臨床ファシア学
種と土理論から、ファシア状態論を考える
がんの「種と土理論」に関しての考察を引き続いておりました。種としてのがん細胞のみに、焦点を当てていた従来の理論に対して、その母体(マトリックス!)となる「土」にも大きな役割があるのでは、と考える理論です。
この辺りの考え方としては、医学史における論争も無関係ではなさそうです。つまり病理の原因をどこに求めるか、ミクロの領域における原因探索の焦点の問題です。現代医療の直接のオリジンとしては、ウィルヒョウの細胞説であることはいうまでもありません。しかし、実はその前にビシャ―による組織説などが展開されていたことは現状としてはあまり話題になりません。しかし、生気論を強く推していたビシャ―の姿勢は、三木成夫らにより注目されていた視点でもあります。(科学史において正当化する少し前の理論が新たな視点をもたらす例としてはエーテル理論などが好例だと思いますが、この問題は長くなるのでまた別機会に。ブログ内検索でも過去記事でいくつか議論しています)
いわば全体を捉えようとする「種と土理論」ですが、これをがん治療の具体例として考えると、細胞の基底膜としてのコラーゲンの存在に行き当たります。
ここで仮に、正常と異常の2種のコラーゲン線維の上に細胞が増殖するとして、正常な網目状のコラーゲン線維の上には、きれいに正常細胞が配置されることになります。一方、異常なコラーゲン線維はきれいな網目状をとらないとすると、そこには異常な細胞が配置され、組織修復においては瘢痕化するといわれます。これが恒常的に続くとすれば、異常な基盤の上に、異常な細胞群が塊として集積してもおかしくありません。
こう考えると、高濃度ビタミンC点滴などによりコラーゲン生成の異常を是正することで、がん化したとされる細胞塊がそのまま抑制されて増大化せず、さらなる新たながんの発生や転移が抑えられるとする実践的な経験と矛盾しません。
がん細胞の線維芽細胞による包囲というより、基盤としてのコラーゲンの正常化と、その異常化の阻止と考えることが出来ます。
こうした考えは、まさにコラーゲンの集積体でもあるファシアそれ自体の、がんへの直接効果といってもよいものです。正常なコラーゲン生成とそれによる組織でのファシア状態の是正。いわば環境の調整的な方法論が、がん治療そのものに転化する可能性を示すのではないでしょうか。仮にそうであれば、これはファシアの状況改善が治療効果をもたらす可能性も示します。
ファシア近辺のいわゆる「ファシア瘀血」の除去や、ファシア重積の解除などファシアに関連する介入法(インターベンション)が、がん治療に有効な可能性を示すことになります。
かつて刺絡は、自律神経と免疫の関連から「安保・福田理論」として一世を風靡しましたが、こうした自律神経調整の意味合いのみならず、ファシアへの介入として新たな解釈を与える必要があるのかもしれません。これらは、現在痛みの治療に特化して議論されているハイドロリリース法にも言えると思います。
また、ファシアには、電気的な影響により(荷電状態)プラークや残骸など「ゴミ」の付着や停滞の可能性も考えられます。私はこれを「ファシア・デブリ」と称していますが、これらはQPAなど波動治療器において出現してくるものと考えています。これらの存在もファシアの健常な在り方には影響してくるだろうと思われるので、当然がんとも無関係ではなさそうです。
種と土理論から派生する、ファシア状態論は、いろいろと調べるほどにがんへの対策としては無視できない重要なものとなりそうです。
ファシア・デブリとファシア状態論に関しての詳細な報告は、これも第2回のマトリックス統合医学研究会にて発表予定ですので、ご興味ある方はご参加ください。
この辺りの考え方としては、医学史における論争も無関係ではなさそうです。つまり病理の原因をどこに求めるか、ミクロの領域における原因探索の焦点の問題です。現代医療の直接のオリジンとしては、ウィルヒョウの細胞説であることはいうまでもありません。しかし、実はその前にビシャ―による組織説などが展開されていたことは現状としてはあまり話題になりません。しかし、生気論を強く推していたビシャ―の姿勢は、三木成夫らにより注目されていた視点でもあります。(科学史において正当化する少し前の理論が新たな視点をもたらす例としてはエーテル理論などが好例だと思いますが、この問題は長くなるのでまた別機会に。ブログ内検索でも過去記事でいくつか議論しています)
いわば全体を捉えようとする「種と土理論」ですが、これをがん治療の具体例として考えると、細胞の基底膜としてのコラーゲンの存在に行き当たります。
ここで仮に、正常と異常の2種のコラーゲン線維の上に細胞が増殖するとして、正常な網目状のコラーゲン線維の上には、きれいに正常細胞が配置されることになります。一方、異常なコラーゲン線維はきれいな網目状をとらないとすると、そこには異常な細胞が配置され、組織修復においては瘢痕化するといわれます。これが恒常的に続くとすれば、異常な基盤の上に、異常な細胞群が塊として集積してもおかしくありません。
こう考えると、高濃度ビタミンC点滴などによりコラーゲン生成の異常を是正することで、がん化したとされる細胞塊がそのまま抑制されて増大化せず、さらなる新たながんの発生や転移が抑えられるとする実践的な経験と矛盾しません。
がん細胞の線維芽細胞による包囲というより、基盤としてのコラーゲンの正常化と、その異常化の阻止と考えることが出来ます。
こうした考えは、まさにコラーゲンの集積体でもあるファシアそれ自体の、がんへの直接効果といってもよいものです。正常なコラーゲン生成とそれによる組織でのファシア状態の是正。いわば環境の調整的な方法論が、がん治療そのものに転化する可能性を示すのではないでしょうか。仮にそうであれば、これはファシアの状況改善が治療効果をもたらす可能性も示します。
ファシア近辺のいわゆる「ファシア瘀血」の除去や、ファシア重積の解除などファシアに関連する介入法(インターベンション)が、がん治療に有効な可能性を示すことになります。
かつて刺絡は、自律神経と免疫の関連から「安保・福田理論」として一世を風靡しましたが、こうした自律神経調整の意味合いのみならず、ファシアへの介入として新たな解釈を与える必要があるのかもしれません。これらは、現在痛みの治療に特化して議論されているハイドロリリース法にも言えると思います。
また、ファシアには、電気的な影響により(荷電状態)プラークや残骸など「ゴミ」の付着や停滞の可能性も考えられます。私はこれを「ファシア・デブリ」と称していますが、これらはQPAなど波動治療器において出現してくるものと考えています。これらの存在もファシアの健常な在り方には影響してくるだろうと思われるので、当然がんとも無関係ではなさそうです。
種と土理論から派生する、ファシア状態論は、いろいろと調べるほどにがんへの対策としては無視できない重要なものとなりそうです。
ファシア・デブリとファシア状態論に関しての詳細な報告は、これも第2回のマトリックス統合医学研究会にて発表予定ですので、ご興味ある方はご参加ください。
tougouiryo at 2024年08月25日18:03|この記事のURL│Comments(0)
QPAの刺激強度に関して 弱刺激の効用
QPAの非特異的効果として、自律神経の測定をしているのですが、どうも効果が一定せず、ヒトによる差で大きくばらついていました。
QPA施術においては、気持ちの良い程度の刺激でよいとされ、その電気刺激の強度は、各人の快適な程度で自己コントロール可能な状態にしていたのですが、これによりかなり人による刺激の差が出ていることがわかりました。つまり快適と言っても、強めが良い人もいれば、弱めが良い人もいるし、同じ刺激でも強く感じる人、弱く感じる人、感度も様々です。
そこで特に、交感神経データが強く出る人を対象に、従来の半分以下に電気刺激強度を下げたところ、交感神経の測定値が低下しました。つまりQPAの振動数による特異的効果は抜きにして、非特異的効果をみる場合には、かなり強度の設定が重要であることが分かりました。
いわゆる波動系測定に関しては、波動であるがゆえにそこばかりが強調され、これまでこうした効果が議論されてこなかったようなのですが、今回の測定により、未知の波動器機の測定における今後の課題が浮き彫りになりました。
この結果は、交感神経抑制を目的としたものだけではなく、電気による振動刺激自体は生体の目的組織に届き、わずかな刺激であってもファシア周辺の水分子に影響を及ぼすと考えられるので、特異的効果は妨げないものとなります。
弱刺激の方が、効果的である例としてはマイクロカレントなども同様で、自覚的な電気刺激でないもののほうがかえって望ましい効果をもたらすことは珍しくありません。
ある一定の強さを境にして、効果が逆転することもまた稀ではありません。血圧上昇と利尿効果におけるカテコラミンの作用など、そうした例はいろいろあります。とくに微量・弱刺激に関しては、ホメオパシーの例を挙げるまでもなく、通常医療においても多々見られる現象であります。
ちょっとした工夫と観察ですが、波動器機QPAの実践応用の枠が少し広がったと感じています。jこうしたこまかな情報も、9月のマトリックス統合医学研究会においてまとめて発表していこうと思います。
QPA施術においては、気持ちの良い程度の刺激でよいとされ、その電気刺激の強度は、各人の快適な程度で自己コントロール可能な状態にしていたのですが、これによりかなり人による刺激の差が出ていることがわかりました。つまり快適と言っても、強めが良い人もいれば、弱めが良い人もいるし、同じ刺激でも強く感じる人、弱く感じる人、感度も様々です。
そこで特に、交感神経データが強く出る人を対象に、従来の半分以下に電気刺激強度を下げたところ、交感神経の測定値が低下しました。つまりQPAの振動数による特異的効果は抜きにして、非特異的効果をみる場合には、かなり強度の設定が重要であることが分かりました。
いわゆる波動系測定に関しては、波動であるがゆえにそこばかりが強調され、これまでこうした効果が議論されてこなかったようなのですが、今回の測定により、未知の波動器機の測定における今後の課題が浮き彫りになりました。
この結果は、交感神経抑制を目的としたものだけではなく、電気による振動刺激自体は生体の目的組織に届き、わずかな刺激であってもファシア周辺の水分子に影響を及ぼすと考えられるので、特異的効果は妨げないものとなります。
弱刺激の方が、効果的である例としてはマイクロカレントなども同様で、自覚的な電気刺激でないもののほうがかえって望ましい効果をもたらすことは珍しくありません。
ある一定の強さを境にして、効果が逆転することもまた稀ではありません。血圧上昇と利尿効果におけるカテコラミンの作用など、そうした例はいろいろあります。とくに微量・弱刺激に関しては、ホメオパシーの例を挙げるまでもなく、通常医療においても多々見られる現象であります。
ちょっとした工夫と観察ですが、波動器機QPAの実践応用の枠が少し広がったと感じています。jこうしたこまかな情報も、9月のマトリックス統合医学研究会においてまとめて発表していこうと思います。
tougouiryo at 2024年08月25日17:16|この記事のURL│Comments(0)
がんの転移について ファシアから考える
がんの遠隔転移を考える中で、気になったのが、固有筋層への腫瘍の到達です。
粘膜下層への到達により、血管やリンパを介して転移が生じるとしても、それがより激しくなるのが固有筋層の突破です。これはバリアとしての筋層に到達したように考えていましたが、もしかしたら腫瘍と筋層が接触することで、上皮間葉転換(EMT)といった質的な変化が生じ、それによって固有筋層そのものが変化してしまう、ということもあるのではないか。こうした質的な変化は何らかのシグナルによって遠隔に作用したら、EMTを別な組織でも促進することがあるのではないか、という考えです。
この辺りは、私自身が研究の現場にいるわけでないし、がん治療の最前線にいるわけでもないのではっきりしないのですが、転移に関しての不明な点も少しでも説明可能になるのではないかと思い、メモしてみました。
こうした変化は当然、線維化も招来するでしょうし、そもそも線維芽細胞に幅広く変化を促すことも予測されます。
まあ、真実は分かりませんが、既存のストーリーとは別の展開を時に考えてみることも、発想の転換には必要ですので、メモしてみました。
いずれにせよ、線維化・コラーゲン・ファシアなどの周辺的、「土」的な要素の重要性は今後、ますます増してくるのでしょうね。
粘膜下層への到達により、血管やリンパを介して転移が生じるとしても、それがより激しくなるのが固有筋層の突破です。これはバリアとしての筋層に到達したように考えていましたが、もしかしたら腫瘍と筋層が接触することで、上皮間葉転換(EMT)といった質的な変化が生じ、それによって固有筋層そのものが変化してしまう、ということもあるのではないか。こうした質的な変化は何らかのシグナルによって遠隔に作用したら、EMTを別な組織でも促進することがあるのではないか、という考えです。
この辺りは、私自身が研究の現場にいるわけでないし、がん治療の最前線にいるわけでもないのではっきりしないのですが、転移に関しての不明な点も少しでも説明可能になるのではないかと思い、メモしてみました。
こうした変化は当然、線維化も招来するでしょうし、そもそも線維芽細胞に幅広く変化を促すことも予測されます。
まあ、真実は分かりませんが、既存のストーリーとは別の展開を時に考えてみることも、発想の転換には必要ですので、メモしてみました。
いずれにせよ、線維化・コラーゲン・ファシアなどの周辺的、「土」的な要素の重要性は今後、ますます増してくるのでしょうね。
tougouiryo at 2024年08月16日19:41|この記事のURL│Comments(0)
「種と土理論」からがんとファシアについて考える
一連のコロナ騒動におけるPCRの問題点をいち早く指摘されていた大橋先生の「がん」の本が出版されたので読んでみました。かつての近藤誠『患者よ、がんと闘うな』を参考にしながらも、コロナ禍での様々な出来事を経過して考察された、新たな「がん」への視点が述べれています。
内容に関しては読んで頂くとして、記述はとても分かり易い書き方になっています。が、実際に臨床の場もしくは、研究の場に縁のない方にとっては、なかなか実感が涌きにくいのではないか、とも感じます。
エッセンスとしては「がん」という実在はないということに尽きるのですが、この辺りは哲学史におけるスコラ哲学の普遍論争の様相も帯びてきます。「がん」をめぐる唯名論と実在論の対立、といったところでしょうか。私としては、一般に近代以降のメジャー「唯名論」に依拠することが多いのですが、ここでの論争などはそう簡単にはいかないし、実際そうではないだろう、というのが本書の主張でもあります。
しかし、数学や生物学などの分野では、実在論に依拠しなければ、理屈の通らないものが少なくないことも事実で、がんの問題に関しても同様です。あまり「がん」の問題に直面していない方にとっては、どうでもよい問題かもしれませんが、この分水嶺の示す意味はとてつもなく大きい。具体的には、抗がん剤による治療と、そのメカニズム解釈を受け入れるか、否かといった問題に帰着されるからです。(ちなみに唯名論と実在論の対立への解決策としては医学分野ではプラグマティックメディスンに依拠するべきだと考えます)
社会・経済におけるポストモダンの蔓延の後に、経済分野において新自由主義へと流れていく様子と、医学における発展と混乱の後のEBMの勃興から、商業的な性格を強く持つものへと変貌する姿とが重なって見えざるをえません。そうした世相ともパラレルに展開してきたものと考えると、さらに理解しやすいのではないかとも思えます。
本書における問題の提示は、こうした哲学的視点のみならず、がんの進展や転移の在り方における「種と土」理論などおおいに考えさせられました。
「種」としてのがん細胞研究であれば、その遺伝子変異や細胞内の代謝のあり方など、細胞そのものがフォーカスされるわけですが、そこに「土」も関係するというわけです。本書では幹細胞からの成長基盤である基底膜の状態が議論されていましたが、進化における細胞としての背景でもある線維芽細胞との関連で考えれば、まさに昨今の流行りでもあるがん関連線維芽細胞(CAF)についての議論にもなりうるわけです。さらに敷衍すれば、コラーゲンの状態、さらにはファシアの状態にまで話題を広げることも可能でしょう。
がん細胞関連のファシアの役割としては、コラーゲンによるがん細胞の包囲(抑え込み)などが浮かびますが、これですら「がん細胞」仮説でのモデルと指摘されても仕方ありません。つまりそうしたモデルではなく、種としてのがん細胞に対して、土としてのコラーゲン、ファシアの状態の病態への関与が重要であるとみることも出来るわけです。これは、またファシア理論を大きく発展させるカギとなる概念になるでしょう。
このほかにも「がん細胞説」と「がん幹細胞説」など、似て非なる理論展開の相違など興味深い話題が多く紹介されていますが、ここではここまで。肯定、反対、いずれにしても、ご興味ある方は一読お勧めいたします。
内容に関しては読んで頂くとして、記述はとても分かり易い書き方になっています。が、実際に臨床の場もしくは、研究の場に縁のない方にとっては、なかなか実感が涌きにくいのではないか、とも感じます。
エッセンスとしては「がん」という実在はないということに尽きるのですが、この辺りは哲学史におけるスコラ哲学の普遍論争の様相も帯びてきます。「がん」をめぐる唯名論と実在論の対立、といったところでしょうか。私としては、一般に近代以降のメジャー「唯名論」に依拠することが多いのですが、ここでの論争などはそう簡単にはいかないし、実際そうではないだろう、というのが本書の主張でもあります。
しかし、数学や生物学などの分野では、実在論に依拠しなければ、理屈の通らないものが少なくないことも事実で、がんの問題に関しても同様です。あまり「がん」の問題に直面していない方にとっては、どうでもよい問題かもしれませんが、この分水嶺の示す意味はとてつもなく大きい。具体的には、抗がん剤による治療と、そのメカニズム解釈を受け入れるか、否かといった問題に帰着されるからです。(ちなみに唯名論と実在論の対立への解決策としては医学分野ではプラグマティックメディスンに依拠するべきだと考えます)
