統合医療とは何か

統合医療の総論を考えるということ

 マトリックスの記事を年末年始にかけて書いてから、しばらくこちら開店休業でした。m(__)m

 12月の統合医療学会から、統合医療とは、という総論の作成に時間をとられておりました。まったくもって一般の方々には、関心がないであろうテーマなのですが、実は、統合医療に携わる人にとっては避けては通れないテーマでもあるのです。

 統合医療って何、と聞かれたときに多くの方(有名な先生方も含めて)はなんとなく代替医療や伝統医療などを含めた、優しさあふれる医療、みたいなイメージを持たれると思います。それはそれで間違いではないのでしょうが、では、普通の医療とどう違うの?と問われると、ふと止まってしまうのではないでしょうか。

 かつて10年以上前でしょうか、統合医療の概念が医療界隈で話題になったとき、こうしたイメージ先行型の説明が横行したため「通常の医療といわれる我々の方が愛にあふれている」みたいな反論が医師会あたりから出てきたことがありました。それはそれで妥当な反論だと思います。

 たしかにコトー先生や、失敗しない女医さんだって、統合医療という枠ではないけど、愛にあふれているわけで、ことさら愛を強調するのは、統合医療の本質というよりは、医療そのものの本質であるように思うのです。つまりこれでは、統合医療というものの特徴とは言えないわけです。

 では我々は何をもって、統合医療をしています、という信念を持つことが出来るのか、これこそが「総論」というものの存在意義ではないでしょうか。  
 私も、こうした総論の模索という作業の中で、あらためて統合医療をしているというコトを確認することができました。さらには、これまで統合医療ではないように思えて、心理的に避けてきた業務についても、実はそうではない、ということに気づかされたという展開もありました。

 いろいろあった昨年から、今年は運気が少しはいいようですので、新たなことにいろいろと挑戦していきたいと思います。  
 そのための第一歩が、統合医療の総論の確立だったわけです。大学院で修士論文から始まった、統合医療とは何かという本質への問いが、今年中には論文として公開できるかと思います。

 年始の決意みたいなのが、遅れて1月の末になりましたが、今年は大きく自らの統合医療を展開したいと思っております。

tougouiryo at 2024年01月28日19:08|この記事のURLComments(0)

お城へ To Go 番外編

 「お城へ To Go」として、お城のブログとして、医療ブログとは一線を画して連載していますが、じつは医療とは全く無関係とは考えていません。ウィルバーの4象限の「ITS」(客観・複数)の実例でもあるのは、これまで書きましたが、多元主義理解のための実例でもあるのです。

 教条、折衷、多元、統合という、複数のカテゴリーの括り方の差異について、統合医療という概念は極めてあいまいであり、それゆえに現在でもその概念の混乱がある、というのがこれまでの(これからも)私の主張です。こ の説明の具体例として、結構、城の分類が役に立つというわけです。

 いわゆるお城を時代的に大きく分類すると、古代山城、中世山城、近世城郭に大別できます。少なくても100名城などの城巡りでは、これらのどこに分類されるのかを意識しながらめぐることで、見どころポイントを外さずに済みます。(類型化には多くの問題もありますがやはり分かり易いというのが最大のメリットではあります)

 古代山城に関しては、大和朝廷の対外政策の関連(大野城・鬼の城・金田城)なので、少し例外的で、東アジアにおける世界情勢に大きく影響されます。それゆえに大規模ではありますが、築城の意図などは明確で、統合医療のモデルにしては極めて単純なものになります。(「正しい統合医療」といった言説に近いでしょうか)
 それに対して、中世山城となるとまさに「折衷」から「多元」への移行、そしてその発展としての近世城郭は「多元」から「統合」への移行、を象徴しているように思います。

 応仁の乱以降の混乱期から、戦国時代へと突入、次第に吸収合併が進んでいくさまは、まさに折衷状態が、力の強さによって統合へと向かう様子そのものとも見れます。この過程がまさに中世山城的です。
 それから織田信長による安土城築城から、統合への意図がちらほらと透けて見えるようになります。それでも、各地の大名が群雄割拠した政局が続くため「多元的」状況が続き、或る意味そのまま近世江戸期に入ります。そしてこの幕藩体制そのものが、「多元的」政体とも言えます。幕府自体は中央集権化しておらず、天領など直轄地からの税収で運営されいると考えられるので、多元の要素を多くもつわけです。つまり、近世城郭は「多元」の象徴とみなすことが出来そうです。
 そして明治政府の樹立により近代国家が形成され、廃藩置県が断行されることで、「統合」(そしてある種の「教条」)が完成されたと見ることもできるわけです。中央集権という言葉にそれが象徴されているわけです。


 これまで、多元と折衷の違いなどでは歴史的視点で解説してきたのですが、城との関連で今回は解説してみました。
 いずれにせよ、こうしたモノサシ📏の導入により城も統合医療も、混乱を少しはのぞけるのではないか、という試みです。少し「恣意的」な感じもしますが、結構良いモデルなのではないかと自負しています。
 ちなみに統合医療の臨床連携のモデルとしては「離島」をモデルとして昨年の統合医療学会で発表しました。抽象的な概念や仕組みついては、やはりモデルによる「比喩」が分かり易いですね。

 本日はジャングルカンファレンスのオフラインでのリアル開催です!


 参加希望の方はこちらからどうぞ!

tougouiryo at 2021年11月11日08:54|この記事のURLComments(0)

統合医療の意義 JCのリアル開催に際して思うこと

 統合医療という方法論の意味を考えてみたいと思う。現代正統医療と伝統代替医療の双方を取り込むことで、正統でないことからインチキだとか、はたまた唯一の正しい統合医療はこれだとか、一面的な判定がなされることが多い。

 これは一方で、異質のものを取り込むことで、明らかに現実に対抗可能な、もしくは非常に有効な方法論を提供しているという面も無視できない。
 異質のものだけが合わさって、結論は出るのか、正解が出なければ意味がないし机上の空論だ、という議論は、これまでも「ジャングルカンファレンス」の総論を語る中で幾度となく批判が展開された。しかし、「オープンダイアローグ」の概念が(海外発という形で)広がる中で、この批判が適切ではないことも次第に明らかになるであろう。
 つまり現実世界での多元的なせめぎ合いの中で、何らかの方向性は決まっていく。プラグマティズムの真理観もこうした点を指摘している。カントが言う「物自体」を直接把握できないまでも、現実における現象・事象の衝突により、我々はその実態を垣間見ることぐらいはできる。
 真実・真理といったものは、エビデンスとされる渇いた事実として取り出されるものではなく、こうしたダイナミックな過程により垣間見えるものではないかと思う。

 知識の統合的な分野における発見なども同様であろう。統合医療的な領域としては、俗に西洋医学と東洋医学の架け橋的な概念といわれる「ファシア」が象徴的だろう。
 かつては(専門家によっては)全く否定的に捉えられてきた「経絡」や「ツボ」という概念が、今、ファシア論としてその本態に肉迫している。完全なる一致といえるかはおいておいて(当然例外的な事象はあるわけなので)、ニアリ―イコールくらいには証拠がそろってきていると言えるのではないだろうか。
 これこそは過去の専門家による絶え間ない努力、つまり異質なものを(正・反・合的に)統合しようとする成果である。現在、ファシアの賛同者であっても、一部の統合医療的要素に疑問を呈する方が散見されるが、部分的には理解できるものの、自らの立脚する概念の歴史を再考する視野の広さが必要ではあるまいか。
 ここにもやはり確定的な真理という形ではなく、異分野の接触といういわば「邂逅」とも言える真理への接近が、そしてわずかに開陳される瞬間があるように思えてならない。

 異質なるものの接触、そしてその前提として現状の正統として展開される「現象」への懐疑、昨今の世相を反映してあらためて「物事を深く考える」ということを考えさせられる。現状の「現象」を、いわば「代替」的にひっくり返すまではしないものの、別の可能性を懐中に秘めることで、我々は新たな観測点を得ることができる。それこそが「統合医療」という概念が我々に与えてくれるものであると感じている。

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 コロナ禍の様々な影響で、ジャングルカンファレンスのオンライン開催も久しかったのですが、明日はいよいよリアルな開催との「ハイブリッド」です。
 かつては当協会も支部を積極的に形成してスカイプでの接続を目指していましたが、それも今や「当たり前」化しています。明らかにこの面では進展したと言っていいでしょう。オンラインでの接続の賛成・反対で議論していた数年前を思うと、昔日の出来事のようです。反対勢力も今や存在しえない社会状況です。何が正しいかは議論ではなく、こうした社会的な時の流れの中で変容し、ごく自然に受容されていくことを痛感します。現在の世相も同様なのかもしれません。
 こうした中でも「肌感覚」というような身体感覚こそが、真なる世界への小窓のように感じています。そこに統合医療の意義をあわせて考察してみました。

tougouiryo at 2021年11月10日11:53|この記事のURLComments(0)

ルルドの泉について

 先日、患者さんと鍼灸治療中に、イギリスにはお化けがよく出るけど、フランスは奇跡(や奇蹟)がおきますね〜という話をしていて、そういえば、と昔の記事を思い出し引っ張り出してみました。ルルドの泉ついての記事です。この手の情報としては、それでも結構新情報で、いまでも新鮮味があると思います。
 どうぞ!

