2020年06月17日

お城へ To Go (大野城)

 大宰府古代山城群の中心的役割を担う大野城(86・福岡)です。押印は平成26年11月23日、県立四天王寺県民の森管理事務所でスタンプを押しました。

 いわゆる戦国・安土桃山の城とは異なり、白村江の戦いの敗北を機に、唐・新羅の侵攻に備えた古代の城で、巨大ですごいのですが、あまり整備されていないので見ずらいです。案内書なども県民の森の遊歩道の図みたいなのを頼りに行かなくてはならず、山城への入り口も分かりにくいです(現在では少し改善されているかもしれませんが)。以前。ある雑誌で城好きドクターが、好きな城としてここを挙げていたのですが、他の選択肢と合わせると「?」という感じです(行きにくい100名城に来たぜというアピールにはなると思いますが…)。
 岡山・鬼ノ城と築城目的が似ており、その規模の大きさも当時の政治状況から考えると納得の古代山城といったところでしょうか。いずれにせよ、白村江の敗戦による半島からの攻撃に対する恐怖が、そのまま城郭規模の巨大さにつながったような当時の心象を、時を超えて感じることが出来ます。
 ただ鬼ノ城と比べると、大野城は復元なども行ってないので、山中を案内図片手に、礎石や石垣を訪ね歩くといった感じです。
 回っているときは把握できていなかったのですが、後で調べてみると、博多湾から上陸された場合、水城とこの大野城、さらには南方のキイ城とで内陸にある大宰府を囲んで防衛している様子がよくわかります。

 百済からの亡命貴族の指導により築城したということですが、とにかくこの時代にここまでの規模の城があったというのは素直に驚きです。加えて、内部の水はけの必要から築かれた石垣群は、百間石垣を代表としてかなりの見ごたえがありました。
 帰路に、令和となって急に脚光を浴びた太宰府天満宮に立ち寄り(この当時は「令和」ブームになるとは予想だにしませんでしたが)、飛梅などを見学し参拝してから、学会場のある福岡へと向かいました。水城は時間がなく、訪問できませんでした。




 


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