読書だより

『二コラ・テスラが本当に伝えたかった宇宙の超しくみ』

 井口和基博士による『二コラ・テスラが本当に伝えたかった宇宙の超しくみ』を読んでのメモ。2013年に発刊なので、新しいものではないのですが、これまでなんとなく手に取らずにいました。
 井口博士の著作は、311よりもずっと以前にバックミンスター・フラーやカウフマンらを調べていた時からなので、ずいぶんと前から読んでいるのですが、あらためてこの本には強いインパクトを受けました。とにかく科学史の書籍として読むと面白い。19世紀の物理学史が、通常のものとは全く異なる観点から描かれます。
 特にエーテルの存在が肯定されつつあったということや、物理学のスーパーヒーロー、アインシュタインの相対性理論に根本的な再考の余地があること、等々、ほぼ完全無欠だと考えていた物理学の理論が揺らぐような記載がたくさんあります。また詳細に書かれた科学者同士の暗闘も大変面白い。そして上巻の最後に述べられる「我々自体が永久機関の存在の生きた証明なのである」という締めくくりの一文への流れは圧巻です。

 いわゆる「ニューサイエンス」的なものは学生時代から大好きだったのですが、そこで語られる「パラダイムシフト」の記載はたいてい現代物理学誕生からのものでした。特殊相対性理論・量子力学の誕生といったあたりです。C+Fコミュニケーションズによる『パラダイム・ブック』もやはり物質編から始まっていました。
 これに対して医学・生物学領域は、当時はあまりぱっとしたようには見えず、物理学は物質を扱うだけに、生命というあやふやな対象よりも理論の展開がスパッとしているなあと感じたものでした。
 それが今回この本を読んで、そうでもないこと、とりわけ下巻では著者が「数学」との対比の中で、物理学自体の過去への振り返りやらルネッサンス的な変革の可能性の困難さを述べているのは驚きでした。
 では、医学ではどうだろうと思いをはせると、かつては物理学よりも大きく遅れた印象があったのですが、当然数学のような厳密なものでもありませんが、それなりにルネッサンス的な変革は時折認められてもいます。江戸期の古方派の台頭や、東洋医学の科学的解明、さらには近年の統合医療の誕生はまさにこうした流れとしても理解できるのではないかと思うのです。
 つまり苦痛・疼痛という「人」にとって不可避の事柄と密接な関係にあることから、一切の無視というわけにはいかないようです。これに対して「物質」を対象にしたものは、外部世界の理解の仕方を基盤にするものですから、当然、極めて保守的に改革を拒むのは当然なような気がします。

 ちなみに数学がこうした呪縛にはまりにくい、というのは「数字」自体がある種の抽象的な概念のため、歴史的な流れの中で齟齬がきたされないように、高い論理性整合性が求められた結果ともいえるのではないでしょうか。
 少し事情が違いますが、西洋哲学の流れなども統合と否定によって、断続無く今日へと続いているようにも思われます。これに対して本書ではエーテル概念において、19世紀の物理学は大きな分岐点を迎えたと考えています。またその他にも詳細に検討すれば、電磁気学、量子力学、相対性理論など多くの領域においても少なからずこうした事情をかかえているようです。
 これは当然、医学・生物学や化学、地学など他領域においても同様なのでしょうが、一般的な意味での振り返りにくさ、は納得です。それだけ「常識」として染み付いているということでしょう。

 こうした中で、フリーエネルギーや永久機関といった概念は、眉唾として扱われるというのも分かります。またエントロピー増大の法則からの決定論的で閉塞した生命観は、現代の医学・生物学の領域の閉塞感との連続性を感じさせます。
 これに対して本書では、開放系と孤立系の相違からの説明も目から鱗でした。孤立系の中でエントロピーの増大に任せて消えゆく生命という視点から、実際は開放系なわけだから生命は「永久機関」なのだという強い姿勢はとても勇気づけられます。
 確かに、太陽エネルギーがふりそそぐ地球環境は確かに開放系ですし、生命誕生以来、紆余曲折あるものの断続することがなかったという点では「永久機関」でもあるわけです。

 我々は何か、無条件に受け入れている「前提」により、自らの可能性を呪縛している面があるのかもしれません。「このように決まっている」といった思い込みの枠を少し外すだけでも、別な展開が容易に見えてくるといったことを感じさせられました。開放系による意思決定システムとしてのジャングルカンファレンスやオープンダイアローグもこうした延長上に捉える必要があるでしょう。
 ちなみに先日、録画した庵野監督の「プロフェッショナル」を見ていたのですが、肥大したエゴの外側で「エヴァ」を作成したいという趣旨の発言があり、まさに開放系としての意識の在りかを感じさせられました。



科学史的な興味ある方は、この上巻がおすすめです。「超しくみ」とか「超☆わくわく」とか題名がちょっとなんなのですが、内容はかなり重厚です!

tougouiryo at 2021年07月19日07:00|この記事のURLComments(0)

体性自律神経反射

 湿度の高い日が続く中、四肢の重だるさや疼痛などのいわゆる湿邪による症状が、よく見られています。そうした症状への治療の一つとして「鍼通電」をよく行っていますが、この刺激はいわゆる四肢に限定した効果のみならず、自律神経を介した内臓への効果も知られています。これが「体性・自律神経反射」です。
 こうした基礎研究により鍼灸をはじめとした物理療法の効果を説明できるようになったわけです。体性神経の刺激から内臓(心臓血管・副腎髄質・消化管・膀胱等)への影響が、専門的ですが詳細に解説されています。






 こうした基礎的な研究には、当然先立って臨床的な事実が認められるわけです。東洋医学と西洋医学の合一を目指したこうした見解は、幾多の研究があるものの、四半世紀以上前の地方大学医学部あたりではまだまだずいぶんと白い目で見られていたように記憶しています。
 数学や物理の世界であれば、結果を出せばそれなりに評価されるように感じられる中、医学においては東洋医学の雰囲気が垣間見えるだけで、正当に評価されていないような雰囲気が当時まだありました。

 しかし、最近ある科学史関連の書籍を読んでいた時に、今日では表向き否定されている「エーテル」概念が実は見直されているという話題があり、このほかにもいくつか再考しなければいけない物理的な常識があるようでした。
 しかしそれらは、現状の正統的な物理教科書の記載と矛盾をきたすため、本気で再評価しようという流れにはならないようです。かつて物理などではこうしたことはあまりないのかと思っていたのですが、或る意味、医学領域よりも深刻なのかもしれません。医学・医療に関しては、現実の苦痛や寿命の問題など切実な需要もあることから、少しは見直しも図られます。かつての東洋医学の復権、今では統合医療における伝統医療・代替医療の再評価などがそれにあたるのでしょうか。

 こうした学問の中でも「数学」の立ち位置はやや特殊なようで、数字というある種の概念を扱っているだけに、これまでの流れとの整合性がより優先されるようなので、物理や医学におけるこうした時代による制約は少ないようなのです。

 新たな分野や最先端の探究も重要ではありますが、これまでの歴史の中で我々が置き去りにしてしまっている大切な「知恵」(東洋医学、栄養やファッシアなどのマトリックス等々)も少なくないように思います。また機会を見つけてこうした問題を考えてみたいと思います。

tougouiryo at 2021年07月17日00:00|この記事のURLComments(0)

ダビンチの「解剖手稿」

 ちょっといろいろと調べている中で、アマゾン見てましたら、ダビンチの「解剖手稿A」を見つけたので購入しました。価格も2600円でしたのであまり期待していなかったのですが、届いてビックリ。けっこうちゃんとしていて、見ごたえ抜群です。まさにダビンチ本人による解剖図を、詳細に見ることができます。






 物理学における「エーテル」概念の見直しなど、これまで当たり前と思っていたことが、実は意外と当たり前ではないということに気づき、医療の概念も含め大きく考えなおしていました。かのフリッチョフ・カプラによるダビンチの再認識の書籍を注文したところ、この「解剖手稿A」を見つけました。 

 現代という前提を置かずに、「身体」をみるとどのようになるのか。すべてが解決した「現代」という視点ではなく、結構なバイアスにまみれている「現代」と考えると、われわれは意外に不自由な視点を強要されているのではないか。かつてエーテルのように破棄された概念が、医学の分野にも数多くあるのではないか。

 混迷する医療の現状を見るとき、しばし考えさせられます。


tougouiryo at 2021年07月16日07:00|この記事のURLComments(0)

サバイバルする皮膚

 本日、ジャングルカンファレンスです。靴調整の関連症例を皆さんで検討していく予定です。オンラインでの開催となりますので、ご希望の方はこちらへ!

 ファッシアを中心に「経絡」をかんがえ直しているのですが、皮部の検討をしている中で、「皮膚」について傳田先生の著作を読み直していましたら、アマゾンで新刊出ていたのでアップデート目的で購入しました。

 進化の視点から皮膚を見直し、かつての傳田先生の著作のまとめにもなっているので大変勉強になりました。なかでも、人間に毛が生えていない理由については、個人的には「アクア説」で納得していたのですが、更なる納得の説が展開されていて、よりスッキリしました。

 おそらくアクア説のようなことも関与したのでしょうが、何より、大脳の発達のために、いわばトレードオフ的に毛がなくなったというのが斬新でした。トレードオフといっても、機能がより発達したのでそうではないかもしれませんが、タコやコウイカなどの例示はなるほど納得です。

 従来、あまり顧みられることがなかったケラチノサイトについて、多くの意義を見出したことで、通常の皮膚科医のもつ皮膚イメージをはるかに凌駕した内容が展開されるのは痛快です。
 また、医師免許を有する人が「経絡」について話題にすると不愉快な顔になる、というくだりは納得で、「経絡内科」と命名したものの一抹の不安があるのはまさに傳田先生のご指摘通りだと思います。
 我々は、何を正統と信じ、何をインチキと感じるかは、まさに各人の無意識のうちに格納される知識に由来しているわけで、ケラチノサイトをただの皮膚表面と思っていれば、それが全身を反映するなんて「トンデモ」と分類してしまうわけですね。




tougouiryo at 2021年07月08日13:00|この記事のURLComments(0)

個人差とは腸内環境の違いだという視点

 前回に引き続き、栄養学の歴史の勉強での気づき。

 江戸時代の飛脚が、ほとんどタンパク質を摂っていないにもかかわらず、ものすごいパワーとスピードを有していたという話。それを見た外国人が、肉を食べさせたらさらに強くなる、と考え、肉を与えたところ、かえって力が抜けてしまった、という落ちがついています。こうした話から、日本人には米食が最高なんだ、とか、自然食礼賛の話へと接続していきますが、そうした解釈だけで果たして良いのでしょうか。

 この流れから、いわゆる「自然食」はタンパク質軽視へとつながっていったのではなかろうか。いろいろと推測が広がりますが、ここで我々がもっとも考えなければいけないのは「多元主義」の立場ではないかと思うのです。こうした超人的な栄養のエピソードには、必ずその背後に「腸内細菌叢」をベースにした個人差が歴然として存在します。
 この差異こそが、野菜だけでも強靭な体力を維持することも、肉食だけでも健康的に生きることも可能にするわけです。

 特殊な食事法を採用する人に人は憧れをもつこともあります。しかし、それはしょせん自分の身体ではない他者の身体。同じ方法が適するかもしれませんが、適さないかも知れません。大脳での思慮が、腸管を主体とした身体を容易に変えることはないのです。
 そうしたことを思いながら「腸内細菌叢」について考えるのも一興ではないでしょうか。以下の本が専門的ですがしっかりとまとまっています!




tougouiryo at 2021年06月28日19:17|この記事のURLComments(0)

脚気をめぐって 日露戦争と漢方撲滅

 先日の基礎医学塾では栄養学の歴史を学びました。一冊の本でも、どこに惹かれるかは人それぞれ。参加者各人の性格や関心により、けっこう引っかかる場所がことなるのが印象的でした。