社会・経済におけるポストモダンの蔓延の後に、経済分野において新自由主義へと流れていく様子と、医学における発展と混乱の後のEBMの勃興から、商業的な性格を強く持つものへと変貌する姿とが重なって見えざるをえません。そうした世相ともパラレルに展開してきたものと考えると、さらに理解しやすいのではないかとも思えます。
本書における問題の提示は、こうした哲学的視点のみならず、がんの進展や転移の在り方における「種と土」理論などおおいに考えさせられました。
「種」としてのがん細胞研究であれば、その遺伝子変異や細胞内の代謝のあり方など、細胞そのものがフォーカスされるわけですが、そこに「土」も関係するというわけです。本書では幹細胞からの成長基盤である基底膜の状態が議論されていましたが、進化における細胞としての背景でもある線維芽細胞との関連で考えれば、まさに昨今の流行りでもあるがん関連線維芽細胞(CAF)についての議論にもなりうるわけです。さらに敷衍すれば、コラーゲンの状態、さらにはファシアの状態にまで話題を広げることも可能でしょう。
がん細胞関連のファシアの役割としては、コラーゲンによるがん細胞の包囲(抑え込み)などが浮かびますが、これですら「がん細胞」仮説でのモデルと指摘されても仕方ありません。つまりそうしたモデルではなく、種としてのがん細胞に対して、土としてのコラーゲン、ファシアの状態の病態への関与が重要であるとみることも出来るわけです。これは、またファシア理論を大きく発展させるカギとなる概念になるでしょう。
このほかにも「がん細胞説」と「がん幹細胞説」など、似て非なる理論展開の相違など興味深い話題が多く紹介されていますが、ここではここまで。肯定、反対、いずれにしても、ご興味ある方は一読お勧めいたします。
tougouiryo at 2024年08月16日13:44|この記事のURL│Comments(0)
波動治療器のソマチッド効果を考察する(第2回マトリックス統合医学研究会の予告)
バタバタと休み前の雑事も終わり、夏期休暇期間に入りました。個人的には働いてはいるのですが、臨床や研究の方向性をゆっくりと見つめ直す期間になりそうです。
年末の統合医療学会に向けて、マトリックス統合医学研究会の展開を考察中です。波動治療器でもあるQPAの治療機転を考えているのですが、これまでの流れからソマチッドについての言及は避けられず、色々なモデルで考察してきました。以下、メモ的な記載ですが、ご興味ある方はどうぞ。
QPAなど波動治療器も含め、最近、理論だってきたのが「ファシア」についての存在の考慮です。ファシアは当然、これまでも存在は知られていたものの、あくまでも脇役ないしは不要物のような扱いでした。そのためオルタナティブな領域においても、ほぼ無視されてきたことはいうまでもありません。
これは通常の光学顕微鏡に対して、特殊な暗視野顕微鏡を用いて観察を要する「ソマチッド」が、通常の方法論で見えないから「ない」という論法にも一脈通じるように思います。しかしそれゆえに、今回のファシアを含める論法が、いわゆる代替医療側に受け入れやすいのか、というとそう簡単ではなさそうです。
通常、こうした新鮮血を用いた顕微鏡検体の採取は、簡便性の必要もあり、指尖からの採血となります。これは当然、静脈採血と異なり、毛細血管からの採血となるのですが、構造上当たり前ですが、それ以外の血管外体液の混入を避けることができません。それゆえに血糖値などでは、数値の基準が異なることは、医療従事者であれば常識と言えるでしょう。しかし、それはわずかな空間のイメージでとらえられることも多く、これまでさほど重視されてきませんでした。
しかし、ファシアの視点がこれほどまでに話題にあがる昨今、そうしたイメージで良いのでしょうか。つまり、ファシアはそれ自体、内部に体液を内包した立体構造であるだけでなく、その周囲にも水分子の存在が認められます。ミクロに考慮した場合には、そこでのコラーゲン分子周辺の結合水の様態が、半導体としての電子の流動性をも規定します。また、ファシア自体が血管内皮様の構造体を形成し、その内部をプレリンパが流れることも分かっています。
つまりはかなりの構造体が、毛細血管外に存在するわけです。そこは微細な構造を考慮すれば、容積としては毛細血管内部よりも大きくなるでしょうし(梱包材としてのマトリックスと考えれば当然ですが)、末端であればそれだけ異物の蓄積もありうると推測されます。それが何らかの電気的な振動数の変化などによって、水分子の集合態を変えれば(結合水としての在り方が変化すれば)コラーゲンの電気的な状態が変化し、電流のみならず、電荷によって付着していた多彩な物質が、遊離する可能性もあります。それゆえにQPA治療後の、多彩な顕微鏡像の説明にもなりうるわけです。
この辺りは、実際に実例を挙げてお話しないと分かりにくいと思いますので、ご興味ある方は、9月7日に第2回の研究会を開催する予定ですので、ご参加下さい。この辺りの詳しい解説はしばらくは動画にアップしない予定です(年末の統合医療学会にて発表予定です)。
この辺りの領域は、一つの方法論や理論を妄信しているパターンでは分かりにくいかもしれません。臨床像に加えて、末梢毛細血管の直接観察像や通常の光学顕微鏡等に、暗視野顕微鏡の所見をあわせて複眼的に初めて見えてくるような気がします。
これまでの複数の代替医療領域の諸説を統合して、より説明性の高いものにする。まさに統合医療における「統合主義」的思考の重要性が現れているように感じています。
年末の統合医療学会に向けて、マトリックス統合医学研究会の展開を考察中です。波動治療器でもあるQPAの治療機転を考えているのですが、これまでの流れからソマチッドについての言及は避けられず、色々なモデルで考察してきました。以下、メモ的な記載ですが、ご興味ある方はどうぞ。
QPAなど波動治療器も含め、最近、理論だってきたのが「ファシア」についての存在の考慮です。ファシアは当然、これまでも存在は知られていたものの、あくまでも脇役ないしは不要物のような扱いでした。そのためオルタナティブな領域においても、ほぼ無視されてきたことはいうまでもありません。
これは通常の光学顕微鏡に対して、特殊な暗視野顕微鏡を用いて観察を要する「ソマチッド」が、通常の方法論で見えないから「ない」という論法にも一脈通じるように思います。しかしそれゆえに、今回のファシアを含める論法が、いわゆる代替医療側に受け入れやすいのか、というとそう簡単ではなさそうです。
通常、こうした新鮮血を用いた顕微鏡検体の採取は、簡便性の必要もあり、指尖からの採血となります。これは当然、静脈採血と異なり、毛細血管からの採血となるのですが、構造上当たり前ですが、それ以外の血管外体液の混入を避けることができません。それゆえに血糖値などでは、数値の基準が異なることは、医療従事者であれば常識と言えるでしょう。しかし、それはわずかな空間のイメージでとらえられることも多く、これまでさほど重視されてきませんでした。
しかし、ファシアの視点がこれほどまでに話題にあがる昨今、そうしたイメージで良いのでしょうか。つまり、ファシアはそれ自体、内部に体液を内包した立体構造であるだけでなく、その周囲にも水分子の存在が認められます。ミクロに考慮した場合には、そこでのコラーゲン分子周辺の結合水の様態が、半導体としての電子の流動性をも規定します。また、ファシア自体が血管内皮様の構造体を形成し、その内部をプレリンパが流れることも分かっています。
つまりはかなりの構造体が、毛細血管外に存在するわけです。そこは微細な構造を考慮すれば、容積としては毛細血管内部よりも大きくなるでしょうし(梱包材としてのマトリックスと考えれば当然ですが)、末端であればそれだけ異物の蓄積もありうると推測されます。それが何らかの電気的な振動数の変化などによって、水分子の集合態を変えれば(結合水としての在り方が変化すれば)コラーゲンの電気的な状態が変化し、電流のみならず、電荷によって付着していた多彩な物質が、遊離する可能性もあります。それゆえにQPA治療後の、多彩な顕微鏡像の説明にもなりうるわけです。
この辺りは、実際に実例を挙げてお話しないと分かりにくいと思いますので、ご興味ある方は、9月7日に第2回の研究会を開催する予定ですので、ご参加下さい。この辺りの詳しい解説はしばらくは動画にアップしない予定です(年末の統合医療学会にて発表予定です)。
この辺りの領域は、一つの方法論や理論を妄信しているパターンでは分かりにくいかもしれません。臨床像に加えて、末梢毛細血管の直接観察像や通常の光学顕微鏡等に、暗視野顕微鏡の所見をあわせて複眼的に初めて見えてくるような気がします。
これまでの複数の代替医療領域の諸説を統合して、より説明性の高いものにする。まさに統合医療における「統合主義」的思考の重要性が現れているように感じています。
tougouiryo at 2024年08月11日16:48|この記事のURL│Comments(0)
マトリックス医学への道(増補改訂版)
以前、分割して載せた記事の検索数が多いので、読みやすいようにまとめ、かつ少し現在の状況に合わせて改訂した原稿を掲載します。
ここで話題にする「マトリックス」という概念は、ファシアという今まさに、ホットなキーワードのおそらく背景となる、大きな枠組みになっていくと思います。近いうちに、マトリックス医学としてのさらに大きな研究の枠組みをご紹介できると思いますので、それに先立って読み返して頂ければ幸いです。
生体マトリックスの理解を、物質的基礎となるコラーゲンから始まって、ファシア、線維化に至る流れを現状の医学だけでなく、エネルギー医学やホメオパシー、経絡や漢方といった東洋医学も含めた補完医療的見地も入れながらストーリー立ててみたいと思う。いわば、水分子の挙動などの量子医学的視点から、マクロにおける漢方・鍼灸・波動器機といったものをまとめて理解するための視点を提供してみたい。
まずはコラーゲンから。コラーゲンに限らずすべてのタンパク質の分子には、水分子が寄り添っている。つまり生体マトリックスを構成する分子にも、その周辺には水分子が常に付随し、そこには当然ながら相互作用が認められる。
コラーゲン周辺の水分子に、ある一定のエネルギーが作用すると、そこには秩序が生じ、水分子がそろってスピンする。これが「コヒーレント」といわれる状態である。コヒーレントの状態は、エネルギーを放出することができ、そこで発生したエネルギーがフローリッヒ波と称される。そしてその結果、比較的無秩序な基底状態へと戻る。が、再度エネルギーを吸収すれば、コヒーレントの状態へ復帰することが出来る。(この過程において組織特異的な振動数を特定し生体へ放射すれば、量子医学として説明されるQPAないしはAWGといった波動治療器の原理説明となりうるであろう)
この時のいわば、コヒーレントな状態というのは、コラーゲンを含めた周辺環境において「健全」な状態にあると仮定される。(『量子医学の誕生』等の書籍においては、このプロセスをエバネッセント光としてウイルス等から生体を防御していると推測している)
こうした振動による状態の改善については、波動治療器の説明に限らず、ホメオパシーなど広義のエネルギー医学的方法においても説明可能である。
つまり簡単にまとめると、ホメオパシーや波動医学などエネルギー医学系統は、主にコラーゲン周辺の水分子の(局所的な)コヒーレント状態を目標にしていることになる。それゆえに、水分子の重要性が生命の基本原理として話題にもされる。(種々の生気論的な議論もここを出発点としているものが多いように感ずる)
裏を返せば、これを妨害するものが、疾患への道筋となり、この段階で直接的に影響するのが「電磁波」であろう。電磁波によりコヒーレントな状態が妨害されれば、コラーゲンを介する生体のエネルギー伝達システムが異常となり、ひいては免疫機序の低下につながることが容易に推測される。これへの具体的対応策が、いわば諸々のアーシングと言ってよいであろう。
健全なコラーゲンの周辺では、コヒーレントな状態に近いと考えられ、それにより成長・損傷修復・防御反応、さらには各組織・臓器の活動を調和させると推測できる。
反対に不協和な状態であれば、慢性炎症のもととなり、その結果である線維化まで進行しうる。特に急性炎症からの遷延化である「慢性炎症」においては、好中球増加などの環境下から、フリーラジカルの発生がしやすく、安定した分子から酸素を奪い「酸化」した、いわば不健康な酸化ストレス状態へと導きやすくなる。
コラーゲンの集積した結合組織においては、直流電流が全身に流れているとされ、その流れのペースメーカー的な役割が「脳波」であると考えられている。
そしてここでさらに想像をたくましくするなら、自律神経たる腸管神経系を司る腸のペースメーカーも関与しているのかもしれない。それはおそらく腸内マイクロバイオ―タと密接に連携しながら、外胚葉由来の脳と、内胚葉由来の腸とで、主に中胚葉由来の結合組織、ファシアに影響を与えていると考えると理解しやすいのではないだろうか。(ここでは微生物学的マトリックスとしての腸内マイクロバイオ―タの機能が小さくないと思わせる)
そしてここから、感情や記憶といったものの起源を、中枢としての脳のみに起因させるのではなく、全身に分散したモデルで考えることも可能になるのではないだろうか。
まずは、ファシアを話題にする前に、その素材であるコラーゲンとその周囲の水分子の状態から、解きほぐしてみた。
このメカニズム理解には、ホメオパシーなど広くエネルギー医学を理解するポイントや、アーシングや環境における電磁波対策、個々の住居の在り方、さらには地球規模におけるシューマン共鳴にまで応用しうるものであることを指摘しておく。これらが生体のマトリックスとして重要なファシアによりまとめられていることが重要な事である。
犠呂任魯灰蕁璽殴鸚維周辺の水分子の状態から、慢性炎症への準備段階へとつながるミクロの環境について述べたが、今度はそれに引き続く、末梢循環のミクロな環境において、どのように循環不全の火種が生じるかを考えていくことにする。病態のモデルとして有用な末梢循環不全のモデルについてである。
末梢循環のモデルとしては、動脈が枝分かれして次第に毛細血管へ移行し、ガス交換の後に、静脈へと合流していくことになる。そこではガス交換に限らず、栄養やホルモンといった物質の移動も行われ、組織外液は一部、盲端となっているリンパ管に吸収され静脈へと環流される。これが通常の教科書的な解剖生理学における末梢循環の説明である。
しかし近年、この細胞外液のエリアにおいて、プレリンパと称される液体を内包する管が生体の直接観察により判明した。いわゆるコラーゲン線維に囲まれ内皮様の細胞の内側に、このプレリンパが存在する。つまり、ただ外液として存在しているのではなく、管様の構造物内を液体が通っていることになる。
またファシア内部にも液体が存在するから、毛細血管周辺には血管内の血液だけでなく、リンパ管のリンパ液、さらにはファシアの内包するプレリンパが大量に存在することになる。とりわけ、血管周辺にはファシアが多く存在するから、「瘀血」と言われるうっ血がある場合には、その周辺もまた液体がうっ滞していることになる。
こうした環境は、うっ滞がひどくなれば、毛細血管観察鏡では不明瞭な毛細血管像として観察される。また、毛細血管のうねりや湾曲などの変形像も、周辺の微細なコラーゲン線維の束により生じた引きつりと考えれば、後天的な血管変化として説明がつく。
ではその像を不明瞭にさせているものは何か。今度は光学顕微鏡や、暗視野顕微鏡にて観察可能な新鮮血で考える。ここでは病的状態として、赤血球の連銭形成がみられ、毛細血管通過困難な状況から血管像の消失(ゴースト血管)を生じたり、またフィブリン網が藻状構造物として観察されることから、それらが血管外で析出して血管不明瞭像を形成すると考えられる。これらはいわゆる従来の「瘀血」といった概念だけでは、明確な説明になっておらず、コラーゲン線維の集合体としてのファシアを念頭に置かないと説明しにくい。
これは実際の刺絡治療において、多くのいわゆる「瘀血」が引かれることや、それらの粘性が極めて高いことなどの説明として不可欠である。つまり従来の瘀血は、その実態としては血管内部の停滞した血液に加え、血管外かつファシア内のプレリンパも大量に混在していることになる。
こうした末梢血液の環境により、「瘀血」が形成される可能性が高いので、むしろ血だけの問題ではなくファシアが大きく絡むことから「ファシア瘀血」と称することが妥当であると考える。(指尖から末梢血を採取することを考えれば、極めて妥当な推測となる)
こうしてファシア瘀血という概念を導入することにより、慢性炎症などからファシア重積などのファシア病変へと連続する筋道が立ったことになる。この末梢循環の理解を基礎として、いよいよファシアの病態、さらには線維化へと解説を進めていくことにする。
珪呂任蓮▲侫.轡△砲ける病態の基礎を形成すると考えられる「ファシア瘀血」の概念を解説し、これにより、ファシア重積など、マクロ的にボディワークによって解消される病態の原因が推測された。それはここでは(本ブログ)「Bファシア」と称してきたものであり、一方で、ミクロ的に、エネルギーワーク的な微細な介入によって改善される病態の基礎を「Eファシア」と称した。
つまり末梢循環における病態を示すファシア瘀血という概念は、このBファシアとEファシアの境界に位置し、双方の説明原理ともなるものだということが示されたことになる。それではまず正常ファシアの解剖から始め、ファシアの病態へと解説を進める。
Steccoらによるファシア関係の基本用語として、人体の水平関係をO-F単位、垂直関係を A-F配列が、4つの分節された腔に配置され、経絡との対置が行われる。この理解に加えて、線状の構造ではないファシアに、経絡のラインが当てはまる理由は、張力によるものである。
張力によってコラーゲン線維が引き伸ばされ、そのライン上を直流電流が走ることによって、情報の伝達がなされるわけである。
こうしてできた流れとしては、アナトミートレイン的な解釈が一番近く、とりわけ「経筋」の流れは、この典型と言える。またエネルギー療法的な視点から発展したものと推測されるのが「経別」であろうと考えられる。その後それらを総合する形でいわゆる「正経」が成立し、別ルートである「奇経」が認識されることになったのであろう。
