全されているので、ゆっくりと散歩するとちょっとしたタイムスリップ感を味わえるのではないでしょうか。
 ただ、当時宿泊したホテルも現在は廃業しているようで、しだいに斜陽な感じなのですかね。コロナ禍により、さらに寂しくなってしまっているのでしょうか。山口城が未訪問なので、併せてまた再訪したいお城です。











2021年09月17日

解剖生理に立ち返る (2)循環系

 循環系は、そもそもは栄養を吸収する腸管の付属物として血管が現れ、全身に食物や酸素を配るための器官として発達した。その中身である血液は、上陸後もその起源となる環境を保持するため海水に類した組成となっている。

 循環系は、初めは細胞間を不規則に流れていたものが、次第に発達し通路を形成するようになったことに由来すると考えられる。それゆえに、造血の場も、腸管からはじまり、脾臓、骨髄、リンパ系組織と、その場を移していった。免疫機能が、腸内フローラなど腸内環境に大きく影響されるのは、こうした由来に関係する。

 結果として造血の場となる骨髄は、脊椎動物の上陸に伴う骨の軽量化により、結果として「空き」が出たことが理由とされる。そして理由は「たまたま」とされる。

 動物系器官の発達により、心臓・脳が発達し、結果、血管の分布に無理を生じることになり(前線への補給路の過度な延長)、現代病といえる狭心症・脳卒中を招くことになる。
 また出産に伴う循環動態の変化(酸素を肺から取り入れる必要がない状態からの変化)から、上陸に伴う肺呼吸への進化の様子を推察することが出来る。

 また、人間も動物として動き回る中で、闘争・逃走における止血は重要な機能である。闘争などで出血した際、速やかな止血はその生死にかかわる。止血は緊張状態における交感神経と不可分の関係にあるといえる。現代において、動物的な闘争・逃走が減っているにも関わらず、社会的・精神的ストレスの増大により過度の交感神経興奮をもたらし、止血システムがいわば誤作動を起こしたようになり、不必要な止血過剰の負の面が疾患を形成すると考えられるのである。

 免疫系においては、異物の入り口である消化管において発達してくる。ここに免疫と腸管との密な関係が形成される。こうした免疫系は、現代社会における寄生虫の減少などの環境の変化により、そのシステムを誤作動させアレルギーや自己免疫疾患といった暴走につながるのである。また近年では、自律神経との密接な関係が知られるようになり(交感神経系と顆粒球、副交感神経系とリンパ球)、ストレスや精神状態との関連が注目されている。そして、これも植物性機能に対する、動物性機能の進出として捉えることが出来るのである。

 循環器による栄養や酸素の運搬に加え、様々な情報も伝達する。これがホルモンを用いた内分泌系である。多彩な機能を持つ内分泌系であるが、極論すると「生殖」と「運動」という植物性・動物性の最終目的に大きく関与するといえよう。つまり生命に重大な影響を持つ機能の調整を行っている。


<循環器>
・心臓の構造と血液循環の概略
心臓の位置と外形。心臓の内腔と栄養血管。心電図波形の意義。

・動脈・静脈・リンパ
動脈・静脈の構造。側副血行と終動脈。リンパ管の循環。

胎児循環(アランチウス管・卵円孔・ボタロ管)
胎児血液循環の概略(胎盤、臍動脈から臍静脈)。


<血液>
血液成分(赤・白・板)
血球三系統の成熟過程。血液構成成分。血漿、血清、血球、血餅。

止血
一次止血(血小板血栓)、二次止血(血液凝固)、線維素溶解現象(線溶)


<免疫>
自然免疫、獲得免疫(液性・細胞性)
免疫系の概略。

アレルギー、自己免疫疾患
アレルギー型と代表疾患。自己免疫の代表的疾患。


<内分泌>
各種内分泌器官とホルモン
代表的なホルモンの機能(視床下部・下垂体・甲状腺・副甲状腺・副腎等)

その他の内分泌器官としての消化管・腎・心臓
(一般に消化管ホルモンは分泌口より口側では抑制、肛門側では促進)




2021年09月16日

解剖生理に立ち返る(1)吸収系

 吸収系はいわゆる、消化器系と呼吸器系であり、各々栄養と呼吸をつかさどる器官で、共に「生命の炎」を燃やすところと考えることが出来る。つまりこれがミトコンドリアでのATP生成の源となる。

 腸管は「鰓腸」といわれる器官から進化したもので、そこから、生命体が上陸し空気中の酸素を取り入れる呼吸を行うために、一部が膨隆して、肺が形成されてきた。つまり腸管から付随するような形で、呼吸を行うために肺が形成されてきたのである。これが消化管である咽頭から、喉頭・気管が分かれる理由である。
 現状の生理的な機能から見ると、消化と呼吸には大きな隔たりがあるが、最終目的のATP生成のための進化と考えると納得できる。

 また吸収系という器官だけでなく、人間においては、二足歩行により解放された「手」による「料理」という機能も忘れてはならない。脳機能の発達をベースにしたこの高度な機能は、「火」や「道具」の使用により、消化機能を補助し、多くのものを消化することを可能にした(頭進)。人間における吸収機能においては、こうした動物的機能もまた非常に重要なものとなる。

 呼吸に関してはATP産生に不可欠な酸素の取入れを行うとともに、腎臓とともに酸塩基平衡を担う。つまり内部環境の調整に大きな役割を果たすのである。加えて、呼吸運動は、無意識に行われ、不随意的であるが、横紋筋支配によるため意識により随意的でもある。これにより、植物的機能への意識の介入が可能になる。つまりこれもまた動物的機能の植物的機能への介入とみることができる。これが呼吸法の意義である。

 消化と呼吸を吸収系として捉えた場合、両者の境界に生じる問題もまた忘れてはならない。つまり口腔においては共通していた食物の道と、空気の道が交差することになるのである。一方では、これが発声を可能にしているのだが、同時に合流時のトラブルといえる「誤嚥」をもたらす構造的弱点にもなった。つまり我々は「声」を得る代償として、誤嚥性肺炎という老齢期におけるリスクを背負うこととなったのである。何事にも得るものがあれば、失うものがある、ということだろうか。


<消化器のポイント>
・消化管概略

消化管は、口腔、咽頭、食道、胃、小腸(十二指腸・空腸・回腸)、大腸(盲腸・上行結腸・横行結腸・下行結腸・S状結腸・直腸)からなる。

・嚥下
嚥下は、第1相(口腔相)、第2相(咽頭相)、第3相(食道相)にわけられる。

・食道・胃・小腸・大腸の仕組み
食道には3か所の生理的狭窄がある。胃の筋層は、外縦層、中輪層、内斜層の3層からなる。小腸には異物に対する関門の役割としてリンパ小節があり、特に回腸で発達して、これを集合リンパ節(パイエル板)という。大腸は1.5メートルほどの消化管。

・肝・胆・膵・腹部血管(腹部動脈・門脈)
そもそもは消化管の近傍に位置して、栄養の蓄積や消化液の分泌機能をになっていたもの、という視点。そのために、腸管の栄養素を運ぶ門脈は、肝臓へと収束される。

・代謝の仕組み、三大栄養素、栄養
糖質、脂質、タンパク質の小腸での吸収。解糖系、クエン酸回路、電子伝達系といった代謝経路への、グルコース、脂肪酸、グリセロール、アミノ酸の流入。ケトン体の生成。ビタミン、ミネラルの働き。

 
<呼吸器>
・肺のしくみ
気管、気管支、肺胞の構造。肺葉と肺区域。胸膜と胸膜腔。

・内呼吸と外呼吸
肺胞と毛細血管網。ガス交換の仕組み。

・呼吸機能とその調節
横隔膜と肋間筋による呼吸運動。スパイログラム。呼吸中枢(延髄)。化学的調節には脳脊髄液のpHを感受する中枢性化学受容体と、pO2、pCO2、pHの情報を送る頸動脈小体、大動脈小体といった末梢性化学受容体がある。

・発声
声帯の振動により発声。声の高さは喉頭筋(反回神経)の働きによる。


2021年09月15日

解剖生理に立ち返る(序)

 昨年の四月にコロナ禍の中で、解剖生理学の基本に立ち返る目的で、三木成夫の『ヒトのからだ』による解剖学の学習会を開催しました。その際の参考資料のような形で、ブログにアップしていた記事を再掲してみようと思います。解剖生理学の復習として、また、ご自分の不調や、医学一般への関心の高ぶりの中で、自学自習のきっかけとなりましたら幸いです。
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 こうした中で、色々な不安や悩みなども多く聞かれるのですが、この機会だからこそじっくりと時間をかけて学びたいという方も多いようです。こうしたご要望も多いので、これまでの学習グループでの内容や講演などの内容を踏まえて、この統合医療領域における学習の指針を示したいと思います。これは医療従事者のみならず、セラピスト系やそれ以外の人体に関心のある方に広く、解剖・生理学習の方向性を示し、独習の参考にして頂ければ幸いです。つまり専門の人も、そうでない一般の人も、これを読んで、人体について概略を知ることが出来る、というものにしたいと思います。

 そうとはいっても、ただ解剖生理の教科書を買ってきてあたまから読むのでは、興味もわきにくいでしょうから、どのようにすれば、統合医療的な視点も入れながら応用範囲の広いものになるか、考えました。その結果、三木成夫の著作を指針として、解剖生理を眺めるのはどうだろうかと思いました。

 細かなことを網羅的に知ることよりも、一つ一つの事柄を記憶に留めやすい形で理解するには、大きな物語(ストーリー)が必要です。そうした流れを持っているのが、いわゆる三木解剖学・生命学だと感じました。試験などでは個々の要素(知識)が重要ですが、自らの健康増進に役立てるには、全体を一つの物語として理解することは重要です。そのためには、進化の視点を盛り込みながら、植物性と動物性という二極の相互作用(陰陽)として説明する三木成夫の視点が最適であると考えました。以下が、その参考文献です。ぜひ自身でもお読みいただくと理解がしやすいと思います。

