2025年01月02日

歴史的方法と科学的方法 時間的・空間的考察の補強

 現在、マトリックスに関する本の構想を練っている最中なのですが、いわゆる科学的な読み物というわけでもなく、当然歴史的な社会的読み物というわけでもない。少し前のニューエイジ的な感じのものになればいいかな、と勝手に考えております。

 理科系、文科系の境界線上にあるような内容にしたいと考えているのですが、それゆえに両者の方法論について少し思うところを。理系・文系と言ってもいろいろな分野があるので一概に言えないのですが、その大きな方法論の違いとしては、やはり時間軸に沿う「歴史的方法」と、空間的(同時代的)な物事の相互作用を実験的に調べる「科学的方法」が代表的。
 三木成夫の言うように人間(というか生命体)は、時間的・空間的な要素が縦横の糸のように織られた存在なので、この両極の二つはどちらも欠かせない方法論となります。
 
 歴史的方法論の特性としては、その一回性が重要。何度も同じように実験することや、同一条件での再現はほぼ無理。しかしだからと言って、一度起きたことが絶対なのか、ということを考えることもまた重要。邪道のそしりは免れないが、そこにはやはり「もしも…」の志向性は極めて重要ではあります。
 反対に科学的方法論の特性として、実験可能、理論的には再現可能という事です。厳密な問題はさることながら、とりあえずプラグマティックな方法論の対象となります。それゆえに真理などという言葉も使いたくなる衝動に駆られる領域。

 科学的方法論を、強いて歴史的方法論を持ち込むとするなら、歴史シュミレーション的なもしもの状況を導入せざるを得ません。戦略論や地政学といった分野が、これにあたるのでしょう。そうでなければ、決定論的に確定した事実を、より補強する議論しか成り立たないことになっていくわけです。これは折衷的な事実の並立を防ぎ、より起こりうる可能性、蓋然性がどちらが高いのかという事を吟味することなのです。
 では歴史的方法論を、横並びの空間的配置である科学的方法論の世界に持ち込むとどうなるのでしょうか。これこそが時代背景により異なる見解、科学史で議論される領域です。具体的には地動説の前の天動説における説明、という方が分かり易いでしょうか。量子力学以前と以後の物理学の在り方などもそうでしょう。これはいわゆる、フーコーにより洗練された哲学的「考古学」と言える領域です。今はない(もしくは忘れられた)、でもその当時は常識的であった「まなざし」という視点。科学的概念を立体的に見るとき、この「まなざし」の視点が不可欠になるのです。

 歴史的方法と科学的方法、それらには各々「もしも」と「まなざし」といった補完的な視点がありうる。そうした視点を持つことで、各々はその弱点を補強することが出来る。歴史と科学の境界領域における絶好の観測点を確保するためには、この両者への、意識的な反省の視点を持ち続けようとすることが何より重要なのかもしれない。そんなことを感じております。



この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