臨床ファシア学

統合医療におけるファシアの重要性 ファシアと結合水、時々ドロプレット

 ファシアは統合医療において非常に重要な概念です。解剖学的に述べると、皮膚と筋肉の間や、各臓器の連携、またミクロでは細胞ひとつひとつの間隙を埋める細胞外マトリックスなどを含む大きな概念といえます。
 そのため、意味するところもかなり多様で、それゆえに大きな混乱も起こしやすいものでもあります。マクロ的な説明か、ミクロ的な説明かの違いによってもとらえ方が異なります。

 とりわけ近年関心が高まっているのが、経絡への科学的解釈に対しての「補助線」として役割です。ファシアに一定の張力を仮定することで、アナトミートレインという経線がたてられ、これを経絡に類似させる考え方です。これはまさに「経絡ファシア論」と称しても良いものではないかと思います。

 この考え方によれば、ファシア線維が引きのばされる(もしくは圧縮される)ことでピエゾ電流が発生する、つまりそこに電子の流れが形成しうるというもので、それが「気」の本体ではないかとするものです。「気」を「電子」とみなすことに違和感を感じる方もあるかもしれませんが、その特徴を見る限り、ニアリーイコール(≒)と十分みなせると思います。この概念はそのまま「アーシング」における帯電の説明にも直結するので非常に重要で、様々なエネルギー医学への応用を可能にします。

 この外力による線維組織の形状の変化は、マクロに引張されたときに限らず、ごくわずかな刺激が加わった場合でも、いわゆる量子医学的な見地からも「結合水」などの概念を介して、情報が伝達しうるとも考えられます。また、この過程で前回述べた「相分離生物学」におけるドロプレットにも影響しうることもここで指摘しておきましょう。
 つまりファシアと量子論との接点となるわけです。この辺りはどこまでを科学的なものとして受け入れるかの立場の違いも効いてくるので、極めてグレーな領域とも言えます。

 ここからさらに推論していくと、ホメオパシーとの関連性も示唆されてきます。つまり、ホメオパシーを秩序化された水分子を利用したレメディの使用と考えると、いわば最適なレメディこそが、このファシア上の結合水を理想的な状態に導くとも考えられます。と同時に、細胞内部におけるドロプレットにも作用しうるわけです。

 この理論展開は、鍼とホメオパシーのミッシングリンクを解明するうえでも非常に興味深い視点を与えると思います。
 つまりこの考え方を肯定するのであれば、鍼とホメオパシーとの相性の良さを主張することにもつながりますし、考え方によっては漢方薬以上のシナジー効果をもたらすこともありえるでしょう。

 こうした発想がまさに統合医療的ともいえるでしょう。東洋医学というカテゴリーを超越して、ファシアという解剖学用語を用いることで、これまでカテゴリー違いであった療法・技法を架橋するということになるわけです。


 加えて鍼灸分野において「刺絡」の特殊性を考えるうえでもファシアは、独自の視点を提供するように思います。この辺りは「ファシア瘀血」の概念として本ブログ上でこれまでに理論展開してきたものでもあります。
 またサプリを含めた栄養の面からも、ファシアへの影響は大きいことが推測されます。とりわけビタミンCとの関連は、大量投与の場合も含めて、より密接な関係もありそうに思います。


 またこのファシア論の一つの魅力は、漢方などを中心とした東洋医学的な診察方法にも大きく関連していそうなこともあります。
 特に「腹診」「背診」などは、これなしには考えられないように思いますし、漢方処方の決め手となる腹診所見なども、ファッシアの関連で考えていくと、新たな視点が得られるように思います。

 現在、とりわけ、柴胡剤の使用目標となる胸脇苦満などの肋骨弓下の硬さなどについては、ファシアからの視点で、徒手的にかなり改善し、結果として漢方使用時に匹敵するような臨床的な感覚もあります。さらには呼吸法とファッシアへのマッサージを併用することで、大きな変化を与えることが出来るようにも感じています。


 つまりこのファシア概念の面白さは、統合医療の幅広い各論を、一つの軸によって論じることが出来るところにあるのです。ジャングルカンファレンスによる多元的な学習の場を展開してきたことで、こうした概念の可能性を強く感じるようになったのかもしれません。今後の統合医療の発展はまさに、こうした境界領域に現れてくることでしょう。

tougouiryo at 2023年04月30日08:11|この記事のURLComments(0)

相分離生物学の冒険 相分離というファシアからの発想の転換

 生化学の代謝マップにおける反応はなぜ順序通りに円滑に進むのか? ファシアのように何らかのネットワークによって連結されているのではないか?  ファシアのない細胞の集積した状態でも水分子が代謝など細胞機能を制御しうるしくみがあるのではないか? 当たり前のようだが、不明な点、素朴な疑問が実は未解明である問題は少なくない。そうした疑問に応えてくれる分野が現れていたのを知らなかった。相分離生物学という分野だ。




