医療の多様性

ティール組織としてのJIMC

 現在、日本統合医療センター(JIMC)のホームページの改訂が進行中です。JIMCとは、当院(小池統合医療クリニック)と、併設されている身心工房リボン(心身の癒し・施術部門)との総称としての呼称となっています。
 当院も含めて、従来の病院・クリニックを念頭に置くと解りにくいかと思うのですが、それこそが、これまでの医療の施設の問題点を改善しようとする全く新しい試みであることが原因といっても良いでしょう。類例の少ないものはわかりにくい、理解しにくいというものです。人が類似例から、物事の多くを理解することを考えれば当然といえば当然です。
 そのために、分かり易いように説明文を書くことも必要ですし、加えて、メンバー間も改めて自らの組織の意味するところを理解する必要もあるわけです。そうした考察をする中で、新しい組織論について少し目を通してみました。

 かなり話題になった書籍でもあるので、ご存知の方も多いかとは思いますが、2014年に原著が出版され、2018年に邦訳された『ティール組織』です。『万物の歴史』などで知られるケン・ウィルバーの「インテグラル理論」を基盤として、組織の在り方を歴史的に(もしくは発達心理学的に)5つの段階に分析し、それぞれの特徴を解説しながら、第5段階の「ティール」の意義を解き明かし、これからの組織の在り方の可能性を示していくといった内容といえるでしょう。何せ原著がなかなかの大著なので、読破できていないのですが、解説書や周辺書籍からの理解で考察しています。



 同書では、組織を以下の5つに分類しています。
レッド(衝動型)組織
アンバー(順応型)組織
オレンジ(達成型)組織
グリーン(多元型)組織
ティール(進化型)組織


 これらの分類は基本的に優劣ではなく、それぞれの特徴として捉えるのが良いのでしょうが、進化という言葉が使われていることもあり、どうして最終形に達せなければいけないかのような印象もあります。個人的には、各々の利点や適性もあるので、一概に階層的な捉え方をしない方が、応用範囲が広がるように感じます。

 荒っぽい分類を医療に置き換えてみると(個人的かつ恣意的ではありますが)、旧来の医療のイメージ(実際はどうだったかは抜きにして)がレッド、大学病院など旧来の組織的な医療制度をベースにしたものがアンバー、医療連携などを意識した新しい病院システムがオレンジといったところでしょうか。多元性を重んじるというのは医療現場として実際には困難ですが、新しい統合医療のイメージ(多元的統合医療)に基づいた「ジャングルカンファレンス」はグリーンになりそうだと思いながら読んでいました。グリーンの抱える問題は意思決定の困難さです。かつて学会などでジャングルカンファレンスのコンセプトを発表していたころ、最終決定はどうするのか、ただの絵に描いた餅だ、というようなご批判をたくさん受けました。これこそはまさにこのカンファレンスのグリーン性を読み取られてのことだったのかもしれません。しかし、家族性とも言えるつながりを強めるものとしてはグリーンは極めて有用ですので、これからもジャングルカンファレンスはグリーンの性質を生かして展開すべきだということをあらためて感じました。
 そしてその家族性の強いグリーンから派生した組織が、日本統合医療センター(JIMC)のように感じます。ただ多元であるばかりではなく、そこにはダイアローグを基盤として統合医療という領域に対して進むべき方向性が共有されています。それゆえに、個々がほぼ独立した形で、活動を展開しつつも、調和のとれた連携が実現していく、まさにティールが実現してるように思います。 
 いかにティールを実現するかということが、書籍での大きなテーマなのでしょうが、われわれとしてはむしろそこにどれくらいの共通点を見いだせるかという観点で、学べる点があるように思います。
 JIMCの組織の特異性を説明するにあたって、大変有力なワードが手に入ったような感じをしております。
 統合医療という新たな医療には、新たな枠組みの組織として取り組まなければ、その魅力は半減してしまうことでしょう。

 ティール組織の冒頭に、テンセグリティを創り出したR.B.フラーの言葉が引用されているのが、なんとも印象的に感じました。

目の前の現実と闘っても何も変えることができない。何かを変えたければ、今あるモデルが時代遅れになるような新しいモデルを作るべきだ。R.B.フラー

tougouiryo at 2020年03月29日15:09|この記事のURLComments(0)

「統合医療」もしくは「医療の多様性」ということ

「武術と医術」を通して統合医療という言葉を初めて知ったという方も多く、この出版を機にいくつかのご質問を頂いた。また何を今さら統合医療というようなきわめて進歩的なご意見も頂いた。

統合医療については拙著「統合医療の考え方活かし方」において私の実践する統合医療の姿を紹介させて頂いたが、今日改めて一般向けの対談という形の出版をしたことで、統合医療というものの本来の意義のようなものを考え直す機会となったので、ここに少しまとめてみたいと思う。

まず第一に言えることは統合医療とは医療における多様性の提案であるということである。これに関してはすでに開かれた科学を基礎とした医学は多様性を備えている、というような反論が予想されるが、いわゆる「科学」とされる領域は人によって意味するところは様々であり、往々にしてこの分野においては、特に狭い範囲に限定されがちである。しかしそこには「未科学」とされるものから「非科学」と呼ばれるものまで含めた多様性のある言葉でもある。

 

第二はこうした多様性と直面した際のリテラシーの問題である。詐欺まがいの健康食品をめぐる事件やホメオパシーに関連したビタミンK不投与の事件など現実社会における具体的対応について、どのようにするかという問題といってもいいだろう。

 

次に部分の集合は全体とは一致しないということを基礎にした、いわば全体性の希求である。これに関しては安易に語られることが少なくないが、そうしたあやふやな議論に終始することなく、「縮退」というコトバを一つのキーワードとしてそこに陥らぬように、どのようにすればよいか、ということを具体的に考えていくという方針が重要であろう。

また逆に部分の集合が全体であるとしてほぼ問題ない領域の存在も認識し、第二の問題点への一つの指針を示すことも大切である。

 

またこうした考えの根本として、やや相対主義的な考えが要求されるが、これに対しては医療の非線形性の理解に加え、主観と客観の絶対性を考え直す、主‐客問題への視点も不可欠となろう。

つまり統合医療は従来の医療のかたちに対して‖人誉、∩澗寮、H鸚形性を提示するものであるべき、というのが私の考えである。

よってある特定の代替医療の押し進めは、むしろ逆行であるし、過度の専門性の主張も

基本的には相容れない。(全体性を理解した上での適度な専門性を否定するものではない)そして線形的理解のみを押しすすめる流れにも与すべきではない(これも局面的に限界を理解した上での利用であれば問題ないといえる)

 

そしてこれらは「統合医療」という立場からのみ発せられるものではない。現にそれ以外の分野における発言の方が多いようにも感じられる。

しかし、私の理解するところでは、統合医療という分野には、それらを潜在的に提示するという姿勢があるように思う。

だから今回、「武術と医術」において統合医療というものを紹介するにあたり、自らの主張は統合医療というよりむしろ、医療におけるこの3点の重要性の提案ということであった、ということにあらためて気づいた次第である。


tougouiryo at 2013年07月06日07:00|この記事のURLComments(0)