2025年09月04日

生体城郭学のまなざし(100名城から医療を考える) 28.小諸城(長野)

城下町よりも低い場所に本丸が位置する、全国でも珍しい「穴城」。それが、この小諸城です。高校時代、この地を訪れた時には、そこが城であるとは露知らず、「懐古園」という風情のある公園としか、認識していませんでした。

しかし、後年「城郭」という「知識のメガネ」をかけて、再訪した時その風景は一変しました。千曲川の断崖絶壁を巧みに利用した、見事な天然の要塞がそこに、姿を現したのです。

 

同じ対象も、どのような認識のフレームワーク(メガネ)を通して見るかによって、その意味や価値は、全く異なってくる。

この認知科学の基本的な原理を、私は城巡りを通して、肌で学びました。これは、病気に対するアプローチにも、そのまま当てはまります。

同じ、「がん」という現象を、西洋医学は、「異常増殖した細胞の塊」として捉え、物理的に切除したり叩いたりしようとします。しかし東洋医学は、それを「気血の滞り」として捉え、全身の流れを整えようとします。心理療法は「抑圧された感情の表現」と見るかもしれません。

どのメガネが、唯一正しいというわけではありません。むしろ多様なメガネをかけ替えながら、多角的に現象を捉えることで、私たちはより全体的な理解へと近づくことができるのです。

統合医療とは、まさに、この多様な「メガネ」を、患者さんと共に、かけ替えながら、最適解を探していく、共同作業なのです。

 

この城の、初代藩主は仙石秀久です。彼は、戸次川(へつぎがわ)の戦いで、大敗を喫し、秀吉から改易されるという、最大の屈辱を味わいながらも、その後の小田原征伐で目覚ましい働きを見せ、見事に、大名として復活を遂げた不屈の武将として知られます。

この、ドラマチックな、V字回復の物語は、私たちに、大きな勇気を与えてくれます。しかしここでも、少し立ち止まって考えてみたい。

本当に、彼の人生はそんな単純なヒーローの物語だったのでしょうか。彼の、一見、不可解な行動の裏には、実はもっと複雑な、政治的な意図が、隠されていたのではないか。

私たちは、つい分かりやすい物語に、飛びつきがちです。しかし現実の人生も、病のプロセスも、もっと複雑で、多層的で、矛盾に満ちています。

その割り切れない複雑さをそのまま引き受ける覚悟。それこそが、成熟した大人に求められる態度なのかもしれません。小諸城の深い谷底は、そんな人生の、深淵を覗き込ませるかのようでした。

 



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