2020年11月28日
お城へ To Go (高岡城)
今回は高岡城(33・富山)です。押印は平成23年10月23日で、一乗谷、丸岡と北陸周遊の一環で訪問しました。鍛冶丸跡にある高岡市立博物館にスタンプ設置されています。城郭全体が、公園で、知り合いがここ高岡にいるのですが「高岡には城はないよ」というくらい、地元民には城として認知されいないようです(笑)
現在は、広大な水堀に囲まれた立派な公園で、そもそもは天然の地形を全く利用していない全国的に珍しい「人工的な城」ということです。要するに平たいところに全く白紙の状態から縄張りを張ったということです。それゆえに本丸、二の丸、鍛冶丸、明丸、民部丸とひとつらなりの輪郭式で、極めて幾何学的な印象です。そもそもは高山右近の縄張りという印象でしたが、これは通説ではあるのですが、どうも現在では直接的な資料が見当たらず、疑問視されているようです。(ただし右近の経歴に加え、妙に重要な前田絡みであること、近隣の意味深な地名などいろいろ邪推すると、本当は何かあるのかもしれませんね)
かわりに前田利長の采配の示す資料はあるようで、歴史的経緯からもこちらが自然なように思います。では、どうして高山右近?という疑問が残るのですが、天正16年に前田利家に加賀に招かれているという記録があるようです。
いずれにせよ、前田利長の隠居城として築かれた富山城が火災で焼失したのち、魚津城を経て、ここ高岡築城に至るようです。しかし、その完成をみることなく死亡してしまい、元和の一国一城令により廃城、わずか5年の歴史とされます(異説あり)。それゆえ巨大な水堀は往時のままで残っており、水堀巡りの小舟もあり、楽しめました。
ただこの時は訪問時に、突然の雨に降られてしまい、傘がなくなんとか博物館に逃げ込んだもののずいぶんとびしょぬれになったのを覚えています。訪問後は、有名な高岡大仏を見て帰りました。
現在は、広大な水堀に囲まれた立派な公園で、そもそもは天然の地形を全く利用していない全国的に珍しい「人工的な城」ということです。要するに平たいところに全く白紙の状態から縄張りを張ったということです。それゆえに本丸、二の丸、鍛冶丸、明丸、民部丸とひとつらなりの輪郭式で、極めて幾何学的な印象です。そもそもは高山右近の縄張りという印象でしたが、これは通説ではあるのですが、どうも現在では直接的な資料が見当たらず、疑問視されているようです。(ただし右近の経歴に加え、妙に重要な前田絡みであること、近隣の意味深な地名などいろいろ邪推すると、本当は何かあるのかもしれませんね)
かわりに前田利長の采配の示す資料はあるようで、歴史的経緯からもこちらが自然なように思います。では、どうして高山右近?という疑問が残るのですが、天正16年に前田利家に加賀に招かれているという記録があるようです。
いずれにせよ、前田利長の隠居城として築かれた富山城が火災で焼失したのち、魚津城を経て、ここ高岡築城に至るようです。しかし、その完成をみることなく死亡してしまい、元和の一国一城令により廃城、わずか5年の歴史とされます(異説あり)。それゆえ巨大な水堀は往時のままで残っており、水堀巡りの小舟もあり、楽しめました。
ただこの時は訪問時に、突然の雨に降られてしまい、傘がなくなんとか博物館に逃げ込んだもののずいぶんとびしょぬれになったのを覚えています。訪問後は、有名な高岡大仏を見て帰りました。