2020年07月01日

お城へ To Go (吉野ヶ里)

 今回はお城というより環濠集落、吉野ヶ里(88・佐賀)です。押印は平成26年11月24日、この年の九州攻め最終日でした。100名城になっているので来たのですが、1990年の史跡認定の時に結構話題になっていたので一度見て見たかった史跡でした。
 当時は邪馬台国との関連が報道され、現在でも九州説の候補でもあります。古代史も、城郭同様、コアなファンが多い領域ですので、年中、邪馬台国発見か!?みたいなのやってますよね。

 主祭殿、高床住居、物見やぐらなど復元建物がたくさんあり、歴史に興味がなくても楽しめると思います。青森、三内丸山遺跡もすごかったですが、こちらは高床な分、迫力があります。また、V字に掘られた環濠は深さ3メートルもありこれもすごい。
 城郭の起源という観点からすると、防御の逆茂木などもあり、やはり100名城!といったところでしょうか。銅剣も出てるし、祭殿も立派なので、もうここが邪馬台国でいいんじゃないか(笑)って感じです。

 こうした城の原型に、半島からの土木技術などが混ざって「大野城」のような形態になり、時を経て戦国の山城群が出現する、そして次第に平野におりて、見せる立派な城へと変貌し、「福岡城」「熊本城」「島原城」などができていったと思うと感慨ひとしおですね。それぞれには築城当時の思いなどがあるのでしょうが、時系列で並べてみると、系譜学のように構造的な問題が透けて見えるので、こうした視点も時に必要ですね。
 個別ではなく集団としての視点の大切さ、という点で、四象限の見方(AQAL)の重要性をあらためて感じました。

吉野ヶ里 遺跡はこうして残った
山崎 義次
文芸社
2017-04-28

まぼろしの邪馬台国
余貴美子
2015-05-25







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