2020年12月12日

お城へ To Go (高島城)

 今回は諏訪湖の浮城、高島城(続130・長野)です。これまで松本への途中で2度ほど訪問しております。上諏訪駅から徒歩10分くらいで都心からのアクセスもよく、城までの道すがら、「うなぎ」の店も多くいろいろと楽しめます。(私はうなぎ「古畑」さんに寄りました)

 このあたりはそもそも国人領主である諏訪氏により治められていました。諏訪氏はそもそも出雲系といわれ原始日本の伝統的な流れであり、それゆえに神官を兼ねた家柄でもあります。武田信玄の時代には、諏訪御寮人(かつて大河では南野陽子さんが演じてました!)との間に勝頼が生れ、武田の跡継ぎとなりました。
 その後、諏訪には、徳川家康の関東入りに伴って、築城の名手とされる日根野高吉が入り、7年がかりで諏訪湖畔に高島城を築城したとされます。高吉の死後、諏訪氏は下野壬生に移り、11年ぶりに諏訪氏が復帰し、高島城に入りました。その後は、明治まで諏訪の領有は継続しています。

 この城は、罪人の幽閉場所として利用されていたようで、松平忠輝、吉良義周らが幽閉されいます。現在は、諏訪の街中にあるお城ですが、当時は天守まで諏訪湖畔が迫っており、諏訪湖に流れ込む川を巧みに縄張りに取り込んでいるさまから水城、浮城と称されていました。幽閉場所である南の丸(現城南小学校)は往時は、川と堀に四方を囲まれており、幽閉には適したところだったのでしょう。また格式のある諏訪氏だけに、こうした政治犯がらみの責任ある業務に任ぜられていたのかもしれません。

 古地図などでも浮城の様子は描かれており、諏訪湖のほとりの天守はさぞや立派な光景だったことが偲ばれます。現在は公園化されており、天守は資料館になっています。最寄りが、特急あずさの停車駅なので、松本城と合わせて訪れたい名城です。








上諏訪の女/一緒に暮らそう
天野涼
日本クラウン
2014-08-06



この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