いずれにせよ、体表から内臓に至るまで全身あらゆる部位と連続性をもつファシアであることが、こうした複数ルートとなりうる理由であろう。
またこうした鍼灸系統のルートとは別に、湯液系統のルートも想定しうる。これは、明かなルートとしては伝承されていないが、傷寒論の条文から帰納的に推測された江部経方医学における説明図(UFO図とも呼ばれる)の気のルートがこれにあたるであろう。
このルートは「隔」を中心として、体内で発生した熱がどのように体外へと放出され、どのように体表を巡り、どこから内部へと環流されるかという流れで、ファシアを通じて伝播される熱のルートとしても解釈することができる。
またこれらの体表部における流れの層は三層構造になっており皮・肌・身として、表皮・真皮・皮下組織(筋肉)と対応していると考えられる。
こうした流れが慢性炎症によって生じた瘀血によって、ファシアの重積などの病態へと変化し、神経・血管を巻き込んで幾多の症状となって発現するわけである。
発現した病態像によって、ファシア瘀血をメインに、コンパートメント症候群的な状態である時には減圧を伴う「刺絡」が著効するし、一方では、血管や神経を巻き込んで絞扼、重積して物理的障害となっている場合は、生理的食塩水を局所注入する「ハイドロリリース」が著効することになる。
これらは局所的効果を発現するだけでなく、ファシアの該当部位からの連続体として、諸々の臓器にまで影響すると考えられる。絞扼された神経・血管が解放されることに加え、ファシアによるプレリンパの流れやコラーゲン線維の微量直流電流の改善がその機序として推測される。
これにより筋・骨格系のみならず、広く内臓全てに好影響を及ぼしうるし、本来の自発的治癒力の発揮へとつながる道筋となるであろう。
がん治療においては、従来の免疫機序の賦活というストーリーにとどまらず、絞扼や圧縮といった物理的圧力からの開放や、電気的に良好な微小環境の形成を通じて、本来の治癒力発現へとつなげる道筋である。(がんは物理的圧力下において増大・転移しやすい)
ファシアの病態は以上のように、異常な局所の病態を改善して正常な「局所性」を取り戻し、それによって病的な連動を断つことで健全な「連動性」を復活させる、という2つの大きな改善を図ることができるのである。
またファシア内の電流のペースメーカーとして「脳波」が想定されているが、それに加えて「腸管」におけるペースメーカーも重要な役割を担うはずで、これには当然、腸内マイクロバイオ―タとのなダイナミックな関係性が大きく影響するはずである。
また腸管それ自体も、腸管膜根からフレアスカート状に大きな腸間膜が一塊として垂れ下がり、この構造と「丹田」との関連も強く示唆される。生体における解剖学的な位置を深く考察した肥田春充による「聖中心」も、このファシアによる考察を加えることで解明へとつながるのではないだろうか。この辺りは非常に多くの可能性が秘められた議論が展開しうるであろう。いわゆる伝統医療・補完代替医療といわれる領域の統合的解釈における「ファシア」という概念の魅力は尽きることはなかろう。
いよいよ慢性炎症の行きつく先、線維化にいたる道筋となる。近年、流行りのテーマでもある線維化へ、ファシアの病態がどのように接続していくか。先端の基礎医学と、補完代替医療系の大きな溝により、ほぼコメントされていない状況だが、丁寧に思考していけば、特に大きな隔たりもなく、連続した概念であることは明白である。
しかし、我が国でのファシア研究とエネルギー医学系との隔絶などを考えると、この二つの概念が同時に語られるには、まだまだ多くの時間が必要にも感ずる。
慢性炎症の果てに、実質細胞が欠落し、間質細胞が増殖しこれが線維化を招く。こうした機序において真っ先に思いつくのが、線維芽細胞の増殖である。フィブリンの蓄積にともなって、張力が働く方向にフィブリンが並ぶのに伴い、同方向に線維芽細胞が増殖し、コラーゲン線維が形成されていく。
また慢性炎症の状態であるから、そこにはマクロファージやリンパ球なども集積して免疫反応も生じる。同時に血管も集まり、その周辺には細胞外マトリックスとしてのコラーゲン線維も増加し、炎症性物質を内包するプレリンパも多く存在することが推測される。
こうした状況の中、組織破壊が進行し、修復のバランスが破綻していけば、微細な環境における恒常性は破綻し、線維化による再構築が生じることになる。つまり、ここでファシア瘀血として述べてきた現象は、この線維化においてその主たる経過に大きく関与することになることが推測される。
そして、ここで期待されるのが、不可逆とされた線維化が可逆的に変化しうるという可能性である。つまり、このマトリックス医学の紹介の中で展開される様々な介入により、線維化への有効な対応策が見出される可能性が高いと言えよう。
言うまでもなく全身に張り巡らされたファシアは、一つのネットワークとして連続している。そしてそこにはプレリンパをはじめとして、多くの線維化に関与するプレーヤーもまたふくまれている。
ある部位に、強いファシア重積が形成されたとすると、その付近と影響する部位における運動が制限されるだけでなく、神経や血管もまた機能不全に陥る可能性が高い。
つまり、ファシア瘀血による慢性炎症の温床が形成されてしまう。それは直流電流によるファシア本来の通電性による機能を不全にさせ、実質細胞に悪影響を及ぼすであろうことが推測される。
またファシアの増殖により局所的な循環不全を招く可能性もある。また近年、慢性腎臓病の進展に対しての三次リンパ組織(TLS)の役割も見逃せない。
これは線維芽細胞が実質細胞に集積するなかで、リンパ球を動員・増殖させ、さらにその周辺へと炎症を拡大させるものである。つまり線維化の病変がさらなる病態の悪化を招くということであり、こうした線維化をどのように解消していくかは、実質臓器の悪化を防ぐうえでも極めて重要な介入となる。
これらは詳細なプロセスは、肝臓や肺、皮膚や脂肪組織など各臓器で異なるものの、概ね同様の方向で進展していくとされる。つまりこれまでのような臓器別、つまりはここの実質細胞への対応策では、有効な対策はとりにくいことになり、ポジ・ネガの反転のような対策が必要とされる。これが、マトリックス医学とした理由である。従来の注目されていたもの「でない方」に視点を変える、ということになる。
我々はこれを、これまで伝統医学や補完代替医療の活用、という表現で理解してきたのであるが(それゆえに統合医療という名称にもなるのであるが)、そこに具体的な現代科学的イメージを重ね合わすことが可能になったということである。
また、マトリックスという時、それはいわゆるファシアよりも大きな概念になることはいうまでもない。これも広い意味でのポジ・ネガである。
こうした考え方の変化には、その時代時代に要請される「まなざし」の変化が根底にあると言わざるを得ない。
このまなざしの変化は、意識に対する無意識であるし、日常に対してのトランスでもあり、ニューロンに対してのグリアでもある。こうした時流の中での実質臓器にたいするそれ以外の部分、つまりはマトリックスということになる。
やや脱線するが、こうした変換はマトリックス内部においても生じる。ファシアの機能的な表現形式として説明した「経絡」概念の変遷がまさにあてはまる。
おそらく歴史的には、はっきりと実感しやすいアナトミートレインのような形で「経筋」として理解されていたものが、内臓との関連へと理論展開し、微細な感覚を伴って「経別」の源流となる概念になっていく。それが湯液など内服薬の充実により、内臓へのアプローチが「裏」へとまわると、さらに洗練された形で、多くの経穴を伴って「経絡(正経)」として成立。その後、進展した別形式としての「奇経」が生れ、再度、以前から存在していた経筋・経別などの概念を取り込みながら、整理してきたものが今日の経絡システムであるとする考えである(『東洋医学と潜在運動系』山田新一郎・佐藤源彦の記述をもとに記載)。つまりここでも、歴史的なまなざしの変化により大きな概念の変遷があったということである。
統合医療はそれ自体が大きな視点の変化を伴うものである。そうした中でも、統合主義的な視点でまとめたマトリックス医学という切り口は、より具体的な形で現代医療への新たな視点を提供しうるものであると確信する。これらの概念は、個の内面から発する「プラグマティックメディスン」と合わせてご理解いただければ幸いである。ケン・ウィルバーの四象限で表現すると「I」の視点がプラグマティックメディスンで、「It」の視点がマトリックス医学という分け方になることも、ここであわせて指摘し、本稿を終えたい。
ここで話題にする「マトリックス」という概念は、ファシアという今まさに、ホットなキーワードのおそらく背景となる、大きな枠組みになっていくと思います。近いうちに、マトリックス医学としてのさらに大きな研究の枠組みをご紹介できると思いますので、それに先立って読み返して頂ければ幸いです。
生体マトリックスの理解を、物質的基礎となるコラーゲンから始まって、ファシア、線維化に至る流れを現状の医学だけでなく、エネルギー医学やホメオパシー、経絡や漢方といった東洋医学も含めた補完医療的見地も入れながらストーリー立ててみたいと思う。いわば、水分子の挙動などの量子医学的視点から、マクロにおける漢方・鍼灸・波動器機といったものをまとめて理解するための視点を提供してみたい。
まずはコラーゲンから。コラーゲンに限らずすべてのタンパク質の分子には、水分子が寄り添っている。つまり生体マトリックスを構成する分子にも、その周辺には水分子が常に付随し、そこには当然ながら相互作用が認められる。
コラーゲン周辺の水分子に、ある一定のエネルギーが作用すると、そこには秩序が生じ、水分子がそろってスピンする。これが「コヒーレント」といわれる状態である。コヒーレントの状態は、エネルギーを放出することができ、そこで発生したエネルギーがフローリッヒ波と称される。そしてその結果、比較的無秩序な基底状態へと戻る。が、再度エネルギーを吸収すれば、コヒーレントの状態へ復帰することが出来る。(この過程において組織特異的な振動数を特定し生体へ放射すれば、量子医学として説明されるQPAないしはAWGといった波動治療器の原理説明となりうるであろう)
この時のいわば、コヒーレントな状態というのは、コラーゲンを含めた周辺環境において「健全」な状態にあると仮定される。(『量子医学の誕生』等の書籍においては、このプロセスをエバネッセント光としてウイルス等から生体を防御していると推測している)
こうした振動による状態の改善については、波動治療器の説明に限らず、ホメオパシーなど広義のエネルギー医学的方法においても説明可能である。
つまり簡単にまとめると、ホメオパシーや波動医学などエネルギー医学系統は、主にコラーゲン周辺の水分子の(局所的な)コヒーレント状態を目標にしていることになる。それゆえに、水分子の重要性が生命の基本原理として話題にもされる。(種々の生気論的な議論もここを出発点としているものが多いように感ずる)
裏を返せば、これを妨害するものが、疾患への道筋となり、この段階で直接的に影響するのが「電磁波」であろう。電磁波によりコヒーレントな状態が妨害されれば、コラーゲンを介する生体のエネルギー伝達システムが異常となり、ひいては免疫機序の低下につながることが容易に推測される。これへの具体的対応策が、いわば諸々のアーシングと言ってよいであろう。
健全なコラーゲンの周辺では、コヒーレントな状態に近いと考えられ、それにより成長・損傷修復・防御反応、さらには各組織・臓器の活動を調和させると推測できる。
反対に不協和な状態であれば、慢性炎症のもととなり、その結果である線維化まで進行しうる。特に急性炎症からの遷延化である「慢性炎症」においては、好中球増加などの環境下から、フリーラジカルの発生がしやすく、安定した分子から酸素を奪い「酸化」した、いわば不健康な酸化ストレス状態へと導きやすくなる。
コラーゲンの集積した結合組織においては、直流電流が全身に流れているとされ、その流れのペースメーカー的な役割が「脳波」であると考えられている。
そしてここでさらに想像をたくましくするなら、自律神経たる腸管神経系を司る腸のペースメーカーも関与しているのかもしれない。それはおそらく腸内マイクロバイオ―タと密接に連携しながら、外胚葉由来の脳と、内胚葉由来の腸とで、主に中胚葉由来の結合組織、ファシアに影響を与えていると考えると理解しやすいのではないだろうか。(ここでは微生物学的マトリックスとしての腸内マイクロバイオ―タの機能が小さくないと思わせる)
そしてここから、感情や記憶といったものの起源を、中枢としての脳のみに起因させるのではなく、全身に分散したモデルで考えることも可能になるのではないだろうか。
まずは、ファシアを話題にする前に、その素材であるコラーゲンとその周囲の水分子の状態から、解きほぐしてみた。
このメカニズム理解には、ホメオパシーなど広くエネルギー医学を理解するポイントや、アーシングや環境における電磁波対策、個々の住居の在り方、さらには地球規模におけるシューマン共鳴にまで応用しうるものであることを指摘しておく。これらが生体のマトリックスとして重要なファシアによりまとめられていることが重要な事である。
犠呂任魯灰蕁璽殴鸚維周辺の水分子の状態から、慢性炎症への準備段階へとつながるミクロの環境について述べたが、今度はそれに引き続く、末梢循環のミクロな環境において、どのように循環不全の火種が生じるかを考えていくことにする。病態のモデルとして有用な末梢循環不全のモデルについてである。
末梢循環のモデルとしては、動脈が枝分かれして次第に毛細血管へ移行し、ガス交換の後に、静脈へと合流していくことになる。そこではガス交換に限らず、栄養やホルモンといった物質の移動も行われ、組織外液は一部、盲端となっているリンパ管に吸収され静脈へと環流される。これが通常の教科書的な解剖生理学における末梢循環の説明である。
しかし近年、この細胞外液のエリアにおいて、プレリンパと称される液体を内包する管が生体の直接観察により判明した。いわゆるコラーゲン線維に囲まれ内皮様の細胞の内側に、このプレリンパが存在する。つまり、ただ外液として存在しているのではなく、管様の構造物内を液体が通っていることになる。
またファシア内部にも液体が存在するから、毛細血管周辺には血管内の血液だけでなく、リンパ管のリンパ液、さらにはファシアの内包するプレリンパが大量に存在することになる。とりわけ、血管周辺にはファシアが多く存在するから、「瘀血」と言われるうっ血がある場合には、その周辺もまた液体がうっ滞していることになる。
こうした環境は、うっ滞がひどくなれば、毛細血管観察鏡では不明瞭な毛細血管像として観察される。また、毛細血管のうねりや湾曲などの変形像も、周辺の微細なコラーゲン線維の束により生じた引きつりと考えれば、後天的な血管変化として説明がつく。
ではその像を不明瞭にさせているものは何か。今度は光学顕微鏡や、暗視野顕微鏡にて観察可能な新鮮血で考える。ここでは病的状態として、赤血球の連銭形成がみられ、毛細血管通過困難な状況から血管像の消失(ゴースト血管)を生じたり、またフィブリン網が藻状構造物として観察されることから、それらが血管外で析出して血管不明瞭像を形成すると考えられる。これらはいわゆる従来の「瘀血」といった概念だけでは、明確な説明になっておらず、コラーゲン線維の集合体としてのファシアを念頭に置かないと説明しにくい。
これは実際の刺絡治療において、多くのいわゆる「瘀血」が引かれることや、それらの粘性が極めて高いことなどの説明として不可欠である。つまり従来の瘀血は、その実態としては血管内部の停滞した血液に加え、血管外かつファシア内のプレリンパも大量に混在していることになる。
こうした末梢血液の環境により、「瘀血」が形成される可能性が高いので、むしろ血だけの問題ではなくファシアが大きく絡むことから「ファシア瘀血」と称することが妥当であると考える。(指尖から末梢血を採取することを考えれば、極めて妥当な推測となる)
こうしてファシア瘀血という概念を導入することにより、慢性炎症などからファシア重積などのファシア病変へと連続する筋道が立ったことになる。この末梢循環の理解を基礎として、いよいよファシアの病態、さらには線維化へと解説を進めていくことにする。
珪呂任蓮▲侫.轡△砲ける病態の基礎を形成すると考えられる「ファシア瘀血」の概念を解説し、これにより、ファシア重積など、マクロ的にボディワークによって解消される病態の原因が推測された。それはここでは(本ブログ)「Bファシア」と称してきたものであり、一方で、ミクロ的に、エネルギーワーク的な微細な介入によって改善される病態の基礎を「Eファシア」と称した。
つまり末梢循環における病態を示すファシア瘀血という概念は、このBファシアとEファシアの境界に位置し、双方の説明原理ともなるものだということが示されたことになる。それではまず正常ファシアの解剖から始め、ファシアの病態へと解説を進める。
Steccoらによるファシア関係の基本用語として、人体の水平関係をO-F単位、垂直関係を A-F配列が、4つの分節された腔に配置され、経絡との対置が行われる。この理解に加えて、線状の構造ではないファシアに、経絡のラインが当てはまる理由は、張力によるものである。
張力によってコラーゲン線維が引き伸ばされ、そのライン上を直流電流が走ることによって、情報の伝達がなされるわけである。
こうしてできた流れとしては、アナトミートレイン的な解釈が一番近く、とりわけ「経筋」の流れは、この典型と言える。またエネルギー療法的な視点から発展したものと推測されるのが「経別」であろうと考えられる。その後それらを総合する形でいわゆる「正経」が成立し、別ルートである「奇経」が認識されることになったのであろう。
いずれにせよ、体表から内臓に至るまで全身あらゆる部位と連続性をもつファシアであることが、こうした複数ルートとなりうる理由であろう。
またこうした鍼灸系統のルートとは別に、湯液系統のルートも想定しうる。これは、明かなルートとしては伝承されていないが、傷寒論の条文から帰納的に推測された江部経方医学における説明図(UFO図とも呼ばれる)の気のルートがこれにあたるであろう。
