2021年10月16日

お城へ To Go (宇和島城)

 宇和島湾を望む景勝地にそびえる宇和島城(83・愛媛)です。押印は平成22年12月10日です。これまで二度ほど訪問していますが、その度に城下で「鯛めし」食べております。

 この宇和島城からブログ記事三つほど、築城の名手、藤堂高虎の関連する城が続きます。宇和島城の前身は、藤原純友の乱の際の砦が原型とされ、「板島丸串城」と呼ばれるようになりました。その後、長曾我部、小早川などの領有を経て藤堂高虎が入城します。これにより丸串城を利用して、宇和島城の大改修が開始されました。

 高虎による慶長期の天守は、望楼型なのですが、後の層塔型の特徴も備えていたといわれます。この天守は複雑巧妙な建築といわれ、破風や屋根が入り組み、この地方の風雨の多さから、雨漏りの原因にもなったのではないかといわれています。復原図などを見るとたしかに、どこかで雨漏りしそうです。

 また「平山城」の形態なのですが、二面を海に面した「海城」とみることもでき、後の海城の代表である今治城への系譜を見ることができます。
 何故、藤堂高虎がここまで築城に秀でたのかという問題はさておき、こうした築城遍歴を重ねることで着実に築城に関しての知識を蓄積していったことは確かです。

 宇和島城の縄張りは、海に面した扇状地における不等辺の五角形しており、曲輪の配置は梯郭式で、高石垣による防御を強めたつくりとなっています。

 高虎によって近世城郭として確立され、その後関ヶ原での功績により高虎が伊予に移封されると、伊達秀宗が入城、地名が宇和島と変更され、城名も宇和島城となります。

 以後、伊達家により老朽化した天守などの大改修がなされ、現在の層塔型の天守が完成し、明治を迎えます。
 そしてこの天守は、狭間が一切見られないことから太平の世の天守の代表とされているのです。宇和島湾の望む小山の頂上にたたずむ、その姿はちょっとかわいい印象です。

 ちなみに駐車場から、一気に駆け上がると結構な急斜面で、高石垣の上から見下ろされる感じは、天守の印象と違ってなかなか厳しい印象もあります。
 また宇和島は真珠の産地としても有名ですので、近隣で真珠を買ったりしてもいいですね!




日本の城 改訂版 33号 (宇和島城) [分冊百科]
デアゴスティーニ・ジャパン
2017-08-29





 


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