いわゆるブログ!

多元的統合に関するイメージ

 休診中ですので、いろいろとこれまでの診療の「かたち」を考え直しておりました。個人的なメモですのでご興味ない方はスルーを。

 取材などを受けていると、どうしても何か特徴的な技法をひとつ、というようなことも言われますし、実際はそれに合わせてという面もないわけではないのですが、本来やはり「多元的」なのだなぁと感じています。
 つまり何か一つの技法の専門という姿勢はあえてとらない、ということなのです。

 方法論としては、漢方、鍼灸、サプリメント、ホメオパシーなどを用いることが多いので、いわゆる「介入(インターベンション)」からの視点としては、「漢方(ハーブ)」「鍼灸(刺絡・ハイドロリリース)」「サプリメント(分子栄養的視点)」「ホメオパシー(スピリチュアル)」に加えて、多元的統合理論としての「インテグラル理論」の5つの介入が目安。

 実臨床における視点の違いとしては、皮膚・ファッシア・筋骨格において経絡系が複雑に絡まる「外殻」の視点、解剖的視点としての、外胚葉・中胚葉・内胚葉由来から考える「発生学」の視点、生体内での伝達システムにおける三系統、神経系・血管系・ファッシア系の「信号系」という視点。あえてまとめると3−3−3の視点。
 これらが有機的に統合され、オッカムの剃刀的に統合されていくのではなく、あくまでも多元的に少しまとまりを欠きながらも、実際の「人」には有効に働くような、ある種のいい加減さを持つような感じ。

 こうした感じが、今のところの「多元的統合」の実臨床でのイメージに最も近いように思います。いわゆる「こちら」側のイメージのメモでした。

tougouiryo at 2021年07月26日00:30|この記事のURLComments(0)

統合医療における漢方・鍼灸

 日本での「統合医療」のありかたについて、漢方・鍼灸の視点から少し考えてみたいと思います。

 言うまでもなく今日用いられる「統合医療」という言葉は、近年の代替医療の台頭を背景として欧米で使用されてきた言葉の和訳です。
 こうした動向を知らない一部の方の中には「統合」という日本語にひっかかって、もしくはその前段階の「代替」という言葉にひっかかって、統合とは?代替とは?というような禅問答に持ち込む人も少なくありません。しかし、訳語であることから、あまりそこにこだわっても仕方ないのです。ここでも、その議論はすでに学会などでやりつくされているので避けることにします。

 では「統合医療」という言葉は、本当に欧米由来のみ、なのでしょうか。日本では古くから「漢方」「鍼灸」の歴史があり、保険適応されていることから、現代西洋医学と伝統医学との併用問題は存在していました。
 近隣の中国・韓国はそれぞれ別個の資格を有する医師がいるわけですが、日本では、医師免許をもつ医師のみが両者を併用することが法的に可能である点が大きく異なります。

 こうした状況下で、一部では「漢方こそが正当で、西洋医学が代替なのだ」とか「CAMに漢方は分類されない」といった主張がされ、一方に偏る論調もありましたが、一部では、未来の日本の医学では西洋医学と東洋医学の理想的な共存を思い描く東洋医学関係者も少なからず存在していました。

 こうした流れのなかで早くも1978年に明確に「統合医療」概念を提唱したのが広島県の外科医、小川新先生でした。小川先生は腹診発展に寄与した著名な漢方医でもあり、まさに東西の医学を実践されていた先生でした。私にとっては学生時代ならびに、卒後数年の休みの時には、医院(小川外科)にて臨床を教えていただいた恩師でもあります。

 こうしたわが国での東洋医学関係者の永きに渡る努力が、今日の日本での「統合医療」理解の素地になったことはいうまでもないでしょう。
 われわれは、こうした背景から、欧米の統合医療の動向を理解しつつも、わが国独自の「統合医療」を形成していかなければならないでしょう。私自身も自分のクリニックで、漢方・鍼灸を重視するのはこうした理由からです。もちろん、非常に有力なサプリメントやホメオパシーも大切なのはいうまでもありません。
 しかし、概念ではなく、臨床モデルとしての日本の「統合医療」をしめすにあたり、漢方・鍼灸を主軸にすえることの重要性を感じています。これにより「統合医療」概念のブレが少しは減るのではないでしょうか。




tougouiryo at 2021年07月25日08:00|この記事のURLComments(0)

お城へ To Go (松江城)

 国宝5城の一つ、最後に(平成27年)認定された松江城(64・島根)です。押印は平成29年12月9日、天守内の受付にて押しました。国宝認定は、平成24年、松江神社にて祈祷札が発見されたことで、築城時期が特定され、悲願の認定となりました。

 宍道湖畔の亀山に建築された平山城で、堀尾吉晴・忠氏父子により築城されました。その天守は戦闘的な四重天守といわれ、下見板張による黒い外観はとても力強い印象を与えます。
 関ケ原で功績のあった堀尾氏は当初、出雲の月山富田城に入りますが、山城の不便さから、宍道湖畔を選定し築城したのですが、堀尾吉晴・忠氏ともに完成を見ずに死去。三代忠晴も世継ぎのないまま死去し、堀尾氏は断絶。
 その後は京極氏となるも、ここも後継ぎがないまま病死。最終的には家康の孫、松平直政(結城秀康三男)が居城として入り、明治維新まで継続となります。

 天守内部への入り口が極めて厳重なつくりとなっており、付櫓から4度折れ曲がりながら、やっと天守内に入れる構造になっています。最終防衛施設としての天守を感じさせてくれるわけです。

 また本丸には復元櫓もあり、迫力満点です。また周囲の水堀は、宍道湖へとつながり、堀川めぐりとして遊覧船巡りもできます。

 また松江城下は小泉八雲ゆかりの地としても有名で、小泉八雲記念館や八雲旧宅もあり、文学好きの人にも楽しめる城下町です。
 「怪談」くらいしか印象がなかったのですが、これらを見学し、八雲の来歴やら、人ととなりを知ることで非常に興味を持つことができました。夏目漱石との関連やら、これまで全く知らなかったことを知るというのもこうした訪問の楽しみですね。
 つい『日本の面影』なんかも買ってしまったのですが、いまだ未読です(笑)


松江城(山陰名城叢書2)
岡崎 雄二郎
ハーベスト出版
2020-08-18












tougouiryo at 2021年07月24日05:00|この記事のURLComments(0)

更年期症状:小さな診療所から(6)改

 今回は女性特有の症状を考えていきましょう。治療法の選択にも、各人それぞれのクセがあるようです。

 50代女性Dさん、冷えのぼせ、動悸、不眠、イライラ感、などの更年期障害を主訴に来院されました。当院受診前も、同症状にて漢方専門クリニックにて漢方処方(加味逍遙散・当帰芍薬散・抑肝散・酸棗仁湯等)、ならびに鍼灸院にて鍼灸治療を継続していたが、症状の改善が認められないため、当院を来院されました。

 まずは栄養状態のチェック希望でしたので、食事内容の記録表に加え、採血検査にてビタミン・ミネラルの栄養チェックを行いました。(当院では普段の食事内容を記録して頂くことを基本にしています)
 結果から、鉄・亜鉛・ビタミンD等の栄養素が少なく、主訴との関連も強く示唆されたため、サプリメントにて補充をおすすめしました。

 時に困っていた動悸に関しては、循環器専門の他院にて既に精査されていましたが、特に問題なしとのことでしたので、コエンザイムQ10(還元型)を通常量より増量して処方しました。
 さらに食事内容でも、タンパク質の摂取が少なかったので、改善するよう指導しましたが、なかなか増量できないということでしたので、プロテインでの摂取をおすすめしました。なお液体タンパクの摂取に伴い、カルシウムの補充は非常に重要です。

 これらの栄養補充、さらには食事内容の改善に積極的に取り組まれたことにより、冷えのぼせ、動悸、イライラ感が改善され、自覚的にかなり元気も出てきたようでした。とくに動悸に関しては、心臓の病気ではないかと精査してからも心配が続いていたことから、コエンザイムをはじめとした栄養が原因だったこともわかり、たいへんよろこばれていました。

 しかし、数回の診療のなかで問診を進めていくと、家庭内、とくに夫への不満が強くあるようで、それによる機嫌の悪さから、症状の悪化が始まったようでした。従来、エアロビなど体を激しく動かす運動が好きで、これによりストレスの発散を行っていましたが、コロナ禍において、発散も十分にできなかったことが今回の症状悪化の主な原因と推測されました。

 こうしたベースがあることから、再度、増悪してしまうことも考えられ、加えて、睡眠状態の改善は今一つだったこともあり、ホメオパシーをおすすめしたところ、大変興味あるということだったので、レメディを試してみることになりました。

 問診内容と症状の経過などから、レパートリゼーション(レメディ選択)を施行し、ヨーロッパコウイカ由来のSepia30Cを選択し、1日1粒3日間、連続投与しました。

 これにより、毎日の気持ちがとても楽になり、家族への対応もイライラせずにできるようになり、体調全部が良くなったような感じと表現されていました。また睡眠状態も著明に改善し、中途覚醒、早朝覚醒がなくなり、熟眠感を得られるようになったとのことでした。


 更年期女性の諸症状に対しては、漢方や鍼灸といった東洋医学的な方法論が一般的ですが、この例にもあるように栄養(とくに蛋白やミネラル)の不足が、実は大きな原因となっていることも少なくありません。

 また、治療者側の東洋医学への愛着が、かえってサプリメントなどの栄養補充アプローチへのアクセスに待ったをかけてしまっているケースも、現代の日本では少なくないように感じます。(実は統合医療における現状の大きな問題の一つと考えています)

 漢方に関しては20年ほど前に、私が漢方外来を開始した時に感じたような、医師による漢方や東洋医学への偏見などはほぼ消失しているように思いますが、その他の代替医療(例えばホメオパシーなど)に対してはまだまだの状況です。
 とりわけ欧米諸国でのホメオパシーの復権にもかかわらず、わが国では医師の偏見と無理解はまだまだ強いと言わざるを得ません。

 どういう治療法を好むか、各人による考えは様々です。いいものはなんでも使うという発言もあり、誠にその通りなのですが、その治療法を本当に理解しているか、その理解度もまた大きく影響するわけです。

未病ヨーガ―今までになかった東洋医学とヨーガのコラボレーション!
弘人, 小池
中央アート出版社
2009-08T





7月27日まで当院は休診となります。なお、7月28日より予約受付再開します。診療も28日からですのでお間違いなく。

tougouiryo at 2021年07月23日08:00|この記事のURLComments(0)

睡眠障害 不眠:小さな診療所から(5)改

 いよいよオリンピックウィークですね。当院(小池統合医療クリニック)は連休重ねて27日㈫まで休診となります。お間違えなく。ちなみに、28日水曜日から通常診療となります。受付も28日からの開始となります。

 いろいろなテーマに飛ぶブログではありますが、連休でもありますので、かつての症例などの紹介を実例から少しご紹介していきましょう。

 急速な気分の落ち込みと、眠りの浅さからくる易疲労とで、日ごろの仕事がつらくなり、現在、休職も考えている40代男性Cさんに関して。

 東洋医学が体に優しいのではないかと思い、漢方専門薬局で「酸棗仁湯」の処方をもらったものの、あまり効果を感じられず、困っていたところ職場の同僚に勧められて来院されました。

 Cさんは、甘いものが好きで、食事もご飯などの主食が中心。脂っこいものや肉などは体に悪いと考え、なるべく野菜を多く食べるような食事内容(とくに根菜類を強く勧められていました)でした。お酒も好きで、特に日本酒を好んでいました。