このルートは「隔」を中心として、体内で発生した熱がどのように体外へと放出され、どのように体表を巡り、どこから内部へと環流されるかという流れで、ファシアを通じて伝播される熱のルートとしても解釈することができる。
またこれらの体表部における流れの層は三層構造になっており皮・肌・身として、表皮・真皮・皮下組織(筋肉)と対応していると考えられる。
こうした流れが慢性炎症によって生じた瘀血によって、ファシアの重積などの病態へと変化し、神経・血管を巻き込んで幾多の症状となって発現するわけである。
発現した病態像によって、ファシア瘀血をメインに、コンパートメント症候群的な状態である時には減圧を伴う「刺絡」が著効するし、一方では、血管や神経を巻き込んで絞扼、重積して物理的障害となっている場合は、生理的食塩水を局所注入する「ハイドロリリース」が著効することになる。
これらは局所的効果を発現するだけでなく、ファシアの該当部位からの連続体として、諸々の臓器にまで影響すると考えられる。絞扼された神経・血管が解放されることに加え、ファシアによるプレリンパの流れやコラーゲン線維の微量直流電流の改善がその機序として推測される。
これにより筋・骨格系のみならず、広く内臓全てに好影響を及ぼしうるし、本来の自発的治癒力の発揮へとつながる道筋となるであろう。
がん治療においては、従来の免疫機序の賦活というストーリーにとどまらず、絞扼や圧縮といった物理的圧力からの開放や、電気的に良好な微小環境の形成を通じて、本来の治癒力発現へとつなげる道筋である。(がんは物理的圧力下において増大・転移しやすい)
ファシアの病態は以上のように、異常な局所の病態を改善して正常な「局所性」を取り戻し、それによって病的な連動を断つことで健全な「連動性」を復活させる、という2つの大きな改善を図ることができるのである。
またファシア内の電流のペースメーカーとして「脳波」が想定されているが、それに加えて「腸管」におけるペースメーカーも重要な役割を担うはずで、これには当然、腸内マイクロバイオ―タとのなダイナミックな関係性が大きく影響するはずである。
また腸管それ自体も、腸管膜根からフレアスカート状に大きな腸間膜が一塊として垂れ下がり、この構造と「丹田」との関連も強く示唆される。生体における解剖学的な位置を深く考察した肥田春充による「聖中心」も、このファシアによる考察を加えることで解明へとつながるのではないだろうか。この辺りは非常に多くの可能性が秘められた議論が展開しうるであろう。いわゆる伝統医療・補完代替医療といわれる領域の統合的解釈における「ファシア」という概念の魅力は尽きることはなかろう。
いよいよ慢性炎症の行きつく先、線維化にいたる道筋となる。近年、流行りのテーマでもある線維化へ、ファシアの病態がどのように接続していくか。先端の基礎医学と、補完代替医療系の大きな溝により、ほぼコメントされていない状況だが、丁寧に思考していけば、特に大きな隔たりもなく、連続した概念であることは明白である。
しかし、我が国でのファシア研究とエネルギー医学系との隔絶などを考えると、この二つの概念が同時に語られるには、まだまだ多くの時間が必要にも感ずる。
慢性炎症の果てに、実質細胞が欠落し、間質細胞が増殖しこれが線維化を招く。こうした機序において真っ先に思いつくのが、線維芽細胞の増殖である。フィブリンの蓄積にともなって、張力が働く方向にフィブリンが並ぶのに伴い、同方向に線維芽細胞が増殖し、コラーゲン線維が形成されていく。
また慢性炎症の状態であるから、そこにはマクロファージやリンパ球なども集積して免疫反応も生じる。同時に血管も集まり、その周辺には細胞外マトリックスとしてのコラーゲン線維も増加し、炎症性物質を内包するプレリンパも多く存在することが推測される。
こうした状況の中、組織破壊が進行し、修復のバランスが破綻していけば、微細な環境における恒常性は破綻し、線維化による再構築が生じることになる。つまり、ここでファシア瘀血として述べてきた現象は、この線維化においてその主たる経過に大きく関与することになることが推測される。
そして、ここで期待されるのが、不可逆とされた線維化が可逆的に変化しうるという可能性である。つまり、このマトリックス医学の紹介の中で展開される様々な介入により、線維化への有効な対応策が見出される可能性が高いと言えよう。
言うまでもなく全身に張り巡らされたファシアは、一つのネットワークとして連続している。そしてそこにはプレリンパをはじめとして、多くの線維化に関与するプレーヤーもまたふくまれている。
ある部位に、強いファシア重積が形成されたとすると、その付近と影響する部位における運動が制限されるだけでなく、神経や血管もまた機能不全に陥る可能性が高い。
つまり、ファシア瘀血による慢性炎症の温床が形成されてしまう。それは直流電流によるファシア本来の通電性による機能を不全にさせ、実質細胞に悪影響を及ぼすであろうことが推測される。
またファシアの増殖により局所的な循環不全を招く可能性もある。また近年、慢性腎臓病の進展に対しての三次リンパ組織(TLS)の役割も見逃せない。
これは線維芽細胞が実質細胞に集積するなかで、リンパ球を動員・増殖させ、さらにその周辺へと炎症を拡大させるものである。つまり線維化の病変がさらなる病態の悪化を招くということであり、こうした線維化をどのように解消していくかは、実質臓器の悪化を防ぐうえでも極めて重要な介入となる。
これらは詳細なプロセスは、肝臓や肺、皮膚や脂肪組織など各臓器で異なるものの、概ね同様の方向で進展していくとされる。つまりこれまでのような臓器別、つまりはここの実質細胞への対応策では、有効な対策はとりにくいことになり、ポジ・ネガの反転のような対策が必要とされる。これが、マトリックス医学とした理由である。従来の注目されていたもの「でない方」に視点を変える、ということになる。
我々はこれを、これまで伝統医学や補完代替医療の活用、という表現で理解してきたのであるが(それゆえに統合医療という名称にもなるのであるが)、そこに具体的な現代科学的イメージを重ね合わすことが可能になったということである。
また、マトリックスという時、それはいわゆるファシアよりも大きな概念になることはいうまでもない。これも広い意味でのポジ・ネガである。
こうした考え方の変化には、その時代時代に要請される「まなざし」の変化が根底にあると言わざるを得ない。
このまなざしの変化は、意識に対する無意識であるし、日常に対してのトランスでもあり、ニューロンに対してのグリアでもある。こうした時流の中での実質臓器にたいするそれ以外の部分、つまりはマトリックスということになる。
やや脱線するが、こうした変換はマトリックス内部においても生じる。ファシアの機能的な表現形式として説明した「経絡」概念の変遷がまさにあてはまる。
おそらく歴史的には、はっきりと実感しやすいアナトミートレインのような形で「経筋」として理解されていたものが、内臓との関連へと理論展開し、微細な感覚を伴って「経別」の源流となる概念になっていく。それが湯液など内服薬の充実により、内臓へのアプローチが「裏」へとまわると、さらに洗練された形で、多くの経穴を伴って「経絡(正経)」として成立。その後、進展した別形式としての「奇経」が生れ、再度、以前から存在していた経筋・経別などの概念を取り込みながら、整理してきたものが今日の経絡システムであるとする考えである(『東洋医学と潜在運動系』山田新一郎・佐藤源彦の記述をもとに記載)。つまりここでも、歴史的なまなざしの変化により大きな概念の変遷があったということである。
統合医療はそれ自体が大きな視点の変化を伴うものである。そうした中でも、統合主義的な視点でまとめたマトリックス医学という切り口は、より具体的な形で現代医療への新たな視点を提供しうるものであると確信する。これらの概念は、個の内面から発する「プラグマティックメディスン」と合わせてご理解いただければ幸いである。ケン・ウィルバーの四象限で表現すると「I」の視点がプラグマティックメディスンで、「It」の視点がマトリックス医学という分け方になることも、ここであわせて指摘し、本稿を終えたい。
tougouiryo at 2024年05月26日20:04|この記事のURL│Comments(0)
5Matrix & 5Fascia 最近の概念のまとめ
やや雑然としていたマトリックスについての概念をもう少しまとめました。様々な階層の概念が入り混じっていたのですが、5つにまとめました。これに伴い、ファシアはこの概念の医学的な中心でもあるので、さらに詳しく5つの概念(トピックス)にまとめてみました。これにより自分のアタマが整理できました(笑)
広くマトリック医学とした時の代表的な5概念。
5Matrix
1)ファシアマトリックス(末梢⇔内臓・双方向性、コラーゲン・ファシア・線維化等)
2)物理・化学マトリックス(温湿度・水分子・電子・波動・生化学・栄養学等)
3)微生物マトリックス(腸内細菌・真菌・寄生虫等)
4)無意識マトリックス(無意識・トランス・生体エネルギー等)
5)関係性マトリックス(雰囲気・ダイアローグ・縮退現象・アフォーダンス等)
これらひとつひとつが、主たるものの背景でもあり、母体でもあると考えるとマトリックスとして捉えることが出来る。本体に作用せず、周辺を作動させる。本体との協調関係、それによる何らかの決着が「統合」の在り方と考えることが出来る。「正しい」ことは決定できないものの、「間違い」は指摘可能であることにも通じる。
このうちファシアに関してさらに詳しく。現実の臨床に便利なようにあくまでも個人的に分類した5概念が以下のもの。あくまでも実用的分類。
5Fascia
1)鍼灸的(経絡・経別・奇経・経筋・皮部等)
2)漢方的(経方図・瘀血・水滞等)
3)コラーゲン的(アナトミートレイン・分子量子的・半導体的・周波数)
4)身体的(M-test・SPAT・良導絡・丹田等)
5)末梢循環的(FBO・CVO・生化学検査)
これらによりファシア、マトリックス等の概念と実臨床とが接続されたように感じています。つまりマトリックスとのプラグマティックな統合が、私にとっての統合医療という事になります。
今週のJCは、アトピー症例の検討から、これらの具体的な概念を用いて、最近の臨床的な体系をまとめてお話してみたいと思います。
こうした説明も久しぶりですので、ずいぶんと変わったと感じるのではないでしょうか。不明な点はカンファレンス当日にでもご質問下さい。
広くマトリック医学とした時の代表的な5概念。
5Matrix
1)ファシアマトリックス(末梢⇔内臓・双方向性、コラーゲン・ファシア・線維化等)
2)物理・化学マトリックス(温湿度・水分子・電子・波動・生化学・栄養学等)
3)微生物マトリックス(腸内細菌・真菌・寄生虫等)
4)無意識マトリックス(無意識・トランス・生体エネルギー等)
5)関係性マトリックス(雰囲気・ダイアローグ・縮退現象・アフォーダンス等)
これらひとつひとつが、主たるものの背景でもあり、母体でもあると考えるとマトリックスとして捉えることが出来る。本体に作用せず、周辺を作動させる。本体との協調関係、それによる何らかの決着が「統合」の在り方と考えることが出来る。「正しい」ことは決定できないものの、「間違い」は指摘可能であることにも通じる。
このうちファシアに関してさらに詳しく。現実の臨床に便利なようにあくまでも個人的に分類した5概念が以下のもの。あくまでも実用的分類。
5Fascia
1)鍼灸的(経絡・経別・奇経・経筋・皮部等)
2)漢方的(経方図・瘀血・水滞等)
3)コラーゲン的(アナトミートレイン・分子量子的・半導体的・周波数)
4)身体的(M-test・SPAT・良導絡・丹田等)
5)末梢循環的(FBO・CVO・生化学検査)
これらによりファシア、マトリックス等の概念と実臨床とが接続されたように感じています。つまりマトリックスとのプラグマティックな統合が、私にとっての統合医療という事になります。
今週のJCは、アトピー症例の検討から、これらの具体的な概念を用いて、最近の臨床的な体系をまとめてお話してみたいと思います。
こうした説明も久しぶりですので、ずいぶんと変わったと感じるのではないでしょうか。不明な点はカンファレンス当日にでもご質問下さい。
tougouiryo at 2024年05月06日14:29|この記事のURL│Comments(0)
マトリックス医学の概略
様々な観点でマトリックス医学を描出してきましたが、ここで現状での概略をまとめてみたいと思います。そもそもマトリックスは生物学的には細胞質などの表現として用いられていますが、一般的な意味での基質、母体、内容物に対しての梱包材など、幅広い意味を持ちます。ここではそうした広い意味でとらえていきたいと思います。梱包材(実体・実内容)といった形で列挙してみます。
1)ファシア<collagen, fascia, fibrosis> ⇔(組織・臓器)
2)物理・化学・環境<温度・気圧・環境因子> ⇔(人間)
3)微生物<ウイルス・細菌・真菌・寄生虫・腸内細菌> ⇔(ヒト)
4)細胞質<栄養・代謝> ⇔(細胞内小器官)
5)水分子
6)無意識<催眠・トランス> ⇔(意識)
7)対話<カンファレンス・組織論・OD・産業医等> ⇔(個人)
8)裏の体育<武術・丹田> ⇔(表の体育・スポーツ・トレーニング)
9)マトリックス性<作用・関係性・縮退論・過剰医療論> ⇔(実体)
他にも多々挙げられそうですが、とりあえずはここまで。背景というよりは、それ自体の実態を生み出す母体的な意味合いをもつマトリックス。これまでほぼ無視されていた存在であるファシアがまさにこの代表で、ファシアを考える中でこの基本構想ができあがりました。一見当たり前ではありますが、医学を超えて多くの分野において、新展開をもたらしうる概念であると思います。
そして、このマトリックスとそこから生じた実態との折り合い、それこそが統合医療のいうところの「統合」であると考えています。
1)ファシア<collagen, fascia, fibrosis> ⇔(組織・臓器)
2)物理・化学・環境<温度・気圧・環境因子> ⇔(人間)
3)微生物<ウイルス・細菌・真菌・寄生虫・腸内細菌> ⇔(ヒト)
4)細胞質<栄養・代謝> ⇔(細胞内小器官)
5)水分子
6)無意識<催眠・トランス> ⇔(意識)
7)対話<カンファレンス・組織論・OD・産業医等> ⇔(個人)
8)裏の体育<武術・丹田> ⇔(表の体育・スポーツ・トレーニング)
9)マトリックス性<作用・関係性・縮退論・過剰医療論> ⇔(実体)
他にも多々挙げられそうですが、とりあえずはここまで。背景というよりは、それ自体の実態を生み出す母体的な意味合いをもつマトリックス。これまでほぼ無視されていた存在であるファシアがまさにこの代表で、ファシアを考える中でこの基本構想ができあがりました。一見当たり前ではありますが、医学を超えて多くの分野において、新展開をもたらしうる概念であると思います。
そして、このマトリックスとそこから生じた実態との折り合い、それこそが統合医療のいうところの「統合」であると考えています。
tougouiryo at 2024年04月22日06:00|この記事のURL│Comments(0)
マトリックスとしての微生物の存在 細菌・真菌・寄生虫
マトリックス医学の展開の一つとして、病態形成におけるマトリックスとしての微生物について、メモ的に考えてみたいと思います。
以前から、外傷のない蜂窩織炎の発症を何度も経験しているのですが、時折テレビなどではブドウ球菌等の細菌が「なぜか」詳細不明で、蜂窩織において炎症を生じるといった説明がされています。またはどこか見つからないところに、小さな傷が出来てそれが原因、といった説明がされることもあります。
ただこれらに関しては、発症の経過を観察していると、血中に存在する細菌が、末梢において目詰まりして、発症しているようにしか思えない例にあたります。つまり、血中は完全な無菌とされていますが、実はそうではなくて、ひっそりと共存するいわば「静菌」状態に近い状態にあるのではないかと思うのです。
ここから考えると、リーキーガット症候群などの発症モデルとして注目される、カンジダなどの「深部真菌症」もこれに似た状態と考えることが出来そうです。
通常、腸管での生息が想定されますが、新鮮血の観察でも時折、カビ状の構造物が見られますので血中の可能性も否定できないのかもしれません。
またこれらの真菌は、消化管細胞の結合部に割り込み、その接合を壊しすき間(穴)をあけ、そこから内部のものを漏出させるきっかけとなります。栄養物の漏出のみならず、白血球のように、細菌などの微生物がファシアへ移行することも出来るはずです。また治療法として、抗真菌薬のみならず生薬の黄ゴンやオリーブの葉などが挙げられますが、これらによる揺り返しとしてダイオフという強い反応を引き起こしやすいことも特徴的です。オウゴンの副作用として挙げられる反応のいくつかには、こうしたダイオフの関与も無関係ではないのかもしれません。
そして新鮮血観察において気づいたこと、というか驚いたことの一つが、寄生虫とりわけ線虫様の構造体が時折観察されてくることです。
糞線虫症として明らかな発症をしていなくても、我が国でも南西部を中心に健常者においても、軽微な症状ながら線虫の存在報告がされてきました。とくにフィラリア症におけるリンパ管の閉塞といった病態は、その虫体自体のファシアでの存在が強く想像されます。また新鮮血観察をされている先生方からも、線虫らしき存在が観察されているようです。さらに学会報告などでも、ファシアほどの内部ではありませんが、膀胱内や膣内での自由生活線虫が観察されています。
また体内での常在性を示唆する傍証としては、近年話題のがんにたいする線虫検査の存在です。確かに機序としては、嗅覚の鋭敏さで説明出来るのでしょうが、あれほどまでに反応するのであればこれまでの遺伝上において、がん細胞との相当の遭遇機会があったと考えても不思議はないのではないでしょうか。また線虫の赤血球内部への侵入を示唆する観察例と合わせると、解糖系に引き寄せられる可能性も否定できないでしょうし、それゆえにワールブルグ効果ともリンクしそうな気もしています。