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はじめに

 1858年、フランス南部ピレネー山脈麓の町ルルド(Lourdes)は、少女ベルナデッタ(Bernadette)がマリアの降臨を告げて以来、癒しの町として世界的に名高い。シーズン中には、フランス国内でパリに次ぐ宿泊者数となり、小さな田舎町としては似つかわしくないほどの賑わいを見せる。敬虔なカトリック教徒にとって、重要な聖地であるのは言うまでもないが、むしろわが国においては、癒しの泉湧く地として有名である。この地に多くの人々が関心を持つ奇跡は、大きく2つの意義に分けられるかと思う。一つは、一人の少女に聖母マリアがこの地に姿を現したことの意味、つまり何故ベルナデッタであったのかということを含めた宗教的な意義である。もう一つは、聖母マリア出現の際に告げられた泉から湧出した水による、奇跡的治癒の数々に関してである。私自身は、特定の宗教を持つ者ではなく、また、医師であるということから、後者の意義に関して、特に強い関心があった。そしてこの度、2003年と2005年の2回にわたってルルドを訪れ、かつ奇跡的治癒を認定する奇跡認定医のパトリック・テリエ先生(Decteur Patrick THEILLIER)に2度にわたってお話を伺うことができた。

 

聖地ルルドと奇跡的治癒

 1858211日、少女ベルナデッタの前に聖母マリアが出現したことから一連のエピソードは始まる。当初は、ベルナデッタ自身、聖母マリアであるという認識はなく「ご婦人」という認識であったという。その後225日の9回目の出現のとき、泉の位置が示され、「ルルドの泉」の湧出となる。はじめ泥水であった泉はこんこんと湧出するうちに、みるみる澄んでいったという。そしてこの日のうちにくみ上げられた水により、すでに最初の治癒例が確認されている。そして325日の16回目の出現時に、この婦人は「無原罪の宿り」と名乗ることとなる。はじめはベルナデッタ自身もそれが聖母マリアを示すものとは知らず、町の神父の指摘により知ることになった、ということである。これ以後、今日に至るまで奇跡的治癒は続き、世紀の変わり目までに二百万人もの患者が訪れ、うち6784例の治癒が記録され、バチカンの設定した厳密な基準を満たす「奇跡的な治癒」は66名を数える。しかし、これらはあくまでも申告されたものであり、自覚的にも他覚的にも治癒していながらここに記されていない(申告していない)人数はさらに多くいると考えられる。

 

ルルド探訪

ルルドへは、パリから空路であれば、ルルドタルベ空港ないしはポー空港からタクシーを使用して行くことができる。陸路でも、在来線を乗り継ぎ、ルルド駅へ行くことができる。町の中心は言うまでもなく、大聖堂であり、その周辺には観光客を目当てにたくさんの土産物屋が軒を連ねる。古くは、防衛の要衝であった地であるだけに、威厳ある要塞が町を眺める。大聖堂を背に右手には、ゴルゴダの丘を模した「十字架の道」があり、イエス受難の像が山道を登りながら見ることができる。そして左手には川が流れ、この川と大聖堂の間に泉の湧出する洞窟がある。ここが「ルルドの泉」である。泉の湧き出るところが実際に見ることができ、そこから出た水は少し離れた水のみ場で自由に飲むことができる。水は無料で提供されており、シーズンにはたくさんの人たちが、ペットボトルや水筒を手に列を成す。洞窟からさらに奥に進むと沐浴場があり、シーズン中であれば、車椅子やストレッチャーの方でいっぱいになる。敷地内にはこの他、ルルドの歴史を説明する映画館や、関連する書籍を販売する書店、医療事務局もこの敷地もある。

 

奇跡認定医テリエ先生

医療事務局には「奇跡」を認定する医師パトリック・テリエ先生がいる。先生とはこれまで2度お会いしているが、一度目の訪問(200311月)では、一般的な解説から、奇蹟の認定基準に関して教えて頂いた。このとき先生は、信仰がその治癒の中心的役割を示すと強調されていた。同時に他の信仰をもつ者であっても、生命の連続性を認識している人であれば治癒しうる、というお話は非常に興味深かった。「水」という物質にのみ効果を帰する見方ではなく、その背景としてのスピリチュアリティーにこそ重点を置くべきであるという見方であり、大いに感銘を受けた。

二度目(20056月)は、一対一の個人的会談という形で、お時間を取って頂いた。そのために、なかなかお聞きすることができないお話もうかがうことができた。それは、ホメオパスでもある医師としての先生にとって、ここでの治癒を先生自身どのようにとらえているのか、ということである。医師として、治癒困難な疾病が実際に治ることに対する見解、さらには、ホメオパシーの効果を、身を持って経験している医師として、治癒と水の持つエネルギー、そしてスピリチュアリティーとの関連に対する見解、などである。また先生は、多発性硬化症などの難病の治癒メカニズムにも非常に興味をもっておられて、生化学や遺伝子などの理論を駆使して同僚の医師と共著の著作も出版されている。信仰との関連も重要であるが、治癒することそれ自体にも重要な意味があり、その点もさらに研究が進むべきである、と強調されていたことも、印象的であった。そしてルルドの奇跡においては、水の果たす役割はきわめて大きいのではないだろうか、ともお話されていた。

 

ルルドの奇跡とは

 信仰に基づく「スピリチュアリティー」と、それを伝達する媒体としての「水」、そしてその作用点ともいえる「自然治癒力」。この三者の連携から織り成されるものが「ルルドの奇跡」と言われるものなのだろう。そこには単純な還元主義では解決されえない問題が多く横たわるが、「奇跡」が我々に見せる魅力は限りない。それは、ルルドの奇跡の元来もつ力に加え、多数の巡礼者をはじめとした訪問者の祈りによるところも少なくないように思う。聖地ルルドから、我々、統合医療を目指すものが得ることができるものは限りなく多い。「統合医療」の更なる発展を考えるとき、ここに多くのヒントがあるような気がする。



tougouiryo at 2021年09月24日08:00|この記事のURLComments(0)

賢者の石は「卵」だった!?

 錬金術の第五元素について考えていたところ、その抽出材料として用いられていたのは「卵」だったということを知りました! 第五元素というのは、対立するものを結合させ、物資を自由につくり変えることができる「賢者の石」そのものなのです。
 つまり「卵」はあれほど安価ながら、既に賢者の石を含有している素晴らしい食材ということになります。

 あらためて卵料理に感謝したいと思います! 健康増進の秘薬、タマゴを召し上がれ!





日本一の卵レシピ[愛蔵版]
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2018-02-28




まいにちタマゴ専門家が教える最高の食べ方
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2021-05-14




tougouiryo at 2021年08月24日19:28|この記事のURLComments(0)

電子が意志を持つという説

 以前にも、量子力学における山田廣成先生の「電子が意志を持つ」説を擬人化の例としてご紹介しました。そしてこの説には「擬人化」ではとどまらない大きな意味があるように感じましたので、再度メモしておきたいと思います。ちなみに擬人化というと、非科学的というレッテルが即座に貼られてしまいますが、これもあくまでも「近代知」から見た一つの見解でしかありません。我々は、伝統医学の歴史から、近代知誕生前の、万物から人間を理解するという「陰陽五行説」などの古の視点に戻る必要があるのかもしません。

 山田先生のこのご著書は、副題が「電子にも意志があるとしたら貴方はどうしますか?」というのですが、まさにこれまでの視点を大きく転換させるものでもあります。私も個人的にとても関心のある「観測問題」から、電子を考えると、その実態は「粒子でもあり波動でもある」ということになります。

 ここから統合医療、代替医療における「波動」の様々な領域が展開していくことになるのですが、それはある種の「無形」なものにすべてを還元するという意味で、「生きる」ということへの空白地帯を形成しかねない危うさをも有するものを生み出しているようにも感じていました。(あらゆる概念を過剰に物理的な用語へ変換しすぎているのではないか、ということ)

 誤解のないようにいうと、「スピリチュアリティ」などの諸概念を否定しているわけではありません。
 むしろケン・ウィルバーらの言うところの「スピリチュアリティ」は積極的に肯定するのですが
、あらゆるものを波動へと還元させる風潮への懸念といったところでしょうか。こうした考え方の基底をなしているのが、この電子の波動性の問題なのです。つまり身体は電子によって形成されていますから、身体や物質の波動性といえることにもなります。

 詳細は山田先生の著作を読んでいただきたいのですが、まずは電子の存在を示す基本的な(現在までわかっている)実験結果を提示して、思い込みなしで事実を判定してほしいと迫ります。(どこまでこれまでのイメージから離れられるか、個人差は大きいでしょう。この辺りは井口和基博士の論法で言うところの19世紀の物理へ帰れと言った感じでしょうか)

 虚真にデータを見たとき、確かに提示されるデータからは明らかに物質だということが確認されるというのも納得です。
 ではなぜ「波動」ということになるのか。それは電子が集団となった時に、干渉などの現象が現れ、それゆえに「波動性」をもつというわけです。

 当然ながら、これが電子ではなく、意志を持つ人間であれば、互いに干渉しながら影響するので、統計的に処理すれば、結果として生じた現象において波動性があるものの、それは統計的なふるまいであって、実態を有する人間そのものが波動だという結論にはなりません。これは、いわゆる「渋滞」などの現象で日常的にみられることです。集団行動の予測が、物理的にシュミレーションできることからも理解できます。

 それでは今度は、視点を反転させて電子が人間のように、個々が意志を持っていたらどうなるかと思考実験したのが、山田先生の理論展開となります。
 すると非常に難解な、モノでもあって波でもあるという「量子の二重性」という概念を持ってこなくても、電子同士が意志をもって対話していたとしたら、結果として「波動性」を持っているように見えるというわけです。

 それゆえに量子力学において基礎的な「波動方程式」は、対話方程式もしくは干渉方程式と呼ぶべきだと、山田先生は主張されます。(人であれば個人と社会をわけて考えるのは確かに当然なことです)
 つまり電子が意志をもつという考えを受け入れることができれば、少なくても量子力学のもっとも理解しにくい難所を、クリアすることが出来るわけです。「教える」という立場においては、この便宜も非常に重要なことだということになります。

 これを統合医療的な分野にもってくると、人間の波動性という無形化した概念の導入よりは、電子という存在が意志(われわれが実感している意思とは少し違うのでしょうが)をもつということの方が、実はすんなりと受け入れやすいのではないかと思うのです。そしてこれは「対話」という行為においてもより大きな意味を見出すことにつながります。

 明治期の霊術の展開などを見ると、当時の最新科学である「放射線」の影響を強く感じられるように、代替医療領域は、その時代の最新科学の影響を強く反映します。
 そう考えると現在の波動の風潮の基盤は、間違いなく現在の量子力学の解釈に依存していますから、ここの解釈を反転させることは、この医学領域の発想の転換を余儀なくさせるものでもあるわけです。