 その中でちょっとメモしておきたかったのは、脚気をめぐる問題。よくある話では陸軍・森鴎外と海軍・高木兼寛との対立で、麦飯を採用した高木の海軍は脚気にならず、伝染病説に固執した森の陸軍は戦死者よりも多くの犠牲者を出した、というもの。当時はビタミンBの存在がわからなかったしね〜、というのが通常のお話なのですが、どうもそう単純ではないようなのです。
 つまり、陸軍内でも結構、一部の識者においてはじつは麦飯が効果的だということは知れていたようなのです。しかし白米食に逆らうと左遷されるということもあり、そのまま日露戦争に突入したということです。

 この辺りは、漢方撲滅のながれともリンクしていてさらに興味深い話になります。一般には西洋医学VS漢方医学という対決「脚気戦争」において、西洋医学の優勢が認められ、漢方は効果なし、として撲滅されたと医学史的には語られます。が、この時西洋医学側となっているのが陸軍軍医で、この比較試験ではなんと麦飯を取り入れているのです。海軍との対立軸においては麦飯否定にもかかわらず、漢方との対立軸においてはまさかの麦飯派。あきらかに、当時、有効性を臨床的、直観的にはわかっていたということですよね。そして政治利用にまで応用できている…

 決まりきったことのようでも、丁寧に読み比べていくと意外なことが分かるものです。一つの事柄でも白黒のはっきりさせた理解の仕方ではなく、丁寧に詳細を見ていくことの重要性をあらためて感じました。
 なお、この漢方撲滅の真相は、寺澤先生の以下の書籍に基づきました。この辺りの詳細に興味ある方は必読です!今日の統合医療の在り方についても考えさせられます。


明治維新・漢方撲滅の実相
寺澤 捷年
あかし出版
2021-02-20



tougouiryo at 2021年06月27日19:35|この記事のURLComments(0)

感じるオープンダイアローグ

 昨日はジャングルカンファレンスでした。骨盤底筋と尿漏れの症例と、買い物依存とネグレクトの症例など幅広く議論が展開されました。
 今回から占星術のセラピストも加わり、さらに広い視点からの「対話」となりました。

 統合医療の在り方のみならず、コロナ対応も含めて、様々な視点が、ともすれば対立して論じられることもありますが、こうした時にこそ「多元主義」をベースとした対話の必要性を感じました。
 ジャングルカンファレンス内で紹介したオープンダイアローグの新書をあらためてこちらにもメモしておきます。
 ご興味ある方はどうぞ!





tougouiryo at 2021年05月14日23:53|この記事のURLComments(0)

「縮退」の参考図書

 最近、対談をいくつかしているので「縮退」について改めて再考しております。物理現象、経済現象の説明理論として生み出された概念ですが、身体、そして医療システムについての考えを深める際にも、非常に有益なものです。
 長沼伸一郎先生発案の概念ですので、以下の書籍のともに最終章が、その基本的な解説になります。特に私は「冷え」や「ファッシア」についての説明の時に縮退概念が有益に感じます。また、折衷から多元への理論的な説明は、縮退によってさらに明確になると考えます。


現代経済学の直観的方法
長沼伸一郎
講談社
2020-04-08






tougouiryo at 2021年05月06日07:00|この記事のURLComments(0)

「利他」とは何か

 コロナ禍の時代における一つのキーワードとも言える「利他」について、伊藤亜紗、若松英輔、國分功一郎といった私の気になる論者が連名で書いている本を見つけたので買ってきました。『利他とは何か』(集英社)です。



「利他」とは何か (集英社新書)
磯崎憲一郎
集英社
2021-03-26




 まあ、こう書くといかにも偽善的なので気が引けるのですが、ジャングルカンファレンスなどの、医療における多元主義の展開を企図するものとして、利他は避けては通れないものでもあります。

 利他というキーワードは、当然「利己」と密接な関係があるので、或る意味それを強調したとたんに厭らしいものに転化する可能性をもつものでもあり、本書の中では若松先生により、そうしたことへの言及もされているようです(というのも、これを書いている段階ではまだ未読ですので…スミマセン)。ただあとがきなどを読むと(あとがきから読む派です…)、この「利他」の持つ構造のようなものを「うつわ」に譬えているようです。

 ジャングルカンファレンスやジャングルカフェといった多元的な会合を主催しているものとしては、これは結構、納得の言葉でした。とりわけ、今週木曜日開催予定のジャングルカフェに向けて、課題図書である『モモ』を読んでいる途中でしたのでなおさらでした。

 具体的には、第2章の小さな酒場での二コラとニノのもめごとの段がすぐに思い出されました。論理的な解釈をするでもなく、モモはただじっと座って注意深く話を聞く、それだけで争いは解決していくという話です。まさに「うつわ」を彷彿とする話ではないでしょうか。
 当然、この物語は「灰色の男たち」がキーワードになる話ですが、こうした序盤のエピソードにもカンファレンスとの共鳴する点が潜んでいるように感じます。

 利他ということばとの共通点を偶然見つけたような感じになったのでさっそくメモしてみました。

 ジャングルカフェの参加希望の方はこちら!

tougouiryo at 2021年04月11日19:25|この記事のURLComments(0)

細胞内部の様子、混雑具合や酵素反応など

 先月から開始した基礎医学の勉強会のテーマは生化学・栄養学なのですが、とりわけ今は「解糖系」からのエネルギー代謝を学んでいます。

 ここで気になるのが、解糖系の各反応が、どうして整然と進行するのかということ。おそらく正統とされる考えでは、確率論的に一定の割合で、各々の段階の酵素と遭遇するからという説明なのでしょうが、本当にそんなにうまくいくものなのでしょうか。(進化の問題でもネオダーウィニズムの主張に同様の疑問を感じます。たまたま生まれたアザラシの子孫がたまたま海へと戻っていった的な…)

 こうした説明の一つとして、細胞内骨格が、酵素の反応順序に絡んでいるという説もあります。つまり求められる代謝の反応順に酵素が線維によって一直線に並んでいれば、整然と反応が進行するというものです。これは最近、ファッシアや生体マトリックスに関心を持っているので、個人的には非常に納得できる考えなのですが、一般的にはトンデモということになるのでしょう。

 また細胞内も、いわゆる教科書的な説明図では、整然と細胞内小器官が内蔵されているのですが、実際は満員電車顔負けの混雑状態だということが知られています。すると酵素などタンパク質の作用を考えても、それらのいわば部品同士による相互作用を無視するような考えは現実的ではない、ということが分かります。
 しかし、実際にはテキストではそうした説明はされていないので、これも釈然としません。そのために細胞内部がいかにタンパク質がせめぎ合っているか、「模式的に書かれた図」をどこかで見たような気がしたので、先週からずっと蔵書群を捜索していたのですが、それが先日やっと発見できました。

 金子邦彦先生の『生命とは何か』のP15にやっと、その小さな図を見つけ出すことが出来ました。(この捜索はずいぶん時間がかかりましたが、その過程でたくさんの忘却の彼方にあった本を見つけることもできました)

 通常の細胞の様子とは全く違い、まさに満員電車状態でタンパク質やDNAが充てんされた混雑状態の図は、まさに我々が「常識」と普段考えているものとの大きな「溝」がありました。やはり実際の生体というものは、線形思考でとらえるにはあまりに複雑であるということを強く見せつけられたようでした。

 基本的な概念ほど、再考するとそこに大きな常識との「溝」があるものです。日々の臨床から、こうした意外な気づきをひとつでも多く掬いとりながら、診療していきたいとあらためて強く感じました。



生命とは何か―複雑系生命科学へ
金子 邦彦
東京大学出版会
2009-02-01



tougouiryo at 2021年03月12日23:46|この記事のURLComments(0)

擬人化すること、ホメオパシーを親しみやすくすること、等々

 学問的にはいけないのでしょうが、擬人的に表現することでずいぶんと分かり易くなるということは、生物や科学を学習する上で結構利用されています。
 マンガ『はたらく細胞』などもその良い例でしょう。過度な擬人化は時に批判されるものの、直観的な理解が可能であるというメリットは外せません。




 電子に意志があるとする山田廣成博士による量子力学の解説も、正当な物理学者からは批判されるのでしょうが、「意志」や「対話」を中心に、ある種の擬人化により高度な内容が極めて分かり易くなっていると思います(ただしこれは山田博士によれば擬人化ではないということになるのでしょうが)。





 このような感じで生化学を、陽子は「身体」、電子は「スピリット」というような喩えで説明しているのが、明日の勉強会のテキスト『代謝がわかれば身体がわかる』です。前回の参加者からは、エネルギー代謝における喩えが、子供から魂を抜き取ってゾンビ化するなど気持ちが悪いというご批判もあるのですが、そう書いてあるのですから仕方ありません(笑)今期の日曜夜のゾンビドラマでも見て慣れて頂くほかありませんね。こちらもまた批判されているようですが(笑)












 ただし、酸化還元反応を、電子=スピリット(魂)という感じの理解は非常に有用に思いますので、それを念頭に生化学の予習をして頂ければ効率的なように思います。

 また擬人化とは異なりますが、ホメオパシーのメカニズム理解における量子医学概念の活用も、同様の効果があるように思います。
 類似の法則や波動を用いた解釈も良いのですが、どうしても錬金術的な風合いが出てしまい、現実の医療との統合場面ではやや戸惑うことも少なくありません。
 そうした意味では、保江邦夫先生の量子医学の説明などを援用することで、統合的に活用しやすくなるように思います。具体的には、細胞膜における結合水の意義や、エバネッセント光など、秩序化された水としてのレメディとの相互作用を考慮するとわかりやすいようです。






 この辺りは実はファッシアにおけるエネルギー医学的な解釈でのキモにもなるところですので、連載している「臨床ファッシア瘀血学」においてもホメオパシーと鍼灸の統合に関する話題として記載していきたいと思います。


tougouiryo at 2021年02月25日08:26|この記事のURLComments(0)

資本論と統合医療の接点(カフェ追加資料)

 明日のジャングルカフェの課題図書についての追加情報です。明日のカフェに参加される方は是非お読みください。





 内容の読解というより、統合医療との共通点について、私の感想をメモ的に書いてみます。
 
1)「富」が資本主義社会では「商品(貨幣を介した交換対象)」に変化していくわけだが、これを医療のアナロジーで考えると「(現代)医療化された身体」といえる。そこには実感できる「使用価値」ではなく、幻のような「価値」がある。つまり「使用価値」が低くても、売れさえすれば「価値」が実現する、ということ。例えれば、生を実感する丸ごとの「身体」を「使用価値」とするならば、データないしは画像化された身体(情報)は作られた「価値」と対置することができる。すると「使用価値と価値の対立」は、「ホリスティックな身体とデータ化された身体」と読み替えることもできるのではないか。

2)資本主義において金儲けの主軸になるのは、「使用価値」ではなく「価値」であるというのは(1)で考えると理解しやすい。そして「資本」とは「絶えず価値を増やしながら自己増殖していく運動」であるので、それを延々と続けなくてはならない。すると人間も自然もその運動に従属して、利用される存在に格下げされてしまうことで、日々の豊かな暮らしという「富」が搾取されることになる。

3)一見、資本主義は膨大な富をもたらしたように見えるが、我々の欲求や感性はやせ細り貧しいものに成り下がる、この状態を「疎外」とよぶ。これを医療のアナロジーで語るなら、「直観」「身体智」というものが消失し、貧しい「身体像」のみが「真に科学的」とされる状況に近いのではないだろうか。

4)生産過程を細分化する「分業」が労働者を無力化する、という状況は、過度の専門分化の果てに、具体的な「身体」がどんどん見えにくくなっている状況とアナロジーなのではないだろうか。「分業」というシステムは、何かを作る「生産能力」を失わせる、これこそが専門分化の弊害として見えていることなのではないだろうか。またこうした分離を徹底した例が「テイラー主義」で、これは生産に関する知という共有財産の囲い込み行為でもある。これは一見、合理的な良いことのように見えるが、人間らしい関与を奪うガイドライン的なものへのアナロジーでもある。

5)「構想」からの分離は、医療におけるデータと専門家の言説に踊らされるだけの状況と類似しており、自らの「生命」を活かした状態ではない。そのためには、構想と実行の分離を越えて、労働(例えば医療)における自律性を取り戻すことが重要だ。

