いわゆるブログ!

小池統合医療クリニックの10周年記念パーティーが明治記念館にて開催されます

ご覧下さっている方、大変ご無沙汰しておりました。
久々の更新です。

 本日、当院、小池統合医療クリニックの10周年記念パーティーが明治記念館にて開催されます。

 白金時代を合わせて、もう十年も経ってしまったのかという感慨と、ここまで支えていただいた皆様への感謝の気持ちでいっぱいです。

 またなかよし鍼灸院と合わせて、日本統合医療センターとなってからも一年となりました。ともに診療する仲間も増え、さらに日本の「統合医療」発展のために邁進していきたいと思います。

 今後ともなにとぞ、宜しくお願いいたします。


 今月、『統合医療の哲学 ジャングルカンファレンス理論編』が出版予定です。また来月にはその続編である『医の智の会話 ジャングルカンファレンス実践編』も予定されております。こちらの更新をおろそかにしていた間、こつこつと別なところで文章を書いておりました(笑)
 二冊ともジャングルカンファレンスの全貌をご紹介する初めての出版となります。是非ともお読みいただけましたら幸いです。(アマゾンではまだ買えないと思います。中旬頃には買えるかな?といった感じです)

tougouiryo at 2017年10月01日09:37|この記事のURLComments(0)

発毛サイトできました

 ここ数年、当院にて力を入れております「発毛」の治療を紹介するサイトが完成しました。

 元々は、あまり知られていない「刺絡療法」の紹介をしようと考えていたのですが、刺絡療法の一環として行っている「発毛」への関心が大きくなってきましたので、「発毛」をメインにしたものにしました。まだ作成途上で、今後、もう少し分量を増やしていく予定ですが、とりあえず現時点での公開をいたしました。

 http://hatsumou.im-center.jp/

 一連の発毛の治療方法を「発毛刺絡療法」と名付け、刺絡療法の紹介もかねております。多くの病態の根源を「瘀血」と考え、瘀血という「縮退」を取り除く。当院の治療の考え方の一端をご覧いただければ幸いです。


 
 今週末は、小関先生の開催する「ヒモトレ祭り」に参加する予定です。 ゴム紐がいかにカラダによくないのか、勉強してこようと思います。


 

tougouiryo at 2017年03月29日09:41|この記事のURLComments(0)

操体法とプラグマティズム

 前回、操体について書きましたが、操体法の細かい技法はさておき、その原理について少し考えてみたいと思います。メモ的なものですのでご興味ない方はスルーを。
 
 「気持ちいいことなら何をしてもいい」というのがいわゆる操体の基本となる考えです。これは、いわゆるこうした医療について触れていると至る所で耳にするもので、大いに魅力的な考えでもあります。自分も、学生時代などは大いに魅了されました。
 いわゆる「快」を肯定しこれを道標とし、理論・理屈を先行させず、親試実験を行っていくわけです。しかし当然こうした考えには、反論もあるわけで、よくあるものが、いわゆる「快」におぼれた結果体を壊したらどうするのだ、というもの。
 これに関しては、橋本敬三先生自身もよく問われていたようで、ご著書の中でもこれへの解答が散見されます。以下のような感じです。

「気持ちのいいことは何をしてもいい。苦しい方、痛い方に動くのではなく、ラクな方、気持ちのいい方へ動けばいい。だけどもね、その時にはうんと気持ちよくっても、後になって気持ちが悪くなる、つまり、後味が悪いっていうのがあるが、それは 本当の気持ちよさとは違う」『からだの設計にミスはない(橋本敬三著)』より

 なるほどと思う反面、少し、うまく言いくるめられたような釈然としない面も否定できません。こうした医学に否定的な人と議論すれば、一瞬で否定されてしまう論理でしょう。後のことは簡単には予測できないのではないか、わかっていてもやめられない「依存」はどうなのか、等々の理由で。
 ここを橋本先生が言っているのだから!という論理で押すと、内輪の人には通るものの、外野の人には説得力がないでしょう。
 安易なキーワードで統合医療を語る危険性もここにあります。耳にやさしい一元的なキーワード、例えば、「愛」「真理」や「患者様のため」 等々、すばらしい考えではありますが、反面、様々な問題を隠蔽することにもなりうるのです。
 安易な単純化や理想化の問題点です。これは確かフッサールだかが、ガリレオを評して隠蔽の天才と称したことと通じるように思います。つまり「真理」という名の科学的法則により、自然そのものの姿がみえなくなってはいまいか、という指摘です。
 誤解ないように繰り返しますが、「愛」や「真理」、「患者様」が悪いと言っているのではありません。むしろ口に出すことはなくても、最も大切な概念であることはいうまでもありません。しかしこれらによって深く医療を考える 際に、障壁となりうることもあるのではないか、という可能性の指摘です。こうした側面が「快」にもあるのではないか、と思うのです。
 一見、魅力的な言葉は、反面、大きな問題も抱えます。ここでは論じませんが、これまでいろいろと主張してきた「折衷」と「多元」の相違などもこれに通じます。 

 さらに「快」が指摘している良い面は、あらかじめ「真理」のようなものを措定していない、ということです。冷やすのがいいか温めるのがいいか、と言った問がなされますが、まさにこれです。どこかに真理があるという考えが前提にあるのです。橋本先生は、これにたいし「気持ちがいい」ものがいいんだと述べておられます。
 しかし、気持ちがいいと判断するためには 、それが行為されていなければなりません。つまり操体の考えの根底には、行為が前提にあることになるのです。これはまさしく、プラグマティズム的思考です。この思考自体が、ある種、東洋的であるので当然といえば当然です。
 何らかの直観に支えられて、実践する、その結果の判定を自らにゆだねる。その判定基準を「快」とする。ただしこの「快」を近い目的におくか、遠い目的におくかで大きく分かれます。
 やや専門的なお話しになりますが、プラグマティズムの二つの源流、パースとジェイムズの相違点の一つもそんなところにあると考えます。
 この場合、依存など の問題を考慮すると、もしくは橋本先生自身の記述から判断するとジェイムズの説くプラグマティズムが、これに最も近いように思います。

 この問題はまたの機会に、さらに述べてみたいと思います。今日はここまで。


「プラグマティックメディシン」についてはこちら↓

 

tougouiryo at 2017年03月24日07:56|この記事のURLComments(0)

