2006年08月17日

統合医療の定義・概念について

 

ここでは「統合医療」といわれるものの定義・概念について考えてみたい。統合医療という概念は様々な人により、その人なりの言葉で語られることが多い。そうした意味では、ここでの私の議論もそのひとつとして位置づけられるであろう。それぞれの人が、それぞれの思いを込めて語られた統合医療があるわけであり、それ自体は悪いことではない。しかし、様々な意味が込められることからくる混乱もないわけではない。そこで、ここでは少し引いた立場でこの「統合医療」の概念について考えてみたい。

まず第一に、その根幹をなす概念は「現代医療と相補代替医療の統合された医療体系」である。

そして次に、そこから派生してくる概念が加わるとみていい。つまり現代医療についてはわざわざ説明することもないが、相補代替医療の持つ背景が加わることに大きな意味合いがある。巷間語られる「統合医療」のイメージはこちらの影響が大きい。誤解のないように述べておくが、基本的にはそのどちらにも傾くべきではないが、いわゆる現代医療との比較において統合医療は、相補代替医療より、になるといえる。これを色彩で説明してみよう。つまり、「白色」=「現代医療」、「黒色」=「相補代替医療」(白黒に別に意味はない)とすると「統合医療」は「灰色」になる。これは、「無色」の側からすれば「有色」である。しかしあくまでも「灰色」であってすべての絵の具を混ぜた結果の「黒色」とはことなる。こういった事情に近いのではないだろうか。あるから、時折「無色」の側から「有色」全体へ批判がなされる。ひとつの健康食品のために「相補代替医療」全体へ非難されることも珍しくはない。この辺の事情は、薬害があったとしても「現代医療」全般が批判されないことと対照的である。

そこで相補代替医療により付加される概念とは、どのようなものであろうか。それは「患者中心主義」ないしは「受診者側主導」という言葉に代表されるであろう。受診者側が主体であるから、医師の側はあくまでも、脇役である。ガーデニングを行う庭師、とも言える。主体である人が主体性を持って、決定し、実行していくのである。さらに要素還元主義への懐疑や持続可能性といったキーワードもここに含まれてくる。つまり、統合医療を議論するときに出てくる、様々なキーワードはここに起因するといえる。こうした事情が、ワイルの著作の翻訳者でもある上野圭一氏の指摘する「統合医療の軸足は代替医療にあるべき」という点ではなかろうか。

上記の議論を簡略にまとめると以下のようになる。

 

概念1:統合医療とは現代医療と相補代替医療の統合された医療体系である。

 

概念2:相補代替医療は、受診者中心で治療者は庭師、という視点をもち(ここから必然的に現代医療のパターナリズムが批判される)これらが統合医療へ継承される。(相補代替医療独自の事情)

 

通常、概念1のみでは不足といわれ、概念2が入るとそれぞれの思いが交錯して議論が宙に浮いてしまうことの一端がおわかりいただけたように思う。専門家以外はどうでもいいようなことではあるが、概念の混乱は、今後、あまりいい影響を及ぼさないだろうから、ここで整理しておく意味もあろう。これはまた、逆の抑止力ともなる。つまりあらゆる現代医療批判や怨念の中、統合医療がさも完全・最高であるかのような思い込みを持ってしまうことの危険性に対してである。あらゆる理想を盛り込んだ医療が「統合医療」ではないのである。ここのところの誤解が無いように、ここであらためて「概念」について考えてみた。



tougouiryo at 23:06│統合医療とは何か