また、線虫自体のどのような活動がきっかけとなっているのかは不明なのですが、末梢の新鮮血においてフィブリン増多が観察される機会が多いようにも思います。それゆえにネットに細胞が捕捉され、血流悪化などの契機にもなりそうです。つまり好酸球増多ともあいまって、ファシア重積さらには線維化の促進につながる可能性も考えられます。臨床的には根深い瘀血病変のようにも感じています。
これら以外も微生物、とりわけ線虫に関してはいろいろと考えられるのですが、概略としてこの辺にしておきます。つまりヒトの多彩な病態の中には、背景、マトリックスとしての微生物の存在が示唆される例が、意外に多く存在しそうです。従来の医学的常識の枠に大きく抵触することなく、治療に向けたヒントが多く含まれているように思うのです。メモ的なものなので雑駁な内容になりましたが、また改めてまとめてみたいと思っております。
以前から、外傷のない蜂窩織炎の発症を何度も経験しているのですが、時折テレビなどではブドウ球菌等の細菌が「なぜか」詳細不明で、蜂窩織において炎症を生じるといった説明がされています。またはどこか見つからないところに、小さな傷が出来てそれが原因、といった説明がされることもあります。
ただこれらに関しては、発症の経過を観察していると、血中に存在する細菌が、末梢において目詰まりして、発症しているようにしか思えない例にあたります。つまり、血中は完全な無菌とされていますが、実はそうではなくて、ひっそりと共存するいわば「静菌」状態に近い状態にあるのではないかと思うのです。
ここから考えると、リーキーガット症候群などの発症モデルとして注目される、カンジダなどの「深部真菌症」もこれに似た状態と考えることが出来そうです。
通常、腸管での生息が想定されますが、新鮮血の観察でも時折、カビ状の構造物が見られますので血中の可能性も否定できないのかもしれません。
またこれらの真菌は、消化管細胞の結合部に割り込み、その接合を壊しすき間(穴)をあけ、そこから内部のものを漏出させるきっかけとなります。栄養物の漏出のみならず、白血球のように、細菌などの微生物がファシアへ移行することも出来るはずです。また治療法として、抗真菌薬のみならず生薬の黄ゴンやオリーブの葉などが挙げられますが、これらによる揺り返しとしてダイオフという強い反応を引き起こしやすいことも特徴的です。オウゴンの副作用として挙げられる反応のいくつかには、こうしたダイオフの関与も無関係ではないのかもしれません。
そして新鮮血観察において気づいたこと、というか驚いたことの一つが、寄生虫とりわけ線虫様の構造体が時折観察されてくることです。
糞線虫症として明らかな発症をしていなくても、我が国でも南西部を中心に健常者においても、軽微な症状ながら線虫の存在報告がされてきました。とくにフィラリア症におけるリンパ管の閉塞といった病態は、その虫体自体のファシアでの存在が強く想像されます。また新鮮血観察をされている先生方からも、線虫らしき存在が観察されているようです。さらに学会報告などでも、ファシアほどの内部ではありませんが、膀胱内や膣内での自由生活線虫が観察されています。
また体内での常在性を示唆する傍証としては、近年話題のがんにたいする線虫検査の存在です。確かに機序としては、嗅覚の鋭敏さで説明出来るのでしょうが、あれほどまでに反応するのであればこれまでの遺伝上において、がん細胞との相当の遭遇機会があったと考えても不思議はないのではないでしょうか。また線虫の赤血球内部への侵入を示唆する観察例と合わせると、解糖系に引き寄せられる可能性も否定できないでしょうし、それゆえにワールブルグ効果ともリンクしそうな気もしています。
また、線虫自体のどのような活動がきっかけとなっているのかは不明なのですが、末梢の新鮮血においてフィブリン増多が観察される機会が多いようにも思います。それゆえにネットに細胞が捕捉され、血流悪化などの契機にもなりそうです。つまり好酸球増多ともあいまって、ファシア重積さらには線維化の促進につながる可能性も考えられます。臨床的には根深い瘀血病変のようにも感じています。
これら以外も微生物、とりわけ線虫に関してはいろいろと考えられるのですが、概略としてこの辺にしておきます。つまりヒトの多彩な病態の中には、背景、マトリックスとしての微生物の存在が示唆される例が、意外に多く存在しそうです。従来の医学的常識の枠に大きく抵触することなく、治療に向けたヒントが多く含まれているように思うのです。メモ的なものなので雑駁な内容になりましたが、また改めてまとめてみたいと思っております。
tougouiryo at 2024年04月21日08:03|この記事のURL│Comments(0)
ファシアの病態についての考察(神経堤・EMT・関連痛など)
線維化病態を含めたファシアの病態についての考察のメモです。
「コラーゲン➡ファシア➡線維化」といった階層で考察していきます。まずはコラーゲンからの変化についての介入として、ビタミンC点滴や栄養療法などが挙げられます。次いでファシアから線維化への流れは、コラーゲン線維周辺の水分子の状態(これ自体がエバネッセント光など生気論的な生命観とも強く関係)と、その異常が集合した形でのファシアの重積病変もしくは血管病変(ビタミンC欠乏による壊血病も考えられる)、またはフィブリン網(フィブリン増加のメカニズムに関しては後日別稿にて)との連関による重積の増悪が考えられます。
この中で、とりわけ線維化病変は、機能障害をもたらすのみでなく、周辺の神経や血流の障害にもなりうるし、また視点を変えれば、線維化という現象が生じていることから「上皮間葉転換(EMT)」として付近の「がん化」も考えられます。
この際ファシアが神経堤細胞由来でもあることを考えると、周辺の血管との相互関係の中で、リプログラミングにより線維芽細胞へと先祖返りして別物へと転換する、というシステムも想定できそうです。つまりファシアの病変は、これまで想定した重積による神経・血管障害によるものだけではなく、神経堤細胞由来(ファシアすべてがそうだというわけではありません)であるがゆえにEMTにより、がんの悪性化にも関与しうるのではないかと推測されます。
また線維化自体が引き起こした慢性炎症が、ファシアを経由して他の部位に飛び火することも考えられます。これに関してはダニエル・キーオンも、関連痛と従来考えられている痛みも実は、神経弓の反射により体表に投影されるモデルではなく、ファシアによる直接的な連携(おそらく神経線維の流れと関係)により痛み物質が拡散しているモデルを想定しています。液性因子としてのプレリンパの関与が濃厚でしょう。確かに狭心痛などの痛みを、体表の感覚神経だけで考えるよりは、胸壁へと接続したファシア全体の痛みとして捉える方が合理的な気がします。
また、ファシアという概念からだとどうしても整形外科的な領域の考察に留まる傾向がありますが、これも発生における神経堤細胞の重要性を考えれば、あらゆる内臓の調整システムと深い関係があることは容易に推測できます。鍼灸の多彩なメカニズムの説明としても、十分な理由になります。つまりファシアというある種原始的かつ地味な組織は、ありゆる調整系を介して内臓全てに影響しているわけです。経絡・経別の言わんとしていることはここにも立証されているように思います。
「コラーゲン➡ファシア➡線維化」といった階層で考察していきます。まずはコラーゲンからの変化についての介入として、ビタミンC点滴や栄養療法などが挙げられます。次いでファシアから線維化への流れは、コラーゲン線維周辺の水分子の状態(これ自体がエバネッセント光など生気論的な生命観とも強く関係)と、その異常が集合した形でのファシアの重積病変もしくは血管病変(ビタミンC欠乏による壊血病も考えられる)、またはフィブリン網(フィブリン増加のメカニズムに関しては後日別稿にて)との連関による重積の増悪が考えられます。
この中で、とりわけ線維化病変は、機能障害をもたらすのみでなく、周辺の神経や血流の障害にもなりうるし、また視点を変えれば、線維化という現象が生じていることから「上皮間葉転換(EMT)」として付近の「がん化」も考えられます。
この際ファシアが神経堤細胞由来でもあることを考えると、周辺の血管との相互関係の中で、リプログラミングにより線維芽細胞へと先祖返りして別物へと転換する、というシステムも想定できそうです。つまりファシアの病変は、これまで想定した重積による神経・血管障害によるものだけではなく、神経堤細胞由来(ファシアすべてがそうだというわけではありません)であるがゆえにEMTにより、がんの悪性化にも関与しうるのではないかと推測されます。
また線維化自体が引き起こした慢性炎症が、ファシアを経由して他の部位に飛び火することも考えられます。これに関してはダニエル・キーオンも、関連痛と従来考えられている痛みも実は、神経弓の反射により体表に投影されるモデルではなく、ファシアによる直接的な連携(おそらく神経線維の流れと関係)により痛み物質が拡散しているモデルを想定しています。液性因子としてのプレリンパの関与が濃厚でしょう。確かに狭心痛などの痛みを、体表の感覚神経だけで考えるよりは、胸壁へと接続したファシア全体の痛みとして捉える方が合理的な気がします。
また、ファシアという概念からだとどうしても整形外科的な領域の考察に留まる傾向がありますが、これも発生における神経堤細胞の重要性を考えれば、あらゆる内臓の調整システムと深い関係があることは容易に推測できます。鍼灸の多彩なメカニズムの説明としても、十分な理由になります。つまりファシアというある種原始的かつ地味な組織は、ありゆる調整系を介して内臓全てに影響しているわけです。経絡・経別の言わんとしていることはここにも立証されているように思います。
tougouiryo at 2024年04月19日09:54|この記事のURL│Comments(0)
統合医療におけるファシアの重要性 ファシアと結合水、時々ドロプレット
ファシアは統合医療において非常に重要な概念です。解剖学的に述べると、皮膚と筋肉の間や、各臓器の連携、またミクロでは細胞ひとつひとつの間隙を埋める細胞外マトリックスなどを含む大きな概念といえます。
そのため、意味するところもかなり多様で、それゆえに大きな混乱も起こしやすいものでもあります。マクロ的な説明か、ミクロ的な説明かの違いによってもとらえ方が異なります。
とりわけ近年関心が高まっているのが、経絡への科学的解釈に対しての「補助線」として役割です。ファシアに一定の張力を仮定することで、アナトミートレインという経線がたてられ、これを経絡に類似させる考え方です。これはまさに「経絡ファシア論」と称しても良いものではないかと思います。
この考え方によれば、ファシア線維が引きのばされる(もしくは圧縮される)ことでピエゾ電流が発生する、つまりそこに電子の流れが形成しうるというもので、それが「気」の本体ではないかとするものです。「気」を「電子」とみなすことに違和感を感じる方もあるかもしれませんが、その特徴を見る限り、ニアリーイコール(≒)と十分みなせると思います。この概念はそのまま「アーシング」における帯電の説明にも直結するので非常に重要で、様々なエネルギー医学への応用を可能にします。
この外力による線維組織の形状の変化は、マクロに引張されたときに限らず、ごくわずかな刺激が加わった場合でも、いわゆる量子医学的な見地からも「結合水」などの概念を介して、情報が伝達しうるとも考えられます。また、この過程で前回述べた「相分離生物学」におけるドロプレットにも影響しうることもここで指摘しておきましょう。
つまりファシアと量子論との接点となるわけです。この辺りはどこまでを科学的なものとして受け入れるかの立場の違いも効いてくるので、極めてグレーな領域とも言えます。
ここからさらに推論していくと、ホメオパシーとの関連性も示唆されてきます。つまり、ホメオパシーを秩序化された水分子を利用したレメディの使用と考えると、いわば最適なレメディこそが、このファシア上の結合水を理想的な状態に導くとも考えられます。と同時に、細胞内部におけるドロプレットにも作用しうるわけです。
この理論展開は、鍼とホメオパシーのミッシングリンクを解明するうえでも非常に興味深い視点を与えると思います。
つまりこの考え方を肯定するのであれば、鍼とホメオパシーとの相性の良さを主張することにもつながりますし、考え方によっては漢方薬以上のシナジー効果をもたらすこともありえるでしょう。
こうした発想がまさに統合医療的ともいえるでしょう。東洋医学というカテゴリーを超越して、ファシアという解剖学用語を用いることで、これまでカテゴリー違いであった療法・技法を架橋するということになるわけです。
加えて鍼灸分野において「刺絡」の特殊性を考えるうえでもファシアは、独自の視点を提供するように思います。この辺りは「ファシア瘀血」の概念として本ブログ上でこれまでに理論展開してきたものでもあります。
またサプリを含めた栄養の面からも、ファシアへの影響は大きいことが推測されます。とりわけビタミンCとの関連は、大量投与の場合も含めて、より密接な関係もありそうに思います。
またこのファシア論の一つの魅力は、漢方などを中心とした東洋医学的な診察方法にも大きく関連していそうなこともあります。
特に「腹診」「背診」などは、これなしには考えられないように思いますし、漢方処方の決め手となる腹診所見なども、ファッシアの関連で考えていくと、新たな視点が得られるように思います。
現在、とりわけ、柴胡剤の使用目標となる胸脇苦満などの肋骨弓下の硬さなどについては、ファシアからの視点で、徒手的にかなり改善し、結果として漢方使用時に匹敵するような臨床的な感覚もあります。さらには呼吸法とファッシアへのマッサージを併用することで、大きな変化を与えることが出来るようにも感じています。
つまりこのファシア概念の面白さは、統合医療の幅広い各論を、一つの軸によって論じることが出来るところにあるのです。ジャングルカンファレンスによる多元的な学習の場を展開してきたことで、こうした概念の可能性を強く感じるようになったのかもしれません。今後の統合医療の発展はまさに、こうした境界領域に現れてくることでしょう。
そのため、意味するところもかなり多様で、それゆえに大きな混乱も起こしやすいものでもあります。マクロ的な説明か、ミクロ的な説明かの違いによってもとらえ方が異なります。
とりわけ近年関心が高まっているのが、経絡への科学的解釈に対しての「補助線」として役割です。ファシアに一定の張力を仮定することで、アナトミートレインという経線がたてられ、これを経絡に類似させる考え方です。これはまさに「経絡ファシア論」と称しても良いものではないかと思います。
この考え方によれば、ファシア線維が引きのばされる(もしくは圧縮される)ことでピエゾ電流が発生する、つまりそこに電子の流れが形成しうるというもので、それが「気」の本体ではないかとするものです。「気」を「電子」とみなすことに違和感を感じる方もあるかもしれませんが、その特徴を見る限り、ニアリーイコール(≒)と十分みなせると思います。この概念はそのまま「アーシング」における帯電の説明にも直結するので非常に重要で、様々なエネルギー医学への応用を可能にします。
この外力による線維組織の形状の変化は、マクロに引張されたときに限らず、ごくわずかな刺激が加わった場合でも、いわゆる量子医学的な見地からも「結合水」などの概念を介して、情報が伝達しうるとも考えられます。また、この過程で前回述べた「相分離生物学」におけるドロプレットにも影響しうることもここで指摘しておきましょう。
つまりファシアと量子論との接点となるわけです。この辺りはどこまでを科学的なものとして受け入れるかの立場の違いも効いてくるので、極めてグレーな領域とも言えます。
ここからさらに推論していくと、ホメオパシーとの関連性も示唆されてきます。つまり、ホメオパシーを秩序化された水分子を利用したレメディの使用と考えると、いわば最適なレメディこそが、このファシア上の結合水を理想的な状態に導くとも考えられます。と同時に、細胞内部におけるドロプレットにも作用しうるわけです。
この理論展開は、鍼とホメオパシーのミッシングリンクを解明するうえでも非常に興味深い視点を与えると思います。
つまりこの考え方を肯定するのであれば、鍼とホメオパシーとの相性の良さを主張することにもつながりますし、考え方によっては漢方薬以上のシナジー効果をもたらすこともありえるでしょう。
こうした発想がまさに統合医療的ともいえるでしょう。東洋医学というカテゴリーを超越して、ファシアという解剖学用語を用いることで、これまでカテゴリー違いであった療法・技法を架橋するということになるわけです。
加えて鍼灸分野において「刺絡」の特殊性を考えるうえでもファシアは、独自の視点を提供するように思います。この辺りは「ファシア瘀血」の概念として本ブログ上でこれまでに理論展開してきたものでもあります。
またサプリを含めた栄養の面からも、ファシアへの影響は大きいことが推測されます。とりわけビタミンCとの関連は、大量投与の場合も含めて、より密接な関係もありそうに思います。
またこのファシア論の一つの魅力は、漢方などを中心とした東洋医学的な診察方法にも大きく関連していそうなこともあります。
特に「腹診」「背診」などは、これなしには考えられないように思いますし、漢方処方の決め手となる腹診所見なども、ファッシアの関連で考えていくと、新たな視点が得られるように思います。
現在、とりわけ、柴胡剤の使用目標となる胸脇苦満などの肋骨弓下の硬さなどについては、ファシアからの視点で、徒手的にかなり改善し、結果として漢方使用時に匹敵するような臨床的な感覚もあります。さらには呼吸法とファッシアへのマッサージを併用することで、大きな変化を与えることが出来るようにも感じています。
つまりこのファシア概念の面白さは、統合医療の幅広い各論を、一つの軸によって論じることが出来るところにあるのです。ジャングルカンファレンスによる多元的な学習の場を展開してきたことで、こうした概念の可能性を強く感じるようになったのかもしれません。今後の統合医療の発展はまさに、こうした境界領域に現れてくることでしょう。
tougouiryo at 2023年04月30日08:11|この記事のURL│Comments(0)
相分離生物学の冒険 相分離というファシアからの発想の転換
