2021年12月31日
今年の総括と来年への見取り図 (マトリックス論を中心に)
大晦日、今日で今年も終わりです。ただ、先の見えなかった昨年の暮れよりは、少しいろいろな可能性も見えだしてきている、という点が救いでしょうか。
感染症から始まり、ワクチンなど医療的な介入の是非が国論を二分するような大きな話題になる日が来るとは思いませんでした。
現在に至っても、○×、善悪の二極論により、多くのつながりが分断され対立するようになってしまいました。いずれが正か邪かの議論は、やはり多くの分断を生み出します。この議論は正しい統合医療、間違った統合医療、という稚拙な議論にもその影響を見て取れます。
コロナ禍における統合医療の臨床について、講演を依頼されているので、あらためてこうした問題を考えさせられます。そして結論は、やはり多元主義に基づくこと。
正確には折衷ではない「多元」による「多元的統合医療」というコンセプトです。多元的統合医療自体はかつて、統合医療学会においても論文賞をいただいたので一応認識されてはいるのですが、その本当に意図するところが広く理解されているかというと、非常に疑問ではあります。
ただ来年は、より多元的統合医療という用語の意義が強まるのではないかと個人的には思っております。
こうした多元性を考えるにあたって、今後、陰陽論における「陰」の部分の解釈が大きな問題になってくると思います。どうやってその領域と共存するか、もしくはそれを有効活用するか、そうした視点の必要性が「マトリックス性」として最近話題にしている内容でもあります。
では、実臨床においては具体的には何なのか。まずはジャングルカンファレンスや、オープンダイアローグといった会話・対話において。従来は、その結論、もしくは結論に至るプロセスなどが関心の的でした。結論は何か、総合診療ドクターGやリバースCPCをはじめとしたいわゆる「謎解き」の真実としての解答が最重要ポイントなわけです(もしくはそこに至る論理展開)。
しかしJCやODはこうした流れとは一線を画するコンセプトを有するわけで、これこそが新たな意味での「対話」です。対話を続けるために対話する、といった表現がまさにこの本質を示します。
真実となる答えを模索するのではなく、対話する人と人の間に醸し出される「何か」が、これらの本質とみなすわけです。まさに「陰」「マトリックス」と言えるのではないでしょうか。
では、従来の基礎医学の中心といえる解剖生理学といった領域ではいかがなものでしょうか。
この辺りは総合診療・整形内科の方面からの批判もあるでしょうが、やはり「ファシア」という概念だと思うのです。確かに解剖的な実態を有するモノでありながら、これまで「あって、ないもの」という扱いだったのですから、まさに「陰」。充填剤とみれば「マトリックス」そのものでもあります。あまり関心を持たれなかったがゆえに、あまり研究もされていない。これまでの代替医療の諸分野、とりわけ鍼灸・マッサージ・気功・エネルギー医学といった領域における知見が、まさにファシアという概念によって再評価されなければならないでしょう。
この辺りは、とくにオシュマン『エネルギー医学の原理』での理論展開は、他の類書を圧倒していると思います(話題で売れているけどあまり大したこと言っていないものも多いので困りものです)。このオシュマンの論理では、次に扱う潜在意識、無意識のような概念と接続できるという利点もあります。
またファシアを考えることは、実臨床においてもその効果は絶大です。瘀血の概念を拡張することもできるし、従来、原因不明やアプローチしにくかった痛みに対してハイドロリリースなどの方法論によって絶大なる結果を示せるということです。(ただしハイドロリリース万能論は少し行き過ぎているので、従来の刺絡や種々の電気治療の意義をファシアに一度還元してから再度考察する必要があると思います。この辺りの議論はブログ内の「臨床ファッシア瘀血論」をご覧ください!)