ヒトのからだ―生物史的考察
三木 成夫
うぶすな書院
1997-07T



 三木はまず、生命の基本構造として一本の管「土管」の構造を示します。そしてそこでの機能を植物性として吸収・循環・排泄の順に解説していきます。ついで、それが逃げる、闘うといった動物性の機能を有するようになります。それを受容・伝達・実施として解説しています。そして進化の最終形として人間は二足歩行し、文化・社会を形成します。そこで問題となってくるのが、動物性器官の植物性器官への介入です。これにより狭心症や脳卒中などの疾患が生じてくると説明しています。
 しかし、これは逆に癒しの方法論として、動物性器官を用いて植物性器官へ介入することが可能であることも意味しています。呼吸法がその代表といってよいでしょう。またこのブログでもたびたび話題にしてきた「ファッシア」は、この両者を接続する重要な要素と考えられます。

 このように統合医療という、通常の医療よりも広範な医療を射程に入れるには、三木成夫の解剖学の視点が最適であると思うのです。

 まずは、解剖生理の概略をみてみましょう。それぞれの「系」では、細かい説明は成書に譲り(つまり細かな事柄の学習は各自のテキストなどで自習してみてください)、膨大な解剖生理の世界で迷子にならないように、大きな道筋としての一つの「物語」を提供してみたいとおもいます。自分の読みやすい解剖生理の教科書と共に、人間の身体を探ってみてください。

2021年09月11日

お城へ To Go (広島城)

 毛利輝元により築城され、原爆により倒壊した天守、広島城(73・広島)です。押印は平成27年11月21日で、吉田郡山城の訪問後です。
 毛利の居城の変遷でみると、元就時代の吉田郡山城から始まり、交易や規模拡大の必要性から輝元により広島城へ移り、毛利氏の頂点をむかえます。その後、関が原の敗戦により、萩城へと移り、幕末の混乱の中、幕府に無断で山口城に移転し明治を迎えます。そう考えるとちょうど、城の変遷の順に訪問していたことになります。山口城はまだ未訪問ですが…。

 広島城の五重天守は戦前まで残っていて、岡山城天守とともに建築史上重要な天守だったのですが、終戦間際まで火災にもあわずに残存したにもかかわらず、最後に原爆で吹き飛んでしまったのは本当に残念です。
 現在の天守は昭和33年に鉄筋コンクリートで外観復元されたもので、往時の小天守などは復元されていません。つまり元々の連結式天守にはなっていません。またかつては88基の櫓を有していたといわれ、相当な重装備の城郭だったことがうかがわれます。

 縄張りとしては、本丸が上段・下段の二段構えになっており、二の丸はそこからの出撃口的な馬出の形状をしています。
 そしてそれらを三の丸が囲うようになっており、堀は河川を利用した直線的な水堀となっています。またさらに外郭は、そもそも太田川の三角州に築城されたために自然の太田川に囲まれ、天然の防御態勢となっています。
 また縄張りの原型は、秀吉の聚楽第にきわめて似ており、その外郭を福島時代にさらに拡張したのが、全景と考えられます。

 戦略的には、いざとなると北側から逃走し、従来の吉田郡山城を詰めの城として利用し、敵勢に対して迎撃態勢に移れることも念頭に置かれていたようです。いずれにせよ、この築城により、河口のデルタ地帯であった広島が埋め立てが進み、現在の形への基盤となったわけで、文字通り広島発展の基盤とも言える城郭なのです。

 毛利氏が萩へと移った後は、福島正則が入城、城郭や城下の拡張、さらには年貢負担も軽くして善政を敷いたとされます。しかしこれがかえって幕府との関係を微妙にし、家康の死後、台風による破壊を無断で補修したことなどを詮議され、いざこざの末、領土没収となります。
 その後は徳川との関係の深い浅野氏が入城し、明治まで継続していきます。

 原爆ドーム、平和祈念館とともに、倒壊した天守をしのびつつ、再度来訪してみたいですね。倒壊というと本日は、9月11日。WTC倒壊の日でもありました。9月10日にツーソンにワイル先生に会いに行き、そのまま飛行機が飛ばず、日本に帰れなくなった日を思い出します。あれからもう20年なんですね。皆さんは、あの時何されてましたか?





日本の城 改訂版 11号 (広島城) [分冊百科]
デアゴスティーニ・ジャパン
2017-03-28



広島ご城下 歴史たび
原田 邦昭
南々社
2020-04-09






2021年09月08日

明日(9月9日)はジャングルカンファレンスです!

 明日はジャングルカンファレンスです。前回は久々のオフラインの開催を予定していたのですが、予想外のコロナ感染爆発という事態になり、会自体を延期せざるを得ませんでした。

 そうした最近の流れですので、今回はZOOMを用いたオンライン開催です。明日9月9日、基礎講座は18時30分からの開催となります。参加希望の方は、こちらよりお願いいたします!

 本年はさらに、統合医療学会においてもジャングルカンファレンス形式の統合医療カンファレンスが予定されております。学会主催の開催ですので、開催情報などがはっきりしましたら、あらためてお知らせしたいと思います。
 これまでは、答えをひとつに収束させない「カンファレンス」というものがなかなか理解されなかったのですが、「多職種連携」というキーワードのもと、同盟的なカンファレンスの重要性が少しずつ理解されるようになってきました。統合医療実現のためには、この「カンファレンス」の開催が必須というまでの認識になることが望まれます。

 解答をひとつに収束させ「結論を出す」ことを至上とする従来型を越えて、皆で逡巡しながらも現実に対応していこうとする「対話の場」を形成することこそが「統合医療」なのだ、という新たな考えを少しでも皆様と共有していければ、と考える今日この頃です。
 いわゆる専門家の先生も含めて、こうしたことが当たり前になる日をジャングルカンファレンス関係者一同は心待ちにしております。

2021年09月07日

脈診について考えたこと

 最近の気づいたことからのメモです。今週は、東洋医学会のオンデマンド配信中なので、江部経方理論に関するいくつかの講義をみている中で、特に脈診について思い出しておりました。
 いろいろな脈診の方法や考え方がある中で、一番丁寧に詳しく教えて頂いたのが、やはり江部洋一郎先生でしたので、あらためて江部経方の脈診をとるようにしました。すると以前は気づかなかった点や、脈診全体に関しての捉え方も変化したようで多くの気づきがありました。あらためて経方理論の体系の精密さと正確さには驚嘆するばかりです。

 またガレノスなどギリシャ・ローマの医学について調べていて感じたのは、東洋に比べて脈診など特殊な診察方法が少ないこと、臓器単位で現代にもつながるような病態生理的志向が強いこと(観察事項からの推測と解剖的な知見と合わせて内臓の機能的想像が特化していること)、など現代の医学にも通じる雰囲気があることです。(これは当然現代から見て、ということで当時においてはそうではない派閥・流派も存在していたことは容易に想像できます)

 これは西洋医学の「科学化」にあたって良いことでもあったわけですが、「身体」そのものから情報をとるという東洋医学の流れと、その後の歴史の中で大きな断絶を作ったようにも思います。
 統合医療の診察においても、通常のいわゆる内科的診察に加えて、脈診・腹診などの体表からの情報は多くのオルタナティブな情報をもたらしてくれます。

 東洋医学的なアプローチの利点はまさにここにあり、こうした方向の弱さが西洋代替医療の弱点のようにも感じています。
 とくにこの辺りはホメオパシーやアロマセラピーなどの診療と比較すると、過度なスピリチュアリティや、ルブリックなどの多くの情報の横断的な処理など、過度に主観的か、もしくは高度な情報処理に依存するということにも関係するように思われます。(これらが悪いとか短所だとかいう意味ではありません)

 これに対して脈診などは、それ自体で一つの身体全体への観測点を与えるもので、方法論自体と切り離しても成り立ちます。
 それゆえに統合医療という条件下においても、非常に便利なアイテムになりうるわけです。脈診・腹診等の存在が、東洋医学を過度な思弁化から遠ざけた要因とも考えられます。
 その点、高度な思弁化が進んだ結果、近代科学の成立とともに「真理」が究明される中で、一つ一つの事項が塗り替えられていったプロセスが、近代西洋医学の発展だったとも言えるでしょう。これの行きつく先が、現代における血液生化学検査や画像診断法の数々といったものです。(当院での統合医療診療における診断法が脈診などの東洋医学的なものと血液検査という2本柱であるのもこうした理由です)

 現代医学における内科診察法とも一線を画する東洋医学の診察法は、統合医療という視座からも大きな展望を与えることを日々の診療で強く感じております。EBMや「正しさ」というキーワードが躍る中、こうしたオルタナティブな視点の重要性を、すこしでもお伝えできれば、と考えております。脈診などについて最近、考えたことでした。


2021年09月04日

お城へ To Go (岩国城)

 錦帯橋越しの優美な復興天守、岩国城(74・山口)です。押印は平成27年12月14日です。山口での学会参加後に、足を延ばしての訪問でしたので、リフト終了間際の忙しい訪問となりました。文字通り駆け足で周り、ぜーぜーしながら天守にたどり着きました(笑) そのため、復興天守と離れて存在する本来の天守台に気づかず、これはいまだ未訪問となっております。

 ここはとにかく、観光地として素晴らしい。城下には武家屋敷があり、藩主の居館跡が吉香神社となり、隅櫓的な錦雲閣もあります。加えて、錦帯橋が美しく、わが国の建築技術の高さを知ることができます。また城下では、1738年に最古の目撃があるとされる、天然記念物「白蛇」(アオダイショウのアルビノ)も見学できます(私は蛇が嫌いなので見に行っておりません)。

 この岩国城はちょっと変わった来歴があります。関ケ原の合戦後に吉川広家により築城されたのですが、毛利本家のお家断絶が決定していた状況で広家が、自らの領地を本家に与えるよう懇願しました。これにより毛利輝元に周防・長門が与えられ、みずからは岩国3万石となったのでした。
 それでも広家自身は更なる戦乱を予見したのか、防御に強い城を築城し、山頂に三重天守をあげました。この時期にこうした築城は珍しいようで、広家なりの時代の読みがあったのかもしれません。
 しかし一国一城令により、差上部の城の取り壊しが決定され、建物は撤去、完成後わずか7年しか天守は存続できませんでした。
 せっかく立てた防御の城郭を破却するのはさぞや無念だでしょう。その後は山麓の居館のみとなりましたが、これは幕末まで継続しております。

