2006年10月17日

時代背景から考える統合医療

 今回は統合医療というものを、私(小池弘人)の意見として、その時代背景から再認識してみたいと思います。いわゆる現代西洋医学が壁にぶつかって、その限界を超えるべく代替医療と総合されて生まれた、という、これまでのストーリーだけで語れるものなのでしょうか。

 医学概論研究において著名な中川米造によると、医学の要求される課題による時代区分としては次の4つに分けられるという。(中川米造「学問の生命」)

(1)侍医の医学:特権階級をその生活の中で体調の変化を細やかに見ていくもの。各種の伝統医学は基本的にこの見方によっている。こう考えると「未病」という古くて新しい概念が伝統医学に根付いているのも、納得する。対象はきわめて限られている。

(2)開業医の医学:特権階級よりは広がるが、まだ不特定多数が対象ではない。(1)と(3)の中間的位置。

(3)病院の医学:宿泊所ではなく、重病者の収容施設的な病院を中心とした医学の段階。社会的費用により医療が行われ、客観的方法論により「医学」が急速に発展していく。こうした過程のなかで、「病人」から「病気」へと対象がシフトしていくとも考えられる。「病気」という共通要素がよりクローズアップされる段階。

(4)社会の医学:さらには、環境や福祉といった社会的な要因が強まり、社会と医学の関連に進む。現代の高齢化社会などの諸問題などもここの範疇といえよう。

 こうした医学の流れの中で、統合医療は明らかに(4)の中で誕生している概念である。統合医療の中に自然環境との関連するセラピーも多いことが分かるだろう。では、それだけであろうか。統合医療関連の講演を聴いていて、感じる基本概念は「患者中心主義」である。これは(4)の範疇としていいのだろうか。

 ここに、自分を個々の生活の流れの中で捉えてもらいたいという気持ちが含まれている、と考えられるのではないだろうか。すると(1)の範疇に近くなる。いうまでもなく統合医療を形成する大きな柱は伝統医学である。また、病気を未然に防ぐことを目的に「未病」への関心も高まっている。これらはまさに(1)の再来ではなかろうか。「特権階級」というと聞こえが悪いが、自分を細やかに見てもらいたいという希望はまさに(1)における基本的な感情である。

 (4)の段階に入りつつも、ただただ「社会」という広い対象に広がり続ける、というわけではないのが人間の性。ここにあらたな形での(1)への回帰運動が生じるのも自然な流れといえよう。統合医療希求の底流にはこうした、背景もあるのではないだろうか。中川氏の区分による(4)から(1)への回帰(ただしこれは全くの回帰ではない。らせん状に段階は上がっているのかもしれない)ともいえる流れに統合医療は位置するのではないだろうか。きわめて個人的な医学体系でありながら、いわゆる「エコ」的要素を強く持つ。統合医療誕生の背景にはこうした時代のうねりが感じられる。

 ただ統合医療は新しい医学だ、と言っているばかりでなく、その時代的位置づけもそろそろ冷静に考える段階に入っている、といえる。

 なんでもくっつければ良い医学、という能天気な考えではなく、その意味するところを少しでも深く考えてみたいと思い、今回はこんな内容にしてみました。



tougouiryo at 23:51│統合医療とは何か