 そこで現状を把握するための血液検査では、たんぱく質の摂取が極めて少なく、糖質過多のため、脂肪肝など内臓脂肪の蓄積を示す結果となりました。
 食事記録用紙をもとに、タンパク質を多めに摂取するような食事内容に変更し、代わりに、糖質の制限を心掛けるようにしました。
 加えて、ビタミンB群、亜鉛などを強化してマルチビタミンと合わせて摂取していただきました。主訴である「睡眠」に関しては、牛乳を飲むことに加え、メラトニンを処方し、就前に時折服用していた「補中益気湯」などの補剤を夜間は中止していただき、朝の服用に変更しました。(ある種の「元気が出る」と説明される漢方で、不眠になっている例は意外と多いと感じています)

 これにより、夜中に3,4回は起きていたのが、1回に減り、熟眠感を得るとともに、朝の目覚めの心地よさを実感するようになってきました。さらに1週間ほどすると体力的にも気分的にも充実した感じが得られ、当初の主訴は1か月もするとほとんどなくなって、以前のように元気に仕事をすることが出来るようになりました。 

 睡眠障害のパターンはひとそれぞれ。絶対の良い方法というよりは、各人の不眠の状態に基づいた対処法で、栄養摂取の状況と合わせて修正していくことがベストです。

 大きな疾患に発展する前に、気が付いた不調からビタミン・ミネラルにより丁寧に体を修正していくという視点が大切です。











 本ブログにおける具体的なケース紹介に関しては、年齢や性別など複数のエピソードを融合させた典型例としての例示ですので、特定の個人のエピソードを示すものではないことをお断りさせていただきます。
 また、治療法や具体的方策の詳細などの実施に当たっては、専門家ならびに専門の医療機関等のもとで行って下さい。

tougouiryo at 2021年07月22日08:00|この記事のURLComments(0)

夏期休診のお知らせ 小池統合医療クリニック

 オリンピックの開催に伴い、祝日の変更やクリニック近辺の通行制限などにより、若干の混乱も予想されます。そのため当院では夏期休診を早め、今週7月22日㈭から27日㈫までを休診とさせていただきます

 この間は受付業務も休業となりますので、お問い合わせやご予約のお電話もつながりませんのでご了承ください。7月28日(水曜)から再開いたします。

 変異株の拡大の中、いよいよ暑さも本番を迎えます。免疫力をの低下を防ぎながら、様々な方法で健康増進に邁進していきましょう!

 統合医療はそのための多彩な方法論を持っています。(サプリメントとしては亜鉛・ビタミンD・ALA・Nアセチルシステイン等が話題ですね)健康増進についてのご相談など、統合医療を専門とする当院では幅広く対応しておりますので、ご活用ください。




tougouiryo at 2021年07月21日20:17|この記事のURLComments(0)

ニッポン城めぐり

 城アプリについての記事が、けっこうアクセスがあったので少し直して再掲します。

 毎週「お城へ To Go」として城ブログをアップしていますが本日は特別篇として、スマホやタブレットで楽しめるお城のアプリをご紹介しましょう。その名も「ニッポン城めぐり」!
 もう10周年を迎えるアプリで、ゲーム的な要素に加えて、城郭巡りやその計画を立てるうえでも非常に有用なアプリです。ダウンロードして通常に楽しむ分には無料ですので、ご安心下さい。すごい量の情報量が内蔵されています!

 具体的に機能を少しご紹介しましょう!

(1)城攻め
 現在の位置情報から近隣の城郭を「攻略」します。これにより、その城をとることができ、同月に何度攻略したかで行軍の数となり「城主」になることもできます(このパターンはあまり外出しない一か所にいることが多い方向け)。多くの移動をする人は「攻城」の数を増やします。全国で攻城可能な城郭数が3000あるので、旅行などに伴って攻めます(これは出かけることが多い方向け)。
 また城攻めに伴って、所縁の武将も登場します。これを石高に投入することで雇用します(笑)これにより家臣団を形成し、名将を我がものにすることができます(笑)。

(2)下調べ
 「城郭一覧」により、全国地図から3000に及ぶ城郭の情報(情報詳細やグーグルマップでの表示、ルート検索や先達の投稿写真まで)をみることができます。これでみれば、城郭に実際に行かなくてもいったような気がしてきます。どこか旅先で、「近くに城ないかな?」というときにも便利。見知らぬ土地での迷子も減ります(笑)

(3)築城
 初めのページで自分の城を築城することが出来ます。ちょっとした癒しの箱庭療法です(笑)。金銭(両)がたまらなったので、これまであまりやらなかったのですが、最近、これにはまっています。村上水軍の能島城風の縄張りで、帰宅時にせせこましく少しずつ築城しております。最近はこれによりあっという間の通勤時間です。気に入ったを20件頂き、とても充実感を感じております!

 私が良く使うのはこんなところですが、それ以外にもクイズ(毎日出題されます)や伝言板、世論調査なども面白いので時折はまっております。また都市部では難しいですが、地方によっては「城主」になる可能性が高まるので、「城主争い」に血道を上げるのも楽しいでしょう(私は隠岐滞在時に一度だけ黒木御所城主になれました!)。
 また、これもくだらないと笑われるのですが、年数回のペースで「合戦」イベントが開催されます。激突する両軍に分かれて、仲間を助けながら、合戦で手柄を立てます。はじめは馬鹿にしている人も結構、最後の方はのめり込んでます。

お城に興味がある方、そうでない方も(笑)ぜひのぞいてみてください。

 


tougouiryo at 2021年07月21日08:00|この記事のURLComments(0)

群馬大学での統合医療講義

 本日が今年度の群馬大学での講義「統合保健医療論」の最終回となります。2年目のオンライン講義として少し軌道に乗ってきたのですが、これがこのまま持続するのか、以前のように大講義室での講義に戻れるのかは不明です。
 現在は、病院実習や学生実習などにも大きな制限がかかっているようですから、講義形式のものはしばらくは致し方ないのかもしれません。

 しかし統合医療という、誤解されやすく、ある種の難解さをもつ医療だけに、直接の講義に戻る日が望まれます。
 10数年前の統合医療の本などを眺めていると、当時、統合医療の講義をしていると記載された大学で、現在も継続しているところはほぼないのではないでしょうか。
 そんな中、大きく話題にされることはありませんが、10年以上にわたって群馬大学医学部での統合医療講義が継続していることの意義は極めて大きいと思います。

 下記の書籍が今年度のテキストです。ご興味ある方は、アマゾンにて購入可能ですので、ご覧ください。




tougouiryo at 2021年07月20日07:00|この記事のURLComments(0)

ALAのコロナ患者への効果

 当院にて数か月前から、疲れや不眠などの不定愁訴への対策として取り入れていた5−ALAが、コロナ患者への治療効果あり、としてヤフーニュースに取り上げられていました。
 実臨床においても、気持ちの落ち込みや疲労には自覚症状の改善が結構見られており、当院でも、漢方等と併用して、最近リピート率の高いサプリメントになっていました。

 この5−ALAは、コエンザイムQ10と並んで、ミトコンドリアにおいてATP生成に関与する重要物質であることから、いわゆるエネルギー補充に有効なサプリとして注目されていました。またいくつかの大学病院も参加する形での研究会も立ち上げられ、幅広い効果が検証されています。まあ機序を考えれば当然といったところではあるのですが。

 そうした中で、5−ALAによってコロナ患者さんに対して症状改善が認められたとする報告がされた、という長崎放送での紹介したものでした。患者さん全員に、副作用や後遺症などが見られなかったという点も注目されます。ご興味ある方はこちらからどうぞ!

 不眠にも良い効果が見られ、睡眠障害への対応としても今後大きく期待されるのではないでしょうか。睡眠障害の話題となったので、不眠・睡眠霜害について今週中にでも取り上げてみたいと思います。

tougouiryo at 2021年07月20日00:36|この記事のURLComments(0)

『二コラ・テスラが本当に伝えたかった宇宙の超しくみ』

 井口和基博士による『二コラ・テスラが本当に伝えたかった宇宙の超しくみ』を読んでのメモ。2013年に発刊なので、新しいものではないのですが、これまでなんとなく手に取らずにいました。
 井口博士の著作は、311よりもずっと以前にバックミンスター・フラーやカウフマンらを調べていた時からなので、ずいぶんと前から読んでいるのですが、あらためてこの本には強いインパクトを受けました。とにかく科学史の書籍として読むと面白い。19世紀の物理学史が、通常のものとは全く異なる観点から描かれます。
 特にエーテルの存在が肯定されつつあったということや、物理学のスーパーヒーロー、アインシュタインの相対性理論に根本的な再考の余地があること、等々、ほぼ完全無欠だと考えていた物理学の理論が揺らぐような記載がたくさんあります。また詳細に書かれた科学者同士の暗闘も大変面白い。そして上巻の最後に述べられる「我々自体が永久機関の存在の生きた証明なのである」という締めくくりの一文への流れは圧巻です。

 いわゆる「ニューサイエンス」的なものは学生時代から大好きだったのですが、そこで語られる「パラダイムシフト」の記載はたいてい現代物理学誕生からのものでした。特殊相対性理論・量子力学の誕生といったあたりです。C+Fコミュニケーションズによる『パラダイム・ブック』もやはり物質編から始まっていました。
 これに対して医学・生物学領域は、当時はあまりぱっとしたようには見えず、物理学は物質を扱うだけに、生命というあやふやな対象よりも理論の展開がスパッとしているなあと感じたものでした。
 それが今回この本を読んで、そうでもないこと、とりわけ下巻では著者が「数学」との対比の中で、物理学自体の過去への振り返りやらルネッサンス的な変革の可能性の困難さを述べているのは驚きでした。
 では、医学ではどうだろうと思いをはせると、かつては物理学よりも大きく遅れた印象があったのですが、当然数学のような厳密なものでもありませんが、それなりにルネッサンス的な変革は時折認められてもいます。江戸期の古方派の台頭や、東洋医学の科学的解明、さらには近年の統合医療の誕生はまさにこうした流れとしても理解できるのではないかと思うのです。
 つまり苦痛・疼痛という「人」にとって不可避の事柄と密接な関係にあることから、一切の無視というわけにはいかないようです。これに対して「物質」を対象にしたものは、外部世界の理解の仕方を基盤にするものですから、当然、極めて保守的に改革を拒むのは当然なような気がします。

 ちなみに数学がこうした呪縛にはまりにくい、というのは「数字」自体がある種の抽象的な概念のため、歴史的な流れの中で齟齬がきたされないように、高い論理性整合性が求められた結果ともいえるのではないでしょうか。
 少し事情が違いますが、西洋哲学の流れなども統合と否定によって、断続無く今日へと続いているようにも思われます。これに対して本書ではエーテル概念において、19世紀の物理学は大きな分岐点を迎えたと考えています。またその他にも詳細に検討すれば、電磁気学、量子力学、相対性理論など多くの領域においても少なからずこうした事情をかかえているようです。
 これは当然、医学・生物学や化学、地学など他領域においても同様なのでしょうが、一般的な意味での振り返りにくさ、は納得です。それだけ「常識」として染み付いているということでしょう。

 こうした中で、フリーエネルギーや永久機関といった概念は、眉唾として扱われるというのも分かります。またエントロピー増大の法則からの決定論的で閉塞した生命観は、現代の医学・生物学の領域の閉塞感との連続性を感じさせます。
 これに対して本書では、開放系と孤立系の相違からの説明も目から鱗でした。孤立系の中でエントロピーの増大に任せて消えゆく生命という視点から、実際は開放系なわけだから生命は「永久機関」なのだという強い姿勢はとても勇気づけられます。
 確かに、太陽エネルギーがふりそそぐ地球環境は確かに開放系ですし、生命誕生以来、紆余曲折あるものの断続することがなかったという点では「永久機関」でもあるわけです。

 我々は何か、無条件に受け入れている「前提」により、自らの可能性を呪縛している面があるのかもしれません。「このように決まっている」といった思い込みの枠を少し外すだけでも、別な展開が容易に見えてくるといったことを感じさせられました。開放系による意思決定システムとしてのジャングルカンファレンスやオープンダイアローグもこうした延長上に捉える必要があるでしょう。
 ちなみに先日、録画した庵野監督の「プロフェッショナル」を見ていたのですが、肥大したエゴの外側で「エヴァ」を作成したいという趣旨の発言があり、まさに開放系としての意識の在りかを感じさせられました。



科学史的な興味ある方は、この上巻がおすすめです。「超しくみ」とか「超☆わくわく」とか題名がちょっとなんなのですが、内容はかなり重厚です!

tougouiryo at 2021年07月19日07:00|この記事のURLComments(0)

オリンピック開催に伴う休診のお知らせ

 今週からオリンピックの開幕です。祝日の変更やクリニック近辺の通行制限などにより、若干の混乱も予想されるため夏期休診を早め、今週7月22日㈭から27日㈫までを休診とさせていただきます

 この間は受付業務も休業となりますので、お問い合わせやご予約のお電話もつながりませんのでご了承ください。

 変異株の拡大の中、いよいよ暑さも本番を迎えます。免疫力をの低下を防ぎながら、様々な方法で健康増進に邁進していきましょう!

