2020年07月25日

お城へ To Go (新発田城)

 越後・阿賀北(揚北)衆、新発田氏の居城、新発田城(31・新潟)です。押印は平成21年8月16日で、お盆の里帰り次いでの訪問でした。本家が近隣(といっても田舎なので遠いですが)なのですが、高校の時の先生の話では、新発田と近隣との関係は歴史的に微妙なようで、幕末に、他藩が奥羽越列藩同盟でまとまる中、新発田藩は新政府側に与したことが影響しているようです。

 城下町の中心にある公園といった感じの城郭で、表門などは内部公開されていてそこそこ見れるのですが、敷地の大部分は陸上自衛隊の駐屯地のため、なんとなく「端っこだけ」といった印象です。新政府への貢献からか維新後も破却されなかったものの、軍によりしだいに取り壊されたようで、戦後には新潟大学の分校もおかれていたようです。首里城が琉球大学だったことと事情が似ています。

 ほとんどが駐屯地のため、本丸の御三階櫓は、内堀越しか、駐屯地外部から(遠目に)見るしかありません。個々の最大の特徴というと、正面が二つあるといわれる御三階櫓で、最上階の屋根の棟がT字になっている「三方入母屋」と呼ばれています。一説には攻城側が、正面が分からず方向性を失うためなどいろいろ説明されていますが、実際はよくわからないようです。ただの遊び心かもしれません。

 この新発田もそうですが、藩の歴史を知ることで、ご当地のディープな事情が知れるということは少なくありません。奥羽越列藩同盟からすれば、この新発田から新政府軍の切込みが入れられたことで、その後の同盟軍の崩壊につながったとも考えられます。こうした遺恨は現在ではもうあまりないのでしょうが、お年寄りの中では少しは残っているのかもしれません。少し異なりますが、津軽と八戸のぎくしゃく感なども、他県の人には知られていませんが、「青森県」と一括りにされることへの戸惑いもあるようです。

 遠方からの方の場合、こうしたご当地の話題で盛り上がることが出来るのも城めぐりの副産物です。ちなみに新発田から当院まで、通って来られる方もいらっしゃいます。





新潟県 しばたのおかず (郷土の食材と料理)
新発田市食生活改善推進委員協議会
開港舎(販売 ニール)
2010-10-13









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