生化学の代謝マップにおける反応はなぜ順序通りに円滑に進むのか? ファシアのように何らかのネットワークによって連結されているのではないか? ファシアのない細胞の集積した状態でも水分子が代謝など細胞機能を制御しうるしくみがあるのではないか? 当たり前のようだが、不明な点、素朴な疑問が実は未解明である問題は少なくない。そうした疑問に応えてくれる分野が現れていたのを知らなかった。相分離生物学という分野だ。
本屋で立ち読みしているときにたまたま見つけたのですが、なんか面白そうだなと思い少し読んでみると非常に重要な感じがひしひしと伝わってきました。4,5年前から専門書は出ているようなのですが、基礎から遠い臨床医の立場では、こうした分野があること自体知りませんでした。
代謝が円滑に進行するためのメタボロンの概念や、がんにおけるシャペロンの意義、神経細胞になぜアミロイド蓄積が見られるのか、またそれと長期記憶保持の関連についてなどなど。これまでの生理学、生化学では明快な説明がつけられていない箇所の解明は、目から鱗です。またアルギニンやATP産生に関わるコエンザイムQ10などの物質の意義も、従来のサプリの知識以上の解釈が出来そうです。
現在は基礎的な分野なので、こうした飛躍は嫌がる研究者も多いのでしょうが、個人的には注目の分野となりました。
冒頭にも書きましたが、ファシアとの関連が個人的には大きく考えさせられたところですが、これは本書では一切触れていない私の独断的解釈なのでご注意下さい。
ただこれまで未解明だったルート(経絡)を、全く新しいモノではなく従来からあるモノの再解釈で解明していく、というのはまさにメタボロンにおいても同様なものを感じます。とりわけオシュマンによるエネルギー医学の総論においては、解糖系などの代謝ルートを何らかの細胞骨格などの線維で説明しようとしており、それなりの妥当性を感じてはいました。しかし、現在に至るまで全くそうした進展を耳にすることはなかったので、さすがに無理も感じていました。
そうした中でのメタボロンの仕組みはなるほど納得でした。これであれば近年、解糖系によって生じた乳酸が一度細胞外へ出てから、再度細胞内に入りミトコンドリアへと取り込まれるという知見と矛盾しないことになります。
またすべてをファシアで説明しようとしていたのとは違い、より細胞機能の多様性が示されたような気がします。ファシアのようにかなり有力な論が登場すると、それによりほかの現象も説明づけたくなるものです。しかし、ホメオパシーなどを説明するには、場合によっては相分離の概念の方がしっくりくるのもまた事実。
相分離は、代替医療、統合医療領域にも大きなヒントを与えてくれる概念だと思いました。とくにファシアとの関連はまた別の機会に、あらためてここでも書いてみたいと思います。
本屋で立ち読みしているときにたまたま見つけたのですが、なんか面白そうだなと思い少し読んでみると非常に重要な感じがひしひしと伝わってきました。4,5年前から専門書は出ているようなのですが、基礎から遠い臨床医の立場では、こうした分野があること自体知りませんでした。
代謝が円滑に進行するためのメタボロンの概念や、がんにおけるシャペロンの意義、神経細胞になぜアミロイド蓄積が見られるのか、またそれと長期記憶保持の関連についてなどなど。これまでの生理学、生化学では明快な説明がつけられていない箇所の解明は、目から鱗です。またアルギニンやATP産生に関わるコエンザイムQ10などの物質の意義も、従来のサプリの知識以上の解釈が出来そうです。
現在は基礎的な分野なので、こうした飛躍は嫌がる研究者も多いのでしょうが、個人的には注目の分野となりました。
冒頭にも書きましたが、ファシアとの関連が個人的には大きく考えさせられたところですが、これは本書では一切触れていない私の独断的解釈なのでご注意下さい。
ただこれまで未解明だったルート(経絡)を、全く新しいモノではなく従来からあるモノの再解釈で解明していく、というのはまさにメタボロンにおいても同様なものを感じます。とりわけオシュマンによるエネルギー医学の総論においては、解糖系などの代謝ルートを何らかの細胞骨格などの線維で説明しようとしており、それなりの妥当性を感じてはいました。しかし、現在に至るまで全くそうした進展を耳にすることはなかったので、さすがに無理も感じていました。
そうした中でのメタボロンの仕組みはなるほど納得でした。これであれば近年、解糖系によって生じた乳酸が一度細胞外へ出てから、再度細胞内に入りミトコンドリアへと取り込まれるという知見と矛盾しないことになります。
またすべてをファシアで説明しようとしていたのとは違い、より細胞機能の多様性が示されたような気がします。ファシアのようにかなり有力な論が登場すると、それによりほかの現象も説明づけたくなるものです。しかし、ホメオパシーなどを説明するには、場合によっては相分離の概念の方がしっくりくるのもまた事実。
相分離は、代替医療、統合医療領域にも大きなヒントを与えてくれる概念だと思いました。とくにファシアとの関連はまた別の機会に、あらためてここでも書いてみたいと思います。
tougouiryo at 2023年04月24日08:39|この記事のURL│Comments(0)
肥田式聖中心との関連で見るファシア・ポリヴェーガル・腸内細菌叢
最近、来月から腸内細菌検査を開始することもあり、腸内細菌叢についていろいろと本を読み漁っているのですが、そこでやはり、全身との関連特に、ファシアやポリヴェーガル理論との兼ね合いが気になってきます。(このあたりの理論としてはプラグマティックメディスンの具体的展開として後日、あらためて解説してみたいと思っています)
そこで、ファシアと肥田式との関連について、昨年掲載したものを少し改編して再掲してみたいと思います。細菌の観点からとは少し違った観測点から、考え直してみたいと思い、読み返してみました。
肥田春充は、いわゆる丹田とされる「聖中心」を、自ら創出した技法の中心にしていったわけですが、その位置を、解剖学的構造ではなく、幾何学的な説明により提示していました。つまりランドマークは解剖的な構造ですが、聖中心というものを示すには「円」を規定しその中心としました。
そしてその中心を、腰椎からの直線が通過している説明図を提示しています。つまり考え方によっては、それぞれの解剖的な構造物との関係性、位置を規定する張力のようなもの、と考えてもよいのかもしれません。これまでのファシア理論からすると「O-F」にあたる関係です。
また、甲野先生からの示唆で気づいたのですが、腹部に球状の円(球)が規定されているのですが、これには何らかの実体があるのではないか、という考え方もできます。
ここ(球)に臓器の実態を当てるとすれば、それはまさに「腸管」、特に腸間膜に吊り下げられえた小腸となります。(甲野先生は腸管の何らかの膨張を想定されているようですが…)
この小腸は後腹壁から「フレアスカート」状に吊り下げられ、斜め下方向に集塊をなす様は「球」といえなくもありません。
学生時代の解剖学での記憶と合わせても、この「聖中心」と考えても矛盾なさそうに思います。
ただしここで注意すべきは、聖中心が腸管であるか否かという問題ではなく、肥田春充が幾何学的に表現したものの位置に、そうしたものが存在するという意味だけです。安易な同一化をしようとするものではありません。
こうした問題は「三焦」の捉え方にも適応できます(三焦を東洋医学の教科書的に捉えるだけでなく、腹腔動脈、上腸間膜動脈、下腸間膜動脈から腸間膜が栄養されるさまを三焦としたのではないか、という視点も実際の解剖所見からするとアリなのではないかとも思います)。
機能総体としての三焦ではなく、何らかの「実体」を古人は捉えていたのではないかという考察です。これは大きな塊のように見える腸間膜と周辺の脂肪組織を古人は一塊の臓器として捉えていたのではないか、そしてそこには臓器としては当時認識されていない「膵臓」も含まれてきます(実際の解剖所見としては全てが一塊に見えます)。それゆえに三焦=膵臓説もあるわけです。
そしてこのフレアスカートの吊りあげている視点が「腸間膜根」となり、後腹壁を左上から右下へ向けて、腰椎を跨いで下降しているのです。解剖的に腰椎1番2番あたりから下降しているので、横隔膜後脚が3番あたりまで来ていますので、呼吸におけるファッシア的な連動は十分考えられます。
そしてその終結は右側の仙腸関節上部に至ります。つまりここもファッシア的な接続を考えることができます。つまり骨盤調整との連動の可能性です。この「根」は当然、腰椎4番5番あたりで腰椎を跨いでいるので、いわゆるヤコビー線と腰椎との交点を、肥田春充が示唆しているのと関連するようにもみえます。腸間膜根の吊り上げ作用の重心が、腰椎4番5番の意識や調整と直接関連することは容易に示唆されるわけです。
なぜ肥田春充が、こうした幾何学的な説明によりその位置を示そうとしたのか。それこそが当時(今もそれほど大きな変わりはありませんが)の解剖学がファシアの存在を、半ば無視していたことと無関係ではないように思います。
解剖実習を行った経験がある人であれば、すぐわかることですが、解剖実習とはこの「ファシア」から、いかにして目的の「臓器」取り出すか、つまり見やすくするかにつきます。ファシアは取り除かれるべき「不要物」であり、臓器の「背景」にしか過ぎないというわけです。それが解剖というものなのです。
解剖するという行為の究極が、解剖学の図譜や教科書ですから、そこには当然ファシアの記載はありません。いくら肥田春充が超人であったとしても、当時の(今も?)解剖図に記載されていないものを、実体として認識していたとは思えません。これは近年、「ニューズウィーク」誌に皮膚を上回る「巨大な臓器」としてファッシアの発見が報道されたことからも、「存在していた」にも関わらず「認識されていなかった」臓器であることがうかがわれます。
春充は当時、自らの体感と、熟読した解剖書とを見比べて、その関係の体感を幾何学的に示そうとしたのではないでしょうか。これは眼光紙背に徹するかの如く解剖書を読み込んだであろう春充の、正確な解剖的知識があればこそ、「そこにないもの」を記載することが出来たのではないかと考えます。
「在る」ものを強く意識するほどに、認識の反転が生じた際に「ないはずのもの」がより強烈に認識されてくるのではないか。「図と地の反転」を基盤として考えるべき、ファシアとの関連がここに出てくるように思います。
春充の聖中心の体感の瞬間などは、まさにこの認識の反転として捉えることで、理解できるのではないでしょうか。
腸間膜根から壁側腹膜として折れ返ることで、腸管の状態が全身へと接続されます。これはまさにファシア論でいう「O-F」の引張構造で説明されます。
室町時代に隆盛を極めた「腹部打鍼術」が、腹部のみの刺激で、全身のあらゆる症状に対応していた事実からも、この関係は意外に大きな連携を有していることが推測されます。
進化学的にも体幹である「腹」から四肢が形成されてきたことを思うと、その中心が「腹」の「腸管」にあることも矛盾しません。ここに「火事場の馬鹿力」発揮のカギがあるようにも思えます(甲野先生のご指摘による)。
こうした身体(とりわけ四肢)の関係のみならず、近年は「脳腸相関」として神経系との関連が最新医学のテーマとしても注目されています。神経伝達物質において、脳→腸、または腸→脳の関連が、詳細に研究されています。この連関に関与する「迷走神経」の更なる研究や新解釈が待たれるばかりです。(ポリヴェーガル理論の今後の展開が注目です。最近は少しづつですが学術誌でも見かけるようになってきました!)
こうした関連においても、腸管の占有する位置が、その機能に関係する可能性は大いにありそうです。
腹腔内での腸間膜と腸管を一塊としたものの位置により、四肢における運動能力が大きく影響される可能性を、聖中心は持っているように思われます。
そして加えて、それらの正しい位置関係が、「脳腸相関」においても生体に有利に働く可能性も想定されます。筋膜の張力の均等化や、結合組織表面における水分子の量子的ふるまいの正常化、等が要因として考えられます。ファシア論、ポリヴェーガル理論との総合化が待たれるばかりです。
筋トレにおける筋肉のイメージのように、腸の塊の鮮明なイメージ化によって身体的かつ精神的な超絶した能力の開花が可能になるのではないか、そんな可能性を「聖中心」は与えてくれるのではないでしょうか。
そしてこの「聖中心」をひとつの軸とすることでことで、腸内マイクロバイオ―タ、ファシア臓器(腸間膜塊としての三焦)、腹側迷走神経等のキーワードが、相互作用している様子が見えてくるようではないでしょうか。
そこで、ファシアと肥田式との関連について、昨年掲載したものを少し改編して再掲してみたいと思います。細菌の観点からとは少し違った観測点から、考え直してみたいと思い、読み返してみました。
肥田春充は、いわゆる丹田とされる「聖中心」を、自ら創出した技法の中心にしていったわけですが、その位置を、解剖学的構造ではなく、幾何学的な説明により提示していました。つまりランドマークは解剖的な構造ですが、聖中心というものを示すには「円」を規定しその中心としました。
そしてその中心を、腰椎からの直線が通過している説明図を提示しています。つまり考え方によっては、それぞれの解剖的な構造物との関係性、位置を規定する張力のようなもの、と考えてもよいのかもしれません。これまでのファシア理論からすると「O-F」にあたる関係です。
また、甲野先生からの示唆で気づいたのですが、腹部に球状の円(球)が規定されているのですが、これには何らかの実体があるのではないか、という考え方もできます。
ここ(球)に臓器の実態を当てるとすれば、それはまさに「腸管」、特に腸間膜に吊り下げられえた小腸となります。(甲野先生は腸管の何らかの膨張を想定されているようですが…)
この小腸は後腹壁から「フレアスカート」状に吊り下げられ、斜め下方向に集塊をなす様は「球」といえなくもありません。
学生時代の解剖学での記憶と合わせても、この「聖中心」と考えても矛盾なさそうに思います。
ただしここで注意すべきは、聖中心が腸管であるか否かという問題ではなく、肥田春充が幾何学的に表現したものの位置に、そうしたものが存在するという意味だけです。安易な同一化をしようとするものではありません。
こうした問題は「三焦」の捉え方にも適応できます(三焦を東洋医学の教科書的に捉えるだけでなく、腹腔動脈、上腸間膜動脈、下腸間膜動脈から腸間膜が栄養されるさまを三焦としたのではないか、という視点も実際の解剖所見からするとアリなのではないかとも思います)。
機能総体としての三焦ではなく、何らかの「実体」を古人は捉えていたのではないかという考察です。これは大きな塊のように見える腸間膜と周辺の脂肪組織を古人は一塊の臓器として捉えていたのではないか、そしてそこには臓器としては当時認識されていない「膵臓」も含まれてきます(実際の解剖所見としては全てが一塊に見えます)。それゆえに三焦=膵臓説もあるわけです。
そしてこのフレアスカートの吊りあげている視点が「腸間膜根」となり、後腹壁を左上から右下へ向けて、腰椎を跨いで下降しているのです。解剖的に腰椎1番2番あたりから下降しているので、横隔膜後脚が3番あたりまで来ていますので、呼吸におけるファッシア的な連動は十分考えられます。
そしてその終結は右側の仙腸関節上部に至ります。つまりここもファッシア的な接続を考えることができます。つまり骨盤調整との連動の可能性です。この「根」は当然、腰椎4番5番あたりで腰椎を跨いでいるので、いわゆるヤコビー線と腰椎との交点を、肥田春充が示唆しているのと関連するようにもみえます。腸間膜根の吊り上げ作用の重心が、腰椎4番5番の意識や調整と直接関連することは容易に示唆されるわけです。
なぜ肥田春充が、こうした幾何学的な説明によりその位置を示そうとしたのか。それこそが当時(今もそれほど大きな変わりはありませんが)の解剖学がファシアの存在を、半ば無視していたことと無関係ではないように思います。
解剖実習を行った経験がある人であれば、すぐわかることですが、解剖実習とはこの「ファシア」から、いかにして目的の「臓器」取り出すか、つまり見やすくするかにつきます。ファシアは取り除かれるべき「不要物」であり、臓器の「背景」にしか過ぎないというわけです。それが解剖というものなのです。
解剖するという行為の究極が、解剖学の図譜や教科書ですから、そこには当然ファシアの記載はありません。いくら肥田春充が超人であったとしても、当時の(今も?)解剖図に記載されていないものを、実体として認識していたとは思えません。これは近年、「ニューズウィーク」誌に皮膚を上回る「巨大な臓器」としてファッシアの発見が報道されたことからも、「存在していた」にも関わらず「認識されていなかった」臓器であることがうかがわれます。
春充は当時、自らの体感と、熟読した解剖書とを見比べて、その関係の体感を幾何学的に示そうとしたのではないでしょうか。これは眼光紙背に徹するかの如く解剖書を読み込んだであろう春充の、正確な解剖的知識があればこそ、「そこにないもの」を記載することが出来たのではないかと考えます。
「在る」ものを強く意識するほどに、認識の反転が生じた際に「ないはずのもの」がより強烈に認識されてくるのではないか。「図と地の反転」を基盤として考えるべき、ファシアとの関連がここに出てくるように思います。
春充の聖中心の体感の瞬間などは、まさにこの認識の反転として捉えることで、理解できるのではないでしょうか。
腸間膜根から壁側腹膜として折れ返ることで、腸管の状態が全身へと接続されます。これはまさにファシア論でいう「O-F」の引張構造で説明されます。
室町時代に隆盛を極めた「腹部打鍼術」が、腹部のみの刺激で、全身のあらゆる症状に対応していた事実からも、この関係は意外に大きな連携を有していることが推測されます。
進化学的にも体幹である「腹」から四肢が形成されてきたことを思うと、その中心が「腹」の「腸管」にあることも矛盾しません。ここに「火事場の馬鹿力」発揮のカギがあるようにも思えます(甲野先生のご指摘による)。
こうした身体(とりわけ四肢)の関係のみならず、近年は「脳腸相関」として神経系との関連が最新医学のテーマとしても注目されています。神経伝達物質において、脳→腸、または腸→脳の関連が、詳細に研究されています。この連関に関与する「迷走神経」の更なる研究や新解釈が待たれるばかりです。(ポリヴェーガル理論の今後の展開が注目です。最近は少しづつですが学術誌でも見かけるようになってきました!)