 お勧めの健康習慣は以下の書籍にてご紹介しています。診療で十分にお伝えできていないところもあると思いますので、お読みいただければ幸いです。








tougouiryo at 2021年07月18日23:27|この記事のURLComments(0)

ティール組織

 一年のうちには、日本統合医療センター(JIMC)の大幅な改編?改装?が始まりそうです。改めてJIMCについてご紹介するとともに、全体像を振り返ってみたいと思います。

 JIMCとは、当院(小池統合医療クリニック)と、併設されている身心工房リボン(心身の癒し・施術部門)との総称としての呼称となっています。
 当院も含めて、従来の病院・クリニックを念頭に置くと解りにくいかと思うのですが、それこそが、これまでの医療の施設の問題点を改善しようとする全く新しい試みであることが原因といっても良いでしょう。
 類例の少ないものはわかりにくい、理解しにくいというものです。人が類似例から、物事の多くを理解することを考えれば当然といえば当然です。
 そのために、分かり易いように説明文を書くことも必要ですし、加えて、メンバー間も改めて自らの組織の意味するところを理解する必要もあるわけです。そうした考察をする中で、新しい組織論について少し目を通してみました。

 かなり話題になった書籍でもあるので、ご存知の方も多いかとは思いますが、2014年に原著が出版され、2018年に邦訳された『ティール組織』です。
 『万物の歴史』などで知られるケン・ウィルバーの「インテグラル理論」を基盤として、組織の在り方を歴史的に(もしくは発達心理学的に)5つの段階に分析し、それぞれの特徴を解説しながら、第5段階の「ティール」の意義を解き明かし、これからの組織の在り方の可能性を示していくといった内容といえるでしょう。



 同書では、組織を以下の5つに分類しています。

レッド(衝動型)組織
アンバー(順応型)組織
オレンジ(達成型)組織
グリーン(多元型)組織
ティール(進化型)組織


 これらの分類は基本的に優劣ではなく、それぞれの特徴として捉えるのが良いのでしょうが、進化という言葉が使われていることもあり、どうして最終形に達せなければいけないかのような印象もあります。
 個人的には、各々の利点や適性もあるので、一概に階層的な捉え方をしない方が、応用範囲が広がるように感じます。

 荒っぽい分類を「医療」に置き換えてみると(個人的かつ恣意的ではありますが)、旧来の医療のイメージ(実際はどうだったかは抜きにして)がレッド、大学病院など旧来の組織的な医療制度をベースにしたものがアンバー、医療連携などを意識した新しい病院システムがオレンジといったところでしょうか。多元性を重んじるというのは医療現場として実際には困難ですが、新しい統合医療のイメージ(多元的統合医療)に基づいた「ジャングルカンファレンス」はグリーンになりそうだと思いながら読んでいました。
 グリーンの抱える問題は意思決定の困難さです。かつて学会などでジャングルカンファレンスのコンセプトを発表していたころ、最終決定はどうするのか、ただの絵に描いた餅だ、というようなご批判をたくさん受けました。これこそはまさにこのカンファレンスのグリーン性を読み取られてのことだったのかもしれません。
 しかし、家族性とも言えるつながりを強めるものとしてはグリーンは極めて有用ですので、これからもジャングルカンファレンスはグリーンの性質を生かして展開すべきだということをあらためて感じました。

 そしてその家族性の強いグリーンから派生した組織が、日本統合医療センター(JIMC)のように感じます。ただ多元であるばかりではなく、そこにはダイアローグを基盤として統合医療という領域に対して進むべき方向性が共有されています。それゆえに、個々がほぼ独立した形で、活動を展開しつつも、調和のとれた連携が実現していく、まさにティールが実現してるように思います。 

 いかにティールを実現するかということが、この書籍での大きなテーマなのでしょうが、われわれとしてはむしろそこにどれくらいの共通点を見いだせるかという観点で、学べる点があるように思います。
 JIMCの組織の特異性を説明するにあたって、大変有力なワードが手に入ったような感じをしております。
 統合医療という新たな医療には、新たな枠組みの組織として取り組まなければ、その魅力は半減してしまうことでしょう。

 ティール組織の冒頭に、テンセグリティを創り出したR.B.フラーの言葉が引用されているのが、なんとも印象的に感じました。

目の前の現実と闘っても何も変えることができない。何かを変えたければ、今あるモデルが時代遅れになるような新しいモデルを作るべきだ。R.B.フラー

tougouiryo at 2021年07月18日08:00|この記事のURLComments(0)

お城へ To Go (鳥取城)

 渇殺しで有名な籠城戦の舞台、鳥取城(63・鳥取)です。押印は平成28年9月4日で、仁風閣で押しました。
 ここ仁風閣は、明治40年に旧藩主池田候により建てられ洋館で、東郷平八郎による命名の国重要文化財なのですが、なんかどこかで見たことがあるなという印象でした。内部を見学すると納得で、映画「るろうに剣心」の第1作目のクライマックスの舞台でした。香川照之さん演じる武器商人と剣心の戦闘シーンがこの庭園で撮影されていました。(現在、公開中の最終章The Begginingも幕末史とリンクしているので面白かったです。有村架純の巴、必見ですかね(笑))

 この時の訪問では十分に時間を取れなかったので、山上の丸と秀吉の陣城である太閤ヶ平を見ることができませんでした。
 いわゆる山下の丸という二の丸、三の丸、天球丸のみの見学となりました。この城は、城郭の形態変化を知るには最高の城といわれ「城郭の博物館」と称されるようです。つまり、中世山城の遺構と近世城郭の遺構が併存し、さらに大藩の政庁としての機能も有していたというわけです。
 そしてここを籠城攻めした秀吉の太閤ヶ平と合わせるとなかなかの見所満載の地です。十分な時間をとって再訪したい名城です。

 渇殺しの当初は、山頂天守は三重天守だったようで、のちに望楼型の二重天守になったようです。三の丸、二の丸も石垣が幾重にも重なる素晴らしい城で、とくに有名なのが「巻石垣」です。
 これは石垣の補強のために石垣を球状に配置したもので、巨大な地球儀(八分の一)のように見えます。
 この最大のものが残るのが天球丸に残るもの(2012復元)なので、だから天球なのかと勝手に思っていたのですが、その由来は全然違っていて、池田光政の伯母である天久院に由来するということでした。

 現在も、幕末期の姿を復元すべく整備が進んでいるようですで、是非とも再訪してみたいですね。

日本の城 40号 (鳥取城) [分冊百科]
デアゴスティーニ・ジャパン
2013-10-15



鳥取あるある ご当地あるある
岩原弘幸
TOブックス
2018-10-10



鳥取砂丘学
古今書院
2017-03-11


るろうに剣心
香川 照之
2013-11-26







tougouiryo at 2021年07月17日08:00|この記事のURLComments(0)

体性自律神経反射

 湿度の高い日が続く中、四肢の重だるさや疼痛などのいわゆる湿邪による症状が、よく見られています。そうした症状への治療の一つとして「鍼通電」をよく行っていますが、この刺激はいわゆる四肢に限定した効果のみならず、自律神経を介した内臓への効果も知られています。これが「体性・自律神経反射」です。
 こうした基礎研究により鍼灸をはじめとした物理療法の効果を説明できるようになったわけです。体性神経の刺激から内臓(心臓血管・副腎髄質・消化管・膀胱等)への影響が、専門的ですが詳細に解説されています。






 こうした基礎的な研究には、当然先立って臨床的な事実が認められるわけです。東洋医学と西洋医学の合一を目指したこうした見解は、幾多の研究があるものの、四半世紀以上前の地方大学医学部あたりではまだまだずいぶんと白い目で見られていたように記憶しています。
 数学や物理の世界であれば、結果を出せばそれなりに評価されるように感じられる中、医学においては東洋医学の雰囲気が垣間見えるだけで、正当に評価されていないような雰囲気が当時まだありました。

 しかし、最近ある科学史関連の書籍を読んでいた時に、今日では表向き否定されている「エーテル」概念が実は見直されているという話題があり、このほかにもいくつか再考しなければいけない物理的な常識があるようでした。
 しかしそれらは、現状の正統的な物理教科書の記載と矛盾をきたすため、本気で再評価しようという流れにはならないようです。かつて物理などではこうしたことはあまりないのかと思っていたのですが、或る意味、医学領域よりも深刻なのかもしれません。医学・医療に関しては、現実の苦痛や寿命の問題など切実な需要もあることから、少しは見直しも図られます。かつての東洋医学の復権、今では統合医療における伝統医療・代替医療の再評価などがそれにあたるのでしょうか。

 こうした学問の中でも「数学」の立ち位置はやや特殊なようで、数字というある種の概念を扱っているだけに、これまでの流れとの整合性がより優先されるようなので、物理や医学におけるこうした時代による制約は少ないようなのです。

 新たな分野や最先端の探究も重要ではありますが、これまでの歴史の中で我々が置き去りにしてしまっている大切な「知恵」(東洋医学、栄養やファッシアなどのマトリックス等々)も少なくないように思います。また機会を見つけてこうした問題を考えてみたいと思います。

tougouiryo at 2021年07月17日00:00|この記事のURLComments(0)

ダビンチの「解剖手稿」

 ちょっといろいろと調べている中で、アマゾン見てましたら、ダビンチの「解剖手稿A」を見つけたので購入しました。価格も2600円でしたのであまり期待していなかったのですが、届いてビックリ。けっこうちゃんとしていて、見ごたえ抜群です。まさにダビンチ本人による解剖図を、詳細に見ることができます。






 物理学における「エーテル」概念の見直しなど、これまで当たり前と思っていたことが、実は意外と当たり前ではないということに気づき、医療の概念も含め大きく考えなおしていました。かのフリッチョフ・カプラによるダビンチの再認識の書籍を注文したところ、この「解剖手稿A」を見つけました。 

 現代という前提を置かずに、「身体」をみるとどのようになるのか。すべてが解決した「現代」という視点ではなく、結構なバイアスにまみれている「現代」と考えると、われわれは意外に不自由な視点を強要されているのではないか。かつてエーテルのように破棄された概念が、医学の分野にも数多くあるのではないか。

 混迷する医療の現状を見るとき、しばし考えさせられます。


tougouiryo at 2021年07月16日07:00|この記事のURLComments(0)