操体法との共通点について

 前回のJCは、補完医療の講演と相俟って、「依存」という大変重いテーマについて対話しました。最近は整形外科的なテーマが多かったのですが、久々の心理的なテーマとなりました。
 このジャングルカンファレンス(JC)の模様は、近日、鍼灸OSAKAにて紹介される予定となっております。詳細が確定しましたら、お知らせいたします。
 また数名の方から、JCの参加情報についてお問い合わせいただいておりますが、ご興味ある方は「ジャングルカンファレンス」で検索して頂ければ、統合医療カンファレンス協会のHPからお申込みいただけます。事務局は当院ですので、ご遠慮なくご連絡ください。

 先日ある方から、縮退をめぐる私の一連の理論と、橋本操体法の原理との共通点をご指摘いただきました。この業界では知らぬ者のいない橋本敬三先生のお考えと関連させていただいて、私としてはうれしい限りです。私自身もご著書を読ませていただいて、多くの考え方を学ばせていただいております。
 ただ縮退という概念とは、少し観点が異なるのですが、プラグマティズムとの関連など改めて、操体原理と併せて考えると非常に興味深い点が浮きぼりになってきました。
 これに関しては、この連休に少し時間をとって考えてみたのですが、大変面白そうなテーマとなりそうなので、今年の大きなテーマの一つにしてみたいと考えております。今後こちらでもご紹介してきたいと思います。
 後半は自分のメモ的な記載になってしまいましたが、ご興味ある方は以下の書籍をお勧めします!





  

tougouiryo at 2017年03月20日21:54|この記事のURLComments(0)

「補完医療各論講義」開講のお知らせ!

 群馬大学での「統合保健医療論」も、2006年に科目が設定されかれこれ11年目を迎えます。当初は、ターミナルケア論を母体として生まれた科目でしたので、いわゆるターミナルを念頭に置いた内容で構成されていました。
 当然、現在でも三大療法のみでなく、さらなる可能性を求めて統合医療が期待されているわけですが、それに限定されるわけではありません。セルフケア、セルフマネジメントといった概念がより一般化する中で、クライアントの「自立」を促進する流れも無視できません。 
 「おまかせ」ではなく 、自らが選択する時代に突入しているからです。こうした流れを鑑みて、授業の流れも大きく変更されることになりました。
 これに伴い、私の担当分の授業も 内容を大幅変更することになりました。

 内容を大きく統合医療概論1・2、補完医療各論1・2・3としました。実際の時間配分は、まだ検討中ですが主な内容(の概略)は以下の通りです。

統合医療概論1 統合医療とはどのような医療なのか
統合医療概論2 統合医療の本質は何か
補完医療各論1 東洋医学概論(世界の伝統医学含む)
補完医療各論2 サプリメントと西洋の補完医療
補完医療各論3 統合医療の実際(刺絡療法をめぐって) 

 実際の講義は学生さん向けの授業なので、一般の方は聞くことはできません。しかしいろいろな場で、この講義をしてもらえないかというリクエストを頂いておりましたので、授業内容の改変を機に、大人の専門家向けの内容も併せて作成し、公開しようと思います。
 
 ジャングルカンファレンスのはじめに、以前は「初心者講習会」を行っていたのですが、この時間帯に前回は弁護士の原田先生に「はりの概念に関しての法的根拠」をお話しいただきました。その時間帯に今回(来週木曜日、3月9日)から全三回の予定で、私の「統合医療実践のための補完医療各論 」を開講しようと思います。
  内容の予定は下記のとおりです。

 第1回 西洋の補完医療(サプリメント・ホメオパシー ・スピリチュアリティ)
科学的なものからエネルギー医学まで幅広く俯瞰し、さらには「ルルドの泉」からスピリチュアリティを考えてみたいと思います。

 第2回 東洋医学と世界の伝統医療(漢方・鍼灸・アーユルヴェーダ)
世界の伝統医学から漢方と鍼灸を俯瞰し、それらの概略を解説するとともに、現代医療的な解釈により東西医学の統合モデルについて考えてみたいと思います。

 第3回 統合の実際(刺絡療法をめぐって「瘀血」の概念を考える)
瘀血という西洋医学的にも東洋医学的にも重要な概念をキーに、刺絡療法の現場から見える統合医療実践の様子を紹介したいと思います。

 いずれも30分ですのでミニレクチャー となりますが、好評でしたら今後、フルバージョンも予定しております。ご興味ある方はカンファレンス前に早めに(6時半)ご参加ください。
 できれば下記テキストを予めお読みください。


 
 参加ご希望の方は、ジャングルカンファレンスで検索して頂きHPからカンファレンス参加の手続きを行ってください。申し訳ございませんが、講義のみの参加はご遠慮させていただきます。カンファレンスと併せての参加申し込みとなります。
 カンファレンス初めての方でも、ご遠慮なくご参加ください。お待ちしております!

tougouiryo at 2017年02月28日18:36|この記事のURLComments(0)

ジャングルカンファレンス:対話の重要性について

 先日、ご紹介した長沼先生の記事のもととなった雑誌↓を購入して読んでみました。

WIRED VOL.27/科学のゆくえを問う大特集「Before and After Scienceサイエンスのゆくえ」
Conde Nast Japan (コンデナスト・ジャパン)
コンデナスト・ジャパン
2017-02-13


  もともと科学哲学の分野に興味があるので、全体的に面白く読めました。通常の科学に関する言説とは、異なった「科学」の限界と今後の課題について、さらりと写真たっぷりで述べられており、全体としてもとてもきれいな雑誌です。

  統合医療というものを、何か特別なロマンティックなものとして捉えたい向きには向かないでしょうが、医療、そして科学というものの考え方の限界や将来像などから統合医療を構築していこうとする向きにはとても参考になるのではないでしょうか。

 全体としてはジャングルカンファレンスの解説時に述べることですが、唯一の真理や正解を求めるのでなく、また議論により打ち負かして結論にいたるのでもない、「対話」という方向の有効性 が、科学の将来像にも求められているということが多く論じられています。

 長沼先生同様、独立科学者として活動するルパート・シェルドレイクの記事は特に印象的でした。学生のころシェルドレイクの著書を読んだきりで、そのころの略歴の写真からずいぶんお年を召された感じでした。



物質主義に偏する現代科学について、10の疑問を挙げた中で、特に印象的なのが
・自然は機械か?
・機械論的な医学は絶対なのか?
等の問いです。そしてビジネスと化してしまった科学を批判していきます。
 では、どのようにしていけば良いのかという疑問に関して、 意外な結論で締めくくられます。

