2021年11月27日

お城へ To Go (湯築城)

 伊予河野氏の居城、湯築城(80・愛媛)です。押印は平成22年12月9日です。今治からまわり、松山に宿泊し、翌日、松山城を訪問しました。
 名前の通り、道後温泉のすぐ近くって感じの城ですが、公園です(道後公園)。城と認識しないとただ公園とだけ思っている人も多いのではないでしょうか。でもしっかりと復元された武家屋敷もあります。
 でもなんだかのんびりした雰囲気があります。温泉場が近いからなのでしょうか。

 さらに少し行くと松山城なので、結構、見どころが大渋滞です。さらに当時は「坂の上の雲」ブームにものって結構盛り上がっていた感じでした。

 14世紀前半に守護の河野通盛により築城されたといわれ、当初は山城として機能していたようですが、徐々に丘陵部の麓部分を城内へと取り込みんでいって平山城として形態になっていったようです。

 西側にある勝山は、現在は松山城があるのですが、こちらもかつては河野氏の防御拠点として機能していたようです。
 秀吉の四国征伐では、小早川隆景が伊予に侵攻、湯築城を包囲し落城。その後、河野氏は滅亡します。
 小早川氏に次いで、福島正則が城主となるも居城を移したため廃城。続く加藤嘉明が伊予を領有すると新たに勝山(味酒山)に「松山城」を築城したため、湯築城の資材を再利用したことで完全に廃城となったのです。中世の城が役目を終え、近世城郭に飲み込まれていく様子、そのままといった感じです。

 この城は、道後温泉のすぐ近くで、「湯月城」とも称され、築城以前から河野氏の別宅「湯の館」があったというくらい温泉とのつながりが濃厚です。
 かつての中央政権における療養所のような意味もあったのかもしれません。温泉と城という一見、場違いなもの同士のようですが、公共施設という意味で、大きなつながりがあってもおかしくないのでしょう。
 そうした古い支配層から、近世の支配層への移行を感じさせます。松山城とセットでとらえるとより興味深いものとなりそうです。















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