2020年05月27日

お城へ To Go (平戸城)

 島原城からフェリーで熊本へ戻り平戸城(90・長崎)に向かいました。押印は平成26年11月21日です。

 平戸を居城とした松浦氏は、壇ノ浦の戦いで平氏から源氏方へと寝返ったことで、鎌倉幕府の西国御家人となり、地頭に任じられました。戦国期には、竜造寺の軍門に下りますが、その竜造寺も沖田畷の戦いで、島津・大友連合軍に敗れ、さらに島津も九州征伐で秀吉に敗れると、結果として秀吉配下となり朝鮮の役にも出兵してます。
 ここまでは、ローカルな地方武将の城といった感じなのですが、訪問して驚いたのは(事前学習していかなったので)、明治天皇ご生母中山愛子は34代藩主の娘で、城内の資料館には明治天皇御七夜産着など明治天皇ゆかりの品々がさらりと展示されていたことです。
 またその目で、松浦氏の年表を見てみると、15代定(さだむ)は後醍醐天皇の綸旨により鎮西探題の北条氏を討っていたりします。出島に先立って、南蛮貿易の窓口であった地でオランダ商館も設置されていた地に、こうしたつながりがあるのは実に興味深いことです。
 また城郭は山鹿素行の縄張りによるとされ、山鹿流が藩内に伝わり、幕末には吉田松陰が訪れ入門したりしています。

 本丸には模擬天守があがっていますが、本来ここには天守はなく、三重の乾櫓が天守の代用とされていました。御殿のあった二の丸は、場内を散策すると急に開けた地形となり、亀岡神社があります。
 海に半島状に突き出た大地の上に天守が見えるので、遠景でとてもきれいなお城です。訪問時は夕刻だったので、とても静かなミステリアスな城に感じました。


日本の城 改訂版 69号 (平戸城) [分冊百科]
デアゴスティーニ・ジャパン
2018-05-08



甲子夜話 1 (東洋文庫 306)
松浦 静山
平凡社
1977-04-01



明治天皇を語る (新潮新書)
ドナルド キーン
新潮社
2003-04-10



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