2020年05月21日
多元と統合について考える
本年度の群馬大学での統合医療概論の講義も近づいてきたので、また改めて「統合医療」について考えております。
統合医療というと通常は(というかほとんどは)、多彩な補完代替医療や、東洋医学、サプリメントなどの各論が話題に上がることが多いですが、このブログでは、そうした話題や健康知識だけでなく、統合医療そのものを考える記事も書いてきています。
これは、概論的なことを自分が好むということもないわけではないのですが、それだけではありません。こうしたことを話題にしなければ、一般の方は当然、興味はないですし、専門家までもそうであれば、だれも考えなくなってしまうからです。
先日、コロナ関連のテレビ番組で歴史家の磯田先生が言っていましたが、他国に比べ日本ではスペインインフルエンザの歴史学的な研究者がいないため、資料も散逸してほとんど残らず、そのため一般市民の間に記憶としてあまり残っていない、という指摘でした。形の見えないものは日本人は得意ではない、といったことが原因ではないかということでした。
これは統合医療についても同様で、何とかセラピーとか、何を食べたら健康になるといったことが前面に出てしまい、そのための仕組みや考え方の枠組みを考えることに関心がむきません。一般の方はそれでよいのですが、いわゆる専門家も同様の傾向があるので問題だと思うのです。
一つのサプリや治療のエビデンスばかりが強調され、それらの具体的な使用法や併用法など、いわゆる「位置づけ」などは置いてきぼりの感があります。むしろそれこそが統合医療だという方までいます。
多彩な方法論の並立の問題は、ふつう考えるよりも複雑で、はるかに重要であるのにあまり関心をもたれず、放置されていることがほとんどです。こうした問題の解決には、「統合医療」というものの構造が不可欠であるのですが、それがほとんどスポットライトが当たらない、という状況なのです。
この問題の解決のために、かつて『統合医療の哲学』を著して、多元的統合医療というモデルを出し、選択の思想的基盤をプラグマティズムにおくという考えを提出しました。基礎的にはそれで方向性はつけられたのですが、具体策としては、多元のなかからどう決定していくのかというところが曖昧で、ご指摘を受けることもありました。
その時は、プラグマティズムの思想を拡大解釈することで解決可能だと考えており、そうした回答をしていたのですが(間違ってはいなかったと思います)具体策を示しうるものであればよりよい、と考え続けてはいました。
そこでこうした思想的基盤として取り入れたのが、ケン・ウィルバーのインテグラル思想です。ティール組織の勉強から入っていったのですが、これまでも実は何度かトライはしておりましたが、あまりご縁がなかったようでなかなか腑に落ちませんでした。
それが、ジャングルカンファレンスやオープンダイアローグなどを経由した現在、読み直してみると、かなり理解しやすい考えだと感じました(甲野先生の著作を初めて読んだ時のような納得感を得ることが出来ました)。また、これまで強調してきた「折衷」と「多元」の相違や、インテグラルとしての「統合」の在り方などの考えをより分かり易くまとめることができる理論であるとも感じました。詳細は、講義などで解説していく予定ですが、いわゆる「統合」と通常いわれる意味との距離を感じると説明も容易にはいかなそうです。
特に「多元」と「統合」との問題はわかりにくく、私も一部かかわった書籍でもある「統合医療とは何かわかる本」においても、誤解・誤読といってよい多元主義に関する記述がなされています。またウィルバー研究者からの「ティール組織」への多元段階(グリーン)に対する理解の疑問なども提出されており、こうした誤解や誤読は至る所で生じている問題のようです。(ウィルバーはこれを「プレ・トランスの混同」といった用語で説明しており、色々な場面に適応可能で感動しました)
今回はそうした問題の指摘だけに止め、詳細は後日、ここでも書いていきたいと考えています。
明日は、初のオンライン講演です。皆様のご参加をお待ちしております!
統合医療というと通常は(というかほとんどは)、多彩な補完代替医療や、東洋医学、サプリメントなどの各論が話題に上がることが多いですが、このブログでは、そうした話題や健康知識だけでなく、統合医療そのものを考える記事も書いてきています。
これは、概論的なことを自分が好むということもないわけではないのですが、それだけではありません。こうしたことを話題にしなければ、一般の方は当然、興味はないですし、専門家までもそうであれば、だれも考えなくなってしまうからです。
先日、コロナ関連のテレビ番組で歴史家の磯田先生が言っていましたが、他国に比べ日本ではスペインインフルエンザの歴史学的な研究者がいないため、資料も散逸してほとんど残らず、そのため一般市民の間に記憶としてあまり残っていない、という指摘でした。形の見えないものは日本人は得意ではない、といったことが原因ではないかということでした。
これは統合医療についても同様で、何とかセラピーとか、何を食べたら健康になるといったことが前面に出てしまい、そのための仕組みや考え方の枠組みを考えることに関心がむきません。一般の方はそれでよいのですが、いわゆる専門家も同様の傾向があるので問題だと思うのです。
一つのサプリや治療のエビデンスばかりが強調され、それらの具体的な使用法や併用法など、いわゆる「位置づけ」などは置いてきぼりの感があります。むしろそれこそが統合医療だという方までいます。
多彩な方法論の並立の問題は、ふつう考えるよりも複雑で、はるかに重要であるのにあまり関心をもたれず、放置されていることがほとんどです。こうした問題の解決には、「統合医療」というものの構造が不可欠であるのですが、それがほとんどスポットライトが当たらない、という状況なのです。
この問題の解決のために、かつて『統合医療の哲学』を著して、多元的統合医療というモデルを出し、選択の思想的基盤をプラグマティズムにおくという考えを提出しました。基礎的にはそれで方向性はつけられたのですが、具体策としては、多元のなかからどう決定していくのかというところが曖昧で、ご指摘を受けることもありました。
その時は、プラグマティズムの思想を拡大解釈することで解決可能だと考えており、そうした回答をしていたのですが(間違ってはいなかったと思います)具体策を示しうるものであればよりよい、と考え続けてはいました。
そこでこうした思想的基盤として取り入れたのが、ケン・ウィルバーのインテグラル思想です。ティール組織の勉強から入っていったのですが、これまでも実は何度かトライはしておりましたが、あまりご縁がなかったようでなかなか腑に落ちませんでした。
それが、ジャングルカンファレンスやオープンダイアローグなどを経由した現在、読み直してみると、かなり理解しやすい考えだと感じました(甲野先生の著作を初めて読んだ時のような納得感を得ることが出来ました)。また、これまで強調してきた「折衷」と「多元」の相違や、インテグラルとしての「統合」の在り方などの考えをより分かり易くまとめることができる理論であるとも感じました。詳細は、講義などで解説していく予定ですが、いわゆる「統合」と通常いわれる意味との距離を感じると説明も容易にはいかなそうです。
特に「多元」と「統合」との問題はわかりにくく、私も一部かかわった書籍でもある「統合医療とは何かわかる本」においても、誤解・誤読といってよい多元主義に関する記述がなされています。またウィルバー研究者からの「ティール組織」への多元段階(グリーン)に対する理解の疑問なども提出されており、こうした誤解や誤読は至る所で生じている問題のようです。(ウィルバーはこれを「プレ・トランスの混同」といった用語で説明しており、色々な場面に適応可能で感動しました)
今回はそうした問題の指摘だけに止め、詳細は後日、ここでも書いていきたいと考えています。
明日は、初のオンライン講演です。皆様のご参加をお待ちしております!