「トップダウンのシステムのなかから、新しい科学は生まれない。たとえその芽が開いたとしても、その是非を問う議論によって、強制終了されてしまうからだ。より開かれた科学を実現するために必要なのは議論でも結論でもなく、対話なのだ」 

  ここで科学を医療に置き換えると、まさに我々にもピタリとあてはまります。統合医療というシステムはまさに大きな組織で展開するよりも、その良さを残しながら地道にボトムアップしていくことでしか広がらないのではないか、という気がしています。

 そのためにこの秋には、安易な一元論的な科学主義にのらない、独自路線での「多元的統合医療研究会」を発足する予定です。そこでは結論へ突き進む議論ではなく、対話による医療のモデルを模索する会にしていきたいと考えています。多元は、統合の前段階などではないということを強く主張していきます。(ちなみに多元を統合の前段階として捉えている論者は、すべての宗教は多神教から一神教に至ると信じる欧米的価値観に皮肉にも知らぬ間にどっぷりとつかっているといえるでしょう)

 多元的ということをいくら説明してもイメージできない人に対しては、実際に作って見せてしまうのが最も近道です。シェルドレイクの説く「対話」を医療という場面でどのように展開していくか、ご興味ある方は、まずはジャングルカンファレンスからご参加ください。ジャングルカンファレンスのメーリングリストから「多元的統合医療研究会」のご案内を差し上げる予定です。 

tougouiryo at 2017年02月26日07:00|この記事のURLComments(0)

4つのイズムと確率統計に関するメモ

 長沼先生の記事と、先週末のフューチャーセッションとのコラボから思いついたことの個人的なメモみたいなものですので、ご興味ない方はスルーを。
 
 日曜日に久々に、教条・折衷・統合・多元の4つのイズムについて解説していて気付いたこと。この4つは2つの軸により分類可能であるという点。

 一つの軸は究極的な構成要素の個数について。つまり最終的な構成要素が「一」なのか「多」なのか、という点で分類可能であるということで、教条・統合は、共にその究極的な要素は「一」。対する折衷・多元 は、当然究極的にも「多」となる。

 もう一つの軸は、現時点での「真理(確信といってもよいかもしれない)の有無」について。「有」に関しては、たった一つの真理しか認めないのが「教条」で、複数の真理を認めるものが「多元」。反対に「無」に関しては(換言すれば現時点で真理ないしは確信が無い場合)、たった一つに収束するだろうが現段階での真理がない「統合」と、要素は複数あるものの各々に、真理ないしは確信とでも呼べるものがない「折衷」ということになる。

 つまりまとめると、
一つの軸に   <構成要素数:「一」⇔「多」>
もう一つの軸に <真理・確信:「無」⇔「有」>
・・・ということになる。

この2軸を直交させれば、結果として4つの象限に分かれ、4つのイズムを分類することが可能になる。

 こうした分類を参考にすると、これまでの統合と多元との比較・対立の構図が見やすくなる。つまりそれは、「一」と「多」の対立そのものであったということになる。


 ここで、今考えている医療における確率・統計の意義についての考察のメモ。
 確率統計分野における問題の根底に横たわる「正規分布」というものの解釈について、正しい中間としての「平均」が存在するとすれば、それ以外つまりその周辺は「誤差」ということになる。誤差論から、考えるとこのようになり、いつしかその平均が「善」で、そこからの逸脱が「悪」としての疾病といった考えに転化しうる。(現にケトレは誤差論から、平均人という概念に至っている)
 一方、人間の諸特徴などは、さまざまな要因が重なって(いくつもの分布が重なって)結果として、正規分布に近いものとなることが多い、と考えられる。そしてこれを、長沼伸一郎は『経済数学の直観的方法』において「造物主のベルトコンベアー」によると表現している。そしてさらに、こうしたイメージは、ガウスらによる確率統計学の草創期には、おそらく共有されていたであろうと推測している。つまりこれを敷衍すると、体系の草創期には、前述した「平均人」がもつような善悪の概念は内包されていなかったことが推測される。
 平たく言えば、「みんないろいろあってそれでよい」だったはずが、そこに「良い悪い」が知らぬ間に導入されてしまったことになる。(ハッキングはこれをケトレに起因させている)そしてこうした問題の底流にも、「一と多」の問題があるように思う。
 現代の医学の大きなバックボーンでもある確率統計という一見中立な体系をみるときにも、知らぬ間にこうしたバイアスが存在してしまうのではないかということである。

 こうした議論を詰めていけば、所謂、代替医療が駆逐されることへの反論も可能になるし、「統合医療に科学の光を」といった論調の狭小さがより明確になると思う。正規分布において、その中心部に真理を見るか、万物の散らばり加減に普遍性を見るかの違いであり、散らばりは切られるべき存在であるとは限らず、多様性として評価しうるものでもあるという視点の提供ともみえることになる。
 小さくマイナーな療法であっても、多様性を希求する全体にとっては、無駄なものではない。身体という未知なるものの探究においては、一つの可能性を提供するものとみることができるのである。
 
 

tougouiryo at 2017年02月24日07:00|この記事のURLComments(0)

17年程前のこと

 先日の日曜日は、渋谷区のIFspaceにて、ジャングルカンファレンスとフューチャーセッションとのコラボ企画を開催しました。
 これまでの通常版のJCとは異なり、初心者の方にもなぜJCなのか、ということが解りやすかったのではないかと思います。
 またいつも木曜日開催ですので、お仕事の都合で参加出来なかった方も、日曜午前でしたので参加できたとのご意見もうかがいました。こうしたご意見をもとに、今後、東京開催でも、日曜日開催をしていこうと考えておりますので、その際は是非ともご参加ください。

 以前にご紹介した長沼伸一郎先生の紹介記事です。一見、医療、とくに統合医療との関連がわかりにくいかと思いますので、今回は少し思い出とともに補足を。

 http://wired.jp/2017/02/13/shinichiro-naganuma/
 


 
 長沼先生は理系学生に向けた画期的な参考書「物理数学の直観的方法」を、なんと26歳の若さで書き上げ、各大学生協で売上一位を叩きだした理系世界の伝説の人でもあります。

 私自身は、理系といっても医学系なので少しずれてはいるので、数学の試験で「直観的方法」にお世話になったわけではないのですが、もうかれこれ15年以上前に大学生協で、この本の「後記」(当時はブルーバックスではなかったので「11章」と呼ばれていました)を 読んだ時の衝撃はいまでも覚えております。