 個人的な興味としては、意志や干渉においても当然「階層」があるでしょうから、それを基盤として漢方薬やレメディの作用点も階層があるはずです。
 また電子の意志を仮定することが可能であれば、レメディの意志というものも可能であるかもしれません。そして単なる「対話」が、往々にして「スピリチュアリティ」との関係を深く印象付けることも、こうした考えとリンクしていることだと思います。

 対話に関しても、往々にしてただ仲良く話し合えば良い、という程度に捉えられることが多いのですが、マクロにおけるコヒーレントな状態を形成するという大きな意義があるということをあらためて考えさせられました。



tougouiryo at 2021年08月17日17:12|この記事のURLComments(0)

統合医療における漢方・鍼灸

 日本での「統合医療」のありかたについて、漢方・鍼灸の視点から少し考えてみたいと思います。

 言うまでもなく今日用いられる「統合医療」という言葉は、近年の代替医療の台頭を背景として欧米で使用されてきた言葉の和訳です。
 こうした動向を知らない一部の方の中には「統合」という日本語にひっかかって、もしくはその前段階の「代替」という言葉にひっかかって、統合とは?代替とは?というような禅問答に持ち込む人も少なくありません。しかし、訳語であることから、あまりそこにこだわっても仕方ないのです。ここでも、その議論はすでに学会などでやりつくされているので避けることにします。

 では「統合医療」という言葉は、本当に欧米由来のみ、なのでしょうか。日本では古くから「漢方」「鍼灸」の歴史があり、保険適応されていることから、現代西洋医学と伝統医学との併用問題は存在していました。
 近隣の中国・韓国はそれぞれ別個の資格を有する医師がいるわけですが、日本では、医師免許をもつ医師のみが両者を併用することが法的に可能である点が大きく異なります。

 こうした状況下で、一部では「漢方こそが正当で、西洋医学が代替なのだ」とか「CAMに漢方は分類されない」といった主張がされ、一方に偏る論調もありましたが、一部では、未来の日本の医学では西洋医学と東洋医学の理想的な共存を思い描く東洋医学関係者も少なからず存在していました。

 こうした流れのなかで早くも1978年に明確に「統合医療」概念を提唱したのが広島県の外科医、小川新先生でした。小川先生は腹診発展に寄与した著名な漢方医でもあり、まさに東西の医学を実践されていた先生でした。私にとっては学生時代ならびに、卒後数年の休みの時には、医院(小川外科)にて臨床を教えていただいた恩師でもあります。

 こうしたわが国での東洋医学関係者の永きに渡る努力が、今日の日本での「統合医療」理解の素地になったことはいうまでもないでしょう。
 われわれは、こうした背景から、欧米の統合医療の動向を理解しつつも、わが国独自の「統合医療」を形成していかなければならないでしょう。私自身も自分のクリニックで、漢方・鍼灸を重視するのはこうした理由からです。もちろん、非常に有力なサプリメントやホメオパシーも大切なのはいうまでもありません。
 しかし、概念ではなく、臨床モデルとしての日本の「統合医療」をしめすにあたり、漢方・鍼灸を主軸にすえることの重要性を感じています。これにより「統合医療」概念のブレが少しは減るのではないでしょうか。




tougouiryo at 2021年07月25日08:00|この記事のURLComments(0)

災害時のビタミン・ミネラル不足

統合医療オンライン相談を行っております。
遠方の方や自宅滞在のまま統合医療の相談・診療をご希望の方は、03−3357−0105まで(詳細はお電話にて承っております)。お問い合わせのみでもご遠慮なくどうぞ。


 大型連休も最終日ですが、緊急事態宣言も延長となり、まだまだ外出自粛が継続となっていきそうですね。自宅での外出自粛が長くなると、同じような食事が増えたり、内容も糖質ばかりになったり、と災害時と似たような食事情になってきます。また昨夜も、深夜に地震があり、自然災害にも改めて注意する必要があることを思い出させられました。
 そこで今回は災害時の栄養素の不足について。とりわけ肉類、魚介類、卵、緑黄色野菜、果物などが不足する状況が続いてしまうことが想定されます。

 そうした状況でのビタミンの不足では、ビタミンA(体内貯蔵期間120日)、ビタミンB1・B2(体内貯蔵期間30日)、ビタミンC(体内貯蔵期間40日)が代表的。さらにはストレス下ではアドレナリン分泌なども増加するためビタミンB6や、外出が減ることにより太陽光を受けないことからビタミンDの欠乏も懸念されます。

 不足しがちなミネラルとしては、なんといってもカルシウム。通常時においても日本人のカルシウム摂取は不足傾向にあるといわれますので、それがさらに拍車がかかってしまうわけです。また普段からの欠乏という点では女性の鉄欠乏も深刻です。健診などで特段、貧血などの指摘がなくても欠乏状態に近い人が多いことが推測されています。これらが災害時などにはより拍車がかかってしまうということになるのです。さらに亜鉛やマグネシウムの欠乏も、体調不良につながってしまいます。

 感染予防という点での外出自粛の中で、不調が増幅されないように、摂取カロリーのみではなく、そこに含有されるビタミン・ミネラルについても関心を持っていただきたいと思います。


食事でかかる新型栄養失調
食品と暮らしの安全基金
三五館
2010-12-17





tougouiryo at 2020年05月06日11:37|この記事のURLComments(0)

サプリメント・漢方の飲むタイミング

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遠方の方や自宅滞在のまま統合医療の相談・診療をご希望の方は、03−3357−0105まで(詳細はお電話にて承っております)。お問い合わせのみでもご遠慮なくどうぞ。


 当院では、サプリメントや漢方などいろいろなカテゴリーのものを出すので、その飲むタイミングについてよく聞かれます。これらの一般的な飲み方について、説明しましょう。

 まずは、水溶性ビタミン。これは食事とともに吸収されるため、食後に摂取するのが良いとされ、体内での滞留時間が短いため、一度に取るのではなく複数回に分割するのがおススメです。
 次は脂溶性ビタミン。油分があると吸収しやすいため、特に油を多く含む食事の後に摂取するのがおススメです。こちらは水溶性とは反対に複数回に分割せず、一度にまとめてとるのが良いといわれます(分けても問題ありません)。
 ミネラルは一般に食後の摂取が良いとされます。特に、非ヘム鉄は、ビタミンCやクエン酸、動物性たんぱく(一部)が一緒だと吸収が良いといわれますが、反対にヘム鉄は空腹時が最も吸収が良いとされます。しかし人によっては、胃腸の不快感や便秘などになることもあるので、こうした場合にはやはり食後がおススメとなります。亜鉛は、有機酸と結合したグルコン酸亜鉛であれば、空腹時摂取がよいのですが、これもヘム鉄同様、不快症状がある場合は食後となります。
 アミノ酸は一般に空腹時が良いとされますが、食事に含まれるアミノ酸スコアを高める目的であれば、食後の摂取となります。目的によって時間帯が異なるといってよいでしょう。
 その他、脂溶性の栄養素は、脂溶性ビタミン同様に食後の摂取がおすすめとなります。

 これに対して、漢方薬は一般に食間といわれます。つまり食後二時間です。お腹に何も入っていない状態で、漢方単独で入る方がよいというわけです。但し、食欲がない時に食欲亢進を目的にしていれば、食前ですし、食後の腹痛には食後となりますから(アニサキス疑いの腹痛時の安中散など)、これはやはり専門家の指示に従ってください。体質改善目的で長期に処方されている場合、飲み忘れを防ぐ意味で食後というのも良いと思います。

 ホメオパシーのレメディは、一般に歯磨きや飲水などが終わって30分以上ということなので、就寝前がベストでしょうか。アレルギー対策であれば、朝起きてすぐ、というのも良いでしょう。朝でも夜でも、心静かにレメディをとれる時間帯がおすすめです。漢方やサプリとはまた違った注意点といったところでしょうか。




tougouiryo at 2020年05月03日06:00|この記事のURLComments(0)

花粉症レメディとその周辺

 いよいよ花粉症のシーズンとなってきました。当院にも、花粉症の治療の問い合わせが増えてきました。

 花粉症についてはとりわけ今年は朴澤先生のアイゾパシーの本が出版されたので、ここで紹介されているスギ花粉レメディの希望が多いです。朴澤先生は、レメディによる花粉症治療を二重盲検法を用いて有効性を証明された先生で本書↓で、その実験データが公開されています。



 当院ではこのレメディに加え、Bスポット療法(EAT)による上咽頭の炎症治療、漢方による対症療法と体質改善治療、糖質制限による炎症の鎮静化とビタミンD補充による栄養療法なども行っており、各人の体質と併せて用いるとより効果的です。

 またホメオパシーについては、現在社会問題化している新型肺炎コロナウイルスに対して、インド政府がワクチンなど有効な治療法の開発に至るまでの治療法として、レメディのクラシカルな方法で予防法を提示しております。インドはそもそもAYUSH省というアーユルヴェーダやホメオパシー等に特化した省庁を有していることから、他国と比較してかなり特殊な立ち位置ではありますが、政府による興味深い取り組みとして、その効果を見守っていきたいと思います。ちなみにインドの首相はこのAYUSH省の設立をした当人であるということです。また今回、推奨されているレメディはArsenicum album 30Cで、ホメオパシーを使い慣れた人にとってはそれほど珍しいものではありませんが、言われてみると、なるほど、といったレメディでもあります。


tougouiryo at 2020年02月11日19:31|この記事のURLComments(0)

多様な療法との付き合い方(1)

Gノート 付説「多様な療法とのつきあい方」

 では前回、予告しましたように元原稿を分割しながら掲載していきます。編集の方が読みやすいようにしてくれたのが出版されたものですので、それの「元」ですから当然、言い回しなどいろいろと読みにくところがあると思いますが、ご容赦ください。



Point

・統合医療の要諦は多職種連携にある

・統合医療は補完医療に対して否定的側面も有する

・統合医療カンファレンスでは、現代医療的な注意を払いつつ、多元的な構えが重要である

・多様な療法とのつきあいにおいては、多元的な立場に基づいて相互了解していかなければならない

・「真なるもの」を前提としない多元主義は、多職種連携の思想的基盤である

 

