こちらの医学

認知症世界の歩き方 「こちらの医学」から見える世界

 今週開催予定のジャングルカフェの課題図書のお知らせ、確認です。認知症を内側から、その特徴を描き出した「認知症世界の歩き方」です。内側を描くことが最も重要な疾患だけに(身近な人に共感するために)こうした書籍の意義は極めて高いと思います。


認知症世界の歩き方
認知症未来共創ハブ
ライツ社
2021-09-15



 こうした視点は認知症という一疾患にとどまらず、あらゆる疾患にも必要な観点だと思うのですが、そうした視点のものはなかなかなさそうです。
 現状としては、闘病記のようなものがこうした役割を担いうるものではありますが、一般性という観点からはなかなか難しそうです。

 かつてこうした領域の特殊性をどのように表現したらよいか、と考えて提唱したのが「こちらの医学」という概念です。
 いわゆる客観性を重視した現状の正統医学へのアンチテーゼ的な内容ですが、ある種、現状の正統医学の補集合的な捉え方をすれば、それほど無理な内容ではないと思います。

 このように書くと主観性の強いイメージとなり、NBMの概念と混乱する方が多いようなのですが、NBMが現象論的な立場に近いならば、むしろ構造主義的な立ち位置といえるものです。
 そしてそれを認知科学的な用語で表現するわけなので、一般的に「主観」のように思われる領域を、なるべく「客観的」に表現しようとしたものとなるわけです。
 こうした視点にもっとも近く感じるのが、この「認知症世界の歩き方」かなと思い、今回の課題図書としました。

 ではこれが「こちらの医学」と称したものそのものなのかというと、そういうわけではありません。
 こうした観点に基づいて、具体的な方策を提案していくところまでが、「こちらの医学」としての提案ですので、具体的には、個々の特殊性(成育歴・思想・代謝などのあらゆる特殊性)に根付いた栄養学、身体の特殊性を形成する基質であるファシア論、未だ未踏の分野といってよい無意識(集団的無意識を含む)の世界、もっと言うと無分別智の世界。これらを重要視しながら形成される個別性の強い医学が「こちらの医学」のイメージとなります。

 先日のマトリックスの記事も予想以上の方々に読んで頂いたようですので、こちらの医学との関連性も併せて、カフェの課題図書の再確認も兼ねてコメントしておきました。
 

tougouiryo at 2021年12月05日19:40|この記事のURLComments(0)

こちらの医学を考える

 「こちらの医学」としてかつて書いた原稿を少し手直しして再掲したいと思います。この考え方は、ケン・ウィルバーの「インテグラル理論」との関連から考察されたもので、エビデンスや客観性を過度に主張する現状の正統な医学への一つの問いかけでもあります。
 本稿は、ある程度インテグラル理論の理解が前提ですので関心のない方はスルーしてくださいませ。


 インテグラル理論での四象限といわれるクアドラント(さらにそれを内外に分けた8領域)において、ジャングルカンファレンスに代表される相互関係を基盤に展開される取り組みは「We」(左下象限)の領域として理解されます。これに対して、統合医療の可視化理論(統合医療の「離島モデル」)は、社会的な統合医療の在り方を再確認する目的ですので、「Its」(右下象限)の領域の話題になります。

 ここからさらに各象限に内外側の区別を考慮にいれると(ウィルバーは各象限に〇を書いて図示しています)、「I」左上の内・外側、「It」右上の内・外側と4つに分類することができます。
 そもそも通常の医療・医学は、客観性を重視したものであるので、「It」(右上)のなかでも、特に外側となります。この時内側は、インテグラル理論上はオートポイエーシス、ないしは認知科学が当てられれています。何故かというと、
客観的な言葉で表現された内側からの視点ですから、認知科学や心理学・精神医学(一部)の領域が当てはまることになるわけです。

 では左上領域はどうでしょう。「I」という主観からの視点で、内側は「現象学」、外側は「構造主義」が理論上は当てられます。昨今の医学理論とあわせると、内側は個々の視点が絡むことから「NBM」といってもよいでしょう。
 では、その外側はどのような領域なのでしょうか。「構造主義」とあるように、自らの主観が、そのようになってしまう、という環境の設定(構造)です。つまり自らを規定しているものとも言えます。もっというと、心地よいと感じることが出来る身体の状況をどう設定するか(どのような構造においてか)、といっても良いかもしれません。

