注意事項
本HPは「統合医療」に関して、その概念および実際を紹介することを目的とするものであり、個別の疾患や診療内容の相談には応じかねます。また、内容に関しても、実際に個人の判断で適応した際のあらゆる責任は負いかねます。実際の診療に関する事項は、医師にご相談の上、施行されることをお勧めします。
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2020年02月23日

3月のジャングルカンファレンス延期のお知らせ

 既にメール会員様をはじめ、参加されたことのある方には先週のうちに連絡させて頂いたと思いますが、念のため、こちらでも3月12日開催予定でしたジャングルカンファレンス(JC)の延期をお知らせいたします。次回は5月の開催予定です。

 コロナウイルスの感染拡大を憂慮した結果ではありますが、あらためて参加をご検討されていた方には申し訳ございませんが、ご理解いただきたく存じます。

 医学系の各学会・研究会も、各々の判断により延期・中止等を決定しております。私の所属するいくつかの研究会も中止の連絡がありました。統合医療は、いわば急性期の医療がメインではありませんが、しっかりとした医療体系の一つであるという自覚のもとに苦渋の開催中止としました。

 今後、当協会(統合医療カンファレンス協会)のその他の関連イベント(5月JCを含め)等は、しっかりと検討したうえで早急に、皆様にお知らせしていく所存でございます。

ボームのことば(6)

 ボームはニューエイジ運動やホリスティックムーヴメントの理論的旗手とみなされることも多いのは、彼の個人より全体性を優先する考え方が大きく関係すると思われます。思考に対する考え方にもそれがうかがわれます。

思考には二種類ある。個人的思考と集団的思考だ。個人として私はさまざまなことを考えられる。だが、思考の大半は、人がともに行うものを意味している。というより、思考の大部分は集団的な背景から発生する。例えば、言語は集団的なものである。

 また、次のように述べている個所もあります。

自分の意見に固執していては対話など出来まい。その上、意見を守っていることに自分で気づいていない場合が多い。意図的な行動でない場合がほとんどなのである。意見を正当化していると自覚するときもあるが、たいていは無自覚に行っている。

 特異的な物理学理論を展開し、天才性を発揮した物理学者とは思えないような、全体というものを見据えた文章です。何事も個人というよりは集団的な無意識のようなものを常に感じていたのではないでしょうか。彼の対話論には、至る所に個人の思考の暴走を抑制するような文面が見られます。

2020年02月22日

ダイアローグ、ホメオパシー、ファッシア

 ボームの話をしたり、ホメオパシーの話をしたりしていると、それぞれが関係のない分野を思いついて書いているだけ、と思われるかもしれませんが、実はそうではないのです。
 統合医療という枠だけではなく、具体的なイメージとしても連続性があるという話をしましょう。

 量子力学の研究者としてアインシュタインらとともに実績を積んできたボームは、このダイアローグというプロセスにおいて「コヒーレント」という物理学の考えを応用し展開しています。物理学における元の意味は、私も専門外なので、正確には説明できませんが、小さな刺激がともに増幅されレーザーなどの大きなエネルギーを生み出すので、そうした波動が増幅されるイメージでこの用語を用いているのでしょう。

 量子場脳理論においては、こうしたレーザーが無限の光量子を生み出すことで凝集体を形成し、細胞骨格や細胞膜などにおける電気双極子に作用し記憶を想起させるという仕組みが想定されているようですが(私も詳細は分かりません…『脳と心の量子論』など参照してみてください)、コヒーレントな状態が創造の基盤を形成するということは、なんとなく想像できるのではないでしょうか。ボームがコヒーレントという用語を使う時、こうしたイメージがその背後にあることは確かでしょう。




 ボームは自らの思考を知覚しなければ(思考のクセのようなものに気づかなければ、コヒーレントでない状態「インコヒーレント」に容易に陥ってしまうというようなことを述べています。この状態ではダイアローグは展開せず、他をたたくディスカッションになってしまうというわけです。物理的な厳密な意味合いで展開された話ではないので、専門の方からはご批判を受けるでしょうが、イメージや試論としては考えられるのではないでしょうか。個人であっても多数であっても、ボームの言うコヒーレントな状態を形成することができれば、より創造的な望ましい思考に近づくのではないかということです。

 量子的な基盤があるか否かはわかりませんが、ホメオパシーのレメディもこのような機序で効果を発揮しているのではないでしょうか。何らかの場を形成することから、インコヒーレントな状態からコヒーレントな状態へと向かわせ、症状の改善をもたらしているという考えです。これが全身あらゆるところの細胞骨格や細胞膜において電気双極子を形成し、歪みなど独特な病的状態を取っているとすると、その独自な偏りをルブリックなどを用いてレパトリーゼーションで、レメディを探索しているとも考えられます。