 そもそもこの岩国は、長州藩の独立した支藩としても認められておらず、維新ぎりぎりで認められたという経緯があります。それも廃藩置県によりすぐに廃藩となり、なかなか厳しい歴史を有しているのです。
 山頂からの素晴らしい眺めをみながら、この数奇な藩の運命に思いをはせてみるのも良いかもしれません。







日本の城 41号 (岩国城) [分冊百科]
デアゴスティーニ・ジャパン
2013-10-22













tougouiryo at 05:00|この記事のURLComments(0)お城へ To Go 

2021年09月01日

和算家の歴史を別角度から眺める

 『隠された十字架 江戸の数学者たち』、和算の歴史についての面白い考察です。ここから日本の科学・学問というものがどのような系譜で今に至るのか、といったヒントが垣間見えるのではないでしょうか。
 といっても、ここに書かれたことすべてに納得、賛同しているわけではありませんが、ある前提をもって読むと非常に示唆に富む内容に思います。

 まず、和算は日本独自で生まれたものではない、という視点。それも隠れキリシタンとの濃厚なつながりにより、我が国に根付いたというもの、という視点です。
 和算の大家である関孝和はキリシタン宣教師により育てられた、という副題がこの本の概略になります。キリシタンの宗教心と棄教にたいする心情などを過度に推察した点が、私としては「?」という点ではありますが…。
 しかし、切支丹屋敷を設けた井上政重がきわめて重要な役割を担うこと、そして弾圧者という立場ながら隠れキリシタンの連携に絡むと思われる姿勢、これらはただ通常の心情からは推し量ることが出来ない、大きな秘密があるように思います。
 一見、弾圧者側が、それと反転した地位にあるということは歴史的には珍しくないようにも思われます。こうした微妙な関係性による秘密のネットワークの存在が、この本からは感じることができそうです(著者が意図しているかどうかは分かりませんが)。文字通り語られることとは一線を画した解釈の可能性が広げられます。
 こうした突飛な考えは、幕末から明治に至る変遷期において、不可解な動きをとる幕末の理数系武士団の動きと相俟って、意外と合理的なものにもみえなくもありません。また隠れキリシタンの動向は、幕末維新においても大きな伏流となっているようにも感じられます(大村藩と秋田藩の関連なども何かありそうですし)。

 さらにこの本を読んでいて、数学にはイスラム系とキリスト教系があるとか、ハーモニックコスモス信仰との関連が記載されているのですが、なんかとっても長沼先生的な記載だなと感じていたら、しっかりと参考文献に「物理数学の直観的方法」が挙げられていました。

 常識を疑いながら、素朴な疑問を解決していこうとする思考をとるときに、とても参考になるのではないかと感じました。




2021年08月31日

栄養・連絡・個別性  当院診療の三つの柱

 診療の形式ついてはこのブログでも時折記載していますが、一応のまとまりがついてきたので、院内のホワイトボードでも掲示する予定のものを、ここにもメモしておこうと思います。
 専門的な解説は、これまで少しずつしてきましたが、ここでは当院に通院されている方へのまとめとして一般的な用語で述べてみます。

 診療の大きなカテゴリーとして

(1)栄養

(2)連絡

(3)個別

 の3つを柱として据えました。実際の診療では、これらがすべて組み込まれるのを理想として、診療形態の一つの目安にしています。

 具体的な例を挙げてみましょう。

(1)栄養

  これは文字通り、食養(食事)指導とサプリメント処方です。三大栄養素をどのような割合で摂取するのか、十分な補充が必要なビタミンやミネラルは何か、などを、食事記録や血液検査などから探索し、自発的治癒力の発揮に必要な栄養状態へと導こうとする方策です。あらゆる治療の基本となるものです。

(2)連絡

  これは当初「経絡」としていたのですが、それですと東洋医学のイメージばかりが強調されそうでしたので、一般的な用語である「連絡」に変更しました。当然、経絡の全ての概念(皮部・経筋・経別・奇経等)は含まれ、それ以外の血管・神経・ファッシアなどの身体全体への連絡システムも包括されます。体の全ての連絡システムが渋滞・断絶することなく、有効に連携が保たれている状態にするために鍼灸の各技法、刺絡、パルス、HR等の各種技法を駆使するものです。

(3)個別

  これは個別性を重視した伝統医療の適応です。漢方やホメオパシー、各種セルフケア技法などを用いて各人の個別性、並びに疾病・症状への個別の対処方法を提供するものです。各種症状や、個別の臓腑に対して、方向性(ベクトル性)をつけるものです。これは通常、漢方やホメオパシーの診療形態ともいえるものですが、ここではあくまでも(1)と(2)の基盤のもとに、個別の方向性をつけるという意味合いをつよく持ちます。

  ブログだけの方には少しピンと来ないかもしれませんが、当院にいらしている方には、診療のイメージが具体的につきやすくなったのではないかと(勝手に)思っております。診療というものは、ただお任せで受けているだけ、というよりも具体的に自分で納得しているとより効果が発揮されるものでもあります。ややもするとあやふやになりがちな統合医療の診療形態を、当院での場合に絞って3つのポイントにまとめてみました。





2021年08月29日

ガレノス『自然の機能について』:目的論的「自然力」を考える

 錬金術やエーテルなど忘れ去られた概念によって、医学が新たな姿を現すということは、言われてみれば当たり前なことなのかもしれません。時折、そもそもの原点(原典)に還ることで、日々の診療を見直してみたいと思い新しいカテゴリーを作ってみました。

 いま、私たちが見ている現代医療的な「身体像」は、唯一の正しいものというわけではないでしょう。この人類と少し異なった別の人類があったとしたら、すこし異なる科学体系を形成していたかもしれませんし、そこから生まれた医学もまた様相を異にしたものとなっていたでしょう。
 別な人類を想定しないまでも、文明の異なりによる伝統医学の相違をみれば、異なる体系の創出はむしろ自然なこととも言えます。

 ヒポクラテスによって形成された医学が、ガレノスによって発展・整理され、ひとまずの完成となり、体系化された古典医学が、ルネッサンスを経由して科学的な「医学」に変貌する、というのが通常の医学史の概略になります。
 こうした解釈では古いものの代表のような扱われ方となりますが、果たしてそうなのだろうか、という疑問と共に原典を読んでいくと、そうした風景とはまた違った景色が広がります。

 ガレノス『自然の機能について』を読んで感じるのは、ガレノスの理屈っぽさというより議論の強さです。
 次々に敵対する学派を、容赦なく論破していきます。詳細な論点は、つかめていないのですが、ヒポクラテスの記載を読み込み、それを目的論的に体系化し、敵対する学派の矛盾を突くといった感じです。
 いわば原典であるヒポクラテスの記述を、詳細に読み込んだ上に体系化しているといった感じ。ここに一つの「自然力」という概念を用いて、一大医学体系の基盤としているのです。
 つまり他の学派はこうした基盤となる「力」を想定しない代わりに、血液過多病因論を形成する「空虚再充填説」や、体液を微細化された粒子でその流れの途絶などが病因を形成する「微細分化説」などにより、現実の医療行為の説明とします。それに対してガレノスは目的論的な「自然力」により自説の正当性を主張していくのが『自然の機能について』の内容となりそうです。

 一読して感じるのは、説明原理としてはホメオスターシスなどの現代医学における説明原理としてもあまり違和感がない、というよりは根底においては、議論展開を好む医学者の論理そのもののようにも感じます。印象的には、現代の病態生理学的な説明に極めて近い印象です。現代医学の「おり」のようにべったりと、その「底」にガレノスの影響が残っているのかもしれません。
 このガレノスの体系は、こののちにイスラム医学を経由して、現代の欧州の医学体系の基礎を形成するわけですから、さもありなんといったところでしょうか。
 また、ガレノスに敵対するアスクレピアデス学派や方法学派の医学思想については、二宮陸雄先生は、中国医学思想に近いと指摘しているのも興味深いです。
 つまりガレノスの勃興により、これらの伝統学的な様相が異なってくる一因にもなったかもしれないわけです。

 いずれにせよガレノスの「自然力」「自然生命力」といった概念は、かなり根深く私たちに根付くとともに、改めてこの思考法を研ぎ澄ますことが、日々の診療の新展開につながるように感じました。ヒポクラテスとの関連から、よりガレノスの独自性が見えてくるのかもしれません。この強い思想をもう少し見ていきたいと思います。

 ちなみにガレノスへの興味はこれにとどまらず、当院での実際の診療の形態にも類似点を見ることができます。具体的には、ガレノスは疾患への対応として、栄養の補給に加えて、瀉血を重要視した点が挙げられます。
 静脈からの大量の瀉血に限らず、ソフトなものまでいろいろなバージョンがあったようで、自然生命力の発揮を目的に、栄養と瀉血を組み合わせていたというのは驚きでした。まさに現代医療の中で当院は、ガレノス医学を知らないうちに実践していたということになりますね。

自然の機能について (西洋古典叢書)
ガレノス
京都大学学術出版会
1998-08T



2021年08月28日

お城へ To Go (郡山城)

 毛利躍進の拠点、郡山城(72・広島)です。押印は、平成27年11月21日で、広島からレンタカーにて訪問しました。のんびりとした田舎町といった安芸高田市にあり、郡山という山、全山丸ごと城という、西日本最大級の山城です。

 もともとは南北朝時代に毛利時親が築城しているのですが、それが旧本城にあたり、南東麓にあり、そこから拡張されて、山頂に本丸を置く、巨大山城へと変貌していったようです。
 毛利輝元によって広島城が築城されるまでは、ここがずっと本拠地ですから、元就時代の中心地ということになります。

 全山で曲輪の数は200を超えるといわれ、圧倒的な数を誇ります。その割には、堀切や土塁などが少ないというのがこの城の特徴です。
 山麓の駐車場から、本丸を目指して上るのですが、途中、尾崎丸、旧本城にも行けるのですが、とにかく城域がでかいので、一通り周ったら相当の疲労と足の痛みが出てしまいました。翌日、広島城を巡っていて足が痛くて仕方なかったのを覚えております(笑)