Keyword

カンファレンス 多職種連携 信念対立 多元主義

 

1.はじめに

 

医師が補完医療を考えるにあたって、「統合医療」という概念を抜きにしては考えられません。統合医療とは、我々医師が通常イメージする現代医療に加えて、補完医療を統合した医療体系です。すると、ただでさえ広範な現代医療に、さらに雑多な補完医療を加え、莫大な領域の医療であるかのような印象を与えてしまいますが、統合医療とは決してそのような博物学的知識の集成ではありません。

さらに、具体的な補完医療に対して何一つ知識を持ち合わせていなかったとしても、問題ないものなのです。ではその意義とは何なのでしょうか。私は、「多職種連携」がその答えであると考えています1)

 本稿では統合医療という分野において、その基礎となる多様な補完的な療法、ならびにそれを扱う療法士(師)との在り方(距離の取り方?)を考えてみたいと思います。そしてさらには、こうしたつきあいの在り方が、医師が最も優先させるべき「患者さんの保護」につながるものであることも述べてみたいと思います。


tougouiryo at 2016年12月08日10:00|この記事のURLComments(0)

腰痛の漢方

 今回は腰痛についてです。いわゆる筋膜性腰痛でも東洋医学的には、いろいろなわけ方が可能です。

 

 腰痛の漢方を考える場合、急性の痛みか慢性的なものなのかは重要です。ギックリ腰のような急性の腰痛では、一般に芍薬甘草湯がよく用いられます。そして慢性的な腰痛では、老化(東洋医学的な「腎」の衰え)と瘀血が大きな原因となります。

 

老化をメインとした症状では、「腎」の気を高める「附子」を用いた処方である八味地黄丸や牛車腎気丸などが用いられます。こうした適応の方には冷えがあり、冷えの程度により専門の医師は、附子の量を調節します。

 

 また瘀血をベースにした腰痛も少なくありません。末梢循環の不良がベースにあるわけですから、腰部にも十分な血流が回らなくなり、痛みを生じるのです。こうした腰痛には桂枝茯苓丸や桃核承気湯など、いわゆる駆瘀血剤が有効です。また冷えのぼせの状態が強いときには五積散も有効です。

 セルフケア講座(↓)の申し込み、まだ残席ありますのでお早めにお電話にてお申し込みください。


tougouiryo at 2009年02月02日18:00|この記事のURLComments(0)

統合医療は一診療科目名なのか?

 「統合医療」というのは、医療の一診療科目名なのでしょうか、それとも医療の今後の理想形なのでしょうか。これを、ただ単に一診療名とのみ捕らえている方がいるようでしたら、解説したいと思います。

 現状としては、両者ともに間違いではありません。また、認知度からしても一診療科目として現在、理解されているのもしかたのないことです。しかし、本来の意味からすれば、これは「ホリスティック医療」や「全人的医療」と同じカテゴリーにあるものであり、目標とすべき理想形でもあるのです。

 「医療」というものが本来全人的であるのが当たり前なように、ある「正式」とされるカテゴリーの医療のみで、医療が構成されること自体に問題があるといわざるをえません。一見、「正統医学」はすべて科学的検証がすんでいるように考えられますが、実際はその一部のみと言わざるをえません。また、医療とは本来、経験主義的なものであることからも、伝統医療を除外することこそ不自然といえるでしょう。

 「統合医療」の議論において、問題となることは、医療それ自体が今世紀に(必然的に)ぶつかるべき一群の問題群でもあるのです。そうした意味で「新たなる医療」を考える際、「統合医療」問題は大きな位置を占めることは間違いありません。そうした意味で、最近、「あらたなる医療」として思考しているのですが、来年からは、こうした医療問題一般として、統合医療を考える連載を企画しています。連載誌など、確定しましたら随時。このブログ内でご案内していきますので、いましばらくお待ちください。

 最後に、なんでこうした総説的な話が多いのかと聞かれることが多いので、お答えしておきます。昼間の診療時間においては、患者さん一人一人の「具体的な」症状に対して「具体的に」治療しているため、夜などの空いた時間には、むしろ昼とは反対の、総論的な思索をすることが多くなるのです。風邪のときは?関節痛は?というものをご期待の方にはすみません。ただし、実際にお困りの方は、HPから「問い合わせ」メールなどで受診に関して、お問い合わせください。本来は実地診療が専門なので、ベストを尽くして対応させていただきます。


tougouiryo at 2007年10月06日00:34|この記事のURLComments(0)

統合医療の機能的分類

 統合医療に関して、いろいろと疑問を呈されることが少なくないのですが、どれも単純に、この「統合医療」という概念の理解不足が原因のことがほとんどです。

 ただ、これからの新しい形の医療であるので、期待も合わさり、思いだけが膨張するということもあるかもしれません。そうした方に、少し理解しやすいように、統合医療をいくつかに分類してみました。機能別に大きく分類することで、必要とする統合医療が実は人によって異なっていることがわかると思います。(大前提として統合医療とは、現代医療と代替医療を統合しようとするもの、です。決して科学批判でもなければ、あやしい宗教的癒しなどでもありません。念のため)

(1)相談型統合医療:何らかの医療問題(身体や精神の不調)が生じたとき、現代医療のみで対処すべきか、代替医療を考慮しても良いのか、などを相談するようなケース。どの代替医療がベストかという観点もありますが、場合によっては現代医療のみを優先することもあるわけです。代替医療併用是非型と代替医療選択型に大別されます。

(2)支援型統合医療:生活習慣病やあらゆる未病に対応して、セルフケアに努めようとする人たちを支援・アドバイスする立場です。行っている健康法は効果的か、人間ドックなどのデータから明らかな病気はないが生活の注意点を知りたい、など。こうしたニーズには、現状の通常の外来診療ではなかなかきめ細かく対応できないのが実際です。こうした状況に、ただ運動・栄養、だけでなくさまざまな代替医療の可能性アドバイスするものです。セルフケア支援型と未病対策型に大別されます。

(3)治療型統合医療:悪性腫瘍(がん)や関節リウマチ、アトピー性皮膚炎、そのほか原因不明の体調不良、など現代医療的難病を、現代医療を取り入れながらも、漢方・鍼灸などさまざまな代替医療的アプローチを用いることで、治療していこうとするもの。実際のニーズは圧倒的にこれが多いので、当院でも、こうした難病の方がたくさん来られます。また、ネットなどでみる統合医療という使い方の場合、ほとんどがこのカテゴリーの使い方です。単一型と複数型に大別されます。

 ・具体的には単一の特殊な療法を取り入れるものや、サプリメントの併用のみというものと、複数の療法をコーディネートするものに大別されます。ちなみにアリゾナ大学のいう統合医療は、こうした複数の代替医療を如何に組み合わせるかのコーディネーター的機能を前面に出したものでした。

 以上のような分類です。統合医療を利用しようという方は、どの段階が自分のいまのもんだいなのかという認識があれば、より効果的に統合医療診療を受けられると思います。当院では、(自分で提唱している概念でもありますので)3段階すべてに対応しております。(実際、これまで受診された方のカルテから、この分類を考えてみました)


tougouiryo at 2007年09月30日19:07|この記事のURLComments(0)

私の考える「統合医療モデル」

 「看護技術」最新刊が発売されました。今月は「手技療法」ついて、一般的なことを解説しました。日本においては、どうした代替医療が国家資格であるのか、ないのか、など大学で学生に講義をしているとき、かなり理解されていない内容を解説しました。ご興味ある方は、是非ごらんください。

 この連載ももう10回を迎え、残りあと2回です。次回は「サプリメント」について、その社会的影響や健康生成などの観点から解説していきます。最終回は、現在、執筆中ですが、取り上げられなかった代替医療の解説をしながら、この領域を総括し、さらにはその先に見える(であろう)「統合医療」への展望を解説していく予定です。

 一年間の連載は、当初はかなりの量のように感じましたが、幅広い代替医療の世界を、自分なりに噛み砕いて解説するには、実際、意外に短い期間でもありました。独自な解説を心がけた分、マイナーな領域の解説には手が回りませんでしたが、そうした百科事典的なものはいろいろと出ているかと思いますので、これはこれで良かったのかな、とも思います。

 時代はどんどん進んでいます。これまでは目新しかった「代替医療とは何か」という問いも、もうそれほど目新しいものではありません。代替医療の中身の理解から、そろそろ一歩踏み出す頃でもあります。それが「統合医療」でもあるのですが、前途は多難です。いろいろな統合医療モデルが出され、より混乱をきわめるのもこれからでしょう。そうした中で、より実際的なモデルの提出がこれからの大きなテーマのひとつと考えています。このブログをはじめ、雑誌や出版媒体などさまざまな場で考えて行きたいと思います。

 ちなみに、先日、ある方から「統合医療とは、さまざまな代替医療を総合的にナビゲートすることなのか」と聞かれました。ある意味「正解」です。こうした統合医療の解釈はアメリカ的のような気がします。アリゾナのワイル博士の提出する統合医療モデルはまさにこうした形式を目指すものとも言えるでしょう。医療におけるゼネラリストが認知されるアメリカになじみやすいモデルでしょう。私のクリニックもこうした機能を果たしていることはいうまでもありません。

 では、日本ではどうでしょうか。もちろん、こうしたモデルは一部の人にはちゃんと認知されるでしょう、が、一般的にはまだまだ難しいと思います。さまざまセラピーが並立する中で、「結局、何をしてくれるんだ」という要望がやはりもっとも強く出てきます。結局、どんな変わったことをしてくれるのか、という問いの段階です。おそらく、これは文化的、社会的背景の相違によるもので、優劣の問題ではありません。しかし、アメリカ型をそのまま導入するわけにもいかない、という問題はここにあるのです。そのため、当院ではメインの療法として、漢方・鍼灸・ホメオパシー・サプリメントなどを行っています。つまりナビゲーター機能に加え、スペシャリスト的機能も持っている、という形式としています。そしてこれが私の現状考える、日本に適した統合医療モデルでもあるのです。