こうした関連においても、腸管の占有する位置が、その機能に関係する可能性は大いにありそうです。
腹腔内での腸間膜と腸管を一塊としたものの位置により、四肢における運動能力が大きく影響される可能性を、聖中心は持っているように思われます。
そして加えて、それらの正しい位置関係が、「脳腸相関」においても生体に有利に働く可能性も想定されます。筋膜の張力の均等化や、結合組織表面における水分子の量子的ふるまいの正常化、等が要因として考えられます。ファシア論、ポリヴェーガル理論との総合化が待たれるばかりです。
筋トレにおける筋肉のイメージのように、腸の塊の鮮明なイメージ化によって身体的かつ精神的な超絶した能力の開花が可能になるのではないか、そんな可能性を「聖中心」は与えてくれるのではないでしょうか。
そしてこの「聖中心」をひとつの軸とすることでことで、腸内マイクロバイオ―タ、ファシア臓器(腸間膜塊としての三焦)、腹側迷走神経等のキーワードが、相互作用している様子が見えてくるようではないでしょうか。
tougouiryo at 2023年02月24日00:01|この記事のURL│Comments(0)
ファシアについてのシンポジウムが統合医療学会で開催されました
週末はオンライン開催での統合医療学会でした。今回は一般発表は、内輪からは出しませんでしたが、一日目は「ファシア:東西医学の架け橋」と二日目「実践ジャングルカンファレンス」の2つを企画し、共に成功裏に終わりました。
ファシアについてのシンポジウムは当学会では初めての企画で、これまで取り上げてこなかったのが不思議なくらいのテーマです。須田万勢先生と上馬塲和夫先生に私を加えた3人で、各々の得意分野からファシアの現状を繙いてみました。
須田先生からは、昨今のエビデンスや整形内科学会での研究のが現況、さらには先生の考えるファシア像まで幅広く興味深いテーマが講演されました。上馬塲先生のご講演では、ファシアの病態評価のためのコラーゲン検査の可能性に加え、アーユルヴェーダ理論との関連性、さらには先生の展開するバトソン静脈叢の意義から発想した「静脈ハブ理論」まで、実に充実した内容でした。その後の総合討論も、通常のシンポジウムに見られがちな盛り上がらない討論ではなく、シンポジスト間の質問が飛び交う、あついシンポジウムとなりました。
とくに印象的だったのが、須田先生が質問されたハイドロリリースでうまくいかないケースに関しての血液の鬱滞の可能性(コンパートメント症候群との関連性)について。つまり内圧が高まった病態においてはハイドロリリースによって悪化する可能性と、その鑑別j方法についてです。
私の臨床的な感覚では、病態についての質問内容吟味に加えて、やはり刺絡をかけたときの出血の様子です。年に数回おめにかかる吹き出すような刺絡による出血のケースでは、かなりの内圧が上昇している病態が推測されます。つまりこうした環境に生理食塩水を注入することは、その圧力自体を増してしまう可能性があるので、当然病態も悪化しうるわけです。こうした実際臨床に沿った討論が、実際の経験豊富な先生方とできたというのが大きな収穫となりました。
ジャングルカンファレンスの実践も非常に良い体験となりましたが、こちらについてはまた後日、改めて述べたいと思います。
須田先生のご著書はこちら! ↓ ↓ ↓
ファシアについてのシンポジウムは当学会では初めての企画で、これまで取り上げてこなかったのが不思議なくらいのテーマです。須田万勢先生と上馬塲和夫先生に私を加えた3人で、各々の得意分野からファシアの現状を繙いてみました。
須田先生からは、昨今のエビデンスや整形内科学会での研究のが現況、さらには先生の考えるファシア像まで幅広く興味深いテーマが講演されました。上馬塲先生のご講演では、ファシアの病態評価のためのコラーゲン検査の可能性に加え、アーユルヴェーダ理論との関連性、さらには先生の展開するバトソン静脈叢の意義から発想した「静脈ハブ理論」まで、実に充実した内容でした。その後の総合討論も、通常のシンポジウムに見られがちな盛り上がらない討論ではなく、シンポジスト間の質問が飛び交う、あついシンポジウムとなりました。
とくに印象的だったのが、須田先生が質問されたハイドロリリースでうまくいかないケースに関しての血液の鬱滞の可能性(コンパートメント症候群との関連性)について。つまり内圧が高まった病態においてはハイドロリリースによって悪化する可能性と、その鑑別j方法についてです。
私の臨床的な感覚では、病態についての質問内容吟味に加えて、やはり刺絡をかけたときの出血の様子です。年に数回おめにかかる吹き出すような刺絡による出血のケースでは、かなりの内圧が上昇している病態が推測されます。つまりこうした環境に生理食塩水を注入することは、その圧力自体を増してしまう可能性があるので、当然病態も悪化しうるわけです。こうした実際臨床に沿った討論が、実際の経験豊富な先生方とできたというのが大きな収穫となりました。
ジャングルカンファレンスの実践も非常に良い体験となりましたが、こちらについてはまた後日、改めて述べたいと思います。
須田先生のご著書はこちら! ↓ ↓ ↓
tougouiryo at 2022年12月20日00:15|この記事のURL│Comments(0)
ファシア概念の整理メモ
今年の統合医療学会シンポジウムで「ファシア」についてまとめるので、概念の整理目的のメモです。この分野に関心のある方の参考に記しておきますが、ご興味ない方や一般の方には分かりにくいのでスルーしてくださいませ。(今週の院内勉強会用の資料メモでもあります)
ファシア関連の概念のまとめ
ファシアを考える際には、様々な階層の話題が交錯し、どのレベルで話をしているか現在地を把握しながらでないと混乱しやすい分野である。
そのため「筋膜束」という概念で全体像をまずは把握する
これは4つの主要な層にわけて理解する
筋膜層(脂肪層・浅筋膜):眼窩・鼻腔・口・肛門を除いて全身を覆う
軸性筋膜(脂肪層深部・深筋膜):軸上(背側)筋・軸下(腹側)筋を取り囲む
髄膜筋膜:神経系を取り囲む
内臓筋膜:内臓組織から派生し、胸膜・心膜・腹膜として体腔を取り囲む。身体の正中で頭蓋底から骨盤腔まで延びる縦隔を形成
上記の内臓筋膜を機能的に分類し、経絡との関連を示唆したものがSteccoらによる、懸垂線(カテナリー)に基づく「器官・筋膜(a-f)配列」である。以下、3配列と経絡の関係である。
内臓配列(内胚葉由来 肺経・胃経・大腸経・脾経)
血管配列(中胚葉由来 心経・小腸経・膀胱経・腎経)
腺配列(外胚葉由来 心包経・三焦経・胆経・肝経)
次にこれらの「a-f配列」を含む体幹腔を6つの隔膜が分節し、4つの腔(頸部・胸部・腰部・骨盤部)を収容する。6つの膜は以下の通り。(大小の骨盤底が共に骨盤部の最底辺を形成するので腔は4つ)
咽頭・脳底隔膜
胸頸部隔膜
胸腰部隔膜
結腸間膜隔膜
腹膜隔膜(大骨盤底)
骨盤隔膜(小骨盤底)
各腔内で、特定の機能を遂行する体内の分節内臓器と、これらの臓器を一緒に結合する筋膜を「臓器・筋膜(o-f)単位」とする。これらは4つの分節された腔にそれぞれ3配列があるので、計12単位となる。ここに各内臓が配当され、それに相当する筋膜が治療対象となる。(これは経絡というよりは経別の意義に近いのではないか)
浅筋膜より上層はいわゆる表層の瘀血を形成する場で、表皮・真皮・皮下組織のうち、皮下組織内に浅筋膜は存在する。浅筋膜が皮下における瘀血の直接的な原因になりうるので、これにより真皮内の毛細血管が(ファシア重積などにより)鬱滞し、三日月湖状態を形成することになる。そして刺絡はこの部位が治療点となるわけである。
以上が、ボディワークにおける介入ポイントと重なることから、いわゆる「Bファシア」の概略となり、ファシアの主な解剖生理的な議論の場となる。
ここにホメオパシーや量子学的なより微細な「Eファシア」と、武術における重心や横隔膜、デュアル神経系との関連などで重視される「Mファシア」の概念が追加される。これらは、先述した構造的ファシアに対して、機能的ファシアの分類と言えるだろう。
・・・・・・
この辺りの議論にご興味のある方は、12月17日㈯開催される日本統合医療学会(オンライン開催)のシンポジウム2「ファシア:東西医学の架け橋」(13時〜15時)にて詳細を発表しますので是非ご参加ください。
ファシア関連の概念のまとめ
ファシアを考える際には、様々な階層の話題が交錯し、どのレベルで話をしているか現在地を把握しながらでないと混乱しやすい分野である。
そのため「筋膜束」という概念で全体像をまずは把握する
これは4つの主要な層にわけて理解する
筋膜層(脂肪層・浅筋膜):眼窩・鼻腔・口・肛門を除いて全身を覆う
軸性筋膜(脂肪層深部・深筋膜):軸上(背側)筋・軸下(腹側)筋を取り囲む
髄膜筋膜:神経系を取り囲む
内臓筋膜:内臓組織から派生し、胸膜・心膜・腹膜として体腔を取り囲む。身体の正中で頭蓋底から骨盤腔まで延びる縦隔を形成
上記の内臓筋膜を機能的に分類し、経絡との関連を示唆したものがSteccoらによる、懸垂線(カテナリー)に基づく「器官・筋膜(a-f)配列」である。以下、3配列と経絡の関係である。
内臓配列(内胚葉由来 肺経・胃経・大腸経・脾経)
血管配列(中胚葉由来 心経・小腸経・膀胱経・腎経)
腺配列(外胚葉由来 心包経・三焦経・胆経・肝経)
次にこれらの「a-f配列」を含む体幹腔を6つの隔膜が分節し、4つの腔(頸部・胸部・腰部・骨盤部)を収容する。6つの膜は以下の通り。(大小の骨盤底が共に骨盤部の最底辺を形成するので腔は4つ)
咽頭・脳底隔膜
胸頸部隔膜
胸腰部隔膜
結腸間膜隔膜
腹膜隔膜(大骨盤底)
骨盤隔膜(小骨盤底)
各腔内で、特定の機能を遂行する体内の分節内臓器と、これらの臓器を一緒に結合する筋膜を「臓器・筋膜(o-f)単位」とする。これらは4つの分節された腔にそれぞれ3配列があるので、計12単位となる。ここに各内臓が配当され、それに相当する筋膜が治療対象となる。(これは経絡というよりは経別の意義に近いのではないか)
浅筋膜より上層はいわゆる表層の瘀血を形成する場で、表皮・真皮・皮下組織のうち、皮下組織内に浅筋膜は存在する。浅筋膜が皮下における瘀血の直接的な原因になりうるので、これにより真皮内の毛細血管が(ファシア重積などにより)鬱滞し、三日月湖状態を形成することになる。そして刺絡はこの部位が治療点となるわけである。
以上が、ボディワークにおける介入ポイントと重なることから、いわゆる「Bファシア」の概略となり、ファシアの主な解剖生理的な議論の場となる。
ここにホメオパシーや量子学的なより微細な「Eファシア」と、武術における重心や横隔膜、デュアル神経系との関連などで重視される「Mファシア」の概念が追加される。これらは、先述した構造的ファシアに対して、機能的ファシアの分類と言えるだろう。
・・・・・・
この辺りの議論にご興味のある方は、12月17日㈯開催される日本統合医療学会(オンライン開催)のシンポジウム2「ファシア:東西医学の架け橋」(13時〜15時)にて詳細を発表しますので是非ご参加ください。
tougouiryo at 2022年11月20日19:07|この記事のURL│Comments(0)
図と地の関係 ファシアとトランスの関連への考察
これまで「図と地の反転」としてのファシアへの関心の移行は、ここでも述べてきた通りですが、より明確に、図としての「細胞」、地としての「ファシア」という分類を意識しています。(これはまたさらに踏み込むと、意識と無意識といった領域の話題にも転換することが出来るものでもありますが、これについてはまた後で)
これは「医療」という体系を分類するにあたっても重要で、従来のいわゆる現代西洋医学的なもの(生理学とか薬理学とか)は、その理論的な基盤を細胞生物学においています。
つまり細胞のどこに効いているか、どこを阻害しているか、等々。抗生物質であれば、細菌の細胞壁の破壊であったり、エネルギー代謝の促進であったり、核内における遺伝子への直接作用であったり、という具合です。
これに対して、ファシアの観点は、細胞のいわば「外殻」、もしくはそれを梱包する充填剤としての「マトリックス」となります。それゆえに正統とされる現代医療においては、注目されてこなかったものでもあります。あくまでも本体ではなく、充填剤ですから当然です。
しかし、ファシアに注目することでその関係性が逆転します。見えてくる医学の方法論や、基礎的な考え方すべてが、これによって「反転」します。
まずは脂質二重膜によって水の塊が包まれているという従来の細胞モデルに変更が加えられます。細胞質内に縦横無尽に生体マトリックスが張り巡らされているモデルで、袋状ではなく、ゲル状の塊といったところでしょうか。それがインテグリンを介して、細胞外マトリックスと連絡し、いわばマクロの「ファシア」と接続します。
このファシアには、このブログでも紹介した「Bファシア」と「Eファシア」の二側面を捉えることができ、張力のかかった状態では「経絡」やボディマッサージではBファシア、エネルギー医学や振動医学的にはEファシア、と使い分けることができます。(その他に、腸間膜塊などの解剖学的な塊(Mass)としての「Mファシア」も想定しています)
いずれにせよともに「代替医療性」のつよい概念となります。視点が、細胞本体とそれ以外、ということであれば、こうした代替医療における正統医療との相違も当然ということになります。
またハーブや漢方といった生薬の分野が、これらの中間にあたることも、このモデルで理解しやすくなります。いわゆるサイエンス漢方的な現代医療的な漢方解釈は、アクアポリンによる五苓散の解釈に代表されるように、細胞生物学をベースに分かりやすくなる一方、おそらくファシアの硬度などに由来するであろう「腹診」や「脈診」的な視点は、細胞外であるファシアベースとなります。(腹背診の解剖学的基礎がファシアということ)
つまり、両側面を有する体系ということになり、それゆえに生薬の分野の複雑性をしめすベースにもなります。
この細胞と細胞外という二つの視点を意識することの最大のメリットは、大方の代替医療の方法論をひとつの「身体」の中に位置づけることが可能になるということです。とくにEファシアの導入により、ホメオパシーをはじめとしたエネルギー医学、波動系の器機の合理的解釈が可能になるメリットは大きいでしょう。(ファシア近辺の結合水ということになるでしょうか)
これらの概念が身体という一つの地図のなかに、同時に位置付けられる意義は大きく、実臨床において応用性を高めることができます。様々な体系は、折衷的に存在するだけではいわゆる「とっちらかった」状態になってしまいます。それを幾分か整理して使いやすいように区分けすることが、こうした統合医療の諸概念を考える意味となるわけです。
細胞本体とそれ以外、という視点は、今後のファシア理解において、極めて明快な視点を提供するとともに重要な二極の概念となっていくと考えています。
それは数学的に言えば、Aという集合と、その補集合とでもいえる関係で、まさにあわせて「全体」「全て」ということになります。
ここまで述べてくると、冒頭に意識と無意識の話題を少し書きましたが、その共通点についても感じられるのではないでしょうか。
つまりわれわれは、「ファシア」と「無意識」というこれまで正統な領域では補集合として、重要視されないできたものによってこそ、はじめてその本体に別な視点を提供できるのではないでしょうか。
無意識の入り口を「トランス」ととらえれば、「ファシア」への(とりわけEファシア)への接近法としてのヒプノーシスの意義も捉えられるのではないでしょうか。
これは「医療」という体系を分類するにあたっても重要で、従来のいわゆる現代西洋医学的なもの(生理学とか薬理学とか)は、その理論的な基盤を細胞生物学においています。
つまり細胞のどこに効いているか、どこを阻害しているか、等々。抗生物質であれば、細菌の細胞壁の破壊であったり、エネルギー代謝の促進であったり、核内における遺伝子への直接作用であったり、という具合です。
これに対して、ファシアの観点は、細胞のいわば「外殻」、もしくはそれを梱包する充填剤としての「マトリックス」となります。それゆえに正統とされる現代医療においては、注目されてこなかったものでもあります。あくまでも本体ではなく、充填剤ですから当然です。
しかし、ファシアに注目することでその関係性が逆転します。見えてくる医学の方法論や、基礎的な考え方すべてが、これによって「反転」します。
まずは脂質二重膜によって水の塊が包まれているという従来の細胞モデルに変更が加えられます。細胞質内に縦横無尽に生体マトリックスが張り巡らされているモデルで、袋状ではなく、ゲル状の塊といったところでしょうか。それがインテグリンを介して、細胞外マトリックスと連絡し、いわばマクロの「ファシア」と接続します。
このファシアには、このブログでも紹介した「Bファシア」と「Eファシア」の二側面を捉えることができ、張力のかかった状態では「経絡」やボディマッサージではBファシア、エネルギー医学や振動医学的にはEファシア、と使い分けることができます。(その他に、腸間膜塊などの解剖学的な塊(Mass)としての「Mファシア」も想定しています)
いずれにせよともに「代替医療性」のつよい概念となります。視点が、細胞本体とそれ以外、ということであれば、こうした代替医療における正統医療との相違も当然ということになります。
またハーブや漢方といった生薬の分野が、これらの中間にあたることも、このモデルで理解しやすくなります。いわゆるサイエンス漢方的な現代医療的な漢方解釈は、アクアポリンによる五苓散の解釈に代表されるように、細胞生物学をベースに分かりやすくなる一方、おそらくファシアの硬度などに由来するであろう「腹診」や「脈診」的な視点は、細胞外であるファシアベースとなります。(腹背診の解剖学的基礎がファシアということ)
つまり、両側面を有する体系ということになり、それゆえに生薬の分野の複雑性をしめすベースにもなります。
この細胞と細胞外という二つの視点を意識することの最大のメリットは、大方の代替医療の方法論をひとつの「身体」の中に位置づけることが可能になるということです。とくにEファシアの導入により、ホメオパシーをはじめとしたエネルギー医学、波動系の器機の合理的解釈が可能になるメリットは大きいでしょう。(ファシア近辺の結合水ということになるでしょうか)
これらの概念が身体という一つの地図のなかに、同時に位置付けられる意義は大きく、実臨床において応用性を高めることができます。様々な体系は、折衷的に存在するだけではいわゆる「とっちらかった」状態になってしまいます。それを幾分か整理して使いやすいように区分けすることが、こうした統合医療の諸概念を考える意味となるわけです。
細胞本体とそれ以外、という視点は、今後のファシア理解において、極めて明快な視点を提供するとともに重要な二極の概念となっていくと考えています。
それは数学的に言えば、Aという集合と、その補集合とでもいえる関係で、まさにあわせて「全体」「全て」ということになります。
ここまで述べてくると、冒頭に意識と無意識の話題を少し書きましたが、その共通点についても感じられるのではないでしょうか。
つまりわれわれは、「ファシア」と「無意識」というこれまで正統な領域では補集合として、重要視されないできたものによってこそ、はじめてその本体に別な視点を提供できるのではないでしょうか。
無意識の入り口を「トランス」ととらえれば、「ファシア」への(とりわけEファシア)への接近法としてのヒプノーシスの意義も捉えられるのではないでしょうか。
tougouiryo at 2022年10月02日23:46|この記事のURL│Comments(0)
「マトリックス」という概念 ファシア・ダイアローグ・無意識をつなぐもの
「マトリックス」という用語は医療において、とくに私の関心のある分野において花広く展開していきそうな用語です。ちょっと、これについてかつて書いたものにメモ的に加筆していきます。
マトリックスとは、医療分野では「基質」として訳されることが多い用語です。ミクロにおけるファシアともいえる「細胞外マトリックス」などはこうした用法の一つです。
そもそもの原意としてはラテン語での「母」という意味で、何かを生み出す背景というニュアンスを持つもので(ウィキペディアによる)、ここから転じて、箱に何か「モノ」を詰めるときの「充填剤」的な使われ方もします。近年注目される「ファシア」における用法はこれに近いように思います。
大切な「モノ」に対しての充填剤ですから、陰陽論でいうと「陽」に対しての「陰」とも捉えられます(本体ではないので…)。となると陰は「母」的な意味とも重なるので、原意に近くなります。
そしてファシアの関連でいうと「〜以外全部」といった「補集合」的な意味合いにも用いられます。こうした観点から、自分の分野との関連を探ると、まさに定義が困難な「代替医療」という用語は、正統な医療に対しての「補集合」ですから、極めてマトリックス的と言えそうです。
自分の興味・関心も、当然そうした方向に向けられるので、よくよく振り返ってみると、このマトリックスという概念とかなり重なることに気づきました。
こうした考えをウィルバーの四象限に対応させてみると、「We」の領域における人と人とのコミュニケーションでは、その空間で紡がれる「何か」、オープンダイアローグでの治癒をもたらす「何か」にあたると考えられます。対話の「場」と考えてもよいでしょう。
そして客観的な概念である「It」は幅広い意味合いですが、医学、身体という面では、まさに「ファシア」がこれにあたり、それゆえに別称として「生体マトリックス」とも称されているわけです。
おそらく細胞外マトリックスなども含めて、広く議論するときは「ファシア」としての概念よりも「生体マトリックス」の方が適しているのではないかと考えます。(「遺伝子」と「DNA」の用法の違いに似ているでしょうか)
それでは「I」の領域は何か。自我を支える大きな基盤・母体といえば、まさにエス・無意識・潜在意識と称されるものではないでしょうか。