 本屋で立ち読みしているときにたまたま見つけたのですが、なんか面白そうだなと思い少し読んでみると非常に重要な感じがひしひしと伝わってきました。4,5年前から専門書は出ているようなのですが、基礎から遠い臨床医の立場では、こうした分野があること自体知りませんでした。

 代謝が円滑に進行するためのメタボロンの概念や、がんにおけるシャペロンの意義、神経細胞になぜアミロイド蓄積が見られるのか、またそれと長期記憶保持の関連についてなどなど。これまでの生理学、生化学では明快な説明がつけられていない箇所の解明は、目から鱗です。またアルギニンやATP産生に関わるコエンザイムQ10などの物質の意義も、従来のサプリの知識以上の解釈が出来そうです。
 現在は基礎的な分野なので、こうした飛躍は嫌がる研究者も多いのでしょうが、個人的には注目の分野となりました。

 冒頭にも書きましたが、ファシアとの関連が個人的には大きく考えさせられたところですが、これは本書では一切触れていない私の独断的解釈なのでご注意下さい。
 ただこれまで未解明だったルート(経絡)を、全く新しいモノではなく従来からあるモノの再解釈で解明していく、というのはまさにメタボロンにおいても同様なものを感じます。とりわけオシュマンによるエネルギー医学の総論においては、解糖系などの代謝ルートを何らかの細胞骨格などの線維で説明しようとしており、それなりの妥当性を感じてはいました。しかし、現在に至るまで全くそうした進展を耳にすることはなかったので、さすがに無理も感じていました。
 そうした中でのメタボロンの仕組みはなるほど納得でした。これであれば近年、解糖系によって生じた乳酸が一度細胞外へ出てから、再度細胞内に入りミトコンドリアへと取り込まれるという知見と矛盾しないことになります。

 またすべてをファシアで説明しようとしていたのとは違い、より細胞機能の多様性が示されたような気がします。ファシアのようにかなり有力な論が登場すると、それによりほかの現象も説明づけたくなるものです。しかし、ホメオパシーなどを説明するには、場合によっては相分離の概念の方がしっくりくるのもまた事実。
 相分離は、代替医療、統合医療領域にも大きなヒントを与えてくれる概念だと思いました。とくにファシアとの関連はまた別の機会に、あらためてここでも書いてみたいと思います。

 
tougouiryo at 2023年04月24日08:39|この記事のURLComments(0)

肥田式聖中心との関連で見るファシア・ポリヴェーガル・腸内細菌叢

 最近、来月から腸内細菌検査を開始することもあり、腸内細菌叢についていろいろと本を読み漁っているのですが、そこでやはり、全身との関連特に、ファシアやポリヴェーガル理論との兼ね合いが気になってきます。(このあたりの理論としてはプラグマティックメディスンの具体的展開として後日、あらためて解説してみたいと思っています)

 そこで、ファシアと肥田式との関連について、昨年掲載したものを少し改編して再掲してみたいと思います。細菌の観点からとは少し違った観測点から、考え直してみたいと思い、読み返してみました。

 肥田春充は、いわゆる丹田とされる「聖中心」を、自ら創出した技法の中心にしていったわけですが、その位置を、解剖学的構造ではなく、幾何学的な説明により提示していました。つまりランドマークは解剖的な構造ですが、聖中心というものを示すには「円」を規定しその中心としました。
 そしてその中心を、腰椎からの直線が通過している説明図を提示しています。つまり考え方によっては、それぞれの解剖的な構造物との関係性、位置を規定する張力のようなもの、と考えてもよいのかもしれません。これまでのファシア理論からすると「O-F」にあたる関係です。

 また、甲野先生からの示唆で気づいたのですが、腹部に球状の円(球)が規定されているのですが、これには何らかの実体があるのではないか、という考え方もできます。
 ここ(球)に臓器の実態を当てるとすれば、それはまさに「腸管」、特に腸間膜に吊り下げられえた小腸となります。(甲野先生は腸管の何らかの膨張を想定されているようですが…)

 この小腸は後腹壁から「フレアスカート」状に吊り下げられ、斜め下方向に集塊をなす様は「球」といえなくもありません。
 学生時代の解剖学での記憶と合わせても、この「聖中心」と考えても矛盾なさそうに思います。
 ただしここで注意すべきは、聖中心が腸管であるか否かという問題ではなく、肥田春充が幾何学的に表現したものの位置に、そうしたものが存在するという意味だけです。安易な同一化をしようとするものではありません。