PRISMA MATERIA MEDICA (日本語版)
Frans Vermeulen
一般社団法人 日本ホメオパシー医学会
2019-05-10



 また細胞骨格に電気双極子が形成されることも注目に値します。これは定義を広げれば当然、全身のファッシアと考えてもよいので、全身の歪みや、局所の歪みが、身体のみならず、こころの状態にも大きく影響することになります。つまり徒手技法が、心の状態へアプローチしうる理論的基盤ともなるわけです。従来、ファッシアと信念体系との関連も指摘されていますが、その説明としても良いのかもしれません。

 ざっと自分用のメモとして書いてみたので、訳が分からない文章だったかと思いますが、ダイアローグ、量子論、ホメオパシー、ファッシア、とが有効に接続しうるという考えを書き留めてみました。

2020年02月21日

ボームのことば(5)

 これまでのことばのまとめのような部分があるので引用します。ジャングルカンファレンスをしていて非常に共感できる文章です。心理系の学者ではなく、当時の量子論の先端を走る物理学者であったボームからの文章であると考えると、彼の思索の深遠さが伝わります。

 対話の目的は、物事の分析ではなく、議論に勝つことでも意見を交換することでもない。いわば、あなたの意見を目の前に掲げて、それを見ることなのである。
 様々な人の意見に耳を傾け、それを掲げてどんな意味なのかよく見ることだ。自分たちの意見の意味が全てわかれば、完全な同意に達しなくても共通の内容を分かち合うようになる。
 ある意見が、実際にはさほど重要でないとわかるかもしれない。どれもこれも想定なのである。そして、あらゆる意見を理解できれば、別の方向へもっと創造的に動けるかもしれない。意味の認識をただ分かち合うだけということも可能だ。
 こうしたすべての事柄から予告もなしに真実が現れてくる。たとえ自分がそれを選んだわけでなくても。

2020年02月20日

ボームのことば(4)

 通常我々が、対話と考えているものに対して、ボームは否定的であり、痛烈な批判を述べています。対話というのは、ただ漠然と話し合っているということではない、ということを主張しています。見てみましょう。

 人々が行っているのは、対話というよりはむしろディスカッションである。または取引とか交渉と呼んだ方がいいだろう。話し合いに参加している人々が自分たちの根本的な想定を問題にすることなど実際にはない。彼らはさほど重要ではない点について、取引しているだけである。
・・・(中略)・・・人は自分の想定を正当化せずにいられない場合が多く、感情的に相手を攻撃することで、それを守ろうとしがちである。


 われわれは、ついディスカッションに陥ってしまう、ということです。自分は陥ってはいない、ちゃんと対話していると思っていても、そうなっていないということは往々にしてある、ということでしょう。

 多元的な話し合いというのはとても難しいものです。かじ取りをする人がちゃんと理解していなければ、ただの意見の羅列になってしまうわけです。そこがまさに折衷主義の落とし穴となるのでしょう。我々は、頻繁にその思考を振り返らなければ、多元主義であり続けることは困難なのです。
 これを理解するには、会話のための会話、つまり会話をスカイプなどのツールを用いて客観視する必要があるのです。

 ボームの時代にはまだ出現していなったリフレクティングという技法がこうした壁をのりこえやすくしているのかもしれません。ボームの晩年の煩悶を解決するべく、現在は様々な技法が登場しているとみることもできるでしょう。オープンダイアログに代表される方法はまさにそれであり、ジャングルカンファレンスもの基盤もそこにあるわけです。

2020年02月19日

勉強会延期のお知らせ

 業務連絡です。今週金曜日の勉強会は、コロナウイルス蔓延に伴う不要不急の外出を控えるため延期とします。各人の個別の感染対策が重要な段階となってしまいました。
 今回の背部・胸部を3月に回します。間が空くのでしっかりと勉強しておいてください。十分な栄養に加え、ビタミンCなどで抵抗力をつけておいてくださいませ。詳細はここでは書けませんので、直接お尋ねください。
 

2020年02月18日

ボームのことば(3)

 ダイアローグと混乱しやすい用語に「ディスカッション」があります。意味する感じが違うのはわかっても、その本当の差異にはなかなか気づかないものです。

「ダイアローグ」を「ディスカッション」という言葉と比較してみよう。「ディスカッション」は「打楽器」や「脳震盪」と語源が同じだ。これには物事を壊すという意味がある。ディスカッションは分析という考え方を重視する。(中略)つまり、分析し解体しているのである。(中略)ディスカッションはピンポンのようなもので人々は考えをあちこちに打っている状態だ。そしてこのゲームの目的は、勝つか、自分のために点を得ることである。

 カンファレンスのルールとしても、打ち負かし型にしないというのは挙げています。しかしこれに止まらず、日常の会話においてもこれは成り立ちます。
 自分では勝ち負けにしていないつもりでも、深く理解していないと容易にこの罠にはまってしまうのが人の常ではないでしょうか。自戒も含めて。