6)「資本の専制」と「労働の疎外」はいわば従来の「あちらの医学」といえるもので、労働の自立性と豊かさを取り戻す「労働の民主制」は、「こちらの医学」と表現可能で、「こちらの医学」の本質の一端を示すものである。

7)資本主義に代わるものとしてのキーワードが「アソシエート」であり、これは持続可能な形で制御することでもある。つまり、共通の目的のために自発的に結びつき、協同するということであり、この基盤の提供が他でもない「ジャングルカンファレンス」である。(リボン・アソシエーションの構想)

8)マルクスによる否定の否定による将来社会の構想は、「富」をシェアするコミュニズムであり、JC的に述べるなら、「対話による身体(観)の再構築」とでも言えようか。そして社会の「富」が「商品」として現れないように、みんなでシェアして自治管理していくことが重要。各人の能力に応じて、必要に応じて。そしてその必要を満たす規模を定常させることが「脱成長」である。つまりJCは、医療におけるアソシエーションの動きでもあるのである。





tougouiryo at 2021年02月11日16:13|この記事のURLComments(0)

『身体構造力』から近代的思考を考えてみる

 来週の金曜日が新形式のジャングルカフェの開始です。課題図書形式となりますので、奮ってご参加ください、課題図書、未読状態でもご遠慮なく、統合医療について語りましょう。参加希望の方はこちら!
 ジャングルカンファレンスがオンライン形式となり、カフェの形式も一新してみたのですが、コロナ禍によって、あらゆるものが大きく変わりました。
 ジャングルカンファレンス1.0とでもいうべき、当初のJCは、とにかく正解というものを出さずに、出来る限り「相対主義」的な姿勢で、多くの人たちの自由な発言を促進してきました。
 そこから少しずつ多元的な姿勢へと移行し、オンラインにより、一層「多元主義」が徹底してきているように思います。こうした多元主義に、「型」としての基本的な質問形式を導入し、ジャングルカンファレンス2.0として進行していきたいと考えています。

 こうした流れを考えながら『身体構造力』を開いてみたいと思います。とくに第2章が、いろいろな問題に示唆的です。近代的思考のドグマ、のもたらす問題が考察されています。

 まず第一に、心と身体を二分割し、身体を一段低いところに置くということ。そして思考を実現しているものが「頭脳」だとすること。これによりコンピューターに制御されたボディというような、我々にとってなじみ深いモデルが形成されてきます。こうした世界観のもと、脱近代などを唱えてみても、あまり意味のないことなのではないか、という考察です。
 こうした構図は、現代医療はもとより、分子栄養学など科学的を標榜するオルタナティブにも見て取れます。一見そうではなさそうな、整体や鍼灸にも根深く浸透しているのではないでしょうか。

 では、そうしたものに縛られないためにはどうすれば良いのでしょうか。本書ではそのためには「相対化」を目指すべきだと述べられています。
 現状の縛りを超越するためにがたしかに相対化して、その縛り自体に気づかなければなりません。ところが、相対主義というと、けっこう思想界隈からいろいろと難癖が付きます。私が、JC1.0で使っていた「相対主義」というワードを外したのも、そうした煩わしさからでもあります。それでも、近代的思考の壁を超えるにはやはりこれは重要であると考えます。それゆえに個々の思考方法をより磨き上げるような形で、ときに論戦も仕方なしという姿勢で折衷から多元への脱皮を図る必要がありました。完全に相対化が強まると、折衷主義が台頭してきて、かなり危険なスピ系の思想や、量子論を乱用する理論が横行してくるからでもあります。

 それゆえに我々は近代の相対化を、しっかりと経由して危険な流れに安易に同調しない姿勢が求められるように思います。
 このあたりのことを著者の伊東先生は「近代の相対化という知的作業を経ずに、行われた刹那的なつ虚無的な近代の超克は実際のところ、我々の抱える病からの逃避にすぎません(p149)」と述べられています。

 こうした近代思考の問題は、治療に限らず様々な領域で顕在化してきています。そうしたことについて少しずつでも思いを巡らせながら『身体構造力』を読み進めてみたいと思います。





tougouiryo at 2021年02月05日05:00|この記事のURLComments(0)

人新世の「資本論」のご紹介

 今月のジャングルカフェは12日㈮の18:30〜の予定です。100分で名著の「資本論」を読みながら、カンファレンスの在り方を考えてみたいと思います。ジャングルカフェ参加希望の方はこちら!

 このテキストに加え、参考図書を挙げておきます。同じ作者による「資本論」の解説です。それにしてもマルクスの資本論といういわば確定的な古典が、これほどまでに違った解釈ができるというのはすごいです。

 ソ連の社会主義崩壊後、何をいまさら資本論、という印象を私ももっていましたが、晩期マルクスはその限界を超えて、現代にも通用する理論を構想していたということが納得できます。
 政治的なことが苦手な方も、環境問題や集団の在り方などに関心のある方であれば、広く何らかのヒントが得られるのではないかと思います。

 ここのブログを読んでいただいている方向けに言うと、「縮退防止」の別な表現として「脱成長」をとらえることができると思います。いわば脱成長とは、脱縮退ともいえるでしょう。脱縮退を医療という分野において展開していく、そうしたカンファレンス(同盟)がジャングルカンファレンスであるとすれば、こうした考えの重要性が伝わるのではないでしょうか。医療における真実、データの在り方など、これからさらに多くの問題となっていくでしょう。そうしたことへの根本的思想がそこには含まれているように思うのです。「モモ」などにも通底する思想ですね。


人新世の「資本論」 (集英社新書)
斎藤 幸平
集英社
2020-09-17








 カフェの時のメモ的に記載しておくと、脱成長コミュニズムの要点は以下の5つとなります。
1)使用価値経済への転換
2)労働時間の短縮
3)画一的な分業の廃止
4)生産過程の民主化
5)エッセンシャルワークの重視



tougouiryo at 2021年02月01日16:59|この記事のURLComments(0)

量子医学の誕生

 量子脳理論や神の物理学などの著者である保江邦夫氏の新刊です。アマゾンの推薦欄にあるので、つい買ってしまいました(笑)
 量子力学と医学との接点は、いわゆる「代替医療」の世界では定番ではありますが、私としてはそれほど、量子や波動「推し」ではありません。むしろやや距離を置いた見方をしている天外伺朗氏のいう「無分別智」のほうがしっくりときます。
 それほど、雰囲気やアナロジー的に使われることが多い量子論(最近もそうした本を何冊か読みました…)ですが、どのような意味で「量子」といっているのかは気になるところです。保江先生の量子脳理論、結合水などのキーワードとどう関係するのか?
 この本は、まだ読了していないのですが、前書きや巻末の対談によるとQPAという医療機器を持ち込まれた保江先生が最初は疑念を持ちつつも、自らの量子論、特に量子脳理論などで展開された論旨との類似性をみつけ、のめりこんでいった様子が伝わります。本文の大部分はそうした保江理論の医学分野の人への解説といったところです。 
 この理論は結構面白く、現在考えているファッシアと瘀血との深い関連をも思わせる記載もあるので興味深いです。私も物理畑ではないので、詳細な理論はほとんどわかっていないのですが、大きなヒントがありそうな気がしています。
 量子論と医学の接近の一例として、ご興味ある方は、読んでみてはいかがでしょうか。





 現状の量子力学と生物学の接近を知りたい方はこちら↓


量子力学で生命の謎を解く
Johnjoe McFadden
SBクリエイティブ
2015-09-16


tougouiryo at 2021年01月29日19:51|この記事のURLComments(0)

2月ジャングルカフェの課題図書の紹介

 これまで、症例以外の様々な日常診療に関しての「対話」を行ってきた「ジャングルカフェ」ですが、ジャングルカンファレンスのオンライン化に伴い、形式を新しいものに変更したいと思います。
 ジャングルカンファレンスも、前回のオンラインで発表したように、「三原則」に基づいて発言し、なるべく「多元的」であるように意識する内容にしました。これは今後も継続していきますが、同様に、カフェの形式も若干変更します。

 これまで通り、気になるテーマや話したいことを話すのは同じですが、そこに各回、あまり難解ではない課題図書を設定しようと思います。
 課題図書のテーマに沿って、統合医療の諸問題を皆で「対話」していくわけです。課題図書は読んでいる方が良いのですが、必ずしも未読でも、対話にはついて行けるようにしたいとも考えています。つまり医学的な専門知識の書籍ではなく、考え方などに関する一般的なものにしようと思います。

 課題図書は、各回は予め発表していきますが、いまのところ、NHKテキストの「100分で名著」など、廉価で分かり易い一般書にしようと思います。

 当然、分かりにくい内容のものもあるでしょうが、斜め読みや未読でも、会話にはついて行けるくらいの内容にしますので、それほど緊張して準備する必要はありません。
 では、2月のジャングルカフェの課題図書は以下です。当然、原書の「資本論」は読む必要はありません、私も読めません(笑)





 通常の「医療」に対して、統合医療はどのようにあるべきか。「資本」の根本的な考え方から、皆さんと統合医療的に対話していけたらと思います。
 なお、ジャングルカンファレンス&ジャングルカフェ、に参加ご希望の方は、統合医療カンファレンス協会までご連絡ください。

tougouiryo at 2021年01月24日22:26|この記事のURLComments(0)

『身体構造力』から考えたこと

 伊東義晃先生の『身体構造力』について、かつて簡単にご紹介したのですが、ブログ読者の皆様の閲覧数が多いのと、私自身も再読してあらためて賛同するところも多いので、再度、ご紹介したいと思います。

 身心工房リボンのメンバーとともに、内輪のカンファレンスを年始に開催した折にも、各自のセラピーへの思いに関して、本書と齟齬があるか、あるとすればどのような点なのか、など各人で考えてみるようにテーマを出しました。

 私自身、「愛」と「宇宙」のような安易なキーワードを用いることの問題点や、あくまでも「身体」にこだわるという視点を重要視するという点は、甲野先生の著作や、先生との時折の会談などを通じて、よく語ることではあるのですが、近代主義的世界観から整然と説明している本書の意義は極めて大きいと思うので、あらためて課題図書的に紹介しました。

 私個人の問題意識としては、明治期の霊術的な事柄の分析が近代思想の理解への、図と地の反転のように使える可能性を感じることができ、このあたりをまたもう一度勉強しようという気になっております。

 自らの流派の方法論において、スピリチュアル系への過度な傾倒を問題視していたセラピストも非常に関心を持って、この書籍の紹介を聞いてくれていたようですので今後の展開が楽しみです。
 とくにセラピストの方々には全3章のうち、第2章を重点的に考えてみると良いのではないでしょうか。

 とても参考になるフレーズがいくつかあるのでが、今回はその一部をご紹介し、また後日、さらに追加して皆様と供覧してみたいと思います。
 まずは整形外科的な治療などについて。EBMの視点と合わせ、よりベストなものを探求するにあたっての記述。

「制度上それしか打つ手がないために行われるはずの処置」が「医療判断として最善」だという誤解に至ってしまうのには、そんなに時間はかかりません(114頁)

 というところ。知らず知らずのうちに行われる思考停止を指摘したこの文章は、バックミンスター・フラーも『宇宙船地球号操縦マニュアル』にて

 船が難破したとしよう。救命ボートもすべてなくなった。見るとピアノの上板が流れてくる。これがつかまっても十分浮力があるものなら思いもかけない救命具になる。といって、救命具の最良のデザインがピアノの上板というわけじゃない。

 と記載しているのと一脈通じるように思う。私たちは日々、こうした思い込みの中にいることを改めて感じる感覚を忘れていけないように思うのです。
 また機会を見つけて、気になった文章を備忘録的にピックアップしてみたいと思います。



 
tougouiryo at 2021年01月12日05:00|この記事のURLComments(0)

江戸城を歩く! 城をひとつ!