 こうした問題は「三焦」の捉え方にも適応できます(三焦を東洋医学の教科書的に捉えるだけでなく、腹腔動脈、上腸間膜動脈、下腸間膜動脈から腸間膜が栄養されるさまを三焦としたのではないか、という視点も実際の解剖所見からするとアリなのではないかとも思います)。
 機能総体としての三焦ではなく、何らかの「実体」を古人は捉えていたのではないかという考察です。これは大きな塊のように見える腸間膜と周辺の脂肪組織を古人は一塊の臓器として捉えていたのではないか、そしてそこには臓器としては当時認識されていない「膵臓」も含まれてきます(実際の解剖所見としては全てが一塊に見えます)。それゆえに三焦=膵臓説もあるわけです。


 そしてこのフレアスカートの吊りあげている視点が「腸間膜根」となり、後腹壁を左上から右下へ向けて、腰椎を跨いで下降しているのです。解剖的に腰椎1番2番あたりから下降しているので、横隔膜後脚が3番あたりまで来ていますので、呼吸におけるファッシア的な連動は十分考えられます。
 そしてその終結は右側の仙腸関節上部に至ります。つまりここもファッシア的な接続を考えることができます。つまり骨盤調整との連動の可能性です。この「根」は当然、腰椎4番5番あたりで腰椎を跨いでいるので、いわゆるヤコビー線と腰椎との交点を、肥田春充が示唆しているのと関連するようにもみえます。腸間膜根の吊り上げ作用の重心が、腰椎4番5番の意識や調整と直接関連することは容易に示唆されるわけです。

 なぜ肥田春充が、こうした幾何学的な説明によりその位置を示そうとしたのか。それこそが当時(今もそれほど大きな変わりはありませんが)の解剖学がファシアの存在を、半ば無視していたことと無関係ではないように思います。
 解剖実習を行った経験がある人であれば、すぐわかることですが、解剖実習とはこの「ファシア」から、いかにして目的の「臓器」取り出すか、つまり見やすくするかにつきます。ファシアは取り除かれるべき「不要物」であり、臓器の「背景」にしか過ぎないというわけです。それが解剖というものなのです。

 解剖するという行為の究極が、解剖学の図譜や教科書ですから、そこには当然ファシアの記載はありません。いくら肥田春充が超人であったとしても、当時の(今も?)解剖図に記載されていないものを、実体として認識していたとは思えません。これは近年、「ニューズウィーク」誌に皮膚を上回る「巨大な臓器」としてファッシアの発見が報道されたことからも、「存在していた」にも関わらず「認識されていなかった」臓器であることがうかがわれます。

 春充は当時、自らの体感と、熟読した解剖書とを見比べて、その関係の体感を幾何学的に示そうとしたのではないでしょうか。これは眼光紙背に徹するかの如く解剖書を読み込んだであろう春充の、正確な解剖的知識があればこそ、「そこにないもの」を記載することが出来たのではないかと考えます。
「在る」ものを強く意識するほどに、認識の反転が生じた際に「ないはずのもの」がより強烈に認識されてくるのではないか。「図と地の反転」を基盤として考えるべき、ファシアとの関連がここに出てくるように思います。
 春充の聖中心の体感の瞬間などは、まさにこの認識の反転として捉えることで、理解できるのではないでしょうか。


 腸間膜根から壁側腹膜として折れ返ることで、腸管の状態が全身へと接続されます。これはまさにファシア論でいう「O-F」の引張構造で説明されます。
 室町時代に隆盛を極めた「腹部打鍼術」が、腹部のみの刺激で、全身のあらゆる症状に対応していた事実からも、この関係は意外に大きな連携を有していることが推測されます。
 進化学的にも体幹である「腹」から四肢が形成されてきたことを思うと、その中心が「腹」の「腸管」にあることも矛盾しません。ここに「火事場の馬鹿力」発揮のカギがあるようにも思えます(甲野先生のご指摘による)。
 こうした身体(とりわけ四肢)の関係のみならず、近年は「脳腸相関」として神経系との関連が最新医学のテーマとしても注目されています。神経伝達物質において、脳→腸、または腸→脳の関連が、詳細に研究されています。この連関に関与する「迷走神経」の更なる研究や新解釈が待たれるばかりです。(ポリヴェーガル理論の今後の展開が注目です。最近は少しづつですが学術誌でも見かけるようになってきました!)
 こうした関連においても、腸管の占有する位置が、その機能に関係する可能性は大いにありそうです。


 腹腔内での腸間膜と腸管を一塊としたものの位置により、四肢における運動能力が大きく影響される可能性を、聖中心は持っているように思われます。
 そして加えて、それらの正しい位置関係が、「脳腸相関」においても生体に有利に働く可能性も想定されます。筋膜の張力の均等化や、結合組織表面における水分子の量子的ふるまいの正常化、等が要因として考えられます。ファシア論、ポリヴェーガル理論との総合化が待たれるばかりです。