経絡内科の紹介

 経絡内科の記事の検索数が伸びていたので、追加コメントしたいと思います。そもそもは「統合医療」という概念が分かりにくいというのが、こうした名称模索の理由の一つ。加えて、現在の自分の診療内容の再確認という意味もあります。

 現在、大学で統合医療概論のオンライン講義真っ最中なのですが、そもそも、我が国では統合医療という言葉があまりにも「手垢にまみれた」用語になっているのも事実。ほぼほぼ代替医療の言い換えのような状況になっているわけです。そのために、いかにそうではないか、ということを講義しているわけです。またこうしてブログも書いているわけです。

 しかしそれでも実際、「統合」といわれてもピンと来ないと思いますので、なるべく分かり易い名称を、というので「経絡内科」としてみたわけです。当院の実態としては、この「経絡内科」に加えて、糖質制限を考慮した栄養指導と分子栄養学的なサプリメント運用による「栄養内科」、漢方や単味の生薬、さらには極少量の生薬利用ともいえるホメオパシーなどを用いる「漢方内科」(こちらは最近普通に標榜しているクリニックも増えてきましたね)といったところです。

 こうした中でも最も珍しく思われるのが「経絡内科」。通常の鍼灸を用いるだけではなく、刺絡療法、エコー下ハイドロリリース、腹部打鍼術や経別・奇経療法、さらには通電療法等々を組み合わせて行っています。この時の基礎概念としているのが、皮膚や筋肉を統括してのファッシア理論で、この辺りの概略は当ブログ内の「臨床ファッシア瘀血学」に展開しています。

 いわゆる腰痛・肩こりなど整形外科(内科)的疾患も扱いますが、内科的疾患に幅広く応用している点が特徴です。アトピー性皮膚炎や膠原病などの難治疾患や、悪性腫瘍の補助療法、さらには再発防止策の一環として、内臓疾患に適応している点で「内科」を称しています。

 様々な不定愁訴など、どの科に受診していいのかわからないという方も多い中、統合医療相談と合わせて、一つの選択肢を提示しています。




tougouiryo at 2021年07月15日09:10|この記事のURLComments(0)

お城へ To Go (名古屋城)

 天下普請の巨城、名古屋城(44・愛知)です。押印は平成21年9月14日ですが、以後も何度も行っております。ただ本丸御殿の復元が完成してからはまだ未訪問ですので、ぜひとも行ってみたいと思います。

 数々の天下普請の中でも、築城技最高峰を結集した築城の集大成ともいえる城で、天守は、作事奉行は小堀遠州、大工棟梁は方広寺大仏殿を建てた中井正清、大工頭は熱田神宮の宮大工で安土城天主をの建てた家系でもある岡部又右衛門、といった当時の最高峰が結集しています。
 五重五階、地下一階の天守に、二重二階、地下一階の小天守が続く連結式で、通常は渡櫓で連結するところを、土塀付きの橋台を用いて、防火区画を形成しているのです。
 また清正による当時最高峰の、堀底から20mに及ぶ高石垣の上にこの天守が聳えたつわけです。まさに壮大な石垣の城郭です。
 さらにすごいのは防御施設とし地下一階の天守入り口は、小さな枡形を形成し、二重構えになっています。天守内に入ってからさらに枡形なんて、ちょっとほかの城では考えられませんね。
 また名古屋城には当初、江戸城よりもはるかに大規模な総構が計画されていましたが、大阪城落城によりその必要性がなくなったため、工事は中止になったようです。

 そもそもこの名古屋という地は、今川の流れの那古野氏の領有した地からきたようです。現在の名古城二の丸に、今川氏が「柳の丸」を築城、そこを織田信秀が奪取し、那古野城と改称したのが始まりとされます。
 その後、信長に譲られており、徳川家康の人質の時期でもあるので、ここにいたこともあったのかもしれません。

 また今日の名古屋の発展は、この城から始まったもので、まさに「尾張名古屋は城でもつ」といわれる通りです。
 そもそもこのあたりで栄えていたのは清須だったのですが、それを無理やり強制的に「清須越し」として都市機能を移転してしまったのです。
 当時の記録で、この清須越しによりこれほど栄えている清須が、荒れ野のような那古野みたいになってしまうのか、のように書かれたものがあったようなのですが、まさに今、清須に行くと、その当時の人たちが予想もできなかった状態になっていることがよくわかります。きれいに逆転してしまったわけですね。

 それほどの名古屋城も、象徴であるシャチホコを戦災から守るための作業をしていた際、その作業用の足場に焼夷弾がひっかかり、建物自体に引火、2時間余りで天守は焼け落ちたといいます。なんとも皮肉な顛末です。
 この時シャチホコも焼けて、無残な金塊となったというのですから、当時の名古屋の人達の落ち込みは相当だったのではないでしょうか。





tougouiryo at 2021年07月10日05:00|この記事のURLComments(0)

サバイバルする皮膚

 本日、ジャングルカンファレンスです。靴調整の関連症例を皆さんで検討していく予定です。オンラインでの開催となりますので、ご希望の方はこちらへ!

 ファッシアを中心に「経絡」をかんがえ直しているのですが、皮部の検討をしている中で、「皮膚」について傳田先生の著作を読み直していましたら、アマゾンで新刊出ていたのでアップデート目的で購入しました。

 進化の視点から皮膚を見直し、かつての傳田先生の著作のまとめにもなっているので大変勉強になりました。なかでも、人間に毛が生えていない理由については、個人的には「アクア説」で納得していたのですが、更なる納得の説が展開されていて、よりスッキリしました。

 おそらくアクア説のようなことも関与したのでしょうが、何より、大脳の発達のために、いわばトレードオフ的に毛がなくなったというのが斬新でした。トレードオフといっても、機能がより発達したのでそうではないかもしれませんが、タコやコウイカなどの例示はなるほど納得です。

 従来、あまり顧みられることがなかったケラチノサイトについて、多くの意義を見出したことで、通常の皮膚科医のもつ皮膚イメージをはるかに凌駕した内容が展開されるのは痛快です。
 また、医師免許を有する人が「経絡」について話題にすると不愉快な顔になる、というくだりは納得で、「経絡内科」と命名したものの一抹の不安があるのはまさに傳田先生のご指摘通りだと思います。
 我々は、何を正統と信じ、何をインチキと感じるかは、まさに各人の無意識のうちに格納される知識に由来しているわけで、ケラチノサイトをただの皮膚表面と思っていれば、それが全身を反映するなんて「トンデモ」と分類してしまうわけですね。




tougouiryo at 2021年07月08日13:00|この記事のURLComments(0)

「経絡内科」の構想

 最近の診療を見直していると、特に「疼痛」に関してはハイドロリリース、慢性症状に関しては奇経を用いたイオンパンピングの割合が増えてきたように感じます。
 従来通りの瘀血症状に対する刺絡も、減ってはいないのですが、どうやら、「経絡」全体に対しての考え方の変化によって、技法の幅が広がってきたように感じています。(こうした変化があると不思議とそれを必要とする症状の患者さんの受診も増加したように思います)

 こうした事情を考え、現在の診療実態を思う時、ふと「経絡内科」という用語が浮かびました。まあ整形内科的に「ファッシア内科」あたりが、神経内科との対で適当なように当初考えたのですが、そうするとファッシアを巡る慢性疼痛に限定されるような感じがして、「経絡」の使用がやはり適当かな、といったところです。

 経絡内科の概念としては、いわゆる十二経絡のみではなく、それに付随する皮部、経筋、経別、さらには奇経すべてをひとつのシステムとして理解して全身の症状を扱う、というものです。具体的には、従来の鍼灸的な扱いに加えて、皮膚の特殊症状や皮膚科的症状に「皮部」、筋骨格系を中心とした整形的症状に「経筋」、いわゆる内科的な内臓症状に「経別」をあて、それらを接続する経絡をファッシアとして幅広く解釈するという感じです。
 いわゆる現代医学的病名が、それらのシステムのどこに病変をもたらすか、そしてそれらを治療法としてどのように活用するか、がこの「経絡内科」のキモとなるでしょう。まさにその複雑さからも「経絡」システムは、「神経内科」の神経に匹敵するものと言えるでしょう(というよりあきらかにそれよりも複雑ですが)。

 かつて刺絡やイオンパンピングなどの技法においては、医師の関与が重要な時代がありました。間中先生や工藤先生、浅見先生らの活躍です。また近年ではハイドロリリースにおいても、白石先生など近年の総合診療系の医師の活躍はいうまでもありません。こうした流れの中で、これらを統括する概念としても意義があるように思います。
 しばらくはこの概念を活用しながら、診療を再考していくことになりそうです。統合医療の実践としての具体的な展開をすこし考えてみました。


医家のための鍼術入門講座
間中 喜雄
鍬谷書店
1977-10-01


tougouiryo at 2021年07月06日06:32|この記事のURLComments(0)

統合医療、ジャングルカンファレンスへの誤解など

 先月から群馬大学での統合医療概論の講義が始まっています。昨今の事情から御多分に漏れず「オンライン」です。オンラインの良さも当然ありますが、やはり、教える側も教えられる側も、直接の応答が感じられないというのが、大きなハードルとして残ります。
 特に「統合医療」という、いわば医療業界におけるメジャーな話題ではないので、ネットで調べても見解・意見の一致が認めづらく、伝わりにくくなってしまいます。
 こうした中でも、第1回は統合医療とは何か、という基本的な問題を身近な例なども交えて解説しました。今週からは、第2回として伝統医療・代替医療の各論、第3回は代替医療の並立として多元的な意思決定の在り方から多職種連携への理解、第4回は「統合医療」を俯瞰的に多元主義とプラグマティズムからまとめています。
 学生さんにはなかなか難しい内容も入っているのですが、多職種連携や医療哲学の基盤を学習することも大きな目的ですので何とかついてきてもらいたいと願っております。

 こうした統合医療についての概論的知識というのは、とくに考えたことがなくても、いわゆる「統合医療」はできると思います。しかし、それだといずれ限界が来るのではないでしょうか。
 こうした総論的な事柄を、かつては幾人かの方々が展開していましたが、あまりに理想的過ぎて、当人ですら扱い難い状況となり、あまりお見かけすることもなくなりました。一時的な受けを狙っても、やはり絵に描いた餅となり空中分解してしまうようです。
 その点、この多元主義に基づいたモデルは、地味ではありますが現実的で、医療の実態にも即していると考えています。それに何より、ジャングルカンファレンスという現実モデルが、このオンライン主体の中でも稼働しているというのも大きいでしょう。

 また、ジャングルカンファレンスの本質が理解できない先生方の中には、数回の参加だけですべてを「見切った」ようなコメントをされる方も最近散見されますが、これもまた困ったものです。こうした方の多くは、いわゆる「折衷主義」と「多元主義」の相違が何度言っても理解できないようなのですが、ご本人は完璧に理解していると思っているふしがあります。ただの意見の横並びでは、そもそも「カンファレンス」ですらありません。意見の羅列による退屈な進行により、会が持続不能に陥る場合は例外なく「折衷主義」となっています。ここにも折衷と多元の、決定的な溝が存在しているのですね。
 持続可能な多元主義を少しづつでも、体感していこうと努めるのが、我々の求める「道場」としてジャングルカンファレンスなのです。そして、そのための努力や取り組みこそが、「統合医療」なのだということをあらためて確認したいと思います。




tougouiryo at 2021年07月04日17:22|この記事のURLComments(0)

お城へ To Go (松阪城)

 安土城を模したとされる松阪城(48・三重)です。押印は平成22年3月21日で、伊賀上野城訪問後にきました。せっかく来たので、牛肉を食べ、夕刻になり翌日の伊勢神宮参拝のために伊勢へと向かいました。
 ちなみに松阪という地名は、松という縁起の良い字に、当時の秀吉の本拠「大坂」をつけて「松坂」としたので、そもそもは「松坂」の記載だったようです。