 従来の医学理論としての「EBM」は客観的データですから右上外側、NBMは左上内側と、互いに交わりがありません。それゆえに車輪の両輪に喩えられるのでしょう。また、8領域におけるそれ以外の領域が未踏の地となっています。ここ、つまり左上外側と右上内側を、意識的に中心に据えた医学があるとすれば、かなりこれまでの医学とは違った視点を得ることが出来るというわけです。
 自らの心の葛藤を客観的な言葉で整理し(右上内側)、心地よい状況を規定している構造(左上外側)を有する医学ということです。

 これは従来の医療との違いは、症状を細かく記載して対症療法を行うという、いわば「検察」的な役割ではなく、こちらの味方になって一緒に援護してくれる「弁護士」的な役割ともいえそうです。
 こうした立場を、本稿では「こちらの医学」と称してみたいと思います。外側(あちら)から「差異」のみに注目しようとする従来の医学とは違う、「こちら」発信の医学という意味合いです。


 ちなみに、こうした考えを、先ほどの左下象限に適応すると、外側はジャングルカンファレンスやオープンダイアローグなどの仕組みや構造、内側は、ダイアローグ内における内省、もしくはリフレクティングそのものといってもよいかもしれません。そして(これが一番わかりにくいのですが)右下象限では、外側はシステム論で、これが「可視化」に関連するものになります。

 そして内側は、ウィルバー自身もうまく説明できていないように思うのですが、社会的オートポエーシスと表現しています。たしかに社会システム内部なので、そうなのですが、ここは社会内部からの視点として、いわば歴史的な視点が近いように思います。歴史物語風ではありますが、より深く真相に達した視点というべきでしょうか。「歴史洞察」と表現しても良いかもしれません。つまり同時代人の視点とでも表現できるでしょうか。

 ざっとメモ的に、ジャングルカンファレンス、統合医療可視化モデル、EBMとNBM、との関連と、そのニッチにおける「こちらの医学」の概略を述べてみました。
 客観性が重視される昨今、まさにオルタナティブな視点が「こちら」となるでしょう。自らの思想を規定するものは何なのか、あらゆる意見や立場が分断へと突っ走るなか、改めて考えてみたいテーマです。

 自らの考えや思想はどのような構造や情報に規定されているのか、そしてそこにはどのような思考のクセが内在しているのか。こちらの医学の分析は、これらの自分形成パターンを認識するということと理解できるのかもしれません。

tougouiryo at 2021年08月05日15:50|この記事のURLComments(0)

こちらの医学の構造メモ

 「こちらの医学」の構想、立ち位置のようなものを以前書きましたが、今回はその具体的構造のようなものをメモ的に書いてみたいと思います。あくまでも備忘録的なものですので、興味ない方はスルーしてください。

 こちらの身体にかんして、成分と構造の2方向を想定します。成分はいわゆる「栄養学」にあたります。近年関心の高まる疾患別の臨床栄養学的な視点というよりは、元気にやる気が出てくるいわば健康的な主観を持てるような栄養素の摂取とでも言えるでしょうか。

 構造については、ファッシアを軸として、外側から「皮膚・ファシア・内臓」の三層に分けて考えてみます。内臓についての異常は、従来の医学で十分記載されている領域ですので、むしろ「あちらの医学」といえるものです。皮膚に関しても一種の独立した臓器ととらえた場合は内臓的ですが、ファッシアの被覆ととらえることも可能です。筋膜マニュピレーションの領域では、全体を司るシステム系としてファッシア装置の統括システム的な捉え方をしているようです。

 これに対して、ファッシアは、従来の経絡や漢方の診察技法(腹診・背診等)やマニュピレーション技法の基本的な構造として捉えられます。局所的な圧痛とO−F装置、経絡とAーF装置、腹診における心下痞硬や胸脇苦満、鼠径部の圧痛等の症状の、背部との関連などがこれを示唆しますが、一つ一つの論証は面倒なのでここでは述べず、別の機会に譲ります。
 いずれにせよ、ほぼ東洋医学をはじめ代替医療や伝統医療の全領域をカバーすることが可能ですので、こうした軸を中心に理論構成していくつもりです。