 筋トレにおける筋肉のイメージのように、腸の塊の鮮明なイメージ化によって身体的かつ精神的な超絶した能力の開花が可能になるのではないか、そんな可能性を「聖中心」は与えてくれるのではないでしょうか。

 そしてこの「聖中心」をひとつの軸とすることでことで、腸内マイクロバイオ―タ、ファシア臓器(腸間膜塊としての三焦)、腹側迷走神経等のキーワードが、相互作用している様子が見えてくるようではないでしょうか。
tougouiryo at 2023年02月24日00:01|この記事のURLComments(0)

ファシアについてのシンポジウムが統合医療学会で開催されました

 週末はオンライン開催での統合医療学会でした。今回は一般発表は、内輪からは出しませんでしたが、一日目は「ファシア:東西医学の架け橋」と二日目「実践ジャングルカンファレンス」の2つを企画し、共に成功裏に終わりました。

 ファシアについてのシンポジウムは当学会では初めての企画で、これまで取り上げてこなかったのが不思議なくらいのテーマです。須田万勢先生と上馬塲和夫先生に私を加えた3人で、各々の得意分野からファシアの現状を繙いてみました。

 須田先生からは、昨今のエビデンスや整形内科学会での研究のが現況、さらには先生の考えるファシア像まで幅広く興味深いテーマが講演されました。上馬塲先生のご講演では、ファシアの病態評価のためのコラーゲン検査の可能性に加え、アーユルヴェーダ理論との関連性、さらには先生の展開するバトソン静脈叢の意義から発想した「静脈ハブ理論」まで、実に充実した内容でした。その後の総合討論も、通常のシンポジウムに見られがちな盛り上がらない討論ではなく、シンポジスト間の質問が飛び交う、あついシンポジウムとなりました。
 とくに印象的だったのが、須田先生が質問されたハイドロリリースでうまくいかないケースに関しての血液の鬱滞の可能性(コンパートメント症候群との関連性)について。つまり内圧が高まった病態においてはハイドロリリースによって悪化する可能性と、その鑑別j方法についてです。
 私の臨床的な感覚では、病態についての質問内容吟味に加えて、やはり刺絡をかけたときの出血の様子です。年に数回おめにかかる吹き出すような刺絡による出血のケースでは、かなりの内圧が上昇している病態が推測されます。つまりこうした環境に生理食塩水を注入することは、その圧力自体を増してしまう可能性があるので、当然病態も悪化しうるわけです。こうした実際臨床に沿った討論が、実際の経験豊富な先生方とできたというのが大きな収穫となりました。

 ジャングルカンファレンスの実践も非常に良い体験となりましたが、こちらについてはまた後日、改めて述べたいと思います。

 須田先生のご著書はこちら! ↓ ↓ ↓

痛み探偵の事件簿 炎症?非炎症?古今東西の医学を駆使して筋骨格痛の真犯人を暴け! ─ 電子版付 ─
須田万勢(諏訪中央病院リウマチ膠原病内科)
日本医事新報社
2021-10-24





tougouiryo at 2022年12月20日00:15|この記事のURLComments(0)

ファシア概念の整理メモ

 今年の統合医療学会シンポジウムで「ファシア」についてまとめるので、概念の整理目的のメモです。この分野に関心のある方の参考に記しておきますが、ご興味ない方や一般の方には分かりにくいのでスルーしてくださいませ。(今週の院内勉強会用の資料メモでもあります)

ファシア関連の概念のまとめ

 ファシアを考える際には、様々な階層の話題が交錯し、どのレベルで話をしているか現在地を把握しながらでないと混乱しやすい分野である。

 そのため「筋膜束」という概念で全体像をまずは把握する
 これは4つの主要な層にわけて理解する
筋膜層(脂肪層・浅筋膜):眼窩・鼻腔・口・肛門を除いて全身を覆う
軸性筋膜(脂肪層深部・深筋膜):軸上(背側)筋・軸下(腹側)筋を取り囲む
髄膜筋膜:神経系を取り囲む
内臓筋膜:内臓組織から派生し、胸膜・心膜・腹膜として体腔を取り囲む。身体の正中で頭蓋底から骨盤腔まで延びる縦隔を形成

 上記の内臓筋膜を機能的に分類し、経絡との関連を示唆したものがSteccoらによる、懸垂線(カテナリー)に基づく「器官・筋膜(a-f)配列」である。以下、3配列と経絡の関係である。
内臓配列(内胚葉由来 肺経・胃経・大腸経・脾経)
血管配列(中胚葉由来 心経・小腸経・膀胱経・腎経)
腺配列(外胚葉由来 心包経・三焦経・胆経・肝経)

