2017年01月03日

ジャングルカンファレンスは多元的な「道場」である

 前回述べた諸批判に対するお答えとして、ジャングルカンファレンスとはどういう場なのか、を述べてみたいと思います。

 これはいわゆる通常のカンファレンスと異なり、臨床的な意思決定の場ではないということです。しぶしぶ参加しなければいけない義務の場ではなく、自らが統合医療の基本姿勢といえる「多元主義」を学ぶための「道場」である、ということです。つまりそれは自主性に任すものなので、参加者が金銭を要求するものではないことになります。つまりいわゆるコスト問題は生じません。
(論文投稿にあたっての反論)

 そして意思決定を主な目的にしないことから、 多数決に代表される手っ取り早い解決法をとりません。遠回りであっても「熟議」を重ねる中で、各々の参加者が自らの内面深くへと入っていける「道場」なのです。熟議は当然、効率の良いものではありません。そもそも医療における効率という問題を再考しなければならないと考えております。(医学哲学学会での質問への反論)

 現代医療の原則優先 など、現代社会における正当性を優先します。つまり哲学的な相対主義の立場ではありません。これは全ての補完医療を手放しに推奨するものでもなく、一定の判断が求められることになります。完全平等のいわばアナーキズムにもとづくのではなく、様々な立場が現実社会に適合しうる形で一定の構造をとるという考えです。つまり荒唐無稽な補完医療を無理やり押し付けるというものではないことは明白です。(医学哲学学会での質問への反論)

 次にここで考えられるセルフケア像についても述べてみましょう。

 患者指導などに対しても、セルフケアの重視は言うまでもないのですが、完全に「自給自足」的な医療的行為排斥(不要)論にも与しません。 当然、自らの選択で他者からの介入を全く拒否するというのであれば、それは容認されますが、実際には多くの人がそのような過激な独善論をとることはないでしょう。医師をはじめ様々な専門家の助力を受けるでしょう。つまり「間接民主制」に近い形と言って良いのかもしれません。身体機能に関してまとまった知識を有する人たちに、いざというときには助けをかりるということです。これは裏を返せば、専門家はその当人もしくはその家族に成り代わった真剣さでこれに臨まなければいけないということでもあるのです。

(注:こうした論理で言うとここでいう直接民主制に近い医療の運動は「はだしの医者」や「ポピュラーヘルス運動」にもつながる概念といえます。そしてこれは医療者排除へとつながる流れだという指摘があることも忘れてはなりません。様々な高度な医療体系の継承という意味からも将来に向けて問題であることは理解されるでしょう。)

 つまりまとめると、極めてイデオロギー的な教条主義に陥ることなく、一見物分かりが良いが容易にアナーキズムに陥ってしまう折衷主義に堕することもなく、自らの立ち位置を常に振り返る「多元主義」を模索するというのがこのカンファレンスの姿勢といえます。そしてこうした多元主義を背景としつつ、個々のケース(症例・実例)に関しては絶妙な「統合」の形を、個別に選択し、組み合わせ、編み出していくのです。これを我々は理想的な統合医療の在り方と考えているのです。
 このあたりは専門家でも誤解の多いところで、「良い(正しい)統合(主義)」や「最適の編成」なるものが、どこかにあるわけではありません。何故なら、そうしたものの実在を仮定したとたん、その姿勢は論者本人の 意図とは別に新たな「教条主義」を生み出すことに他ならないからなのです。
 こうした安易な理想論への誘惑にのらない、ということは非常に困難ではありますが、我々はそれでもそうした方向性を模索していかなければならないと考えています。


 先日、一つの組織が崩壊する様子を見る機会がありました。安易な平等主義と、独善的な正義感をかざし、全体での話し合いを拒絶することで、組織というものは容易に崩壊する。関係者は自らの正統性を述べますが、(つまり自分たちに悪気はないむしろ組織のためを考えた等々)やはり熟議 がなければ、組織という生命体は生きながらえることができないということをあらためて感じさせられました。新たな復興を祈るばかりです。

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