2008年05月05日

統合医療の方法論に関して

  ゴールデンウィークですが、特にどこへも出かけず、本など読んでいます。その中で考えたことを少し・・・。

 「誰も教えてくれなかった診断学」(野口善令・福原俊一著・医学書院)を先日ふと手にとって面白そうだなと思い、買って帰りました。内容はいわゆる診断学の教科書とはかなり違って、実際のデキる医師の問題解決方法を具体的に解説した面白い内容でした(一般向けではありません。総合診療を志す研修医にはお勧めだと思います)。思考過程を客観的に考える機会は少ないので、統合医療も視野に入れて考えたとき、非常に参考になりました。(この本は純粋な西洋医学的「総合診療」が対象なので「統合医療」については書いてありません。念のため)

 この中で、著者は診断を自信をもって行うために病態生理を一生懸命勉強した時期があったが、それではあまり自信につながらず、確率的な疫学的観点を取り入れてから、自信を持って診断できるようになった、ということを書いています(細かな記憶違いあったらスミマセン)。これはある意味、非常に興味深い指摘で、実際の臨床の最前線では、いわゆる機械論的な病態生理学的観点よりもむしろ、対象を非決定論的なブラックボックスとして捉え、確率論として事象(診療場面)を捉える方が実践的だと言っているわけです。

 これは統合医療として扱うときのCAMの扱いにも応用できます。代替医療を論ずると、現段階ではつねにそのメカニズムの合理性も同時に議論されます。しかし、これを症状改善というアウトプットから評価したらどうでしょうか。何も結果よければすべてよし、などと言うわけではありませんが、非常に重要な視点であることも事実です。漢方など東洋医学はいいが、ホメオパシーはちょっと・・・というときにはたぶんにこうした思考が働いていないでしょうか。

 現実の臨床場面では、理論どおりにことが運ぶことの方が稀といっても過言ではありません。そうした中で、疾病志向性の強い現代西洋医学ですら、確率的推論の重要性が指摘されています。ましてや、疾病に反応する生体、そのものを対象にすることの多い代替医療を包括する統合医療を考えるとき、従来のようないわゆる理論偏重型では足りないような気がするのです。

 漢方をはじめ代替医療にはたくさんの、それでいて奥深い理論体系がたくさんあります。一人の臨床家が生涯をかけても1つですらも極めつくすことは困難でしょう。しかし、だからといって「一つだけ」でなければいけない、というのも一面的にすぎます。一つだけを生涯追い続ける専門家は必要です、しかし、横断的にいくつかの療法を理解する臨床家もこれからは同時に必要だと思います。これは、腎臓なら腎臓の専門家が遺伝子から最先端治療まで熟知する反面、総合診療的にみる家庭医も腎臓病についての一定の知識を求められることと同じように思います。こうした見方のシフトを促進する動きとして前述の「診断学」の本が捉えることができるように思えます。

 統合医療の包括する代替医療の世界はいまだ混沌とした百花繚乱の時代です。統一的な理解にする必要はありませんが、ある程度の、生体側に働きかけるアプローチとしての整合性が今後必要になってくるように思えます。総合診療領域における「仮説演繹的」な方法論が、統合医療領域の生体の自発的治癒へのアプローチにおいても出現してくることが望まれます。

 メモ的に備忘録としてざっと書き付けましたので、わけが分からなかった方すみません。おかしなことを言い出したわけではないのでご安心を。



tougouiryo at 16:50│Comments(0)統合医療あれこれ 

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