 次にこれらの「a-f配列」を含む体幹腔を6つの隔膜が分節し、4つの腔(頸部・胸部・腰部・骨盤部)を収容する。6つの膜は以下の通り。(大小の骨盤底が共に骨盤部の最底辺を形成するので腔は4つ)
咽頭・脳底隔膜
胸頸部隔膜
胸腰部隔膜
結腸間膜隔膜
腹膜隔膜(大骨盤底)
骨盤隔膜(小骨盤底)

 各腔内で、特定の機能を遂行する体内の分節内臓器と、これらの臓器を一緒に結合する筋膜を「臓器・筋膜(o-f)単位」とする。これらは4つの分節された腔にそれぞれ3配列があるので、計12単位となる。ここに各内臓が配当され、それに相当する筋膜が治療対象となる。(これは経絡というよりは経別の意義に近いのではないか)

 浅筋膜より上層はいわゆる表層の瘀血を形成する場で、表皮・真皮・皮下組織のうち、皮下組織内に浅筋膜は存在する。浅筋膜が皮下における瘀血の直接的な原因になりうるので、これにより真皮内の毛細血管が(ファシア重積などにより)鬱滞し、三日月湖状態を形成することになる。そして刺絡はこの部位が治療点となるわけである。

 以上が、ボディワークにおける介入ポイントと重なることから、いわゆる「Bファシア」の概略となり、ファシアの主な解剖生理的な議論の場となる。

 ここにホメオパシーや量子学的なより微細な「Eファシア」と、武術における重心や横隔膜、デュアル神経系との関連などで重視される「Mファシア」の概念が追加される。これらは、先述した構造的ファシアに対して、機能的ファシアの分類と言えるだろう。

 ・・・・・・

 この辺りの議論にご興味のある方は、12月17日㈯開催される日本統合医療学会(オンライン開催)のシンポジウム2「ファシア:東西医学の架け橋」(13時〜15時)にて詳細を発表しますので是非ご参加ください。


tougouiryo at 2022年11月20日19:07|この記事のURLComments(0)

図と地の関係 ファシアとトランスの関連への考察

 これまで「図と地の反転」としてのファシアへの関心の移行は、ここでも述べてきた通りですが、より明確に、図としての「細胞」、地としての「ファシア」という分類を意識しています。(これはまたさらに踏み込むと、意識と無意識といった領域の話題にも転換することが出来るものでもありますが、これについてはまた後で)

 これは「医療」という体系を分類するにあたっても重要で、従来のいわゆる現代西洋医学的なもの(生理学とか薬理学とか)は、その理論的な基盤を細胞生物学においています。
 つまり細胞のどこに効いているか、どこを阻害しているか、等々。抗生物質であれば、細菌の細胞壁の破壊であったり、エネルギー代謝の促進であったり、核内における遺伝子への直接作用であったり、という具合です。

 これに対して、ファシアの観点は、細胞のいわば「外殻」、もしくはそれを梱包する充填剤としての「マトリックス」となります。それゆえに正統とされる現代医療においては、注目されてこなかったものでもあります。あくまでも本体ではなく、充填剤ですから当然です。

 しかし、ファシアに注目することでその関係性が逆転します。見えてくる医学の方法論や、基礎的な考え方すべてが、これによって「反転」します。
 まずは脂質二重膜によって水の塊が包まれているという従来の細胞モデルに変更が加えられます。細胞質内に縦横無尽に生体マトリックスが張り巡らされているモデルで、袋状ではなく、ゲル状の塊といったところでしょうか。それがインテグリンを介して、細胞外マトリックスと連絡し、いわばマクロの「ファシア」と接続します。


 このファシアには、このブログでも紹介した「Bファシア」と「Eファシア」の二側面を捉えることができ、張力のかかった状態では「経絡」やボディマッサージではBファシア、エネルギー医学や振動医学的にはEファシア、と使い分けることができます。(その他に、腸間膜塊などの解剖学的な塊(Mass)としての「Mファシア」も想定しています)
 いずれにせよともに「代替医療性」のつよい概念となります。視点が、細胞本体とそれ以外、ということであれば、こうした代替医療における正統医療との相違も当然ということになります。

 またハーブや漢方といった生薬の分野が、これらの中間にあたることも、このモデルで理解しやすくなります。いわゆるサイエンス漢方的な現代医療的な漢方解釈は、アクアポリンによる五苓散の解釈に代表されるように、細胞生物学をベースに分かりやすくなる一方、おそらくファシアの硬度などに由来するであろう「腹診」や「脈診」的な視点は、細胞外であるファシアベースとなります。(腹背診の解剖学的基礎がファシアということ)
 つまり、両側面を有する体系ということになり、それゆえに生薬の分野の複雑性をしめすベースにもなります。