 江戸城についてのブログ記事をあげたのですが、実際のガイドブックのようなものを聞かれたので、良さそうなものを推薦しておきますね。
 古地図と現代のコースが具体的に12コース示してあり、1〜2時間で各々めぐることが出来るという、まさに実践的ガイドブックです!
 アースダイバーなんてのもありましたが、これまでとは違った東京を、コロナ禍の後にでもゆっくりと味わいたいものです。



 城攻めといえども、人間模様が重要、ということをあらためて感じる歴史小説です。攻城は敵の心を攻めるという、なのです。春風亭昇太師匠、絶賛の一冊です!




tougouiryo at 2021年01月11日05:00|この記事のURLComments(0)

脳機能についてのおすすめ図書

 昨年末に、必要に迫られてニューロフィードバックやTMSについて調べる必要があったので、いろいろと買い込んで、ざっと関連分野を読んでいました。
 ポリヴェーガル理論の台頭と合わせて、ストレスよりトラウマの時代へ、といわれるようになり、これまでのストレス対策とは違った流れを知る必要が出てきています。
 最近の脳機能についてのアップデートもかねて、正月休み中のおススメ図書として挙げておきますね。

 まずはファッシアとの関連で、ニューロン学説とはポジ・ネガの関係にある「グリア」についての解説書。





 自律神経の二元論を越えて、第三の自律神経としてを社会脳として規定したポージェスの理論を、ものすごく深く、詳細に解説した労作。その他のポリヴェーガル本とは深さが違う!








 
 ポリヴェーガル理論を脳機能からみれば、ソマティック・マーカー仮説となりうる。脳を身体が規定しうる、というデカルトの考えに異論を提示したもはや古典的名著。


デカルトの誤り 情動、理性、人間の脳 (ちくま学芸文庫)
アントニオ・R・ダマシオ
筑摩書房
2010-07-07



ダマシオの考えを理論的基盤として、看護・介護に革命的変革をもたらした実践書。

ユマニチュード入門
イヴ ジネスト
医学書院
2014-06-09





 トラウマをはじめとしたこれまで、なかなか困難であった症状に対しての回復方法を総覧的に解説。類似した方法論があふれかえる中、各技法の雰囲気が伝わる書。




 脳機能から、慢性痛のメカニズムを解説する医療従事者向け書籍。疼痛と脳の関係を新しい学説から丁寧に概略を解説。





 そしてこうした脳機能への介入の源流に位置するにも関わらず、その存在を消された天才科学者ロバート・ヒース。当時、禁断の領域に踏み入れたとされ、大きく批判された彼の理論は、現代の脳深部刺激法の端緒に位置付けられるにもかかわらず、何故、消されてきたのか。ドラマとしても非常に面白い書籍です!(特に時間ない方はこの最後の一冊がおススメですよ!)




 このコロナ自粛下で、人間の考え方、脳機能について少し考えてみたいと思っている方へ、ちょこっと専門的な本から、話題の一般書籍まで、ご紹介しました。
 

tougouiryo at 2021年01月03日00:00|この記事のURLComments(0)

来年一月からの基礎医学講座のお知らせ

 本年は解剖生理の基礎として、主に三木成夫の『ヒトのからだ』をテキストにして、進化や発生的な視点から、人体の全体像を学習しました。

 来年、一月から開催の基礎医学講座は、内容を一新して栄養・生化学の基本としての「代謝」について、学んでいきたいと思います。

 この領域は、分かっているようで何度やってもピンと来ない、もしくはきれいに忘れてしまうという領域で、しつこく学習しないと(しても?)すぐに忘却の彼方に行ってしまうものです。

 代謝過程を丁寧に見ていける下記のテキストを用いる予定です。時間に余裕のある正月休みから見ておくのもよいかもしれません。講座の参加希望者で、持っていない方は、一冊目の「代謝が分かれば身体がわかる」と二冊目の「忙しい人のための代謝学」は用意しておいてください。できれば3冊ともあればベストですが、代謝の全体像(代謝マップ)が他書でもあれば、大丈夫です。








代謝の全体像をマップとして理解しないとなかなかわかりません。全体像を概観している以下の書籍はおすすめです。医科生化学の方が基本的な内容です。

一目でわかる医科生化学
J.G. サルウェー
メディカルサイエンスインターナショナル
2007-09-01





一目でわかる代謝
J.G. Salway
メディカルサイエンスインターナショナル
2000-02-01



tougouiryo at 2020年12月30日17:58|この記事のURLComments(0)

岩田健太郎先生の『僕がPCR原理主義に反対する理由』ご紹介

 「GoTo」が一時停止となり、感染者数も着実に増加してきております。あわせて空気も乾燥し、インフルエンザとのダブルでの流行も懸念されています。
 こうしたなか、うがい・手洗いの徹底は言うまでもありませんが、加えて、鼻腔と上咽頭の洗浄となる「鼻うがい」もぜひ挑戦されることをお勧めします。ウイルスの上咽頭への付着が指摘され、通常のうがいでは届きにくい場所だけに「鼻うがい」は冬の感染症対策に不可欠です。

 こうした予防策もさることながら、人々の不安の声におされて民間会社でのPCR検査も増えてきているようです。これまで我々も「ジャングルカフェ」などにおいて、PCR検査の重要性と問題点などをいろいろと話し合ったりしてきましたが、この問題の根底にはいわゆる「検査総論」の問題が絡んでくるところが、分かりにくい理由の一つでもあります。

 こうした検査の解釈にあたっての問題を取り上げ、(なるべく)分かり易く解説してくれている本を紹介します。出たばかりの新刊です。
 私と同世代ながら、若くして神戸大学の感染症の教授に就任し、若手ドクターのカリスマ的存在である岩田健太郎先生の『僕がPCR原理主義に反対する理由』です。ダイアモンドプリンセスでご存知の方も多いことでしょう。
 教条的な現在のPCRへの風潮に対して、多元的な姿勢をバランスよく展開されています。岩田先生は感染症における「CRP」検査(PCRではありません!念のため)への問題提起などを積極的にされていただけに、本書での指摘も、そうした流れにあるものといえるでしょう。
 ただし、疑陽性や偽陰性の問題、ベイズの定理の理解など、なかなか理解しにくい問題を扱っているので、スッと理解できるという感じではないでしょうが、検査の解釈問題は医学における根本的な問題の一つですので、関心のある方にはおススメです。




tougouiryo at 2020年12月18日08:42|この記事のURLComments(0)

『身体構造力』勉強になりました!

 今週は甲野善紀先生にお会いすることになっているのですが、たまたま読んでいた『身体構造力』という本に、突然、甲野先生の話題が出ておりました。ちょっとしたシンクロですかね。内容は、いかにもなテレビ番組で「気ですか?」と問われた甲野先生が戸惑うというエピソードなのですが、それに続く言葉がいかにも甲野先生らしかったのが印象的です。気になる方はぜひお読み下さい。

 ふつうなら、治療家が好んで使いそうなフレーズに対して批判的な姿勢が、好感を持って読めた理由でした。
 いろいろな意味で、治療家や、鍼灸師の方の書かれた本は、読むのがきついこともありあまり読まないでいるのですが、久々に、「そうそう…」と共感しながら読めた含蓄のある本でした。また哲学的な記載も多く、私としてもとても勉強になった一冊です。

 全体として身体性を強調し、不必要な甘言に媚びない姿勢は読んでいてとても共感できました。また過剰にソフトな治療を誇る昨今の一部の鍼灸界の風潮に対しての作者の姿勢も、さっそうとしていて好感が持てます。
 「気」の重視に関しての疑問の提起、という視点は、まさに私が若かりし頃、甲野先生の門をたたいた頃の気持ちを昨日のことのように思い出させてくれる一冊でした。

 鍼灸や治療、施術に関わる方に幅広く読んでいただきたい本です。納得できない、という方も出てくるでしょうが(笑)




tougouiryo at 2020年10月28日19:53|この記事のURLComments(2)

磐座百選

 お城へ To Go、明日は「根室半島チャシ跡群」のご紹介なのですが、これが100名城のまさにラスボス的存在。ここまでだと思っていた時にはまさに、最後の関門、といったイメージでした。が、続百名城が発表になると、福江城、金田城、とまさかの離島2つの登場となりました(ふ〜っ…)。

 どれを100(最終的には200)として選ぶか、まさに悩みどころではあるのですが、その選択過程もまた楽しみでもあるのでしょうね。私も200制覇したら、さらに100の城郭を個人的に追加してみようとたくらんでおります(笑)

 そんな感じで、自らの好みの100選を選出する方もすくなくないでしょう。同様の試みで「磐座(いわくら)」を100選んだのが下記の本。
 城も知らない人は、100もあるの?と思われるでしょうが、200に絞るのも実際大変なくらいです。私も、磐座などさすがに100はないから大変だったかと思いきや、そんなことはないようです。著者は、まず百選の候補を350選出し、そこから100を厳選したというのですから、これもただ私たちが知らないだけで、実にたくさん全国に散在しているわけです。

 著者は約13年かけて、奥様となるべく一緒に周られたようで、写真から解説まで全て自前で出版された、まさに渾身の一冊です。とてもきれいな写真満載ですので、ぜひご覧になって頂きたい一冊です!
 こつこつ周る中でしか、感じられないこともあることでしょう。




tougouiryo at 2020年10月16日22:38|この記事のURLComments(0)

「やってくる」がやってくる!?

 スゴイ題名の本だったので思わず買ってしまいました。郡司ペギオ幸夫著『やってくる』。以前、甲野善紀先生から、このペギオという名はペンギンが好きだからと聞いていたのですが、真偽のほどは分かりません(笑)

 この本、医学書院からの出版で、何の本なのかわからないまま読み出しましたが、ぐいぐい引き込まれます。まだ読了していないのですが、現段階までのまとめです。ムールラーに至るまでで十分頭がおかしくなりそうです・・・


やってくる (シリーズ ケアをひらく)
郡司ペギオ幸夫
医学書院
2020-08-03


 古武術研究家の甲野善紀先生のキーワードとして「運命は決定していて、同時に決定していない」というくだりがあるのですが、これを最近は、ジャングルカンファレンスの経験から多元主義の応用として解釈しておりました。これは甲野先生の武術観の根本にもある考え方なのですが、これを思わせるような記載もあり、とても引き付けられました。

「矛盾を認めながら、それを矛盾と呼ばないことにしてしまう」さらには「<認識する>と<感じる>はつねにミスマッチである」などです。

 甲野先生はこうした根源的な矛盾を解消するために、武術を探求することに決めたと述べれ、武術こそがこの矛盾解決?の方法とされていたのですが、ここでの著者は、こうしたミスマッチは隠蔽されているだけで、これにより、むしろリアリティが形成されるのだとのべています。
 つまりミスマッチ、矛盾というものが現実感、リアリティを形成しているのだと書いています。この現実感が外部から「やってくる」というわけです。

 ここだけ読むと訳が分からないのですが、著者のちょっと精神症状が混ざったような特異な経験談と合わせて丁寧に説明されていくので、結構引き込まれますが、説明するのは結構難しいですね(笑)

 ミスマッチの状況からリアリティが立ち上がる、というくだりをメモしておくにとどめます。リアリティというものが、どういう時に立ち上がるのか、といったことも初めて考えたような気がします。城めぐりなどでも感じますが、事前に学習した知識と、そこを訪れたときの差異(もしくはミスマッチ)のようなものが、一種の違和感を伴って現実感を形成するという感じは納得です。

 ここからのオープンダイアローグへの接続などはまた後日書いてみたいと思います。

 こうしたテーマに、ご興味ある方、ぜひどうぞ。
 
 

tougouiryo at 2020年10月04日19:58|この記事のURLComments(0)

先祖返りの国へ

 以前、ある方のご紹介で、現代において中世の集合場所のような「場」を作れないかという取り組みをしているグループの集会に参加したことがありました。

 そこで、幕末の頃の写真技術を現代に取り入れていらした写真家の方と名刺交換をさせて頂いたのですが、しばらく、そのことも失念していたのですが、アマゾンの書籍紹介で下記の本を見つけ、いつぞやの!と思い購入しました。それが作者の一人、写真家のエバレット・ブラウンさんです。

 まだ、ざっと目を通しただけなのですが、非常に興味深い内容です。日本文化と身体にご興味ある方にはお薦めです。




tougouiryo at 2020年09月30日19:33|この記事のURLComments(0)