 城を見学していると地元の方が話しかけてきたので、お話を聞いていると、この松阪は牛肉の町として知られているが、そうではない!とのこと。ここは「男と男の出会う街じゃ!」とのこと。伊勢と松坂の境界問題を決着した大岡忠相を、のちの徳川吉宗が知るところとなって見出した地だし、本居宣長が生涯に一度だけ師の賀茂真淵と出会った「松阪の一夜」の地でもあるからなのです。もう十年以上前のことなのですが、結構インパクトあったのでいまだに鮮明に記憶しております(笑)

 安土城築城に関わった蒲生氏郷が、その際の技術や知識を取り入れて自らの築城に活かしたといわれ、複雑な縄張り、豪壮な石垣が特徴といわれます。当時は、安土城に似た三重天守が建てられたといいますが詳細は不明です。その後、蒲生氏郷は、会津若松城へと移り、服部、古田時代を経て、松阪は紀州藩の直轄地となります。ここに吉宗と大岡越前の出会いがあるわけです。

 現在もそそり立つ石垣から、現在も住居して用いられる御城番長屋の武家屋敷が並び、雰囲気のある城下町です、城内には、本居宣長が亡くなる前まで住んでいた旧宅が移築されており、『古事記伝』を完成させたじっさいの場をみることができます。

 牛肉ともども、是非再訪したいお城です。ちなみに牛肉を購入して、こちらから自宅へと送ったのですが、良いお肉だったので、その牛の系図や生前の名前がかかれていたので食べるとき、ちょっと複雑でした。名前は「りんこ」ちゃんでした・・・

日本の城 改訂版 86号 (松坂城) [分冊百科]
デアゴスティーニ・ジャパン
2018-09-04














tougouiryo at 2021年07月03日05:00|この記事のURLComments(0)

個人差とは腸内環境の違いだという視点

 前回に引き続き、栄養学の歴史の勉強での気づき。

 江戸時代の飛脚が、ほとんどタンパク質を摂っていないにもかかわらず、ものすごいパワーとスピードを有していたという話。それを見た外国人が、肉を食べさせたらさらに強くなる、と考え、肉を与えたところ、かえって力が抜けてしまった、という落ちがついています。こうした話から、日本人には米食が最高なんだ、とか、自然食礼賛の話へと接続していきますが、そうした解釈だけで果たして良いのでしょうか。

 この流れから、いわゆる「自然食」はタンパク質軽視へとつながっていったのではなかろうか。いろいろと推測が広がりますが、ここで我々がもっとも考えなければいけないのは「多元主義」の立場ではないかと思うのです。こうした超人的な栄養のエピソードには、必ずその背後に「腸内細菌叢」をベースにした個人差が歴然として存在します。
 この差異こそが、野菜だけでも強靭な体力を維持することも、肉食だけでも健康的に生きることも可能にするわけです。

 特殊な食事法を採用する人に人は憧れをもつこともあります。しかし、それはしょせん自分の身体ではない他者の身体。同じ方法が適するかもしれませんが、適さないかも知れません。大脳での思慮が、腸管を主体とした身体を容易に変えることはないのです。
 そうしたことを思いながら「腸内細菌叢」について考えるのも一興ではないでしょうか。以下の本が専門的ですがしっかりとまとまっています!




tougouiryo at 2021年06月28日19:17|この記事のURLComments(0)

脚気をめぐって 日露戦争と漢方撲滅

 先日の基礎医学塾では栄養学の歴史を学びました。一冊の本でも、どこに惹かれるかは人それぞれ。参加者各人の性格や関心により、けっこう引っかかる場所がことなるのが印象的でした。

 その中でちょっとメモしておきたかったのは、脚気をめぐる問題。よくある話では陸軍・森鴎外と海軍・高木兼寛との対立で、麦飯を採用した高木の海軍は脚気にならず、伝染病説に固執した森の陸軍は戦死者よりも多くの犠牲者を出した、というもの。当時はビタミンBの存在がわからなかったしね〜、というのが通常のお話なのですが、どうもそう単純ではないようなのです。
 つまり、陸軍内でも結構、一部の識者においてはじつは麦飯が効果的だということは知れていたようなのです。しかし白米食に逆らうと左遷されるということもあり、そのまま日露戦争に突入したということです。

 この辺りは、漢方撲滅のながれともリンクしていてさらに興味深い話になります。一般には西洋医学VS漢方医学という対決「脚気戦争」において、西洋医学の優勢が認められ、漢方は効果なし、として撲滅されたと医学史的には語られます。が、この時西洋医学側となっているのが陸軍軍医で、この比較試験ではなんと麦飯を取り入れているのです。海軍との対立軸においては麦飯否定にもかかわらず、漢方との対立軸においてはまさかの麦飯派。あきらかに、当時、有効性を臨床的、直観的にはわかっていたということですよね。そして政治利用にまで応用できている…

 決まりきったことのようでも、丁寧に読み比べていくと意外なことが分かるものです。一つの事柄でも白黒のはっきりさせた理解の仕方ではなく、丁寧に詳細を見ていくことの重要性をあらためて感じました。
 なお、この漢方撲滅の真相は、寺澤先生の以下の書籍に基づきました。この辺りの詳細に興味ある方は必読です!今日の統合医療の在り方についても考えさせられます。


明治維新・漢方撲滅の実相
寺澤 捷年
あかし出版
2021-02-20



tougouiryo at 2021年06月27日19:35|この記事のURLComments(0)

お城へ To Go (伊賀上野城)

 築城の名手藤堂高虎による高石垣で有名な伊賀上野城(47・三重)です。押印は平成22年3月21日、天守閣にて押しました。統合医療の集まりで、伊勢神宮に集合するまえに大きく遠回りして訪問しました。前日、現在のジャングルカンファレンスにつながる、内輪での定期的な院内カンファレンスで遅くまで、飲んでいたので、二日酔いの状態で、ずいぶんと山深いローカルな近鉄伊賀線にのっての訪問でした。

 今治城で史上初の層塔型の五重天守を建造した藤堂高虎が、伊賀上野へ移動するにあたって今治の天守を解体し、ここへ移築しようと計画していました。
 ところが、その建材を大阪城下に移動したところで、家康より丹波亀山城の天下普請を命じられ、そのまま亀山城にしてしまったといわれています。
 そのため伊賀上野城は新築とすることになったのですが、その建築中に台風により倒壊してしまい、その建築は断念されてしまったという残念な城郭です。以後も、豊臣の脅威が去ったことから天守の必要がなくなったため建造されることなく現在に至るというわけです。

 ただし、高虎に命じられたのは、家康による豊臣包囲網の一環としての城郭ですので、西からの攻撃に対しての強い防御が意識され、天下一と称される高石垣などが建造されました。ちなみにこの城の前城主、筒井氏の時代は、こうした攻守が反転しており、つまり大坂城の出城的な役割として、むしろ大坂城を守る目的であったことから、その目的が逆転した城でもあります。現在も筒井古城として天守台が残っていますが、当然、高虎時代とは大きく場所が移動していることが分かります。

 江戸期には津藩として藤堂氏が継続し、明治に至ります。現在の天守は、地元の名士川崎克が私財を投じて建造したもので、三層三重です。
 高虎はこれよりも大きな五層五重にしようとしていたのですから、場所からしてもかなり豪勢な城を構想していたんですね。

 現在は伊賀上野は忍者博物館などもあり、忍者の町として売り出しているみたいです。ちなみに松尾芭蕉は、この上野のゆかりのじんぶつであることから忍者説があるわけです。まあ奥の細道を普通に考えても、何らかの密命を帯びている感じはしますけどね。









忍者学講義
三重大学国際忍者研究センター
中央公論新社
2020-02-07


tougouiryo at 2021年06月26日05:00|この記事のURLComments(0)

栄養学を拓いた巨人たち

 今週末の金曜日は久々の基礎医学塾です。今回は栄養学の番外編で、栄養学を作った人々を幅広く勉強していきます。
 カロリーの燃焼からはじまり、いわゆる分子栄養学を発展させた人たちまでを、概観していきます。テキストは以下のブルーバックスですので、参加希望者は読了しておいてください!




tougouiryo at 2021年06月22日07:00|この記事のURLComments(0)

解剖・生理学を学ぶ意義を考える

 本日は午前中に、統合医療学会のオンライン講義でした。前回同様に解剖生理学という基礎的な範囲を担当しているので、お世辞にも楽しい講義ではないのですが、何とか自分なりに「基礎医学」というものの統合医療における意味付けをはなしたつもりです。

 基礎医学の事柄を羅列していて感じるのは、意外と毎回、新たな発見があるということ。とりあえずは理解しているつもりなのですが、その時々で「腑に落ちる」ところが変化するのです。

 また、基礎医学的ないわゆる「正統」な部分を強く意識すると、それ以外のいわば「代替」や「補完」的な部分がより鮮明に浮かび上がってもきます。本日も、血管や神経のネットワークを強調して解説するほどに、線維性ネットワークである「ファッシア」の存在が強く意識されてくる感じがしました。

 統合医療の学習に基礎医学なんか必要ない、という意見の方もあるかもしれませんが、やはり「代替」だけに気が行くのは「はじめ」だけなような気がします。強烈な「正統」への意識があるからこそ、代替性も輝くのではないか、と改めて感じました。





 先日、紀伊國屋に行ったときにSobottaの解剖学アトラスの新版がでてたので、早速購入しました。
 学生の頃、緑のSobottaの日本語版をそろえ損ねて、第2巻しか持ってなかったので気になってはいました。往年のものとは少し雰囲気が変わり、教科書的な装いになっていましたが、イラストレーションは変わらず、やはり解剖アトラスはSobottaが一番きれいだと改めて感じました。アトラスも世代によって、好みが変わりますね。


tougouiryo at 2021年06月21日00:08|この記事のURLComments(0)

お城へ To Go (長篠城)

 まさかの飯田線が本丸を走り抜ける、断崖の長篠城(46・愛知)です。押印は平成24年3月19日、長篠城址史跡保存館にて押しました。飯田線の長篠駅から徒歩で訪問しましたが、その後、復元馬防柵のある設楽ヶ原古戦場もあわせていったので、電車の乗り継ぎや駅からの徒歩が長くなり、結構不便でしたので、車での訪問がおすすめです。

 菅沼元成による築城で、武田方についた菅沼氏から家康が攻めとり、徳川の武田への最前線基地の役割を担った城です。
 武田方からの籠城戦を耐え抜き、織田・徳川方を長篠の戦いの勝利へと導いた重要な城になります。二つの川の合流点である三角形断崖上に位置するため、崖側の南側は極めて強固なのですが、北東ががら空きのため、堀と土塁を配置して防御しています。
 現在は宅地化も進んでいるので、当時の様子がよくわからないの、こちら側大丈夫?といった感じなのですが、籠城を耐え抜いた城だけに当時は堅固だったのでしょう。
 ただし、長篠の合戦があまりに激しく、この城郭の損傷も激しかったため、この城は廃城となり、城主奥平氏は新城城を新たに築城し移ったといいます。

 この城で忘れてはならないのが、やはり鳥居強右衛門です。壮絶なその姿は史跡保存館に展示されています。
 武田に包囲された長篠城から、鳥居強右衛門は織田・徳川連合軍へ救援を要請するため脱出。無事その援軍要請の任を全うすると、その成果を伝えるべく再び城内へと帰還しようとするのですが、ここで捕獲されてしまいます。
 武田としては援軍が来ることが籠城内に伝われば、士気が鼓舞され、不利になるわけなので、強右衛門に援軍は来ないという虚偽の伝令をすれば命を助けると持ちかけます。
 しかし、武田によって城の前まで連れてこられた強右衛門は、「援軍到来」を叫んだため磔にされ殺害。近隣には強右衛門磔死之跡があります。これにより、さらに城内の士気は上がり、武田方は落城させることができないまま、設楽ヶ原の戦いへと向かうことになり、敗北します。