 この細胞と細胞外という二つの視点を意識することの最大のメリットは、大方の代替医療の方法論をひとつの「身体」の中に位置づけることが可能になるということです。とくにEファシアの導入により、ホメオパシーをはじめとしたエネルギー医学、波動系の器機の合理的解釈が可能になるメリットは大きいでしょう。(ファシア近辺の結合水ということになるでしょうか)
 これらの概念が身体という一つの地図のなかに、同時に位置付けられる意義は大きく、実臨床において応用性を高めることができます。様々な体系は、折衷的に存在するだけではいわゆる「とっちらかった」状態になってしまいます。それを幾分か整理して使いやすいように区分けすることが、こうした統合医療の諸概念を考える意味となるわけです。

 細胞本体とそれ以外、という視点は、今後のファシア理解において、極めて明快な視点を提供するとともに重要な二極の概念となっていくと考えています。
 それは数学的に言えば、Aという集合と、その補集合とでもいえる関係で、まさにあわせて「全体」「全て」ということになります。
 ここまで述べてくると、冒頭に意識と無意識の話題を少し書きましたが、その共通点についても感じられるのではないでしょうか。
 つまりわれわれは、「ファシア」と「無意識」というこれまで正統な領域では補集合として、重要視されないできたものによってこそ、はじめてその本体に別な視点を提供できるのではないでしょうか。
 無意識の入り口を「トランス」ととらえれば、「ファシア」への(とりわけEファシア)への接近法としてのヒプノーシスの意義も捉えられるのではないでしょうか。


錯視芸術:遠近法と視覚の科学 アルケミスト双書
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創元社
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tougouiryo at 2022年10月02日23:46|この記事のURLComments(0)

「マトリックス」という概念 ファシア・ダイアローグ・無意識をつなぐもの

 「マトリックス」という用語は医療において、とくに私の関心のある分野において花広く展開していきそうな用語です。ちょっと、これについてかつて書いたものにメモ的に加筆していきます。

 マトリックスとは、医療分野では「基質」として訳されることが多い用語です。ミクロにおけるファシアともいえる「細胞外マトリックス」などはこうした用法の一つです。
 そもそもの原意としてはラテン語での「母」という意味で、何かを生み出す背景というニュアンスを持つもので(ウィキペディアによる)、ここから転じて、箱に何か「モノ」を詰めるときの「充填剤」的な使われ方もします。近年注目される「ファシア」における用法はこれに近いように思います。


 大切な「モノ」に対しての充填剤ですから、陰陽論でいうと「陽」に対しての「陰」とも捉えられます(本体ではないので…)。となると陰は「母」的な意味とも重なるので、原意に近くなります。
 そしてファシアの関連でいうと「〜以外全部」といった「補集合」的な意味合いにも用いられます。こうした観点から、自分の分野との関連を探ると、まさに定義が困難な「代替医療」という用語は、正統な医療に対しての「補集合」ですから、極めてマトリックス的と言えそうです。
 自分の興味・関心も、当然そうした方向に向けられるので、よくよく振り返ってみると、このマトリックスという概念とかなり重なることに気づきました。

 こうした考えをウィルバーの四象限に対応させてみると、「We」の領域における人と人とのコミュニケーションでは、その空間で紡がれる「何か」、オープンダイアローグでの治癒をもたらす「何か」にあたると考えられます。対話の「場」と考えてもよいでしょう。

 そして客観的な概念である「It」は幅広い意味合いですが、医学、身体という面では、まさに「ファシア」がこれにあたり、それゆえに別称として「生体マトリックス」とも称されているわけです。
 おそらく細胞外マトリックスなども含めて、広く議論するときは「ファシア」としての概念よりも「生体マトリックス」の方が適しているのではないかと考えます。(「遺伝子」と「DNA」の用法の違いに似ているでしょうか)

 それでは「I」の領域は何か。自我を支える大きな基盤・母体といえば、まさにエス・無意識・潜在意識と称されるものではないでしょうか。
 我々の意識できる部分はごくわずかで、その膨大な根底部分は計り知れない大きさを有する領域なわけです。これは時に集団的無意識を相互に反応しながら、より大きなものとのつながりももつ。これを展開すれば「Its」の領域へも拡張しうる概念にもなりそうです。


 このように考えていくと、マトリックスという用語により、ファシア、ダイアローグ、無意識(エス)というものが、ひとつながりの概念としてまとめられることになります。
 これらに共通する「何か」が、まさに補完医療的には「キモ」になる領域でしょうし、私にとっても最も関心のある概念でもあります。

