2021年01月12日

『身体構造力』から考えたこと

 伊東義晃先生の『身体構造力』について、かつて簡単にご紹介したのですが、ブログ読者の皆様の閲覧数が多いのと、私自身も再読してあらためて賛同するところも多いので、再度、ご紹介したいと思います。

 身心工房リボンのメンバーとともに、内輪のカンファレンスを年始に開催した折にも、各自のセラピーへの思いに関して、本書と齟齬があるか、あるとすればどのような点なのか、など各人で考えてみるようにテーマを出しました。

 私自身、「愛」と「宇宙」のような安易なキーワードを用いることの問題点や、あくまでも「身体」にこだわるという視点を重要視するという点は、甲野先生の著作や、先生との時折の会談などを通じて、よく語ることではあるのですが、近代主義的世界観から整然と説明している本書の意義は極めて大きいと思うので、あらためて課題図書的に紹介しました。

 私個人の問題意識としては、明治期の霊術的な事柄の分析が近代思想の理解への、図と地の反転のように使える可能性を感じることができ、このあたりをまたもう一度勉強しようという気になっております。

 自らの流派の方法論において、スピリチュアル系への過度な傾倒を問題視していたセラピストも非常に関心を持って、この書籍の紹介を聞いてくれていたようですので今後の展開が楽しみです。
 とくにセラピストの方々には全3章のうち、第2章を重点的に考えてみると良いのではないでしょうか。

 とても参考になるフレーズがいくつかあるのでが、今回はその一部をご紹介し、また後日、さらに追加して皆様と供覧してみたいと思います。
 まずは整形外科的な治療などについて。EBMの視点と合わせ、よりベストなものを探求するにあたっての記述。

「制度上それしか打つ手がないために行われるはずの処置」が「医療判断として最善」だという誤解に至ってしまうのには、そんなに時間はかかりません(114頁)

 というところ。知らず知らずのうちに行われる思考停止を指摘したこの文章は、バックミンスター・フラーも『宇宙船地球号操縦マニュアル』にて

 船が難破したとしよう。救命ボートもすべてなくなった。見るとピアノの上板が流れてくる。これがつかまっても十分浮力があるものなら思いもかけない救命具になる。といって、救命具の最良のデザインがピアノの上板というわけじゃない。

 と記載しているのと一脈通じるように思う。私たちは日々、こうした思い込みの中にいることを改めて感じる感覚を忘れていけないように思うのです。
 また機会を見つけて、気になった文章を備忘録的にピックアップしてみたいと思います。



 

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