 統合医療という概念は確かに広すぎます。だからこそさまざまなモデルを、現実の医療問題と合わせて考えていかなければなりません。そして、こうした患者さん主体の医療がむしろ普通になって、「統合」という言葉要らなくなる段階に到達したいものです。そうした意味で統合医療を考えることは、新たな時代の「医療」そのものを考えることに他ならないのです。


tougouiryo at 2007年09月22日20:52|この記事のURLComments(0)

統合医療についての誤解

 さまざまな代替医療があるなかで、統合医療というものの存在意義のようなものは何か、分かっている方も多いかと思いますが、あらためて少し書いてみようと思います。

 よく勘違いされるのは、漢方、鍼灸、ホメオパシーいろいろな分野の専門家がいるのに、いいとこどりだけで、そんなものでいいのか!というもの。それぞれの専門の方がいて、それを深めるのはいいことですし、異論はありません。ましてや、それぞれの奥深い専門を、完全に理解しているなどとも思っていません。だからこそ、それぞれの領域の代替医療のみを(例えばアロマならアロマ、鍼なら鍼)求める方は、そうした専門家が適しているといえるでしょう。

 しかし、現実の臨床では、どれにかかったら良いのか、どれが自分にあっているのか、といった代替医療の領域横断的な相談が多いのも特徴です。そもそも代替医療だけで良いのか、という問題もまた大きく存在します。だからこそ代替医療のみに組みすることのない「統合医療」という概念があると思います。

 だからこそ私のクリニックでは複数の代替医療を扱う形式にしています。それでも、それぞれの専門家がいるのだからおこがましい、という意見も聞かれます。しかし、境界領域も実際にはニーズが多いのです。つまり、しっかりとした精神科医がいて、しっかりとした内科医がいたとしても、やはり心身相関を注視する心療内科医はまた別に必要なのです。多様化するニーズの中、さまざまなものに対応することも大切なことです。どれかひとつだけに限定しなければいけないというのは、タコツボ的な基礎研究でもない限り、現実としてはありえないものです。これは臨床に携わるものでしたらだれでもわかることといえるでしょう。

 つまり、広く浅くでも、代替医療をナビすることで、その人に適するものを探し出すことができれば、それも私の考える統合医療の目的といえます。ちなみに「統合医療」はまだ未熟な概念です。よって解説する方によっては異なった解釈をするかたもいるかと思います。なのでこのサイトで、私の主張する「統合医療」は私の考える統合医療」であることをお断りしておきます。

 また一部の方は、統合医療を「アンチ科学」「アンチ現代医療」のように捕らえている方もいるようですが、これは完全な誤解です。「統合」と称しているのは(実際に難しいことですが・・・)現代医療と代替医療の双方の立場を否定しない、ということの現れです。これは代替医療という言葉を使わない一番の理由でもあります。なので、私のクリニックでも手術や薬物療法が必要であればお勧めするのはいうまでもありません。また、代替治療だけでも大丈夫な状態であれば、ニーズにしたがってサポートさせていただくのもいうまでもありませんが・・・。

 クリニックでは、こうした私の「統合医療」の考えに加えて、十分な時間をとった診療によりナラティブ(患者さん一人一人の語り)を重視した診療をこころがけています。理想はまだ遠いのでしょうが、医療の基本は相互関係にあると考え、丁寧な診療を続けて行きたいと思います。

 今回は、誤解されやすい統合医療の側面についてと私のクリニックでの考え方を少し紹介しました。蝉の声も消え、だんだんと秋の気配ですね。


tougouiryo at 2007年09月10日00:05|この記事のURLComments(0)

漢方・鍼灸と統合医療

 今回は、日本での「統合医療」のありかたについて、少し考えてみたいと思います。

 言うまでもなく今日用いられる「統合医療」という言葉は、近年の代替医療の台頭を背景として欧米で使用されてきた言葉の和訳です。こうした動向を知らない一部の方の中には「統合」という日本語にひっかかって、もしくはその前段階の「代替」という言葉にひっかかって、統合とは?代替とは?というような禅問答に持ち込む人も少なくありません。しかし、訳語であることから、あまりそこにこだわっても仕方ないのです。ここでも、その議論はすでに学会などでやりつくされているので避けることにします。

 では「統合医療」という言葉は、本当に欧米由来のみ、なのでしょうか。日本では古くから「漢方」「鍼灸」の歴史があり、保険適応されていることから、現代西洋医学と伝統医学との併用問題は存在していました。近隣の中国・韓国はそれぞれ別個の資格を有する医師がいるわけですが、日本では、医師免許をもつ医師のみが両者を併用することが法的に可能である点が大きく異なります。

 こうした状況下で、一部では「漢方こそが正当で、西洋医学が代替なのだ」とか「CAMに漢方は分類されない」といった主張がされ、一方に偏る論調もありましたが、一部では、未来の日本の医学では西洋医学と東洋医学の理想的な共存を思い描く東洋医学関係者も少なからず存在していました。

 こうした流れのなかで早くも1978年に明確に「統合医療」概念を提唱したのが広島県の外科医、小川新先生でした。小川先生は腹診発展に寄与した著名な漢方医でもあり、まさに東西の医学を実践されていた先生でした。私にとっては学生時代ならびに、卒後数年の休みの時には医院にて臨床を教えていただいた恩師でもあります。

 こうしたわが国での東洋医学関係者の永きに渡る努力が、今日の日本での「統合医療」理解の素地になったことはいうまでもないでしょう。われわれは、こうした背景から、欧米の統合医療の動向を理解しつつも、わが国独自の「統合医療」を形成していかなければならないでしょう。私自身も自分のクリニックで、漢方・鍼灸を重視するのはこうした理由からです。もちろん、非常に有力なサプリメントやホメオパシーも大切なのはいうまでもありません。しかし、概念ではなく、臨床モデルとしての日本の「統合医療」をしめすにあたり、漢方・鍼灸を主軸にすえることの重要性を感じています。

 それぞれの「統合医療」というものがあっていいと思います。ただあまりに「統合医療」ということばの氾濫が多いような気がしたことと、日本からも30年も前にすでにこの概念が発信されていたことを知っていただきたくて今回はこうした内容にしてみました。


tougouiryo at 2007年04月12日00:07|この記事のURLComments(0)

鍼灸のエビデンス

 鍼灸について、原稿を書いていたので、EBMの観点から見直してみたいと思います。「刺す」という行為のため、なかなか薬剤とちがってランダム化比較試験しにくい治療法ですが、「偽鍼」などを用いて着実にエビデンスが蓄積されつつあります。

 米国国立衛生研究所(NIH)の合意声明書においては、鍼が有効であるという有望な結果が得られているものとして、術後や薬物療法時の嘔気・嘔吐、歯科の術後痛、妊娠時の悪阻、が挙げられています。 また、英国医師会の報告書においては、背部痛、歯痛、片頭痛、嘔気・嘔吐に関しては適切な患者さんに適応できるエビデンスがある、とされています。

 一方ではこうした検証では、あまりに治療手法が単純化されているという批判もあり、鍼本来の研究としての問題点も指摘されています。しかし、「気」や「経絡」といった、いかにも代替医療という概念を用いた鍼灸にこれだけのエビデンスが蓄積しつつあるというのは、これからの統合医療発展に大きな力となるでしょう。統合医療研究のさらなる発展が期待されますね。


tougouiryo at 2007年03月15日16:45|この記事のURLComments(0)

花粉症追加・アロマセラピー

 花粉症についてさらに追加します。アロマセラピーをご存知の方には当たり前なのでしょうが、知らない方には良い情報。

 ティートリーという精油がこの時期の花粉症対策にはもってこいです。これで一発で治るというわけにはいきませんが、症状緩和は望めます。

 当クリニックでも、ペパーミントなどとあわせてディフューザーで香らせています。家庭用としては、入浴時に香らすと良いかと思います。殺菌効果もつよく、除菌スプレーとしても使えます。以前、これらの除菌効果を実験していたのですが、消毒用アルコールなどと比べても遜色のないすばらしい効果だったのが印象的でした。(この成果は大学発ベンチャーでプライムミストとして現在製品化されています。)

 空気清浄にも役立つ「ティートリー」を花粉のこの時期、試してみてもいいかもしれませんね。(ただし無農薬の安全安心なものを選ぶことが重要です)


tougouiryo at 2007年03月01日09:44|この記事のURLComments(0)

漢方薬の品質について感じたこと

 漢方薬についての解説を書いていました。意外に知られていないのが、エキス剤と湯液の2種類がある、ということでしょうか。
 一般に病院で出される粉薬のかたちが「エキス剤」です。一方、漢方薬局で出されるイメージなのが、生薬そのままの「湯液」です。湯液は煎じる手間があるので、一般にはエキスが普及しています。ただ本来の効果は湯液であるのはいうまでもありません。

 では、生薬が出されれば、なんでもよく効くのでしょうか。値段が高ければ、よく効くのでしょうか。ここは非常に難しいところで、生薬を見る鑑定能力が、それらを左右するのです。
 一般の人はどうすればいいの?どうすればいいものとわかるの?いろいろと疑問は出るかと思います。ただ、一般の方がこれを見極めるのは非常に難しいといわざるをえません。

 結局のところ、信頼できる医療機関を自分の感覚で探すしかないというのが現状です。ですから、ただ高い、とか、すごそう、とかいうのはあまり参考にはならないのです。私のクリニックでも生薬については、こだわっていいものをと気をつけておりますが、これからは、利用者の側の理解も進むことが必須です。

 いわゆる自然医療は「自覚的な健康意識の高い人」には優しい医療なのです。だからこそ、ひとりひとり、ただのお任せでない姿勢も重要なのです。

 そうした「自覚的な健康意識の高い人」への参考になる情報をここで、これからさらに提供していきます。サイト名もクリニック関連と分け「統合医療医 小池弘人の統合医療サイト」とでもしていこうかと思ってます。


tougouiryo at 2007年02月18日20:02|この記事のURLComments(0)

