2020年08月01日

お城へ To Go (春日山城)

 上杉謙信で名高い春日山城(32・新潟)です。押印は平成21年8月15日で、帰省の途中に立ち寄りました。上越の方にはそれまで行ったことがなかったので、城めぐりしていなければ、ずっと行くこともなかったでしょう。直江兼続ばやりの頃だったと思います。

 そもそも南北朝期には詰城として築かれた城で、後に戦国大名化した長尾氏により整備され、謙信によって大掛かりに整備され完成したとされます。大河ドラマの影響もあってかなり、山麓の総構や土塁などが復元され、ものがたり館など付属施設も充実しとても見やすく、迫力のある城でした。戦国の山城好きにはもってこいといった城で、山全体に曲輪が配置され、規模も大きく見ごたえがありました。
 ものがたり館で押印してから、車で駐車場までまわり、謙信の銅像前から大手道を歩きはじめます。三の丸、二の丸、景勝屋敷とまわり本丸へ。本丸からの眺めはとてもよく、上杉謙信になった気分です。天守台はあるのですが、天守は作られなかったようで、近くには現在でも水がある大井戸をもつ井戸曲輪もあります。
 少し降りたところからは本丸へは崖を切ってよじ登ることが出来ないように、当時は油をまいて滑りやすくしていたようです。火災には特に気を付けていたという謙信のエピソードからすると油?って感じなのですが、確かに滑って上れなそうでした。そこからは毘沙門堂(よく大河ドラマなんかで謙信が籠ってますね)、直江屋敷をめぐって春日山神社まで戻ってこれます。

 謙信が戦の合間を縫って何年もかけながら増築し築き上げた巨大な城郭です一度だけの訪問でしたが、是非また再訪してみたい城郭です。帰路は、御館の乱の舞台となった「御館跡」に寄りました。現在はただの公園、といった感じですが、ここが、この春日山城の真価が問われた戦いである「御館の乱」の舞台なので、是非とも寄っておかなければと思いました。春日山との実際の距離感も分かります。
 無敵の謙信だっただけに存命中は、春日山まで攻めてくるものもなく、城の機能が試されることもなかったのですが、死後の跡目争いで、皮肉なことにその真価が発揮されました。北条と連携した上杉景虎の攻城にも春日山城は火災を出すこともなく守り抜き、結果、春日山城を押さえた上杉景勝側の勝利となります。この城の鉄壁の守備が、決定打となったといえます。

 戦においては無敵であった、謙信ですがこの跡目争いをみると、あまり近親の内政については得意でなかったようです。とりわけ、この景虎のふるまいから見ると、謙信の不条理な情念のようなものも感じます。依怙贔屓というか溺愛、もっというと変な愛情のようなものもあったのではないかと勘繰ります。
 そもそも謙信には「女性説」が根強く、ときに馬鹿にされますが、医学的には可能性が高いように思います。月に一度、不機嫌な時が多く見受けられたそうですし、酒を多く飲んだとしても、50代でのくも膜下出血、という死因を考えると、臨床的には女性のエピソードです。また、情に厚く一見男らしい豪快なエピソードがありますが、これもどこか宝塚的なにおいを感じます。男というものは、女性の思うような男でないほうがしばしばであることは言うまでもないですよね。景虎への偏愛も、このストーリーで考えると理解しやすいのです。でもそんなことあるかな?、と思う方、井伊直「虎」も女性とされていますし、そもそも謙信の名前は景「虎」なんですよね。











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