 当時は、ある内分泌疾患における 遺伝子変異を研究して学位を頂き、それを機にこれまでの医局を離れ、保健学科で臨床検査技師を目指す学生さんたちに臨床生理学を中心に教えておりました。これまで遺伝子や病理学的な研究を大学院ではおこなっていたのですが、実際の人間を対象にした生理的な研究に移行したこともあり、どのようなテーマをしたものかと考えあぐねていました。
 当時すでに、統合医療への思いはありましたので、研究職への移行と同時にワイル先生の統合医療プログラムにアクセスして勉強を始めておりました。
 生理学系の教室でしたので 、当時話題になっていたアイゼンバーグ博士によるアンケートを用いた代替医療普及の実態調査のような統計的なアプローチではなく、なにか新しい指標での代替医療の評価はできないものかと考えていました。とりわけ、複雑系解析を用いて代替医療の有効性を示せないものかと模索していました。

 そうした中でであったのが、この「後記」だったのです。この小文は、衝撃的でした。ある意味、複雑系研究の限界を喝破し、 いまでもとかく「部分の集合は全体ではない」と理念では簡単に述べられる難問をいともたやすく数式で説明して見せているのです。さらには、東洋医学の存在意義や、西洋医学との体系的な差異が数学的にさらりと解説されていたのです。いまでもこれほど明確な解説は他では見当たりません。

 これはもう自分に向けて書いてくれたとしか思えず(笑) 即、購入し、熟読の後(それでも半分も理解できませんでしたが)長沼先生にお手紙を書きました。その後、何度か手紙のやり取りの中で、今では当たり前でもあるEBM(とりわけ大規模スタディ)についての功罪、とりわけ医学領域において見逃されやすい盲点を解説していただきました。(この原稿は今でも長沼先生のパスファインダーチームのホームページから読むことができると思います)

 またこの「後記」の白眉が「縮退」についての解説でした。物事が均衡せずに、縮退していくという構図が実に刺激的でした。当初は長沼先生は人体ではこうした縮退は起きないのではないかと考えていたようなのですが、救命救急の場面などでの生理現象では解りやすく生じている現象であるし、冷えなどの慢性的な状況でも、これによって 説明できることがたくさんあります。
 こうした縮退をめぐる思索のヒントを頂いたことで、後に「武術と医術」や「ふくらはぎ習慣」の内容へと展開することが できました。

 行列の計算を忘れていると難しい面もありますが、そうしたところを飛ばしても、概略を理解することは可能です。このリンクの記事を読んで、興味を持たれた方は是非とも「物理数学の直観的方法」の「やや長めの後記」をお読みください。 ここには私自身の臨床における身体観や、現在展開している医療の多元主義のバックボーンがすべて展開されているといっても過言ではありません。
「後記」だけでも、代金の価値は十分すぎるほどだと思います。


tougouiryo at 2017年02月23日09:00|この記事のURLComments(0)

日経ヘルスに「脊椎静脈叢」の解説が掲載されています!

 日経ヘルス今月号の特集「女性の不調は血流&リンパが9割!」にて、これまで当院で行ってきた刺絡療法の基本理論の一つである脊椎静脈叢についての記事が特集されています。(表紙は井伊直虎ですね)



 
 ふくらはぎについては、これまでも何冊も出版してきましたが、それ以降の展開と刺絡療法との関連については、朝日カルチャーセンター等での講演以外はあまり説明してきませんでした。

 (血流改善の意義と縮退理論については以下↓をご参照ください)



 刺絡療法は、いわゆる「血」へアプローチする鍼技法として、その卓越した効果を説明されることがほとんどでしたが、なぜそこまで早く確実に効果をあげるのかというメカニズムについてはあまりふれられずに来ました。私自身もかつては、その効果は十分実感しつつも、うまく説明できませんでした。そうした中で、2015年の山口県での統合医療学会の折、帝京平成大学の上馬場教授に、無弁静脈である椎骨静脈叢についてご教示いただき、頭がすっきりとしました。

 この時の上馬場教授の解説を、自分なりに咀嚼して、これまでの「ふくらはぎもみ」や「縮退理論」と合わせたものを、刺絡療法のメカニズムとして説明した来ました。今回は、その一部を日経ヘルスの方に解説し、きれいな図解としていただきました。

 ただし、概略のみなので刺絡との兼ね合いまでは解説されていませんが、近年、非常に要望の多い「女性の抜け毛・薄毛」対策の基本を知ることも出来ると思います。特に国際ホリステックヘッドケア協会の宮崎踊子さんの頭皮マッサージもおすすめです。(定番のふくらはぎのもみ方解説もあります)

 背骨が全身に与える影響について興味ある方、是非ともお読みいただきたいと思います。

 なお補足すると、背骨の血流改善により影響を強く受けるのは、本文では「自律神経」という書き方がされておりますが、正確には交感神経と考えられます。これに対して、副交感神経は、その主体ともいえる迷走神経の働きと密接な関係を有する上咽頭が大きく影響するということになります。
 つまりこれらを総合することで、より明確に自律神経の調整をすることが出来るということです。

 他にも興味深い記事がたくさんありますので、皆さん是非どうぞ。
  

tougouiryo at 2017年02月21日22:48|この記事のURLComments(0)

お知らせ

縮退理論をはじめ、さまざまな視点を教えて頂いた長沼先生の紹介記事です。是非、お読みください!

http://wired.jp/2017/02/13/shinichiro-naganuma/

↑にて「科学史に残る傑作」と称されているのが下記↓の「やや長めの後記」です。



 
tougouiryo at 2017年02月18日21:59|この記事のURLComments(0)

統合医療とEBMとの共通点

 昨年末に出版されたGノートでも「統合医療」特集においても話題されていましたが、統合医療をめぐる誤解の数々は、いわゆる EBMをめぐる誤解と非常に似ている、ということについて。

 この分野に興味のない方にはどうでもよいことではありますが、確かに一見正反対のように見えるこの二つの概念は、実はしっかりと理解すればかなり似たことを言っているというのは事実です。 
 
 統合医療が現代医療を否定しないのと同様に、大規模スタディなどのエビデンスを重視するだけと思われがちなEBMの立場も、経験や勘といった職人的な観点を否定しないというのがオリジナルの考え方なのです。

 しかし、日本では特に(?)データ重視ということと同じような意味でEBMという用語がとらえられているのが普通です。こうした事情は、専門家ですら代替医療と統合医療を混同して用いられていることと非常に似ています。