 ほぼ全領域と書いたところで、自分で気になったのですが、当然、ここには含まれない、「やってくる」的な不可知の領域も当然あります。無分別知の領域といってもよいかもしれません。仮にここでは「無形の医学」「無分別知の医学」とでも呼称しておきましょう。ホメオパシーやフラワーエッセンスなどの体系を有するものや、複雑系生命論なども組み入れても良いかもしれないし、当然、スピリチュアリティで取り扱う幅広い領域を入れても良いでしょう。あくまでも分類ですので、妥当性はこの際は考えません。

 メモ的なものですの、今回はこの辺りで…。

tougouiryo at 2020年11月15日17:16|この記事のURLComments(0)

「こちらの医学」の提唱

 明日の統合医療オンラインに先立ち、このブログでも時折書いている統合医療の話題と、ケン・ウィルバーの「インテグラル理論」との関連について、資料的に書いてみたいと思います。(ある程度インテグラル理論の理解が前提ですので関心のない方はスルーしてくださいませ)

 四象限といわれるクアドラント(さらにそれを内外に分けた8領域)において、ジャングルカンファレンスに代表される相互関係を基盤に展開される取り組みは「We」(左下象限)の領域として理解されます。これに対して、今回の可視化理論は社会的な統合医療の在り方を再確認する目的ですので、「Its」(右下象限)の領域の話題になります。

 ここから内外側の区別を考慮にいれると、「I」左上の内・外側、「It」右上の内・外側と4つに分類します。そもそも通常の医療・医学は、客観性を重視したものであるので、「It」(右上)のなかでも、特に外側となります。この時内側は、インテグラル理論上はオートポイエーシス、ないしは認知科学が当てられれています。
 つまり客観的な言葉で表現された内側からの視点ですから、認知科学や心理学・精神医学(一部)の領域が当てはまることになるわけです。

 では左上領域はどうでしょう。「I」という主観からの視点で、内側は「現象学」、外側は「構造主義」が理論上は当てられます。昨今の医学理論とあわせると、内側はNBMといってもよいでしょう。
 では、その外側はどのような領域なのでしょうか。「構造主義」とあるように、自らの主観が、そのようになってしまう、という環境の設定(構造)です。もっというと、心地よいと感じることが出来る身体の状況をどう設定するか(どのような構造においてか)、といっても良いかもしれません。

 従来の医学理論としてのEBMは右上外側、NBMは左上内側と、互いに交わりがなく(それゆえに車輪の両輪に喩えられます)、また、8領域におけるそれ以外の領域が未踏の地となっています。ここ、つまり左上外側と右上内側を、意識的に中心に据えた医学があるとすれば、かなりこれまでの医学とは違った視点を得ることが出来るというわけです。
 自らの心の葛藤を客観的な言葉で整理し(右上内側)、心地よい状況を身体に展開する(左上外側)という医学ということです。

 これは従来の医療との違いは、症状を細かく記載して対症療法を行うといういわば「検察」的な役割ではなく、こちらの味方になって一緒に援護してくれる「弁護士」的な役割ともいえそうです。こうした立場を、「こちらの医学」と称してみたいと思います。外側(あちら)から「差異」のみに注目しようとする従来の医学とは違う、「こちら」発信の医学という意味合いです。

 ちなみに、こうした考えを、先ほどの左下象限に適応すると、外側はジャングルカンファレンスやオープンダイアローグなどの仕組みや構造、内側は、ダイアローグ内における内省、もしくはリフレクティングそのものといってもよいかもしれません。そして(これが一番わかりにくいのですが)右下象限では、外側はシステム論で、これが今回のテーマである「可視化」に関連するものになります。

 そして内側は、ウィルバー自身もうまく説明できていないように思うのですが、社会的オートポエーシスと表現しています。たしかに社会システム内部なので、そうなのですが、ここは社会内部からの視点として、いわば歴史的な視点が近いように思います。歴史物語風ではありますが、より深く真相に達した視点というべきでしょうか。「歴史洞察」と表現しても良いかもしれません。つまり同時代人の視点とでも表現できるでしょうか。

 ざっとメモ的に、ジャングルカンファレンス、統合医療可視化モデル、EBMとNBM、との関連と、そのニッチにおける「こちらの医学」の概略を述べてみました。さすがに何のことかわかりにくい内容ですので、ご興味ある方は、明日のZOOM講座にてご質問くださいませ。




 
tougouiryo at 2020年11月05日09:28|この記事のURLComments(0)