2023年11月25日

お城コラム 岡崎城

 いよいよ大河ドラマも大詰め、年末の大坂の陣へむけて一直線。というものの、私の周りでも「まだ見てるんですか?」という声は絶えず、ネットの多くの意見通り、なかなかに不評です。別に歴史の事実からかけ離れている、という点はどうでもいいのです。ただ周囲の意見としては、フィクションにするにしても、歴史好きな人が好みそうなフィクションであれば、みんな支持しそうなのですが、まあ、そうではないというのが結論でしょうか。
 そうした中でも、歴史的遺物に関しては、論外です。そこに間違いなく歴史は存在していたし、どのような物語であったとしても、そこを舞台として展開したことは間違いありません。こうした意味で、「城」というのは大きな意味を持つなあ、と改めて感じる次第です。

 そこで今回紹介するのは、家康誕生の地、岡崎城(45・愛知)です。100名城押印は平成23年11月18日、学会で名古屋に行ったついでに、名鉄にのって足を延ばしました。


 岡崎城は、三河守護代の西郷頼嗣により築城され、その後、松平氏の攻撃を受け支配下となり、松平清康により城郭整備が行われ、松平の本拠地となりました。
 その後「守山崩れ」により、清康が暗殺、息子の広忠になるも権力は安定せず、松平の弱体化した時代に生誕したのが、竹千代、後の徳川家康です。
 しかし父、広忠も暗殺され、竹千代は6歳で織田家、8歳で今川家に人質として出されてしまいます。これに伴い、岡崎城も今川から城代が入ることになります。しかし、桶狭間の戦いの後に、徳川家康は今川から独立、以後、岡崎城を拠点とします。


 こうした苦難に満ちた家康の幼少期ですが、その後のサクセスストーリーから、この城には伝説が残されています。
 本丸内の龍城神社に家康誕生の際、黄色の龍が現れたといわれます。龍は岡崎城創建の際も現れ、守護神となることを約束したというから、よく龍が出現する城です、それゆえに別名、龍ヶ城というわけです。
神君家康公誕生の城であることから、後付けの伝説なのか、この地の松平の苦境から「伝説」の一つも作らないとやってられなかったのか、不明ですが、まあそういうことなのでしょう。
 また城内には、家康の誕生にともなっての産湯の井戸や、胎盤を埋めた「えな塚」もあり、生誕した二の丸は誕生曲輪といわれるほどです。まあ現在では家康生誕一本、といったところでしょうか。

 城全体としては少し立て込んだ、ごちゃっとした印象です。訪問時は内堀や青海掘りも、少しうっそうとした印象でした。(大河ドラマ効果で少し変わっているかもしれませんが)
 しかしここの城代は江戸期においては、譜代大名の誉といわれ、いわば創業の地のような名誉な地だったことは間違いないのでしょう。近くには「三河武士のやかた」など見どころも豊富です。
 


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