2021年09月04日
お城へ To Go (岩国城)
錦帯橋越しの優美な復興天守、岩国城(74・山口)です。押印は平成27年12月14日です。山口での学会参加後に、足を延ばしての訪問でしたので、リフト終了間際の忙しい訪問となりました。文字通り駆け足で周り、ぜーぜーしながら天守にたどり着きました(笑) そのため、復興天守と離れて存在する本来の天守台に気づかず、これはいまだ未訪問となっております。
ここはとにかく、観光地として素晴らしい。城下には武家屋敷があり、藩主の居館跡が吉香神社となり、隅櫓的な錦雲閣もあります。加えて、錦帯橋が美しく、わが国の建築技術の高さを知ることができます。また城下では、1738年に最古の目撃があるとされる、天然記念物「白蛇」(アオダイショウのアルビノ)も見学できます(私は蛇が嫌いなので見に行っておりません)。
この岩国城はちょっと変わった来歴があります。関ケ原の合戦後に吉川広家により築城されたのですが、毛利本家のお家断絶が決定していた状況で広家が、自らの領地を本家に与えるよう懇願しました。これにより毛利輝元に周防・長門が与えられ、みずからは岩国3万石となったのでした。
それでも広家自身は更なる戦乱を予見したのか、防御に強い城を築城し、山頂に三重天守をあげました。この時期にこうした築城は珍しいようで、広家なりの時代の読みがあったのかもしれません。
しかし一国一城令により、差上部の城の取り壊しが決定され、建物は撤去、完成後わずか7年しか天守は存続できませんでした。
せっかく立てた防御の城郭を破却するのはさぞや無念だでしょう。その後は山麓の居館のみとなりましたが、これは幕末まで継続しております。
そもそもこの岩国は、長州藩の独立した支藩としても認められておらず、維新ぎりぎりで認められたという経緯があります。それも廃藩置県によりすぐに廃藩となり、なかなか厳しい歴史を有しているのです。
山頂からの素晴らしい眺めをみながら、この数奇な藩の運命に思いをはせてみるのも良いかもしれません。
ここはとにかく、観光地として素晴らしい。城下には武家屋敷があり、藩主の居館跡が吉香神社となり、隅櫓的な錦雲閣もあります。加えて、錦帯橋が美しく、わが国の建築技術の高さを知ることができます。また城下では、1738年に最古の目撃があるとされる、天然記念物「白蛇」(アオダイショウのアルビノ)も見学できます(私は蛇が嫌いなので見に行っておりません)。
この岩国城はちょっと変わった来歴があります。関ケ原の合戦後に吉川広家により築城されたのですが、毛利本家のお家断絶が決定していた状況で広家が、自らの領地を本家に与えるよう懇願しました。これにより毛利輝元に周防・長門が与えられ、みずからは岩国3万石となったのでした。
それでも広家自身は更なる戦乱を予見したのか、防御に強い城を築城し、山頂に三重天守をあげました。この時期にこうした築城は珍しいようで、広家なりの時代の読みがあったのかもしれません。
しかし一国一城令により、差上部の城の取り壊しが決定され、建物は撤去、完成後わずか7年しか天守は存続できませんでした。
せっかく立てた防御の城郭を破却するのはさぞや無念だでしょう。その後は山麓の居館のみとなりましたが、これは幕末まで継続しております。
そもそもこの岩国は、長州藩の独立した支藩としても認められておらず、維新ぎりぎりで認められたという経緯があります。それも廃藩置県によりすぐに廃藩となり、なかなか厳しい歴史を有しているのです。
山頂からの素晴らしい眺めをみながら、この数奇な藩の運命に思いをはせてみるのも良いかもしれません。
株式会社モノ企画
tougouiryo at 05:00│Comments(0)│お城へ To Go