2023年04月12日

プラグマティックメディスンの「まなざし」

 以前に、ここでミシェル・フーコーの「まなざし」の変化について述べました。医学というものが刷新されていくうえで、死体(過去・基準・一般物)というまなざしが果たした役割、つまり病理解剖の視点の導入を考古学的方法によって解説したものでした。
 これは現代の視点からすれば、客観的データとしてのEBMへの接続の先駆けともいえる視点です。良い悪いということではなく、ここでの「死体」つまりは病理解剖的視点は、明確な「事前」への視点ともいえるでしょう。
 通常、病態生理学的視点とEBM的な視点は対立的な軸として捉えられますが、この場合の「まなざし」からはともに「事前」のものとして考えられるわけです。
 こうした事前・事後という対立軸でとらえた場合、プラグマティックメディスンは、まなざしの(時間的)方向の変化、判断基準の方向性の変化として見ることが出来ます。プラグマティックというやや不慣れな思考法を考えるとき「まなざし」という視点は重要です。つまりプラグマティックメディスンの視座は、従来の事前に対して「事後」へのまなざしということになるわけです。

 また、「まなざし」という視座は、こうした事前と事後という時間軸だけでなく、大きな時代的な「隔絶」を理解する際にも重要になります。
 唐突ではありますが、明治の文明開化期における伝統的な武術の衰退もこれでの説明が可能だと思います。官民ともに大規模な西洋的まなざしの導入により、もはや時間経過の中で、それ以前の様相を想像することすら困難になる様は、まなざしそれ自体の変化としか言えないように思うのです。

 さらには、こうした「まなざし」というもののの意図的な「揺さぶり」により、新たな展開となる出来事が、「ダイアローグ」と考えることも出来そうです。オープンダイアローグにおいて起きている事態はまさに、結果としてのまなざしの変化です。
 また大規模なプロパガンダの発動なども、社会全体のまなざしの強制的な変成として捉えると、また違った発想も得られるのではないでしょうか。つまり、まなざしは意識されることなく、根源的に時代の視座を動かすことになり、かつ、そのことに多くの人は気づかないわけです。まさに「物事は静かに大きく動く」といったところでしょうか。

 まなざしの視点からプラグマティックメディスンの時間的方向性の差異について考えてみました。次回はまなざしの方向性の差異がもたらす方法論の違いとして、具体的な事項から考えてみたいと思います。

プラグマティズム (岩波文庫)
桝田 啓三郎
岩波書店
2015-01-01





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