 こうした事情を踏まえつつ、合理的な思考方法を医療だけでなく広く社会全体に広げた良い本があったので、ご紹介します。EBMというものを誤解している人たちにもぜひ読んでいただきたい内容です。
 またEBMに関心ないかたにとってもビジネス啓蒙書としてとても参考になると思います。 


 
 この本の面白いのはEBM的思考をビジネスに展開することに加えて、究極の結論ないしは意思決定の根本を多職種による「協働 」においている点です。また合理的判断における「目的」の重要性の重視なども、やはり京都大学!、といった感じです。
 というのも、プラグマティズムの思考としての重要性をとく藤井教授や、多元主義の重要性を説いたナシア・ガミーの「現代精神医学原論」を翻訳した村井教授も、みんな京都大学です。
 こうした伝統はやはり、W・ジェイムズに影響を受け独自の哲学を展開した西田幾多郎からの伝統なのでしょう。理論を先行させず、行動を先行させる形式の思考方法を展開する研究者を次々に、分野を問わず輩出していますね。

 この本はEBMから展開する合理的思考の帰結を、「共有価値」においています。ここが最も共感したところ。私の考える統合医療でも、ジャングルカンファレンスを見ていただければお分かりのように、まさにこの「共有価値」に重点を置いております。こうしたところが、二つの立場のとても似たところなのです。
 医療者や治療家同士ばかりではなく 、当事者である患者さんをも巻き込んで(この形態が「ジャングルカフェ」です)協働していく。そうした姿を理想とするものです。これを著者は「シェアド・デシジョン・メイキング」と呼んでいます。
 インフォームド・コンセントの重要性が説かれて久しいですが、今まさにこれを超えていくべき新たな段階に達していることを感じさせられます。

 ジャングルカンファレンスの指し示すものにはこうした未来志向の医療像が内蔵されているのです。



精神医学の実在と虚構
村井俊哉
日本評論社
2014-03-20

現代精神医学原論
ナシア・ガミー
みすず書房
2009-11-14


 ネオプラグマティズムの代表格ローティ についての最近の解説書も、やはり京大教授の冨田先生によるものです。合意形成の基盤としての「連帯」について、そして多元主義を基盤とする統合医療の在り方について、ローティの思想はとても重要なものとなってくると思います。


 
今回は一部関心のある方々へ向けたメモ的な内容なので、ご興味ない方はスルーしてくださいね! 

tougouiryo at 2017年01月26日16:14|この記事のURLComments(0)

本年第1回目のジャングルカンファレンスでした!

先週は今年第一回目のジャングルカンファレンスでした。
いつにもまして盛況で、多くの新たなメンバーもいらっしゃり、とても実り多いカンファレンスになりました。

懇親会には、特別出展で、毛細血管観察システム「血管美人」をデモしていただき 、大変勉強になりました。


 今回のジャングルカンファレンスから、初心者講習会を改め、「基礎講座」と称して、参加メンバーの研究発表や、基礎的な医学講座や最近のトピックスなどを解説していくことになりました。 

 カンファレンス開催当初は、なかなか対抗的な同業の方もいらっしゃったので、会が必要以上に乱れないように最低限のルールを決め、それを周知徹底するためにこうした時間をとっていたのですが、開催から約10年に至らんとする中で、そうした対抗的な方々も現れることがなくなったので、ルール説明は最低限にとどめ、ちょっとした勉強会というかたちにしたというところです。 

 今回はウィルワンアカデミーさんから、腰痛の症例が出され、医師5名を含む総勢40名前後で議論がなされました。その後は、統合医療の在り方をめぐって、どのような点が混乱を生じているのかを簡単に私が解説したのち、全員で複数の療法の併存の在り方を議論しました。
 専門家ほど、安易な「統合」論や善悪を論じてしまい更なる混迷を招いている領域だけに、こうした問題は、おいおい何度も議論していきたいと思います。
 統合医療の抱える問題は、統合を融合やら総合、編成、編集などといった言葉の言いかえにより解決される問題ではありません。個々の症例検討に加えて、ジャングルカンファレンスに参加される方々にはぜひとも今後も続けて考えて頂きたいテーマです。



 と、本年第1回目の ジャングルカンファレンスの話題はここまでにして、私の講演会のお知らせです。今週末、28日土曜日、立川の朝日カルチャーセンターにて「背骨健康法」と題して講演します。
 
 何やらトリッキーな題名になっておりますが、これまで解説してきた「瘀血」を中心とした健康法(ふくらはぎ・糖質制限・刺絡など)を椎骨静脈叢を軸に、編成し直した内容です。

 最近はBスポット療法を刺絡に併用する中で、新たな効果も実感しています。また、Bスポットを研究される先生方の研究発表などでも、視床下部や、迷走神経との大きな関連が話題となっており、特に迷走神経に関しては、Bスポット療法に理論・実践ともに格段の進展をもたらしつつあるのではないでしょうか。
 こうした中で、新たな、それでいて確実性の高い理論が形成されつつあります。
 これまで当院で行ってきた刺絡療法の一つであるBVP療法を「交感神経系」の調整として位置づけ、対する「副交感神経系」の調整をBスポット療法として捉える考え方です。
 生命の調整システムの要である「自律神経」の機能を具体的に改善していくことの出来る方法になるのではないかと考えています。
 ちょっとこれだけでは何のことやらわかりにくいかと思いますがご興味ある方は、是非とも朝日カルチャの「背骨健康法」にぜひとも起こしください。






  

tougouiryo at 2017年01月22日18:15|この記事のURLComments(0)

ジャングルカンファレンスは多元的な「道場」である

 前回述べた諸批判に対するお答えとして、ジャングルカンファレンスとはどういう場なのか、を述べてみたいと思います。

 これはいわゆる通常のカンファレンスと異なり、臨床的な意思決定の場ではないということです。しぶしぶ参加しなければいけない義務の場ではなく、自らが統合医療の基本姿勢といえる「多元主義」を学ぶための「道場」である、ということです。つまりそれは自主性に任すものなので、参加者が金銭を要求するものではないことになります。つまりいわゆるコスト問題は生じません。
(論文投稿にあたっての反論)

 そして意思決定を主な目的にしないことから、 多数決に代表される手っ取り早い解決法をとりません。遠回りであっても「熟議」を重ねる中で、各々の参加者が自らの内面深くへと入っていける「道場」なのです。熟議は当然、効率の良いものではありません。そもそも医療における効率という問題を再考しなければならないと考えております。(医学哲学学会での質問への反論)

