2025年07月22日
生体城郭学のまなざし(100名城から医療を考える)7.多賀城
7.多賀城(宮城)
広大な平野に、その巨大な遺構を横たえる多賀城。ここは、古代、大和朝廷が、東北地方を支配するための、政治と軍事の一大拠点でした。国府と鎮守府が置かれたこの場所は、まさに中央の「正統」が、周辺の「異端」を制圧し、同化させていく、権力作用の最前線だったのです。
この構図は、近代西洋医学が、世界中の伝統医療や民間療法を「非科学的」として周縁化し、自らのシステムをグローバルスタンダードとして確立していった歴史と、見事に重なります。
大和朝廷が、蝦夷(えみし)たちの文化や生活様式を「野蛮」と見なしたように、近代医学もまた、科学的な手法で検証できない知恵を「迷信」として切り捨ててきました。その結果、私たちは、多くの貴重な知恵や、人間をホリスティックに捉える視点を失ってしまったのかもしれません。
しかし、歴史を深く見れば、物事はそう単純ではありません。蝦夷の中にも、朝廷と協力し、その文化を取り入れる者がいたように、支配と被支配の関係は、常に一方的なものではありませんでした。そこには、抵抗、交渉、そして融合という、複雑でダイナミックな相互作用があったはずです。
統合医療が目指すのも、西洋医学と代替医療の、どちらが優れているかを決める二元論的な戦いではありません。むしろ、両者の間に創造的な対話を生み出し、それぞれの長所を活かしながら、患者さんという一個の宇宙のために、最適な調和点を見つけ出すことなのです。それは、多賀城の時代に、高度な異文化理解の視点があったならば、可能だったかもしれない、もう一つの歴史の可能性を探る試みにも似ています。
現在は、広い史跡公園となっているこの場所を歩くと、かつてここに満ちていたであろう、緊張と、人々の様々な思惑が、風の声となって聞こえてくるようです。坂上田村麻呂が、さらに北の胆沢に城を築くと、多賀城の軍事的な機能は、そちらへ移っていきます。中心は、常に移動する。絶対的な中心など、どこにも存在しない。この真理は、私たちを、権威への盲従から解放し、自らの頭で考え、判断する自由へと導いてくれます。
セルフケアの本質もまた、外部の権威に、自らの健康を明け渡すことではありません。自分自身の身体の声を聴き、自分にとっての「中心」を見つけ出す、主体的なプロセスです。多賀城の広大な跡地は、私たちに、自らの内なる広野を探求する旅へと、静かに誘っているかのようでした。