2021年01月09日

お城へ To Go (小谷城)

 新年あけてからはしばらく「近畿編」でいきます。

 今回は小谷城(49・滋賀)です。平成26113日に訪問しました。レンタカーにてまずは小谷城戦国歴史衣資料館で押印し、その後、番所跡まで車であがりそこから歩いて登城しました。

 浅井家は、久政の代に六角氏に敗れて以来、六角氏に服属していましたが長政の代になり、六角義賢に野良田の戦いで勝利し自立を勝ち取ったとされます。その後、六角氏との関係で優位に立つべく織田に接近、これにより長政はお市の方と結婚し、浅井三姉妹をもうけました。
 しかし、織田信長が越前朝倉を攻めると、金ヶ崎の戦いにおいて織田に反旗を翻し、姉川の戦いで朝倉とともに織田と激突します。この戦いで織田は勝利するものの、本拠・小谷城までは落とせず、信長との対立が続くことになりますが、こうした最後の舞台となったのが小谷城です。

 小谷城は、浅井の居館や家臣団屋敷があったとされる清水谷から見上げると、右手に本丸、左手に山崎丸がみえ、その中央に詰めの城としての「大嶽」が位置しています。
 この大嶽は容易には落ちず、織田軍は相当苦戦しているようです。しかしその後、ここも最終的には制圧され、山崎丸、福寿丸も落ちると清水谷から総攻撃をかけ、浅井久政・長政は自刃し、落城に至るというわけです。本丸の下部には赤尾屋敷跡があり、ここで長政は自刃したと伝えられています。

 この城の特徴としては、本丸より上段に、守護の京極氏を迎え入れたとされる京極丸、さらには地域で信仰される地主神を祀る山王丸があり、地域社会の統治においての配慮がみられるのが大きな特徴とされています。浅井の人間関係の機微のようなものが垣間見えますね。城郭から地域の人間関係が透けて見える良い例とえいるでしょう。

 ここもクマ出没注意がなされていたので、熊鈴をもっての登城となりました。くれぐれも皆さんもご注意ください。







 



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