2020年10月10日

お城へ To Go (五稜郭)

 今回は五稜郭(2・北海道)です。押印は平成21年5月1日でした。当時は箱館奉行所の復元がされていなかったので(平成22年7月復元公開)、内部はとくに見どころなし、といった状態でしたが、昨年訪問した際、奉行所を見ることが出来、やっと当時を偲べる施設になった感じですね。

 押印時は、ちょうど桜の満開時期でとてもきれいだった記憶があります。ここが満開でしたので、この後の花見ツアーは松前、弘前、角館とほとんど桜が散っておりました。
 最後の和式城郭松前城と対照的に、こちらは欧州の城塞都市に用いられた稜堡式城郭です。同様の星形五角形は、佐久の龍岡城とここだけですが、龍岡城は極めて小さく堀も頑張れば飛び越せそうなくらい(おまけに内部は小学校!)の規模なので比較になりません。また龍岡城は歩いても五角形を感じることができますが、五稜郭はやはりタワーに上らないとその全貌を理解できません。

 ちなみにタワーから見ると、大手口の半月堡がとてもきれいで特徴的なのですが、防御としてもこの部分位がまともな気がします。他の4隅はとても弱そう。他のところもこの半月堡を築けば、横矢もかかるし、強さも出るような気がしていたのですが、その通りらしく、当初は5基すべてに作られる予定だったようです。ただ、やはりというべきが予算が足らず、一基のみということになったようです。

 また欧州では郭内に高い建造物は建てないようなのですが、日本式の軍事施設と居住施設が同居するという形式をとったため奉行所を内部におき、挙句に屋根の上に立派な太鼓櫓をあげてしまったために、艦砲射撃の格好の標的になってしまいました。気づいて慌てて櫓を取り壊すも、すでに射撃角度が知れていたため時すでに遅し、という落ちがついています(艦砲射撃ではこの角度の設定が決定的なのです)。
 加えて五稜郭には、その防御力を補てんするために出城的に、近隣に突貫工事で「四稜郭」が築かれますが、これも数時間で陥落しており、五稜郭の防御力の低さは榎本軍も自覚していたのでしょう。また石垣の構造としては忍返の一形態といわれる跳出石垣が有名で、これは和式城郭では「人吉城」のみに使われているもので、石垣好きには必見ポイントです(龍岡城にもちょろっとあります)。

 奉行所復元後に昨年行って感じたのは、その復元の立派さです。それでも三分の一ほどの復元ということですが、外見の威厳、立派な広間の数々、この3倍もあったかと思うと当時の規模の大きさが偲ばれます。2月の雪降る中の見学でしたので、足が冷え切って寒かったのですが、とても印象的でした。ちなみにその後寒かったので、五稜郭タワー内の五島軒のカレーを食べたのですが、土産に買ったガラムマサラが最高で、後日、再度追加購入したほどでした(笑)

 函館でレンタカーを借りて江差方面に足を延ばすと、かつての蝦夷支配の拠点「勝山館」や榎本脱走艦隊最大の「開陽丸」の復元が見られます。ロータリークラブによる開陽の復元は、これが座礁せずに箱館戦争に参戦していたらどうなっていただろうかと思いを巡らせてしまいます。でも土方ですらおそらく仲間うちで撃たれたのでしょうから、結果は見えていたんでしょうけどね。

 ちなみに荻窪の塩ラーメン「五稜郭」美味しいです!










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