 このエピソードをみても、いかに士気の高さが籠城戦に影響するかがわかります。城の強さというと、縄張り的なものを求めるのが定番ではありますが、こうした関わる人物の動向、つまりは人の心情こそが城をめぐる戦闘の要であるということをあらためて気づかされますね。

 商業的にも、施設や建造物が新しく華やかであることが求められますが、そこに集う人たちが団結していなければ、やはりうまくいかないのは言うまでもありません。大規模な資本を投入した施設にもかかわらず、中身の薄いところって、確かにありますからね。





戦国ウォーク 長篠・設楽原の戦い
設楽原をまもる会
黎明書房
2014-08-01





tougouiryo at 2021年06月19日05:00|この記事のURLComments(0)

今週末は解剖・生理・栄養学の講習会です

 今週末は統合医療学会の認定講習会「解剖・生理・栄養学」です。題名からして、一年かかってもできそうもないものを、なんと90分で!という無理な企画です。

 2年前に一度、いわゆる対面講義でやったもののオンライン版です。内容が膨大なので、当然、詳細な解説はできません。ブルーバックスのテキストに基づいて問題を解いていくので、あらかじめの学習が必須となります。短時間に総復習をしたい、という方は是非とも受講してみてください(学会主催ですのですこしお高いですが)。なお、この講義は、認定協働師の取得に必須のものとなっていますので、認定取得を目指す方はとらざるを得ません。日曜朝に一気に、解剖・生理・栄養を学習しましょう!

 講習会の申し込みサイトはこちら!

 
 テキストはこちら!↓ ↓ ↓


  





tougouiryo at 2021年06月17日08:44|この記事のURLComments(0)

お城へ To Go (岡崎城)

 家康誕生の地、岡崎城(45・愛知)です。押印は平成23年11月18日、学会で名古屋に行ったついでに、名鉄にのって足を延ばしました。

 三河守護代の西郷頼嗣により築城され、その後、松平氏の攻撃を受け支配下となり、松平清康により城郭整備が行われ松平の本拠地となりました。その後「守山崩れ」により、清康が暗殺、息子の広忠になるも弱体化した時代に生誕したのが、竹千代、後の徳川家康です。しかし父、広忠も暗殺され、竹千代は6歳で織田家、8歳で今川家に人質として出されてしまいます。これに伴い、岡崎城も今川から城代が入ることになります。しかし、桶狭間の戦いの後に、徳川家康は今川から独立、以後、岡崎城を拠点とします。

 こうした苦難に満ちた家康の幼少期ですが、その後のサクセスストーリーから、この城には伝説が残されています。本丸内の龍城神社に家康誕生の際、黄色の龍が現れたといわれます。龍は岡崎城創建の際も現れ、守護神となることを約束したというから、よく龍が出現する城です、それゆえに別名、龍ヶ城!
 神君家康公誕生の城であることから、後付けの伝説なのか、この地の松平の苦境から「伝説」の一つも作らないとやってられなかったのか、不明ですが、まあそういうことなのでしょう。

 また城内には、家康の誕生にともなっての産湯の井戸や、胎盤を埋めた「えな塚」もあり、生誕した二の丸は誕生曲輪といわれるほどです。まあ家康生誕一本、といったところでしょうか。

 全体としては少し立て込んだ、ごちゃっとした城の印象です。内堀や青海掘りも、少しうっそうとした印象でした。
 しかしここの城代は江戸期においては、譜代大名の誉といわれ、いわば創業の地のような名誉な地だったことは間違いないのでしょう。近くには「三河武士のやかた」など見どころも豊富です。









tougouiryo at 2021年06月12日05:00|この記事のURLComments(0)

6月10日のジャングルカフェの課題図書

 本日はジャングルカフェです。最近は統合医療の在り方を、課題図書を読みながら議論しています。今回の課題図書は以下の2冊になります。
 オープンダイアローグについて、詳しく考えてから、「利他」の議論に移る予定です。「利他」の方は、分担執筆の形式ですので、一番興味深かった章を、感想とともに参加者に発表してもらおうと思います。








「利他」とは何か (集英社新書)
磯崎憲一郎
集英社
2021-03-26




tougouiryo at 2021年06月10日09:00|この記事のURLComments(0)

甲野善紀先生との「これからの教育実践ゼミ」第2弾のお知らせ

 先週末に開催されました「これからの教育実践ゼミ」第2弾のお知らせです。リアルの収録は終わったのですが、まだ視聴できますので、ご興味ある方はぜひどうぞ。

 今回は未だ収束しないコロナ禍の中で、自ら考えることの意義、そして生きるということについて甲野先生と突っ込んで対談させて頂きました。


 視聴サイトはこちら ⇒
 nothstore「これからの教育実践ゼミ」




tougouiryo at 2021年06月10日06:59|この記事のURLComments(0)

お城へ To Go (犬山城)

 現存最古といわれる国宝天守、犬山城(43・愛知)です。押印は平成23年11月19日、城郭内休憩所で押しました。名古屋から犬山線に乗って犬山遊園駅から徒歩でいけます。最古の天守については、丸岡城説が有力だったようですが、近年、慶長以降の築城とする説が有力になり、犬山城とするようです。また変わるかもしれませんが。

 荻生徂徠によって「白帝城」とも称された城で、直下を木曾川が流れるさまを長江と見立て、三国志の劉備玄徳終焉の地になぞらえた別名となっています。
 つまり縄張りとしては、城郭の北側が木曾川で守られ、南側は惣構により防御されていたようです。また二の丸を約70mの大手道が直線的に伸びるさまは、まさに安土城といってよい構造です。

 信長のおじ織田信康によって築城されたといわれ、数々の合戦の舞台となっています。その後、信長との対立により、信康の子信清が城を追われると、池田恒興が入城。その後も、紆余曲折あって秀吉政権下では、石川貞清が城主に、さらに徳川期になり最終的には尾張藩付家老、成瀬正成が城主となり、成瀬氏が幕末まで続くことになります。

 とにかくこの城郭のすばらしさは、天守からの眺望につきます。眼下の木曾川の流れに加え、晴れたら岐阜城、小牧山城、名護屋城までも見えるというくらい濃尾平野を一望できます。
 訪問時も、窓を開け放たれた天守は、気持ちの良い風が通過し絶好の眺望でした!
 ここに赤絨毯が敷かれていたのも、印象的で、後で調べてみると、7代城主がオランダ商館長から入手した貴重なものらしく、城主が最上階に上ることを前提にしてしかれていたらしいのです。
 つまりほとんどの天守最上階は上る前提でないことが少なくない中、城主が訪れる前提での最上階だったということがわかります。
 これほどの眺望ですから、やはり城主ですからみてみたいですよね。赤絨毯にそこまで意味があるとは、訪問時は分かりませんでした。

 ほんとに「これぞ天守!」という気持ちなれるお城です。天気の良い日にぜひ再訪したい名城です。











tougouiryo at 2021年06月05日05:00|この記事のURLComments(0)

お城へ To Go (掛川城)

 高知城に似た天守とされる掛川城(42・静岡)です。押印は平成22年5月22日、駿府城の前日に訪問しています。御殿の入り口で押しました。

 今川の重臣、朝比奈泰能によって築城され、豊臣政権下で山内一豊が大幅拡張を行ったとされます。一豊がその後、高知城天守の築城に際して、掛川城天守に倣って建造したと伝わることから、現在は高知城を参考にした三重天守で復興されています(日本初の木造復元天守)。

 朝比奈氏が最後まで今川に忠義を尽くしたことから、今川氏真は駿府館を捨てて、掛川城に逃げ込み、徳川の包囲にもかかわらず、半年以上の籠城を耐え抜きました。その後、開城し、山内一豊が入城。関ケ原の合戦の戦功により高知へ移っていきました(関ケ原序盤戦での一豊の出世物語ですね)。

 建造物としては、幕末期に地震で倒壊した本丸御殿のかわりに建てられた二の丸御殿が現存(全国でも4か所のみ)しており、国重要文化財となっています。
 前述した天守に加え、さらには大手門も復元されています。天守丸には、今川氏真が立てこもった際に、井戸から霧が立ちこめ城を覆い隠したと伝わる霧吹井戸もあります(よくある伝説ではありますが)。

 この掛川城は、新幹線からみえる城としても有名で、駅からのアクセスも非常にいいです(徒歩7分くらい)。お茶の産地掛川ですので、掛川茶も買って帰れます。


日本の城 改訂版 52号 (掛川城) [分冊百科]
デアゴスティーニ・ジャパン
2018-01-09










tougouiryo at 2021年05月29日05:00|この記事のURLComments(0)

お城へ To Go (駿府城)

 徳川家康隠居の城、駿府城(41・静岡)です。押印は平成22年5月23日、東御門の券売所でした。駿府城に向けて歩いていると、山岡鉄舟が、勝海舟の命を受けて新政府軍と遭遇した場所を通過したのを覚えています。「鉄舟。ここでまにあったんあだなぁ」と思ったものでした。

 駿府城は、かつては六重七階の天守が聳えていたといわれ、現在も大きな巽櫓と東御門が復元され、その威容が偲ばれます。
 高麗門と櫓門を合わせた枡形は、その絶対的な防衛力の高さから威圧感もハンパないです。中に入ると、現在は駿府城公園になっているので、のんびりとした広場が広がるのですが、かつてはこの中心部に六重の天守があったというのですから、相当な迫力だったのでしょう。
 本丸堀や二の丸水路なども見ることができます。

 家康としては相当の思い入れのある城郭で、今川の人質時代に12年間住んだ、心情的に複雑な土地でもあります。それゆえに自分が領有することになった際、この地に築城し、浜松から本拠を移しているわけです。
 かつて人質だった身から、領主になって戻ったということを実感したかったのでしょうね。共感できます。
 しかし、秀吉の小田原平定後、江戸へ移されてしまいます。その後、秀忠に将軍職を譲り大御所となってから、再度、隠居城として天下普請での大改修を行って戻ります。
 ここに戻ることで「故郷に錦を飾る」的な誇らしさがあったのでしょうね(見返してやったぜ、みたいな)。その後江戸幕府は、江戸と駿府の二元政治が布かれることになります。そして家康は、この駿府城で没します(本当にタイの天ぷらだったのでしょうか?)。

 その後は3代将軍家光の因縁の弟、駿河大納言忠長が入城するも、家光により乱心の嫌疑をかけられ、秀忠没後、高崎に移送され、かの地で自刃に追い込まれます(高崎で飲んだ時はわざとこの墓所の前を通過したりします)。その後、天領となりますが、火災でほとんどの建造物が焼失、再建されませんでした。

 時代は下って、幕末期には、江戸へ向かって進軍する新政府軍、西郷隆盛と会見すべく、山岡鉄舟が江戸からここで新政府軍と遭遇した地でもあります。歴史的に極めて重要な土地なわけです。

 静岡駅からのアクセスも徒歩10分ほどと良いので、初診の方は是非訪れたい名城です。


大御所徳川家康と駿府城公園
田中 省三
羽衣出版
2012-11-01










tougouiryo at 2021年05月22日05:00|この記事のURLComments(0)

6月の予定 甲野先生とのウェビナーなど

 甲野先生とのウェビナー「これからの教育実践ゼミ」の第2弾が予定されています。まだ告知されていないようですが、6月6日(日曜)の予定です。前回お聞きいただいた方も、そうでない方も、ご興味ある方は是非どうぞ!