Kampo Medicine 経方理論への第一歩 江部先生との思い出

Kampo Medicine 経方理論への第一歩
小川 恵子
全日本病院出版会
2020-07-21


 ネットを見ていたら偶然、見つけました。経方理論への第一歩、と副題がついていたので、「もしや」と思い早速注文しました。昨日、到着したのでまだ未読ですが、「はじめに」を読んでとても楽しみです。
 小川教授の書かれているように、「江部先生は天才で頭の回転が速いことから経方医学を当初から読んで理解するのは難しい」面があるので、第三者による、「ひいた」視点からの解説が望まれていました。山本巌先生の漢方著作をまとめた坂東先生、福富先生といったところでしょうか。

 私自身は、小川教授とは面識はないのですが、医学部卒が97年ということで年齢が近いことから、知らずに高雄病院ですれ違ったりしていたのかもしれません。ご略歴から07年頃から洋一郎先生の直接指導を受けていたとあるので、私があまり伺えなくなった時期なので経方理論の完成時期の教えを受けたということになります。いずれにせよ、「経方理論を読む前の知識を網羅した」と記されているので、改めて勉強したいと思います。

 私自身、統合医療という、漢方からは少し距離がある考え方の医療へと方針を転換し、それゆえにサプリメント等の要不要論などを洋一郎先生と対話させていただいた記憶が鮮明に思い起こされます。その後、私自身のやんごとない事情によりお会いする機会がないまま、先生が旅立たれてしまわれたのが、残念でありません。
 
 小川教授は以下のように述べておられます。
「江部先生の「漢方における処方の自由は経方理論の上にのみ可能であるというのが、われわれの信念である」という言葉に私は付け加えたいと思います」と述べられ、他の専門分野の方との(この理論を用いての)協力の重要性を書かれております。
 私も、この意見には大賛成で、経方理論はファッシアによる新たな、多職種連携に必要な身体イメージの創生に不可欠だと考えております(それゆえに皮肉なことに統合医療の重要概念として再評価が必要であるとも考えています)。
 つまり昨今、徒手系の療法で注目されるファッシア概念の実際面を、先生独自の「カン」でつかんでいらしたと思います。心下圧迫による「ウッ」感や三焦の圧迫といった独自の腹診、さらには経方独自の「気の行きと帰り」を意識した循環図などファッシアと漢方処方の(もっといえば徒手技法やサプリメントとの)ミッシングリンクを解く重要な概念といわざるを得ません。

 経方理論こそ、あらためて解釈されるべき漢方理論であると感じます。少し述べましたファッシアとの関連は、時折開催する講演に加え、ここでも随時、ご紹介していきたいと思います。
 

tougouiryo at 2020年08月16日05:00|この記事のURLComments(0)

明日は休診です。読書案内。

 明日15日は休診になります。お電話等のお問い合わせや、診療のご予約は17日月曜日からとなりますのでお気を付けください。また、本日(金曜日)は、受付は16時半までとなります。

 Covid19の感染防止の観点より、休診日はステイホームですかね。以下の本を買い込みました。関心のある方(一緒の方)はどうぞ。最近は、Covid19の社会的な意味みたいなことを考えております。


最強の教養 不確実性超入門
田渕直也
ディスカヴァー・トゥエンティワン
2016-04-14









たった一度の人生を変える勉強をしよう
藤原 和博
朝日新聞出版
2015-04-10


tougouiryo at 2020年08月14日12:42|この記事のURLComments(0)

現代経済学の直観的方法

 久々に長沼伸一郎先生率いるパスファインダーチームのHPを見ていたら、HP内でのみ電子書籍で読めた経済学の直観的方法が出版されていました。 
 急いでアマゾンで購入しようとしましたが、現在品切れのようで待機中です。なので内容、未読です。が、レヴューを見るとこれまでの原本の根本はそのままで、現代に合わせた改定がされているようですので、とても楽しみです。

 現在では、統合医療における多元主義の必要性を述べるときの基礎理論として用いている「縮退」の概念ですが、これについても経済学の視点から詳述されているようです。
 この原本を初めて読んだ当時は、全くと言っていいほど経済学の知識や理解がなかったのですが、これにより俄然、経済学についての関心を高めることができました。東大の西成教授の推薦文にもありますが、スゴイ本だと思います。
 現代の経済の流れを理解するにも最適の一冊という気がしております!未読なのであくまでも推測なのですが(笑)


現代経済学の直観的方法
長沼伸一郎
講談社
2020-04-08


 長沼先生の不朽の名著はコレ ↓ 伝説の前文と、長いあとがきでの、作用マトリックスを用いた「縮退」への流れは必読です。



 さらに長沼経済学を知るにはコレ ↓ 




tougouiryo at 2020年07月28日05:00|この記事のURLComments(0)

『内部機能障害への筋膜マニュピレーション』を読んでみました

 今回の記事は専門家向けの内容ですので、ご興味ない方はスルーを。

 コロナの影響でしばらく、紀伊國屋にも行っていなかったのですが、週末に久々の訪問。長居はせずにさっさと5階の医学書籍を見て回りましたところ、『内部機能障害への筋膜マニュピレーション 実践編』を見つけました。
 イタリアの理学療法士Luigi Steccoにより開発されたファッシアの治療法に関する書籍で、先行して「筋骨格系疼痛治療」に対する書籍も出ているようでしたが、そちらよりも「内部機能障害」が気になり、こちらの理論編、実践編を購入しました。

 ファッシアの理論としては筋骨格系疾患に関しては、他の書籍などもあるのですが、いわゆる内臓疾患を前面に取り上げたものは、これまでもいくつかしか出版されていませんでした。刺絡など鍼灸系の基礎理論としても非常に興味があったので、読んでみることにしました。用語が特殊だったので、初めはなかなか親しみが持てなかったのですが、だんだんと読み進めていくといわんとすることが理解でき、大変興味深い理論であることが分かりました。

 まずはファッシア(筋膜)の基本原理として、o-f(臓器筋膜)単位、a-f(器官筋膜)配列、システム、の3つに分けて考えていきます。
 単位は、臓器単独の筋膜との関係性で、張力棒でシートを広げたような「引張構造」を基盤とします。局所的な関連痛の説明として用いられます。
 ついで、配列は、内臓配列、血管配列、腺配列、受容器配列から成り、金門橋のような橋げたを有する吊り橋構造の「懸垂線(カテナリー)」を基盤として説明されます。これにより遠位の関連痛を説明しています。なのですが、これがはじめはとても分かりにくい。なぜ、このような「配列」という概念をわざわざ持ってくるのか理解に苦しんでいたのですが、読み進めると納得。いわゆる「経絡」の概念とのすり合わせを目的にしているようです。体幹部を流れる3つの配列ですが、一つの配列に4つの経絡を配当すると、12経絡の流れになるという仕掛けです。こう言うところを「科学的にどうなんだ」とか言う方もあるかと思いますが、私は先行する知恵との整合性を持たせるという発想は好きなので、結構すんなりうけいれられます。
 そして3つ目がシステム(系)です。幅広く浅筋膜全般における関連を示しており、具体的には免疫系、代謝系、体温調節(皮膚)系、心因系とざっくりと分類できます。皮下組織として括られる場にある、体全体にかんするものをまとめて扱ったような感じで、前2者と違い、全体論的な観点からのアプローチです。

 この技法に忠実に従うのであれば、詳細を知る必要があるのでしょうが、現状の臨床の参考として、理論の補強として理解できれば良いという姿勢なので、少々の誤解でもあまり気にせず、むしろ既存の体系との整合性を気にしながら読み進めました。
 今回はメモ的な記載のみでしたが、興味を持った医療従事者や施術家のかたは、是非、一度ご覧になってみるとよいと思います。漠然とした、ファッシアへのアプローチが、3系統に整理されるだけでも結構違った視点がえられると思います。




 

tougouiryo at 2020年07月12日15:09|この記事のURLComments(0)

錬金術について

 ホメオパシーに関して、かつて錬金術の関係が気になって、シンボル事典などをかっていろいろと調べたことがありました。(錬金術の記号的説明などはとても興味深いです)
 ホメオパシーの知識は、漢方における生薬の各論とはまた異なって、そこに含まれる薬効成分では解明できない要素が多く、それらはいわゆる錬金術関係の知識でした。また伝統医学の研究でも、中国、インド、エジプトさらにはメソポタミアなどと源流を追っていくと、やはりそうした魔術的な領域に入らざるを得ませんでした。これも錬金術的といえる知識です。
 そうした中で、(ずいぶんと前ですが)当時としても遅ればせながらでしたが「鋼の錬金術師」なども読んだり、そうした中でヒポクラテス全集の翻訳者、大槻先生の『新錬金術入門』なども購入しました。

新錬金術入門 (GAIA BOOKS)
大槻 真一郎
ガイアブックス
2008-07-10

 これは自分の知識ではホメオパシーとの直接的関連にまでは到達できませんでしたが、錬金術という通常のいかがわしいイメージしか涌いてこないようでしたら、そのすそ野の広さを知る意味でも参考になるかもしれません。(ただ単独では言わんとしていることはとてもつかみにくい書籍ではあります)

 かつてのそうしたことを少し思い出し、最近、大槻先生関連の書籍(ヒーリング錬金術シリーズ)をまとめて購入して読み始めました。まず、気になったのが鏡リュウジ推薦!の帯。さらにはマルボドゥスの言葉として「石の中に宿る力は、植物の中に宿る力よりもはるかに大きい」ということば。文字通りとれば、ここで述べられる「力」は明らかに植物の有効成分として語られるケミカルなものではないということ。つまりは神秘的な「力」。
 このあたりの領域は、あまりに深入りすると、通常の漢方などの感覚とずれてきて日常臨床に支障をきたすと問題なので、独特な距離感が必要に感じています。ただ、最近のインテグラル理論などの新たな認識方法を基にしてどこまで以前と違う理解の仕方に迫れるかと思いながら、少しずつ読んでいこうと思っています。「遠心力としての科学、求心力としての良心」などの言葉から、なんとなくカント的なヨーロッパの見方を感じることが出来ましたし、石や植物などの医薬的な「力」の淵源を、カント的な叡知界のような捉え方にも感じることができました。
 いずれにせよ、いわゆる東洋医学とは距離感のある思考法なので、頭の体操的にも興味がかきたてられる内容に思います。


中世宝石賛歌と錬金術―神秘的医薬の展開 (ヒーリング錬金術)
真一郎, 大槻
コスモスライブラリー
2017-08-01


 大槻先生の訳による「ヒポクラテス全集」も何となく我が家の積読になっているので、これも時を見て解読していきたいと考えております。

tougouiryo at 2020年07月07日05:00|この記事のURLComments(0)

シャドー(影)について思ったこと

 ステイホーム期間中から、最近はケン・ウィルバーの著作を読んでいます。『ティール組織』のヒットによりあらためて「インテグラル理論」に関心が向けられる中、再版ないしは新装版が次々に出ているので、とても入手しやすくなっています。
 こうした中で、統合の在り方をいろいろと模索し、インテグラル理論を大いに参考にさせていただき、現在、オンライン統合医療講座の当面の最終回の内容を作成しています。

 先週末の金曜日は、講座の第3回で多元医療について2時間オンライン講義をしましたが、これを受けての第4回となる予定です。こうした事情もあり、インテグラル理論を実感するためインテグラルライフという実践形態を、ボディ、マインド、スピリット、シャドーという各モジュールとして少しずつ実践しているところです。そのなかで、なかなかに難所なのが「シャドー」。
 そこでユング関連で、日本人向けに書かれたものとして、これまで読まずにいた河合隼雄先生の『影の現象学』を読んでみました。非常に興味深い内容で、解説でも遠藤周作が「名著」と絶賛しています。いろいろな夢のエピソードや文学作品、臨床の記録などによりまさにシャドーの本質迫ろうという内容。なのですが、自分としてはこうした内容への抵抗なのか、なかなか読み進められず、やっと読了しました。

 自我から分離した影との様々な関係が述べられる中、いくつか印象的な記述もありました。意識と無意識との二者対立に、影が介在するのですが、その対立状態に対して「それをそのまま長く耐えることが大切」という記載は、まさにオープンダイアローグの結論に達しないことへの耐性との共通性を感じて非常に興味を持ちました。つまりシャドーをかかえながら、その状態を保つということにもなるのでしょうか。
 また、そのシャドーとの距離の置き方も、東洋と西洋では異なるという視点も興味深いものでした。河合先生は、とくにユングのいうままの立場ではなく、一度東洋人としてその内容を咀嚼したものを記載しようという姿勢で書かれているので、特にそうした違いを強く感じました。
 また医療における少量の「毒」の必要性の指摘などは、ホメオパシーの原理と合わせ、さらに少し深めてみたいヒントにも触れられていました。(さらに名づけの功罪など、いろいろと参考になりました。また河合先生がこの本の題名を気に入ってないということも逆に引き付けられました!)

