2024年12月30日

「義経愚将論」に思うこと

 年末の学会が終わり、しばらくやる気が出ないので、積読状態にあったものを引っ張り出して読んでおりました。やっと読了し、考えさせられたのが、海上知明著『義経愚将論』。

 内容はまさに題名通りなのですが、これまであまり関心のなかった源平合戦について考えさせられるものでした。歴史的考察もさることながら、「結果論」がすべてなのか、ということを考えさせられました。よくテキトーなプラグマティズム批判に、結果が全てとか、うまくいけば何でも良い!みたいなのがありますが、これに対しては強く違和感を感じてきました。
 プラグマティズムの議論をする際は、典型的なものとしては科学実験的な場面であり、その際に「理論」よりも「事実」を重んじる、という面が強調されると思います。「量子もつれ」の理解などにもこの思考は有用だと思います。

 それに対して、通俗的(俗悪的)な理解としては「勝てば官軍」的な、つまり結果のみで評価しプロセスは問わないという、時に非倫理的なものをも肯定する態度です。こうした流れは、成功者の自伝や、新自由主義的な文脈で述べられることも多く、いわば「歴史的」な場面が多いように思います。つまり、再現性の効かない一度きりの場面です。
 歴史解釈はまさにこれなのですが、それゆえに近年は「IF」を思考する必要性も、時に話題にされたりします。源平合戦は、当然結果は覆らないわけですが、本当に平家は滅亡するべくしてしたのか、そうしたことをもう一度考えても良いという事を感じさせられました。





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