 甲野先生との武術から医学に関して、はたまたそれ以外のテーマについて、雑多に語っていく内容ですが、前回はなかなか好評だったようですので、2回目が企画されたというわけです。





 
 また、6月はジャングルカフェの月です。「利他とは何か」を課題として、ジャングルカンファレンスとオープンダイアローグの本質について、会話をしたいと思います。


tougouiryo at 2021年05月17日23:07|この記事のURLComments(0)

お城へ To Go (岐阜城)

 今回は岐阜城(39・岐阜)です。押印は平成24年3月19日、岐阜城資料館の入口にて押しました。

 アクセスが良く、岐阜に用事があるたびに行ったので、これまで3度ほど訪問しています。金華山(稲葉山)の山頂に聳え立つ城なので、ロープウェイで3分ほどあがると、天守からは城下町が一望でき、とても眺望の良い城です。
 ロープウェイ乗り場の横に山麓の居館跡があり、山頂の天守と合わせて中世の山城的な形態となっております。この城はロープウェイで急な斜面を上がるので、さぞや難攻不落の城かと思いきや、七度の落城という、結構な落城数を誇っています(攻めた奴がすごいのか?意外と攻めやすいのか?)。ただ高いところにあればよいというわけでは良いで例ではあります。
 ただ長良川から見上げる天守は当時のものではありませんが、その威容はさすが信長の城といった感じです。ここから信長は、天下統一を目指すようになったと言われています。

 桶狭間にて今川義元をうった信長は、美濃侵攻を開始、斎藤龍興と敵対し稲葉山城の戦いとなりました。この際、信長軍はなかなかに苦戦し、砦を建造しながらじわじわと攻略していくのですが、ここで登場するのが秀吉の墨俣一夜城です。
 川並衆の助けを借り、短期間で城郭を建造し、以後の美濃攻めの拠点となりました。その後いわゆる西美濃三人衆を内応させ美濃を攻略、一日で稲葉山城を落城させたといわれます(諸説あり)。(西股先生の『戦国の軍隊』でも、戦国の城は一日で落とすことを目的とすると書いてあるのですが、そのいい例でもあるのかもしれません)

 かつてジャングルカンファレンスを名古屋で開催した時、前日に岐阜に入り、屋形船から鵜飼いを見学したことがあります。ジャングルカンファレンス草創期の楽しい思い出です。なかなか屋形船というご時世ではありませんが、そのうちまた鵜飼いはみてみたいものです。思えば名古屋のジャングルカンファレンスからずいぶんと時間が経過したもんですね〜






日本の城 78号 (岐阜城) [分冊百科]
デアゴスティーニ・ジャパン
2014-07-08






tougouiryo at 2021年05月15日07:00|この記事のURLComments(0)

感じるオープンダイアローグ

 昨日はジャングルカンファレンスでした。骨盤底筋と尿漏れの症例と、買い物依存とネグレクトの症例など幅広く議論が展開されました。
 今回から占星術のセラピストも加わり、さらに広い視点からの「対話」となりました。

 統合医療の在り方のみならず、コロナ対応も含めて、様々な視点が、ともすれば対立して論じられることもありますが、こうした時にこそ「多元主義」をベースとした対話の必要性を感じました。
 ジャングルカンファレンス内で紹介したオープンダイアローグの新書をあらためてこちらにもメモしておきます。
 ご興味ある方はどうぞ!





tougouiryo at 2021年05月14日23:53|この記事のURLComments(0)

本日、ジャングルカンファレンスです!

 本日のジャングルカンファレンスはオンラインでの開催となります。自宅に居ながら、オンラインで統合医療を体感しましょう!





 




本日のカンファレンス お申込みはこちら!
tougouiryo at 2021年05月13日09:10|この記事のURLComments(0)

統合医療とホメオパシーについて考えたこと

 対談の場で、統合医療について久しぶりに質問されたので、あらためて「統合医療とは何か?」を考えてみました。

 統合医療については、マスコミによく出演される先生方のいう統合医療観が行き渡っているので、なかなか理想的で、高邁な理論が語られますが、私はあまりそうした流れに与していません。
 安易なスピリチュアルとの融合もその一つです。ただし、これはスピリチュアルと融合が良くないと言っているわけではありません。あくまでも統合医療という意味合いには、もっと基盤となるものがあるのではないかと考えています。

 つまり現代(西洋)医療と、それ以外の医療(代替医療でも伝統医療でも、何でも)との関係性です。具体的には、ケースによってどちらを選ぶのがベストか、具体的にどのように統合するのか、自分の考えに合うのはどれか、というような問題に対処していくことだと思います。
 究極の二者の選択ではなく、どのように「折り合い」をつけていくか、ということです。

 そのためには、それらの構成要素である幾多のセラピーとの良好な関係が基礎にはあるべきでしょう。こうした、多元的なマインドをゆうするということが一番の「統合医療」実現の要だと思うのです。





 ホメオパシーに関しても、現在あまりにスピリチュアルに偏した解釈ばかりになってきている面が少し気になります。スギ花粉症のアイゾパシーをはじめ、それほどスピリチュアルな面を意識しないでも、十分効果を発揮できるシステムだと思います。
 漢方における過度の理論化と同様に、古典(漢方でいえば傷寒論)への回帰がこの医学への新たな息吹を吹き込むことにつながるのではないかと考えています。原点としてのハーネマンの(初期の)思想に返ることの重要性を感じます。こうした問題についてはまた改めて…。

tougouiryo at 2021年05月09日19:52|この記事のURLComments(0)

6月20日、日本統合医療学会の認定セミナーのお知らせ

 本年度も日本統合医療学会の認定セミナーの解剖生理学を担当することになりました。2021年6月20日、オンラインでの開催になります。
 ブルーバックスの『新しい人体の教科書』を用いて、問題形式で解剖生理の全体像をなんと90分で解説します!

 受講ご希望の方は、日本統合医療学会HPからお申し込みください(なお本講座は学会の認定協働師取得を目的としたセミナーですのでご了承ください)







tougouiryo at 2021年05月09日07:00|この記事のURLComments(0)

お城へ To Go (岩村城)

 日本三大山城の一つ、岩村城(38・岐阜)です。押印は平成27411日、歴史資料館にて押しました。

 太鼓櫓の見える、復元藩主邸に駐車して、藤坂を一の門へ向けて登ります。追手門を越えると竜神の井、つづいて霧ケ井となります。
 この井戸は伝説の井戸で、別名である霧ケ城の由来ともなりました。ここに蛇骨を入れると霧が湧き出して城を包み込み敵から見えなくなったというものです。
 同様の伝説は、ほかにも掛川城(霧吹井戸)にもありますね。

 そこからさらに行くと六段壁といわれる本丸六段の石垣になります。岩村城の象徴的な石垣です。全体的によく整備されて見やすい山城です。
 また、悲劇の女城主の城として神秘的な雰囲気も醸し出しています。織田信長の叔母にあたる「おつやの方(所説あり)」は、夫である城主遠山景任亡き後、女城主になったとされます。ここに秋山信友が岩村城を攻撃しますが、攻防のさなか、この女城主に結婚を申し込み、女城主もこれを受け入れ開城してしまいます。これに対して信長は激怒、信忠を総大将として大軍を派遣し、岩村城を奪還、女城主らを処刑してしまうというお話です。

 武田、織田のはざまに揺れた当時の政情がみてとれるエピソードですね。





日本の城 80号 (岩村城) [分冊百科]
デアゴスティーニ・ジャパン
2014-07-22







tougouiryo at 2021年05月08日05:00|この記事のURLComments(0)

「縮退」の参考図書

 最近、対談をいくつかしているので「縮退」について改めて再考しております。物理現象、経済現象の説明理論として生み出された概念ですが、身体、そして医療システムについての考えを深める際にも、非常に有益なものです。
 長沼伸一郎先生発案の概念ですので、以下の書籍のともに最終章が、その基本的な解説になります。特に私は「冷え」や「ファッシア」についての説明の時に縮退概念が有益に感じます。また、折衷から多元への理論的な説明は、縮退によってさらに明確になると考えます。


現代経済学の直観的方法
長沼伸一郎
講談社
2020-04-08






tougouiryo at 2021年05月06日07:00|この記事のURLComments(0)

5月5日 林真一郎先生との対談

 リボンのメンバーの植物療法セラピスト・ミムラヒロコさんのサロン・テノヒラが星川駅前に新装オープンすることに伴い、私と林真一郎先生との対談が企画されました。
 統合医療について、ハーブや漢方について、色々な話題で対談する予定です。ご興味ある方は、ぜひご視聴ください。

 お申し込みはこちらまで!

 林真一郎先生は言わずと知れたハーブの大御所です!が、ハーブに限らず、ホリスティック医学協会など統合医療・代替医療全般の領域で活躍され、統合医療学会の折には「麻」に関して勉強させて頂き感銘を受けました。今回もいろいろな話題を対談できそうですので楽しみです!


臨床で活かせる アロマ&ハーブ療法
林 真一郎
南山堂
2015-06-16




tougouiryo at 2021年05月02日06:00|この記事のURLComments(0)

お城へ To Go (一乗谷城)

 越前朝倉の本拠地、一乗谷城(37・福井)です。押印は平成231022日で復元街並みの入り口で押しました。
 初めての訪問時は、ソフトバンクのコマーシャルが放映されていた時期でもあったので、結構話題になっておりたくさんの人がいました。復元後間もなかったこともあるのでしょうが、いまだになぜソフトバンクのお父さん犬で一乗谷が取り上げられたのか謎です。
 その後、北陸の城巡りの際に再訪しているのですが、そのころはすいていて、ゆっくりと見学できました。またエリア内にはおしゃれな店もいくつかできていて、復元街並みを歩くと、ちょっとしたタイムスリップしたような不思議な感覚になれるエリアです。

 また近在の「一乗滝」は佐々木小次郎の「燕返し」開眼の地としても有名です。飛んでる燕を切り落とす、巌流島のあの必殺技です。訪問時は残念ながら燕は飛んでおりませんでした。

 一乗谷は上城戸と下城戸に挟まれた谷合のエリアで、そこを貫く一乗谷川の両岸に武家屋敷や町屋、寺院が点在し、その北側を足羽川に面しています。
 谷合の町並みを見下ろす形で、一乗城山に詰めの城として一乗城が築かれています。

 千畳敷に、一の丸、二の丸、三の丸と連郭式になっているようなのですが、山城部は未訪問です。資料館の方にもあそこはいかない方がいい、と諭され素直に従いました。ちなみに友人がこの山城を攻略した際に、カラスなどの鳥に襲撃されたようですのでやめておいてよかったです。

 朝倉館の御殿跡などは、現在ではとてもきれいに整備されており、主殿から登り、中の御殿、諏訪館と平行に横に移動できます。
 途中に湯殿跡庭園があり、かつては豪華な庭園だった様子が想像できます。この庭園は、大河ドラマでもユースケ・サンタマリア演じる朝倉義景のシーンでよく出てきていました。ここかあ、という感じで大河観れました。


戦国朝倉: 史跡からのリポート
吉川博和
DoCompany出版(BoBoBooks)
2013-08-06



朝倉氏と戦国村一乗谷 (読みなおす日本史)
信之, 松原
吉川弘文館
2017-01-20







tougouiryo at 2021年05月01日05:00|この記事のURLComments(0)