 ファシア・ダイアローグ・無意識をつなぐ、キーワードとして「マトリックス」という語についてメモしてみました。
tougouiryo at 2022年09月15日07:00|この記事のURLComments(0)

コヒーレントから波動医学・量子医学への導入を考える

 最近、頻繁に用いるキーワードがあります。素材としての「ファッシア」、JCなどの「ダイアローグ」、そしていわゆる共鳴としての「コヒーレント」です。
 よく使う初めの二つ、ファッシアもダイアローグも、そこには「コヒーレント」が重要概念となってくるので、相互に関連しており、並列した概念ではないのですが、まあいいでしょう。これらを使って最近の当院での診療内容や、いわゆる量子医学との関連性を考えてみます。

 思考とダイアローグについて、すこし再考してみたいと思います。物理学者ボームは思考のクセのようなところを指摘し(彼は思考の明白な問題点は「断片化」にあるといいます)、それを自覚することの重要性を述べます。また、あらゆる問題はすべて思考の中で起こるとも述べています。まあたしかに言われてみればそうでしょう。

 そして、こうした思考のクセのようなものを自覚する方法が「ダイアローグ」にあるというのです。そこからは「洞察」も得ることができると述べています。洞察により、自らの思考を自覚し、そのインコヒーレントな点を超越して「コヒーレント」な状態に至ることができるというわけです。より調和した状況においてということになるでしょうか。
 一人だけでは容易に到達できない状態に、集合体となることで可能になるということです。つまり、興味深い挙動の発現(物理的にも社会的にも)もこれを基盤として発動してくるのです。


 少し違った観点ですが、このようなことはいわゆるエネルギー医学の領域においても、かつてから指摘されていました。
 一例として、ラグビーやサッカーのような集団競技の試合中に負傷者が出た場合のケースが、あるエネルギー系医療の解説書に紹介されていました。その際、応急処置がとられるのは言うまでもありませんが、それと同時にチームのメンバーが集結して、その負傷者に対して祈りを行うことで、状況の好転や回復の早まりが起こるという解説がありました。さらに
その後、試合続行時においてもメンバー間の意思疎通が良好になるという「付加的」な事態も生じるらしいのです。それこそ、このチームという集団が「コヒーレント」な理想的調和の状況になっているということだと思います。
 我々の経験でも、ジャングルカンファレンスや、相談者を含めたジャングルカフェといった状況においてあてはまる経験があります。(この辺りの感覚が、経験者と説明を聞いただけの人との大きな隔たりとなります)

 つまり集団が、「首尾一貫した良好な状態」になっているとき(まさにレーザー光線のような状態にあるとき)、それは「コヒーレント」な状態であるといえます。これは社会的な集団のみのことではなく、我々の身体における細胞・組織の集団においても適応できます。つまり一個の身体としてもコヒーレントな状態となりうるのです。

 こうしたすべてのシステムに超越したものとして、血管、神経を凌駕して想定されている物質的な基礎が「ファッシア」といえます。
 進化論的にも、他の組織に比べて出現が早いことは言うまでもありません(広義には細胞外マトリックスも含まれるいわけですから)
 これはエネルギー系の書籍では、何らかのエネルギーを媒体する生体マトリックスやら軟部組織と称されることがありますが、概念の統一を図るとすれば、現時点では「ファッシア」として捉える方が分かり易いでしょう。(ただし厳密には「生体マトリックス」だと思います)

 ファッシアに関連する(周辺に存在する)水分子、さらには生体を構成する他の諸分子が、コヒーレントな状態になっていることが、健康的な状態といってよいでしょう。(ちなみにボームは『ボームの思考論』において「ガン」はインコヒーレントであると述べています)これらの分子の状態を差異化して画像にしたものが、MRIですから当然と言えば当然です。

 このように考えると不調の状態(インコヒーレントな状態)を、コヒーレントな状態へと復調させる方法、例えばホメオパシーをはじめとするエネルギー医学の特徴がとらえやすくなるのではないでしょうか。当然、一定の仮定が想定されるわけですが、プラグマティックには「アリ」としてよいでしょう。つまりその挙動は、漢方やハーブのように大きめの分子レベルで作用しているのではなく、量子レベルでの挙動となるわけです。(電子、陽子の状況が関与するので)
 直接、ファッシアを復調させる徒手療法のみならず、こうしたエネルギー的な観点も許容しながら、生体における「コヒーレンス」ということを考えていかなければならないのではないでしょうか。その方法論の違いが、ホメオパシーであったり、波動・量子医学系の器機であったりするわけです。