 まとまらないメモ的記載となりましたが、なんとなく興味持って方は読んでみると面白いと思います。普段は気にすることのない「影」という視点だけに、はっとさせられる視点を得られるかもしれませんよ。


影の現象学 (講談社学術文庫)
河合 隼雄
講談社
1987-12-10


tougouiryo at 2020年06月28日05:00|この記事のURLComments(0)

睡眠とれてますか?

 湿度も、温度もどんどん上がり、本日は気温35℃超の予報が出ておりますが、皆さん、夜はよく眠れていますか?
 暑さもさることながら、湿度の高さも不快指数が増し、良い睡眠の妨げとなります。ぐっすり眠ることで、気分も良好になり、免疫力も向上しますから、この時期の不眠は要注意です。

 一般に適度な運動が有効とされ、一日30分以上の歩行が週5日以上、ないしは、週5日以上の習慣的な運動をしている人は入眠障害や中途覚醒が少ないことが報告されています。

 また適切な栄養素の大切で、セロトニン合成に必要なトリプトファンやマグネシウム、ビタミンB6などは重要です。また神経の抑制性物質として有名なGABAやグリシンなども話題となっていますね。両者ともに睡眠における効果は実証されており、試してみる価値ありといってよいでしょう。

 そうした特殊なものに加え、カフェインへの注意も大切です。一般にカフェインには「門限」があるとされ午後二時までが良いといわれます。三時のおやつ以降のコーヒーはご法度、と心しておきましょう。また反対に午前中のカフェイン摂取は身体のリズムを整えるために必要だという見解もあり、コーヒー嫌いでなければ、タイミングによっては良いものにもなるというわけです。

 また直接的にメラトニンの摂取もとても効果的です。私も時折、摂取してから寝ますが、明らかに中途覚醒は減りますし、なんといっても寝起きがさわやかです。当院では、米国の医師専用サプリメント会社として有名なダビンチ社のものを扱っております。睡眠が今一つという方は是非一度ご相談ください。

 加えて、メンタルな技法としては、やはりマインドフルネスです。これは睡眠においても同様で、寝床で、閉眼したら心静かに呼吸に意識を集中させるわけです。自らの呼吸、息を吸っている、吐いている、を意識を向けます。同時に両腕・両脚が重くなる、などの自律訓練法的な暗示を入れても効果的です。いずれにせよ、心のおしゃべりをやめ、「瞑想」の訓練だと思い気長に行うことも大切です。
 まずは今晩から、いかがですか?

 以下の書籍も参考になりますよ。


SLEEP 最高の脳と身体をつくる睡眠の技術
ショーン・スティーブンソン
ダイヤモンド社
2017-02-27


tougouiryo at 2020年06月15日13:47|この記事のURLComments(0)

タオ自然学を読んで感じたこと 「統合」の意味すること

 前回に引き続いて「タオ自然学」を読んでいて感じたことです。思いつきのメモなのでご興味ない方はスルーしてください。

 「統合」について。この統合という用語がかなり多くの混乱を生み出していることを強く感じています。訳するときに分けて訳そうとしても、なかなかうまくいかないのでしょう。翻訳者の方の、モヤモヤが伝わってくるようです。とくにインテグラル理論についてはそれをつよく感じます(ケン・ウィルバー自身もそうした不満を書いています)。それゆえにカタカナで「インテグラル」としているのでしょう。
 Integrativeでも、 Integratedでも、 IntegralでもそのあとにMedicineとなれば、訳語とした場合は「統合医療」ということになります。私も統合というと、『統合医療の哲学』等ではナシア・ガミーの論点を踏襲しているので、統合主義の折には、「アウフヘーベン(止揚)」の意味合いで用いることが多いです。
 これはガミーのいう統合主義がそうした要素が強いからで(それゆえにガミーは研究などの「理想状態」に適応しています)、そのために多元を強く考慮した際には私は「多元的統合医療」という名称を提唱しました。この用語は、いささか語義的矛盾があるのですが、言わんとしていることは伝わったようで、数年前に統合医療学会においても認められ「学会賞」を頂きました。
 つまり統合医療など統合的アプローチを語る際には、多元的な考え方がどうしても前提になるわけです。そうするとアウフヘーベン的な「統合」とは少し意味合いが異なってくる感じがするのです。

 1970年代に書かれたこの「タオ自然学」は、こうした分野において、もはや古典的といっても良い位置づけになると思います。ここで、量子の波動性と粒子性について議論されています。
 これを東洋的な陰陽思想に対比させるわけですが(今では珍しくもない視点ですが)、それにより現代物理学と東洋思想とを統合的に「合一」させる論法を展開していきます。
 それはまさに両極となる思想の「合一」としての統合といってよいと思います。今日の統合医療も(新規参入された先生方がこの件を理解されているかは置いておきます)歴史的には明らかにこの論点を一定の割合で踏襲しているといってよいと思います。ある種のホリスティック的な思想においては、そうした風味の説明がされていると思います。
 しかし、ウィルバーの今日の著作などでの「インテグラル」の意味合いはこれではありません。訳者による解説書である『入門インテグラル理論』の扉にはインテグラルについての2つの意味合いが強調されています。
インテグラルとは
「統合的」「包括的」:分散された領域をつなぎ合わせる。
「必要不可欠」:世の中にある膨大な情報から絶対に見逃してはいけないものを見極める。

・・・とあります。
 つまり、ウィルバーのいう「インテグラル」は合一をめざしているわけではなく、必要不可欠なものを取り漏らさないようにしながら、分断された領域をつなぎ合わせている、という意味合いだというわけです(何となく積分的ですね)。これは「合一」というような意味よりは、「綜合」の意味合いのように「束」にしてまとめるのに近いように思います。

 おそらく統合医療における統合は、こちらに近い意味合いだと思うのです。でなければ、複雑な現実の臨床例を扱うにはあまりに非現実的です。
 それゆえに「合一」的な意味合いで、症例を無理に語ろうとすると、よほど「よくできた」症例で説明するしかないわけです。こうした例は素晴らしいですが(本当ならば?)、現実的な臨床の方法論としては役に立ちません。プラグマティックに意味ある「統合」は「合一」的ではなく、ある種多元化されたものの「つなぎ合わせ」的、「結束」的、といってもよいかもしれません。いわば「合」ではなく「結」的です。ウィルバーの理論に基づけば、様々なステージのラインが束のようになり、結束されているような感じとでも表現できるでしょうか。これはいわば多彩な花束を束ねた「リボン」のようなイメージです。(こうした統合医療観から、当センターの身心工房は「リボン」と名付けています!)

 時間が経過した書物というのは、少し前のモヤッとした概念を第3者的に見ることが出来、とても大切な気づきを与えてくれることをあらためて感じました。「結(ゆい)」の意味するところは、今後の統合医療を考える際に、一つの手がかりになっていきそうな予感がしています。マッチョで原理的な「合」ではなく、緩いけれども全体の華やかさ美しさを有するかたち、での「結」的な「統合」こそが我々の求める統合医療像に近いのではないでしょか。

 詳細は覚えていないのですが、確かゲーテだったと思いますが、ニュートンの近代科学的方法を評して、美しい婦人の顔にかかるベールを無理に取り除いてその顔をまじまじと観察するようなものだといったようです。ではゲーテは、これに対してどうしたというのか。ベール越しに、光の陰影とともにうつむく美しい表情をそのまま眺めるという方法をとる、というような表現をしたように思います。(大体です、詳細不詳のためご存知の方教えて下さい)

 こうした「結(ゆい)」的統合でありたいと、読後にふと思いつきました。




ゲーテとの対話 全3冊セット (岩波文庫)
エッカーマン
岩波書店
2013-12-19


 
 

tougouiryo at 2020年06月02日05:00|この記事のURLComments(0)

タオ自然学

 今月はStay Homeでしたので、統合医療の「そもそも」を考える時間にしていました。統合、インテグラルの在り方や、スピリチュアリティの位置づけなど、ちょっと忙しい時には考えにくいものに時間をかけてみました。(この成果?としてオンライン統合医療講義を開講しますので、ご興味ある方は是非ご参加下さい)

 特に歴史的には、統合医療の前段階ともいえるホリスティック医療の在り方や、その母体とも言えるニューエイジムーヴメントについては、医学生の頃に盛んに読んでいましたが、ずいぶんご無沙汰していました。
 そうした中で原点回帰のような形で『タオ自然学』読んでみました。この本はたしか、まだ大学教養部だった頃、友人に借りて読んだ以来です(この愛煙家の友人の下宿でワイルの著作とも出会いました)。当時はざっと、こんな感じか、といったくらいでしたが、現在読むと少し感想が異なります。
 ケン・ウィルバーはカプラのこの著作を独白(モノローグ)であるので、大きな変化につながらなかったように述べており、確かに読んでみるとその通りではあります。ただ当時の雰囲気として何人もの人達が、ここに物理学をはじめとした科学が東洋の深淵な思想と統合されていく様子を夢想し、輝かしい未来を思い描いたのではないでしょうか。そうした歴史的な意義は大きかったのではないかと思います。しかしそれでも、この内容はウィルバーの言う「左上象限(1人称)」であることに変わりはありません。

 そうしたことの影響なのでしょうか、続くニューエイジの旗手、デヴィッド・ボームは、ダイアローグの重要性を説きます。隠れた変数説により量子力学を説明しようとした物理学者ですが、ダイアローグへの可能性を見出している姿勢は、この1人称性を超えるべく、2人称(左下象限)とウィルバーの表現する「間主観性」の重要性を理解したうえでのことなのかもしれません。
 いずれにせよ。この『タオ自然学』のベストセラー化によりニューエイジムーヴメントが展開していくことになるのです。そうした当時の「力」を感じ、ややもするとEBMの申し子に自ら進んでならんとしている統合医療の昨今の風潮を、再考させてくれる良い機会になりました。(ちなみにEBM的な方向性自体は良いと思います、他の視点とあわせて複眼的にインテグラルにいくべきではないか、というのが私の主張です)



tougouiryo at 2020年06月01日05:00|この記事のURLComments(0)

シュタイナー哲学入門

 スピリチュアリティの本をいくつか読んでいたのですが、そうすると久々にシュタイナーが気になり、『シュタイナー哲学入門』を読んでみました。好きな書き手である若松英輔さんの解説で、レビューの評判も良かったので購入しました。
 シュタイナーそのものの著作は、どうも苦手であまり読み進められなかったのですが、こちらは哲学史のなかでのシュタイナーの位置づけ、さらにはフィヒテ、ヘーゲル、ゲーテ等の関連、とりわけブレンターノとの関係はとても興味深く記載されていました。代替医療系からの記載ばかりだと、シュタイナー押しが強すぎて、ちょっと苦手だったのですが、こうした視点の著作はとても興味深く、ゲーテと絡めてさらに関心がわいてきました。ドイツロマン派についても勉強になりました。

(ちょうど解剖学の勉強会が終わったばかりでしたので、ゲーテと三木成夫の関連も併せて読んでいたので大変触発されました。三木成夫の「原形」「おもかげ」についてはまた機会をあらためて考察してみたいと思います)




tougouiryo at 2020年05月31日12:02|この記事のURLComments(0)

