2025年09月02日
生体城郭学のまなざし(100名城から医療を考える) 26.松代城(長野)
川中島の激闘の記憶を、その地に深く刻む松代城。元は武田信玄が、対上杉の最前線基地として築いた海津城です。それが時を経て、武田の旧臣であった真田家の居城となる。歴史の皮肉と、そして不思議な縁(えにし)を、感じずにはいられません。
この真田家という一族のあり方は、極めて示唆に富んでいます。関ヶ原の合戦では、父・昌幸と、次男・幸村(信繁)が西軍に、そして、長男・信之が東軍にと、親子、兄弟が、敵味方に分かれるという、現在の常識では考えられない選択をします。
これは、単なる家の生き残りを賭けた、保険や策略だったのでしょうか。私はそこにより深い、思想的な意味を見て取りたいと思います。それは対立する、二つの極の、どちらか一方を選ぶのではなく、その両方を自らの中に内包し、その緊張関係の中で、生き抜いていこうとする極めて高度なバランス感覚です。
これは、東洋思想における、「陰陽」の考え方そのものです。光と闇。善と悪。健康と病気。これらは本来、対立するものではなく、一つの、全体性を構成する、相互補完的な、要素なのです。
病という「陰」の側面が、あるからこそ、私たちは、健康という「陽」の有り難さを、深く理解できる。真田一族は、この世界の根源的な二重性を肌で理解していたのではないでしょうか。
統合医療が目指すのも、この陰陽の統合です。西洋医学という、分析的で攻撃的な「陽」のアプローチと、東洋医学や自然療法という全体的で受容的な「陰」のアプローチ。その両方を、学び、尊重し、患者さん、一人ひとりの、状況に応じて、最適に、組み合わせる。そのダイナミックなバランスの中にこそ、真の治癒への道は、開かれるのです。
幕末、この地からは佐久間象山という傑出した思想家が現れます。彼は西洋の科学技術(陽)と、東洋の精神文化(陰)を、統合しようとした、まさに時代の先駆者でした。
そして、さらに時代が下り、この松代の地に、本土決戦の最後の拠点となる、巨大な地下壕が計画される。この土地には、なぜか常に時代の大きな転換点において、重要な役割を担わされる、宿命のようなものがあるのかもしれません。
城から、上杉謙信が布陣した妻女山を、遠くに望む時、私たちは歴史の表舞台で繰り広げられた、華々しい戦いの、そのさらに奥にある目に見えない思想の流れや、運命の力学に思いを馳せずにはいられないのです。