2021年04月17日

お城へ To Go (金沢城)

 言わずと知れた加賀百万石の大城郭、金沢城(35・石川)です。押印は平成231024日で、七尾城の翌日に訪問しました。

 金沢というと「兼六園」が普通最初に思いつきそうですが、兼六園自体はこの金沢城の付随的な庭園という位置になります。もっというと有事の際の「出丸」的な機能を庭園は有しており、水戸の偕楽園なども同様の目的と考えてよいでしょう。

 金沢城は加賀一向一揆の本拠、金沢御堂の跡に築城されたといわれ、大阪城と似た来歴を持ちます。こうしてみると当時の一向一揆の勢力の大きさを感じます。一向一揆制圧後、佐久間盛政が尾山城として整備したのち、前田利家が入城。この際、高山右近を招いて大改修を行ったとされます(こうしたエピソードから高岡城も高山右近縄張り説があるのかもしれません)。これにより加賀前田の居城として、明治維新まで継続します。

 金沢城としては、現存する櫓などはわずかしかないのですが、近年再建がすすみ、かなり豪華な当時のたたずまいを取り戻しつつあります。
 五十軒長屋や菱櫓、河北門など、その再建の様子も併せて必見です。金沢の雰囲気と相まって、本当に美しい城郭だと思います。

 通常、金沢城見学は三の丸、二の丸がメインになるのでしょうが、個人的には三十軒長屋を経て入る本丸の鬱蒼とした森の雰囲気が好きです。そもそもは重要拠点だったにもかかわらず、置いて行かれたようになって、二の丸や兼六園の華やかな感じと対照的に、なんとも枯れている感じが良いです。

 金沢はこの城に限らず、見所たっぷりですが、近江町市場やひがし茶屋街だけでなく、ぜひともおすすめなのが、忍者寺として知られる妙立寺。3代藩主利常が寺院群に対して司令部的な役割をもたせるために、城の付近から移籍建立したと伝えられる寺院ですが、その建築構造の複雑さから「忍者寺」と称されるようです。
 落とし穴や隠し部屋、秘密の抜け口などまさに忍者のからくり的なしかけが豊富なのですが、私にはどこかふざけているような、大人の遊びのように感じられました。これは悪い意味ではなく、栗本慎一郎先生も、大人の秘密クラブ的なところだと著書で記しています。ご興味ある方はぜひご自分の目で確認してみてください。
 茶屋街など、少し陰のある華やかさ、という独特の雰囲気を醸し出すエリアだと思います。






前田利家・利長 (中世から近世へ)
大西 泰正
平凡社
2020-09-15


 



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