2022年10月23日
カンファレンス開催について思うこと 造りこまないということ
来月に統合医療学会で「カンファレンス」が開催予定で、そのファシリテーターに任命されているのですが、こうした企画はなかなか、ちゃんと理解されないですね。
前回の参加者から、しっかりとした資料の作成が希望されたとのことですが、しっかりとしたものを作成してしまうと、まずは参加者は安心してしまい、カンファレンスに「参加」するという感覚が希薄になってしまう。ただ「講義」を聞いている感覚に近くなってしまう。リアルのカンファレンスでは、「指す」こともできるのですが、オンラインですとこれがうまくいかない。どうしても一方通行的なものになりやすいという特徴があります。
また、独自にカンファレンスを開催してもらう流れを形成しようとする意図からも外れてしまう。しっかりとした造りこみは、初めの数回はいいのですが、結局はその負担に押しつぶされて、そのうち会が開催されなくなってしまうことがほとんどです。
先日も、こうした事情から、開催者自身が疲れてしまい、カンファレンスが閉会するというお話を聞いたばかりでした。
いかに負担を軽く、会自体を盛り上げるか。カンファレンスという従来の「イメージ」をいかに書き換えられるかが、その成否を分けているのです。
前回の参加者から、しっかりとした資料の作成が希望されたとのことですが、しっかりとしたものを作成してしまうと、まずは参加者は安心してしまい、カンファレンスに「参加」するという感覚が希薄になってしまう。ただ「講義」を聞いている感覚に近くなってしまう。リアルのカンファレンスでは、「指す」こともできるのですが、オンラインですとこれがうまくいかない。どうしても一方通行的なものになりやすいという特徴があります。
また、独自にカンファレンスを開催してもらう流れを形成しようとする意図からも外れてしまう。しっかりとした造りこみは、初めの数回はいいのですが、結局はその負担に押しつぶされて、そのうち会が開催されなくなってしまうことがほとんどです。
先日も、こうした事情から、開催者自身が疲れてしまい、カンファレンスが閉会するというお話を聞いたばかりでした。
いかに負担を軽く、会自体を盛り上げるか。カンファレンスという従来の「イメージ」をいかに書き換えられるかが、その成否を分けているのです。