 この郡山城は、主を尼子から大内へと乗り換えた毛利元就が、尼子の3万を超える大軍勢に包囲され籠城戦を展開した城です。
 大内からの援軍を待つ間に両軍、膠着状態となったものの援軍到着後は、形勢を逆転させ総大将尼子久幸を討ち取るに至りました。

 またこの時、援軍として派遣されてきたのが陶晴賢で、のちに元就が西の桶狭間とも称される奇襲戦、厳島の合戦の敵役となるわけです。今川義元みたいな感じですかね。二人の武将のその後の展開を知っていると運命を感じてしまいます。

 またこの城には、元就が城の拡張を行った際に人柱の代わりにしたと伝承される「百万一心碑」を模した碑が有名です。ちなみに百万は「一日一力」とも読めます。



郡山城 ―毛利氏260年の城― 日本百名城選定記念企画展〈安芸高田市吉田歴史民俗資料館図録 7〉
安芸高田市吉田歴史民俗資料館[編]
安芸高田市吉田歴史民俗資料館
2007-04-06






 

2021年08月26日

臨床ファッシア瘀血学 番外編 外辺知識としてのエーテル

 今回はファッシア瘀血そのものというより、その外辺的な知識としてのエーテルについてメモしておきたいと思います。

 エーテルは、科学史的にはアインシュタインによる現代物理学誕生前夜に、宇宙を満たす物質としてニュートンに代表される古典物理において絶対空間を形成する「物質」として仮定されていました。
 それゆえに現代物理学においては、真っ先に乗り越えられる概念として、その存在が否定されたものです。ただし、これが19世紀の電磁気学などの再評価の中で、じつは姿を変えながら復活しつつあるとする見方もありますが、ただし従来のエーテルそのものとしてというわけにはいかないようです。

 では、どうしてここまでこの概念は否定されてきたのでしょうか。当然、現状の理論(相対性理論など)との齟齬という面は大きいのですが、それ以外にも実は、これは錬金術由来のキーワードだったということも見逃せません。近代科学のダークサイド、錬金術です。こんな概念がうろちょろしていては、確かに現代科学的に落ち着かないでしょうね。

 そもそも錬金術は卑金属を「金」に変える、さらに広く言えば、不完全なものを完全なものへと変化させる神の技です。具体的には万能薬(エリキサ)を作ったり、賢者の石を作ったりという世界です。
 宇宙を形成する「第一質料」から「四大元素」が形成され、これらを結び付けるものとして「第五元素」があり、この第五元素こそが、賢者の石そのものであるとされます。
 そしてこれが宇宙空間を満たすプネウマである「エーテル」だというわけです。もうこれだけ書いただけで、現代科学がいかにこの概念がお荷物だったかが痛いほど伝わります(笑)

 こうしたものを理解しようとする時、エーテルとは何かという理解の仕方をしない方が良いでしょう。つまりエーテルという概念によって、どのような現象を説明しようとしていたか、と考えると、各人によってかなりその意味するところが違ってくることが分かると思います。
 何らかの現象を説明しようとするとき、我々は今ある概念を用いて、つまりその言葉に仮託して説明するしかないわけです。

 ちなみにこの第五元素たるエーテルは、硫黄・水銀・塩の「三原質」における塩と同一視され、対立する硫黄と水銀を結合させる物質とされました。
 そしてこの「賢者の石」を抽出するために多く用いられた材料が「卵」になります。これはなんとなく理解できて、卵から全く異なるニワトリが形成されてくることから、そこに第五元素の大いなる力をみたことが推測されます。
 個人的にも、多くの場合の推奨食品である「卵」が賢者の石を含むものであるとすると、はげしく同意です(笑)
  
 無いものとされる「エーテル」を別な視点から再評価することで、物理学などでも新展開が可能となるように、従来ただの梱包材的な意味でしか語られなかった結合組織など「ファッシア」も、身体への大きな視点の変更を迫るものです。
 従来、無視されていた空間へのまなざしという意味でも、共通するところが少なくありません。というより身体というバラバラな要素の集合体を、一つのまとまりとして結びつけるという意味では、身体における「エーテル」はまさに「ファッシア」そのものであるという解釈ができるわけです。こうした外辺医療的な知識も、「ファッシア瘀血」の今後の展開には、不可欠になるように感じています。

 錬金術に関してはこちら


図解 錬金術 (F‐Files No.004)
草野 巧
新紀元社
2006-02-17



 物理学におけるエーテルの意義についてはこちら





 賢者の石についてはこちら(笑)

 
ハリー・ポッターと賢者の石 (吹替版)
アラン・リックマン
2013-11-26


2021年08月25日

魔女・魔法について 『魔女の薬草箱』『ヒルデガルトの宝石論』

 ホメオパシーなどをみていると、時折、西洋の魔法・魔女や錬金術に関する知識が気になってくることがあります。
 確かに現代の視点から「後知恵」でみればくだらないもののように思うのも分からないではないのですが、やはりそこには「何か」があったように思うのです。

 この「何か」の感じが、おそらく漢方系の神農やら「傷寒論」やらとは大きくテーストが異なっているように感じます。なんというか魔術的なのです。幽霊が実体?としてはそれほど強くなく(妖怪的なイメージと異なって)、それゆえにその不気味さによって、心の内側から湧き上がる「恐怖」を引き出しているのと似ているといえるでしょうか。

 魔女も同様で、決して強い存在ではなさそうで、その背後にいた「賢い女」もまた社会的には弱い存在だったようです。そこに「薬草」なり「薬石」なりが、組み合わさった。当然、現代においては同様の使い方はできないでしょうが、これらの持つ「力」をある種、根源的に、そして現代的に引き出してくれているのがホメオパシーなどに代表されるものなのかもしれません。


ヤマケイ文庫 魔女の薬草箱
西村 佑子
山と渓谷社
2018-04-16



 魔女ではありませんが、いわば表と次第に融合しながら世に現れてきたという意味では、聖女ヒルデガルトもこの系譜なのかもしれません。


ヒルデガルトの宝石論―神秘の宝石療法 (ヒーリング錬金術)
真一郎, 大槻
コスモスライブラリー
2017-11-01


2021年08月24日

賢者の石は「卵」だった!?

 錬金術の第五元素について考えていたところ、その抽出材料として用いられていたのは「卵」だったということを知りました! 第五元素というのは、対立するものを結合させ、物資を自由につくり変えることができる「賢者の石」そのものなのです。
 つまり「卵」はあれほど安価ながら、既に賢者の石を含有している素晴らしい食材ということになります。

 あらためて卵料理に感謝したいと思います! 健康増進の秘薬、タマゴを召し上がれ!





日本一の卵レシピ[愛蔵版]
プレジデント社
2018-02-28




まいにちタマゴ専門家が教える最高の食べ方
タマゴ科学研究会
池田書店
2021-05-14




統合医療におけるプラシーボ効果を考える

 ある先生に二重盲検法について強く主張されたので、ちょっと二重盲検法を再考するとともにプラセボの在り方などを考えていました。

 そこで、統合医療における「プラシーボ(プラセボ)」の意義をあらためて考えてみたいと思います。かつてプラシーボについて統合医療の観点からまとめたものを再掲しますので、ご興味ある方はどうぞ。

 

従来のプラシーボ効果をめぐる状況

 プラシーボ効果とは、一般に薬理効果のない物質や治療法であるにもかかわらず、臨床的効果を及ぼすもの、と言えよう。それゆえプラシーボは「不活性または作用のない物質」と定義されることが多い1)。広く医療行為においては、実際には不可分に含まれていると考えられるが、研究的側面においては、排除すべきものと考えるのが一般的である。この効果をいかに排除するかが、臨床研究の成否を握るといってもよく、その方法論上で最重要とされているのが「二重盲検法」である。それゆえこの方法は、広く薬物等の効果判定として用いられているわけであり、代替医療の検証においても例外ではない。つまり、プラシーボ効果を除去しなければ、科学的にその効果を証明したことにはならないのである。この方針は、代替医療の検証において、とりわけ、ハーブや健康食品等の効果の検証において特に有効といえる。

 

代替医療評価における二重盲検法の問題点

 ただし、この方法にはバイアスを完全に除去できているのかという問題点もある1)。バイアスを最小限にした適切な対照群を設定しなければならないという問題である。薬物類の検証においては「偽薬」を設定しなければならないが、カイロプラクティックやアロマセラピーなど、偽薬にあたるコントロールを設定しにくい療法の検証は困難である。鍼灸の検証においては、偽の鍼等を用いて、方法論の工夫をしているものの、厳密な意味では問題点も少なくない2)。また、そもそも代替医療の本来の性質から、心理反応を積極的に利用する側面もあり、その効果判定からプラシーボ効果を除去することの是非も議論されており、積極的に臨床に取り入れるべきという見方もある3)。つまり、代替医療はプラシーボ効果を積極的に用いる体系である、とも言えるわけである。ここで我々は、代替医療を研究するにあたっては、プラシーボ効果に関して、肯定的と否定的意義の二つの面を考慮する必要がある。こうしたスタンスの必要性は、通常の現代医療における臨床研究との大きな相違点といえよう。

 

代替医療と現代医療の接点としてのプラシーボ効果

 それでは、プラシーボを肯定的に取り扱うからといって、そうした代替医療研究は「科学的」ではないのだろうか。プラシーボはただの「気のせい」だけであって、何ら人間に証明しうる生理学的変化をもたらすものではないのだろうか。そもそも代替医療は、既知、未知を問わず、様々な機序を介して、生体の治癒機転に働きかける医療ともいえる。つまり妥当な科学的方法であっても、プラシーボであっても、生体の治癒へのメカニズムに働きかけていれば同意義であるととらえられる。想定する生体の治癒メカニズム(自律神経系・生体防御系・内分泌系等の連携)は、実態をもつものであり、これ自体は科学的説明が可能である。これらを、プラシーボ研究で著名なミシガン州立大学のハワード・ブローディ教授は自著の中で「体内の化学工場」と表現している4)。つまり、「実薬」であっても「偽薬」であっても、「体内の化学工場」は同等に治癒機転に働きかける。その結果、治癒がもたらされるのであれば、その原因は本質的に関係ないとも言える。こうした観点から、代替医療の臨床においては、プラシーボ反応はことさら、除去すべきものではない、という見方ができるわけである。これは、こと代替医療に限る問題でもない。現代医療においても、昨今、個別性を重んじた医療ないしは全人的医療といった概念の重要性が叫ばれている。また、そこに通低する思想も、科学万能的思想から、「語り」を重視する「ナラティブ」重視へと変貌している。こうした流れの中で、これまでのプラシーボに対する従来の意味づけも変化してくるのは自明である。従来の薬物療法や外科手術においても多分にプラシーボ効果は観察されている3)。つまり、両者にとって不可欠かつ、共通の接点としてプラシーボ効果は、非常に重要な役割を持つと言えよう。