時代背景から考える統合医療

 今回は統合医療というものを、私(小池弘人)の意見として、その時代背景から再認識してみたいと思います。いわゆる現代西洋医学が壁にぶつかって、その限界を超えるべく代替医療と総合されて生まれた、という、これまでのストーリーだけで語れるものなのでしょうか。

 医学概論研究において著名な中川米造によると、医学の要求される課題による時代区分としては次の4つに分けられるという。(中川米造「学問の生命」)

(1)侍医の医学:特権階級をその生活の中で体調の変化を細やかに見ていくもの。各種の伝統医学は基本的にこの見方によっている。こう考えると「未病」という古くて新しい概念が伝統医学に根付いているのも、納得する。対象はきわめて限られている。

(2)開業医の医学:特権階級よりは広がるが、まだ不特定多数が対象ではない。(1)と(3)の中間的位置。

(3)病院の医学:宿泊所ではなく、重病者の収容施設的な病院を中心とした医学の段階。社会的費用により医療が行われ、客観的方法論により「医学」が急速に発展していく。こうした過程のなかで、「病人」から「病気」へと対象がシフトしていくとも考えられる。「病気」という共通要素がよりクローズアップされる段階。

(4)社会の医学:さらには、環境や福祉といった社会的な要因が強まり、社会と医学の関連に進む。現代の高齢化社会などの諸問題などもここの範疇といえよう。

 こうした医学の流れの中で、統合医療は明らかに(4)の中で誕生している概念である。統合医療の中に自然環境との関連するセラピーも多いことが分かるだろう。では、それだけであろうか。統合医療関連の講演を聴いていて、感じる基本概念は「患者中心主義」である。これは(4)の範疇としていいのだろうか。

 ここに、自分を個々の生活の流れの中で捉えてもらいたいという気持ちが含まれている、と考えられるのではないだろうか。すると(1)の範疇に近くなる。いうまでもなく統合医療を形成する大きな柱は伝統医学である。また、病気を未然に防ぐことを目的に「未病」への関心も高まっている。これらはまさに(1)の再来ではなかろうか。「特権階級」というと聞こえが悪いが、自分を細やかに見てもらいたいという希望はまさに(1)における基本的な感情である。

 (4)の段階に入りつつも、ただただ「社会」という広い対象に広がり続ける、というわけではないのが人間の性。ここにあらたな形での(1)への回帰運動が生じるのも自然な流れといえよう。統合医療希求の底流にはこうした、背景もあるのではないだろうか。中川氏の区分による(4)から(1)への回帰(ただしこれは全くの回帰ではない。らせん状に段階は上がっているのかもしれない)ともいえる流れに統合医療は位置するのではないだろうか。きわめて個人的な医学体系でありながら、いわゆる「エコ」的要素を強く持つ。統合医療誕生の背景にはこうした時代のうねりが感じられる。

 ただ統合医療は新しい医学だ、と言っているばかりでなく、その時代的位置づけもそろそろ冷静に考える段階に入っている、といえる。

 なんでもくっつければ良い医学、という能天気な考えではなく、その意味するところを少しでも深く考えてみたいと思い、今回はこんな内容にしてみました。


tougouiryo at 2006年10月17日23:51|この記事のURL

統合医療的漢方講座(2)

五行と六病位

 

 陰陽の概念から、東洋医学、中国医学の考え方の基本を学び、気・血・水の概念から中国医学特有の生体の概念を学習しました。それでは次の見方、五行はどのように考えればよいでしょうか。これは5つの類型に人を分類する方法と見ることができます。つまり、体調と性格の両面から大きく5つに分類することになります。すべてが、この5つにきれいに分類されるわけではありませんが、それらの複合したものと考えれば、かなりの適応が可能であろうと思います。五行に対応するそれぞれのタイプを見てみましょう。自分はどれとどれに一番近いでしょうか。

 

「木」・・・イライラした怒りと緊張の状態  怒りによる陽性のストレス状態・不穏

「火」・・・傷つきやすく神経質で心配性  焦燥感による動悸・不安・不眠

「土」・・・ウジウジといつまでも考え依存的  神経性の消化不良・胃もたれ・下痢

「金」・・・憂鬱で後悔も多く悲観的  虚弱をベースにした呼吸器疾患・咳・鼻水

「水」・・・無気力で自信喪失、漠然とした不安  疲労・老化をベースにした気力低下

 

五行のそれぞれの相関関係が相生・相克となります。この関係性から、ただ単に5つに分類するだけでなく、違った角度からのアプローチをも可能にします。そしてそれらを元の健やかな状態へと戻していくことができます。それでは元の健やかな状態とはどのようなものなのでしょうか。理想的な五行の状態を見てみましょう。

 

「木」・・・相手に同情心を持てる、適応力のあるまとまった性格(同情)

「火」・・・愛情ある、繊細な楽しい性格(愛情)

「土」・・・相手に共感できる、思慮深い性格(共感)

「金」・・・相手に敬意を払える会話好きな活力ある性格(敬意)

「水」・・・知恵のある臨機応変で賢明な性格(知恵)

 

以上が体質のタイプ別としての五行の概略です。それでは次に、六病位はどうでしょうか。これは病に対する生体の対応と考えられます。つまり、何らかの生体に対するストレスへの対応の違いと言えるでしょう。対応力の強い三陽と、弱くなっている三陰の6通りの対応に分けられます。本来の古典的意義としては、病の進行のステージ的意味合いが強いのですが、日本漢方のとらえ方では慢性疾患にも適応される概念だけに、広く対応の違いとしてとらえる方がいいようです。「ステージ」より幅を持たせた理解をすべきでしょう。

 

ここで、ここまでの基礎概念をまとめてみます。ただの総論ではなく、実際に人を診るときにどのように応用されるのだろう、という観点で見直してみることが必要です。今までの理解と比べてどうですか?

 

陰陽:二元論に基づく世界観(二元論でみる)

気血水:生体を構成する三要素(生体の構成要素からみる)

五行(五臓):体質の5パターン(性格・体質別でみる)

六病位:疾病への対応の6パターン(対応法の違いでみる)

 

これらの見方を駆使して、実際には漢方相談に当たります。人をどのように見るか、そこからして違いがあることを知っていただくことが重要です。


tougouiryo at 2006年08月29日22:41|この記事のURL

統合医療的漢方入門(1)

 

世界の様々な伝統医学には、それぞれに異なる生体観があります。たとえば、中国医学では「気・血・津液」、アーユルヴェーダでは「ヴァータ・ピッタ・カファ」といった生命の構成要素により成り立っていると考えています。それらは科学的には何にあたるの、というような疑問はもたず、そうした科学的概念のない時代の見方にこちらから近づいていくようにするのも、こうした伝統医学の理解には不可欠です。

 

これらの中でも特に、際立ったもの、つまりは伝統医学特有の概念は「気」「エネルギー」と称されるものでしょう。生命を生命たらしめているものの概念であり、それぞれの伝統医学における根幹をなすものともいえるでしょう。それゆえに伝統医学を学ぶ際にこうした概念は、最も興味深く感じる人も多い反面、難解さを感じる人も少なくありません。ある意味で相補代替医療を学ぶ醍醐味がある、とも言えるでしょう。

 

まずは、漢方特有の生体の3要素になれるようにしましょう。生体を皮膚、筋肉、血液、骨格…というようには分けずに、気・血・水の3つに分けるように考えます。

 

     気…生命エネルギー

     血…生体を構成する赤い液体

     水…生体を構成する透明な液体

 

各要素において、それぞれを以下の観点から考えてみます

     量の多少

     流動性の悪化

     病的偏在

 

 自分の体を、気・血・水の3要素でみる訓練をします。(気・血・水メガネでみる)

どの成分が、どのようであれば「健康」ですか。

 いきなりどの処方がいいのか、という観点ではなく、まず、生体をどう見るかという観点が先であるはずです。次にそうした見方に基づいて、処方が決定されていくべきです。

処方の構成を考えるとき、「作る側」に立って考えることも時に必要です。

 

付)陰陽の理解について

陰陽五行は中国医学において大変重要な概念です。あくまでも相対的なものとして、何が陰で、何が陽であるのか、具体例で考えてみることも大切です。これを通して、中国伝統医学におけるモノの見方が理解できるようになるのではないでしょうか。


tougouiryo at 2006年08月18日22:16|この記事のURL

統合医療の定義・概念について

 

ここでは「統合医療」といわれるものの定義・概念について考えてみたい。統合医療という概念は様々な人により、その人なりの言葉で語られることが多い。そうした意味では、ここでの私の議論もそのひとつとして位置づけられるであろう。それぞれの人が、それぞれの思いを込めて語られた統合医療があるわけであり、それ自体は悪いことではない。しかし、様々な意味が込められることからくる混乱もないわけではない。そこで、ここでは少し引いた立場でこの「統合医療」の概念について考えてみたい。

まず第一に、その根幹をなす概念は「現代医療と相補代替医療の統合された医療体系」である。

そして次に、そこから派生してくる概念が加わるとみていい。つまり現代医療についてはわざわざ説明することもないが、相補代替医療の持つ背景が加わることに大きな意味合いがある。巷間語られる「統合医療」のイメージはこちらの影響が大きい。誤解のないように述べておくが、基本的にはそのどちらにも傾くべきではないが、いわゆる現代医療との比較において統合医療は、相補代替医療より、になるといえる。これを色彩で説明してみよう。つまり、「白色」=「現代医療」、「黒色」=「相補代替医療」(白黒に別に意味はない)とすると「統合医療」は「灰色」になる。これは、「無色」の側からすれば「有色」である。しかしあくまでも「灰色」であってすべての絵の具を混ぜた結果の「黒色」とはことなる。こういった事情に近いのではないだろうか。あるから、時折「無色」の側から「有色」全体へ批判がなされる。ひとつの健康食品のために「相補代替医療」全体へ非難されることも珍しくはない。この辺の事情は、薬害があったとしても「現代医療」全般が批判されないことと対照的である。

