2022年08月09日
ベイトソンと「縮退」
先日、駅の本屋に立ち寄ったら長沼先生の最新刊が置いてあったので、購入しました。今度のテーマは世界史。縮退などの独自の数学的な思考法を用いて、世界史の全体像を一気に把握させてくれます。今回の新刊は、長沼先生お得意の「理数系武士団」が中心テーマですので、内容もどこか伸びやかな印象を受けます。
それにしても、この縮退という概念は、色々な視点で身体を考えていくと、何度でも戻ってきてしまう便利なというか、不思議な概念です。明日も縮退概念と健康についての取材を受ける予定なのですが、少し振り返ってみたいと思います。
すると改めて、統合医療というより、健康・身体というものを広く考えようとする時には魅力的な概念といえます。
遺伝子・細胞から語る要素還元論でもなく、生気論的な神秘思想を用いるでもない、その両者をいわば統合したような形で、それでいて全く新しい様式で「身体」「対話」などを語ることができるものとでもいえましょうか。
縮退は、まずは作用マトリックスという長沼先生発案の数学的方法がベースとなります(これは『物理数学の直観的方法』で詳説されます)。
この作用マトリックス内の関係性を示すつながりが一種のループを形成し、それが長いループであればあるほど稀少で(低確率的で)、短いほど高確率に生じやすくなります(蓋然性が高いとでもいえましょうか)。ここに時間の流れを導入すると、長いループは次第に短く狭い範囲で繰り返すループへと縮小していく傾向が現れます。これが縮退です。
医学的に考えるときに「何をループとして捉えるか」なのですが、長沼先生は、細胞間・組織間の関連を挙げているのですが、具体的には、内分泌系におけるフィードバックのループ(視床下部・下垂体・副腎皮質など)のような関係性を想定すると良いのではないでしょうか。
ホルモンのフィードバックそのものでは最低限の単位なので縮退は生じにくいでしょうが、そのような関連性といイメージであれば、身体内部にいろいろと「関係性」が存在することは明らかですので、生体内の一般的な関連性のループとでも表現できるでしょうか。
こうしたループは自他の関係にも拡張可能で、対話グループや社会にも適応できそうです。社会的なレベルにまで広げると、ベイトソンの主張するような人類学的な関連性、もしくはダブルバインドに代表される人間関係(家族関係)なども、このループのイメージです。身体内の関係性も、こうしたループで表現できるので、ベイトソンのサイバネティックス的といえるのかもしれません。
こうして考えていくとデカルト的な思想を超越しようとするベイトソンの思想の理解として、縮退が便利なモノとして使えそうです。実際、分裂生成といった用語で表現しようとしていることは、本質的には縮退そのものであると思います。
またこうした身体内外に、サイバネティックなループを想定することで、生理学的な仕組みと、対話的なコミュニケーションを一連のものとして表現することが可能になり、「健康」という概念の理解にも資することになるでしょう。
縮退についてはまた別な機会にゆっくりと論じていきたいと思いますが、これから仕事ですので本日はここまで。
長沼先生の世界史の新刊はこちら ↓ ↓ ↓
それにしても、この縮退という概念は、色々な視点で身体を考えていくと、何度でも戻ってきてしまう便利なというか、不思議な概念です。明日も縮退概念と健康についての取材を受ける予定なのですが、少し振り返ってみたいと思います。
すると改めて、統合医療というより、健康・身体というものを広く考えようとする時には魅力的な概念といえます。
遺伝子・細胞から語る要素還元論でもなく、生気論的な神秘思想を用いるでもない、その両者をいわば統合したような形で、それでいて全く新しい様式で「身体」「対話」などを語ることができるものとでもいえましょうか。
縮退は、まずは作用マトリックスという長沼先生発案の数学的方法がベースとなります(これは『物理数学の直観的方法』で詳説されます)。
この作用マトリックス内の関係性を示すつながりが一種のループを形成し、それが長いループであればあるほど稀少で(低確率的で)、短いほど高確率に生じやすくなります(蓋然性が高いとでもいえましょうか)。ここに時間の流れを導入すると、長いループは次第に短く狭い範囲で繰り返すループへと縮小していく傾向が現れます。これが縮退です。
医学的に考えるときに「何をループとして捉えるか」なのですが、長沼先生は、細胞間・組織間の関連を挙げているのですが、具体的には、内分泌系におけるフィードバックのループ(視床下部・下垂体・副腎皮質など)のような関係性を想定すると良いのではないでしょうか。
ホルモンのフィードバックそのものでは最低限の単位なので縮退は生じにくいでしょうが、そのような関連性といイメージであれば、身体内部にいろいろと「関係性」が存在することは明らかですので、生体内の一般的な関連性のループとでも表現できるでしょうか。
こうしたループは自他の関係にも拡張可能で、対話グループや社会にも適応できそうです。社会的なレベルにまで広げると、ベイトソンの主張するような人類学的な関連性、もしくはダブルバインドに代表される人間関係(家族関係)なども、このループのイメージです。身体内の関係性も、こうしたループで表現できるので、ベイトソンのサイバネティックス的といえるのかもしれません。
こうして考えていくとデカルト的な思想を超越しようとするベイトソンの思想の理解として、縮退が便利なモノとして使えそうです。実際、分裂生成といった用語で表現しようとしていることは、本質的には縮退そのものであると思います。
またこうした身体内外に、サイバネティックなループを想定することで、生理学的な仕組みと、対話的なコミュニケーションを一連のものとして表現することが可能になり、「健康」という概念の理解にも資することになるでしょう。
縮退についてはまた別な機会にゆっくりと論じていきたいと思いますが、これから仕事ですので本日はここまで。
長沼先生の世界史の新刊はこちら ↓ ↓ ↓