 

統合医療におけるプラシーボ効果

 この考えをベースにすると、代替医療を現代医療の中に統合していこうとする「統合医療」において、プラシーボが重要な意味があることがわかるであろう。つまり、統合医療研究という場合、現段階では、代替医療の基礎研究的側面と実際の臨床的側面とでわけて考える必要がある。我々は今後、この分野においてプラシーボ効果というものを考えるにあたって、このように分けて考える必要があるだろう。また将来的には積極的なプラシーボの評価という大きな発想の転換の成否が、新たな医療、「統合医療」研究の成否ともなるだろう。

 

(参考文献)

1)A K Shapiro/赤居,滝川,藤谷訳パワフル・プラセボ協同医書出版社, 2003

2)川嶋朗,山下仁鍼灸治療臨床検査47:719-724, 2003

3)J E Pizzorno, M T Murray/帯津良一監修自然療法産調出版, 2004

4)Howard Brody/伊藤はるみ訳プラシーボの治癒力日本教文社, 2004

 


甲野先生最新刊おしらせ 『老境との向き合い方』

 甲野善紀先生の最新刊が来月発刊予定です! 今度は「老境との向き合い方」がテーマなようで、だんだんと私も気になる内容になってまいりました(笑)

 ウェビナーなどで最近は御一緒させていただくことも多いのですが、いつも先生の話の流れ、テーマへの切り込み方には、考えさせられることしきりです。
 そもそも「新しい仕事をつくる」なんていう題名の書籍も書かれているように、従来の枠ではなかなか説明のしにくい先生です。
 最近もある学会にお呼びしようかと、先生を講師とする企画書を書いていたのですが、知らない人への説明は本当に難しい。分かり易く書くと、つまらないか、わけわかめか、いずれかになってしまうし。

 ただ、私が現在の形式でクリニックをやるようになった大きな理由は、甲野先生の道場にあります。柔道でもない、合気道でもない、ましてや剣術・剣道でもない。どれでもないけど、いずれの本質も体現する、という言葉で書くとピンと来ない書き方になってしまう。こうした感じを医療においても体現したいという想いこそが今のクリニックの本態とも言えます。
 ただ東洋と西洋の医学や、現代医療と代替医療を併用するということではなく、その本質における「統合」を自分なりに体現してみたい、そうした思いがこのクリニック開業に突き動かしたといったも過言ではありません。
 こうした思いと共に、先生の著作を読んでみたいと思います。


古の武術に学ぶ 老境との向き合い方
甲野 善紀
山と渓谷社
2021-09-18


2021年08月23日

多則一、一則多の考え方 現象の隠蔽に気づくために

 以前に購入したダビンチの『解剖手稿』を、時間があったので眺めていました。保存などが現在とは比較にならない状況であった当時、血や油にまみれることなく、解剖のデッサンを残すことはかなりの作業だったことでしょう。
 そうした事情もあり、これらのデッサンは体表解剖の後、筋肉・骨格系の段階まで一気に進められていたようで(一部の皮静脈などの描写等を除いては)紙を汚さないような状況まで達してから記録していたようです。
 当然こうした状況では、ファッシアはただの邪魔ものです。特に身体の大きな動きなどを記載するには、筋肉と骨格で十分すぎる情報ですし、ファッシアを考慮したとしても、ただコンタミを増やしているような感じでしょう。

 フッサールがかつてガリレオを評して「隠蔽の天才」といったと伝えられますが、まさに近代科学の生みの親とも言えるガリレオにとっては、大きく物理現象をとらえることでニュートンに至る科学革命を成し遂げることが出来たともいえるでしょう。
 しかし、それを文字通り「真理の発見」のようにとらえるのではなく、隠蔽していることを喝破したフッサールも現象学創始者としての面目躍如たるところでしょう。
 ただここで、注意すべきは、ガリレオは生の世界から真理を掬いだしたのではなくて、何らかの情報を隠蔽することで「真理らしきもの」を記載することができたという視点です。

 この辺りの事情は、科学史において時折現れるものです。ただしギリシャ時代など古代との齟齬であればだれもがすぐに気づくのですが、現代に近づくほど「自らの問題」とも隣接してくるので、そう簡単にはいきません。
 例えば、「エーテル」の存在などは、スーパーヒーローのアインシュタインの存在とあいまって、もはやその実在を口にすることもはばかられるといった状況ではないでしょうか(アインシュタイン物語的には「絶対空間」否定のための大きな盛り上がりですし)。いくら否定的な実験結果が出たとしても、大きな物語が一度完成してしまうとその修正はほぼ困難ということなのでしょう。

 ココマデの状況ではなくても、細胞の基本構造にもこうしたお話はあります。各細胞を隔てるものはいわゆる「脂質二重膜」とされていますが、これすらも「絶対」という状況ではないようです。いくつかの実験では二重膜を仮定しては矛盾する結果もありますし、代替的なモデルも水分子を研究するMRI研究者などからも出ているようです。つまり液体を包んだ袋ではなく、その内部がマトリックスで満たされむしろあまり「水」の自由な状態ではない、というモデルが考えられているようです。
 まあ、このような例は多分他の分野でもいくつかあるように思うのですが、いずれも時の主流の中、ただの「トンデモ」扱いを受けてしまっているのでしょう。

 しかし、そうした扱いにより、明らかに、生の現実界における何らかの「現象」をとり漏らしているだろうこともまた事実。
 医学の単純化へと突き進む流れの中で、解剖においてファッシアは取り残され、それゆえに幾多の「経絡現象」もまた「ないこと」にされてきたのではないでしょうか。

 物事の理解の仕方は、主に単純化への方向性がほとんどですが、それ以外の方法、複雑化へと向かう方向も、また考慮しなければいけない時代に近づいているのではないでしょうか。
 「多」から「一」へと真理探究を進める方向だけではなく、逆に「一」から「多」へと思考を進めることで新たに気づくことも少なくないでしょう。アナトミートレインなどからファッシアを考えるとき、この「一則多」的な方法の重要性を感じます。

 これはダイアローグの思想にも連なるものがあります。とにかく「結論」がひとつへと収束しないことに対して不満を持つ方が少なくない状況において、リフレクションなどのプロセスの結果、共通了解へとつながる流れもこれと同様に感じます。「多」つまり「複雑」な状況に進行させることは、従来は求められていなったものですが、この混迷する時代状況においては多くのヒントをもたらしてくれることも少なくありません。我々は知らないうちに、勝手に物事を単純化(モデル化)して、簡単な答えに飛びつくことのなんと多いことか・・・。

 統合医療における当院の取り組みにおいて、こうした方向性は非常に重要なヒントになります。皆さんの健康な生き方をサポートするにあたり、こうした視点をより明確にしながら取り組んでいきたいと思います。
 そういったオルタナティブな方法の数々を、当院での診療を通して少しでもお伝えしていく所存です!

2021年08月22日

香川元太郎先生の最新刊でます!『戦国の城』!

 少し前にご紹介した香川元太郎先生による詳細な(緻密な)復元イラスト集『日本の城』の続刊が発売予定です! なんと『日本の城』に未掲載の105城!による『戦国の城』です。





 表紙を見ただけで楽しみになります。じっくりと詳細を眺める楽しいひと時が過ごせそうです! 保存用も買おうかと思案中です(笑)

ファッシア・ダイアローグ・コヒーレンスについて思ったことなど

 最近の当院のキーワードがだんだんと形成されてきたように思います。素材としての「ファッシア」、JCなどの「ダイアローグ」、そしていわゆる共鳴としての「コヒーレント」です。ファッシアもダイアローグも、そこにはコヒーレンスが重要概念となるので相互に関連しているのですが、便宜上の3つとでも言いましょうか。

 そんなことを考えるなかで、思考とダイアローグについて、すこし再考してみたいと思います。物理学者ボームは思考のクセのようなところを指摘し(思考の明白な問題点は「断片化」にあるといいます)、それを自覚することの重要性を述べます。また、あらゆる問題はすべて思考の中で起こるとも述べています。

 こうした思考のクセのようなものを自覚する方法が「ダイアローグ」にあるというのです。そしてそこからは「洞察」も得ることができると述べています。洞察により、自らの思考を自覚し、そのインコヒーレントな点を超越して「コヒーレント」な状態に至ることができるというわけです。
 一人だけでは容易に到達できない状態に、集合体となることで可能になるということです。興味深い挙動の発現もこれを基盤として発動してくるのです。


 少し違った観点ですが、このようなことはエネルギー医学の領域においても、かつてから指摘されていました。一例として、ラグビーやサッカーのような集団競技の試合中に負傷者が出た場合のケースが、あるエネルギー系医療の解説書に紹介されていました。その際に、応急処置がとられるのは言うまでもありませんが、それと同時にチームのメンバーが集結して、その負傷者に対して祈りを行うことで、状況の好転や回復の早まりが起こるという指摘がありました。
 これは同時にその後、試合続行時にもメンバー間の意思疎通が良好になるという「付加的」な事態も生じうるというのです。それこそ、このチームという集団が「コヒーレント」な状況になっているということだと思います。
 我々のジャングルカンファレンスや、相談者を含めたジャングルカフェといった状況にもあてはまる例といってよいのではないでしょういか。

 つまり集団が、「首尾一貫した良好な状態」になっているとき(まさにレーザー光線のような状態にあるとき)、それは「コヒーレント」な状態であるといえるでしょう。
 これは社会的な集団のみのことではありません。我々の身体は、細胞・組織の集団といってよいものです。つまり一個の身体としてもコヒーレントな状態となりうるのです。