そこで相補代替医療により付加される概念とは、どのようなものであろうか。それは「患者中心主義」ないしは「受診者側主導」という言葉に代表されるであろう。受診者側が主体であるから、医師の側はあくまでも、脇役である。ガーデニングを行う庭師、とも言える。主体である人が主体性を持って、決定し、実行していくのである。さらに要素還元主義への懐疑や持続可能性といったキーワードもここに含まれてくる。つまり、統合医療を議論するときに出てくる、様々なキーワードはここに起因するといえる。こうした事情が、ワイルの著作の翻訳者でもある上野圭一氏の指摘する「統合医療の軸足は代替医療にあるべき」という点ではなかろうか。

上記の議論を簡略にまとめると以下のようになる。

 

概念1:統合医療とは現代医療と相補代替医療の統合された医療体系である。

 

概念2:相補代替医療は、受診者中心で治療者は庭師、という視点をもち(ここから必然的に現代医療のパターナリズムが批判される)これらが統合医療へ継承される。(相補代替医療独自の事情)

 

通常、概念1のみでは不足といわれ、概念2が入るとそれぞれの思いが交錯して議論が宙に浮いてしまうことの一端がおわかりいただけたように思う。専門家以外はどうでもいいようなことではあるが、概念の混乱は、今後、あまりいい影響を及ぼさないだろうから、ここで整理しておく意味もあろう。これはまた、逆の抑止力ともなる。つまりあらゆる現代医療批判や怨念の中、統合医療がさも完全・最高であるかのような思い込みを持ってしまうことの危険性に対してである。あらゆる理想を盛り込んだ医療が「統合医療」ではないのである。ここのところの誤解が無いように、ここであらためて「概念」について考えてみた。


tougouiryo at 2006年08月17日23:06|この記事のURL

アロマセラピー

 アロマセラピー(芳香療法)は、その名の示すとおり芳香を持つ精油を用いた治療一般を指す。芳香を用いた治療の歴史は古いが、アロマセラピーという名前は、精油により自らの火傷を治したフランスの化学者ルネ・モーリス・ガトフォセに端を発する。主なものは、精油をディフューザーなどで拡散させ、その芳香を楽しむ芳香浴。精油をキャリアオイルでのばしてマッサージを行うアロママッサージ(リフレクソロジー・リンパドレナージュも含む)等である。それぞれ、嗅覚や皮膚を介して、精油成分が体内に吸収されることにより効果を示す、とされる。また有効成分の効力のみならず、原初的感覚である嗅覚に直接アプローチする点も特色といえ、植物医学的な面のみならず、精神的・霊的治療にも応用される。ただし、多数の製造業者が存在するため、粗悪品も流通しており、購買者は、品質に関して厳しい選択の目を要求される。100%天然で無農薬(ないしは有機農法)、産地や抽出部分などが明記されていること、などである。

 

メカニズム

嗅覚を介して大脳辺縁系へ直接作用し、リラクゼーション効果を及ぼす。経皮吸収により、血流にのり全身的効果も及ぼす。

 

メリット

芳香がベースのためなじみやすく、特に芳香浴は簡易で安全性が高く、セルフケアに適する。とりわけ呼吸法との組み合わせにより相乗効果も期待される。


tougouiryo at 2006年07月28日18:27|この記事のURL

鍼灸

  わが国において、漢方と双璧をなすCAMはいうまでもなく「鍼灸」である。アメリカでは中国伝統医学(TCM)として、漢方薬と一緒に扱われることが多いが、日本では、漢方は医師・薬剤師、鍼灸は鍼灸師、と分かれているのが一般的である。統合医療時代の鍼灸は、その即効性をふくめた特殊性の中で、非常に重要な位置をしめるであろうと思われる。

漢方とは違って、体の局所へ選択的に作用させることが可能であり、かつ全身調整としても有効である。具体的には、毎日の健康維持、免疫力の向上、肩・腰・膝の痛み、など実に幅広く対応可能である。また施術者が直接的に、患者さんに影響を及ぼすことができるという点も大きい。日々の痛みなどの不調から、免疫向上まで、広いニーズを満たす鍼灸は、わが国の統合医療発展に不可欠の存在であるといえよう。

 

メカニズム

経絡という独特のシステムを介して、局所の他に、自律神経系、免疫系、内分泌系へ幅広く作用。

 

メリット

体の局所治療に適する上に、全身調整も行うことができる。施術者とのコンタクトがある。


tougouiryo at 2006年07月28日18:24|この記事のURL

漢方

  わが国で「漢方」というとき、大きく分けて2つの流れを考えなければならない。一つは、中国から伝来した医学が日本独自に展開した、いわゆる「漢方」と、本家中国における「中医学」である。また日本漢方としても、大きく二派に分けることができる。「後世派」と江戸期に勃興した「古方派」である。現在は、中医学を含め、それぞれの系統の単独継承もあるが、一般には折衷・統合されたかたちで実践されている。また、これらから発展した形で、近年、「経方理論」などの新理論も誕生している。

一般に漢方は、細粒の「エキス剤」と生薬を煮出す「煎じ薬」が使われることが多いが、それ以外の剤形も増加している。医療現場においては、その利便性から「エキス剤」が一般化しているのが現状である。どちらにしても漢方的な診断である「証」など東洋医学的診断により処方されることが望まれる。単純な病名と処方との対応では不十分といえる。そうした意味でも、しっかりとした伝統医学的思考に基づいた処方を受けることが必要になる。また、漢方処方の良い点は、オーダーメイドである点である。症状や症候にもとづいて、構成生薬を考慮しながら加減していくことが最も理想的であるといえる。ひとりひとりにきめ細かく内容を考慮することこそ、漢方の最大の強みともいえよう。そのためにも必要であれば、面倒ではあるがエキスよりも煎じ薬が、より適しているであろうことは言うまでもない。天然の植物の持つ癒しの力を取り入れる、という点でも煎じ薬は魅力的である。統合医療の観点からも、最大級の治療体系であるといえよう。

 

メカニズム

生薬の有効成分や相互作用による薬理効果。

 

メリット

現代医療的病名を越えて、独自の診断システムにより治療が可能。加減によりオーダーメイドの処方が可能。わが国においては馴染み深い治療方法。


tougouiryo at 2006年07月28日18:22|この記事のURL

癒しの聖地ルルドを訪ねて

 ここでは、統合医療とスピリチュアリティーの関連として、その具体的な「場」である「ルルドの泉」を紹介したい。そこで起こる奇跡の数々は、広く統合医療に大きな示唆を与えるであろう。

 

はじめに

 1858年、フランス南部ピレネー山脈麓の町ルルド(Lourdes)は、少女ベルナデッタ(Bernadette)がマリアの降臨を告げて以来、癒しの町として世界的に名高い。シーズン中には、フランス国内でパリに次ぐ宿泊者数となり、小さな田舎町としては似つかわしくないほどの賑わいを見せる。敬虔なカトリック教徒にとって、重要な聖地であるのは言うまでもないが、むしろわが国においては、癒しの泉湧く地として有名である。この地に多くの人々が関心を持つ奇跡は、大きく2つの意義に分けられるかと思う。一つは、一人の少女に聖母マリアがこの地に姿を現したことの意味、つまり何故ベルナデッタであったのかということを含めた宗教的な意義である。もう一つは、聖母マリア出現の際に告げられた泉から湧出した水による、奇跡的治癒の数々に関してである。私自身は、特定の宗教を持つ者ではなく、また、医師であるということから、後者の意義に関して、特に強い関心があった。そしてこの度、2003年と2005年の2回にわたってルルドを訪れ、かつ奇跡的治癒を認定する奇跡認定医のパトリック・テリエ先生(Decteur Patrick THEILLIER)に2度にわたってお話を伺うことができた。

 

聖地ルルドと奇跡的治癒

 1858211日、少女ベルナデッタの前に聖母マリアが出現したことから一連のエピソードは始まる。当初は、ベルナデッタ自身、聖母マリアであるという認識はなく「ご婦人」という認識であったという。その後225日の9回目の出現のとき、泉の位置が示され、「ルルドの泉」の湧出となる。はじめ泥水であった泉はこんこんと湧出するうちに、みるみる澄んでいったという。そしてこの日のうちにくみ上げられた水により、すでに最初の治癒例が確認されている。そして325日の16回目の出現時に、この婦人は「無原罪の宿り」と名乗ることとなる。はじめはベルナデッタ自身もそれが聖母マリアを示すものとは知らず、町の神父の指摘により知ることになった、ということである。これ以後、今日に至るまで奇跡的治癒は続き、世紀の変わり目までに二百万人もの患者が訪れ、うち6784例の治癒が記録され、バチカンの設定した厳密な基準を満たす「奇跡的な治癒」は66名を数える。しかし、これらはあくまでも申告されたものであり、自覚的にも他覚的にも治癒していながらここに記されていない(申告していない)人数はさらに多くいると考えられる。

 

ルルド探訪

ルルドへは、パリから空路であれば、ルルドタルベ空港ないしはポー空港からタクシーを使用して行くことができる。陸路でも、在来線を乗り継ぎ、ルルド駅へ行くことができる。町の中心は言うまでもなく、大聖堂であり、その周辺には観光客を目当てにたくさんの土産物屋が軒を連ねる。古くは、防衛の要衝であった地であるだけに、威厳ある要塞が町を眺める。大聖堂を背に右手には、ゴルゴダの丘を模した「十字架の道」があり、イエス受難の像が山道を登りながら見ることができる。そして左手には川が流れ、この川と大聖堂の間に泉の湧出する洞窟がある。ここが「ルルドの泉」である。泉の湧き出るところが実際に見ることができ、そこから出た水は少し離れた水のみ場で自由に飲むことができる。水は無料で提供されており、シーズンにはたくさんの人たちが、ペットボトルや水筒を手に列を成す。洞窟からさらに奥に進むと沐浴場があり、シーズン中であれば、車椅子やストレッチャーの方でいっぱいになる。敷地内にはこの他、ルルドの歴史を説明する映画館や、関連する書籍を販売する書店、医療事務局もこの敷地もある。

 