臨床ファッシア瘀血学(12)縮退・作用マトリックスとの関係

 久々に縮退や三体問題について、長沼先生の直観的理論を復習していたところ、ファッシア瘀血との意外な関連が見えてきたのでメモしておこうと思います。






 まずは物理数学の直観的方法「やや長めの後記」(旧11章)のまとめから。長沼先生の論理展開を追っていきましょう。

 本章では、三体問題の紹介と不思議から、社会における職業集団の相互関係をマトリックスを用いて解説していきます。こうした日常的な事柄は、(ハーモニックコスモス的な)太陽系の惑星の運動とは違い予測不能になること。そしてそこから、これまでの分析的な方法論への根本的な懐疑を述べ、部分の総和が全体には一致しないことを行列計算から証明していきます。

 そしてこの行列を用いた計算が、特殊な条件下では解くことが出来るが、一般的には困難であり、ひいてはいわゆる「非可算」となることを説明していきます。
 それによりいままで、自明のように考えられていた基盤となる前提条件は、実は特殊条件であったことを述べ、近代医学においても同様であることに言及していきます。(この辺りが、かつて東洋医学の数学的基盤として大いに長沼理論に惹きつけられたところでもあります)

 こうした例を挙げる中で、他の要素との「相互関係」の重要性を示し、作用マトリックスとして解説していきます。そしてこの作用マトリックスの内部での状態が、理想的である状態は、実は確率的にきわめて低く、偏在したいわば「寡占」の状態が確率的に生じやすくなることを示します。これが「縮退」という現象である、というわけです。
 つまり、巧妙な相互作用は確率的に駆逐され、次第に狭まった系へと縮退してしまうのです。(詳細は「物理数学の直観的方法」を参照してください。ここでの記載を「あらすじ」として読まれることをお勧めします)

 ここから当然、縮退の持つ問題点などいろいろと展開できるのですが、そこは置いておいて、我々の思考において「縮退」をどのように避ければよいか、という解説の流れになります。そのためのキーワードが、エルンスト・マッハによる「思考経済」です。複数の超専門家の総和ではなく、一個人の中で複数学問をコンパクトに格納させ相互作用を生じさせる、とでもいえるでしょうか。これこそがある種、多様性を担保することの最終目的とでもいえることなのではないか、と私自身は理解しています。


 以上が「やや長めの後記」の概略です。このGW中に甲野先生(本日ウェビナー開催予定です)やハーブの林真一郎先生との対談が予定されているので、自分なりの内容整理でした。

 ここで(やっと)ファッシア瘀血との関連です。作用マトリックスおける相互作用の演算子部分が「ゼロ」であれば、臓器などの相互作用が消え、部分の総和が全体と一致するのですが、ファッシアはこの相互作用を強く引き起こすことが、その重要な意義となります。
 つまり、この相互作用こそがファッシアの意義の本質に近いことになります。(当然「正統な」方々は、ファッシアを演算子としてではなく要素還元して「一臓器」としてしまうのでしょうが)

 では「瘀血」はどのように記載されるでしょうか。それは相互作用を(運動面において)制限、阻害するという点を考慮すると、まさに演算子の「ゼロ」成分と考えれます。これにより作用マトリックスにおける多くの迂回ルートが遮断され(つまり実際の運動制限が行われ)結果として、身体における「縮退」が加速していくということです。刺絡やハイドロリリースなどの治療的アプローチは、まさにこのゼロ成分をなくして、相互作用を復活しようとする介入と考えることができます。(この場合、刺絡などは瘀血やファッシア重積などを解除し、通常の鍼灸は電気的な偏在を解消することが予測されます)つまりファッシア瘀血は、作用マトリックスのゼロ成分として、系全体を「縮退」へと加速させると考えることが出来るわけです。

 他にもこの作用マトリックス理論は、ファッシア瘀血の解釈に展開できるところが多々ありますが、本日はとりあえずここまでにしておきます。結論としては、縮退とファッシア瘀血の概念は、密接に関係しているということです。

tougouiryo at 2021年04月29日06:48|この記事のURLComments(0)

お城へ To Go (丸岡城)

 日本最古といわれる現存二重天守の丸岡城(36・福井)です。押印は平成231022日で、一筆啓上茶屋にて押しました。

 ここ丸岡城は「一筆啓上」の簡略な手紙で有名で、たくさんの公募の「一筆啓上」が貼られていました。ちなみにその由来は、本多重次の妻への手紙「一筆啓上火の用心、お仙泣かすな、馬肥やせ」です。

 丸岡城は越前北庄城の支城として、柴田勝家の甥、勝豊によって築城されましたが、清須会議の結果、早々に長浜城へと移されてしまいます。
 その後は、福井藩として結城秀康が入ったのちは家臣が入城し支城として機能していきますが、本多成重により、福井藩から丸岡藩として独立していくことになります。

 ちなみに本城とされる北ノ庄城が現存していないうえ(福井城となってしまいますが)、小さな柴田神社の中に城址の碑があるのみでその迫力が伝わらないので、丸岡城が支城であるという感じもちょっとぴんときません。
 この城は、北国らしい朴訥な建築で、寒暖差の激しい北陸で破損を防ぐために用いられたといわれる、青みがかった「石瓦」が特徴とされます。北国の最古の城を感じることができます。


日本の城 61号 (丸岡城) [分冊百科]
デアゴスティーニ・ジャパン
2014-03-11







tougouiryo at 2021年04月24日05:00|この記事のURLComments(0)

4月23日㈮ 基礎医学塾申し込みフォーム

 今週金曜日の基礎医学塾、『代謝がわかれば身体がわかる』の最終回になります。エネルギー代謝の全体像を、消化・吸収からまとめてみます。全体像を意識しながら読み進めてください。











申し込みフォームはこちら ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 


2021年度第3回基礎医学塾@zoom講座

2021年4月23日(金)
18:30〜20:30
(※質疑応答を含み、20:30まで)
参加費・・・2000円

【参加申し込みフォーム】は
↓↓↓こちらから

https://forms.gle/jZ2SQbgwAMS5psx78


tougouiryo at 2021年04月19日11:43|この記事のURLComments(0)

お城へ To Go (金沢城)

 言わずと知れた加賀百万石の大城郭、金沢城(35・石川)です。押印は平成231024日で、七尾城の翌日に訪問しました。

 金沢というと「兼六園」が普通最初に思いつきそうですが、兼六園自体はこの金沢城の付随的な庭園という位置になります。もっというと有事の際の「出丸」的な機能を庭園は有しており、水戸の偕楽園なども同様の目的と考えてよいでしょう。

 金沢城は加賀一向一揆の本拠、金沢御堂の跡に築城されたといわれ、大阪城と似た来歴を持ちます。こうしてみると当時の一向一揆の勢力の大きさを感じます。一向一揆制圧後、佐久間盛政が尾山城として整備したのち、前田利家が入城。この際、高山右近を招いて大改修を行ったとされます(こうしたエピソードから高岡城も高山右近縄張り説があるのかもしれません)。これにより加賀前田の居城として、明治維新まで継続します。

 金沢城としては、現存する櫓などはわずかしかないのですが、近年再建がすすみ、かなり豪華な当時のたたずまいを取り戻しつつあります。
 五十軒長屋や菱櫓、河北門など、その再建の様子も併せて必見です。金沢の雰囲気と相まって、本当に美しい城郭だと思います。

 通常、金沢城見学は三の丸、二の丸がメインになるのでしょうが、個人的には三十軒長屋を経て入る本丸の鬱蒼とした森の雰囲気が好きです。そもそもは重要拠点だったにもかかわらず、置いて行かれたようになって、二の丸や兼六園の華やかな感じと対照的に、なんとも枯れている感じが良いです。

 金沢はこの城に限らず、見所たっぷりですが、近江町市場やひがし茶屋街だけでなく、ぜひともおすすめなのが、忍者寺として知られる妙立寺。3代藩主利常が寺院群に対して司令部的な役割をもたせるために、城の付近から移籍建立したと伝えられる寺院ですが、その建築構造の複雑さから「忍者寺」と称されるようです。
 落とし穴や隠し部屋、秘密の抜け口などまさに忍者のからくり的なしかけが豊富なのですが、私にはどこかふざけているような、大人の遊びのように感じられました。これは悪い意味ではなく、栗本慎一郎先生も、大人の秘密クラブ的なところだと著書で記しています。ご興味ある方はぜひご自分の目で確認してみてください。
 茶屋街など、少し陰のある華やかさ、という独特の雰囲気を醸し出すエリアだと思います。






前田利家・利長 (中世から近世へ)
大西 泰正
平凡社
2020-09-15


 


tougouiryo at 2021年04月17日05:00|この記事のURLComments(0)

甲野先生とのウェビナー「これからの教育実践ゼミ」

 以前、少しご紹介した甲野先生とのウェビナーのご案内が出来たようですので、あらためてご紹介します。
 「脳と腸」「縮退」「ファッシア」などのテーマについて、甲野先生と対談する内容です。これからの教育について考えていくシリーズのようですが、甲野先生からは「縮退」について話してくださいと言われております(笑)

 ご紹介とお申込みはこちら






 また、今週木曜日は「ジャングルカフェ」です。こちらはミヒャエル・エンデ「モモ」を題材に統合医療を考えてみたいと思います。「モモ」は、ジャングルカフェそのものなのです!

  ジャングルカンファレンスとジャングルカフェの参加申し込みはこちら!


モモ (岩波少年文庫)
大島 かおり
岩波書店
2017-07-20


tougouiryo at 2021年04月13日21:55|この記事のURLComments(0)

お城へ To Go (七尾城)

 上杉謙信を撤退させた山城、七尾城(34・石川)です。押印は平成231023日、七尾城史資料館にて押しました。

 ここはいろいろと思い出のある和倉温泉の近くで、かつて大学院生の時に医局旅行できた地なので、感慨深い再訪とともに、こんな立派な山城があったのかと、感動したものでした。

 ふもとの資料館から途中まで車で上がり、本丸へ向かいました。ここは本丸からの眺めが絶景で、眼下に七尾湾、能登島が一望でき、ふもとの様子もよく見えます。籠城する畠山軍からすると、さぞや上杉軍の動きがよく見えたことは想像できます。
 こうした立地の良さも相まって、難攻不落の城として今日まで語られるわけです。

 足利義昭による織田包囲網の一環として、一向一揆と和睦した謙信は、織田軍に対抗するため、能登制圧のため七尾城を攻略しました。
 対する七尾城側は、4歳の春王丸を当主に家臣団が実権を握っている状態で、信長に与して謙信に対抗する方針をとっていました。

 こうして開始した第1次七尾城の戦いは、上杉軍が攻めあぐね、ついには春日山城へと帰陣していったため、籠城成功となりました。
 この後、上杉軍は再度出陣し第2次七尾城の戦いとなります。この際も守りは固く、上杉軍が攻めあぐねるのですが、城内に突然の伝染病が蔓延、春王丸が5歳で亡くなってしまいます。(伝染病により歴史が動いた一例ですね)
 また城内の兵士も相当数が感染したと伝えられます。これにより士気は落ち弱体化し、さらには重臣らの対立を利用した内応工作が成功し、開城します。(感染症による混乱もあったことでしょう)
 つまり軍神、謙信をもってしても純粋に戦闘では落とせなかったわけで、これが難攻不落と称されるわけです。

 和倉温泉は、沸く浦とも称されるように海中から温泉が湧いているところで、海を眺めながら温泉につかれる絶好の地です。温泉も塩味がつよい泉質です。

 城郭に興味がなくても、この七尾城からの絶景は、温泉と合わせておすすめの観光スポットです。


七尾城と小丸山城―史料年表能登の中世戦国史
坂下 喜久次
北国新聞社出版局
2005-09T


和倉温泉のれきし
田川 捷一
能登印刷・出版部
1992-01T





tougouiryo at 2021年04月10日05:00|この記事のURLComments(0)