 こうしたすべてのシステムに超越したものとして、血管、神経を凌駕して想定されているのが、「ファッシア」といえます。進化論的にも、この出現が最も早いことは言うまでもありません(広義には細胞外マトリックスも含まれますから)
 これはエネルギー系の書籍では、何らかのエネルギーを媒体する生体マトリックスやら軟部組織と称されることがありますが、概念の統一を図るとすれば、現時点では「ファッシア」としてよいと思います。

 ファッシアに関連する水分子をはじめとする生体を構成する諸分子が、コヒーレントな状態になっていることが、健康的な状態といってよいでしょう。(ちなみにボームは『ボームの思考論』において「ガン」はインコヒーレントであると述べています)

 このように考えると不調の状態(インコヒーレントな状態)を、コヒーレントな状態へと復調させる方法、例えばホメオパシーをはじめとするエネルギー医学の特徴がとらえやすくなるのではないでしょうか。
 つまり漢方やハーブのように大きめの分子レベルで作用しているのではなく、量子レベルでの挙動で考えるということです。

 直接、ファッシアを復調させる徒手療法のみならず、こうしたエネルギー的な観点も許容しながら、生体における「コヒーレンス」ということを考えていかなければならないのではないでしょうか。

 こうした考え方は同時に、現在のファッシア研究(や紹介)が、ややもすると限定的な徒手療法の視点からのみで展開されていることにも注意喚起することにもつながります。
 確かにファッシアはエコーにより可視化されたことで、その存在がクローズアップされたことは否めませんが、世界的な研究の流れから見ると、エネルギー医学との密接な関係は無視することはできません。(実態を前面に押し出すか、概念を前面に押し出すか、の相違です)

 ダイアローグを再考するということは、ファッシアという概念を単なる徒手療法の一用語としてとどめることなく、コヒーレンスという視点から再認識することにもつながるのです。(ここも多くの誤解があり、ただ話せばダイアローグになるというわけではないのです)

 コヒーレンスに関しては、最近は、身体内部における定常状態において共鳴する周波数やらホメオパシー、経絡現象論とあわせて具体的な治療論ともリンクしてきています。こうした個々の身体で生じたことに限らず、個人と個人との「あいだ」、そして集団内部で起きていることといった、これまで扱いにくかった「できごと」についてダイアローグからのコヒーレンスは大きく展望を開いてくれるのではないかと考えています。

2021年08月21日

「川中島の戦い」が展開中!

 現在、「川中島の戦い」が展開中です!、といっても城めぐりアプリ内でのお話です(笑)戦いといっても仲間を助けながら、自軍を優勢に導くという「滅私奉公」的な要素も強いこころ温まる「戦い」です。何を言っているのか、やっていない方には分かりにくいのですが、コロナ感染爆発の状況下で、自宅でこもりながら出来るイベントですので、気になった方は是非のぞいてみてください。今すぐ、参加することもできます。無料アプリに入る必要はありますが。

  ニッポン城めぐり アプリ






お城へ To Go (津和野城)

 山陰の小京都の城郭、津和野城(66・島根)です。押印は平成29年7月22日、リフト茶屋にて押しました。友人たちとの長州藩の歴史見学の一環として、立ち寄りました。
 訪問時は、天候悪化のしつつある夕刻で、リフトの営業時間を早めて、終了してしまうそうになっており急いで見学しました。我々の少し後に、営業時間内なのにリフト終業となってしまい、外人さんが残念そうに帰っていったのが印象に残っています。また、友人が自販機でペットボトルのお茶を買ったら、何本も出てきてしまい、焦ったのも良い思い出です(笑)

 もともとは元寇の際に築かれた山城で、対外戦争を想定して険しい山に建てられましたが、吉見頼行の地頭赴任とともに居城となります。このときが三本松城と称され、その後、坂崎氏により津和野城として完成しました。その後、亀井氏による改修され、明治の廃城令により解体され、現在に至ります。石垣のみが現存の状態となります。城下町との比高が200mあり、約5分ほどのリフトで上がることになります。そこからさらに尾根筋を歩いて出丸、本城に至ります。近世城郭として整備されたときには、三重天守をはじめ多くの櫓があったとされますが、落雷にて焼失し、その後は再建されなかったようです。

 津和野で亀井氏なので、亀井静香との関連があるのかと思い、調べてみたところ、亀井久興、亜紀子がこの直系のようで、静香は傍流にあたるようです(WIKIによる)。いずれにせよ、このころからの流れが政治家に必要なようですね。現代の政治を見るのにも城はちょっと参考になるのです(笑)

 三本松城から大改修して津和野城とした坂崎直盛ですが、千姫を強奪しようとした千姫事件で有名です。大坂の陣で千姫を救出した直盛ですが、この千姫強奪が露見します。これは横恋慕のためともいわれたりしますが、千姫の別の縁談を進めていた坂崎のメンツがつぶされたことによる、とする説が有力なようです。
 いずれにせよ坂崎氏は取り潰しとなり、以後幕末まで亀井氏の時代が続きます。この流れは、なんとも不可解な事件なのですが、大阪の陣に絡む出来事ですので、相当いろいろと内部事情があったことがうかがわれますね。城めぐりしなければ、あまり調べてもみなかった事件です。

日本の城 改訂版 85号 (津和野城) [分冊百科]
デアゴスティーニ・ジャパン
2018-08-28





日本よ、憚ることなく
亀井静香
ワック
2020-01-17


 

 

2021年08月20日

対話・共通了解そして真理について 

 「オープンダイアローグ」や「ジャングルカフェ」といった当院が中心となって開催している取り組みは、近年の「対話」重視の流れを積極的に取り入れたものといえます。
 これらは、診療ではありませんが、10年以上前から取り組んでいるジャングルカンファレンスに連なる系譜とも言えます。

 ただ「傾聴」していることが対話のようにとらえられることも少なくないのですが(そうした面もないわけではありませんが)「対話」といった時には、少し異なった大きな意味も含まれるように思います。(この辺りが非常に難しく、ただ全員の意見をまんべんなく聞くことがJCだと思い込んでいる人がいるのも事実です…)

 これに加えて、多元主義的な統合医療を主張すると、「なんでもいいのね」とか「相対主義だね」といった感想をいただくこともあります。
 哲学の議論としてもこの辺りは結構ややこしくなるのですが、結論からいうと、対話により現実にアクセスすれば、相対主義には陥らない、といえると思うのです。(これも実のある対話がJCで本当に交わされるのであれば…)

 JCなどの対話を、実際に行わず頭だけで考えた場合、どうやって結論に至るのか明確に構造化されていない、といった批判がなされるのですが、これこそ、ガイドラインがあればすべての問題が解決される的な安直な思考といって過言ではありません。現実はもっと流動的で、急性期などを除けば絶対的な視点などは思っているほどあてになるものではありません。(なぜかこうした構造化されたモデルを強く求める先生方は多いようです。一応モデル提供するのですが、その方たちが実際にやるかというとそうではないことがほとんど。つまり自分の脳内での「安心」「安泰」をえるために不要なモデルを当方に要求しているだけのように思えます。実際に臨床をされていない先生方がほとんどのように感じています)


 価値の問題なども、相対主義的な陥穽に陥りそうに思いますが、実際のケースに基づいて考えれば、概ね一つの結論に収束することも稀ではありません。
 このあたりのことは哲学史的にも大きな問題ですが、ソクラテス、プラトンの昔から共通の了解として、認識されていたことといってよいようです。良心に基づいた対話を展開すれば、人はおのずと結論めいた「共通了解」に至るという実感があります。


 あらゆる方法論のベースに、現在は客観性のデータが最も重要視されておりますが、本当にそれだけなのでしょうか。または肩書・職位などにより大きくその方向性がゆがめられていることはないでしょうか。共通了解という一見当たり前な概念の重要性が、かつてないほどに高まっているように感じられるのです。

 「対話」というもののの再認識の中で、統合医療のみならず、医療全体が大きなパラダイム変換を行っているように感じます。「やまのあなた」にある理想の真理ではなく、使い勝手の良い、それでいて幸福を感じる数が最大数となるような結論への道筋を我々は今一度考え直す時にきているのではないでしょうか。

2021年08月17日

電子が意志を持つという説

 以前にも、量子力学における山田廣成先生の「電子が意志を持つ」説を擬人化の例としてご紹介しました。そしてこの説には「擬人化」ではとどまらない大きな意味があるように感じましたので、再度メモしておきたいと思います。ちなみに擬人化というと、非科学的というレッテルが即座に貼られてしまいますが、これもあくまでも「近代知」から見た一つの見解でしかありません。我々は、伝統医学の歴史から、近代知誕生前の、万物から人間を理解するという「陰陽五行説」などの古の視点に戻る必要があるのかもしません。

 山田先生のこのご著書は、副題が「電子にも意志があるとしたら貴方はどうしますか?」というのですが、まさにこれまでの視点を大きく転換させるものでもあります。私も個人的にとても関心のある「観測問題」から、電子を考えると、その実態は「粒子でもあり波動でもある」ということになります。

 ここから統合医療、代替医療における「波動」の様々な領域が展開していくことになるのですが、それはある種の「無形」なものにすべてを還元するという意味で、「生きる」ということへの空白地帯を形成しかねない危うさをも有するものを生み出しているようにも感じていました。(あらゆる概念を過剰に物理的な用語へ変換しすぎているのではないか、ということ)

 誤解のないようにいうと、「スピリチュアリティ」などの諸概念を否定しているわけではありません。
 むしろケン・ウィルバーらの言うところの「スピリチュアリティ」は積極的に肯定するのですが
、あらゆるものを波動へと還元させる風潮への懸念といったところでしょうか。こうした考え方の基底をなしているのが、この電子の波動性の問題なのです。つまり身体は電子によって形成されていますから、身体や物質の波動性といえることにもなります。

 詳細は山田先生の著作を読んでいただきたいのですが、まずは電子の存在を示す基本的な(現在までわかっている)実験結果を提示して、思い込みなしで事実を判定してほしいと迫ります。(どこまでこれまでのイメージから離れられるか、個人差は大きいでしょう。この辺りは井口和基博士の論法で言うところの19世紀の物理へ帰れと言った感じでしょうか)

