2021年08月28日

お城へ To Go (郡山城)

 毛利躍進の拠点、郡山城(72・広島)です。押印は、平成27年11月21日で、広島からレンタカーにて訪問しました。のんびりとした田舎町といった安芸高田市にあり、郡山という山、全山丸ごと城という、西日本最大級の山城です。

 もともとは南北朝時代に毛利時親が築城しているのですが、それが旧本城にあたり、南東麓にあり、そこから拡張されて、山頂に本丸を置く、巨大山城へと変貌していったようです。
 毛利輝元によって広島城が築城されるまでは、ここがずっと本拠地ですから、元就時代の中心地ということになります。

 全山で曲輪の数は200を超えるといわれ、圧倒的な数を誇ります。その割には、堀切や土塁などが少ないというのがこの城の特徴です。
 山麓の駐車場から、本丸を目指して上るのですが、途中、尾崎丸、旧本城にも行けるのですが、とにかく城域がでかいので、一通り周ったら相当の疲労と足の痛みが出てしまいました。翌日、広島城を巡っていて足が痛くて仕方なかったのを覚えております(笑)

 この郡山城は、主を尼子から大内へと乗り換えた毛利元就が、尼子の3万を超える大軍勢に包囲され籠城戦を展開した城です。
 大内からの援軍を待つ間に両軍、膠着状態となったものの援軍到着後は、形勢を逆転させ総大将尼子久幸を討ち取るに至りました。

 またこの時、援軍として派遣されてきたのが陶晴賢で、のちに元就が西の桶狭間とも称される奇襲戦、厳島の合戦の敵役となるわけです。今川義元みたいな感じですかね。二人の武将のその後の展開を知っていると運命を感じてしまいます。

 またこの城には、元就が城の拡張を行った際に人柱の代わりにしたと伝承される「百万一心碑」を模した碑が有名です。ちなみに百万は「一日一力」とも読めます。



郡山城 ―毛利氏260年の城― 日本百名城選定記念企画展〈安芸高田市吉田歴史民俗資料館図録 7〉
安芸高田市吉田歴史民俗資料館[編]
安芸高田市吉田歴史民俗資料館
2007-04-06






 


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