2011年02月03日

「スローライフ」を考える

  統合医療や広く代替医療について書かれたものをみていると、なんとなく共通したキーワードが見えてきます。「ナチュラル」とか「からだにやさしい」とか・・・そのほかにも「こころもからだも温める」「免疫力をあげよう」「自然治癒力を高める」等々。

 どれも良いことで、それ自体、何ら問題はないのですが、それってどうして重要なんだろう、と、ふと考えると、意外に簡単には説明できないような気がするのです。たとえば安保先生の理論を使って、副交感神経活性化だから・・ということはできるけれど、すべてがそれだけというわけでもなさそうです。

 こうした言葉の中に「スローフード」「スローライフ」というものも入ります。これもなんとなく「スロー」なのはいい、というところまではわかりやすいのですが、どうして、といわれると、意外に情感だけで納得しているような気がするのです。急がない、急がなければアドレナリンが出ないから、副交感神経優位となる・・・そうした自律神経を介した説明以外にはできないものだろうか、とかつて考えていました。こうした「言葉」たちにはもっと根本的な意味はないのでしょうか。

  早くて確実ということはすべてに優先すべきこと、と結論付けていいのでしょうか。こうした素朴な疑問から「スロー」が提唱されてきているのでしょうが、ちゃんとした議論になると、「・・・」とつまってしまうようにも思います。こうした、いわば「あいまいな」ところがちゃんと説明することができれば、医療をふくめたライフスタイルを考え直す上で大きな力になるように思います。

 「スローダウン」することに何か意味があるとすれば、それはどういうことなのでしょうか。こうした問題には、「現代医療だけではダメなんですか?」と問う人への答えや、多くの代替医療の存在理由、もしくは代替医療の危険な側面などを考えるヒントがあるように思います。急速にスピードアップする現代、なんでも早くて確実な方が本当にいいのでしょうか?

 こうした問題への一つの視点として、すべてのもの(こと)が速度を上げて収束していく「縮退」といわれる現象があります。そうした現象を次回以降考えてみたいと思います。


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