2024年04月07日
カフェのもう一つの参考図書 「過剰医療の構造」
統合医療含め、コロナ禍を経過した現在、あらためて「医療」の問題を強く問いかける本です。同業には受けないというより、まさにタブーに近い内容かな、とも感じますが、我々は改めてここでの著者からの問いかけを何らかの形で実行すべきだ、と強く感じさせられる内容でした。
そのため今週のジャングルカフェの前に、もう一つの参考図書として下記のものを挙げたいと思います。雑誌の特集を書籍化した内容なので、全体としては解説あり、対談あり、の読みやすい内容だと思います。
今度の課題図書は、幕末から明治にかけてのいわば医学史の本ではありますが、思想がいかに医学体系そのものに影響しうるか、という点もまた考えさせられるものです。
そうした中で、近代においていかに身体を管理することが政治そのものであるか、という事を鋭く指摘したフーコーの用語「生政治」と合わせて、とても考えさせられるものでした。
幕末においては、自らの医学体系を推進するために、その身体観をかけて政治活動に身を投じた医師たち。そして明治国家となってから、日清・日露戦争と富国強兵がすすめられる中で西洋医学でなければならなかった事情。これらを考えるとき、生政治の中心は医療であったことは言うまでもありません。そして、現在。近現代史における医療の真の姿を考えるとき、「過剰医療論」は避けては通れない大きなテーマであると思います。
今週の木曜日はジャングルカフェですので、こうしたことを参加者の皆様と考えてみたいと思います。
そのため今週のジャングルカフェの前に、もう一つの参考図書として下記のものを挙げたいと思います。雑誌の特集を書籍化した内容なので、全体としては解説あり、対談あり、の読みやすい内容だと思います。
今度の課題図書は、幕末から明治にかけてのいわば医学史の本ではありますが、思想がいかに医学体系そのものに影響しうるか、という点もまた考えさせられるものです。
そうした中で、近代においていかに身体を管理することが政治そのものであるか、という事を鋭く指摘したフーコーの用語「生政治」と合わせて、とても考えさせられるものでした。
幕末においては、自らの医学体系を推進するために、その身体観をかけて政治活動に身を投じた医師たち。そして明治国家となってから、日清・日露戦争と富国強兵がすすめられる中で西洋医学でなければならなかった事情。これらを考えるとき、生政治の中心は医療であったことは言うまでもありません。そして、現在。近現代史における医療の真の姿を考えるとき、「過剰医療論」は避けては通れない大きなテーマであると思います。
今週の木曜日はジャングルカフェですので、こうしたことを参加者の皆様と考えてみたいと思います。