 虚真にデータを見たとき、確かに提示されるデータからは明らかに物質だということが確認されるというのも納得です。
 ではなぜ「波動」ということになるのか。それは電子が集団となった時に、干渉などの現象が現れ、それゆえに「波動性」をもつというわけです。

 当然ながら、これが電子ではなく、意志を持つ人間であれば、互いに干渉しながら影響するので、統計的に処理すれば、結果として生じた現象において波動性があるものの、それは統計的なふるまいであって、実態を有する人間そのものが波動だという結論にはなりません。これは、いわゆる「渋滞」などの現象で日常的にみられることです。集団行動の予測が、物理的にシュミレーションできることからも理解できます。

 それでは今度は、視点を反転させて電子が人間のように、個々が意志を持っていたらどうなるかと思考実験したのが、山田先生の理論展開となります。
 すると非常に難解な、モノでもあって波でもあるという「量子の二重性」という概念を持ってこなくても、電子同士が意志をもって対話していたとしたら、結果として「波動性」を持っているように見えるというわけです。

 それゆえに量子力学において基礎的な「波動方程式」は、対話方程式もしくは干渉方程式と呼ぶべきだと、山田先生は主張されます。(人であれば個人と社会をわけて考えるのは確かに当然なことです)
 つまり電子が意志をもつという考えを受け入れることができれば、少なくても量子力学のもっとも理解しにくい難所を、クリアすることが出来るわけです。「教える」という立場においては、この便宜も非常に重要なことだということになります。

 これを統合医療的な分野にもってくると、人間の波動性という無形化した概念の導入よりは、電子という存在が意志(われわれが実感している意思とは少し違うのでしょうが)をもつということの方が、実はすんなりと受け入れやすいのではないかと思うのです。そしてこれは「対話」という行為においてもより大きな意味を見出すことにつながります。

 明治期の霊術の展開などを見ると、当時の最新科学である「放射線」の影響を強く感じられるように、代替医療領域は、その時代の最新科学の影響を強く反映します。
 そう考えると現在の波動の風潮の基盤は、間違いなく現在の量子力学の解釈に依存していますから、ここの解釈を反転させることは、この医学領域の発想の転換を余儀なくさせるものでもあるわけです。

 個人的な興味としては、意志や干渉においても当然「階層」があるでしょうから、それを基盤として漢方薬やレメディの作用点も階層があるはずです。
 また電子の意志を仮定することが可能であれば、レメディの意志というものも可能であるかもしれません。そして単なる「対話」が、往々にして「スピリチュアリティ」との関係を深く印象付けることも、こうした考えとリンクしていることだと思います。

 対話に関しても、往々にしてただ仲良く話し合えば良い、という程度に捉えられることが多いのですが、マクロにおけるコヒーレントな状態を形成するという大きな意義があるということをあらためて考えさせられました。



2021年08月15日

アトピー性皮膚炎などへの漢方について思いついたこと

 東洋医学会のWEB開催の会期中ですので、少し漢方について思いついたことを。

 そもそも漢方に関しては、自分にとって一番最初に学んだCAMといえるもので、学生時代からの学習や、漢方外来を群馬県の山あいで開設してから数えると四半世紀以上の長いお付き合いです。
 現在でも、腹診を中心にした和漢の手法で処方するときは、広島で古方を展開されていた小川新先生の処方を、アトピー性皮膚炎や腎機能障害、リウマチなどアレルギー・自己免疫の難治性疾患を扱うときには京都・高雄病院の江部洋一郎先生の処方を参考に診療を行っています。加えて近年は、サイエンス漢方的な視点も大切にして処方をしています。と書くと、古方派なんだか中医学なんだか現代派なのか、わけのわからない状態のようですが、意外に自分の中では適宜、使い分けは自然な流れとなっています。(なので和漢ですか中医ですか、というご質問には答えられないのであります)

 こうした従来の漢方処方に加え、伝統的な考え方を援用して応用しているのが、「慢性炎症」の治療です。
 血液データ上、何らかの慢性炎症が疑われるものの、そのフォーカスが定まらないということは少なくありません。これまでいくつもの病院を経由してから当院へ来られる方も少なくないことが、こうした事情につながるのだと思います。自己免疫や自己炎症的な状態など、西洋医学的にはそれ以上のアプローチが出来ない状態の方に「漢方」がとても有効なことがすくなくありません。
 これは栄養やオーソモレキュラー的な方法よりも、身体内部の「方向性」や「寒熱」の視点も絡むため、漢方的方法が最も奏功するように思います。
この方向性と寒熱の処理という問題は、おそらくオーソモレキュラー医学のみを専らとしている方には極めてなじみのない考えで、いわゆる分子栄養的な視点の弱点であるとも考えています。

 またアトピー性皮膚炎の治療などは「寒熱」の微妙な調整が必要になるので、鍼灸・刺絡など徒手的な療法と組み合わせて、東洋医学的視点は外せません。とくに顔面やデコルテを中心に赤くなっているパターンは、単一の方法ではそう簡単には解決しないように思います。これには石膏による清熱に加え、直接炎症物質を抜き去る「刺絡」が不可欠です。

 また赤ミミズの健康食品など、漢方の枠ではありませんが、従来の漢方の枠を拡大してくれるようなものも増えてきているので、統合医療のもとで、漢方は更なる発展を遂げるのではないかと考えています。




2021年08月14日

香川元太郎『日本の城』をご紹介!

 お城コラムの番外編です。お城の歴史や訪問時の思い出などをつらつらと書いて90回以上になります。
 いろいろなエピソードに加えて、お城はやはり「構造」としての面白さがあるのですが、文章ではなかなかうまく表現できないものです。
 そこで、こうした面白さが伝わるような本はないか?と聞かれたこともあり、ここで香川元太郎先生の本をご紹介します!
 香川先生に関しては、かつて城博のときに城郭イラストの書き方講座を一度受講したことがあり、縄張図から、立体図へのダイナミックな変換方法を教わりながら、実際に書いてみたこともあります!
 とにかく、前提となる知識なしでただ眺めるだけで城の面白さが伝わるスゴイ本です。迷路作家?でもある先生だからこそのこまかな構造の書き込み。こまかな人物のさりげない描写など、ちょっとかつてのウォーリーを探せ的な感じです。加えて大判の折り込みイラストがなんと100という充実さ! お盆休み中、旅行・帰省がままならない状況でのバーチャルトリップとしておすすです。




お城へ To Go (月山富田城)

 尼子氏の巨大山城、月山富田城(65・島根)です。押印は平成29年12月9日で、山麓の安来市立歴史資料館にて押しました。

 尼子の本城として、大内、毛利の大軍を撃退してきた難攻不落の堅城で、藤原景清の築城とされ、出雲守護が居城として用いていました。ここに京極氏の守護代であった尼子氏が入城してから、戦国大名としての尼子の本拠地となっていきます。

 尼子経久による全盛期には山陽・山陰11か国を従える規模になりますが、晴久の代で毛利元就と対立、吉田郡山城を落とせないうちに、経久死去に伴い勢いを失っていきます。
 この頃、毛利元就は、尼子最強と言われた新宮党へ離反工作を開始。仲違い画策して成功すると、戦力は極度に低下し、最終的には毛利の兵糧攻めにて開城。毛利氏の支配下となります。
 以後、山中鹿之助による尼子再興の動きがあるも、結局は滅亡に至ります。関ケ原の合戦後は、堀尾氏が入城するも、領国経営の観点から松江城へ本拠を移動、ついには廃城となるわけです。

 尼子の良い時代の象徴としての城で、尼子亡き後は悲しい末路といったところでしょうか。現在でも「我に七難八苦を与えたまえ」で有名な山中鹿之助が、太鼓壇で祈っております。

 大変規模の大きな山城という印象で、山中御殿から、七曲りを上がると、詰めの城的に本丸、二の丸、三の丸となり、御殿から下ると、花ノ壇、太鼓壇と大きな曲輪が続きます。
 山麓の平坦部や尾根の峰々に建造物が建てられ、復元建物もあるので、とても見どころ満載の山城です。尼子の勢力の大きさを改めて知ることができます。

 歴史の流れ的には、毛利の前座的な尼子ですが、その強大な力を改めて感じる山城でした。全盛期の尼子経久は、大河ドラマ『毛利元就』でも、元就の敵でありながらも、その知略の師匠的な役割であり、その老獪な役を緒形拳が演じておりました。尼子あっての、毛利ということなのですね。






山中鹿介幸盛~山中鹿介ハンドブック
藤岡大拙
ハーベスト出版
2020-10-15





2021年08月10日

臨床ファッシア瘀血学(13)皮・肌・身(肉)の3層モデル

 近年の総合診療分野からのファッシアの注目、東洋医学領域における瘀血の重要性、この両者を架橋するような適切なモデルが思いつかないものかと書き始めたのが「臨床ファッシア瘀血学」でした。
 ファッシア瘀血という概念が自分のなかで明晰にならないうちに、色々な可能性を模索しながら妥当なモデルを試行錯誤してきました。それがここ数日でのオリンピック自粛中の発想で一通りのまとまりがついてきたので、少しまとめておきたいと思います。

 ここ数日、展開している定常波をモデルにした「皮・肌・身(肉)の3層モデル」です。これは概ね「肌」におけるファッシアの伝達を中心にしたもので、具体的な物理的な連絡としては「アナトミートレイン」のイメージです。一定の張力により、皮と身の間隙を情報伝達システムである経絡(ファッシア)が「肌」にあたる部位を走行します。そこには当然、神経や血管も並走しており、時に病的産物も形成しうる場でもあります。これがエコーで観察されるファッシア重積などの所見といえそうです。
 そもそも「瘀血」という概念は、中国医学的には血管内の血流の鬱滞を表す「血瘀」と、そうして鬱滞した血が血管外部に漏れだして病理産物となった「瘀血」とに区分されます。この意味で、血管外部に漏れだした血液や、グロブリンなどを含む粘稠性の高い液体によりファッシアの癒着・重積が形成されると考えられるので、これをここでは「ファッシア瘀血」と名付けました。
 これは定常波モデルからすると大気圏中における伝達障害物ともいえるもので、この除去により伝達が正常化するわけです。これはエコー下におけるファッシアリリースとイメージ的にも重なります。
 また想像を広げて、よりマクロの視点へ移すと、この地球における生活の場である大気圏の気候状況が、個体における大気圏たるファッシア部(肌部)と共鳴する可能性も考えられます。(気圧による自律神経の変動などまさにコレですね)つまり、ここを気の流路である経絡とすると、大気との相関を考える伝統的な「小周天」「大周天」の考えも組み込むことも出来そうです。まさに「天人合一」の思想です。 