 現代医療の原則優先 など、現代社会における正当性を優先します。つまり哲学的な相対主義の立場ではありません。これは全ての補完医療を手放しに推奨するものでもなく、一定の判断が求められることになります。完全平等のいわばアナーキズムにもとづくのではなく、様々な立場が現実社会に適合しうる形で一定の構造をとるという考えです。つまり荒唐無稽な補完医療を無理やり押し付けるというものではないことは明白です。(医学哲学学会での質問への反論)

 次にここで考えられるセルフケア像についても述べてみましょう。

 患者指導などに対しても、セルフケアの重視は言うまでもないのですが、完全に「自給自足」的な医療的行為排斥(不要)論にも与しません。 当然、自らの選択で他者からの介入を全く拒否するというのであれば、それは容認されますが、実際には多くの人がそのような過激な独善論をとることはないでしょう。医師をはじめ様々な専門家の助力を受けるでしょう。つまり「間接民主制」に近い形と言って良いのかもしれません。身体機能に関してまとまった知識を有する人たちに、いざというときには助けをかりるということです。これは裏を返せば、専門家はその当人もしくはその家族に成り代わった真剣さでこれに臨まなければいけないということでもあるのです。

(注:こうした論理で言うとここでいう直接民主制に近い医療の運動は「はだしの医者」や「ポピュラーヘルス運動」にもつながる概念といえます。そしてこれは医療者排除へとつながる流れだという指摘があることも忘れてはなりません。様々な高度な医療体系の継承という意味からも将来に向けて問題であることは理解されるでしょう。)

 つまりまとめると、極めてイデオロギー的な教条主義に陥ることなく、一見物分かりが良いが容易にアナーキズムに陥ってしまう折衷主義に堕することもなく、自らの立ち位置を常に振り返る「多元主義」を模索するというのがこのカンファレンスの姿勢といえます。そしてこうした多元主義を背景としつつ、個々のケース(症例・実例)に関しては絶妙な「統合」の形を、個別に選択し、組み合わせ、編み出していくのです。これを我々は理想的な統合医療の在り方と考えているのです。
 このあたりは専門家でも誤解の多いところで、「良い(正しい)統合(主義)」や「最適の編成」なるものが、どこかにあるわけではありません。何故なら、そうしたものの実在を仮定したとたん、その姿勢は論者本人の 意図とは別に新たな「教条主義」を生み出すことに他ならないからなのです。
 こうした安易な理想論への誘惑にのらない、ということは非常に困難ではありますが、我々はそれでもそうした方向性を模索していかなければならないと考えています。


 先日、一つの組織が崩壊する様子を見る機会がありました。安易な平等主義と、独善的な正義感をかざし、全体での話し合いを拒絶することで、組織というものは容易に崩壊する。関係者は自らの正統性を述べますが、(つまり自分たちに悪気はないむしろ組織のためを考えた等々)やはり熟議 がなければ、組織という生命体は生きながらえることができないということをあらためて感じさせられました。新たな復興を祈るばかりです。
tougouiryo at 2017年01月03日06:00|この記事のURLComments(0)

新年あけましておめでとうございます!

新年あけましておめでとうございます。

本年もよろしくお願い申し上げます。


 昨年末はクリスマスに仙台にて記念すべき第20回日本統合医療学会が開催されました。我々、統合医療カンファレンス協会も多くの一般演題を発表することが出来、多職種の連携が、実際に可能なことを示すことが出来たように思います。
 またこの第20回大会では、私の総説論文『多元主義からみた統合医療の在り方―「多元的統合医療」の提唱』 が論文賞をいただき、これまで幾度も主張し続けてきた、統合医療における多元主義の重要性を、学会として認めてくださる形となり喜びもひとしおです。応援頂きました、関係各位の方々にこの場を借りて、感謝いたします。ありがとうございました。

 多元主義とプラグマティズムを基礎とする統合医療論については、その実践系として ジャングルカンファレンスの開催を例に議論展開しているのですが、その際の質疑や、今回の学会発表における当協会のカンファレンス概念の発表において、まだまだやはり誤解が少なくないことが明確になりました。

 多職種連携を前提とすることから、カンファレンス召集のための費用は誰が支払うのか、とか、患者さんの「たらい回し」でないか 、とか、従来の医療における(そうした方々が日々行っている?)通常のカンファレンスと混同しているようなご意見をおおく頂きます。しかし何度も申し上げるように、このカンファレンスは参加者が自主的に多元的な姿勢を学ぶための、いわば「道場」のような役割であり、最終的な意思決定の場面ではないということなのです。

 こうした誤解は、組織の内外問わず、依然としてあることから、ここですこしずつその誤解を解くべく今後解説していきたいと考えております。




  

tougouiryo at 2017年01月02日10:00|この記事のURLComments(0)

多様な療法との付き合い方(8)

まとめと引用・参考文献です。

今日はクリスマス。ですが私は統合医療学会です・・・

8.まとめ

 

 医師として必要なことを述べながら、同時に補完医療の持つ世界観に耳を傾ける。そうした関係を専門領域や地域社会において地道に形成していくことが、これからの多様化する医療における多職種連携の要となっていくことでしょう。そうした姿勢の試金石が、この統合医療という領域の役割なのかもしれません。

多様化する現代社会の潮流の中で、真に患者さんの保護を目的とした「主治医力」を上げるために、一人でも多くの医師がこの多元的な「統合医療」という概念に関心を抱いていただければ幸いです。

 
 
引用文献

 

1)小池弘人 : 多職種連携と生涯教育におけるジャングルカンファレンスの意義. 日本統合医療学会誌, 8(1): 56-64, 2015

2)小池弘人 : 米国における統合医療の実際. Kitakanto Med J, 53: 63-66, 2003

3)小池弘人 : プラグマティズムの系譜からみた統合医療の本質. 日本統合医療学会誌, 9(1): 35-46, 2016

4)「現代精神医学原論」(ナシア・ガミー / . 村井俊哉 / ). みすず書房. 2009

5)「現代精神医学のゆくえ」(ナシア・ガミー / . 山岸洋. 和田央. 村井俊哉 / ). みすず書房. 2012

6)小池弘人 : 多元主義からみた統合医療の在り方‐「多元的統合医療」の提唱‐. 日本統合医療学会誌, 9(2): 163-174, 2016

7)「医療関係者のための信念対立解明アプローチ」(京極真 / ). 誠信書房. 2011

 

 