 こうした考え方は同時に、現在のファッシア研究(や紹介)が、ややもすると限定的な徒手療法の視点からのみで展開されていることにも注意していかなければなりません。
 確かにファッシアはエコーにより可視化されたことで、その存在がクローズアップされたことは否めませんが、世界的な研究の流れから見ると、エネルギー医学との密接な関係は無視することはできないものです。(この辺りが我が国における今後の展開の分岐となるでしょう。良くも悪くも…)

 ダイアローグを再考するということは、ファッシアという概念を単なる徒手療法の一用語としてとどめることなく、コヒーレンスという視点から再認識することにもつながるのです。(ここも多くの誤解があり、ただ話せばダイアローグになるというわけではないのです)

 コヒーレンスに関しては、最近は、身体内部における定常状態において共鳴する周波数やらホメオパシー、経絡現象論とあわせて具体的な治療論ともリンクしてきています。その流れの中に波動系器機も位置付けられるでしょう。
 一見違ったもののように見えますが、結構共通点が多く、診療においては私の個人内部では矛盾しないのですが、まだなかなか連続しにくいかもしれません。

tougouiryo at 2022年03月27日15:51|この記事のURLComments(0)

臨床ファシア学 細胞本体とそれ以外

 「臨床ファッシア瘀血学」のカテゴリーでの考察も進み、瘀血との関連性が明確になったことと、近年「ファッシア」表記から「ファシア」表記への移行を鑑みて、新たなカテゴリーとして「臨床ファシア学」として開始します。

 最近、ファシアのもつ代替医療性を強く感じる気づきがありました。従来より「図と地の反転」としてのファシアへの関心の移行はここでも述べてきた通りですが、より明確に、図としての「細胞」、地としての「ファシア」という分類を意識しています。

 これは医療という体系を分類するにあたっても重要で、従来のいわゆる現代西洋医学的なもの(生理学とか薬理学とか)はその理論的な基盤を細胞生物学においています。つまり細胞のどこに効いているか、どこを阻害しているか、等々。抗生物質であれば、細菌の細胞壁の破壊であったり、エネルギー代謝の促進であったり、核内における遺伝子への直接作用であったり、という具合です。
 これに対して、ファシアの観点は、細胞のいわば「外殻」、もしくはそれを梱包する充填剤としての「マトリックス」となります。それゆえに正統とされる現代医療においては、注目されてこなかったものでもあります。あくまでも本体ではなく、充填剤ですから当然です。

 しかし、ファシアに注目することでその関係性が逆転します。見えてくる医学の方法論や、基礎的な考え方すべてが、これによって「反転」します。まずは脂質二重膜によって水の塊がくるまれているという従来の細胞モデルに変更が加えられます。細胞質内に縦横無尽に生体マトリックスが張り巡らされているモデルとなります。それがインテグリンを介して、細胞外マトリックスと連絡し、いわばマクロの「ファシア」となります。

 このファシアには、このブログでも紹介した「Bファシア」と「Eファシア」の二側面を捉えることができ、張力のかかった状態では「経絡」やボディマッサージではBファシア、エネルギー医学や振動医学的にはEファシア、と使い分けることができます。
 いずれにせよともに「代替医療性」のつよい概念となります。視点が、細胞本体とそれ以外、ということであれば、こうした代替医療における正統医療との相違も当然ということになります。

 またハーブや漢方といった生薬の分野が、これらの中間にあたることも、このモデルで理解しやすくなります。いわゆるサイエンス漢方的な現代医療的な漢方解釈は、アクアポリンによる五苓散の解釈に代表されるように、細胞生物学をベースに分かりやすくなる一方、おそらくファシアの硬度などに由来するであろう「腹診」や「脈診」的な視点は、細胞外であるファシアベースとなります。
 つまり、両側面を有する体系ということになり、それゆえに生薬の分野の複雑性をしめすベースにもなります。

 この細胞と細胞外という二つの視点を意識することの最大のメリットは、大方の代替医療の方法論をひとつの「身体」の中に位置づけることが可能になるということです。とくにEファシアの導入により、ホメオパシーをはじめとしたエネルギー医学、波動系の器機の合理的解釈が可能になるメリットは大きいでしょう。
 身体という一つの地図のなかに、同時に位置付けられる意義は大きく、実臨床において応用性を高めることができます。様々な体系は、折衷的に存在するだけではいわゆる「とっちらかった」状態になってしまいます。それを幾分か整理して使いやすいように区分けすることが、こうした統合医療の諸概念を考える意味となります。

 細胞本体とそれ以外、という視点は、今後のファシア理解において、極めて明快な視点を提供するとともに重要な二極の概念となっていくと考えています。

tougouiryo at 2022年03月08日07:00|この記事のURLComments(0)