2020年10月17日
お城へ To Go (根室半島チャシ跡群)
今回は100名城のラスボスと称される根室半島チャシ跡群(1・北海道)です。具体的にはオンネモトチャシとその周辺をまわりました。押印は平成21年8月28日、根室市歴史と自然の資料館にスタンプがありました。
このチャシ群は、根室半島の突端にあり、極めて交通アクセスが悪いので、100名城初心者には開始時にはちょっとしたプレッシャーにも感じる「名城」でもあります。そのため、押印は何とか休暇をやりくりして来訪する人が多いのか、資料館が休館だったりするとちょっとしたトラブルになることも多かったようで、当時、資料館の方が恐怖を感じていたようなコメントが印象的でした。
現在では近隣の駅などでも押印できるみたいなので、状況は改善されたようなのですが。まあ、わざわざ日本の突端近くまできて、押印できないといわれる気持ちも十分察せられるのですがね。現在はネットなどの情報が充実しているので、こうしたトラブルもずいぶんと減ってきていることでしょう。ちなみに続100名城のラスボスといわれているのが「福江城」です・・・と福江城の観光協会の方が自ら言っておりました(笑)
チャシには、丘先式・面崖式・丘頂式・孤島式・平地式の5つの基本形があるといわれ、オンネモトチャシは面崖式とされています。
チャシについてはとりわけ東蝦夷地に多く分布することから、日高アイヌ首長のシャクシャインにより築かれたものが多いとされますが、その用途も含めていまだ不明なことも多いようです。ただし、5つの基本形をみると、城の原型として多くの城郭にもあてはまるものが多く、城というものの「おもかげ」を知ることが出来ます。進化による生命の形態の変化も同様ですが、この「おもかげ」をみることでいろいろなことが知れるように思います。ただし、チャシはそれほど古いわけではなく、16〜18世紀にかけて多く出現したもので、和人よりの「渡党(わたりとう)」による「道南十二館」などの拠点に対抗して作られていったようです。
訪問時は、小雨ふる中で、押印した資料館でチャシへの行き方、駐車場所などを案内図をいただき、車で向かいました。駐車場にあたるところ(わかりにくい)についても、ただの草原で、当然誰もいず、チャシ跡の碑だけがその場所であることを示していただけでした。
現在は、駐車スペースを含め、当時よりはかなり整備されているようです。そこからは花咲ガニで有名な花咲を経由して(一山越えて)根室に行き、名物「さんま鮨」をたべました。そこで根室のサンマは背中が曲がってしっぽを持つとピンと立つ、ということを教わりました。
ただ有名な土地のわりに、やはりというべきか、夜は店もほとんどなくとても寂しい印象でした。旅情としての味があるといえば、味があるのですが。帰路は釧路湿原を見てから帰りました。
このチャシ群は、根室半島の突端にあり、極めて交通アクセスが悪いので、100名城初心者には開始時にはちょっとしたプレッシャーにも感じる「名城」でもあります。そのため、押印は何とか休暇をやりくりして来訪する人が多いのか、資料館が休館だったりするとちょっとしたトラブルになることも多かったようで、当時、資料館の方が恐怖を感じていたようなコメントが印象的でした。
現在では近隣の駅などでも押印できるみたいなので、状況は改善されたようなのですが。まあ、わざわざ日本の突端近くまできて、押印できないといわれる気持ちも十分察せられるのですがね。現在はネットなどの情報が充実しているので、こうしたトラブルもずいぶんと減ってきていることでしょう。ちなみに続100名城のラスボスといわれているのが「福江城」です・・・と福江城の観光協会の方が自ら言っておりました(笑)
チャシには、丘先式・面崖式・丘頂式・孤島式・平地式の5つの基本形があるといわれ、オンネモトチャシは面崖式とされています。
チャシについてはとりわけ東蝦夷地に多く分布することから、日高アイヌ首長のシャクシャインにより築かれたものが多いとされますが、その用途も含めていまだ不明なことも多いようです。ただし、5つの基本形をみると、城の原型として多くの城郭にもあてはまるものが多く、城というものの「おもかげ」を知ることが出来ます。進化による生命の形態の変化も同様ですが、この「おもかげ」をみることでいろいろなことが知れるように思います。ただし、チャシはそれほど古いわけではなく、16〜18世紀にかけて多く出現したもので、和人よりの「渡党(わたりとう)」による「道南十二館」などの拠点に対抗して作られていったようです。
訪問時は、小雨ふる中で、押印した資料館でチャシへの行き方、駐車場所などを案内図をいただき、車で向かいました。駐車場にあたるところ(わかりにくい)についても、ただの草原で、当然誰もいず、チャシ跡の碑だけがその場所であることを示していただけでした。
現在は、駐車スペースを含め、当時よりはかなり整備されているようです。そこからは花咲ガニで有名な花咲を経由して(一山越えて)根室に行き、名物「さんま鮨」をたべました。そこで根室のサンマは背中が曲がってしっぽを持つとピンと立つ、ということを教わりました。
ただ有名な土地のわりに、やはりというべきか、夜は店もほとんどなくとても寂しい印象でした。旅情としての味があるといえば、味があるのですが。帰路は釧路湿原を見てから帰りました。