奇跡認定医テリエ先生

医療事務局には「奇跡」を認定する医師パトリック・テリエ先生がいる。先生とはこれまで2度お会いしているが、一度目の訪問(200311月)では、一般的な解説から、奇蹟の認定基準に関して教えて頂いた。このとき先生は、信仰がその治癒の中心的役割を示すと強調されていた。同時に他の信仰をもつ者であっても、生命の連続性を認識している人であれば治癒しうる、というお話は非常に興味深かった。「水」という物質にのみ効果を帰する見方ではなく、その背景としてのスピリチュアリティーにこそ重点を置くべきであるという見方であり、大いに感銘を受けた。

二度目(20056月)は、一対一の個人的会談という形で、お時間を取って頂いた。そのために、なかなかお聞きすることができないお話もうかがうことができた。それは、ホメオパスでもある医師としての先生にとって、ここでの治癒を先生自身どのようにとらえているのか、ということである。医師として、治癒困難な疾病が実際に治ることに対する見解、さらには、ホメオパシーの効果を、身を持って経験している医師として、治癒と水の持つエネルギー、そしてスピリチュアリティーとの関連に対する見解、などである。また先生は、多発性硬化症などの難病の治癒メカニズムにも非常に興味をもっておられて、生化学や遺伝子などの理論を駆使して同僚の医師と共著の著作も出版されている。信仰との関連も重要であるが、治癒することそれ自体にも重要な意味があり、その点もさらに研究が進むべきである、と強調されていたことも、印象的であった。そしてルルドの奇跡においては、水の果たす役割はきわめて大きいのではないだろうか、ともお話されていた。

 

ルルドの奇跡とは

 信仰に基づく「スピリチュアリティー」と、それを伝達する媒体としての「水」、そしてその作用点ともいえる「自然治癒力」。この三者の連携から織り成されるものが「ルルドの奇跡」と言われるものなのだろう。そこには単純な還元主義では解決されえない問題が多く横たわるが、「奇跡」が我々に見せる魅力は限りない。それは、ルルドの奇跡の元来もつ力に加え、多数の巡礼者をはじめとした訪問者の祈りによるところも少なくないように思う。聖地ルルドから、我々、統合医療を目指すものが得ることができるものは限りなく多い。「統合医療」の更なる発展を考えるとき、ここに多くのヒントがあるような気がする。


tougouiryo at 2006年07月28日18:20|この記事のURL

統合医療的漢方講座の紹介

 ここでは、私が主に担当している漢方講座の概略を紹介する中で、統合医療における漢方のあり方を考えてみたいと思います。内容的には、女性薬剤師を主な対象とした初心者向き「漢方入門講座」です。講義のあらましをご紹介します。

http://www.dayspa.co.jp/seminar/course3.html 

 

1回:東洋医学概論

統合医療から見た東洋医学概論を以下のようなポイントで解説していく

(1)   相補代替医療と統合医療(漢方は代替医療?)

(2)   薬剤師にとっての統合医療のあり方

(3)   代替医療先進国アメリカでの統合医療の現在

(4)   「西洋医学」と「漢方」の視点の相違

(5)   「漢方」は独立した存在なのか(他の伝統医学との関連は?)

統合医療としての漢方の枠組みを総論的に解説していく内容。

 

2回:漢方の生体のとらえ方<1>(気血水と五臓)

相補代替医療・伝統医療に広く共通する概念である「気」を中心に、漢方独自の生体観を紹介する。気血水と五臓を用いて人間を観察するきっかけを作りながら、現代医療とは別な視点があることを学習する。またこうした伝統医学的概念を、現代医療的に考えられるようにしたい。

(処方紹介1)桂枝湯・麻黄湯・葛根湯の解説

 

3回:漢方の生体のとらえ方<2>(五臓六腑と六病位)

前回に引き続き、漢方的な生体把握法に慣れるようにする。今回は、五臓六腑と六病位を中心に学習する。また六病位から、疾病に対する生体の反応を「健康生成論」の立場から俯瞰する。次回からの診察法の準備も合わせて行う。

(処方紹介2)桂枝湯からの展開

 

4回:実践!漢方診察法

自己観察からスタートして、具体的な体験として診察法を学習する。脈・舌・腹の観察から東洋医学での生体の見方を実践的に学習し、伝統医学的な視点に慣れる。

(処方紹介3)女性のための3処方の紹介

 

5回:女性3処方を基礎とした頻用処方解説

 前回学習した女性3処方を基礎として、気血水を具体的な生薬の観点から復習しながら、よく使われる処方を解説する。ただの暗記にならないように、それぞれの処方の持つ意義を考えながら解説する実践的内容。多数の処方解説を行う。

 

6回:生薬の総括と漢方学習法

 これまで学習してきた漢方の総論的内容を、生薬の観点からもう一度復習する中で、各処方のもつ意味を再考する。また実践的に漢方相談を行うにあたっての注意点もあわせて学習する。あわせて、他の相補代替医療との併用のポイントも統合医療の観点から解説する。総括として、講座終了後の漢方の学習をどうやっていくべきか、質問形式での解説も行う。

 

 

講座全体として…

講座全体としては、実際にテイスティングやカウンセリングの実践もあり、実践的な内容がふんだんに取り込まれている講座です。また学習にあたっては、パターン認識に終始するのではなく、漢方的発想で考えることができるように講義していきます。そうした中で、広く伝統医療的な視点をもつことができることを目的とし、統合医療的薬剤師を育成したいと考えております。


tougouiryo at 2006年07月25日22:58|この記事のURL

サプリメント総論

 代替医療の中でもとりわけ、現在われわれ日本人になじみあるものといえば、サプリメントであろう。サプリメントとは本来、補充するという意味で、日常の体に必要な成分を補完するもの、ということになる。いわゆる一般に健康補助食品、栄養補助食品と称されるものである。したがって、あくまでもしっかりとした食事が前提としてあり、それを補助するという役割になるわけである。

よって、サプリメントのみに依存する食事では、健康上大きな問題となりうる。だからこそサプリメントとの良い関係が、これまでになく求められていると言えよう。そのためには、他のサプリメントや医薬品との相互作用にも注意する必要がある。サプリメントには医薬品と同じまたは類似する成分が含まれることもあり、相互作用を及ぼす可能性は十分に考えられる。相互作用において報告例があるものをいくつかあげると、セントジョーンズワートによるジゴキシン、ワ―ファリン、テオフィリンなどの薬物の減弱効果、イチョウ葉エキス服用による抗血小板薬、抗血液凝固薬内服時の出血傾向亢進の可能性など、重要なものも少なくない。

 サプリメントは、広く代替医療の範疇に入るものであるが、代替医療利用率は米国においては国民の50%近くにおよび、その費用は総医療費の50%を超えると言われる。ここまでの影響を持つに至った背景は、現代の健康意識の高さと無関係ではないと考えられ、これがサプリメントの急速な成長の背景にある。しかし、そればかりが原因とは言えない。米国においてサプリメントは1994DSHEADietary Supplement Health and Education Act)法により「ハーブ、ビタミン、ミネラル、アミノ酸等の栄養素を1種類以上含む食事を補助する製品」として定義された。そしてこのDSHEA法により効能効果の表示が可能になったのである。結果、米国において2兆円を超える市場を形成するに至った。しかしこの法律には、安全性についての販売責任が会社側にないなどの問題点も指摘されている。

こうした米国での流れを受けて、わが国においても今日の広がりに至ったわけだが、これをただ闇雲に否定するという立場は好ましくない。一人一人のセルフケア意識を高め、健康生成のサポートをしていくには、サプリメントは重要な役割を持つものだからである。ただし、医療従事者として、テレビの健康情報番組などの様々な情報を無批判に受け入れることは避けなければならない。しかし、こうした情報が氾濫する背景には、前述したように国民の健康意識の高まりがあることを無視してはならない。だからこそ我々医療者は、その高まりを萎えさせることなく、健康生成を積極的にサポートする方向へ導く必要がある。

こうしたことはサプリメントについてのみならず、代替医療全般に対しても言えることである。本来の治療を妨げる場合、明らかに医学的に不適切である場合、経済的に支障になっている場合などを除いては、必ずしも十分なエビデンスがなくても、あからさまな否定はせず、容認することも必要であろう。現代医療とサプリメントをはじめとした代替医療との理想的な関係の形成から、さらなる「統合医療」の発展に期待したい。


tougouiryo at 2006年07月24日08:47|この記事のURL

統合医療とは

 ヨガや太極拳などの運動、サプリメントや健康食品、さらには漢方などの伝統医学、これらをまとめて「相補代替医療」(Complementary and Alternative Medicine:CAM)という。この相補代替医療を、現代の通常医学(いわゆる現代西洋医学)とあわせて、患者中心主義に基づき理想的に統合したものが「統合医療」(Integrative Medicine:IM)である。近年、相補代替医療に期待する多くの一般市民の支持を得て、注目を集めている概念である。相補代替医療と同義ではない。

米国国立補完代替医療センターよる「代替医療」の定義

w国立補完代替医療センターによると 「代替医療とは現時点では通常医学の一部としては一体化していないヘルスケアあるいは医療をさす。一般には代替医療は、医師(MD)やオステオパシー医師(DO)によって行われてはいない医療であり、現代西洋医学や主流医学などとは異なる。なお代替医療として分類される医療行為のリストは、社会情勢や科学的根拠などに基づいて変更され続けるものである。」

 

相補代替医療の種類

w民族療法・・・漢方医学、アーユルヴェーダ、ユナニ医学、自然療法、ホメオパシー

w食事・ハーブ療法・・・栄養補助療法、花療法、ハーブ療法、ビタミン療法

wバイオフィードバック、催眠療法、リラクゼーション、イメージ療法

wアニマルセラピー、園芸療法

w温泉療法、太極拳、ヨガ、気功

wアロマセラピー、芸術療法、音楽療法

w指圧、カイロプラクティック、リフレクソロジー

wその他

 

相補代替医療の本質

w各国の伝統医学

w現代医学に対抗して生まれた比較的新しい医学体系

w民間療法

w心身のコントロール技法

 

 


tougouiryo at 2006年07月24日08:36|この記事のURL