そして最後の一つが、いわゆる無意識という領域です。ただしフロイト的な「イド」ですとあまり前向きな概念ではないので、むしろこれはミルトン・エリクソンのいう無意識の意味でとらえて下さい。つまり彼が得意とした催眠の領域ですから「トランス」と表現したほうがしっくりとくるように思います。
トランスにより導かれた「トランスランド」(オハンロンによる)による自然治癒力の起動です。臨床の流れの中で最も重要なものといえるのではないでしょうか。具体的には、また来年になってコメントするかと思いますが、とりあえずは用語を提示するに止めます。
ここまででマトリックスに関する3つの用語が出そろいました。ダイアローグ・ファッシア・トランスです。内側から展開する順序にすると、トランス・ファシア・ダイアローグといったところでしょうか。
これら「陰」的な充填剤(母体)ともいえる概念こそは、いわば正統とされる医学からは、これまで距離をとって見られていたことは事実です。いまだに不快感を表す人も少なくないかもしれません。
しかし、これらとの「統合」という意味こそが、統合医療という言葉の「統合」そのものであると私は思っています。何か一つの真実に到達するという統合ではなく、混沌と調和との統合。それを端的に示してくれるのが、この3つの概念であると考えます。
今年もあとわずかです。来年はこうした概念をより具体化しながら、新たな場所で、統合医療を新展開していきたいと思っております。
本ブログをお読みいただいた方々、良い年を迎えられますよう祈念しております。
良いお年を〜 (^^)/
感染症から始まり、ワクチンなど医療的な介入の是非が国論を二分するような大きな話題になる日が来るとは思いませんでした。
現在に至っても、○×、善悪の二極論により、多くのつながりが分断され対立するようになってしまいました。いずれが正か邪かの議論は、やはり多くの分断を生み出します。この議論は正しい統合医療、間違った統合医療、という稚拙な議論にもその影響を見て取れます。
コロナ禍における統合医療の臨床について、講演を依頼されているので、あらためてこうした問題を考えさせられます。そして結論は、やはり多元主義に基づくこと。
正確には折衷ではない「多元」による「多元的統合医療」というコンセプトです。多元的統合医療自体はかつて、統合医療学会においても論文賞をいただいたので一応認識されてはいるのですが、その本当に意図するところが広く理解されているかというと、非常に疑問ではあります。
ただ来年は、より多元的統合医療という用語の意義が強まるのではないかと個人的には思っております。
こうした多元性を考えるにあたって、今後、陰陽論における「陰」の部分の解釈が大きな問題になってくると思います。どうやってその領域と共存するか、もしくはそれを有効活用するか、そうした視点の必要性が「マトリックス性」として最近話題にしている内容でもあります。
では、実臨床においては具体的には何なのか。まずはジャングルカンファレンスや、オープンダイアローグといった会話・対話において。従来は、その結論、もしくは結論に至るプロセスなどが関心の的でした。結論は何か、総合診療ドクターGやリバースCPCをはじめとしたいわゆる「謎解き」の真実としての解答が最重要ポイントなわけです(もしくはそこに至る論理展開)。
しかしJCやODはこうした流れとは一線を画するコンセプトを有するわけで、これこそが新たな意味での「対話」です。対話を続けるために対話する、といった表現がまさにこの本質を示します。
真実となる答えを模索するのではなく、対話する人と人の間に醸し出される「何か」が、これらの本質とみなすわけです。まさに「陰」「マトリックス」と言えるのではないでしょうか。
では、従来の基礎医学の中心といえる解剖生理学といった領域ではいかがなものでしょうか。
この辺りは総合診療・整形内科の方面からの批判もあるでしょうが、やはり「ファシア」という概念だと思うのです。確かに解剖的な実態を有するモノでありながら、これまで「あって、ないもの」という扱いだったのですから、まさに「陰」。充填剤とみれば「マトリックス」そのものでもあります。あまり関心を持たれなかったがゆえに、あまり研究もされていない。これまでの代替医療の諸分野、とりわけ鍼灸・マッサージ・気功・エネルギー医学といった領域における知見が、まさにファシアという概念によって再評価されなければならないでしょう。
この辺りは、とくにオシュマン『エネルギー医学の原理』での理論展開は、他の類書を圧倒していると思います(話題で売れているけどあまり大したこと言っていないものも多いので困りものです)。このオシュマンの論理では、次に扱う潜在意識、無意識のような概念と接続できるという利点もあります。
またファシアを考えることは、実臨床においてもその効果は絶大です。瘀血の概念を拡張することもできるし、従来、原因不明やアプローチしにくかった痛みに対してハイドロリリースなどの方法論によって絶大なる結果を示せるということです。(ただしハイドロリリース万能論は少し行き過ぎているので、従来の刺絡や種々の電気治療の意義をファシアに一度還元してから再度考察する必要があると思います。この辺りの議論はブログ内の「臨床ファッシア瘀血論」をご覧ください!)
そして最後の一つが、いわゆる無意識という領域です。ただしフロイト的な「イド」ですとあまり前向きな概念ではないので、むしろこれはミルトン・エリクソンのいう無意識の意味でとらえて下さい。つまり彼が得意とした催眠の領域ですから「トランス」と表現したほうがしっくりとくるように思います。
トランスにより導かれた「トランスランド」(オハンロンによる)による自然治癒力の起動です。臨床の流れの中で最も重要なものといえるのではないでしょうか。具体的には、また来年になってコメントするかと思いますが、とりあえずは用語を提示するに止めます。
ここまででマトリックスに関する3つの用語が出そろいました。ダイアローグ・ファッシア・トランスです。内側から展開する順序にすると、トランス・ファシア・ダイアローグといったところでしょうか。
これら「陰」的な充填剤(母体)ともいえる概念こそは、いわば正統とされる医学からは、これまで距離をとって見られていたことは事実です。いまだに不快感を表す人も少なくないかもしれません。
しかし、これらとの「統合」という意味こそが、統合医療という言葉の「統合」そのものであると私は思っています。何か一つの真実に到達するという統合ではなく、混沌と調和との統合。それを端的に示してくれるのが、この3つの概念であると考えます。
今年もあとわずかです。来年はこうした概念をより具体化しながら、新たな場所で、統合医療を新展開していきたいと思っております。
本ブログをお読みいただいた方々、良い年を迎えられますよう祈念しております。
良いお年を〜 (^^)/