医療の多様性

「統合医療」もしくは「医療の多様性」ということ

「武術と医術」を通して統合医療という言葉を初めて知ったという方も多く、この出版を機にいくつかのご質問を頂いた。また何を今さら統合医療というようなきわめて進歩的なご意見も頂いた。

統合医療については拙著「統合医療の考え方活かし方」において私の実践する統合医療の姿を紹介させて頂いたが、今日改めて一般向けの対談という形の出版をしたことで、統合医療というものの本来の意義のようなものを考え直す機会となったので、ここに少しまとめてみたいと思う。

まず第一に言えることは統合医療とは医療における多様性の提案であるということである。これに関してはすでに開かれた科学を基礎とした医学は多様性を備えている、というような反論が予想されるが、いわゆる「科学」とされる領域は人によって意味するところは様々であり、往々にしてこの分野においては、特に狭い範囲に限定されがちである。しかしそこには「未科学」とされるものから「非科学」と呼ばれるものまで含めた多様性のある言葉でもある。

 

第二はこうした多様性と直面した際のリテラシーの問題である。詐欺まがいの健康食品をめぐる事件やホメオパシーに関連したビタミンK不投与の事件など現実社会における具体的対応について、どのようにするかという問題といってもいいだろう。

 

次に部分の集合は全体とは一致しないということを基礎にした、いわば全体性の希求である。これに関しては安易に語られることが少なくないが、そうしたあやふやな議論に終始することなく、「縮退」というコトバを一つのキーワードとしてそこに陥らぬように、どのようにすればよいか、ということを具体的に考えていくという方針が重要であろう。

また逆に部分の集合が全体であるとしてほぼ問題ない領域の存在も認識し、第二の問題点への一つの指針を示すことも大切である。

 

またこうした考えの根本として、やや相対主義的な考えが要求されるが、これに対しては医療の非線形性の理解に加え、主観と客観の絶対性を考え直す、主‐客問題への視点も不可欠となろう。

つまり統合医療は従来の医療のかたちに対して‖人誉、∩澗寮、H鸚形性を提示するものであるべき、というのが私の考えである。

よってある特定の代替医療の押し進めは、むしろ逆行であるし、過度の専門性の主張も

基本的には相容れない。(全体性を理解した上での適度な専門性を否定するものではない)そして線形的理解のみを押しすすめる流れにも与すべきではない(これも局面的に限界を理解した上での利用であれば問題ないといえる)

 

そしてこれらは「統合医療」という立場からのみ発せられるものではない。現にそれ以外の分野における発言の方が多いようにも感じられる。

しかし、私の理解するところでは、統合医療という分野には、それらを潜在的に提示するという姿勢があるように思う。

だから今回、「武術と医術」において統合医療というものを紹介するにあたり、自らの主張は統合医療というよりむしろ、医療におけるこの3点の重要性の提案ということであった、ということにあらためて気づいた次第である。


tougouiryo at 2013年07月06日07:00|この記事のURLComments(0)