異端の科学

 MRIと水分子について調べているうちに、中田力先生の「脳の渦理論」を思い出し、久しぶりに渦理論3部作を読んでみました。何度もよみかえしているのですが、こちらの理解力不足のためなかなか理解できずにいる内容なのですが、それでも時折気になってしまうわけです。なぜか不思議な引力を感じる本なのです。こうした事情は、私に限ったわけではないようで、松岡正剛先生の千夜千冊でも、同じような感想が書いてありました。

脳のなかの水分子―意識が創られるとき
中田 力
紀伊國屋書店
2006-08-01



 それでも今回は、ELDER、アセンブリ、アクアポリンといったキーワードがずいぶんと理解できたような気がします。とりわけ、全身麻酔の基礎が水のクラスター形成にあるというポーリングの理論から(これもポーリング!)水分子の重要性が良く分かりました。しかし、中田先生をしても脳機能と水分子の関係を述べると「おかしい人と思われる」というのですから、科学にはどうしても触れてはいけない、という領域がやはりあるようですね。

 中田先生の著作とは関係ありませんが、そうしたものの代表格のようなものを少しメモしておきましょう。これらは、その理論の突飛さもさることながら、ちゃんと検証しようとしたにも関わらず、何らかの妨害が入ってしまったというものです。事の真偽は、現在の私たちにとって「藪の中」なのですが、各人が推理しながら読まれるのも面白いと思います。科学の闇のようなものにご興味ある方はどうぞ。

 まずは千里眼や念写・透視の実験を行った福来友吉(東京帝国大学文学博士)については以下。前帝大総長の山川健次郎(理学博士)を前にした実証実験の圧巻の様子が描かれています。

霊術家の饗宴
宏次, 井村
心交社
1984-01T


 次は獲得形質は遺伝すると主張したオーストリアの生物学者パウル・カンメラ―の悲劇を描く、アーサー・ケストラーの代表作。エピジェネティックが語られる現代においては、また違った角度で興味深い作品です。







 そして最後は、ホメオパシーの理論的基盤を提供するはずだった実験の顛末。PAFの発見などそれまで一流の科学者であったベンベニストが「水の記憶」事件に対して、「ネイチャー」とのやり取りを記した反論の著作です。序文を「ジョセフソン効果」を発見したブライアン・ジョセフソンが書いているのも興味深いです。




 読む方によっていろいろな感想を持つことと思いますが、たまには「異端」の世界に思いをはせるのも良い頭の体操になるのでは。

tougouiryo at 2020年03月21日06:00|この記事のURLComments(0)

三石理論における分析と総合

 三石巌先生の『医学常識はウソだらけ』を読み直していたら、まえがきにおいて渡部昇一先生が興味深いことを書かれていたのでメモしておきます。

三石理論を読むと、それが科学至上主義の唯物論であることが解る。(中略)人体を一つの物理化学的反応体系として徹底的に考察せずして、真の栄養学は生まれないであろう。私は唯物論者ではないが、唯物論的にも考えることが出来ない人は科学者でないと思っている。

 とあります。ともすると統合医療の分野は、過度のオカルトに引き込まれる可能性を十分持っているだけに(これは各自で相当姿勢の違いがありますが…)大きな警鐘とすることもできる言葉です。まあオカルトをどう定義するかなど、実際はそう簡単ではないでしょうが、分子栄養学、オーソモレキュラー、といった分野が、こうした唯物論的精神によって大きな成果を上げたこともまた事実でしょう。
 いわゆる現代医学以外が、すべてオカルトであるかのような構図でこの統合医療という領域を捉える方には少し混乱するかもしれません。しかし、合理的な精神をもって、医学という幅広い世界(三石先生は医学は科学ではない、と喝破していますが…)を見ていくことは、統合医療にとって大変重要なことだと思います。

 こうした三石理論と、現代医療の思考方法の違いを(勝手に)比較してみると、分析と総合、という哲学的方法の違いに影響すると思います。昨今のEBM重視の流れは、統計学的方法を前面に出したいわば「総合」的な方法です。これに対し、分子栄養学やオーソモレキュラーの立場は、「分析」の立場を徹底しているように思います。そして分析を徹底した後に、現実の臨床効果を、統計的ではなくプラグマティックな「総合」により進展していっているという感じでしょうか。三石先生はそれを「検証」という言葉で、前掲書のなかで次のように表現しています。

科学であるためには「検証の精神」が不可欠であり、「検証」とは仮説を実証する科学的手続きのことである。だが、人間の生命に関わる分野であるだけに、昔からこの「検証」という手続きが曖昧なままに放置されてきたのである。

 として現状の医学批判を展開されています。我々は、「医学」といわれる領域をもう一度、捉え直すことで、各々の生命をより輝かすことが出来るのではないでしょうか。三石理論は、唯物論の立場からそうした視点を、今に至っても提供し続ける力強い理論といえるでしょう。



現在のオーソモレキュラー、分子栄養学の隆盛の基盤となった著者による一般書です。ご一読をお勧めします。

tougouiryo at 2020年03月17日06:00|この記事のURLComments(0)

経方医学とファッシア


 最近のファッシア絡みの考え方のメモみたいなものですので、ご興味ない方はスルーしてくださいませ。(クリニックの勉強会メンバーで参考にされたい方はお読みください)

 昨今のファッシアの訳本などの解説書の流れとしては、整形内科研究会の先生方がけん引している事情もあって、ファッシア重積のリリースや、それに類する鍼灸や理学療法の治療へとつながる話題が多いように感じます。それゆえにファッシアの科学的解明の方向性を呈するものが目立つわけですが、十数年前からテンセグリティーやエネルギー医学の流れに関心をもっていたものの立場からすると、エネルギー系の考えから少し距離が置かれているようにも感じております。
 まあ、怪しいエネルギー系とは一線を画したいという総合診療系の先生方のお考えもわかるのですが、「ファッシア」という概念自体が、そうしたものを一つの母体として脚光を浴びたという点は否定できない面もあり、オシュマンなどの展開する「生体マトリックス」という用語にも私としては親近感を感じております。
 今後は、細胞外マトリックスや細胞骨格と水分子の極性との関連が、ホメオパシーなどエネルギー系の医学とよりいっそう密接に論じられるようになると感じているので、生体マトリックスという用語も積極的に用いていこうかと考えています。

 また、昨年の1月に開催した「ファッシア研究会」の折に発表したファッシアについての総論のPPTを見ていたら、江部洋一郎先生の提唱された「経方理論」との関連を(自分でも忘れていたのですが)説明してあり、あらためて原典を見直してみる機会になりました。

経方医学 1―「傷寒・金匱」の理論と処方解説
横田 静夫
東洋学術出版社
2011-04T


 経方理論は、名医別録を基盤とした生薬の「ベクトル性」の展開だけではなく、従来あまり重要視されていなかった「隔」という概念がネックとなる漢方理論です。いわば、気の出入りを担当する「隔」と、その上下にあって気の上げ下げを担当する「胸・心下」がキモとなり、それらの機能の相似形のようになり体表面での気の流れを説明するというものです。
 この体表面での流れを「皮」と「肌」の二層に分け、その間に「膜」を置き、これらを貫通する形で「腠理(そうり)」があるという構造です。皮は、いわゆる表皮と真皮における乳頭層に相当し、肌はそれ以下の真皮つまり網状層と皮下組織(脂肪層)がこれにあたります。
 つまり、経方理論における「肌」がファッシアに相当すると考えてよさそうです。となると「膜」はさしずめ、網状層における膠原線維束(皮革製品として使われる部位)といえるのではないでしょうか。
 ファッシアと肌とを比較するメリットは、その臨床応用にあります。これまでの流れであれば、整形的な痛みの発痛源としてその解剖学的位置が問題になっていましたが、経方理論に関連付けることにより、傷寒論をベースにした漢方処方への展開が可能になります。つまり脾胃と直接関連付けられ(心肺ではなく)、腹診における心下に着目することが可能になります。(このあたりは経方理論における臓腑関連図を参照してください)
 さらには、心下の下部に位置する腸間膜領域を寺澤先生の述べられるように「三焦」として考えると、ファッシアと三焦との密接なつながりが『閃く経絡』とまた違った観点からみることもできます。




 いずれにせよ、故江部洋一郎先生の遺した「経方理論」は、昨今のファッシア理論の展開にも極めて重要な役割があるのではないかと感じることが出来ました。ご興味ある方は、さらに理論展開を考えているので直接お尋ねください(笑)

tougouiryo at 2020年03月08日20:00|この記事のURLComments(0)

悲しみの秘儀

 ボームの言葉をここでしばらく引用していると、読んでいる時とは異なった感覚になることがしばしばでした。ただ引用しているだけにもかかわらず、ダイアローグやカンファレンスという行為に対して、深く考えさせられます。
 数日前から若松英輔『悲しみの秘儀』を読んでいるのですが、そこからこの引用ということにも考えさせられました。ちなみの俵万智さんは、著者を「引用の達人」と称賛しています。

誰かの言葉であっても書き写すことによってそれは、自らのコトバへと変じてゆく(中略)
引用は人生の裏打ちがあるとき、高貴なる沈黙の創造になる。そこに刻まれた言葉は人がこの世に残しうる、もっとも美しいものにすらなりうる。


 若松先生の本は『本を読めなくなった人のための読書論』を読んでから、その独自の視点と優しい文体から何冊か読んでいますが、今回、この引用についての文章と、さらにはカンファレンスの在り方について考えさえられたのですこしメモすることにします。

 医療における通常のカンファレンスでは、当然今後の方針など具体的なことを決定していくので、感傷的なことばかりでは進まないのですが、ジャングルカンファレンスにおいてはそれとは少し違った印象をわたしはもっています。代替医療、統合医療の場には、通常の医療からふるい落とされた悩みや不調が数多く現れます。
 これに対して、いわゆる通常の「医療従事者」的な言葉だけでは、寄り添うことが出来ない場面も多々あるはずです。様々な意見を多元的に取り扱う理由はそこにもあるわけです。しかし、それだけなのかということです。そこにはふるいにかけられ、既存の枠組みでは掬い上げられることのない悲痛な訴えがあります。そこにどのように共感していくのか、ということもとても重要に思います。若松先生の以下の文章が、印象的でした。

人生には悲しみの扉を通じてしか見ることのできない地平がある。人は、悲しみを生きることによって、「私」の殻を打ち破り、真の「わたし」の姿をかいま見る。また、悲しみを経て見出された希望こそが、他者と分かち合うに足る強度を持っている、とも思う。悲しみを生きるとは、朽ちることのない希望を見出さそうとする旅の異名なのではないだろうか。

 ジャングルカンファレンスにおける、対話の中で交わされた言葉が、何らかの「強度」を持つとしたら、こうした悲しみへの共感が大きいのではないだろうか、たとえどんな形でカンファレンスが展開されようとも、こうした共感なしでは、その基礎がないといっても仕方がないのではなかろうか、といったことを強く感じた文章でした。

 また普通は受け身ととられがちな「読者」についても書かれていました。カンファレンスなど欧米系の考えでは何か発言しなければならないとされますが、ただ聞いているだけでも多くの人のない内部では、実は大きなうねりが生じているものです。そうしたことと考え合わせながら。

読者とは、書き手から押し付けられた言葉を受け止める存在ではない。書き手すら感じ得なかった真意を個々の言葉に、また物語の深層に発見していく存在である。こうした固有の役割が、読み手に託されていることを私たちは書物を開くたびに何度となく想い返してよい。


悲しみの秘義 (文春文庫)
若松 英輔
文藝春秋
2019-12-05


tougouiryo at 2020年02月27日06:00|この記事のURLComments(0)

隠岐から帰ってきました

 しばらくバタバタしておりまして、久しぶりの書き込みとなります。

 1月17日から23日までの一週間は、超音波を中心に離島の僻地医療を見学に隠岐にいっておりました。初めての訪問でしたので、まずは到着するまでに結構大変でした。隠岐では、観光する時間も十分に取れたので、島前のみでしたがいろいろと見て回れました。とりわけ摩天崖から通天橋への散策は、外国にいるかのような雄大さで、事前に調査していなかっただけにかえって大きな感動でした。
 また離島の医療についても初めて知ることばかりで大変刺激的な一週間となりました。