参考文献

 

・「統合医療の考え方活かし方 新しい健康デザインの実践」(小池弘人 / ). 中央アート出版社. 2011

・「武術と医術 人を活かすメソッド」(甲野善紀. 小池弘人 / ). 集英社. 2013

・「精神医学の実在と虚構」(村井俊哉 / ). 日本評論社. 2014

・「自分を知るための哲学入門」(竹田青嗣 / ). 筑摩書房. 1993

・「人間科学におけるエヴィデンスとは何か」(小林隆児. 西研 / 編著). 新曜社. 2015


 


tougouiryo at 2016年12月24日07:00|この記事のURLComments(0)

多様な療法との付き合い方(7)

多様化の波は医療においても押し寄せています。そうした議論です。


7.医療における多様化の波

 

 医師一人一人の信条や好みとは別に、今後ますます多くの補完医療が「医療」の現場に出現してくるでしょう。こうした際に、ただやみくもに否定ないしは無視をする態度では、患者さんを保護することはできません

また、「語り」を強調するNarrative-based Medicine (NBM)といった概念の重要性も求められる中で、正統医療以外の視点に耳を傾ける柔軟さも、これからの医師には求められてくることでしょう。世界的には補完医療として扱われる「漢方」が、統合医療のみならず家庭医療の領域で再評価されつつある昨今、不定愁訴や社会的問題として片付けられてきた問題に、多彩な補完医療がヒントを与えてくれることがあるのではないでしょうか。そのためにも我々は一定の見識と信条を持ちながら、多様な「他者」に耳を傾けていかなければならないのです。そしてそれが生物多様性を皮切りに、医療分野においてこれから押し寄せてくるであろう、多様化の波を乗り切る方策であるのは言うまでもないことなのです。

 多様な療法との付き合い方に一定の決まりはありません。ただジャングルカンファレンスにおける「多元的な構え」で示されるような点に留意しながら、誠意をもって相互了解に努めるということが重要なのです。なお本稿における「多元」と「折衷」の解釈は、ナシア・ガミーの著作4)5)に拠っており、関心のある方は是非とも原著にあたられることをお勧めします。

 ガミーの主張するところ6)をまとめると、一元的と多元的の両観点から、諸療法の並立問題を考えており、幼稚な一元論である教条主義や、あまりに理想的に過ぎる統合主義に対しては、実際の臨床的ではないとする論を展開していることになります。それゆえに複数の医療体系の並立においては、多元主義こそが目指すべき姿勢であるとし、対照的に悪しき並立の在り方として「折衷」を批判しています。本論はこの主張に従い、多職種連携の要諦を多元主義とし、話し合いに価値を置いて展開してきました。そして実際の臨床的な組み合わせや方策の選択は、この思想的基盤の上にしかありえないことは言うまでもありません。

絶対者の示す真理ではなく、共に試行錯誤しながら道を探る、そこにこそ諸々の医療現場において問題となる信念対立7)を解決する連携が構築されていくのではないでしょうか。これこそが浅薄な「正しさ」を超える多様な療法との付き合い方と言えるでしょう。



 


 


tougouiryo at 2016年12月23日08:00|この記事のURLComments(0)

多様な療法との付き合い方(6)

 多元的であることについて。専門家も含め、多くの誤解がある領域です。折衷との概念の違いや、統合への未熟な段階といった誤解の中、その意義を論じています。
 今後も多くの議論を巻き起こすであろう概念ですが、じつは非常に明瞭で、素直に受け取れば難解な概念ではないのです。
 これについては今月発刊の「鍼灸OSAKA」 においても論じております。ご興味ある方はこちらもどうぞ。

鍼灸OSAKA123号 産前産後の鍼灸治療
鍼灸OSAKA編集委員会
森ノ宮医療学園出版部
2016-12-13




 6.多元的であること

 

こうしたカンファレンスから治療家との関係性を考慮することは「医療従事者−患者さん」といった従来の軸とはまた異なる、第三極を考慮することにもなります。つまり多職種連携における新基軸ということもできるでしょう。また、これにより地域医療へも新たなアプローチをかけることも可能になります。例えば広く医療に関心をもつ地域の治療家を、現代医療的安全性を担保した形で、地域医療や保健に取り込むことが可能になります。そうした際に医師がリーダーシップをとって彼らをコーディネートする必要があり、ここで示した「多元的な構え」が応用できるのではないでしょうか。

つまり、このカンファレンスは一元的な通常の学術的カンファレンスと異なり、多元的であることから、その目的は結論を得るということより、広く医療従事者にとって学習の場であるとともに、相互了解の上での連携を強めることにもなるのです。これは多職種連携の思想的基盤が多元主義であることから明白です。

 ここで注意したいのは、多元的な立場とは、すべてのものは相対的だから正しい答えなど何もないということではありません。ましてや、エビデンス至上主義との混同や、コーディネートの有無等の問題として議論することは全くの誤解・曲解という他ありません。

 多元の意味するところは、「真なるもの」といった一元的かつ教条的な発想ではなく(「真」という一元的な発想は常に対立を生じ、実際の連携の妨げになることは言うまでもありません)あらゆる可能性を認めることであり、独我的な発想とは峻別されるべきものであることを忘れてはなりません。

しかし、臨床場面においては常に可能性の強弱があり、現実の医療としてのバランスも重視すべきです。それゆえに、現代医療的に危険性のあるものは排除していかなければならないという一面も含まれるのです。もしすべてを容認するということであれば、あらゆる方法論をコーディネートせずに取り入れてしまう、「折衷」という無節操な立場もありえます。我々は、こうした安易な折衷という立場に陥らぬよう注意しながら、多様な職種と相互了解していかなければならないのです。

つまりここから導かれる多元的な立場は、地域医療における多職種連携に新たな可能性をもたらすでしょうし、また結果、深い患者理解を可能にし、補完医療の負の側面から患者さんを保護することにもつながると考えられます。安易な「正しさ」を振りかざす一元的なこだわりを捨て、現在ある資源を活用し、柔軟な姿勢で時に応じて対応する、これこそが多元であることの特徴でもあるのです。


tougouiryo at 2016年12月22日14:20|この記事のURLComments(0)

多様な療法との付き合い方(5)

いよいよジャングルカンファレンスについての解説です。どうぞ!

