2020年02月28日

ファシア ダイアローグ ホメオパシーをコヒーレンスから考える

 これまでダイアローグやホメオパシーのところで少し書いてきましたが、思考とダイアローグについて。ボームは思考のクセのようなところを指摘し(思考の明白な問題点は「断片化」にあるといいます)、それを自覚することの重要性を述べます。また、あらゆる問題はすべて思考の中で起こるとも述べています。
 こうした思考のクセのようなものを自覚する方法が「ダイアローグ」にあるというのです。そしてそこからは「洞察」も得ることができると述べています。洞察により、自らの思考を自覚し、そのインコヒーレントな点を超越して「コヒーレント」な状態に至ることができるというわけです。一人だけでは容易に到達できない状態に、集合体となることで可能になるということです。

 少し違った観点ですが、このようなことはエネルギー医学の領域においても指摘されています。一例として、ラグビーやサッカーのような集団競技の試合中に負傷者が出た場合のケースが、あるエネルギー系医療の解説書に紹介されていました。その際に、応急処置がとられるのは言うまでもありませんが、それと同時にチームのメンバーが集結して、その負傷者に対して祈りを行うことで、状況の好転や回復の早まりが起こるという指摘がありました。
 これは同時にその後、試合続行時にもメンバー間の意思疎通が良好になるという付加的な事態も生じうるというのです。それこそ、このチームという集団が「コヒーレント」な状況になっているということだと思います。我々のジャングルカンファレンスや、相談者を含めたジャングルカフェといった状況にもあてはまる例といってよいでしょう。
 つまり集団が、首尾一貫した良好な状態になっているとき(まさにレーザー光線のような状態にあるとき)、それは「コヒーレント」な状態であるといえるでしょう。これは社会的な集団のみのことではありません。我々の身体は、細胞・組織の集団といってよいものです。つまり一個の身体としてもコヒーレントな状態となりうるのです。

 こうしたすべてのシステムに超越したものとして、血管、神経を凌駕して想定されているのが、「ファッシア」といえるかもしれません。これはエネルギー系の書籍では、何らかのエネルギーを媒体する生体マトリックスやら軟部組織と称されることがありますが、概念の統一を図るとすれば、現時点では「ファッシア」としてよいのではないでしょうか。
 ファッシアに関連する水分子をはじめとする生体を構成する諸分子が、コヒーレントな状態になっていることが、健康的な状態といってよいでしょう。(ちなみにボームは『ボームの思考論』において「ガン」はインコヒーレントであると述べています)

 このように考えると不調の状態(インコヒーレントな状態)を、コヒーレントな状態へと復調させる方法、例えばホメオパシーをはじめとするエネルギー医学の特徴がとらえやすくなるのではないでしょうか。つまり漢方やハーブのように大きめの分子レベルで作用しているのではなく、量子レベルでの挙動で考えるということです。
 直接、ファッシアを復調させる徒手療法のみならず、こうしたエネルギー的な観点も許容しながら、生体におけるコヒーレンスということを考えていかなければならないのではないでしょうか。これは同時に、現在のファッシア研究(や紹介)が、ややもすると限定的な徒手療法の視点からのみ展開されていることにも注意しなければなりません。確かにファッシアはエコーにより可視化されたことで、その存在がクローズアップされたことは否めませんが、世界的な研究の流れから見ると、エネルギー医学との密接な関係は無視することはできません。
 ダイアローグを再考するということは、ファッシアという概念を単なる徒手療法の一用語としてとどめることなく、コヒーレンスという視点から再認識することにもつながるのです。

 ざっと書いたメモなので、分かりにくい点も多々あるかと思いますが、現時点でのダイアローグ、ファッシア、ホメオパシーの関連ついての私見を述べました。本邦では、日増しに「ファッシア」への関心が高まりつつありますが、一部の徒手療法に限定されることなく、広範なエネルギー医学の裾野において多元的に理解され定着していくことが望まれます。


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