我々の意識できる部分はごくわずかで、その膨大な根底部分は計り知れない大きさを有する領域なわけです。これは時に集団的無意識を相互に反応しながら、より大きなものとのつながりももつ。これを展開すれば「Its」の領域へも拡張しうる概念にもなりそうです。
このように考えていくと、マトリックスという用語により、ファシア、ダイアローグ、無意識(エス)というものが、ひとつながりの概念としてまとめられることになります。
これらに共通する「何か」が、まさに補完医療的には「キモ」になる領域でしょうし、私にとっても最も関心のある概念でもあります。
ファシア・ダイアローグ・無意識をつなぐ、キーワードとして「マトリックス」という語についてメモしてみました。
マトリックスとは、医療分野では「基質」として訳されることが多い用語です。ミクロにおけるファシアともいえる「細胞外マトリックス」などはこうした用法の一つです。
そもそもの原意としてはラテン語での「母」という意味で、何かを生み出す背景というニュアンスを持つもので(ウィキペディアによる)、ここから転じて、箱に何か「モノ」を詰めるときの「充填剤」的な使われ方もします。近年注目される「ファシア」における用法はこれに近いように思います。
大切な「モノ」に対しての充填剤ですから、陰陽論でいうと「陽」に対しての「陰」とも捉えられます(本体ではないので…)。となると陰は「母」的な意味とも重なるので、原意に近くなります。
そしてファシアの関連でいうと「〜以外全部」といった「補集合」的な意味合いにも用いられます。こうした観点から、自分の分野との関連を探ると、まさに定義が困難な「代替医療」という用語は、正統な医療に対しての「補集合」ですから、極めてマトリックス的と言えそうです。
自分の興味・関心も、当然そうした方向に向けられるので、よくよく振り返ってみると、このマトリックスという概念とかなり重なることに気づきました。
こうした考えをウィルバーの四象限に対応させてみると、「We」の領域における人と人とのコミュニケーションでは、その空間で紡がれる「何か」、オープンダイアローグでの治癒をもたらす「何か」にあたると考えられます。対話の「場」と考えてもよいでしょう。
そして客観的な概念である「It」は幅広い意味合いですが、医学、身体という面では、まさに「ファシア」がこれにあたり、それゆえに別称として「生体マトリックス」とも称されているわけです。
おそらく細胞外マトリックスなども含めて、広く議論するときは「ファシア」としての概念よりも「生体マトリックス」の方が適しているのではないかと考えます。(「遺伝子」と「DNA」の用法の違いに似ているでしょうか)
それでは「I」の領域は何か。自我を支える大きな基盤・母体といえば、まさにエス・無意識・潜在意識と称されるものではないでしょうか。
我々の意識できる部分はごくわずかで、その膨大な根底部分は計り知れない大きさを有する領域なわけです。これは時に集団的無意識を相互に反応しながら、より大きなものとのつながりももつ。これを展開すれば「Its」の領域へも拡張しうる概念にもなりそうです。
このように考えていくと、マトリックスという用語により、ファシア、ダイアローグ、無意識(エス)というものが、ひとつながりの概念としてまとめられることになります。
これらに共通する「何か」が、まさに補完医療的には「キモ」になる領域でしょうし、私にとっても最も関心のある概念でもあります。
ファシア・ダイアローグ・無意識をつなぐ、キーワードとして「マトリックス」という語についてメモしてみました。
tougouiryo at 2022年09月15日07:00|この記事のURL│Comments(0)
コヒーレントから波動医学・量子医学への導入を考える
最近、頻繁に用いるキーワードがあります。素材としての「ファッシア」、JCなどの「ダイアローグ」、そしていわゆる共鳴としての「コヒーレント」です。
よく使う初めの二つ、ファッシアもダイアローグも、そこには「コヒーレント」が重要概念となってくるので、相互に関連しており、並列した概念ではないのですが、まあいいでしょう。これらを使って最近の当院での診療内容や、いわゆる量子医学との関連性を考えてみます。
思考とダイアローグについて、すこし再考してみたいと思います。物理学者ボームは思考のクセのようなところを指摘し(彼は思考の明白な問題点は「断片化」にあるといいます)、それを自覚することの重要性を述べます。また、あらゆる問題はすべて思考の中で起こるとも述べています。まあたしかに言われてみればそうでしょう。
そして、こうした思考のクセのようなものを自覚する方法が「ダイアローグ」にあるというのです。そこからは「洞察」も得ることができると述べています。洞察により、自らの思考を自覚し、そのインコヒーレントな点を超越して「コヒーレント」な状態に至ることができるというわけです。より調和した状況においてということになるでしょうか。
一人だけでは容易に到達できない状態に、集合体となることで可能になるということです。つまり、興味深い挙動の発現(物理的にも社会的にも)もこれを基盤として発動してくるのです。
少し違った観点ですが、このようなことはいわゆるエネルギー医学の領域においても、かつてから指摘されていました。
一例として、ラグビーやサッカーのような集団競技の試合中に負傷者が出た場合のケースが、あるエネルギー系医療の解説書に紹介されていました。その際、応急処置がとられるのは言うまでもありませんが、それと同時にチームのメンバーが集結して、その負傷者に対して祈りを行うことで、状況の好転や回復の早まりが起こるという解説がありました。さらにその後、試合続行時においてもメンバー間の意思疎通が良好になるという「付加的」な事態も生じるらしいのです。それこそ、このチームという集団が「コヒーレント」な理想的調和の状況になっているということだと思います。
我々の経験でも、ジャングルカンファレンスや、相談者を含めたジャングルカフェといった状況においてあてはまる経験があります。(この辺りの感覚が、経験者と説明を聞いただけの人との大きな隔たりとなります)
つまり集団が、「首尾一貫した良好な状態」になっているとき(まさにレーザー光線のような状態にあるとき)、それは「コヒーレント」な状態であるといえます。これは社会的な集団のみのことではなく、我々の身体における細胞・組織の集団においても適応できます。つまり一個の身体としてもコヒーレントな状態となりうるのです。
こうしたすべてのシステムに超越したものとして、血管、神経を凌駕して想定されている物質的な基礎が「ファッシア」といえます。
進化論的にも、他の組織に比べて出現が早いことは言うまでもありません(広義には細胞外マトリックスも含まれるいわけですから)
これはエネルギー系の書籍では、何らかのエネルギーを媒体する生体マトリックスやら軟部組織と称されることがありますが、概念の統一を図るとすれば、現時点では「ファッシア」として捉える方が分かり易いでしょう。(ただし厳密には「生体マトリックス」だと思います)
ファッシアに関連する(周辺に存在する)水分子、さらには生体を構成する他の諸分子が、コヒーレントな状態になっていることが、健康的な状態といってよいでしょう。(ちなみにボームは『ボームの思考論』において「ガン」はインコヒーレントであると述べています)これらの分子の状態を差異化して画像にしたものが、MRIですから当然と言えば当然です。
このように考えると不調の状態(インコヒーレントな状態)を、コヒーレントな状態へと復調させる方法、例えばホメオパシーをはじめとするエネルギー医学の特徴がとらえやすくなるのではないでしょうか。当然、一定の仮定が想定されるわけですが、プラグマティックには「アリ」としてよいでしょう。つまりその挙動は、漢方やハーブのように大きめの分子レベルで作用しているのではなく、量子レベルでの挙動となるわけです。(電子、陽子の状況が関与するので)
直接、ファッシアを復調させる徒手療法のみならず、こうしたエネルギー的な観点も許容しながら、生体における「コヒーレンス」ということを考えていかなければならないのではないでしょうか。その方法論の違いが、ホメオパシーであったり、波動・量子医学系の器機であったりするわけです。
こうした考え方は同時に、現在のファッシア研究(や紹介)が、ややもすると限定的な徒手療法の視点からのみで展開されていることにも注意していかなければなりません。
確かにファッシアはエコーにより可視化されたことで、その存在がクローズアップされたことは否めませんが、世界的な研究の流れから見ると、エネルギー医学との密接な関係は無視することはできないものです。(この辺りが我が国における今後の展開の分岐となるでしょう。良くも悪くも…)
ダイアローグを再考するということは、ファッシアという概念を単なる徒手療法の一用語としてとどめることなく、コヒーレンスという視点から再認識することにもつながるのです。(ここも多くの誤解があり、ただ話せばダイアローグになるというわけではないのです)
コヒーレンスに関しては、最近は、身体内部における定常状態において共鳴する周波数やらホメオパシー、経絡現象論とあわせて具体的な治療論ともリンクしてきています。その流れの中に波動系器機も位置付けられるでしょう。
一見違ったもののように見えますが、結構共通点が多く、診療においては私の個人内部では矛盾しないのですが、まだなかなか連続しにくいかもしれません。
よく使う初めの二つ、ファッシアもダイアローグも、そこには「コヒーレント」が重要概念となってくるので、相互に関連しており、並列した概念ではないのですが、まあいいでしょう。これらを使って最近の当院での診療内容や、いわゆる量子医学との関連性を考えてみます。
思考とダイアローグについて、すこし再考してみたいと思います。物理学者ボームは思考のクセのようなところを指摘し(彼は思考の明白な問題点は「断片化」にあるといいます)、それを自覚することの重要性を述べます。また、あらゆる問題はすべて思考の中で起こるとも述べています。まあたしかに言われてみればそうでしょう。
そして、こうした思考のクセのようなものを自覚する方法が「ダイアローグ」にあるというのです。そこからは「洞察」も得ることができると述べています。洞察により、自らの思考を自覚し、そのインコヒーレントな点を超越して「コヒーレント」な状態に至ることができるというわけです。より調和した状況においてということになるでしょうか。
一人だけでは容易に到達できない状態に、集合体となることで可能になるということです。つまり、興味深い挙動の発現(物理的にも社会的にも)もこれを基盤として発動してくるのです。
少し違った観点ですが、このようなことはいわゆるエネルギー医学の領域においても、かつてから指摘されていました。
一例として、ラグビーやサッカーのような集団競技の試合中に負傷者が出た場合のケースが、あるエネルギー系医療の解説書に紹介されていました。その際、応急処置がとられるのは言うまでもありませんが、それと同時にチームのメンバーが集結して、その負傷者に対して祈りを行うことで、状況の好転や回復の早まりが起こるという解説がありました。さらにその後、試合続行時においてもメンバー間の意思疎通が良好になるという「付加的」な事態も生じるらしいのです。それこそ、このチームという集団が「コヒーレント」な理想的調和の状況になっているということだと思います。
我々の経験でも、ジャングルカンファレンスや、相談者を含めたジャングルカフェといった状況においてあてはまる経験があります。(この辺りの感覚が、経験者と説明を聞いただけの人との大きな隔たりとなります)
つまり集団が、「首尾一貫した良好な状態」になっているとき(まさにレーザー光線のような状態にあるとき)、それは「コヒーレント」な状態であるといえます。これは社会的な集団のみのことではなく、我々の身体における細胞・組織の集団においても適応できます。つまり一個の身体としてもコヒーレントな状態となりうるのです。
こうしたすべてのシステムに超越したものとして、血管、神経を凌駕して想定されている物質的な基礎が「ファッシア」といえます。
進化論的にも、他の組織に比べて出現が早いことは言うまでもありません(広義には細胞外マトリックスも含まれるいわけですから)
これはエネルギー系の書籍では、何らかのエネルギーを媒体する生体マトリックスやら軟部組織と称されることがありますが、概念の統一を図るとすれば、現時点では「ファッシア」として捉える方が分かり易いでしょう。(ただし厳密には「生体マトリックス」だと思います)
ファッシアに関連する(周辺に存在する)水分子、さらには生体を構成する他の諸分子が、コヒーレントな状態になっていることが、健康的な状態といってよいでしょう。(ちなみにボームは『ボームの思考論』において「ガン」はインコヒーレントであると述べています)これらの分子の状態を差異化して画像にしたものが、MRIですから当然と言えば当然です。
このように考えると不調の状態(インコヒーレントな状態)を、コヒーレントな状態へと復調させる方法、例えばホメオパシーをはじめとするエネルギー医学の特徴がとらえやすくなるのではないでしょうか。当然、一定の仮定が想定されるわけですが、プラグマティックには「アリ」としてよいでしょう。つまりその挙動は、漢方やハーブのように大きめの分子レベルで作用しているのではなく、量子レベルでの挙動となるわけです。(電子、陽子の状況が関与するので)
直接、ファッシアを復調させる徒手療法のみならず、こうしたエネルギー的な観点も許容しながら、生体における「コヒーレンス」ということを考えていかなければならないのではないでしょうか。その方法論の違いが、ホメオパシーであったり、波動・量子医学系の器機であったりするわけです。
こうした考え方は同時に、現在のファッシア研究(や紹介)が、ややもすると限定的な徒手療法の視点からのみで展開されていることにも注意していかなければなりません。
確かにファッシアはエコーにより可視化されたことで、その存在がクローズアップされたことは否めませんが、世界的な研究の流れから見ると、エネルギー医学との密接な関係は無視することはできないものです。(この辺りが我が国における今後の展開の分岐となるでしょう。良くも悪くも…)
ダイアローグを再考するということは、ファッシアという概念を単なる徒手療法の一用語としてとどめることなく、コヒーレンスという視点から再認識することにもつながるのです。(ここも多くの誤解があり、ただ話せばダイアローグになるというわけではないのです)
コヒーレンスに関しては、最近は、身体内部における定常状態において共鳴する周波数やらホメオパシー、経絡現象論とあわせて具体的な治療論ともリンクしてきています。その流れの中に波動系器機も位置付けられるでしょう。
一見違ったもののように見えますが、結構共通点が多く、診療においては私の個人内部では矛盾しないのですが、まだなかなか連続しにくいかもしれません。
tougouiryo at 2022年03月27日15:51|この記事のURL│Comments(0)
臨床ファシア学 細胞本体とそれ以外
「臨床ファッシア瘀血学」のカテゴリーでの考察も進み、瘀血との関連性が明確になったことと、近年「ファッシア」表記から「ファシア」表記への移行を鑑みて、新たなカテゴリーとして「臨床ファシア学」として開始します。
最近、ファシアのもつ代替医療性を強く感じる気づきがありました。従来より「図と地の反転」としてのファシアへの関心の移行はここでも述べてきた通りですが、より明確に、図としての「細胞」、地としての「ファシア」という分類を意識しています。
これは医療という体系を分類するにあたっても重要で、従来のいわゆる現代西洋医学的なもの(生理学とか薬理学とか)はその理論的な基盤を細胞生物学においています。つまり細胞のどこに効いているか、どこを阻害しているか、等々。抗生物質であれば、細菌の細胞壁の破壊であったり、エネルギー代謝の促進であったり、核内における遺伝子への直接作用であったり、という具合です。
これに対して、ファシアの観点は、細胞のいわば「外殻」、もしくはそれを梱包する充填剤としての「マトリックス」となります。それゆえに正統とされる現代医療においては、注目されてこなかったものでもあります。あくまでも本体ではなく、充填剤ですから当然です。
しかし、ファシアに注目することでその関係性が逆転します。見えてくる医学の方法論や、基礎的な考え方すべてが、これによって「反転」します。まずは脂質二重膜によって水の塊がくるまれているという従来の細胞モデルに変更が加えられます。細胞質内に縦横無尽に生体マトリックスが張り巡らされているモデルとなります。それがインテグリンを介して、細胞外マトリックスと連絡し、いわばマクロの「ファシア」となります。
このファシアには、このブログでも紹介した「Bファシア」と「Eファシア」の二側面を捉えることができ、張力のかかった状態では「経絡」やボディマッサージではBファシア、エネルギー医学や振動医学的にはEファシア、と使い分けることができます。
いずれにせよともに「代替医療性」のつよい概念となります。視点が、細胞本体とそれ以外、ということであれば、こうした代替医療における正統医療との相違も当然ということになります。
またハーブや漢方といった生薬の分野が、これらの中間にあたることも、このモデルで理解しやすくなります。いわゆるサイエンス漢方的な現代医療的な漢方解釈は、アクアポリンによる五苓散の解釈に代表されるように、細胞生物学をベースに分かりやすくなる一方、おそらくファシアの硬度などに由来するであろう「腹診」や「脈診」的な視点は、細胞外であるファシアベースとなります。
つまり、両側面を有する体系ということになり、それゆえに生薬の分野の複雑性をしめすベースにもなります。
この細胞と細胞外という二つの視点を意識することの最大のメリットは、大方の代替医療の方法論をひとつの「身体」の中に位置づけることが可能になるということです。とくにEファシアの導入により、ホメオパシーをはじめとしたエネルギー医学、波動系の器機の合理的解釈が可能になるメリットは大きいでしょう。
身体という一つの地図のなかに、同時に位置付けられる意義は大きく、実臨床において応用性を高めることができます。様々な体系は、折衷的に存在するだけではいわゆる「とっちらかった」状態になってしまいます。それを幾分か整理して使いやすいように区分けすることが、こうした統合医療の諸概念を考える意味となります。
細胞本体とそれ以外、という視点は、今後のファシア理解において、極めて明快な視点を提供するとともに重要な二極の概念となっていくと考えています。
最近、ファシアのもつ代替医療性を強く感じる気づきがありました。従来より「図と地の反転」としてのファシアへの関心の移行はここでも述べてきた通りですが、より明確に、図としての「細胞」、地としての「ファシア」という分類を意識しています。
これは医療という体系を分類するにあたっても重要で、従来のいわゆる現代西洋医学的なもの(生理学とか薬理学とか)はその理論的な基盤を細胞生物学においています。つまり細胞のどこに効いているか、どこを阻害しているか、等々。抗生物質であれば、細菌の細胞壁の破壊であったり、エネルギー代謝の促進であったり、核内における遺伝子への直接作用であったり、という具合です。
これに対して、ファシアの観点は、細胞のいわば「外殻」、もしくはそれを梱包する充填剤としての「マトリックス」となります。それゆえに正統とされる現代医療においては、注目されてこなかったものでもあります。あくまでも本体ではなく、充填剤ですから当然です。
しかし、ファシアに注目することでその関係性が逆転します。見えてくる医学の方法論や、基礎的な考え方すべてが、これによって「反転」します。まずは脂質二重膜によって水の塊がくるまれているという従来の細胞モデルに変更が加えられます。細胞質内に縦横無尽に生体マトリックスが張り巡らされているモデルとなります。それがインテグリンを介して、細胞外マトリックスと連絡し、いわばマクロの「ファシア」となります。
このファシアには、このブログでも紹介した「Bファシア」と「Eファシア」の二側面を捉えることができ、張力のかかった状態では「経絡」やボディマッサージではBファシア、エネルギー医学や振動医学的にはEファシア、と使い分けることができます。
いずれにせよともに「代替医療性」のつよい概念となります。視点が、細胞本体とそれ以外、ということであれば、こうした代替医療における正統医療との相違も当然ということになります。
またハーブや漢方といった生薬の分野が、これらの中間にあたることも、このモデルで理解しやすくなります。いわゆるサイエンス漢方的な現代医療的な漢方解釈は、アクアポリンによる五苓散の解釈に代表されるように、細胞生物学をベースに分かりやすくなる一方、おそらくファシアの硬度などに由来するであろう「腹診」や「脈診」的な視点は、細胞外であるファシアベースとなります。
つまり、両側面を有する体系ということになり、それゆえに生薬の分野の複雑性をしめすベースにもなります。
この細胞と細胞外という二つの視点を意識することの最大のメリットは、大方の代替医療の方法論をひとつの「身体」の中に位置づけることが可能になるということです。とくにEファシアの導入により、ホメオパシーをはじめとしたエネルギー医学、波動系の器機の合理的解釈が可能になるメリットは大きいでしょう。
身体という一つの地図のなかに、同時に位置付けられる意義は大きく、実臨床において応用性を高めることができます。様々な体系は、折衷的に存在するだけではいわゆる「とっちらかった」状態になってしまいます。それを幾分か整理して使いやすいように区分けすることが、こうした統合医療の諸概念を考える意味となります。
細胞本体とそれ以外、という視点は、今後のファシア理解において、極めて明快な視点を提供するとともに重要な二極の概念となっていくと考えています。
tougouiryo at 2022年03月08日07:00|この記事のURL│Comments(0)