2022年03月27日

コヒーレントから波動医学・量子医学への導入を考える

 最近、頻繁に用いるキーワードがあります。素材としての「ファッシア」、JCなどの「ダイアローグ」、そしていわゆる共鳴としての「コヒーレント」です。
 よく使う初めの二つ、ファッシアもダイアローグも、そこには「コヒーレント」が重要概念となってくるので、相互に関連しており、並列した概念ではないのですが、まあいいでしょう。これらを使って最近の当院での診療内容や、いわゆる量子医学との関連性を考えてみます。

 思考とダイアローグについて、すこし再考してみたいと思います。物理学者ボームは思考のクセのようなところを指摘し(彼は思考の明白な問題点は「断片化」にあるといいます)、それを自覚することの重要性を述べます。また、あらゆる問題はすべて思考の中で起こるとも述べています。まあたしかに言われてみればそうでしょう。

 そして、こうした思考のクセのようなものを自覚する方法が「ダイアローグ」にあるというのです。そこからは「洞察」も得ることができると述べています。洞察により、自らの思考を自覚し、そのインコヒーレントな点を超越して「コヒーレント」な状態に至ることができるというわけです。より調和した状況においてということになるでしょうか。
 一人だけでは容易に到達できない状態に、集合体となることで可能になるということです。つまり、興味深い挙動の発現(物理的にも社会的にも)もこれを基盤として発動してくるのです。


 少し違った観点ですが、このようなことはいわゆるエネルギー医学の領域においても、かつてから指摘されていました。
 一例として、ラグビーやサッカーのような集団競技の試合中に負傷者が出た場合のケースが、あるエネルギー系医療の解説書に紹介されていました。その際、応急処置がとられるのは言うまでもありませんが、それと同時にチームのメンバーが集結して、その負傷者に対して祈りを行うことで、状況の好転や回復の早まりが起こるという解説がありました。さらに
その後、試合続行時においてもメンバー間の意思疎通が良好になるという「付加的」な事態も生じるらしいのです。それこそ、このチームという集団が「コヒーレント」な理想的調和の状況になっているということだと思います。
 我々の経験でも、ジャングルカンファレンスや、相談者を含めたジャングルカフェといった状況においてあてはまる経験があります。(この辺りの感覚が、経験者と説明を聞いただけの人との大きな隔たりとなります)

 つまり集団が、「首尾一貫した良好な状態」になっているとき(まさにレーザー光線のような状態にあるとき)、それは「コヒーレント」な状態であるといえます。これは社会的な集団のみのことではなく、我々の身体における細胞・組織の集団においても適応できます。つまり一個の身体としてもコヒーレントな状態となりうるのです。

 こうしたすべてのシステムに超越したものとして、血管、神経を凌駕して想定されている物質的な基礎が「ファッシア」といえます。
 進化論的にも、他の組織に比べて出現が早いことは言うまでもありません(広義には細胞外マトリックスも含まれるいわけですから)
 これはエネルギー系の書籍では、何らかのエネルギーを媒体する生体マトリックスやら軟部組織と称されることがありますが、概念の統一を図るとすれば、現時点では「ファッシア」として捉える方が分かり易いでしょう。(ただし厳密には「生体マトリックス」だと思います)

 ファッシアに関連する(周辺に存在する)水分子、さらには生体を構成する他の諸分子が、コヒーレントな状態になっていることが、健康的な状態といってよいでしょう。(ちなみにボームは『ボームの思考論』において「ガン」はインコヒーレントであると述べています)これらの分子の状態を差異化して画像にしたものが、MRIですから当然と言えば当然です。

 このように考えると不調の状態(インコヒーレントな状態)を、コヒーレントな状態へと復調させる方法、例えばホメオパシーをはじめとするエネルギー医学の特徴がとらえやすくなるのではないでしょうか。当然、一定の仮定が想定されるわけですが、プラグマティックには「アリ」としてよいでしょう。つまりその挙動は、漢方やハーブのように大きめの分子レベルで作用しているのではなく、量子レベルでの挙動となるわけです。(電子、陽子の状況が関与するので)
 直接、ファッシアを復調させる徒手療法のみならず、こうしたエネルギー的な観点も許容しながら、生体における「コヒーレンス」ということを考えていかなければならないのではないでしょうか。その方法論の違いが、ホメオパシーであったり、波動・量子医学系の器機であったりするわけです。

 こうした考え方は同時に、現在のファッシア研究(や紹介)が、ややもすると限定的な徒手療法の視点からのみで展開されていることにも注意していかなければなりません。
 確かにファッシアはエコーにより可視化されたことで、その存在がクローズアップされたことは否めませんが、世界的な研究の流れから見ると、エネルギー医学との密接な関係は無視することはできないものです。(この辺りが我が国における今後の展開の分岐となるでしょう。良くも悪くも…)

 ダイアローグを再考するということは、ファッシアという概念を単なる徒手療法の一用語としてとどめることなく、コヒーレンスという視点から再認識することにもつながるのです。(ここも多くの誤解があり、ただ話せばダイアローグになるというわけではないのです)

 コヒーレンスに関しては、最近は、身体内部における定常状態において共鳴する周波数やらホメオパシー、経絡現象論とあわせて具体的な治療論ともリンクしてきています。その流れの中に波動系器機も位置付けられるでしょう。
 一見違ったもののように見えますが、結構共通点が多く、診療においては私の個人内部では矛盾しないのですが、まだなかなか連続しにくいかもしれません。


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