 5.ジャングルカンファレンス

 

 筆者は2008年から自院にて、2か月に1度のペースで補完医療の治療者を中心とした医療従事者を集め、統合医療カンファレンスを開催してきました。そして2015年にはこれを母体に、「一般社団法人統合医療カンファレンス協会」を設立し、広く治療家に呼びかけ、あらゆる医療従事者が自由に参加できる「ジャングルカンファレンス」を定期開催しています。

このカンファレンスは、症例を中心としたいわゆる臨床的な「問題」を、3040名ほどの参加者とともに自由に意見を述べながら考えるという形式です。様々な補完医療の職種から参加されているので、参加者相互に各々の用いる専門用語を解説しながら、つまり一定の「相互了解」を確認しながら意見を交換していくことになります。参加者は毎回異なりますが、内科医・外科医や看護師をはじめ、栄養士・臨床心理士・鍼灸師・整体師・気功師・ヨーガ療法士・アロマセラピスト等、実に多職種となるので相互了解が特に重要となるのです。

通常、医師がイメージするカンファレンスであれば、唯一の正解とも言える「診断」へ帰結するものですが、ここでは多様な職種の参加する多元的な立場で進行するため、唯一の結論へは至らないことも少なくありません。つまり、ここでは結果を得ることを目的としていないことになります。

このカンファレンスでは、多くの医療者が共通して抱くであろう疑問を「問題」として定式化し、様々な意見を併置させた上で参加者が「相互了解」をしていきます。結論が出なければ、臨床上有効ではないとする意見もあるでしょうが、これは一施設における(いわば通常の)カンファレンスではないため、当然その結論に拘束力はありません。つまり各々が自施設において最終的に決断することになるわけですから、無理にその場で結論を出すこともないのです。

では実際にはどのようなものなのか、以下にジャングルカンファレンスにおけるルールとして掲げている注意点をいくつか述べます。

 

・基本的にはあらゆる人の発言がしやすいように、「多元主義」の立場から会を進行します。

・一方で明らかに医療的、倫理的に問題がある場合は、その場で指摘し、方向を修正します。

・発言に際しては「〜〜分野では、〜〜と考えます」「私の考えでは〜〜です」といった形式をとります。

・各々の症例へのコメントとしては、なるべく(どのような所見)があるので、(どういう状態)が考えられる、という発言形式をとるようにします。

・「〜〜だから〜〜だ」という一方的な打ち負かし型にはしないようにします。

・あくまでも各々の臨床実践のためであることを認識し、衒学的な議論に陥らないように注意します。

・臨床に直結するよう、効果を第一に考える思想である「プラグマティズム」を基本姿勢とします3)

 

 以上のような「多元的な構え」を各々が意識しながらカンファレンスが進行します。全体としては参加者の発言が一人に集中しないよう、ファシリテーターが注意しながら発言を促すことも重要です。とりわけ医師が関係する場合、現代医療的視点から問題がないか、というチェック機能は極めて重要になります。

 


tougouiryo at 2016年12月15日07:00|この記事のURLComments(0)

多様な療法との付き合い方(3)

 今回は、統合医療というと、CAMを行うことと同じことだと考える方(いわゆる学会の専門家であっても)が依然として多い中で、そこには否定的な側面もあるのだという議論です。


3.統合医療は補完医療に対して否定的側面も有する

 

 このように述べると、補完医療を加えて地域連携を考慮することの必要性はなんとなく理解されるかもしれません。しかし、やはりエビデンスの確立していない(つまり一部の医師にとってはインチキとも思える)補完医療を、医療という枠で考慮する必要が本当にあるのだろうか、と思われるでしょう。

 そこで統合医療という概念に再度立ち戻って考えてみます。統合医療とは前述したように、現代医療に加えて補完医療を扱う概念ですが、それは必ずしも(補完医療に対して)肯定的側面からのみではありません。時にその危険性を指摘して、当該の療法の中止を促すといった患者さんの保護を目的とした側面も有します。いわば否定的側面もあるのです。

つまり医師として補完医療一般について一定の知識をもつことにより、その危険性を知ることも出来ると考えるわけです。逆に全くの無知・無関心であれば「私は知らないからご自由にどうぞ」といった態度表明とともに、結果として患者さんを危険にさらすことにもなりかねません。そうした意味でもある一定の関心をもって(当然、批判的精神をもって)広く補完医療に向き合うことの大切さもあるということなのです。

 そしてこうした真摯な姿勢に基づいて、明らかに危険性があると判断される場合、又は経済的なデメリットなども考慮して、中止の方向へと進むことも重要なのです。つまり極言すれば、この否定的側面の強調こそ現代医療における「統合医療」といった概念の必要性と言っても過言ではないのです。そのためにも一定の補完療法に関する理解が必要であり、その基底をなすのが、広義の多職種連携ともいえるのです。

 それではこうした多様な療法とのつきあい方のポイントは何なのでしょうか。米国における統合医療の拠点の一つであるアリゾナ大学における臨床の在り方から考えてみましょう。


tougouiryo at 2016年12月13日07:00|この記事のURLComments(0)

多様な療法との付き合い方(2)

前回に引き続いて、第2節です。統合医療の「肝」と何か、についての議論です。


 2.統合医療の要諦は多職種連携にある

 

多くの方は統合医療というものを、たくさんの補完医療を肯定的に駆使するような医療として思い浮かべるのではないでしょうか。しかし当然ながら、一人の医師が通暁できる療法の数には限りがあるので、実際には幾多の専門家と連携をとらざるをえないというのが現状です。また、常に肯定的にこれらを扱うわけではありません。

そしてそこでは、通常の医療現場におけるチームワークと言ったものとは若干趣の異なるものが展開されるかもしれません。つまり、通常は医療者側と患者さん側といった構図になるわけですが、ここではそのどちらとも言えない治療家といった立場を考慮するからです。これは、いわゆる国家資格者と言われる治療家だけではなく、資格制度を有しない治療家という立場もあるからです。

さらには患者さん側とされる人たちの中にも、業務としてこうした(補完医療的な)治療・施術行為を行ってはいないものの、講習参加などを通して知識的に詳しい人も少なくありません。また施術のような形ではなくても、特定の健康食品を(真心からか、ビジネスからかその真意はともかくとして)勧めてくる方がいることも、多くの医師が経験していることでしょう。こうしたあらゆる形での補完医療的アプローチとの連携こそが、統合医療の要諦となっているのです。

つまり、こうした場での多職種連携とは、通常我々が規定する「医療」という枠を超えて、広く地域連携的な意味合いをも持つことになります。


tougouiryo at 2016年12月12日10:05|この記事のURLComments(0)