 3層の介入を考えると、鍼灸一般はやはり「肌」のファッシアなのですが、特にここへの特異性が高そうな方法論が「刺絡」と「ハイドロリリース」のように思います。表層の「皮」は「肌」とともに鍼灸の主戦場ですが、特に皮部治療と称される表皮を対象にしたものが特化していると考えられます。とりわけ角質層の伝導を検出している「良導絡」はその測定の意義がまさに「皮」の伝導ととらえることができます。また打診や接触鍼などの表層の技法や、皮膚運動学を基盤とした技法もここへのアプローチとなります。

 肉を中心とした「身」に関しては、やはり「経筋」の治療です。ヤイトや灸頭鍼などの伝統的な方法論に加え、低周波を用いた筋肉への電気刺激や広くマッサージもここへの介入としてよさそうです。当然これらは厳密に区分されているわけではないので、体性・自律神経反射等を介して内臓疾患にも影響しますが、古典的には臓腑への連絡はないとされています。臓腑へは経絡システムとしての経別の概念を援用する必要があります。補足として「身」としたのは、概ね「肉」なのですが、腸管へのマッサージ的な技法もあり、肝や脾、膀胱や腎への直接アプローチも可能なので臓腑や腱・骨格等も考慮に入れて「身」としました。

 解剖的な意義や介入技法との関連は、概略的には以上のような理論となります。これを具体的な治療プロセスに当てはめると「栄養」「伝達」「特異性」の3ステップとなります。栄養はこれら3層への十分な栄養の補給、伝達は主に肌としてのファッシアでの伝達の改善(鍼灸・刺絡・ハイドロリリース等)、そして特異性は前の二つの健常性をうけて問題となっている臓器や組織への直接的なベクトル性の付与という感じになります。方向付けの方法論としては、ホメオパシーや経穴学(経絡現象学)などが有力な方法論です。

 具体的な方法論は、症例との関連をつけて後日書いてみたいと思います。ここまでのまとめは以下の通りです。

皮:外界との接触面(センサー)・・・皮部治療・良導絡測定・打鍼・接触鍼・皮膚運動学

肌:皮と身の緩衝地帯・・・鍼灸治療・刺絡療法・ハイドロリリース・筋膜リリース

身(肉):運動器と臓腑・・・経筋治療・灸頭鍼・低周波・高周波治療・干渉波

2021年08月09日

当院が自由診療である理由を説明します

 実臨床の診療システムのモデルを解説してきましたが、今回はもうすこし具体的なご案内のような内容にします。

 当院では、保険診療ではなく、自由診療形式をとっております。お問い合わせでも多くのご質問をいただくので改めてここでも説明させて頂きます。普通、医療機関は保険診療なので、どうしてこうした診療形態なのか、その理由などを説明したいと思います。理由は大きく二つあります。

(1)ゆっくりとした時間で「納得の医療」のため

(2)代替医療を含めた「統合医療」のため

(1)ゆっくりとした時間で「納得の医療」のため
 従来の保険診療の枠では、患者さんの方でゆっくりと時間をとってもらいたい、もしくは、医師の側もそうしたいと考えても、様々な制約の中で、どうしても手早い診療になってしまいます。ただ薬だけほしい、という方にはいいのかもしれませんが、心身両面にわたる問題や、ドクターショッピングを重ねている場合などは、短時間(いわゆる「3分診療」)の診療で解決されないことがほとんどです。また、遠慮深い方は「他の患者さんがお待ちだから・・・」と遠慮される方も少なくありません。
 医療は本来、一人一人の人生において重要な局面を握るものであることもすくなくありません。これまでの人間ドックなどのデータなども含めて、じっくりと医療相談(加えて健康状態にあった代替医療相談)をするには、ある程度の時間がどうしても必要です。当クリニックでは、こうした問題を解決するために、ゆったりとした時間の取れる、自由診療形式を採用しています。

(2)代替医療を含めた「統合医療」のため
 いうまでもなく保険医療のカバーしている医療はおおむね「現代西洋医学」です。わが国は一定の制約のもと、エキス剤を中心に医療用漢方も保険適応とされていますが、通常の薬剤と異なり、生薬であれば、かなりの制限がつきます。ましてや良質の生薬を使用する場合は、なおさらです。さらに、漢方と両輪の関係でもある鍼灸を、漢方処方する医師が、相乗的効果をねらって自ら行うことも、事実上困難です。また、サプリメントやホメオパシーといった代替医療であればなおさらです。
 いわゆる「身体にやさしい自然医療」は、保険診療ではカバーされていないため、自由診療とせざるを得ないのです。また、一緒にやってくれないの、というご意見をうかがうこともあるのですが、基本的に現在の制度上、混合診療(保険診療+自由診療)はきわめて限られた条件のもとでしか認められておりません。つまり法的な制限は少なくないのです。
 こうした理由から、統合医療実践のための当クリニックでは自由診療形式を採用せざるを得ないのです。





2021年08月08日

皮・肌・身の三層モデル 定常波をファッシアとして見る方法論

 先週は、当院の診療における3ステップの解説をしましたが、栄養内科・経絡内科・漢方内科といった各分野の守備範囲としてではなく全体的なお話をしたいと思います。そのためにはまず身体を「皮」「肌」「身」と3層構造で考えたいと思います。「身」は「肉」としても良いのですが筋肉のみならず、内臓(臓腑)であることも考慮して、広く「身」としました。

 まず「身」を中心に皮や肌、すべてに必要な栄養素が行き渡ることが前提になります。最低限必要な栄養ということではなく、すべての化学反応を十全に駆動することができるように、不足する箇所がないように、オーバーフローさせる量ということになります。分子栄養学を展開された三石巌先生のいうオーバーフローのイメージです。
 当然、この改善だけでも多くの不調や疾患が治癒へと導かれます。東洋医学を専門にしている方の中には、ここで十全大補湯のような「補剤」を用いることが多いでしょうが、それはむしろ栄養素の分配に近い役割に思います。(江部洋一郎先生が補剤で元気が出るのなら食事をせずに十全大補だけ飲んでいればいいのか、ということをおっしゃっていたのが思い出されます)
 三大栄養素の適切な量とバランス(これは体質・疾患によっても異なりますが)や、不足しがちなビタミン・ミネラルの摂取により、多くの不調が回復していくのは、近年の分子栄養学の興隆をみると分かり易いでしょう(サプリの一般化からも同様ですね)。

 次は連絡システムとしての生体の構造です。特に皮と身に挟まれた「肌」の部位、ファッシアといってよい部位です。ここに「瘀血」「水滞」などの病理産物や、外傷や老廃物蓄積による「ファッシアの引きつれや重積」が生じてきます。
 こうした蓄積物により神経や血管、さらにはファッシアなどの生体マトリックスによる情報伝達が円滑に行えなくなってしまいます。そこでこれらを除去し、健常な状態へ再生することにより生体の「自己治癒力」を高めやすい状態へと導く。これらは当然「気血」の流れを円滑にすることですから、直接的な痛みや不調の改善にもつながり、このアプローチ単独であらゆる症状の改善にもなるわけです。狭義でとらえるなら鍼灸治療はこれがメインだと言えるでしょう。
 ここまでを前回の地球モデルでかんがえると、地球や電離層への十分な電気エネルギーの補充が「栄養面」で、地球や大気圏での淀みのような障害物の排除・浄化が「経絡面」と言えるでしょう。
 つまり大気圏内の定常波による情報伝達こそが、アナトミートレインや経絡システムそのものと考えることが出来ます。そして、これが全身をひとつにまとめあげているのです。

 3番目が、「特異性を有する伝達」とでもいえるものです。特異伝達です。この概念は一見難しそうなのですが、多彩な伝統医学や代替医療の方法論そのものともいえます。
 つまり特異的な症状や、病変部位に対して選択的に方向付けを行うものです。治療のベクトル性を持たせると表現しても良いでしょう。
 そのための方法論として、漢方による腹証のイメージが分かり易いでしょうか。ホメオパシーでの臓器特異性や左右の方向性、SRPなどもこれに応用できそうですし、十河孝博先生による経絡現象学も応用できそうです。特に鍼灸との関連で、十河先生の経絡現象学は複数の経穴の組み合わせから「臓器特異性」を示すことが出来る方法で、東洋医学関連の方にもあまり知られていない方法論なのですが、この特異伝達のイメージには最適な概念と考えます。全身の栄養と伝達の整備をすることで、自己治癒力を高め、そのベースアップした状態で、現在の病的状態を特異的に修正していく、というところでしょうか。

 これらは各々が単独でも十全な治療体系であり、組み合わせる必要のない場合もありますが、いわゆる治療における「死角」を減らすという意味でも、組み合わせたほうが圧倒的に有意義という実感があります。

 実際の症例での適応としては、アトピー性皮膚炎の患者さんであれば、血液検査により明らかに欠乏した栄養素を食事指導やサプリメント補充により是正、その後、特異的な皮疹や瘀血を生じる部位に対して、刺絡療法や良導絡など鍼灸治療を加え全身の滞りを改善します。これにより皮膚状態が改善しやすいベースを作り、その後に、漢方やホメオパシーにより皮疹の特異的な部位へ治癒力を方向付けていきます。ちなみにホメオパシーとしてはGraphiteが、部位や炎症の度合いにもよりますが屈曲部皮疹への誘導としては有効なようです。経絡現象学的には跗陽に表現されてくるようです。(方向付けの話題はまた改めて記載していこうと考えています)
 統合医療的な診療の観点の一つとしてメモしておきました。