2020年01月08日

診療内容:対話(含オープンダイアローグ)

 このブログでもたびたび紹介しております「オープンダイアローグ」や「ジャングルカフェ」といった取り組みは、近年の「対話」重視の流れを積極的に取り入れたものです。診療ではありませんが、10年以上前から取り組んでいるジャングルカンファレンスも当然、この系譜です。
 ただ「傾聴」していることが対話のようにとらえられることも少なくないのですが(そうした面もないわけではありませんが)「対話」といった時には、少し異なった大きな意味も含まれるように思います。

 多元主義的な統合医療を主張すると、「なんでもいいのね」とか「相対主義だね」といった感想をいただくことがあります。哲学の議論としてもこの辺りは結構ややこしくなるのですが、結論からいうと、対話により現実にアクセスすれば、相対主義には陥らない、ということです。JCなどの対話を、実際に行わず頭だけで考えた場合、どうやって結論に至るのか明確に構造化されていない、といった批判がなされるのですが、これこそ、ガイドラインがあればすべての問題が解決される的な安直な思考といって過言ではありません。現実はもっと流動的で、急性期などを除けば絶対的な視点などは思っているほどあてになるものではありません。

 価値の問題なども、相対主義的な陥穽に陥りそうに思いますが、実際のケースに基づいて考えれば概ね一つの結論に収束することも稀ではありません。このあたりのことは哲学史的にも大きな問題ですが、ソクラテス、プラトンの昔から共通の了解として、認識されていたことといってよいようです。良心に基づいた対話を展開すれば、人はおのずと結論めいた共通了解に至るという実感があります。

 あらゆる方法論のベースに、現在は客観性のデータが最も重要視されておりますが、本当にそれだけなのでしょうか。対話というもののの再認識の中で、統合医療のみならず、医療全体が大きなパラダイム変換を行っているように感じます。

 
 以下の書籍が大変参考になりました。対話を深く考えたい方にはお薦めです。




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