2020年12月05日

お城へ To Go (鶴ヶ岡城)

 今回は鶴ヶ岡城(続108・山形)です。新潟から特急いなほに乗って訪問しました。特急いなほは、羽越本線を通っていくため、村上を過ぎてから、鶴岡の2、3駅手前まで日本海沿いを走る風光明媚な路線でした。村上近くでは、有名な「笹川流れ」に代表される奇岩により形成される海岸が、そのまま山形県まで続きます。トンネルとトンネルの間に、つかの間、こうした景色が見え、「旅情」あふれる、といった感じでした。

 時折、上杉の領国としての越後の広大さの理由を考えるのですが、こうやって実際に行くと納得の理由があるものです。春日山城から西へ向かうと。こちらも「親知らず子知らず」に代表される断崖絶壁により富山県と隔てられているのがわかります。そして春日山城から広大な水田地帯に隔てられ遠く離れ、上杉の支配に対して独立的反抗的であったとされる「阿賀北衆」の領土もまた、最上の本拠である山形と前述した自然の要害で隔てられているわけです。実際の歴史は、地政学的にみても納得です。

 鶴岡駅で「冷やしラーメン」を食べてから、鶴ヶ岡城(鶴岡公園)へ。現在の本丸は荘内神社となっていて、御祭神は、酒井忠次をはじめ酒井家二代、三代、九代が祀られています。元来、この地は最上と上杉の勢力がせめぎ合っており、大宝寺城として築城されたこの城も、上杉から最上の支配へと変わっていきます。
 しかし、江戸時代に入って最上三代の時のお家騒動により改易され、酒井家が信濃松代藩から(!)入り、そのまま明治へとつながります。この間、酒井家の国替えが画策されたときに、領民の反対運動により、酒井家の領有が続行されたことは「善政」であったためといわれますが、上杉と最上に挟まれた歴史をみると、やっと得られた「安定」と継続したかったという面も強かったように思われます。
 
 ここ庄内藩は、幕末においてはかなり特異な扱いを受けることになり、歴史的にはかなり穿った見方をすることも可能です。東北諸藩の中では例外的に、官軍である西郷隆盛を敬愛する土地柄で、元藩士がはるばる西南戦争に西郷軍として参加までしています。「西郷の人柄を慕って」というのが定番の解釈なのですが、それにしても戊辰戦争で徹底抗戦までしたにも関わらず、何故、寛大な戦後の処置を受けることができたのでしょうか。黒田清隆、西郷隆盛の漢の心意気みたいな説明は個人的には全く納得しておりません。明らかな依怙贔屓を感じざるを得ません。大本営の移動も画策された「松代」からの初代忠次の移封にも、何か関連しているのではないでしょうか。

 訪問した日が休館日だったため、致道館、藤沢周平記念館は見学することが出来ませんでしたが、かろうじて旧三の丸にある致道博物館は開いていたので見学できました。かなり見どころ満点の博物館で、入り口を入ると青い立派な旧鶴岡警察署庁舎、その横には藩主御隠殿、美術展覧会場、多層民家、奥には酒井氏庭園、振り返ると旧役所も立派な建造物で、こちらには戊辰戦争関連資料があります。城郭自体があっさりしていたので、次の予定までに時間を持て余していたのですが、たっぷり楽しむことができました。充実の博物館です!

 駅までの帰り道、「千葉寿司」さんで日本海の海の幸を堪能し、サクランボ(紅秀峰)を買って帰りました。紅秀峰、美味しかったです。




新装版 蝉しぐれ (上) (文春文庫)
周平, 藤沢
文藝春秋
2017-01-06



 


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