注意事項
本HPは「統合医療」に関して、その概念および実際を紹介することを目的とするものであり、個別の疾患や診療内容の相談には応じかねます。また、内容に関しても、実際に個人の判断で適応した際のあらゆる責任は負いかねます。実際の診療に関する事項は、医師にご相談の上、施行されることをお勧めします。
小池統合医療クリニックへ

2017年10月01日

小池統合医療クリニックの10周年記念パーティーが明治記念館にて開催されます

ご覧下さっている方、大変ご無沙汰しておりました。
久々の更新です。

 本日、当院、小池統合医療クリニックの10周年記念パーティーが明治記念館にて開催されます。

 白金時代を合わせて、もう十年も経ってしまったのかという感慨と、ここまで支えていただいた皆様への感謝の気持ちでいっぱいです。

 またなかよし鍼灸院と合わせて、日本統合医療センターとなってからも一年となりました。ともに診療する仲間も増え、さらに日本の「統合医療」発展のために邁進していきたいと思います。

 今後ともなにとぞ、宜しくお願いいたします。


 今月、『統合医療の哲学 ジャングルカンファレンス理論編』が出版予定です。また来月にはその続編である『医の智の会話 ジャングルカンファレンス実践編』も予定されております。こちらの更新をおろそかにしていた間、こつこつと別なところで文章を書いておりました(笑)
 二冊ともジャングルカンファレンスの全貌をご紹介する初めての出版となります。是非ともお読みいただけましたら幸いです。(アマゾンではまだ買えないと思います。中旬頃には買えるかな?といった感じです)

2017年03月29日

発毛サイトできました

 ここ数年、当院にて力を入れております「発毛」の治療を紹介するサイトが完成しました。

 元々は、あまり知られていない「刺絡療法」の紹介をしようと考えていたのですが、刺絡療法の一環として行っている「発毛」への関心が大きくなってきましたので、「発毛」をメインにしたものにしました。まだ作成途上で、今後、もう少し分量を増やしていく予定ですが、とりあえず現時点での公開をいたしました。

 http://hatsumou.im-center.jp/

 一連の発毛の治療方法を「発毛刺絡療法」と名付け、刺絡療法の紹介もかねております。多くの病態の根源を「瘀血」と考え、瘀血という「縮退」を取り除く。当院の治療の考え方の一端をご覧いただければ幸いです。


 
 今週末は、小関先生の開催する「ヒモトレ祭り」に参加する予定です。 ゴム紐がいかにカラダによくないのか、勉強してこようと思います。


 

2017年03月24日

操体法とプラグマティズム

 前回、操体について書きましたが、操体法の細かい技法はさておき、その原理について少し考えてみたいと思います。メモ的なものですのでご興味ない方はスルーを。
 
 「気持ちいいことなら何をしてもいい」というのがいわゆる操体の基本となる考えです。これは、いわゆるこうした医療について触れていると至る所で耳にするもので、大いに魅力的な考えでもあります。自分も、学生時代などは大いに魅了されました。
 いわゆる「快」を肯定しこれを道標とし、理論・理屈を先行させず、親試実験を行っていくわけです。しかし当然こうした考えには、反論もあるわけで、よくあるものが、いわゆる「快」におぼれた結果体を壊したらどうするのだ、というもの。
 これに関しては、橋本敬三先生自身もよく問われていたようで、ご著書の中でもこれへの解答が散見されます。以下のような感じです。

「気持ちのいいことは何をしてもいい。苦しい方、痛い方に動くのではなく、ラクな方、気持ちのいい方へ動けばいい。だけどもね、その時にはうんと気持ちよくっても、後になって気持ちが悪くなる、つまり、後味が悪いっていうのがあるが、それは 本当の気持ちよさとは違う」『からだの設計にミスはない(橋本敬三著)』より

 なるほどと思う反面、少し、うまく言いくるめられたような釈然としない面も否定できません。こうした医学に否定的な人と議論すれば、一瞬で否定されてしまう論理でしょう。後のことは簡単には予測できないのではないか、わかっていてもやめられない「依存」はどうなのか、等々の理由で。
 ここを橋本先生が言っているのだから!という論理で押すと、内輪の人には通るものの、外野の人には説得力がないでしょう。
 安易なキーワードで統合医療を語る危険性もここにあります。耳にやさしい一元的なキーワード、例えば、「愛」「真理」や「患者様のため」 等々、すばらしい考えではありますが、反面、様々な問題を隠蔽することにもなりうるのです。
 安易な単純化や理想化の問題点です。これは確かフッサールだかが、ガリレオを評して隠蔽の天才と称したことと通じるように思います。つまり「真理」という名の科学的法則により、自然そのものの姿がみえなくなってはいまいか、という指摘です。
 誤解ないように繰り返しますが、「愛」や「真理」、「患者様」が悪いと言っているのではありません。むしろ口に出すことはなくても、最も大切な概念であることはいうまでもありません。しかしこれらによって深く医療を考える 際に、障壁となりうることもあるのではないか、という可能性の指摘です。こうした側面が「快」にもあるのではないか、と思うのです。
 一見、魅力的な言葉は、反面、大きな問題も抱えます。ここでは論じませんが、これまでいろいろと主張してきた「折衷」と「多元」の相違などもこれに通じます。 

 さらに「快」が指摘している良い面は、あらかじめ「真理」のようなものを措定していない、ということです。冷やすのがいいか温めるのがいいか、と言った問がなされますが、まさにこれです。どこかに真理があるという考えが前提にあるのです。橋本先生は、これにたいし「気持ちがいい」ものがいいんだと述べておられます。
 しかし、気持ちがいいと判断するためには 、それが行為されていなければなりません。つまり操体の考えの根底には、行為が前提にあることになるのです。これはまさしく、プラグマティズム的思考です。この思考自体が、ある種、東洋的であるので当然といえば当然です。
 何らかの直観に支えられて、実践する、その結果の判定を自らにゆだねる。その判定基準を「快」とする。ただしこの「快」を近い目的におくか、遠い目的におくかで大きく分かれます。
 やや専門的なお話しになりますが、プラグマティズムの二つの源流、パースとジェイムズの相違点の一つもそんなところにあると考えます。
 この場合、依存など の問題を考慮すると、もしくは橋本先生自身の記述から判断するとジェイムズの説くプラグマティズムが、これに最も近いように思います。

 この問題はまたの機会に、さらに述べてみたいと思います。今日はここまで。


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