 ここでの長期休暇のつけがまわっていろいろと忙しかったのに加え、カンファレンスの在り方を考えさせられる事件が頻発し、心身ともに疲労困憊しておりましたが、同時に多くの学びも得ることができました。とりわけ「ダイアローグ」についての考察がいろいろ進みましたので、ここでも書いていきたいと思います。以下のボームの著作から多くの示唆を得ました。ニューエイジ運動にかぶれていた時にボームの著作は何度か手に取ってはいたのですが、当時は難解でとっつきにくそうなので敬遠しておりましたが、現在は大変共感できます。本にも出合うタイミングというのがあるものですね。




tougouiryo at 2020年02月09日09:19|この記事のURLComments(0)

ラリー・ドッシー『時間・空間・医療』

 医療における「対話」の意義が強調されつつある中で、前回はその重要性を考えたわけですが、そこでラリー・ドッシーの著作を思いだして、久々に『時間・空間・医療 プロセスとしての身体』を引っ張り出してみました。ラリー・ドッシーには7年ほど前に、沖縄の講演会に参加した際に、懇親対話会でお話をする機会があり(奥様ともお話しすることができました!)、ご著書にサインして頂きました。
 そこには、現在、医療において最も重要視されている「客観性」ということに関して、鋭い文章が書いてあり、読書時も印象に残ったためチェックしてありました。以下、引用してみます。



 科学は、今まで存在せずほんとうに必要でもなかった原理に対する確信を、ひとつひとつ拒絶しながら発展を遂げてきた。たとえば、エーテル、カロリック、フロギストンなどの概念は、よく健全な科学へと向かう努力の中で、初期の時代に全て断念された。しかしこうした修正はもっぱら科学の内容に関係していた。(中略)その結果、医学は大混乱を招くかもしれない。けれども、客観性という幻想がなくなれば、医学は手かせ足かせから解放されることになる。医学は客観的であるべしという要請は、実質的に健康と病気における強力なファクターを否定してきた。


 ここでは「客観性」というのはそろそろ乗り越えられるべき、「フロギストン」のような概念だとドッシーは述べています。これが居座るがゆえに、意識の介入という医学的に大きな展望を逃してしまっている、と述べているのです。
 意識を排除し、絶対的真理のような概念を探求したこれまでの医療に対して、対話がもたらすものは単なるナラティブの復権というようなものをはるかに超えているように思います。絶対的真理ではなく個別の真理、客観的・普遍的ではなく、各々の「場」から生成される価値のようなものを重要視する考え方なのです。そして、我々がそうしたものの生起する場面の代表として捉えているのが「対話」なのではないでしょうか。
 久々に読み返してみて改めて示唆に富む著作だと感じさせられましたので、メモとして書いておきました。


時間・空間・医療―プロセスとしての身体
ラリー・ドッシー
めるくまーる
1997-11


tougouiryo at 2020年01月09日06:00|この記事のURLComments(0)

「花粉症は治る病気です」出版されました!



 ホメオパシー医学会でかつて、花粉症のレメディの効果を、多施設の二重盲検法にて検討しその有効性を証明した朴澤先生の電子書籍が出版されました。この二重盲検研究の時も当院は、研究施設として協力させて頂きました。
 こうしたことから当院も、本書で連携施設として掲載されております(電子書籍のためまだ確認していないのですが…スミマセン)

 朴澤先生と同じレメディを用いて例年、花粉症のレメディとして当院でもその効果を実感しております。本年も早々に、花粉症のレメディ希望者が出ておりますので、すでに大量にスコットランドより輸入しました。スギ・ヒノキともにレメディの準備万端です!

 このレメディは年年その効果が蓄積されていくようで、3〜4年経過した患者さんは明らかに前年よりも症状の経過が顕著にみられます。この傾向は、初めの年では、はっきりしない方も多いのですが、2年3年と経過するうちに、明らかに、使用していない人との差が出てきます。

 大きな副作用もなく、非常に有効な方法ですので、ホメオパシーに対して「アレルギー」がある方にも是非おすすめしたい治療法です。

tougouiryo at 2019年12月17日06:00|この記事のURLComments(0)

疲れの取り方、発売中!



 私が監修し、朝野ペコさんによるイラストの「365日やさしい疲れの取り方」が出版されました! 学会開催日には間に合いませんでしたが、現在、アマゾンにて購入可能ですので、是非、どうぞ。関係者の方は、クリニックにても販売しております!「いいこと大全」に次ぐ、「かわいいシリーズ」です。おっさんなのですが、どうしてか、こういうかわいい系のお仕事の依頼が増えている傾向にあります(笑)

tougouiryo at 2019年12月16日06:00|この記事のURLComments(0)

新刊出版されます! SELF CARE BOOK 365日やさしい疲れのとり方

 今月の11日に、新刊が出版されます!以前出版した「いいこと大全」に似た感じの、イラストが多い感じの読みやすい「疲れの取り方」をテーマにした本です。

 この本も、多元主義とプラグマティズムを基盤にして(とは気づかれないでしょうが・笑)いろいろな方法論が楽しいイラストで紹介されています。ぜひご覧ください。




tougouiryo at 2019年12月03日06:00|この記事のURLComments(0)

今週末は鹿児島にて第23回日本統合医療学会です

 今週末12月7日と8日は、鹿児島にて第23回日本統合医療学会です。IMJ鹿児島支部長の吉田紀子先生が大会長で、かごしま県民交流センターにて開催されます。統合医療に関心のある方、お近くの方、是非ともご参加ください。

 当院は、開催前の理事会や、当地での関連団体との交流があるため木曜日から休診になります。ご予約やお問い合わせなどは、受付業務は通常通り機能しておりますので、お電話にてお願いいたします。

 今回は統合医療カンファレンス協会としてポスター発表が採択されたのに加え、多職種連携をテーマにシンポジウムを一つ担当させて頂きました。私は当院の紹介に加え、ジャングルカンファレンスの立ち上げに関して多職種協働のあり方を発表する予定です。

 以下、我々の統合医療に関しての考え方が述べてありますので、是非ご一読ください。








tougouiryo at 2019年12月02日06:00|この記事のURLComments(0)

今週は勉強会とジャングルカンファレンスです

 今週14日木曜日は、定例のジャングルカンファレンスです。鹿児島での統合医療学会の前のカンファレンスになりますので、発表予定の方はなるべく参加するようにしてください。参加申し込みは、統合医療カンファレンス協会HP(11月開催分)まで。

 翌15日金曜日の勉強会のお知らせ(関係者のみ対象)。今回は体表解剖の3回目でボディナビゲーションの体幹部をやります。具体的には、前回の残りの「足部」からはじめ、4章「脊柱と胸郭」を中心に、頭頚部と骨盤部の復習をする予定です。

具体的には、以下の「トレイル」を中心に、自分で実際に自分の身体を触って予習してきてください。
4章 正中線稜、横断道、項部、隠れた大通り、胸骨稜、でこぼこ道
5章 球形一周、顎の遠足、馬蹄トレック
6章 骨盤部の復習



 また今週金曜日はオープンダイアローグ開催予定です。出席予定者はオープンダイアローグについて少し見ておくとやりやすいでしょう。





 

tougouiryo at 2019年11月11日13:00|この記事のURLComments(0)

ファシアの健康番組と刺絡治療

 先日、NHKの健康番組で「ファシア」が取り上げられていました。我々の勉強会では「ファッシア」と言っていますが、まあどちらも「筋膜」の訳なわけです。番組では美容をメインに展開されていましたが、それにとどまらない今後の展開が期待される重要な身体の考え方です。
 これまで、筋肉や骨格、内臓などいわゆる「実」が話題となることばかりだったのですが、「それ以外」にだんだんと注目が移ってきているのでしょう。番組では、ファッシアに向けての「ハイドロリリース」の様子なども紹介されており、今後ますますこうした番組での取り上げられることが増えていくでしょう。

 ファッシアに興味を持つのは、当院での治療のメインでもある「刺絡」や「ハイドロリリース」の理論的基盤になるからです。ハイドロリリースはまさにエコーを見ながら、ファッシアを狙うわけですからそのものズバリ、なわけです。
 これに対して刺絡はどうしてなのでしょうか。これまではなんとなく、末梢の毛細血管での「瘀血」を対象にした鍼治療の一つというとらえ方をしていたのですが(それでもまちがいではないのですが)、なぜこれほどまでに即効性をもって疼痛などに効果があるのか、そしてそもそもどこから「瀉血」しているのか、などいざゆっくりと考えるとわからなくなってくる問題は少なくありません。
 これに対して、ファッシアに含まれる毛細血管の停滞部(細絡)と考えると、その治療対象が明確になってきます。加えて、経絡の流れをアナトミートレインとして考えると、その流れはファッシアにテンションがかかったものそのものであるので、経絡上の瘀血と考えて矛盾しません。
 
 ファッシアを中心にこれからの健康への考えを展開すると、まさに瘀血、刺絡、という概念がさらに重要になってくることでしょう。ただの結合組織としてのとらえ方から、統合医療全般を改めて再考させる重要な概念としてより注目していきたいと思います。
 また慢性的な疼痛の方には、きわめて重要な考え方となっていくことでしょう。お困りの方は、このファッシアにおける瘀血という視点での治療が、大きな可能性をもたらすことは間違いないでしょう。









tougouiryo at 2019年11月09日06:00|この記事のURLComments(0)

対話型ファシリテーション

 今月はジャングルカンファレンスです。11月14日木曜日、いつもの代々木ウィルワンアカデミーですので、ぜひともご参集ください。最近は、JCに加えて、ジャングルカフェやオープンダイアローグなどいろいろな方法論をもちいて、開催することが多いので、ファシリテーションについていろいろと読んでいます。
 そんな中でも気になったものがこれ。



 メタファシリテーションという技法を分かり易く解説している手引きなのですが、これが内観療法ととても似ていることに驚きました。「なぜ?」や「どうした?」という質問を封じることで、相手の気づき促すというものなのですが、内観の3原則、してもらったこと、してかえしたこと、迷惑をかけたこと、を尋ね、迷惑をかけられたことという質問を意図的に外すというところが一脈通じます。また質問の過程も、事実関係を聞いていくということを徹底するなど、基本的な方針も似ていると感じました。また「問題は何か、誰の問題なのか」という点を強調するところは、最近特に気になっていた視点だけにとても共感できました。
 意図的に何かを聞かない、ということが大きく相手の気づきを促進するということをあらためて感じさせられました。

tougouiryo at 2019年11月07日09:08|この記事のURLComments(0)

今週の勉強会は「下肢」です 

 関係者向けの連絡です。今週の勉強会は、前回に引き続き、体表解剖学です。今回のテーマは「下肢」ですので、ボディナビゲーション、を中心に自分の体を触っておいてください。余裕があれば『解剖学講義』の下肢のところも見ておいて下さい。



 筋肉の基本的な知識が不安な方は、さらに簡単な参考書を挙げておきます。漫画的な説明にも関わらず、結構詳しく書かれていたりします。進化的な視点もふんだんに入っているので、ためになります。




tougouiryo at 2019年10月17日06:00|この記事のURLComments(0)

中動態の世界と、善の研究

 先月の沖縄でのジャングルカンファレンスの際に、アリゾナ大学PIMAAの同門の濱田先生と統合医療の在り方について議論した時に、ともに重要な理論として挙げたのが「中動態」についての考え方でした。
 この考え方はリボンの「一緒に治る」という思想にも反映されているもので、私も非常に重要な概念だと思っております。
 なぜ、能動態、受動態でない中動態が重要なのか、なぜそもそも文法の話が統合医療の考えにおいて大切なのか。疑問に思った方は是非、下記の書籍をお読みください。対話や会話を重視する新たな医療の考え方の一端に触れられると思います!



 現在、「100分で名著」、西田幾多郎の『善の研究』です。日本独自の哲学という切り口で紹介されることが多い名著ですが、プラグマティズムとの関連は、専門ではない方にとってはあまり知られていません。ジャングルカンファレンスの基本思想でもあるプラグマティズムと関連させながら、読解することも面白いのではないでしょうか。




tougouiryo at 2019年10月16日06:00|この記事のURLComments(0)